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タイトルタイトル: 「飢えの果てに起きたこと」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
名前名前: 小川 力松さん(金沢・歩兵第107連隊 戦地戦地: ミレー島  収録年月日収録年月日: 2009年11月6日

チャプター

[1]1 チャプター1 ミレー島へ  04:22
[2]2 チャプター2 防空壕作り  02:58
[3]3 チャプター3 日本兵同士の殺し合い  01:45
[4]4 チャプター4 上官殺人  03:30
[5]5 チャプター5 生死の狭間  02:11
[6]6 チャプター6 米機搭乗員殺害事件  01:10
[7]7 チャプター7 食べられるものはすべて食べた  01:19
[8]8 チャプター8 生きながらの地獄  04:07
[9]9 チャプター9 死体収容が自分の仕事  03:57
[10]10 チャプター10 投降する兵士たち  03:04
[11]11 チャプター11 栄養失調、そして餓死。極限の状況がやってくる  06:45
[12]12 チャプター12 それでも信じなかった敗戦の事実  03:58
[13]13 チャプター13 伝えられなかった「餓死」の事実  03:46

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年11月6日

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小川力松って書いて。これはおれに、戦友がくれたんや。これを持ってずっと、兵隊にずーっと持って行っとった。背のうの中へ入れて。

Q:ずーっと戦地をこれで一緒に行ってたんですか。

うん。これ、これもお守りや。これは朝鮮のお守り、朝鮮。日本のお守りはあの上にもあるけどね。朝鮮にもしばらくいたんだよ。満州へ行った、行くとき朝鮮に。ほいで満州行って、支那から満州行って、それからミレー島へ行って。

Q:ミレー島にも持って行ったんですか。

うん、ミレー島へも持ってっとったんや。

Q:ずーっと一緒だったんですね。

うん、ずっと。お守り。これがおれを守ってくれて、生きて帰ってこれて。

ここへ行っとった、ここの島へ。これがマーシャル群島ちゅう、マーシャル群島。ここに日本があるげん。こっから日本、こう来てこう来て、ここまで行っとったんや。この島まで行っとった。ここからここまで6200キロある。これは大方玉砕してしもうた、玉砕。みんな。アメリカの兵隊にやられてもうて。ほいでこの、この島だけ残ったんや。ここにわしがおったんや。
ここは、このミレー島のサンゴ礁で、ここに島、こんだけ島があってね、この点々とした島、離島って。この島へみんな分散しておって、わしはここにずっとおった。ここへみんな兵隊はみんな、食べ物がないもんでずっとこう離島へ行って、あのー、生活しとって、ほいでほとんど死んでしもうたんや。ほとんど死んでしもうたのここや。ここにわずかにしか残らなんだんや。

ミレー島ちゅう島、こんななっとる。こんななっとる。ね。これはあの、ここは北砲台とか南砲台とか言ってな、これおれはね、一番ここにおったんや。ここにおった。ここは内海(5カ所)。外海は深いんや。
ここは、どうあっと、あの浅い、浅いとこ。これを分散してミレー島、こういう島になっとったんや。

Q:小さい島ですよね。

こっからここがね、1000メートルしかないんよ、1000メートル。こっからここ1000メートルしかない。周りよりね、あの、ずっとひと回りしても1里しかない、1里。ほんな狭い島やったんや。そこで4000人の兵隊が上がった、4000人。ほでほとんど餓死してしもうて、内地戻ってきたのはほんのわずかしか残って来れん。みんなここで餓死してしもうて、食べるものがなあてみんな死んでしもた。

海軍がね、「もうもう陸さん、わしらはもう何じゃわ、どこへ行くか知らんけど、玉砕やわや」って。海軍な、知っとったね。海軍は予想しとったね。うん。ほでわしらは全然知らんもんね。だから海軍の船に、乗せてもらうままやだけど、どこへ行くかわからんから。

