ホーム » 証言 » 中西 一二三さん

チャプター

[1] チャプター1 二度目の召集  01:18
[2] チャプター2 退却戦  06:12
[3] チャプター3 死のシッタン河  02:48
[4] チャプター4 命を救った「水筒」  01:09
[5] チャプター5 濁流にのみ込まれていく仲間たち  11:10
[6] チャプター6 ビルマ人ゲリラ  04:26
[7] チャプター7 投降  03:41
[8] チャプター8 ビルマの戦いを振り返って  02:41

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再生テキスト

注射液の、消毒が悪かったら、それは化のうするんですがね、化のうさせたら、もう衛生兵の値打ちがないんです。わたしは陸軍病院で、中国におった時分に、陸軍病院でそういう教育を受けとるもんですから、一人として化のうさせたことがなかった。わたしはもう大勢の人に注射しましたけどね、一人として化のうさせたことはなかった。ところが、衛生兵のちょっとこう教育の悪いのは、注射器の滅菌が悪かったらね、これはもう化のうさせたらかわいそうに、またマラリアよりつらいあれがあるんですわ。臀筋(でん筋)からウミが出てね。そんなもんもおりましたな。それはまた切開してね、ウミ出して。そんな治療もせないかん。わたしはもう自分の仕事は、もう毎日、注射をして回る。

そのペグー山系にたどり着くのに、なかなかクリーク(川)ばっかりで、アシ原です。アシ原の中を飛行機が来てもわからんようになるアシ原です。それをこう分けよって歩いたんですね。そこで、もう行き倒れで死んだ連中もだいぶおりましたね。うん。衰弱と、あのー、マラリアが発病してですね。弱っとった。また、最後にもう皆、手りゅう弾1発を持っていたので、わしらはね、最後はこれで死ぬんだと言うてね。ところが、わたしは流されとったので何もなかったですけども。あのー、歩兵は、皆、手りゅう弾を1発持っとった。これでバカーッと自爆。歩けんものは。
あのー、もう衰弱ですね。食べとらんところへもってきて、あのー、毎日、歩くもんですから、衰弱で行き倒れですね。

「編制をやり直して、また(ビルマに)来るんだ」という精神だった。皆。うん。負けるいうことは考えておらんけんね。
わたしらは前線がそう言ったら、兵隊と一緒に、一緒になりましたけどね。皆、戦争に、一時は悪いけれども、「また編制をやり直してやるんだ」と。「もう1回、ビルマに来るんだ」というような、皆、精神でおったですね。

バラの付いた草がずっと生えておるんです。そのバラの上をハダシで、あのー、むくれておる足で歩いたときにはもうこれは地獄。地獄とはこんなことかと思いますね。とても歩けなかったね。ところが、それ、走らんと敵に撃たれるものだから。

そのマンダレ街道を突破するんです。もう朝、夜が明けて、サトウキビ畑の中へ入っとった。そしたら、もう夜が明けたら、敵の戦車がブーッと来たところから、われわれの隠れとったところに向けて、戦車砲で撃って、撃って、撃ちまくられたんです。はい。ところが、わたしはもうこれはだめだと思って、サトウキビ畑から飛び出した。飛び出した瞬間に、機関銃でバラバラバラーッと、雨あられのように撃たれたんですね。この一発が横にこう伏せておったのを、ズバーッと、やられて、それで臀筋(でん筋)もさっとやられた。お尻を。

で、中隊長がおれに付いてこいって中隊長に付いて、ナカムラっていうのと3人が何百メーターか走って、あのー、溝があって、溝の中に隠れて。中隊長が、「お前、お尻をやられとるぞ」って言うまで知らなんだ。

そもそもね、その突破するときに、日本のわれわれの兵隊に、「20キロの、歩兵に、20キロ以上の、爆薬、それを背中に負って、敵の戦車が来たら、敵の戦車に入り込め。それで自爆せい」と。「戦車と一緒に自爆せい」と、こういう命令だった。ところが、その歩兵もですね、爆薬を背中に負って、マンダレ河の近くへ来たんですけれども、もう夜が明けてしもうて、戦車が来ると、もう寄りつけんのですね。だから、もうそんな戦車を覆すようなことは全然できなかったです。はい。街路樹のこんなのが生えていた。太い木がね。「その街路樹の木を倒して、戦車を阻止して、そして、まだ戦車が来よったら、その戦車の下へ爆薬を背中に負うて、下に入り込め」というのが命令だったんです。ところが、そんなことはできなかった。寄りつけなかったですね。

