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タイトルタイトル: 「連合軍捕虜の処刑」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~
名前名前: 北村 政太郎さん(陸軍南海支隊 戦地戦地: ニューギニア(ポートモレスビー、ギルワ)  収録年月日収録年月日: 2009年10月7日

チャプター

[1]1 チャプター1 ニューギニアへ  02:18
[2]2 チャプター2 敗残の兵士たち  05:13
[3]3 チャプター3 大発による輸送  03:50
[4]4 チャプター4 飢餓状態の将兵たち  03:38
[5]5 チャプター5 尺八の音  07:02
[6]6 チャプター6 「捕虜殺害」  03:20
[7]7 チャプター7 ワウ方面の戦いへ  06:26
[8]8 チャプター8 ボブダビで負傷  06:17
[9]9 チャプター9 早く死なせてやりたい  02:12
[10]10 チャプター10 戦後のニューギニア  07:04

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~
収録年月日収録年月日: 2009年10月7日

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ここがね、これの出てる、ブナ・ギルワから患者輸送する舟艇、大発っていうんです。あの舟艇2隻でね、昼は出られないんです、飛行機、敵の飛行機ばっかり上飛んでますから。で、夜出るんですね。大体2隻で100人位乗せてくんですね。それでその乗せてくるのをラエまで行きたいんじゃが、そのために途中で夜が明けて来るから、明けたらまた飛行機でやられるから、それで夜だけ走る。だから昼は休憩と同時に、まぁその入港する。そのわたしの陣地がこれなんです。クイの陣地って言うのがこれだったんです。で、ここにねぇ、あちこちやってるからわかりませんねんけども、この中に100人れる天幕張りまして、上から見ても分からないようにして、天幕張って。そこでお昼、朝6時には、赤道ですから6時には夜が明ける。午後の6時、18時には夜が更ける。だから夜の7時頃に出港するわけなんです、暗い時にね。そして朝になって夜が明けてくると、見つかったらいかんので、こっちへ入港してくる。いわゆるここが避難所になってて、そこの仕事やってる。人がこれに書いてるわけなんです。その仕事を30名ほどでやったわけなんです。無線一個分隊で行きましてね。

クイ、クイて言う所ですね。ここの隊長をやっとったんです。約30名ほど連れましてね。そして、あの、最初にニューギニアへ上陸するまでに一隻やられまして、飛行機に。ほいでもわたしは幸いに助かってニューギニアへ、ラエへはいあがったわけなんです。それからもうすぐに、このブナ・ギルワからラエまで患者輸送したいから、お前さんがその基地の、クイ基地へ行けいうことで。編成は、何て言うんですか、無線機一個分隊。そして小銃隊一個分隊。ほれで約30名ほどで行ってくれということで、そこへ行ったわけなんですね。

で、この人が、わたしどない人か知りませんのやけども、読んでるうちにこれ見ましてね。ここへ北村って書いてですね、この、こういう隊長で、クイっていうのがサラモア、もう次がサラモアですから、このクイへ行ったんですよ。そのときこの人が、この患者をブナ・ギルワから運んできて、このうちの、わたしらの警備隊の中へ、朝になってきたんで避難してきたの。それでわたしらはそれを迎えて、あのぉ、100名ほどですか。もうそんなして仕事しておったんです。ほいでね、だからそれを彼がこう書いてくれてあるんで、これもう読まなかったんでね分からなかったんですがね。「あぁ、これあの書いてくれてるな」と思いまして、したんですが。そして、もうねぇ、かわいそうだったです。あの大発の集計200名のね、まぁ2隻ですけども、ラエへ連れて行って、またそれを逆に、鵜飼さんていう、鵜飼部隊ってあったんです。そのウカイ部隊の、っていうのは今その大発の隊長だったんですよね。そんなんで、一つの基地作ってそこであのぉ、朝迎えて。ほいで午前中みんな休ませて、まぁ食べさせて。食べるてほんのね、食べるていう形だけですけども、ほれで食べて、夕方日が暮れてくると今度ラエへ向けて乗せていくっていうような格好でさせてもらったの。

