ホーム » 証言 » 小野 一臣さん

チャプター

[1] チャプター1 フィリピンへ転進  01:34
[2] チャプター2 決死のルソン島上陸  02:36
[3] チャプター3 物を運ぶすべはなくなった  02:57
[4] チャプター4 米軍の上陸  06:41
[5] チャプター5 爆撃される塹壕(ざんごう)  04:06
[6] チャプター6 敗走の道  03:06
[7] チャプター7 死と隣り合わせ、密林の敗走  05:20
[8] チャプター8 飢えと渇きとの闘い  04:22
[9] チャプター9 軍旗を焼く  02:31
[10] チャプター10 戦争の深い傷跡  03:13
[11] チャプター11 絵で戦友の最期を伝えたい  01:33

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再生テキスト

どこへ行くか、船に乗って初めてどこどこ行くんだと。輸送をそこまで秘密にする必要があったのかどうか知りませんけどね。とにかく行き先というのはわからない。

それは台湾のキールンに着いて、キールンに着いたときがちょうど台湾沖の航空戦というのがあった。あの時期がキールンにいたわけです。キールンで爆撃を受けてこのへんにあったような活動して、それが終わった段階で高雄までずっと汽車で下って、そこから船で行くわけだ。そこへ行くまではどこまで行くかはっきりわからないですね。南方に行くとは言っておっても。船に乗ってから結局、本来はミンダナオまで行くつもりだったらしいんです。ミンダナオというのはフィリピンのいちばん南の端っこですわね。ところが途中で船が潜水艦にあって行かれなくなったために、途中の北サンフェルナンドに上陸したと。だから満足な航海してないわけですよね。

これが結局、そのサンフェルナンドに上陸する直前の風景なんですって。これが大きな輸送船が魚雷で半分になってしまっている。後ろ半分が残っておると。この船が。

Q:それは船が半分に割れているんですか、これは。

割れているんです。

Q:はぁー。

後ろ半分だけスクリューついとるから、逆行してこれへのし上がったわけですよね。

前とところに沈んでいるのは、これはもっと小さい船だけれども、皆、爆撃受けたり、あるいは魚雷でやられたりして、皆、沈んでしまって頭だけのぞいているんですわね。

これを目の前に見ながら、われわれがずーっとこのマイル島沖へ行ってそれで上陸したわけですから。

そうなんです。だからとてもじゃない、生きた気持ちはないですわね。これはだめっていう感じでね。これ、海におればまだ沈められるし、上陸すればどうなるかわからない。そういう状況ですから、とにかくまぁ上陸しろって言われたらもう死にもの狂いで上陸しなきゃしようがないという空気ですわね。

だからこのときに上陸用の船艇って言ったら、船腹を手でつくった組み立ての舟があるんです、ボートがね。それをこのジャングルの中に隠してあるわけですわ。それが出てきてわれわれが上陸したりするのに乗せてくれるわけですけどね。それがまた危なくてね。こうやると砂の上に行くと言いますかね。底がつくわけですわね。そういうところに飛行機でも来たらいっぺんにでしてね。われわれが上陸したのも、その12月25日にクリスマスで米軍が休みだろうというので上陸しとるわけです。25日の、26日になった朝から爆撃受けて、そのためにここで上陸用の船でものを上陸させていく最中に爆撃受けたもんですから、船が揺れるんですわね。その上陸用船艇がずーっと波に押されて行くときに飛び込んだ兵隊が上に乗せあげられて、船で沈められるわけですわね。だからわたしの部隊も最初の戦死者という名前で出とるけど、これは船で押しつぶされた兵隊なんですわね。

これがさっき申し上げたように、上陸した場所の海岸なんです。これ、船がなんとかおりますわね。海岸にこのやしの木というのは、わりに塩水くってもちゃんと生きているんですけどね。このたくさんしげった中に、われわれの上陸する前の部隊がここに荷物をあげたのを、ここに皆置いておるわけです。これが爆弾があったり、火薬があったり、大砲があったり、あるいは缶詰のようなものがあったり、いろんなものがもうこん包のままでここへ積み上げてあって、その上でやしの葉をかけてかぶせてあるわけです。