急きょミレー島へ上がれちゅって、ミレー島へ上がって。さあ今度は、どうするか。じゃもうミレー島で死守するか、ハワイ、ハワイの本土を攻撃して、死ぬか生きるかの戦いやろうかと言うて、そこで全部軍艦も飛行機も全部そこ、ミレー島へ全部集結したわけ。
ミレー島には飛行場も、1,000メートルの飛行場が、A滑走路ちゅうて、Aになって、そこに、格納庫、飛行機の格納庫が2棟あった。そこで、20何機待機して、ほいで今ではしゃあねえさけ、死ぬか生きるかの戦いやから。

海軍はわしらより先に上がっとるもんで、食料もあるし設備もあるしね、裕福やった。わしらはその海軍の指揮下へ入ったわけや。命令、「ここ行け」ちゃ「はい」。「こうせい」、「はい」って言って。ほいでね、アメリカが爆弾落とすやろ。ほで滑走路に今度穴あくやろ、でかい。その穴、穴を埋めに行くがは、全部、陸軍が埋めに行くがや。海軍な埋めに行かんがや。そういう、海軍は自分らやらんとって陸軍ばっかり使うてね。
ほいで今度は食料やちゃ、海軍な持っとるけど、陸軍な食料くれんがや。くれんもんで、だんだんだんだん陸軍の兵隊は、なんやなってもうて、餓死してしもうて。海軍なまだ防空壕を掘ってみりゃ米、まだいくらでも米持っとる。持っとっても日本にくれんげ、陸軍にくれんがや。

陸軍にあんた食うものないも、海軍にはまだあんた、何といっても持っとるも。隠して持っとるんや、防空壕に。防空壕な見せんけんど、見せんけんども、持っとるちゅうことわかっとるしね。海軍のほうはあんた、炊いてきてあんた、昼になりゃあんた、飯ごうに炊いて食べとるもん、あんた。陸軍なあんた、飯ごうにほんな炊いて食べとる余裕はないし、食べられんも。ものがないもん、あんた。だから海軍は持っとるなちゅうこと、にらんどるわけや、あの陸軍が。だから盗みに行くわけや。
だから泥棒の寄り集まりや。日本の兵隊、味方同士の戦争やった。味方同士の戦争やったんや、ミレー島は。敵は上がってくりゃ、それはまあ別として、上がってこんさきに、もうはや陸軍の味方同士して戦争して、食べ物の戦争して、お互いに殺し合いや。殺し合いや。だからひどいことを、まあ展開されたわいね。常識で考えられんことが展開された。

将校を兵隊が殺すげん。ね。あのあんまり命令を下して、ほいで「ああせい、こうせい」て言うて。何も食べもんも食わせんとってかて、「何言うとるんや」ちゅうなもんで、「今晩やってやるか」っていうんで、みんなで相談してがって、ほいで防空壕、小隊長の防空壕へ入ってってがて、頭から毛布かぶして窒息させて。窒息、殺すんや。それはひどい、これはひどいぞ。上からあんた毛布かぶして窒息させて殺すんやど。そんなんがあったよ。これもひどいど。蒸し殺しや。
だからあの兵隊にひどいことできんげ。できんし、したら駄目ねん。ところがそれが元気なときは、それこそ将校が兵隊をこき使うたわけや。だからそれを今度は敵に思って、「今度はあのやってやらんか」って言って、3人か4人寄ってがって、殺すげ。そういうこともあったんや。そういうこともあったんや。
だから兵隊が、将校が兵隊に殺されたちゅうが、それや。そんなあの鉄砲に撃たれて、あの海軍に撃たれたとか陸軍に撃たれたとかって、ほんな撃たれて死んだんでねえんえ。そういう死に方。だから人間な、人をね、なしたら駄目やって。うん。必ず報いがくるし、仕返しがくるから。うん、なしたことはできんて。

