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タイトル 「現れた東部軍管区司令官」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] 昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ ~陸軍・近衞師団~
氏名 塩村 良平さん(近衛師団 戦地 日本(東京)  収録年月日 2010年2月23日

チャプター

[1] チャプター1 昭和20年(1945年)8月14日  04:08
[2] チャプター2 昭和天皇  05:38
[3] チャプター3 偽の命令で、皇宮警察を武装解除  06:11
[4] チャプター4 何が起こったのか、説明はなかった  01:30
[5] チャプター5 昭和20年8月15日正午  03:00

再生テキスト

伝令でこっちはもう交代するちょうど日にちで、交代が来ることになってるわけでしょ。で、こっちはもうそろそろ帰りたいわけだ。して、来ないんだ、なかなかね。そしたら伝令が来て、そして「交代なしで帰れ」と。もうこの辺から少しおかしいなと思ったよね。交代なしで帰るって。そして帰ったらもう連隊の空気がものものしい空気だったから、これはおかしいなと思って。そしたらね、僕の上官がね、ええと、あのとき大尉になってたかな、まだ中尉だったかな、たしか大尉になってたと思うなあ。それがね、僕が初年兵で兵隊に入ったときの中隊の上官だったのね。この人はもともと本当の軍人で士官学校上がりの人だよ。その人が「塩村、貴様命が惜しいか」って言われたんだよ。「はい、命は惜しいですよ」って言った。そしたら「そんなことでどうするか」って。これは少し・・ふだんね、割合に温和な人だったよね。これは少しおかしいなと。

うん、そういう話が。ということは、いざとなったら腹切れっていうぐらいのつもりだろうよね。

Q:それはちなみに、どなただったんですか。

ああ、山田っていう大尉だったよ。

とにかく連隊全体が皇居に入ると。で、そんなことはふだんないからね。その方々の守衛をする場所はあって、あれするけども。全体、連隊の全体がね、皇居の中へ入るっていうようなことはないわけだからね。連隊全体が入るっていうことは軍旗を奉じて行くわけだから。連隊長以下行くわけだからね。だから、それこそ何事ならんとは思ったけど、何しろ、まだそのころ、そのときに終戦、敗戦っていうことは考えてなかったね。

Q:そのときは、なんか命令はどういうふうに伝わったんですか。塩村さんに。

うん、そのときはとにかく「全体が入れ」と。それで僕は、場所はなんつったかな。とにかく賢所の近所にある守衛隊の・・本部はあの二重橋のところにあるんだけど、方々にこう、あれ(衛兵所)があるわけだね。その「賢所の近所の、近くのところに行け」って言われて、そっちへ行ったよ。

Q:その賢所は衛兵所ですか。

衛兵所。衛兵所の何ていうの、根拠地っていうかな。それぞれこうあって、そこから立哨っていうのは、哨兵が立つところが、あすこと。「おまえはあすこ、おまえはあすこ、おまえはあすこ」いうふうにやるわけだよね。

どういうわけであそこに行ったのかがちょっと覚えてないんだけども、とにかく御座所の近く。僕はどこへ守衛に立つっていうわけじゃないからね、兵隊をあれして立たせるんだから。だからそれで、それで僕は、自分で御座所に比較的近いったって相当離れてんだよ。御座所のすぐそばじゃないんだ。で、そこで確か下士官を一人連れて行って、それでそばへ座らしておいて。で、双眼鏡でこうやって、申し訳ないなと思いながらも、興味本位というか、それでこう見てたんだよね。

Q:そしたら何が見えたんですか。

だから天皇陛下の姿が見えた。

そこは御座所の近くの、要するに御殿の中だからね。だからそこおられるのは当然なの。そのさっきのあの、何かあれみた、廊下みたいな、ベランダっていうのか何ていうのかな、今で言えばベランダ式なんだろうけど、陛下の後ろ姿、こうやって腰かけておられる後ろ姿が見えてね。

もう夜遅くなってるのにね、きちんと陸軍の軍装をしておられてね。そしてまあ、後ろのお姿しか見えなかったんだけれども、

いわゆる御宸襟(ごしんきん)を悩まされて、髪をこう櫛(くし)でね、こういうふうにくしけずるっていうの、こう頭をこうガリガリッとやって、立ったり座ったりを何回か繰り返して、行ったり来たり行ったり来たりしては、どかっと腰を下ろして、こういうふうにして。これが非常に印象的だった。
それでそれをしばらく見てるうちに、天皇陛下がどこかへいなくなっちゃった。こう、ちゃんと軍装しておられるんだよ。いわゆる天皇陛下の普段着ってどんなのか知らないけど、ちゃんと軍装して、陸軍の軍装をしてあれしてるのが、どっかへいなくなられた。それで、「天皇を奪い取りに来る重臣らがいるかもしれないから注意しろ」っていうあれが来てたんだよね。だから、「いやっ」と、ちょっと緊張したよ。だけどもう離れてるからね、そんな、天皇陛下のすぐそばじゃないんだから、追っかけてってっていうわけにもいかないから、ただ緊張しただけだったけどね。