いや、本来は持って上がるといいんですけどね。いろんな荷物を全部持って上がるわけにいかんでしょう。上陸だけするわけです。あとは輸送隊が来てこれを運んでくれるわけです。ところがこのわれわれが上がって、それからしばらくしてから気がついたんですけれども、このわたしが上がったこの12月の末のころというと、橋という橋が全部落とされてしまっている。だから米軍がじかにやってくる可能性があると。日本軍はだから自動車で通らない。したがってこの荷物を運んでやろうという運び方がつかんでいかない。そのために海岸線に残ってしまったわけです。

上陸した翌日から早、爆撃受けるんですから。それに対して日本の飛行機って1機も来ない。第一それを撃ち返すだけの法がないでしょう。鉄砲が15人にひとつあったって役に立たんですもん。そんな状態でこれ戦争、とてもじゃない、大変だなという感じはあります。

ただ、ものがないから戦えない、大変だという感じはないんです。とにかくやられてしようがないんだと。やってもやられても、とにかく行けと言われたら行かなきゃしようがないと。そういった一方的な考え方ですわね。だから現在われわれがこうしてそうやって考えるように、冷静に、もしなくなったらどうしたらいいか、困ったときにはどうすべきかということを考える暇がない。もう反動的なんですわね。とにかくやられそうになったらなんとしてもそこを避けるんだと、行くんだという形しかないわけで、したがってがむしゃらに。

もう前進のみ。それが意味のある前進であるかどうかわからんですわね。もうそうなってくると、結局、兵隊は将校に、将校は上官の者にどうしたらよろしいかというすがりつく気持ちしかないんですわね。だから何かせいと言われたらそれする以外に方法がない。

これは爆撃受けてるんですよ。大砲で撃たれるんじゃない。だから戦闘機に小さい爆弾を積んとるんですわ。その小さな爆弾を下におる陸軍に対して落としてくるわけですから、だから落ちた弾の影響というのも、これぐらいの部屋の大きさの家がひとつポンと飛んでしまうぐらいな爆弾なんですよ。小さい爆弾ですけどね。数落とすからこんなふうになっちまうんですわね。このときには銃撃も受けたんで、これまぁわたしのつもりで書いたんですけれども、機関銃で撃たれた、ここへパチーッパチーッて弾が当たるんですけどね。

あぁこれ、これ。これがプンカンの陣地の上にあるわたしの部隊の陣地なんです。山の上にこういうふうな四角な堀りこみをつくりましてね。深さ1メートルぐらいの。これ迫撃砲なんです。いちばん小さい迫撃砲で、直径が7センチ、長さが50センチぐらいの筒なんです。短いんです。ところが、これはわれわれが持って上がったんじゃなくて、留守部隊がそこにおるのに対してくれたわけです。3つくれたんです。ところがひとつの銃に対して弾が3発しかない。

Q:たったの?

たったの3発。迫撃砲いうのは、斜めになって撃ってみて、こう飛んでいくわけでしょう。そうすると実際にはこめる火薬の量と、それからこの角度とで皆違ってくるわけです。その角度が違うところでいろんな角度を決めたり、火薬の量を決める射撃表という表があるんですけれども、これ、さっき申し上げたように、船で沈んだ隊のものでしょう。そんなものもう全然ない。撃ってみなきゃしようがない。撃ってみるったって3発しかないねんから、うっかりしだしたらあとほんとにいるとき撃てないでしょう。でも結局撃たずじまいで戦争になってしもうたわけです。だから3本もらって3発撃つの、9発しかないから9発を撃ちきらないうちにアメリカ軍のこっちの向こうからこの陣地にアメリカ軍が入ってくるんですわ。ここから撃たれた迫撃で全部これ、つぶれちまうんです。