おれが下手なこと言や、おれが殺されるからな。下手なことおれ言われんがや。おれが今度殺されるさかい、黙っとるねん。「ほんなあちゃあまりひどいことすんないや」って言うた、言うぐらいのもんじゃ。ほんで終わりや。うん。おれは知っとる。殺したもんを知っとる。知っとるけど、そんなことおれは、ああだこうだって言われんげ。こっちが、今度はおれがやられるさかいに、ほら、黙ってそれ黙認するよりしゃあねえ。

Q:それだけあの島の状況が悪かったわけですね。

ああ、悪かった、悪かった。だから地獄の世界やて。地獄の世界をさまようてきたわけや。さまようてきたわけや。そんな人間の殺し合いや。それが味方同士の殺し合いやど。味方同士の殺し合い。敵と敵との戦いならまだいいけどね、味方同士のあんた殺し合いちゅうのは、ちょっとなかなか考えられんよ。

「ムライ、あっこに南海丸ちゅう船1杯、1艘沈んどるわ」と。「200メートルほど向こうに日本の南海丸ちゅう輸送船が1杯沈んどるが、あの船の中にきっと米があるかもしれんさけ、行って泳いで行って見てこい、おまえ」ちゅうて。ほいであれは海軍やも、あ、海軍でねえ、泳ぎが達者なもんで、おれは案外泳がれんがや、あれはムライは漁師なもんじゃけね、「よし、おれが行って見てくるわい」って。
ほいで行ったら、ほでくぐったら、三尋(ひろ=水深などを表す単位:一尋=約1.8メートル)くぐった、三尋。ほしたらかますん中にな、米がいっぱい入っとった。そんで何じゃ、ねぐさい、ねぐさいような臭いしとった。だけどあれはまだあるって、ほいで食や食われるわい。ほいで戻ってきてまた行って、ほいで今度は雑のう持ってって、雑のうの中へ今度はその腐った米をみんな入れてがって、ほいでまた戻ってきてがって。ほいで今度は今のその天水って雨水、雨水にそれを洗うて、ほいで今度は天幕に広げて、ほしてその腐った米ほいで、ほいで団子にして、団子にして食べた。
ほしたらやっぱり元気がついてねえ、「ああ、やっぱり米の飯はありがたいなあ。おいムライ、これで生きられるじゃなあ。何とかしてもう一遍行ってこんか」って。「おお、ほな行ってくるわ。ほな待っとれ」って。ほいで何回も行ったり来たり行ったり来たりして、ほいでその腐った米を洗うて団子にして食べて。ほいでふた月もみ月も食べて元気がついた。うん。「こんで生きられるじゃなあ」ちゅって。

アメリカの飛行機と日本の飛行機と空中襲撃で、空中戦をやったわけや。ところがアメリカは数が多いわ。日本は数が少ないもんで、あのすぐ向こうのアメリカの飛行機にやられてしもうて、日本は沈没して、アメリカの飛行機も沈没して。ほいでアメリカの飛行機は沈没して、搭乗員が海に泳いで、泳いでおった。それを助けてきた。助けてきてね、ほいでそれを食べもんがないもんで殺して、殺してしもうたんや。もうこんなもの、日本人でさえ食べるものがないがに、アメリカのそんなもんに食べさせるものはないから、いっそのこと殺せということで、殺した。その殺したのが、あれ将校が軍刀抜いてパーッと試し斬りやったんや。

何も食うものがないようになってもうてん。ほで1年、1年半、一粒も米ちゅうものは、何もなくなって食われん。何食っとったやっていうたら、ネズミからトカゲを食っとった。ね。
ネズミ、ネズミは一番うまかった。ネズミはね、毛むしって洗うて、ほいで、焼くと小鳥食うようなもんにうまいげ。生で食われんけ。生で。トカゲちゅうものはね、あれはおろごがあって、のどに引っ掛かってね、食われんがて、トカゲは。ネズミはまだ焼いてそれ、食べりゃ食べられるよ。それはおいしい、おいしかった。小鳥食うようなもんやった。うん。ほいでまあ食べられるもの食べ、みな食べたんや。ほんだけど、しまいにだんだん無いようになってしもうて、みんな餓死や。うん。もうそのまま死んで、死んでいってしもうて。

