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タイトルタイトル: 「銃の重さが命を奪う」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~
名前名前: 山本 鹿之助さん(陸軍南海支隊 戦地戦地: ニューギニア(ポートモレスビー、ギルワ)  収録年月日収録年月日: 2009年6月23日

チャプター

[1]1 チャプター1 ニューギニア上陸  03:22
[2]2 チャプター2 南海支隊  03:32
[3]3 チャプター3 厳しくなる食糧事情  01:51
[4]4 チャプター4 「肉薄攻撃」で豪州軍と戦った  02:02
[5]5 チャプター5 イオリバイワでの撤退命令  05:45
[6]6 チャプター6 退却の道のり  07:19
[7]7 チャプター7 米豪軍の包囲  04:32
[8]8 チャプター8 命を奪う三八式歩兵銃の重さ  03:19
[9]9 チャプター9 転進  05:24

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~
収録年月日収録年月日: 2009年6月23日

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ニューギニアはバサブアに、バサブア、昭和20…いやいや、17年7月21日に敵前上陸をやったんだ。かっこええは、敵前上陸。敵おらへん。
だけど、初めての上陸やろ。それを軍隊用語の敵前上陸っていうんだ。だれも占領しておらへんから。その時な、うちの1中隊が、2個小隊が尖兵中隊でいっとるの。行った、それで船の中でな、100里、昔の。要するに400キロやね。往復を歩くもの一歩前に出ろ、って言いよったんだ。馬鹿なやつが出たの。出たの。それで出たやつが、初年兵やろ、尖兵中隊入った。毎日戦闘や。それで、まぁあのね、夜中の一時ごろ上がったんですよ。それで、自転車もってな、マレー作戦の。銀輪部隊っていうて、行きよっただろ。その夢を持ってるの。道も無いところ自転車なんか駄目ですよ。走れない。

Q:何台くらい持っていったんですか?

それは知らん。だけどわたしら1台づつあたった。だから、一日置いてあるだけで乗れません。道がないんだから。だからもう「自転車、ほれー」と。んで、今度は軍装や、もう50キロや。えらいよ、だった初年子(兵)やろ。糧まつ人より余計持たされて、弾薬も50キロ。

今はポンポンデタ、ポンポン蒸気まで朝方行ったの。そしたら、あそこに牧場あるのな。それをバーっととったの。おさえたんだ。そのときね、このぐらいの、これぐらいの練乳の缶あったの。それをパーっと、うちの小隊長な、「持ってけー」っていったの。中隊本部に。んなら、こっちはパーっと下げて、そのままバッバッて。遊ばせろよ。そんなもんとってな、パーっと放り込んで、それでもってってボーンって。

Q:誰が落として言ったんですかね?

あのね、豪州…豪州人が、牧場してる人が逃げとるんや、置いとるんや。もう日本軍が上がったらすぐわかるよ。で、取って、同年兵に皆に分けてやったんだ。

南海支隊っていったら四国の編成。主体が高知の連隊。160…何部隊あるやろ。あれ高知の連隊やんけ。そこで四国から色んなもんをよせて南海支隊を編成しよった。弱い兵隊、怒るかもしれんけど。酒飲みで、戦後でも高知でな、南海会やってな、カーッー…。それ、そんでな、あのここで、オイビ進んでから広大に…んな、わからへんわたしら、西も東も。んで、工兵やろ、歩兵が突っ込んで、わたしらね、100m後方でな、皆伏せてたの。それで、「オー、ウオー」って声上げていう…たまに声上げてるの。で、歩兵が突っ込んでな。死ぬのなんて…10名以上やられたかな、死んじゃった。

Q:山本さんの部隊は進軍するときに、階段作ったり道路を作ったりしたのですか?