突破して、2日ぐらい歩いたかな。そして、さっきお話ししたように、水の部落、水の部落で、もう地下、家の下をずっと流れておるんです。水がね。その水の部落へ着いて、2階のある家で、わたしは1階におったんですけども、2階に中隊の幹部と中隊長がおった。それへ迫撃砲が落ちたんです。2階に。わたしはそのときに、ドカーンという音がしたものですから、鉄鍋があったのを、鉄鍋を頭にかぶって、すぐ水の中へ飛び込んだんです。

ところが、家の中を見たら、上から中隊長が、腹がもう割けとるんですね。これを中隊の幹部が、生き残っとる2、3人が抱いて下へ降りてきたわけです。あらーっと思ったら、中隊長が腸が全部出とるんですわ。これを、なんですわ、衛生軍曹とわたしと2人が腹へ押し込んで。そして、三角巾(三角きん)を、皆、出せ言うて、三角巾をつないで、それで腹をくくったんですね。


もう敵が知ったんですな。まあ、あのー、土民が連絡したか何かわからんけども。もう入って、食事、まあ、そこらにあるコメを炊いて食事して、やっと一服してやろうという昼ですよ。真っ昼ですから。そのときにドーンとやられた。迫撃砲で。わたしは下におったから助かった。2階におったら、一緒にやられとった。

そのときに、中隊の伍長軍曹あたりが4~5人、即死だったですね。

そして、兵隊が近くにあったイカダみたいな船を引っ張ってきて、そのイカダに乗せて、それから、もうその村におれんもんだから、いろんな稲むら、稲を積んである稲むらなんかのところをずっと隠れおって逃げたわけです。はい。そして、結構、まあ、あのー、シッタン河のほとりまでたどり着いたんですけど、また、シッタン河が大変だったんですね。ええ。

まあ、「この河を渡ったらタイ国へたどり着くと。だから、タイ国でもういっぺん、編制をやり直して、ビルマへもう1回、あのー、戦争をやり直したい」と。そういうことばかり思っていたですね。

もう濁流ですけんね。吉野川ぐらいの幅だったと思います。まあ、夜中ですから、ちょっと十分、わからなかったけども。吉野川の幅ぐらいあったと思います。それがもう濁流で渦を巻いとるんですからね。うん。あのー、イカダがひっくり返るぐらいですから、相当な濁流だったですね。はい。まあ、雨季の最中ですけんね。これは水量がものすごいあったんですね。

渡るときは服をつけておったんですけども、濁流で全部はぎ取られてしまって。それで、着いたときはもうすっ裸だった。もうこの水筒だけが胸についておっただけです

8人ですね。指揮班っていいましてね、えー、中隊の幹部と、わたしは衛生部で1人おりましたから、わたしが入って8人でイカダを組んで。

イカダはちょうど、シッタン河の中腹ぐらいまで装具を乗せて泳いだんですけど。8人が、「よいしょ、よいしょ」言うて、かけ声かけて泳いだんですけども、中腹でイカダがひっくり返ってしまって、もう装具も何も全部なかったですよ。それで、わたしはもうそのイカダをいちばん先に突き放したんです。そのとき、わたしは「イカダ、イカダを離すよ」って言ったときに、「いや、危ないから離されるぞ」って戦友は言ったんですけど、もうイカダがもうダメになったから、わたしがいちばん先に突き放してですね、自分ひとりで泳いだんですけれども。そのときに、すでにこの自分のこれを、貫通銃創を受けていましたから、ほとんど右手で泳いだんですね。そして、対岸に泳ぎ着いたんですけど。1キロあまりの長さだと思います。
激しいです。濁流ですからね。