おれはこの島から絶対ほかへ行かなんだ。中隊長がおれを離さなんだ。何でいうたら、おれは魚取ることは人よか優れとった。海もぐって魚取ること。木登ることも人より負けなんだ。ヤシの実、どんな高い木でも。ヤシっちゅうものは枝がないからね、ね、登ってもね、下りることできね。ササーッと。ほすっとか、ね、腹の皮むけるわいね。枝がないからスルスルーッと下りて。ほで力んなるやろ。ほでヤシの実もいでパタンと落としゃ割れてもうやろ。だからそれをズボンのここ縛って、ほしてここへ二つずつ入れて、ほいでスースーと下りてくねん。ほいでそれを食べて。そういうことを、知恵が働いて、働く。それで生きとったんや。
まあとにかくまあ、生きるがご奉公やから、うちの中隊長はね、「死ぬなよー、死ぬなよ」と言うてた。みんな死んだ。自殺したもんもおる。戦友同士して鉄砲にね、ここのど銃口当てて足で引き金引くがや。「おい、ヨーイドン」「ダーン」と。「ああ、またやったなあ」ちゅうようなもんじゃ。そうして死んでった。ね。それを思うたらばね、死ななんで。死んだらや、死なんとおきゃ何とかなるげ、「生きとれば、何とかなるよ」って言って。うちの中隊長は「死ぬなー、死ぬな」って言うたわいね。死ぬなったって、みんな殺されるのが嫌やさかいに、食べもんはないしあんた、どうにもこうにもならんが。だから自分で、アメリカの兵隊に殺されるよりか死んだほうがいいと、こうなる。こういう解釈や。
だからもう、生きながらの地獄の世界を渡ってきたんや。地獄の世界を。ね。夜は夜で歩かれん、昼は昼で歩かれん。

夜歩くがや。夜歩いてね、盗みに行くんや、人の。盗みや、泥棒。味方同士の戦争や。味方同士の戦友を殺し合いや。
だから夜は夜でね、今度は監視が厳してね。もう海軍の兵隊と日本の兵隊でけんか。海軍なやっぱり何といっても食べもんを持っとるんや。日本へ分けてくれんがや。

海軍が何といっても先に上がっとるし、偉い少佐やから、食べもんをいっぱい持って防空壕に隠してあるんや。ほで「ない、ない」って。日本に、陸軍に一つも分けてくれんがや。「ないない」って、「ない」って。ね。
それを今度は盗みに行くがや。夜ね。それは見つかったら「バーン」てやられる。みーんなやられる。ほんで終わりや。だから昼は昼で歩かれん、夜は夜で歩かれんし、もうとにかくもう。そうかといって、寝とったってあんた、食べ物はないしあんたね、もう苦しいてどんならんさかいね、何か食べ物はないかなと探しながら歩くが、仕事やから。だからそういうひどい目におうたがや。

わしはこういうことも一遍経験あるんえ。食べ物がなあてね、あしたもう3日も4日も食べもんがないし、何とかできんかなと思うて、おれの隣村の男が、「おい、おまえ小川、食べもんがあるかい」って。「何もないわ」。「ほんならおれは乾めんパンある、乾めんパンがあるから」、常食のね、陸軍でも海軍でも乾めんパンっていうもの支給されとるんや。「これをやるさかいな、取りに来いや。おれ分けてやるわいや。おれはな、海軍からな、援食(えんじき)、援食してきて、取ってきて持っとるさかい」言うて、言うとった。「そうか。ほんならな、おれはもらいに行くさかい、頼むわい」って言うて、おれ行ったんや。
ほしたらだいぶまあ、だいぶ、近ままで行ったら、今度あの海軍のやつが「だれやー、何しに来た」バリバリーと鉄砲撃ってきたわい。さあ、これは駄目や、こんなもん、こんなもの恐ろしいて行かれんさかいと思ってね、とうとうそこへ行かれなんだ。もらいに行かれなんでね、行かんと戻ってきてん。