この山をつたって、この黒く書いてあるの、これが要するにブルドーザーが上がってくることになるんですけど、この山の向こう側がリンガエン湾になる。前に上がるわけです。だからもう夜になるとこれがピカピカピカピカ光るわけですわね。あれが、どうなんですかね、爆弾というか、大砲というかね。とにかく火薬が爆発すると空がパッパッと明るくなるんです。しばらくすると音が聞こえてくるんですね。ちょっと離れていますし、途中に山があるから遮られて、光るのだけが見えるわけですね。だからさんざんひとっぱしピカピカピカピカ光っているという、遠い遠雷のような音が聞こえるという状態が見えて、やられているんじゃないかなぁという感じはありますわね。

とにかくリンガエン湾にマッカーサーが上がって来たときには、このわれわれの陣地からはじかには見えません。見えませんけれども、まぁそのときの話を聞くと、水平線に全部ずーっと船が並んで、リンガエン湾にずーっと一斉に並んでいる船が見えたというて言います。これ、一斉射撃で陸を攻撃するわけですから、何百発っていう弾がいっぺんに飛んでくるわけでしょう。だからそれはピカピカどころじゃないですわね。もうガンガンガンガンひっきりなしに遠雷のような音が聞こえるというてね。

もう心境というのは、やってきたいうのがはっきりわかったのは自分の陣地へたぶん米軍が入ってきた状態でしょう。さっきの爆撃の、あれ、とてもじゃない、これ間に合わんと。とにかくそこへ降りて飛行機がこう登ってくるときに、われわれ山のつじにおるわれわれの目の前、こう飛んで上がっていくんですから。でも飛行機ってこうやったら手が届くんじゃないか思うぐらい、そんな飛び方するんですよ。バリバリバリバリ撃つしね。したがってまぁ、どう言いますかね、とてもじゃない、まともに戦争しているっていう感じないですわね。一方的にやられているいう感じですわな。

あれ、大体早い弾いうたら秒速500ですから、それから音速いうの300でしょう? そうするといきなりバァーンとやられて、目の前が真っ暗になってしまって吹き飛ばされて、そしてやっと気がついたときにゴォーいって音が聞こえる。何があるって、それは弾が飛んでくる空気を引き裂く音ですわね。弾道音と普通言いますけれども、弾道音があとから聞こえるの。

だから大砲の弾が飛んできて、ボカンと破裂したときに怖いとか、大きな音がしたっていうのはわからん。あとから聞こえてくるんです。だから怖いというのは定期ベン??言っておりましたけど、どこからか時間もなしにボカンと飛んでくる、いちばん怖いの。意識するということは、ある程度、予感するわけでしょう。予感がないのがいちばん怖いですわね。だから兵隊連れて歩きよっても、結局、いきなりバッとやられるのがいちばん怖い。何か前兆があれば多様な処置がとれるから。

音は聞こえません。飛んでくるときはね、いきなりバァーンと爆発するわけです。だから目から火が出るような感じで、おっ来たなって言うけれども、出るものは全部出るですよ、そういう弾食ったら。オシッコであろうと、大便であろうとね。いきなりバァーンと、これは圧縮するためのもんでしょうね。

ただし、慣れとる兵隊はそれを感じたとたんにパッと地面に伏せる。これ、第二の天性ですわ。だから破裂して飛んでいきよる爆弾の破片なんかが、大砲の弾の破片はドーン言うてから飛んでくるですから、これは間に合わない。パッと伏せたらなんとか間に合う。だから第二の天性になれっていうわけだね。

結局、その大きな音がした時には、もう弾は飛んでしまって、粉々になって飛んでしまった、何もなくなった段階で音が聞こえてきたんだから、これはもう安心なわけで、ただ大きな音がゴォーッとするから、おなかをガッと締められるような怖さは残るというだけですわね。

これ、山で谷、谷を通ってこれ筋なりになるでしょう。これいちばん気になったの。ここに陣地をこしらえてあるじゃない。流して土をこうしたら流れていった。これも全部の飛行機から見たらはっきり見える。この山の上から見てもこう見えるんだから、こんなことだめだよ言うて、やかましゅう言うたんですけどな。