飛び込んだら、何か、こう引っかかるものがある。日本の兵隊の死がいばっかり。そこへ迷い込んで、流れ込んで。これはわからんですわ。暗がりですから。それで、何が浮いておるんかなと思って、こうその中を泳いで支流を渡った。夜が明けてみたら、これ、全部、死がいが迷い込んで流れた。死がいが。これにはびっくりしたですよ。

これは、あのー、ビルマで、シッタン河を、激流を渡ったときに、えー、浮き袋の代わりに、空気を入れて、自分の胸に、こうしっかりくくりつけて、そして、泳いで渡ったわけです。わたしの命の宝です。

この水筒を浮き袋の代わりに。水筒、水を全部出しまして、空気を入れて。これだけ首にかけて。そして、余分なひもをここへ付けて。胸へこう、筒(つつ)と。胸が浮くものですから。これがあったからわたしは助かったようなものです。はい。浮き袋です。だから、もう戦地から持って帰ったのはこれひとつです。何とも言えん、これは愛着が。

もう夜が明けたら、もうその河がですね、よう泳げんものは砲身を抱えて、「天皇陛下、万歳」って言いよって流される者もあれば、もうイカダにしがみついて、何もよう言わずにイカダとともに流された。これはわたしは目の前で見ました。アシ原で、アシをくくって隠れていたんですね。それを助けに行くことができないんです。うかうか出よったら、すぐ砲撃をやられますからね

もう自分の近くを流されておるんですけども、それを助けに行くこともできない。ただ、もう「頑張れ、頑張れ」って言うだけですね。はい。どうすることもできなかったです。

何十人も、こう折り重なって、こうおったように思いますよ。支流へ流れ込んどるね。うん。これは10人、20人じゃなかったですね。だから、あのー、渡るときに、さっきもちょっと申し上げたように、歩兵砲の兵隊が砲身を抱えて、あのー、イカダに砲身を積んどるんです。砲の、あのー、砲身をね。それを抱えとるんです。そして、泳げんのです。もう、もうたどり着けんの。ちょうど河の7合目ぐらいのところを流れていっている。「天皇陛下、万歳」「天皇陛下、万歳」って言いよって、砲身と一緒に流れていく。それを助けることもできない。何もできんでな。これは、わたし、目の前で見たですよ。

それに投げてあげるロープを投げれば、何か竹の長いのをこう出してやったら、それに捕まえてですね、引き寄せることもできるけど、何もないんですけんね。うん。だから、もう「頑張れ、頑張れ」って言うだけのことですよ。うん。うっかり、あのー、自分の体を出して、うろうろしよったら、すぐに砲撃が来ますからね。そこへ。自分の姿も現せないんだからね。草むらの中から「頑張れ、頑張れ」って言うてやるだけだった。もう悲惨なものだったね。

それから、まあ、あのー、タイメン国境をずっと歩いて、えー、タイ国のほうに向けて歩いたんですけどね。はい。もう毎日、毎日が、飢えと、それと自分の、あのー、何て言うんですか、食べる物がないものですから、はい、衰弱ですね。

なかなかあがれんのです。沼地で。沼ばっかり。底なし沼って、ブクブクって入ってしまうんです。沼へ。だから、わたし、がこう倒れとると、アシの先を引っ張って、自分の体をずっと引き寄せていって、で、アシの根本のところを捕まえて、それではい上がったんですよ。ただ、もう全身、沼。そうすると、もう全身裸だったもので、それから、川へ裸で飛んでいってですね。体、虫に刺されて、それがつらかったですね。何も着てとらんから。

それからもうひとつ、トラもおるんです。トラに食われた人も、兵隊もおるんです。わたしの知っとる人に。これは戦死にしとるから、戦死ですわな。トラにやられた兵隊もおるんですよ。

あのー、行軍しよったときに、土民の竹で、竹でこう土民の家があって、その家へたどり着いたわけです。土民は逃げておらんのです。ところが、そこで、衛生兵だった。それも。兵隊が「足の裏にマメができたから、それを治療してくれ」というて、縁側で足出して治療してやっとった。衛生兵は縁側から中を向いてやっとった。この縁側の下にトラがおった。そして、後ろから、バカーッと。首をくわえてターッと山へ逃げられて。また、すぐに兵隊が機関銃を持って追っかけたんですけどね、どこへ行ったかわからん。途中で首に巻いておったね、タオルが、血がついたタオルが1本落とっただけです。こんな怖いことが。だから、もうトラの、トラの警戒もしないと。こんな怖いことがあった。