人を見れば泥棒と思えと、というものの例えと一緒や。だからどこも行かれんがや。用事に行きとうても行かれんがや。泥棒とみなされるんえ。盗み、何か盗みに来たんでねえかと思って、もう見つけられたらほんで終わりやから。だから歩かれんがや。うん、夜。

おれはその死骸を収容するのがおれの仕事や。おれの仕事。おれはどうにかこうにかずって歩いてもう、動かれるもんで、ほいで中隊長に報告しに行くのはおれや。「だれそれが、死にました」って。「そうか。ほなご苦労やな。ご苦労やった。ま、あのその何じゃ、葬ってくれ。ほいでお骨だけ取って持ってこいや」ちゅうて。ほいで、ほでここ、葉に、ヤシの葉にくべてお骨を持っていって、で、あと埋(い)けてもうてん。埋けて、円匙(えんぴ=シャベル)っていうスコップで埋けてもうて、ほで中隊長に報告をした。そんなが幾組もあったんや。それが現実やった。
で、おれも、おれもいっそのこと死のうかなと、何べん思うたかわからん。だけどうちの中隊長は、「生きるがご奉公だ」と。ね、「絶対死ぬなよ。生きとれば何とかなる」と、「日本は負けても、必ず内地へ帰られる」と。「死ぬな、死ぬな」って言うたわいね。毎日のようにして、「生きるがご奉公や。死ぬな、死ぬな」って、口の酸うなるほど言うたから、「よし、中隊長あんだけ言うがなら、死なれんな。何とかして生きていくか。なあムライ、どうする」。「おう、生きてがんか。とにかく生きるがご奉公やな」「そや」「またきょうはどこ行って、どこ行って何取ってくりゃええな」「ああ、あの島行って、あれ、あこ行きゃ何かあるわいや」「ほんならそこ行って取ってくっか」ちゅうて、ほいで、ほで2人でね。

ほやさかいみんなアメリカの本土へ逃げた、逃げたちゅうもんじゃ。日本(陸軍)の兵隊も逃げたし、海軍の兵隊も逃げた。
アメリカはあんた、船で迎えに来るんえ。日本な負けたんやさかいあきらめ、あの早う降参せいと。降参すれば助けてやると。だから早く降参せいちゅって言うて、デマ宣伝して迎えに来るんや、毎日。ほでそれに乗って逃げた者はいっぱいおるんや。日本の兵隊も海軍の兵隊も。ほいであんた、逃げていっておいて、そのやつらが、「おい、だれそれ、なあ、おまえらもはよ来いや。わしらこういう温かい給与を受けて、米もあるし酒もあるしタバコもあるしな、早くおまえらも来いや」って言うて、宣伝するがやな、あんた。
「がきども逃げた。ちくしょう、あんたら者はほんとに」とそう思ったけど、行くもんしゃあないもん。行く者をこっちは撃たれもせんし、こっちが撃てば向こうはまた撃ち返してくるやろ。だから撃たれんがや。逃げていくちゅうことがわかっとっても撃たれんがや。うん。おれはその、その逃げていく者を監視しよった。監視するがと、敵上がってくるがを監視するがと、二つの任務をもろうて衛兵にわしは立っとるけど、それどうにもできん。どうにもどっちもできんげ。

ところがなかなか撃てん。人間としたら、自分の戦友を撃つっちゅうことはできんわいね。「ほんな逃げていくがなら行け」と。「行ってもおまえらはどっちみち助からんがやわ」って。そう言うて眺めておるよりしゃあねえんえ。撃たれん。なかなかほんな簡単に撃たれるもんじゃねえわいね。。自分のあんた友達やぞ。友達を、逃げていくがわかっとっても撃たれ、撃たれん。ただその監視しとるなだけで。
「おまえら、あの逃げたらな、殺されるんやぞ」って言やあ、「殺されてもいいわい。しゃあねえわい」って、こんなようなもんじゃも。あきらめてしもうとる、人間の、自分の指示も。だけどなかなかほんな撃たれるもんじゃないよ。うん。わしはそう思うた。それはアメリカが上がってきて殺されりゃ仕方ないけれど、こっちから逃げる者を撃つっちゅうことはなかなかできんて。