Q:じゃぁこれは日本軍がここに壕(ごう)を掘って土を下に流してますよということが、

わかってしまうわけでしょう?われわれ言うたのは、それ偽装って言うんですわ。表面を偽って装うという、偽装って言うんですけどね。偽装がどうでも必要になるというのは実戦の経験で特に小さな戦争した中国ならようわかる。ところが満州のような広いところでやったら、そういう偽装やってあらへんでしょう。ただ平地を使うことしか訓練してないから、こんなこと言うとおのれらがかわいそうで申し訳ないけど、その点がちょっと違う点ですわなぁ。

道具がないんですわ。スコップだけでしょう、兵隊が持っているのは。スコップっていうか、十字ってツルハシのようなね。小さいのを持っているだけですから、それでもって陣地を穴掘っていくということですから、それを掘って砲をすえるところまでならできるけれども、自分が潜っていくような穴なんてとっても掘る余裕ない。

Q:隠れる場所とかも確保できてなかったんですか。

隠れるっていうか、大体穴を掘ればね。ようたこつぼって聞くでしょう。ああいうふうにひとりずつ入るのがたこつぼになるけれども、この砲を持っていくのは四角く砲を撃てるような穴掘らないかんですかね、四角いような掘りというか、深さが1メートルぐらいのね。だから穴を四角に掘るでしょう。と掘った土が前をずっと出して、堤防つくるわけです。少しでも防げるようにね。

ところが迫撃砲っていうのはあんまり撃ったことがないで、だからさっきも言ったように、3発撃ったらもうあとないんです。アメリカ軍はまたふんだんに持っている。したけどそれ撃ってくる弾がみんなこの周りに落ちてくるわけです。だから1つ陣地の中に2つほど弾がダーンと入ってきたら、中には全部おらんようになる。そういう結果になりますからな。まぁどう言いますかな、落ちついてものを考えるっていう暇も、それこそわれわれ兵隊で言われたのは、訓練は第二の天性になれって言われる。天性というのは自然に、生まれつきに自分が持っとる性格でしょう。それと同じようにって、第二の天性でなんかがあった場合には、それをいちいち意識せんでも自分の体が動くように訓練せぇと、これを天性と言われる。ところがその天性に間に合わんです。いま言ったようにいっぺんにダダッてやられるとね。

だからまぁ引きずりこむところまではなんとかしても、それを手当てをするなんていうのはとてもじゃない、できない。だからもう弾食ったらそこまでっていう感じですわね。あとから考えればですよ。その当時、いちいちそんなこと考えません。もう死にもの狂いで引きずりこむっていうだけですわね。

手当てというのはもう持っておらん。包帯ホウというのをみんな持っているんですが、包帯をできるような三角巾の畳んだものを、ちゃんとポケットに皆1つずつ持っているもんですから、洋服の裏にくっついてとる。それを外してぬぐってあげる。ぬぐってっていうんじゃなくて、くくってやるっていう程度ですけどな。いま言ったように、腕が飛んだりしたやつ、三角きんじゃ止まらへんでしょう。しようがないですもんね。とにかくもう血止めっていうか、なんていうか、キリキリくくりあげていくというだけですけどね。ほかにどうもしようがない。まぁ指揮官のほうが、兵隊がやられているのを見てしかたがない言うたって申し訳ないけれども、ほんとになんにもできへんのですわ。