それはね、中隊によって違う。うちはね、1中隊ってのはね、野戦工兵。よろしい?あんたら編成知らんの?2中隊はね道路工兵、道作るやつ。3中隊ってのは架橋専門。架橋ってのは橋を架ける…橋、わたしらだって橋つけれますよ。小さい橋な。だけど、それは目的が、1中隊は野戦工兵、戦闘心を持って、敵の陣地、爆薬で攻撃するやろ。これ1中隊。な、だからもう我々連隊でな、2中隊で馬鹿にするの。「最中の餡」、はさまれてるの。本当役に立たない。あれね、よう見とんんで、中隊編成するとき。だから、3中隊は架橋やろ、橋架け。だから後で行きよるの。そういうふうに分かれてるの、だいたい。

ニューギニアの地図はないの。世界図書をみても、ニューギニアの地図は載ってないの。だから、あの時いったのな、こういう帯みたいな、このくらいの幅の地図や。飛行機写したやつ。そんな地図でな、作戦、一個連隊、まだな、高知が結局あんた連隊やろ、そら上げて皆死なすわけや。そうでしょ。それで途中で、帰った人は助かったのよ。帰れん人はほとんど死んだの。

Q:そのころはもう食糧事情は厳しかったのですか?

なんの食糧もあらへんがな。あのね、あがって1合。上陸したでしょ、上陸して、あのね三日目から、1合や。1日に1合だよ、大体工兵は6合食えるの、定量は。それが四合。それ1合。どんな思いや。あのね、まだ1合いいんよ。ギルワで3勺。おもゆや。これはな、上層部のやつなに考えてるの。船がやられる、じゃあ飛行機で運べばいいんとちゃうんか。落下傘で落とせばいい、敵さんは落下傘で落としてるで。食糧をどんどん。日本軍もできんことないやろ。
兵隊死んでもええの?兵隊だって、要するに妻子もあるし、親もおりますよ。だけど誰もね、天皇陛下うんぬんなんて言って死ぬやつはおらん。みなお母さんの名前ゆうとる。天皇陛下、現人神、って教育受けてきたけども、いざとなったらね、そんな言葉は出ません。

あのね、肉薄攻撃ってあるの。その時は独工15や。44名死んだんやで。皆肉薄攻撃。敵の大砲に29名くらいつきにいきよった。で、敵の戦車に15名。黄色火薬15kg背負って。黄色火薬ってのは威力ある。ダイナマイトより威力ある。これは工兵の本領。工兵はね、爆破によって死ぬのは一番華。だから肉弾三勇士あったでしょ、あれもそう。うちは肉弾44名勇士がおるの。

攻撃やない。もうな、決死隊や。あんなんな、あんた飛行機の、なんや飛行機に乗ってプーやで、ボン。そこにいくまでに大体1週間くらいかかるんやで。その気持ちを察してみなさい。1升くらいの米もらって、缶詰3つもらって、最後のせん別。飛行機はね、ブーン飛んで、何時間か、何分かや。それでバーンやろ。こっちが1週間かかんの。その期間の気持ち。生きて虜囚の辱めをうけたたくないやろっていって、教えられとくの。

Q:山本さんはイオリバイワまで行かれたんですか?

引きづられて行くが。行かんといけんがな。どうして、どないもできへんで、初年兵は。あのね、1日中這うたことある。あんたもう、足の底はハリセンボン踏んだみたいや、オーバーに言えば。そんな感じや、立ってられん。びゃーっとなる、あれ。なんでかしらんよ。ヒルやろ。あのときはね、そこでもうとまらないの。ここひざあてて、布でな、ガッて。軍装もってるやろ、銃持ってるやろ、這うの。そういうこともありました。もう牛、牛よりももっと惨め。牛は、おうたって自由がある。あれは自由がない。飯炊いて、晩だって飯ごうな。雨だってふるやろ、片手に天幕で、2人で持つの。そのへんをプワープワープワーって吹いて生木で、まぁいよいよ炊くよ、火な。持ってた遅いって言って、その飯ごうぶつけよるの。

軍隊は全体バッチ、要するに全体バッチちゅうのはね、団結力を持つための教育。そのあおりを受けないといけないの。おいてけっていいよん。おいてん、こないやで、あーやでって、昼。できへんやつはできへんわ。ま、あいつら二人のためにえらい目にあいました。だから、ヤスオマッチャンはジャングルで行方不明になってやろ、コニシは捕虜になっとった。

Q:そのような制裁は、作戦中もあるのですか?