「おれが死んだらおれの肉を食って生きてくれよ」って言うて死んでいった兵隊も何人かおるがや。栄養失調で。栄養失調ちゅうものはね、痛いもかゆいもない、ただ自然と。ね、脈がだんだんないようなってもうてね。ドキン、ドキン、ドキン、カツッととまったら、ほんでほんで終わりや。ほすっとその死んだ戦友の肉を今度はせ、戦友がね、しちべた(尻)の肉を取って、それを飯ごうで炊いて、炊いて、炊いて食べて、食べるんえ。
ところが人間の肉ちゅうものはね、焼いたらあのにおいがひどいんえ。死人(しびと)のにおいちゅうたらね、ものすごい。あの鼻へついてね、食われんがや。あの、昔は火葬場ちゅうとこある、人間焼く。あの火葬場のにおいちゅうものは絶対にね、鼻についてね、何とも言えんあれだ。だから死人のにおいの食われん。
ほすっと今度は、ああ、こんなも駄目で食われんなあ。飯ごうに、煮て炊いて食う、食わんかやって。ほいで人間今度は炊いて、飯ごうに炊いとった。その炊いたら今度はしまいには脂肪がみんな溶けてね、骨と皮ばっかりが残るんえ。骨と皮ばっかりで、あと肉はみんな溶けてもうてね、ないようなってもうんや、人間の肉ちゅうものは。その骨と皮食われんのや、しまいに。うん。吐き出してまうんや、しまいに。だから人間の肉は食われんて。食いてえけど、何もないけど食われんて。ほいでみんな、食っても吐き出してしもうて、ほんで、ほんで終わりや。
「食って生きてくれよ」って言うて死んでいくげけども、食っても駄目ね。食われん。うん。まだネズミの肉やね、トカゲなら食べられるけど、人間の肉は食われん。食われんて言うた。おれこそその食った経験もないけども、におい、においが。おれは離島へ、おれはね、本島、本島から離島へ連絡に通うが。ほうすっとね、みんなこそこそこそこそ話ししとるわいな。「おまえ何話ししとるんや。何しとるんや」って言うたら、「ああ、小川班長、あんな、こんなとき来んとこ、来んとこ」。「何じゃい」って。「今、はは、何じゃって、その人間のにおいば、食っとるとこや」って。
「いやまたわちゃ、そんなもん、食う者がどこにおるんやって、ダラやなあ」って言って。「食う者がどこにおるったって、こんなもん、食うものないわ、食って生きてくれよって言うたさかい、言うたさかい、遺言やさかい、わしらは食べとるんやわや。班長も食べいや」って言うさかい、「おれはそんなもん食わんぞ。おれは食べるもんいくらでも持っとる、あるわい。やるがいわ」ちゅうてがって、ほでおれはほんなもん食わなんだけどね。みんなそうして人間の肉を食ったもんね。