うん、だけど何で悩んでおられるかだってわかんないわけだからね。あした、もう戦争はやめだということもわからないわけだからね。何で悩んでおられるかわかんない。ただ、まあ戦況がよくないことだけはね、それは僕らもわかってるから、だから、まあ戦争のことで悩んでおられるんだろうなってことはわかるけども、ま、まさかその翌日、あの放送があるとは思わないからね。

僕らただ、第一線へ出て戦うっていうあれはないからね。僕自身は個人的なルートでいろんな情報をあれしてて、この戦争はもう勝てそうもないなということは痛感してたからね。だから、むしろ負け戦っていう格好じゃなしに、何とか収まってくれればなあということを、上の人は少なくともね、そのくらいのことは考えてるだろうと思ってたけどね。

それで、天皇陛下がさっき出ていかれて、僕の推測だけど、そのときに詔勅の録音がされたんじゃないかと言ったけども、その後ね、警戒警報が鳴っちゃったんだよ。警戒警報ってわかるかい? 敵襲があるぞという。それで飛行機が、敵機がやってくれば空襲警報に変わるんだよ。で、来た、やってくるぞという警報が鳴ったんだよ。そして、女官だろうな、女の人の声で「窓を閉めなさーい」という声がして。それから先、わかんなくなっちゃった。カーテン全部おろされちゃった。

皇宮警察、皇宮警士っていうのがいて、天皇、その中に天皇側近警衛っていってて、天皇の御座所にいちばん近いところに、ものすごく柔道何段、剣道何段っていうような、体のものすごくがっちりしたやつがたくさんいるんだよ。そういう人たちの「武装解除せよ」っていう命令が来たんだよ。それで、出かけてって、その立哨し立ってる、立哨してる人を命令で武装解除するっていうあれをしたら、「ご趣旨はわかりました」と。「しかしね、わたしもね、天皇陛下の側近警衛という命令、あれでね、武装解除されたとあっては家の恥、孫子の代までの恥になる」と。「だからね、それだけは勘弁してくれ」と。「ただあなた方のあの行動にはね、協力します」ということでね、押し問答になってね。だけどこっちは「(皇宮警察を)武装解除しろ」って言われてて、向こう(皇宮警察)は、「そういうわけだからしない」と。「ただし、ご趣旨には従います」ということを言って。で、押し問答してたの。そこへあの東部軍司令官の田中静壱っていう大将が来て。確かこの人はね、戦後、割腹自殺(実際は拳銃で自決)だった、なんか自殺されたと聞いてるけどね、立派な人だったと思うよ。それが来てね、「貴様、何をしとるか!」って言って。まあ僕から見れば直属の最高の上官だからね、下がるよりしょうがないわけだよ。

何かしらん、怖い顔をしてた。どこからどう入ってきたのか、僕にはわからない。おそらく乾門から入ってきて、それで直接ターッと僕のところへ来たんだと思う。多分、そんな、そういうことをやってるっていうことを聞かれたんだろうな。それで、ほんとにツカツカとやってきて、「下がれ!何しとるか」といって言われたよ。怒鳴られたよ。

Q:命令どおりやってたわけですよね。

僕のほうは命令どおりやってたんだけど、それより偉い直属上官が、トップの直属上官が来たんだからどうにもならんね。「貴様、何しとるか」。何と言ったかな、バカと言ったか、何かそんな覚えてないけどね。「下がれ」と言われたよ。それで、そのまま守衛隊の司令部へ行った。僕はお供をしてついていった。そのときの司令が、さっき言ったかもしれんが、多分、北畠(大隊長)だったと思う。それで、そこで中身はわからないけど、説得してチガツと、そういうことだね。

Q:そのとき、東部軍の司令官がわざわざ宮城に来るというのはどう思いましたか。

特別どうも思わなかったな。ただ、軍司令官が直接僕なんかのところへ来て命令するなんていうのは、ちょっと異常だなとは感じたけどもね。だけど、特別どうとも思わなかったな。

いや、僕だって何か釈然としないところはあったよね、命令どおり動いてんだからね。だけど、まあその、いちばん上の上官が来てやめろと言うんだからやめるよりしょうがないし。田中司令官は守衛隊司令部の場所まで知ってたかどうかは僕はわからないけど、僕が案内したんじゃなくて、先を立ってツカツカ行かれたから知ってたんだろうと思うけどね。