特に暑さが暑いのと、それから栄養がないと食事が悪い。われわれ、収容されるまで、前も申し上げたと思うんですけど、陣地から引き上げてさぁここから転進する、いわゆる後退するぞというのを命令をもらったのが、あれが4月の24か25日だったと思う。それから収容所に入るまでが8月の、9月の初めに入ったんです。それまでは食料っていうのはまったくなし。とにかく食べるものは自分で調達せいいうことで、シダ食ったり、それからバナナの軸みたいなものを食べたりね。あんなことばっかりしてるでしょう。だから栄養が第一ない。それからマラリアが多い。デング熱が多い。そうすると熱病でやられるのと、食料不足でいわゆる栄養失調になっとるのと、これ重なってしまって、大体われわれの部隊は大体30キロ前後になりますわな。それぐらいまでやせ細ってしまって、おかしな話ですけど、おへそがもう太鼓みたいに飛び出るんですよ。今はへっこんでおるけど、おへそが太鼓になる、やせて。

それだからいわゆる体力的にも精神的にも、とてもじゃないが、もたん。だから結局、暑さにやられ、病気にやられ、神経的にやられておかしいなるんですな。ですからまともでないというのは、人間並みにものをよう考えんようになっとると。考えることができんようになっとるというんですわな。

恐らく戦地に最後までおられた人というのは、ゆっくりものを考える自分がなかったと思うなぁ。

もちろん僕の場合は鈍感だから、感じずに来たんかもしれんね。もっと鋭敏だったら気が狂っとったかもしれんもん。とにかくもうジャングル通ってどうにも、いっぺん死んだんじゃないかいうような気になったときがあって、それから生き返って谷底に降りていかだに乗って1週間以上いかだで揺られて、やっと平地に下りたっていうのなんか、その間に倒れて死んどる人、ようけ見ましたけどね。それに対するところの神経というのはそうピリピリせなんだもの。そういうことを経験して、そのわたし自身がよかったとか、悪かったとかいう意識もない。そうあるべくしてああなったんだと。まぁそれだけ鈍感でしょうな。

ところがデング熱いうのは毎日熱が出る。それ混合のやつになっちゃったんです。そのためにわたしのはずーっと熱が続きよった。そのために転進開始して、開始したのがさきほど申し上げた4月の24日だったと思います。

それから1か月、4月、5月、はっきりは覚えていないけど5月、6月、7月、8月、えぇー6月か、7月の初めごろだったですかなぁ。これが山の上転進しよる間に、さっきも申し上げたように、薬はないわ、病気、熱は出るわ、食べ物はないわということが重なって、結局、ある意味での人事不省というか、倒れたわけですわ。倒れて1日たったか2日たったか、それははっきりせんのですけれども、その間が結局、自分で意識しないで夢の中みたいでね。体は温かいいう感じはあったんです。自分自身の意識にね。とにかく真っ白い空気の中をずーっと霧の中を歩いていくという感覚はあった。それでどれぐらいたったか、さっき申し上げたよう、それが丸1日なのか、2日なのかようわかりません。たまたまそのころになって、2日ほどたったんだろうと思うんですけれども、「隊長、隊長」言うてどこか呼んでくれるんです。それでだんだん声が大きくなって、ひょっと気がついたらジャングルの中に寝とったわけです。当番がついてくれてね。

それで結局、もうじっとしてたんではとてもだめだと。でもそこらじゅうが倒れて死んでいますからね。それでとにかくもう山の上に突っ立ったんではこれはとてもじゃないけど体、足がもたんから、これは谷へ降りてみよう。谷へ降りて行ったらたまたまそこへ、前へ転進して行った部隊がいかだつくっとったんですわ。これは竹がよく生えていますからね、ジャングル。その竹のいかだをつくったのがあって、これ、竹のいかだもらえるかいって言ったら、あげましょう言うてくれたんです。それに乗って1週間ずーっと下って行ったわけです。たぶん1週間だと思うんです。8月の何日になったですかなぁ。着いたのははっきり覚えてないけど、8月の中ごろ時分だったと思うかなぁ。

そうそう夢の中で言ったほうがいいでしょうね。だからその間は、痛みがあったという意識もないし、大体、熱病でずーっとやっているでしょう。だからうっかりすると山ヒルがものすごい多いんですわ。それがもういたるところにくっついてね、血を吸うでしょう。それかゆいんですわ。そういうこともボォーッとは感じる。強烈な意識としては残ってないんですわ。

