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タイトル 「白骨街道で起きたこと」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~
氏名 田伏 潤太郎さん(第15師団 戦地 インド(インパール)  収録年月日 2009年6月9日

チャプター

[1] チャプター1 インパール作戦開始  03:16
[2] チャプター2 連合軍の集積所  02:46
[3] チャプター3 現れた巨大な戦車  05:02
[4] チャプター4 投降の呼びかけ  02:13
[5] チャプター5 セングマイ高地の戦闘  05:23
[6] チャプター6 補給がこない  01:51
[7] チャプター7 31師団の撤退  02:23
[8] チャプター8 孤立した15師団  03:29
[9] チャプター9 撤退の道・白骨街道  04:17
[10] チャプター10 これまで話せなかった「白骨街道」で見たこと  01:37

再生テキスト

とにかくな、あのもう河を渡るときからな、「現地徴収(調達)で賄うて行け」という命令やった。紀元節までにはな、いや、天長節か、天長節までにインパールは日本が落として、もうそこでご機嫌になっているという、あのあれや、軍司令部の計算やったんや。それでやな、行ったらな、そんなもん・・あんた食料やらそんなの送らんでもいいよって。

Q:武器はどういうものを持って行きました、田伏さん。

わたしはやね、あのほれ中隊長伝令で、いわゆる指揮班ですわね。そやから小銃、普通の歩兵の小銃を持っていった感じですわ。指揮班にはみんな小銃持つの。それで下士官は拳銃を持つ。

機関銃はね、8丁やったと思うね、一個中隊に。

Q:どのぐらいの大きさですか。

これみたいなもんやね、大体。これで、この上が長い感じでね。脚はもうちょっと短いけどね。こういう姿をさ。まあ言うたら、簡単に言えば、姿はね。前脚が2本で、胴体があって後ろ脚があって。

前脚が2本と後ろ脚があって、真ん中に機関銃が据え付ける感じやね。ほんで、常はそれはずして持って歩いてるねん。それで、いざというときにはそれを据え付けて、ねじで回して据え付けて。

まあ20キロから24キロあるね。銃身のほうが重い。脚のほうはわりと担ぎやすい。ちょっと軽い、脚のほうは。しかし弾薬は交替あらへんねん。だから、いわゆる弾薬は大変や。

Q:何キロぐらいあるんですか、弾薬は?

何キロあるんやろうね。やっぱり20キロぐらいあるんでしょうね。おおかた8分目ほどまで弾が入ってるからね。いっぱいは入らん。

Q:それは交替なしで。
交替なしで。そして自分の糧まつ」上に載せるわね。そやから重いですよ。

テント番の倉庫みたいあって、そこ行ったら乾パンとかバターとかチーズとか、我々食べたことないようなもんばっかりやん、軍隊でね。「えらいもんがあるなあ」言うてね。「よし、そんならもう、一生懸命干し米したのほかして、それを皆つめて。で、その缶詰やらは重たいけどやね、その、おいしいからね、干し米より。それで皆持って。それでほんのわずかだけ干し米を持って、あとはみなその場へ捨てて、それの替わりそれを入れて、それで行ったんですよ。

Q:それは河を渡って、もうすぐのところですか?

すぐですね。あくる日やん。

Q:その、イギリス軍の倉庫を見たときはどんなお気持ちでした? たくさんこう、物があふれていると。

どんな気持ちって、やっぱし向こうは贅沢しとる。食べもん違うな思ってね、「はあ、こんなもん食べとんのかいな」というね、みんなと話し合いして、それで拾うたんですよ。そうしよう言うて。そうしたら中隊長や小隊長はね、「おい、拾え」、「ほかせ」も絶対言わへんからね。兵隊の皆、勝手にしてるわね。

ある程度、黙認やわね。そら、自分らの将校に、そういうのはええわね。干し米もらう、そんでそれを見て見ぬふりやね。そして、それからずっと行ったんです。

Q:そのイギリス軍の倉庫にはどういうものがあったんですか。

結局、いわゆる乾パンとかビスケット、それからバター、で、チーズね。そういうものですよ。あとは、だいたいそんなもんだけですよ。というのは、それがやっぱりね、そこにね、そういうおったんですよ。日本は上陸するまでは。そんで日本が上陸したっていうんでね、そいでもうばーっと逃げよった。

そして向こうへ渡ったでしょ。敵兵がおらへんねん。あの、今話してもええかな。結局、夜着くでしょ。向こうはね、後でこれは気がついたんやけどね、向こうの作戦があってね、もう皆下がってまえって。日本軍が来たら下がるという、そういう作戦やねん、向こうのね。しかしこっちは知らんわね、わーっと行くわね。