Q:そして、田中司令官はそこで、まず、何をやったんですか。

守衛隊司令が司令部にいるわけでしょう? だから、その守衛隊司令を、まあ、命令で抑えたというのか、説得したというのか知らんけど、やめさせた。

Q:部屋の先には誰がいたかというのはわかるんですか。

部屋の中は大隊長の北畠がいたよ。北畠というのは連隊長の娘婿だったからね。多分、連隊長も入ってたんじゃなかったかな。部屋の中に。僕はそれは見てはいない。連隊長も入ってたと思う、あのときは。連隊全部が皇居に入ったんだからね。

Q:結局、命令がニセだったという、師団長が殺されていて、命令が偽物だったというのはいつわかりましたか。

戦争が終わってからしか知らない.

Q:それはいつですか。

いや、もうだから戦争が終わっちゃってからだから、いつだったか覚えてないよ。

Q:15日の日だったとか、16日…

いや、15日、16日に、そんなには全然知らない、そんなことは、ニセ命令だなんていうのは。

Q:大分落ち着いてからですか、そしたら。

そう、もう大分たってからだよ。いわゆる一般情報でしか知らないからね。

Q:そうなんですか。説明はなかったんですか。

そんなものは全然知らない。ニセ命令で入ったなんてことは、戦争が終わってからいろんな一般情報で聞いただけでわからない。

Q:そうなんですか。それ、ニセ命令ってわかったときはどう思いましたかね。

どうちゅうこともない。僕らは命令どおり動いただけの話だから。

あれ正午だったよね、たしか。正午の録音(玉音)放送はその守衛隊司令部の中で聞いた。覚えてるのは、連隊長がすすり泣いて涙ぼろぼろこぼしてた。

Q:連隊長、かなり泣いてたんですか。

うん、泣いてたね。芳賀さんというんだけどね。

Q:どのぐらいの距離でご覧になってたんですか。

泣いてる、泣いてたのはたしか見えて、声だけじゃなかって見えたと思うけども、涙ぼろぼろ、たしかこぼしてたよ。それで、どうしてたかな。とにかく涙ぼろぼろ流してるところは見てる。

Q:玉音放送は塩村さんは聞いてどう思われたんですか。

どう思ったか、もう覚えてないね、その当時。とにかく力が抜けたことと、反面・・こういうことを言っていいかどうか、反面、何となく力が抜けてがっかりというのと、ほっとしたというようなこともどっかあったね。

Q:やっぱり、こういうことというのは言っちゃいけないんですか。

あまり言っていいかどうかわからんな。しかし、国民全体にそういう感じがあったんじゃないかな。ほっとしたというのは。もちろん、がっくりして力が落ちるというのはあるよ。敗戦だもんね。敗戦なんて、日本負けたことなかったんだからな。だけど、どことなく・・要するに戦争って緊張感だからね。それはなかったとは言えないだろうな、国民全体として。

出来事の背景

【昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ ~陸軍・近衞師団~】

出来事の背景 写真 明治24年に創設された近衛師団は、天皇と皇居の警護に当たる部隊で、全国から優秀な兵が集められたいわばエリート兵団であった。しかし、この近衛師団は二度にわたってクーデター事件にかかわった。
昭和11年の「二・二六事件」と終戦間際の「宮城事件」である。

「二・二六事件」では、近衛師団の一将校が率いる部隊が元首相の高橋是清大蔵大臣を襲撃・暗殺した。

 「宮城事件」は、ポツダム宣言受諾決定に対し、徹底抗戦を叫ぶ陸軍の若手将校が引き起こした皇居占拠事件である。彼らは、東部軍と近衛第1師団を決起させようとし、森赳近衛第一師団長を殺害。ニセの師団命令を出し、近衛師団の部隊に皇居を占拠させる動きに出た。天皇の終戦の詔勅の放送「玉音放送」を阻止しようとしたのだ。

この部隊は、8月14日深夜から15日未明にかけて、「玉音放送」の収録に立ち会っていた下村情報局総裁などを監禁したうえで、玉音放送を収録したレコード盤を奪おうと、宮内省など皇居内の建物を捜索した。さらに、当時内幸町にあった日本放送協会も襲撃した。

この動きに対して東部軍管区の田中司令官が鎮圧に乗り出し、クーデターは失敗に終わり、15日朝には鎮圧された。8月15日正午、昭和天皇による「終戦の詔勅」の朗読の放送「玉音放送」は何事もなく行われた。

証言者プロフィール

1919年
大連市天神町にて生まれる。
1941年
東京商科大学卒業。
1942年
応召兵として近衞歩兵第二連隊に入隊。
1945年
宮城事件。当時26歳、少尉。東京にて終戦を迎える。復員。復員後は三菱商事に勤務。

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