あるやんけ、そら。こんなんで制裁しとるんやで、工兵は。そりゃ、歩兵やったら知らんよ、こんなんで。工兵は必ず棒でいきよる。エンピ持って来い、いいよるやろ、スコップや。エンピもってきたら、あれ抜けるようになってる、工兵は。携帯用やから。それかっと抜いて、棒で殴るの。あの、樫の棒やで、こんな。な、わたしは、この上の奥歯、全部いってもうた。下はね、なんともなかった。おもしろいで、クーっと奥歯全部。こんなん、顔。まぁね、現代の人は想像はしても、できない。それな、余計いじめるのかしらんが、工兵のバッチじゃ、バッチじゃこんなもんかって目しよるの。だから、わたしら同年兵がね、10名くらい、大体な、不肖な死に方しました。あの作戦中。かわいそうやね。

Q:そのイオリバイワまで行って、さっきその、攻撃よりもね・・

攻撃する弾があらへんが、あんた。攻撃、攻撃っていうけども。敵さんは十分弾も、元気、糧まつも腹いっぱい食って、待ってはんが。そんなとこ行ったら犬死やろ。だから支隊長がこれだめやと思って、転進命令出したんでしょ。だから退却や、軍隊用語で「転進」って、変わる、方向が変わるだけやで。ほんで、退却やんけ。

Q:その退却命令が出たときは、どういうふうに感じました?

何も感じないがな。また、今までな、東進んでたのが西行くんだな、ってなもんやで。そんな感じる、感じない感情はおません。また、感情持ってやったってできない。初年兵は。たとえ、これ分隊長にでもなってたらな、ある程度感情あったで。だからね、優秀な上の人もったら得だけど、ガラクタもつと損やで。特に工兵はね、ガラクタ多い。で、師団工兵だったらまだましや。タカツキ独立編成はほんまがらっぱち。だからね、我々、そこから、ラエまで下がったやろ、クムジからラエ。もうこれは大発やから。

Q:そのイオリバイワから退却してくるときはどういう道のりで。

こじき以下やないか、あんた。どうやん、補給がつかへんがな。後は精神力、一人一人によって。そのまま行き倒れになるか、なんでもかんでもここで下がらないかんと思って、もう今度は下り坂や。ここでもう下がって、もうそんなもん、隊伍ないよ。命令だけギルワに集結せいやろ。

Q:もう隊伍がないということは、落伍している人も…。部隊についていけないひとも…

それ離脱っちゅうの、離脱。離れること、落伍じゃない、離脱しよるの。第一線で落伍したら殺される、死ぬだけや。だからね、まだ意識があって逃げるやつがおるの。これ離脱しよるの。マンバレーっていう河あるやろ。あれ、あんたもみてはるやろ。マンバレー川の河口、ココダから下がってな、ずっと行ったらマンバレーや。そこでもう大分死んだんやで。船がない、河、雨は土砂降り。だからおぼれて死んでいきよるの。だから、マンバレー、あのとこでも慰霊しました。お経あげてな。

Q:山本さんは危なかったことってあるんですか?

そんなもん、なんで、みんな危ないわ。だから、運賦天賦やんけ。これが危ない、これが安全ってそんなことありえない。戦場は、特に負け戦は。勝ち戦はな、先手できる。だから運賦天賦。死ぬのも運が悪いだけや。誰かの死もあってやぞ、死なんと、マラリアもやらん、脚気もやらん。

Q:あの、マンバレーの後、クムシ河も越えたんですね?