あれはとにかく転進開始したときが24人おったですわ、部下が。それが山から降りて、谷から外へやっと平地へ出たときは7人だけ生き残っとった。ですから24人の中で7人生き残ったですから、あと皆途中で亡くなったじゃなぁ。その亡くなったのがどういうふうに亡くなったのかわからん、そんなこと知りよらん。それを意識しないで行ったんですから。

これがサクライ中尉が死んどったときの分ですわな。

Q:あっこんなふうにして亡くなってるんですね。

そう。刀、肩へこうかついでね。こうして囲うてね。鉄帽がガクッと落ちとるからこうやって起こしてみたら、目の玉が落ちこんどるっていうようなね。そんな状態でした。
起こしてもそれはどうしようもないでしょう。担いでいってやるわけにいかんでしょう。
おれも近いなっていう感じですよ。すごい顔になるんですよ。目はズドンと落ちこんでしまうしね。目の縁がずーっと黒くなってドンと目が落ちこんで、あごはガクッと開いちゃうしね。この間に鉄帽がこうくるでしょう、顔全体が黒ずんできますわなぁ。それはとてもじゃない、まともには見られませんよ。

これはいかだで下って行っとるときの途中です。これ谷川ですわな。谷下るときは、スコールが毎日あるんです。スコールがあると川の水がいっぺんにダッと増える。スコールが通り過ぎるとずーっと水が引いていく。だからスコール来たときにイカダに乗っとってこういう木の枝に引っかかって、ずーっと水が引くとこんなに下るんですわな。

Q:木の枝に引っかかるのは何が引っかかるんですか。

この黒いの。これ兵隊ですわ。わたしの部隊じゃないから。わたしの部隊が下る前に先へ下っとった部隊の兵隊が木の枝に引っかかってるわけ。

今度転進開始言うから本隊といっしょに動きますから、本隊へ行くと、お前のほうは後衛になれ言われたんだからこれもまたしようがないでしょう。最後を守ってくれ言うの、そんなら後衛に行きましょう言う。そのとき24人だった。だから前、皆ずっと部隊へ行ってあとをついて行きよるわけですから。特にどうっていうことはないですわね。

ただ、その間で、こんな話、適当かどうかわからんけど、看護婦さんがおったんだよ。看護婦さんが、これ本隊付きですわ。その人が、なんとあれ、日本人にしてはきれいな人だなと思うたのを覚えてる。色が白うてきれいだなというような印象。そのときに、瞬間的にそれ感じとる。山登っていくんだからつえついて登るでしょう。われわれの部隊はいちばん最後に行きますから、そして見ると、その最後に行きよるあとからアメリカが来るんですからね。それが最後の部隊に対しては爆撃してくる、飛行機がこうなっているのを、山のすそのほうに見えるわけです。それでだんだん来るでぇ言うて、急げようていうて言いよると、前へ前へ行こう言うて、それは看護婦さんいうの病院隊ですから、その病院隊、野戦病院へ行きよるになると、それであんた、きれいな人がおるなぁ言うて。あんなときでもやっぱり色気あるんですなぁ。

シダとかねなんとかとあるでしょう。大体、食べれるもん言うたら、バナナの生えてるでしょう。あれ切り倒して、真ん中のしんがずーっと伸びていくと、その先がバナナができるんだけど、バナナが枝にできるんじゃなしに、しんに沿ってできるんですわな、あれ。そんなこと知らんもん。だからとにかくしんなら食べれるだろうと。でも切っちゃぁたち割って、そのしんを食べる。あれね、しぶい。だからパパイヤ、あっパパイヤで思い出した。パパイヤの軸のようなもの、真ん中しんを取ると、たけのこみたいなところがよく節みたいなのがあって、たけのことそっくり、くりくりしてるの。これも食べれる。それから普通のシダ、これもしん。どうしてしんだ、しんだいうと、しんが柔らこうて食べれる。皮は硬くてしわくて食べれへんのだわ。それから食べてまずかったのが山芋。山芋じゃない、わたしは電気イモと名前つけたんですけどね。これプンカンの陣地で初めて見たんです。軸がこんな太くて、ぐーっと出て、高さが2メートルぐらいある。大きな葉っぱが出るでしょう。根っこがこんなイモができる。それ食べたら、デェーッと口がはれるんですわ。電気のようにしびれたような感じになる。それでわたしは電気イモじゃいうとるんや。電気イモ食べたらいかん言うてね。それ食って死んだのがだんだんおるんですからね。