いわゆる戦闘ちょっとやっておるけどね。そこは機関銃行ってへんからね。それでちょっとやっとって、向こうはすぐ逃げるわね。そうするとまた前へ行くと。それで、どんどん、インパールの電気の見えるところまで行った感じやね。

山を下りよったやん。そしたら下ってすぐにほれ、敵と撃ち合いはせえへんわね。敵は逃げよるさけ。それでまあ、そこで山おりて一服、ちょっと一服したら夜が明けて。

もうこれ、インパールがほれ見えてるでしょ。そやからやね、もうここまで来たら、インパールは。上の人も天長節までにはインパールは落とせと、こう命令が来てるだもん。ほんでまあ、これは落ちる、落ちると思ってたら、

そうしたら、前見たら戦車がずらーっと並んどったんや。そんでびっくりしてやね、その、何のためにあれ、壕(ごう)が掘ってあったか知らんけどね、こういう壕が掘ってあんねん。それで、そこに皆飛び込みよって。

そうしたら、これ幸いに戦車がぶわーっと来てね。そしてから、あのあともほれ、こんな長いのを掘ってあるでしょ。そしたら、ここから撃つんやったら、しない。戦車ここへ回ってね、横から撃つねん。そしたら全滅するもん。そうでしょ。それを皆やられた。イシカワ中隊が。

あとの小銃隊、歩兵隊、歩兵はまだ到着したところで山の上におったんや。それで機関銃も山の上におって。そしたら、その夜が明けたらやられてるからね、「えらいこっちゃ」っていうんで、結局助けに行けへんねん。相手は戦車でしょ? 歩兵って誰もおらへんねん。戦車ばっかりやねん。そやからやね、もうしゃあない。見てなきゃしゃあない。

大隊長は「行け」とは言わへんし。大隊長命令で「攻撃行け」言われたら、それはみんな無理しても行きますよ。けど、あんまりにも戦車が多いのと、それとではね、もうあの結局、命令は何も出えへんねん。けど、いつまでも見とらへんよ、撃ってきよるさかいね、上。機関銃で、山におる者にも。それでそこでイシカワ中隊やられて、我々は一生懸命壕を作って。そしたらその間に向こうはどんどん撃ってきよるからね、もう山がほんで裸。2日間したら裸になった。裸になったっちゅうのは、結局、あのいわゆる山焼きに会うたようなね。木はあるけど、枝もなにもないってやつね。

お祭りのね、太鼓たたいているみたいね。そんな調子で撃ってくるんだ。どんどんどんどん。その山、あれよ、その山をおおかた裸にしちゃうんだ。それは人を殺すため、ちゃうね。とにかく山を裸にしてしまったら、丸見えになるでしょ。そんで裸にするために撃ちよるからね。

「これから放送します」言うて。「今、パンが焼けて、コーヒーがもう、熱くなってきたから、棒にね、白い旗を、白いきれを立てて来たら決して撃たへんから、こい」と。そのごっつい拡声器が毎日言うよるねん。

Q:毎日。

で、それが済むと、今度は小唄勝太郎の歌を聞かせて。後は(江戸小歌)市丸の歌を聞かせたりとかね。あの、耳は。そしたらほんまに(小唄)勝太郎の歌やらね、市丸の歌がかかってくるのや。それが、ある程度終わるでしょ。「これから砲撃しますよ」と言うて、どんどんどんどん撃ってきよる。もう、それが日課やねん。

そして、昼ごろなったらね、飛行機が来てビラ撒きよるねん。そうしたら、ビラ拾いに行くねん。そうしたら、これは言うてもいいかいな。その便所紙がないでしょ。ほんで拾うてきてね。あー、これはいい、便所紙にちょうどいいとかね。破ってね、ほれ枯れた葉を拾うてきて、取って来て、タバコに巻いて。それをタバコにして吸うてた。

Q:タバコに。

うん。タバコ足らへんね。その葉を、その紙と。とにかく何か吸うてんと、ほれ、皆タバコ飲むから足りないでしょ。で、もう用事あらへんで、することが。向こうが砲撃済んだらやね。向こうは休んでんの。その間1月近うね、言うたら遊びみたいなもんや。

アンパン(99式破甲爆雷)を持って5人が行って、その戦車を破裂しに行きよった。そんで、一人が、

アンパンを、ほれ(戦車の)蓋(ふた)開けとるでしょ、そこへほうり込みよった。それで、びっくりして飛んで出よった、相手のやつが。それで、あれ、20分か30分ね。ばんばんばんばん破裂したね。弾が、皆、破裂するんだね。