クムジ。発音が悪い。言うよ。クムシ河、だから河口にクムシっていう部落あるやろ、そこまで転進したんだ。で、マンバレーはもう一つ西やろ。河口。で、我々もクムシからラエまで大発や。大発がそこまでドットきよる。ラエから。だからそれは、後は楽チン。クムシはね、糧まつあった。

Q:久しぶりの糧まつですね。

それで死んでるの。あのね、食ってないやろ、普段。久しぶりの、あんたのいう糧まつ、何ぼでも食うやろ。絶対にいかん。あってもね、おもゆからいかんといかんの。そういうときに克己心をもっている奴は強いの。わかる、現代人、克己心のないやつはな食いたぐる。それでね、もたんやろ、すぐに大腸炎やるんだ。んで、死による。せっかく生き永らえた奴がクムシで死なないといかん。

Q:さっき退却は苦しいって話ありましたけど、向かってるときと戻ってくるときは辛さが違いますか?

ちゃう(違う)で、負け戦。いつ敵がケツにきてババーン撃ちよるかわからんで。死にたくないやろ、誰しも。だから、もうフラフラでも一所懸命逃げるんだ。だからね、退却ってのは一番苦しいよ。昔だったら落ち武者やろ、百姓あたりに狩られて殺されたやろ。盗られるために。だからまだニューギニアは、幸かしらんけどね、そういうパプアみたいに人口が希薄やろ。だから襲ってくることはしません。襲って来よるのは敵さんだけ、アメリカ軍か豪軍かや。退却で鼻歌できないで。鼻歌な、のんきにワーッて行くことは出来ませんって。もう必死やて。

Q:体力もなくなってるでしょうしね?

精神力やで。体力は関係ないで。問題は、最後は精神。身体ってどういう風に書くの?身は上やろ、体は下やろ。だから精神は一番。精神は無形や、体は有形や。みんなな、長い間食ってないだろ、まともに。そらもう、ほんまに、70か80のおじいさんのよう。普通はこうやろ、男は立ったら。それがこうや。

Q:姿勢が?

ここが、普通はこうでしょ。立ったらこうなるやろ。それが、こういうふうになるん、裸になってみたら。オーバーにいえば。なんも広がらへんで、ここの肉みんな落ちとんとん。

Q:ギルワ陣地はもう敵に包囲されてたんですね?

あのね、大体一里、ごめん、大体一里、4kmくらいやね、包囲されてたの。だから、あのクムシ、クムシまで転進したやろ。全部電話線はってるもの、クモの巣みたいのはってるの、日本だったらあんなのはらんやろ。節約で、向こうは物量が豊富だから。

Q:敵の攻撃はどういう攻撃なのですか?

大砲。間断もおかんと、ドドドドーンってきよる。日本みたいにボーン、間をおいて,又、ボーンそんな撃ち方しない。すごい。それでね、飛行機、普通あんたこう飛ぶやろ、これや。片一方が翼が長い、片一方短い。それ偵察機や、スピードでない。それ上空でグオーまわってるの。それで無電で知らせるの。日本はアホとちゃうか。人まねはするけどな。偵察機でもそんなのやで。尾翼は片一方長くて、片一方短い。

Q:日本の飛行機は来たんですか?

来ません。どこに来たの。何が隼や。飛行機一回もみたことないな。

Q:ギルワを撤退するときはどういうふうに?

ギルワを撤退するのはクムシまで2日で行けるの、大体、普通であれば。あんなもん。20日かかってる。昼は行動できない。敵がこないいるから。そこを縫うていくんやから。だから、だから晩は真っ黒けやろ。で、水つかるとこあるやろ、海岸線だから。ぐわーって。そういうとこ木をこうやってこうやるの。20日、大体20日ほどかかってる。普通だったら2日で行けます。ギルワからクムシ間。敵の目をくぐっていくのだから、それはススーッといけない、絶対に。もう八方に気をくばる。だから、大勢の行動はできないの、見つけられるさかい。バババンってやられてまう、こっちは銃ももってない。

Q:その途中で亡くなる人もいた…

そりゃ行き倒れになる。そんなもん帰るんじゃ、ウンウンって。戦友やって。しっかりしようと。軍歌じゃないや、できません。な、それは満州あたりで戦友っていう歌あるだろ、軍歌。ああいう人たちだったらいけるわ。ニューギニアはなにが軍歌や。死ぬか生きるかや。もう死ぬほうが近いの、ぶら下がってるの。これがニューギニア戦。

Q:死んでる人もいっぱいいるんですか?