トラといっても大きいからな。馬でもやられてるんで。だから、あのー、ジャングルで暮らしておったときも、竹でこうズーッと囲いをせなんだら、本当は囲いをせなんだら、いつか入ってくるトラが来るかわからんからね。日本の軍隊っていうのは、あのー、火、たき火をたいとったら心配ない言うから。木をこうたいて、火がつくとよう来へん。こんなのをようしとるけど。わたしらはそれを知らんものだから、ようトラにやられよった。驚きました。ビルマのトラはすごいんですわ。

水の中へ渡るとね、ヒルがおるんで。ヒル、ヒルがもう吸いつくんですよ。
巻き脚絆(まききゃはん)を巻いとったら巻き脚絆の間からね、ヒルが吸いついてくる。もうドカーンと、こんなに太うなっているんですよ。血を吸うて。こんな太うなっているんです。ちょうど、あのー、風船をふくらませたような。血を吸われて。それで、もうパッと、そしたら、ここから血がバーッと流れてね。ヒルに吸われたら。そんな行軍だったです。

夜歩くんです。昼は歩けんの。昼はもう、あぜ道の草むらの中へ隠れて。出発って言うたら、もう日の暮れです。日が暮れたら出発です。あと、夜が明けるまでですね。だから、もう、あのー、指揮官は羅針盤を頼りにタイメン国境だけどね、タイ国がどの方面にあるというのを羅針盤だけで。雨の中ですから。毎日、夜も昼も雨ですからね、雨の中の行軍で、夜、行軍する。昼は行かん。

寝たりする時間は全然。だから、衰弱するんです。休養できんからね。もう何日も寝たりする余裕は全然ない。

(自決は)河を渡ってからが多かったですね。白骨街道が多かったね。「ああ、やばい。ジャングルへ入っていきよる。あれ、あかんぞえ」ドーンと。もう自分から自害です。

マラリアと、それと大腸炎を起こした兵隊はほとんど死んでいく。もう手の施しようがない。だから、まあ、マラリアだけであれば、あのー、熱が下がったらいけますけども。大腸炎を起こしたら、もうね、衰弱がひどいでしょう。だから、大腸炎とマラリアを併発した兵隊はかわいそうだったですね

助けられない。もう自分がね、皆、自分が動くのがもう、もうほとんど、もう自分がこけても立ち上がることができんぐらい衰弱していたもんですから、戦友どころじゃないんですわ。わたしらの、あのー、『白骨街道』って言うて、自分で『白骨街道』、言うてるんですけどね。4~5日前に行った兵隊が、自分が歩いていく前にこう横たわっておるんですね。軍服を着て。飯ごうを枕にして。それで、「おい、元気なんか」言うて、こう言うてもね、白骨。軍服の中。それで虫がおるものなら、すぐ虫が食ってしまうんですわ。だから、骨ばっかり。軍服を着た白骨ですわ。それをもう足でまたいでですね、何人もまたいで帰りました。わたしは。誰やらわからん。どこの兵隊やらわからん。軍服は着とるんですけど、中は白骨です。

もう生きて帰ったのが不思議なんです。うん。今、こんな話ができるようなことで、わたしは不思議でかなわんです。何回ももう死んどった。もうこのモリタという戦友がサトウキビの中で、マンダレ街道のところで戦死したときにも、ここにおったんですよ。わたしと仲がよかったから。また、このモリタというのが、タバコか何かを吸うので、ひょっと頭を上げた。それがバカーンと迫撃砲で頭をやられて。「うーん」と。「モリタどうした」って言ったら、もうあれですよ、虫の息です。それで、この水筒、ちょっと水が残っとった。哀れで、わたしが抱いておって、口に水を流しこんでやったんです。そして、モリタって元気な男だったですね。