あぁ食べ物に対してですか。それはしようがないですもんね。第一に腹へったらなんでも食べたいからねぇ。いちばん最後にあっと思ったのは猿。野性の猿を見ましてな。あれをとるのに鉄砲で撃たなしようがないでしょう。鉄砲で撃つにはアメリカ軍が来るんで、アメリカ軍がこんように、鉄砲撃っておいて猿下げてきたら逃げる。しかし猿食べても、われわれ食べたわけじゃないんだよ。それ食べたら、手のひらのこんなところに猿でないから食べれんですわ。だからこんな手なんか切ってね、捨てとるですよ。これが自然に、どう言うんかなぁ、あれは乾燥して真っ黒になるんですわ。それをところどころ落ちていることがある。ぞっとしますわね。なんとなぁ、よその部隊では人間食うとるぞと言う。人間と同じように見えますから。そうなると人間は生きやすいんです。誰か悪いことしやへんかな。何かしやへんたって、目の色変わってくるですよ。てきめん変わってくる。いままでのように、「おい、元気出せよ」いう感じはしぃへん。不思議なもんですな、あれ。下手したらやられるかもしれんていうのはね。もうそこまでくると人間、やっぱり生存本能はあるでしょうなぁ。

焼くんたって、ほんとに火をつけるところまでは行っていないんですよ。わたしは祝詞をあげて、この式を終わるところまで。これは申し訳ないんですけどなぁ。わたしは本職の軍人じゃないでしょう。だから軍旗というものに対してどうも、どういうか、もったいないというか、あるいは大事にして帰るとか意識の上では知っとっても、実際の感覚としてピッときてませんわなぁ。幹部候補生やからねぇ。

終わりということは感じます。これでもってもう軍隊を解散するんだなということでね。こういうことがあった段階までは、お上のほうから、いわゆる日本軍は戦争を集結、いわゆる戦争にもう解除するという命令が来たということになっているんです。わたしはほんとうにその命令は知らんのですけどね。そういうことを上のほうから伝えられて、ほんならもういよいよ戦争、これでおしまいになるんだなということは意識しましたけどね。

行くとこまで行ったなぁという感じですねぇ、はっきり言うて。それがいいとか悪いとかいう感覚はないですなぁ。と思います。はやもう日にちがたっとるから、今の感覚と違うでしょうけどなぁ。ときとしてもそう強烈にガクッときたというような感じではなかったけれども。

ついに終わったというよりは、これから先、どうなるんだろうという感じが正直ありますわね。このときはまだ捕虜収容所に入ってないでしょう。だからそういうふうな、これから先のことというのについては感じないで、ただもう部隊がなくなったらどうなるかという意識ですわね。未知数に対する不安はあります。

あんな戦争なんてしたくないですわ。何がよかったかって、いいことなんにもないもん。あれによって人間が鍛えられたとかなんとか、そこまで考えられんですもん。それより失ったもののほうが多い。

わたしが失ったっていうのは、うーん、どう言ったらいいんだろうなぁ。第一、大事な友達なんていうのはほとんどいなくなったでしょう。人間的にもっと考えなきゃならんことを失っとるですもんね。