餓死っちゅうものはね、ほんな痛いとかかゆいとかっちゅうもんじゃねえ、自然とまあ、眠るようにして死んでいくわいね。うん。あの今のね、今のガンの病みたいなもんでねえ、ほんな苦してどんななんとか、痛いとかかゆいとかっちゅうもんじゃねえ。食べられんもんで、結局だんだん栄養失調でっちゅうものは自然と体の何が弱ってってもんや。
ほいで自分で脈を取りながら、こうやって脈を取って寝とるわい。ほれがドキン、ドキン、ドキンってしとる。ほしてしまいにカツッととまるわ。ほんで終わりや。うん。だんだんだんだん脈がね、遅うなってってね、それで、だから自分で死ぬがわかるんえ。「おれはもう、もうもう5分しかねえわ。もう3分しかねえわ。世話になったなあ」ちゅって。ほいでほいで死んでいくげん。終わりや。そういう死に方や。今、苦しいてどんなとか、あしびちかって、あれやとかこうだとか、そんなことする何がないげん。うん。こうして脈取りながら死んでっていくげ。死んでいくげ。うん。
だからおれは、わしの分隊の兵隊で死んだが、どういう死に方やったか、しまいに。「おれはこんでまあ、班長、これで生きられんし、おれが死んだら、君が生きて帰ったら言うてくれや。わしはほんとは日本にいいなずけがおるんや。いいなずけがおるがでな、おれが死んだらそのいいなずけに言うてくれ」って。ね。「おれが死んでも、好きな男がおったら一緒になって、幸せに生きてくれって言うてくれ」と。「おれはこんで命がないんやさけ、言うてくれ。頼むわいや」って。それで死んでった。
ああ、それを聞いたらあれはね、涙出てね、どうにもこうにもならなんだよ。いまだにおれは涙出る。それ聞いて、「元気出さな駄目や。駄目や。生きな駄目や」って言うたって、もう駄目や。もう駄目なんや。もう目が、目が、もうとまってもうた。とまってもうた。

終戦時は日本は、あれは8月の15日終戦したんが、連絡が、大本営から連絡が無電(無線電話)で入った。入ったけれども、わしらはそれを信じなんだ。日本は最後の一兵まで戦うという信念のもとによって、降参せなんだ。白旗、あれは降伏するときは白い旗を揚げんならん。白い旗、ヤシの木の突端へ白い旗を・・したる者を軍使として認めるちゅう、そういう法律があるんえ。そやけど負けとらんちゅって、最後まであの一兵まで戦うちゅう精神のもとに、8月の15日になっても降伏せなんだ。ほしたらアメリカはまだ上がってこん。
ほんじゃけど、いよいよ9月の20日になって、どうしても負けたんやと。何べんでも内地から連絡が入ってきた。無電でね。ほでアメリカも、日本な負けたんや、おまえら早く降伏せいと。どんだけ何しとっても駄目やさかい、負けたが事実やから、あの早く降伏せいって。ほで日本はおまえらを給与、温かい給与して助けてやるからちゅって。そういう何が無電で、アメリカは今度はデマ宣伝でなく、今度はほんとの何が投下されてきた。
ああ、ほんとにこれは負けたんやでや、「今で、大隊長どうする?」。ほしてほいであの海軍の司令官に、「司令官どうするんや?」って言ったら、「今では負けたんやさかい、白旗揚げまいかい」って。ほいで白い旗を今度はずーっと滑走路の突端行って、今度はヤシの木のてっぽ、あの木の一番高いとこへ揚げたんや。白旗を揚げて。ほいで降伏した。
ほしたらアメリカの軍使がビューッと降りてきて、日本人の、握手して、「日本人の移住することを当分の間許可する」という命令を出した、アメリカは。日本は負けて白旗揚げて、向こうも白旗揚げて。ほいでそこで、海軍のその司令官と握手して、ほいでそこで降伏をしたちゅうことがはっきりした。

ほいでわしらももう負けたやさかい、白旗揚げて。とにかく裸になった。パンツ一丁になってまって全部、武装解除やからね、鉄砲もそれからあの機関銃もあったもんじゃね、みんな海へ持ってって、みんな放って、放ってくんえ。アメリカの船に乗せていって、みんな海へ放っていくんえ。ね。うん。おれは自分の母ちゃんの写真を撮った写真まで、母ちゃんの写真までみんな取り上げられてもうて、放ってきた。裸になって。ほでこれあんた、軍服もはや脱がされてしもうて、裸になって、武装解除やから、放ってきて。