「中西君よ、わしは君に、最期、君に抱かれて死ぬのはもううれしい」水を飲ませてやったら、「ありがとう」とね。「君は無事に帰ったら」ちょうど1か月で結婚して、1か月と言っとった。「わしの女房にわしの最期を必ず伝えてくれよ」って、こう言うんです。心配ない。「このわしが帰って、必ず伝えてやるけん、心配ない。そんな心配するなよ」って言うて、わしは抱いとったん。

そしたら、どうですか。あのとき戦陣訓というのがあったでしょう。昔の。戦陣訓をそのモリタ君はずうっと暗唱して。で、次第、次第に、戦陣訓が暗唱しよるのが声が小さくなっていった。戦陣訓を口ずさむうちに息を引き取った。これはもう絶対にわたしが聞いとるんで、絶対にまちがいない。作り事でもなんでもない。わたしは抱いとってから末期の水を飲ませたんだからね。そしたら、まあ、軍の軍隊は言いよった。何かずっと戦陣訓がありますが、これをずっと口ずさみよって息を引き取ったんですからね。ああ、立派なものやった。これがね、行くときに船の中で、わたしと一緒に、一緒にいたんです。あのー、「自分も1か月前に結婚して、ちょうど結婚1か月で行きよる。なかなかわしらもつらいよね」って、ようわたしに話しするん。「中西君はどうなんだ」って。「わしはもう結婚なんか独身や。それはよかったのう」って言って、そんな話もできたんですけどね。

日本の兵隊が着とる服とか、そんなのを奪うためにやった。これは見たですよ。船に乗っていて。ダハで日本人を殺しとるのをね。これは見ました。

よう泳げせんと、あんな、ああいうようにやられるんだなという、怖かったですよ、あれはね。「よく、これ、無事にここへ泳ぎ着いたな」という、こういう気持ちでいっぱいだった。うん。夜が明けるまでにここに泳ぎ着いたから助かったけれども、あれでよう泳ぎ着かなかったら、あないしてね。もう怖かった。あれは。自分が何も兵器を持っとらんからね。うん。だから、もうやられたらしょうがない。うん。

流れよる兵隊をね、やる。これはげんにわたし、見ました。わたしが泳ぎ着いておったところから、しばらく、まあ、100メーターぐらい下でね、泳ぎ着き。あのー、船がこう真ん中を流れよるのをこうやるのを見ましたね。

土民の反乱軍がその下で船に乗って、ダハといって、ナタ持っとるんです。よう泳ぎ着かん兵隊をダハで殺しよるんです。そして、持っとるものを全部、取る。服とかね、例えば、こんなもんとか、兵隊がつけているものを全部取ります。

これはもうまた、反日派が多うなった。反日のいわゆる国民がね。あのー、何ですわ。こう店、小さい店を出しておる。道の端でね。まんじゅうや何を置いておく。もちを置いておくんですわ。そしたら、日本の兵隊やったら、もう歩くのがへとへとです。おなかがすいて。それで、戦争で勝ったときだったら、そんなの、もう日本の兵隊に全部、恵んでくれよった。ところが、戦争に負けたとたんに、もう見せつけですわ。「これ、欲しいか。こんなの欲しいだろう」というような見せつけです。全然、あのー、ひとつもまんじゅうももちも与えようとしないんですね。戦争に負けたからって。

じゃけん、何か自分が、ビルマ人が好むような、例えばタオルとか、何かズボンとか、何か余分に持っとって、これの引き換えだったら換えてくれる。ところが、軍票が通らんものだから、全然、それを手に入れることがでけんのでね。これはもうおなかのすいとる兵隊、歩きよる兵隊に、まあ、見せつけるんですね。おいしいものを。ところが、ひとつも恵んでやるという気がなかったですね。もう戦争に負けとったから。

シッタン河へたどり着いたときに、向こうに部落があると、部落がありますわね。そこへこう行くと、もう日本人に対する考え方がみんな間違うとる。あのー、違ってきておるから、女ばっかり集めてですね、女を隠しとるんですわ。もう全然、日本人が目の届かんようなところへ。女ばっかり隠しとるんです。ところが、それを見つけるとね、日本の兵隊が行ったら、この女性連中がワーッともう逃げるんですわ。悪いことをさせられると思って。