それはいっぱいとか、いちいち見られんじゃ。人間死んだらな、…死んだ人みた?いや、こういう家庭で死んだ人みたのとちゃう。野垂れ死にして、ブウっと膨れたの見てな、ええ気持ちないよ。自ずから目をそらしますよ。だからそういう人の骨も拾いません。

だからな、敵さんは自動小銃やろ。なんでそれを自動小銃に、できるやろ。敵さんの捕獲した小銃がなんぼでもあんがな。それをなんで三八式歩兵銃や。菊の御紋。あの菊の御紋で兵隊はどんだけ泣いて、どんだけ殺して、死んでいきよったのよ。

わたしの分。一丁放るやろ。今度また補給するやろ。また一丁放った。そんなん、・・・。銃みたいなもんがあるわ、死による、死んだやつの。兵器係がそれもっとんがな。

Q:なんで捨てるんですか?

邪魔だったら放ったらいいやんけ。あんた、邪魔者を殺せっていうことわざあるでしょう。だからな、自分がそんなの持って歩いて、身体に影響するようだったら放ったらいい。ごぼう剣みたいの必要ないで。だから、あの西に行って、偵察ばっかりやってたやろ。そのときピストルだけ持ってるの、ピストルって小型なんや、ドイツ製の。それ一丁、拳銃も持ってません。

Q:そのやはり、銃を背負ってるだけでも…

あのね、4キロあるの。もっと小型で軽いやつ作れっていうんだ。

背負いません、担うの。で、もう普通、戦闘体形になったらな、腕で下げるか、逆さまに、こう持つかや。あのね、50キロの装具いっぺん背負ってみなさい。朝から、それで座るやろ休憩で、このまま立てない。いっぺんうつむくの。それで、木あるでしょ、細い木もってじゃないと立てん。そんな過酷な思いさせてな、なんで戦争勝てるの。アホとちゃうか、指揮官、参謀。で、司令官は第一線出ませんで。あのクムシ河でおぼれて死によったやつおるやろ。あいつはちょろちょろ来とった。

Q:先ほどの銃を捨ててはいけないって教育されてますよね?

当然。

Q:そのために、銃の重さで倒れた人っているんですか?

放っとく。銃の重さで倒れたって、銃と心中しとるわけやんけ。それは馬鹿だ。放ったらいいやんけ。

だから「野たれヤカチの地獄のナラマサ」って知ってる?前に言うたやろ。書いた?なんでや。2万死んでや、懸軍(遠くて敵地に入り込む軍隊)が。野たれヤカチ、ヤカチっちゅう部落いったらね、兵隊が野垂れ死にしてるの、糧まつなしで。それを辛うじて、生き延びて、ナラマサっていうとこ入って、これね、ベラウ地峡(西部ニューギニア)の転進のとき。そこで日本軍同士が撃ち合いしてるの。全部じゃないよ、一部の人間。だからナラマサっていうところで、地獄絵巻やって。

Q:もう一回お願いします。野たれカタチ?

野たれヤカチ。それヤカチっていうカンポン(インドネシア語で「集落」)、部落。で、野垂れ死に。これね、ベラウ地峡っていう狭いとこあるやろ。このクビのとこ、ベラウ地峡っていうの。あそこで転進するの、こんなもんね、一日で渡れるの。それ、よう渡らんと、将校の引率ができないからそうなるの。兵隊がプータするの、回るの。ジャングルの中、磁石もなんぼもっても駄目。個性があるやろ、右寄りとか左寄りとか、その人の個性で動くの。そこで糧まつ尽きて腹減る。それでヤカチまで辛うじて来て、野垂れ死にしとる。それ、なにくそっていったやつが、ナラマサで撃ち合いして殺す。飯ごう一杯、肉、20円。これ、金に執着もってるやつやで、生きるか死ぬか、って、境遇におって、なんで20円が必要あるの?