もっと人間らしさ、残しておいてもよかったような気がするけどね。

フィリピンはもう一方的にやられた戦ですからな、あれは。中国のようにゆっくり考える暇なかった。とにかく生きとるか死んどるかだけにならないかんかった。だからわたしの部下も3個中隊も、3個小隊か、3個小隊もおったけれども全部死んだんでしょう。生き残ったのが24人ですもん。もう少しなんとかする方法なかったかなと。24人といえばね、結局、1個分隊が15人が3で45ですか、45人の3つで45の3倍言うたら3×4=12、ざっと100でしょう。100の部下を連れて戦をして、結局、生き残したのが24人。あとどんなして殺したのやら言うことないでしょう。本当ならね、1人ずつの死に方、皆覚えててなかいけんだもの、隊長たるものはね。それを覚えられへんの。とにかくもう引きずりこむのがやっと、さっき申し上げたように、引きずるのがやっとで、それも完全に引きずりこむ、全部を見る暇なしに派遣されて行くんでしょう。帰ってきたら全滅の報告を受けただけなんです。部下は全部おらんですから。そういった状態を見たらね、失ったものが大きいなぁ。

ほかにはもう償いようがない。描くことによって思い出してやるちゅうですかなぁ。なので、ただどうだったかのうって言うて、なんか話してやりよるような気になりますな。

弔いになるかどうかわかりませんけどなぁ。結局、忘れるいうことは失ういうことではないか思う。時々思い出してやるのがいいじゃないか思うてなぁ。

ただどこまで意識できるかねぇ。描いているときには、あのときどうだったなぁ、こうだったなぁいうことを思いながらやりおるんですけどなぁ。

それが最初描いてね。またいつかしばらくしてからまた別な、同じところをよう描いたつもりでも絵姿変わっているですからなぁ。それだけ忘れるんですわなぁ。忘れることが、かえっていいのかもしれないですけどなぁ。いつまでも引きずり回したんではいけんで。

出来事の背景

【フィリピン最後の攻防 極限の持久戦 ~岡山県・歩兵第10連隊~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)1月、米軍は空母12隻を含む大艦隊で現れ、フィリピン・ルソン島に上陸。首都マニラと、日本軍司令部の置かれた北部に向けて進行してきた。

日本軍はこの地で、敵の日本本土への進行を遅らせるための持久戦を強いられた。その兵士の数は八個師団を主力とする、およそ30万人。補給も援軍も望めない状況におかれ、「自活自戦永久抗戦」という方針で戦い抜くよう命じられた。

10連隊は、ルソン島中部にあったバレテ峠に陣地を築いた。
バレテ峠は、島の北部に抜ける、幹線道路が通っているため、敵の北上を食い止めるには、死守しなければならない要衝だったのだ。
制空権を握っていた米軍は上空から日本軍のざんごうを次々に爆撃。さらに地上からもブルドーザーで道を切り開きながら、進撃、絶え間ない砲撃を加えてきた。
武器弾薬が欠乏する中、命じられた攻撃法は、手りゅう弾や爆薬を抱えて敵の陣地に突っ込む斬り込み攻撃だった。斬り込み攻撃は米軍の激しい反撃にあい、攻撃に参加したほとんどの兵士たちは帰ってくることがなかった。
さらに食料が底をついた兵士たちは「自活自戦」の名の下、現地の田畑や倉庫から食糧を調達、事実上の略奪も起こった。

5月初め、バレテ峠の日本陣地は陥落。日本軍兵士たちに転進命令が下され、密林地帯を敗走することとなった。日本兵士には想像を絶する飢えと渇きが待ち受け、多くの兵士たちが命を落としていった。

証言者プロフィール

1917年
岡山県倉敷市に生まれる
1937年
現役兵として歩兵第10連隊に入隊
1944年
 陸軍中尉を満期除隊。県立中学、高校で教員を務めた後、召集。台湾基隆警備を経て、第10連隊に転じ、フィリピン上陸。
1945年
バレテ峠の前進陣地プンカンの守備に当たる。終戦当時28歳、大尉。復員後は、教職追放で六年間教職を離れる。追放解除後、教員に復帰。

関連する地図

フィリピン(ルソン島)

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