ところが、日本人は糧まつが欲しいと、ここへ入っとるんやけどね。女なんかがおったぞってどなったんですが、何せ何十人も、おまえ隠れとるんじゃと言って。ほかへ行って、何か食べるものがないかと思ったら、女が悪いことをされると、ワーッと全部逃げてしもうたわいって。そんなことをよう聞きましたね。うん。これはシッタン河を渡る前ですよ。うん。だから、その時分に日本の軍隊に対するビルマ人の考え方が変わっておったんでしょうな。うん。悪いことをされるという。こういう考え方に変わっとったんでしょうな。

タイ国のほうへ、山へ結構、たどり着いているのに、敵の飛行機が来て、あのー、ビラをまくんですわ。「アイ サレンダー」「アイ サレンダー」と書いた何をまくんですわ。カタカナで「アイ サレンダー」と書いてある。何かいなと思って。そしたら、あのー、日本と日本語で、あのー、「戦争はもうやめたと。戦争は終戦になったんだ」と。「だから、抵抗することなくして、何、投降してこい」と、こういうことが書いてあるわけですね。ところが、あのー、誰もそれを信用せんのですわ。「またタイ国で装備をやり直しして、ビルマにもう1回行くんだと」いうことを教育されているものだから。将校も「そんなものは信用したらあかんぞ」と。「そんなものを信用させられるな」と。ところが、このビラを見ても、信用させられんもんだから、全然、あのー。われわれは本当に(信用)せなんだんでね。あのー、終戦になったということを。

ところが、ある日、その連隊長の命令で、あのー、タイ国の山の何ですか、谷間へ皆、集合せいと。そしたら、火がこう燃えよるんです。どんどんと。枯れ枝で。今まで見たことない143連隊の連隊旗、これは新品ですわ。それをバーッと袋から出して、軍隊、あのー、この軍旗旗手が持ってきたんですね。連隊長が下げたので。やがてのこと、その火の上でバーッと軍旗を焼いてしもうた。「ああ、これはいよいよここで玉砕や」ということで、もう死を覚悟しとった。

ところが、連隊長は書いたものを読み出したんです。それには、「日本は戦争に降伏した」と。「降伏したけれども、ここで軍旗と一緒に命も全部、われわれは玉砕するのが本当であるけれども、天皇陛下のご詔勅(しょうちょく)によって、ひとりでも命をながらえて日本の国へ帰ってこい」という、天皇陛下のご詔勅が出ておったと。「だから、これから、一歩でも日本の国のほうを向いて、皆、歩くんだと。一歩でも歩け。とにかく日本の東へ向いて歩け」こう言うんです。はあー、と。これは、まあ、腹を切るのは、結構、まあ、のがれたけども、「これから歩いて、日本のほうに歩け」言うたって、これは、どこで、どないになるのかわからんので、皆、歩かんので。力が抜けてしもうて。もう100メーターも歩かないうちに休憩いうて、バタバタ座って。

ところが、そのとき、飛行機、敵の飛行機がブーッと低空で来ても、爆撃せんのですね。日本の軍隊が、あのー、結構、あのー、集結しとるかどうかっていうのを見に来とるんですね。ところが、もう習慣になっているものだから、敵の飛行機が来たらジャングルへバーッと隠れるんですけどね。爆撃を絶対にせんので、いよいよこれは終戦になったのは本当じゃ、ということで、あのー、後方へ向けて歩けと。そのときに、いわゆる白骨街道というのでね。歩いた兵隊が道で倒れてしまって、よう歩かん。軍服を着たまま寝とるんですね。軍服を見たら、ぱっと見たら、中は白骨です。そういうのを、わたしはハダシでまたいで、何人かまたいで帰りました。

今、日本のわれわれが日常食べている糧まつは、いろんな乾燥したものとか、いろんなものがある。缶詰なんぞありますわね。このときの日本の軍隊いうのは、もう米をまきで炊いて、とにかくごはんを炊かなんだら糧まつはなかった。向こうの兵隊は、飛行機で飛んできてバーッと上から落とすんですね。開けてみたら、その中にタバコでもチーズでも、何でもみな(みんな)、入っとるんですわね。だから、糧まつで、わたしらは、あのー、「そもそも日本の軍隊は戦争に勝てん」と思うたですよ。いちいち、米を洗うて、水を入れて炊かなんだら、自分の糧まつはでけんのですけんね。これだけ手間が掛かって、また火をおこさなきゃいかん。ところが、向こうの軍隊は、完全に全部入っとる。これを飛行機でもって、どんどん落とすんだから、糧まつだけでも負けとる。戦争に負けると思いました。