戦車を爆破するていうようなことは、容易なことじゃないからね。このキャタピラーね。あの真ん中に、それを入れるのがね。それか中入って、放り込むかやね。そんなしたらお前、向こうは狙撃がようしたで、いっぺえ撃ちよるわね。

ほんで、その最後に、その山をね、セングマイ高地をね攻撃せよという連隊命令が来たわね。それで、結局、全部行けちゅうのね。

とにかくもう、いつか早かれ遅かれ、死ぬんだ。皆、思って死なんならんと。

恩賜のタバコを貰うて、皆、一服吸うて。それから「そな、行ってきます」って。ということは、もう死にに行くのと一緒やね。

その山でへばりついてたら、夜が明けて。それで、「まだ?」言うたらね、もう、みんなここでいよいよ終わりやなという。みんな、全部覚悟したんや。中隊長以下ね。そんで、中隊長がひょろひょろ顔見ながら、顔見たら、中隊長、顔見たら、何を言うたらいいか、一緒に推察したら分かるねん。そんで、ほい「誰々」、あっ、「誰々、おい、元気か」と言ったら、ふっとこっち向きますやろ。その顔がね、そら、いまだに忘れられへん顔や。何とも言えん顔。人間のね、悟りを開いた顔ちゅうもんは、あんなもんかと思うたよ。

 もう、死を覚悟してるのや、みんなが。中隊長以下。そんで死を覚悟してるからね、それで、その顔。

何とも言えん。ええ顔やねん。ええ顔なあ。いや、人間がね覚悟を決めたら、こんなもんかと思うよ。その隊長がやね、呼べとは言わへんけどね、わしの顔見て何や言うとったや。わしが「誰々」とこう言うやろ。「おい、キムラ」とか言うやろ。そうしたら、「うーん」と言って、こっち見よるの。そいで「ワタナベ」とか言うやろ。そうしたら、こっち見よるねん。で、「タムラ」とか言うやろ。皆、呼んだら、一人ずつこっち見よる。そうすると隊長とは、人がおるさかいな、隊長はじっと見てるやろ、顔。わしも顔見てる。ええ顔してるなあと思って。けど、隊長も何も言わへんのやよ。

もう、そこでは死ぬの決まっているんだもん。だから、ここへばりついているだけや。穴もなけりゃ、何もない。このぐらいのススキがね、ずっと株が残っている。

ここしか動けへんの。動いたら死を意味するのや。ほんで、ここにもへばりついて。長かったよ、1日は。太陽、カンカン照るしね。暑いしね。それから、ほんまに、この1日はほんまに長かった。前の晩から朝、夜が明けてから次の晩までやからね。長いよ、いちばん。

そのときの1日は長かったけれど、とにかく何とか帰ってきた。そんで日が暮れて。そしたら連隊本部から命令ね。もう軍隊、全部引き上げてこいという命令が来たわけね。そんで、その山を下がって。下がるのは早かった。登るのと違って、下がるのは逃げるんやからね。

弾は無いしやね、担ぐ人間もなかったんよ。で、しまいにはもう、小銃もほかしてね。

もう、ない、弾。食料はもちろん、来(き)いひんしね。全然、来(き)いひん。そりゃ、忘れもせんけどね、1回だけ食料が来たんや、缶詰が。ほんでね、「おい、缶詰が来た、やれやれ」言うて。「みんなで食べよう」言うたら、表はね、牛肉のあれが貼ってあるのや。缶切って開けたら漬物やねん。あれにはもうみんな怒ってね。そりゃ肉が食べられると思ってね、10人ほどが1つの缶に寄ってんのよ。それがあんた開けてみたらお漬物やで。で、貼ってあるレッテルは「牛肉」っちゅうか、缶やで。まあ、お漬物やったらしゃあない。

ひもじいってのは、通り越してもうてな。ひもじいちゅうことは、食べられへんさかいにひもじいのやろ。我々は水飲んでるのといっしょや、まあ言うたら。それでそれを3日やってやな、もうおおかた晩に食べなんだらやな、もうお腹おさまらへんやて。

Q:烈兵団(31師団)はですね、撤退をしたと。このニュースはどうやって聞いたんですか。

そら、烈兵団は、これから撤退するという電報打って来よるもん。師団司令部に。しかし師団司令部同士やろ、それから連隊来るやろ。それから中隊やろ。そやから時間かかるのや。そのときすごい逃げられたんやったらね、それはやられてへんのやけど、もう我々のとこ来た時分にはな、戦車やトラックやらがどんどん通っとるんだもん。その合間をぬって、山があって。