ほんとのね、餓死ちゅうものはね、言われんもんよ。何でいうたら、「あんた、うちのお父さんを殺したんでねえか」と。「あんただけ何で食べて生きてきて、わたしのお父さんを、そのね、食べさせなんで、あんた殺したんじゃねえか」って、こういうことを疑われるがや。だから餓死っちゅうことは言われんがや。爆弾で死んだんや、爆撃に遭うて死んだんやて。これよか方法はない。ほんな餓死なんて言うたって、ほんとにせんがや、みんな。「あんただけ何でほんなら生きてきたんやて。あんたばっかり食べて、うちのもんに食べさせなんでねえか」と、こういう疑いがかかる。だから下手なこと言われんがや。
ほんな事実なこと言われると、疑いがかかるからね。うん。みんな爆撃に遭うて、艦砲射撃に遭うたとかね、爆撃に遭うたとか、そして、亡くなったんやと言うて済ますよりしょうがないがね。ほんな事実な、餓死して、あれ、こうしてこんなして死んで、殺されて死んだとかね、自殺したとかって、ほんなこと言われんがや。言われんがや。

Q:せっかく生きて戻ってきて、またつらいことが多いんですね。

うん。だからまあ、いまだに遺族の人たちと会うことあるわいね。だが遺族の人たちは、じゃあ、わしらをどう見とるか。あんた、あんたじゃ、あんたは何で生きてきたんやて思うとるかもしれんよ。だからそういうことは言わない。つらい。事実なことも言われんし、それから言うても、そんなものは信用してくれんも。信じてくれへんもん。これはほんとにね、情けないなあと思うて。こうやってこんなやって言われても、それを信じてくれりゃいいけど、信じてくれないんだ。だから言うだけ無駄やから、かえって自分の心を痛めるだけや。

もはや、頭ぼけてもうたし、言うこと忘れてしもうて、ただ涙だけが出るだけね。まだまだいろんなことがありました。何でこんなんなったんかなと思うて。だれが悪かったのかなって。ほんな「天皇陛下万歳」って言うて死んだ者は一人もおらん。上官を恨んで死んでいった、みな。

出来事の背景出来事の背景

【飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~】

出来事の背景 写真日本からおよそ4600キロ離れた太平洋中部ミレー島(マーシャル諸島のミリ環礁)。太平洋戦争中、5700人の日本陸海軍将兵が送られ、3100人が命を落とした。

このミレー島は、戦況の悪化とともにアメリカ軍の支配地域に取り残された。そのため2年近く補給が途絶え、兵士たちは耕作地のほとんどない環礁の島での自活を余儀なくされ、飢えのために次々と倒れていった。
多くの犠牲者を出したのが、石川県金沢市で編成された陸軍歩兵第107連隊第3大隊。この部隊が派遣されたとき、島にはすでに3000人を超える海軍部隊が配置されていた。補給が途絶えた島に駐屯した陸軍と海軍。食糧不足が深刻化すると、同じ日本軍でありながら、両者は食糧を巡って激しく敵対するようになり、食糧を盗んだ兵士が射殺されたこともあったという。

さらに、米軍は上陸してくることはなかったものの、海で漁をする兵士を機銃掃射の標的にした。

昭和20年(1945年)になると、第3大隊1000人のうちおよそ半数が亡くなっていた。
そうしたなか、同じ部隊同士でも食糧の配分を巡って対立するようになり、大けがを負わされた部下が小隊長を射殺する事件も起こる。先行きに絶望した兵士の中から自決する者も出た。

終戦後、第3大隊の生存者が島を離れることができたのは、昭和20年9月29日。復員船氷川丸に乗ることができたのは、300人足らずであった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
石川県鹿島郡赤蔵村に生まれる。
1938年
現役兵として第一補充員として入る。その後歩兵第7連隊
 
天津→北京→北支警備→河北省キュウケンにて鉄道の警備
1943年
歩兵第107連隊に召集、ミレー島へ
1945年
復員、農業及び林業を営む

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