武器なんかでも、例えば、砲ひとつにしたってね、日本の歩兵砲なんか、皆、あのー、鉄の穴開いた、車でしょう。ガチャ車。そうじゃなくて、向こうの兵器いったら、ゴム輪の、こんな太いゴム輪の自分の背丈より大きいようなゴム輪でしょう。それが皆、砲に付いておる。だから、自動車でこう引っ掛けて引っ張ったってザーッと引っ張る。日本の砲はガチャガチャ、ガチャガチャ、ガチャガチャ、馬に引っ張らせていかなんだら持っていけんの。そんな兵器のやつで勝てるわけがない。

ただ、強かったのは日本の軍人精神だけ。軍人精神は、どこの国にも負けんぐらい強かった。ところが、軍人精神に伴うような糧まつとか兵器がなかった。これでは勝てん。精神だけでは勝てん。

タイやビルマまでね、日本の軍隊が行くのが間違うとったとわたしは思います。あんな遠方へ行ってですよ。後方から、どんどん、どんどん輸送でもして、あのー、被服とか食料が来るんだったらできますけどね、自給自足でやれといったら。

自給自足でやれといったって、ところによっては何もないんですわね。それで、雨季と乾期の2期でしょう。雨季でかかったら、もう何もあれへん。だから、こんなところで「戦争をせえ」いったってね、それはだめです。

出来事の背景

【ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争の開戦から間もない昭和17年1月、日本軍は英領ビルマに侵攻し、わずか半年余りでビルマ全土を制圧した。

しかし、昭和18年になると、連合軍が反撃に転じる。対する日本軍は連合軍の拠点インド東部のインパールへ進攻し、連合軍の反撃を防ごうというインパール作戦を計画する。
作戦を成功に導くため、第143連隊は、ビルマ西南部で攻撃をしかけ、連合軍の主力を引き付ける陽動作戦が命じられた。

航空機を使った空からの補給によって、連合軍は最新兵器で途絶えることなく攻撃を仕掛けてくる。一方、十分な補給がない日本軍は追い込まれていく。

昭和20年4月、連合軍は日本軍のビルマ方面軍司令部が置かれていた首都ラングーンに迫る。危機を感じた司令部はラングーンを放棄し、前線で戦う部隊に対して何の命令も与えぬまま、タイ国境近いモールメンまで退却。前線の部隊は敵中に置き去りにされてしまった。

歩兵第143連隊が属する第28師団の師団長司令官は、決死の退却戦を決意。バラバラに戦っていた部隊を集結させ、シッタン河を渡って別の味方部隊と合流するという計画だった。

深い密林に阻まれ、飢えと病に苦しみながらも、7月20日、ペグー山系で部隊の集結は完了。敵の目をかいくぐりながら、シッタン河をめざした。しかし、シッタン河突破作戦を事前に察知していた連合軍は、いたるところで待ち構え、攻撃してきた。

敵の包囲網をくぐり抜け、ようやくシッタン河にたどり着いた兵士たちは、雨季で増水した濁流に飛び込み懸命に渡るが、連合軍やゲリラに狙撃され、また、シッタン河の濁流に飲み込まれ、作戦に参加した3万4千人の兵士のうち、味方に合流できたのは1万5千人であった。そして8月、生き残った兵士たちは、シッタン河のほとりで終戦を知った。

証言者プロフィール

1919年
徳島県那賀郡中野島村で生まれる。
1939年
現役兵として徳島歩兵第143 連隊に入隊。徳島陸軍病院で教育を受け、衛生兵となる。
1943年
除隊。
1944年
再び召集、西部第33部隊へ入隊。ビルマ戦線に参加。
1945年
ビルマで転進中に終戦を迎える。
1947年
復員。

関連する地図

ビルマ (シンゼイワ盆地、ラングーン、モールメン、シッタン河)

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