そらもう、とにかく、もう取るものもとりあえずだね。とにかく、向かいの山に逃げたや。それが、その命令が大隊本部から来た。命令と見せるものも、何もあらへんな、中隊は。それで人間が言うてくるんや。時間かかるやろ。

烈兵団はね、電報を打って、「兵器弾薬も糧まつもないから、いついつまでも引き上げる」という。あの烈(兵団)は電報打ってる、牟田口閣下(軍司令官)にね。打っとったでいうた。ああいう情報は入ってくるのや。もう、そんなんしたら死刑やねん、師団長が。それをなあ、「わいは死刑になってもな、兵隊、兵隊さえ帰ったらええ」って言って、引き上げよったんや。そうしたら道路はええしやね、戦車やらトラックがどんどん、来よんやもん。そのコヒマかインパールへ。それを見ながらわたしらは山、上がってたん。

いや、烈(31師団)みたいな強い部隊は下がんと思ったね。とことんまで行きよると思ったね。

みな、慌てるわ。早う行かんなんだらね。1分でも早う山に逃げなんだらやね、どうにもならへんと思う。

山、あるでしょ。山には中腹にこう道があるわね、細い道が。その道をずっと通って逃げてたら、そしたら戦車砲弾が、ここへ、この道の上へ当たりよったんや。こういうふうにだったらね、道。こうなってまう。こうだ。上、当たる。それで上で炸裂しよったん。それで破片が背中に入ったん。ほて、その谷の下ね、5メートル飛ばされたんせ。

そんで、そのときはまだ、みな中隊がやね、下ろすわけね。すぐに見に来てくれた。上げてくれた。

いや、戦車砲弾、破片が当たってん。それで入っとるねん。今。今でも入ってますよ。

そのときはね、もう血が出てるか、分からへんのや。もうそんな、分わかるようなね、あれとは違う。

Q:痛かったですか。

いや、そこらじゅうは痛い。もう。飛ばされたんやさかい。もう4、5メートル下にね、飛ばされたんや。

部隊はね、山を横切って。ほんで、ここで1週間警備するから、病人等は、けが人は全部先下がれって言うて、それで下がったの。

Q:けがをしたから。で、そのときは、担架に最初は乗せてくれると。

うん。もう担架だけね。ちょっとの間乗せてくれたんだけどな。そんな栄養失調でふらふらやでしょ。そやから、どさんと落としよるねん。

Q:あー、担架を。

それをね。3回。2、3回落として。それで気の毒だけやからな、「もう、ええ」言うてな。「わしは何とか歩く」って言うて。もう、みんなふらふらやもんな。食べるもの食べてへん。

そしてね、この河の際まで下がったらね、これは運のええことはね、あの工兵隊が舟持ってるでしょ。するとそこへね、名前書くねん。みんな書いてくれ、言わはるねん。そしてその、いわゆる「わしは戦車砲弾でやられた」とか、「わしは小銃で撃たれた」とか、「わしはマラリアや」とか、「わしはアメーバ赤痢だ」とか、みんな書かんならんわけ。そしたらマラリアとかアメーバ赤痢はね、「後回し」ってこうなる。「戦傷した者が先に乗れ」と。工兵隊が、あの発言権あるさかいな。それでそれに乗って、向こうへ渡してもらうのや。ビルマへね。

歩いてるでしょ。1人がね、死んでるでしょ。すると次また歩いてくるからね。これ死んでるの、知らへんねん。そこへ、横にこうして。さびしいやろ、自分ひとり。(それで)横へ、そこ座っとる、座りよるの。そしたら隣死んでるやろ。よう分からんと自分も座って。そしたら自分もほれ、眠とうなって寝てしまう。そしたらもう死んでまう。そすとまたね、1人で下がって来るやつは淋しいからね、ふたり寝てるでしょ、死んでるの。そしたらそこへ座りよるねん。そしてそのまま亡くなるの。そんなのね、点々とあったよ。それはほんまに白骨街道。というてね、3日たったらね、体中にウジがわきよるの。それで体、ぷーっと膨れてるけどね、もう死んでしまう。そしたらまた、ひどいやつがいよんのやて。そいつの靴ぬがせて、履いて歩いとるやつがいよんのや。ちょっと元気になると。

それで服とかズボンはね、腫れてるやろ、人間が。そやからもう、そんなもん全然触れへん。ほんとに体が倍ぐらい腫れるよ。そんな服、脱がれへんやろ。で、もしもそれを脱がせたら、ウジがいっぱいわいとるねん。しかし靴はね、まだ脱がせんねん。ほで靴脱がせてね、履いて行きよるやつがいる。それで、ちょこちょこ裸足のやつがいよんのや。