これ豚肉や違うぞ、人肉。これ日本軍か、日本軍やで。偉そうに皇軍いうて、どこの皇軍やねん。

だから私な、あれだけニューギニアにおって、3年7ヶ月おった。皮膚はきれいやで。向こうの皮膚病、カイカイ一回もやってない。

Q:なんでですか?

あのねー、信仰は関係ないで、神がおれば。むこうに電気草っていうな、あんな。その葉で、ガーっともむの。こうもつと、グワッとビリビリってなるの。ガって握るとなんともないの。それでガーっと。絶対にならん。ならん。それは天の助けか、神の助けかしらんよ。だから、現地のやつもなってない。パプアは、それやっとん。やってないやつは、まぁおらんけどね。帰って来よったら、もういっぱいできとるよ。で、あれな、できたらな、膿がのるの。ズボンはいたって、ジャって出るの。それは心得よ、人、人によって。だから、火打石の生活は2年ほどしました。だから、火打石の生活は2年ほどしましたよ。

Q:その絶対帰ったろっていうのはどういう時に感じるんですか?

信念、感じるとかそんな神がかりじゃないよ。もういつもそう思ってるがな。うん、「絶対俺は帰ってたる」って。ここで、ジャングルの肥みたいになんでなるねん。死んだらジャングルの肥。野垂れ死にと一緒、誰も。処理してくれないに。

ニューギニアはね、死は易し、生は難し。普通の条件のところと反対。普通の条件は、生は易し、死は難し。ニューギニアは反対。いかに死はもろいかっちゅうことや。そんなとこ、それは、ニューギニアで作戦に参加した人やったらわかります。参加してない人はいくら説明してもピンとこない。

出来事の背景出来事の背景

【ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~】

出来事の背景 写真日本軍将兵の9割が命を落とした“生きて帰れぬ”戦場ニューギニア。その口火を切ったのが昭和17年のポートモレスビー作戦である。
日本軍は、中部太平洋の海軍の根拠地「ラバウル」を連合軍の空襲から守るため、連合軍の航空基地があるニューギニア島の南岸「ポートモレスビー」を攻略する作戦を立てた。ポートモレスビー攻略を命じられたのは、南海支隊で、当初は海路ポートモレスビーをめざしたが、珊瑚海海戦の結果、ニューギニア北東岸のバサブアに上陸して、陸路オーウェンスタンレー山脈を踏破する総距離350キロの作戦に変更された。現地司令官は「攻略は不可能」と断じたが、大本営参謀・辻政信の独断で作戦は実行されるにいたった。
昭和18年8月、南海支隊主力がバサブアに上陸、兵士たちは一人当たり、20日分の食料を含む50キロの荷物を担いで、詳細な地図がないままジャングルに分け入った。そこは、道なき道で、樹上からから吸血ヒルが降り注ぐ密林だった。密林を抜けると、豪州兵が銃火・砲火を浴びせかけてきた。さらに、標高3000メートル級の山越えで、食糧も尽き、兵士たちは体力を失った上に、マラリアに苦しめられた。
出発から7週間、兵士たちがポートモレスビーを見下ろす「イオリバイワ」まで進出したものの、そこまでが限界だった。9月下旬、日本軍は「転進」を決定したが、マラリア患者、負傷者を抱え、豪州軍の追撃を受けながら険しい山道を将兵たちは撤退することになった。そして、食料を失った兵士たちは、木の皮や根をかじるようになった。
ニューギニア北岸にたどりついた生存者は、バサブア、ブナ、ギルワなどの日本軍陣地に拠ったが、連合軍の追撃で翌18年の1月までに相次いで撤退する。
南海支隊はこの作戦で、9割以上の兵士が命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
大阪府南河内郡丹南村にて生まれる。
1939年
台湾に渡り、基隆工作所に勤める。
1942年
南支派遣軍独立工兵第19連隊に入隊。独立工兵第15連隊に転ずる。
1942年
ポートモレスビー攻略作戦当時、独立工兵第15連隊第1中隊第1小隊。
1943年
西部ニューギニアに転進。
1946年
復員。復員後は卸業を営む。

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