白骨街道や、ほんまに、ほんまに言いよんの、白骨街道やで。大抵、3、4人いよんのや。こっちまた3、4人、こっちまた3、4人。それはやっぱり人間はね、淋しいからそうなるらしいわ。あとで軍医に、あのしゃべった、話したら人間の心理やねんて。ひとりでへたり込むの、かなわんやろ。ほんで、その、それをね、あの横に。その人は生きてると思ってんのや、隣の人。それが、自分が死ぬの。それは、そんなこと、そんなのな親が見たら悲しいけどやね。体は腫れてるしね。それに何も持っとらん。水筒も背のうもね、剣、帯剣もね、何も持ってない。ただ竹の杖がね、切ってね、拾うたやつを持っとるだけ。しかし大抵ね、そんなこと言うといかんけどね、奥さんや子どものある人とかね、あの18年兵とかね、もう最近来たやつばっかりや。

で、これしゃべってるとな、今晩寝られへんねん。いや、いや、あいつのこと、こう思い出すやろ。で、この間も寝られへんだよ。

そりゃ、思い出すもん。ああ、あいつは、ああ死におったな。ああ、あいつ、あいつはどうなった。あんたとしゃべってたらやな、思い出すもん、死んだ男な。

あいつらどうしよったんやろな、どこで死によったんやなとかね、いらんこと思いだすねん。そうすると寝られへんやろ。

戦争っちゅうもんは悲惨なもんやと思うね。また悲惨ですよ、ほんまに。まあ、そりゃ、そんなこと言うていかんけど、原爆でバンとやられるのも悲惨やけどやね。そこにまた白骨街道でね、それ、死ぬというのも、これも運命やけど悲惨やわね。

公に言うのは。それまでは絶対言わへんだった。

Q:言えなかった。

そんなもん、その人のね親がね聞いたらやね、どない思うと思うの。そやからその話はもう、誰ともなしに禁句になったや。みんな言わへん。そやから。それはうちの部隊だけ、うちの中隊だけちゃうねん。いろんなね、人が入ってんのね。けど、うちの息子がそんな目に遭うたんと違うかなと、誰でも親としたら思うわね。まあ、40年もね、30年も前やったら。そやから、今、初めて、まあ、話すんのやけどね。

出来事の背景

【インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~】

出来事の背景 写真陸軍第15師団は、京都府と滋賀県出身者を中心に編成され、総兵力は2万。
昭和19年(1944年)3月に始まった「インパール作戦」に投入された三つの師団のうちの一つである。
「インパール作戦」は、ビルマ方面第15軍司令官牟田口廉也司令官が、戦況を一気に打開しようと考えついた作戦で、連合軍の補給拠点、インド東部のインパールを攻略しようというものだった。
31師団が、インパール北方の拠点「コヒマ」を攻略、33師団は、南のう回路からインパールへ、そして、15師団は北側からインパール攻略を命じられた。

大本営をはじめ、陸軍内部は補給を軽視したこの作戦の成功を危ぶんだが、牟田口司令官は強硬に主張し、作戦開始が決まった。

3月、インドとの国境を流れるチンドウィン河を越えて、作戦が始まる。将兵は重い荷物を担いで、3000メートル級のアラカン山脈を越え、作戦開始から10日目に、サンジャックで連合軍を退け、コヒマ-インパール間を遮断した。
しかし、インパールを取り巻く高地に近づいたところで、最新の兵器で反撃を受ける。「セングマイ高地」では、連合軍の最新の戦車に蹂躙され、肉弾攻撃に踏み切らざるを得なくなり、多くの兵士が命を落とした。
6月に入ると、コヒマを攻略していた31師団も苦境に立たされ、ついに佐藤師団長が独断で撤退を開始、31師団からの援軍を当てにしていた15師団は大混乱に陥る。

15師団にも、7月には退却命令が出されたが、その撤退は悲惨を極めた。飢えと病気で兵士たちは次々に倒れ、その撤退路は「白骨街道」とまで言われるようになった。

19年末、連合軍とのイラワジ会戦を戦いさらに大きな損害を受け、タイまで後退して終戦を迎えた。師団将兵2万人のうち、1万5000人が亡くなった。

証言者プロフィール

1920年
京都府京都市左京区に生まれる。
1940年
現役兵として第60連隊第2機関銃中隊入隊。中国へ。
1944年
インパール作戦に参加。負傷しサイゴンへ下がる。
1945年
ビルマとタイの国境付近にて終戦を迎える。
1946年
復員。復員後は、故郷にて美術骨董商を営む。

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インド(インパール)

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