Q:かわいそうだったっていうのは。

(兵士たちは)一切ねぇ、もうまともにねぇ、歩けるもんないんですね。皆手つないだり抱いたりしてね。その、あの舟艇へ乗ってるのはね、機関砲一応船に積んでるわけで、一番重たいね。ほいで、後ろで舵取って行くようになるんです。もう、そのさっきにあったこの橋に材木あったって言った、あれをこの歩けるように上、板で張りましてね。ほいでこう、上まで連れてくるんですよ。ほいで宿舎ってその天幕張ってる中で、あの、みんな寝だして休まして。「昼はもうゆっくり休みなさい」って。でね、夜になるとまたどうせ走らなあかん。そのときにね、よくあの向こうの高速艇とね、こう行きあうらしいんですね。ほいでパンパン撃ち合うの。ところがね、いいことに日本の機関砲とか機関銃はね、まっすぐ、ほとんどまっすぐこう飛ぶんですね。アメリカのとかね、オーストラリアのそれはあんなのね、その高速艇は、こう波打ってくるんですね。その代わりに向こうは、全部えい光弾言いましてね、あの20ミリの弾の後ろに、お尻に火が灯るんです。てぇっと吐きながら。ほれからね、それが1分間に、日本のわたしら扱こうた機関銃は450ですけども、大体、なには2000発位出るんですね。で、それがまずはシューっと飛ぶんですけども、日本のやつは10発に一つしかえい光弾が入ってなかった。向こうは全部えい光弾ですから、そのキュルみたいにキューっと赤くなるんです。ところがいいことに、こういう波を打ってくるもんですから、ちょうど当たったって思った瞬間ヒューって上へ飛んでいくんです。それで助かってくるのが多かったですけどね。なかなかまっすぐ飛ぶならもう皆やられてしまう、まぁそういうところでね、

大発が、鵜飼さんの部隊がブナ、ギルワまで行って、それでそういう患者を乗せたり、色々な人を乗せて帰るわけ。それでそのときにラエへ帰るんだけども、その間に夜が明けてお昼になるんです。そうすると敵の飛行機が昼はしょっちゅう舞うてますから昼はもう動けない。だから夜になって避難して出て行くというのが、わたしらのお昼のとめておく基地なんですね。そこの隊長をやっとった。

Q:鵜飼さんの部隊というのは船舶工兵ですか。

そうです。

Q:じゃあ、鵜飼さんの部隊が収容して北村さんの部隊に一回連れてきて、そっからまた鵜飼さんの部隊が連れて行く。

そうそうそう。その大発持ってんのは鵜飼部隊が持ってくもんですから。そして兵隊4、5人乗せて、それへその患者を乗せて、それでこういうわたしのような基地へ、夜が明けると危ないから、暗いうちに入港して皆患者も休めないけんと。そんなようなきっちり乗せてますからね、とってもあんなんで船乗せてもらうのも大変だろうと思うんです。そやから休まして、ゆっくり休養させて、夜になったらもう暗くなるかららわからないから、ということで出てく時にね、敵の高速艇に見つかってね、撃ち合いっこするとね、昼みたいになるんですよ。ババババババーって撃つそのなにがね、20ミリの弾ですからね、えい光弾ですから。それで後ろに火がついてるもんやからね、昼みたい。日本でやってもバババババー撃ってやね、そいで十発に一発しか出ないっていうような、でも大体方向定めてやるもんですから。そんなことあったんですね。

だからね、もう後残されたのはもう皆亡くなった方ばかり。気の毒やなーと思った。乗せられない、もう敵が攻めてきてからおれないから。そういうことあったんですね。

Q:鵜飼さんの船舶工兵の部隊は大体何回くらい行き来したんですか。

5日ぐらいに1隻、2隻。2隻は必ず連れていますからね。5日ぐらいに1回ぐらい入ったですね。で、やっぱりもとへに戻るときに昼になりますから、入港して空で行ってるんですね。そんなんで食べ物っていうのは、わたしらもクイの部落へ行ってバナナとかパイナップルとかそういうのもらって、タロイモもらってきて、それでなんとかしのいだわけです。よくあの酋長(しゅうちょう)もよくやってくれたですよ。助かりました。

だからもう分けあってね、とにかく死ねばもろとも。実際にね見てるとね、「隊長おかゆさん食べさしてくれー」言うてね。実際泥んこになってるでしょ、みんなそのままだから。その中でね、「隊長おかゆさん食べさしてくれ。一粒でもいいから食べさして欲しい」。食べてない証拠や、そんなに言うのね。だから、「食べさしてやりたいんじゃ、いくらでもやりたいけど何にもないんじゃ」って、「俺たちもないんじゃ」って。
「だから辛抱してな、芋でも食べてくれ」って言うて、タロイモっていう芋が主食なんですけれども。それをね出してもね、それよりか「早よくたばらんか」て。「くたばってね、行ったら靖国で待ってくれてんねん」て。「そこ行ったら、酒もあるで。ご飯もある、寿司もある。そやから靖国へ行け。早よ行った方がどうせね生けへんねん」て。「俺もね、生けへんねんから俺の席も空けてくれや」、って「待っててくれ」って、だから「向こう行ってね、行った方がええで」って言うとね、「はい、はい」って言うてるんだけども。それでも「おかゆ食べたいなー言って。せめておかゆ食べたいなー」って。ぼく(木)とやら人間とやらわからへんような、泥んこになったものがやせこけてね、こないようになって。だからわたしどもも一番行く前に、野戦に行く前には、目もね2コンマ0でよく見えてね、特に夜間の戦闘に訓練受けて、夜の戦闘に良く見えるっていう風な方法でわたしら教育受けたわけなんです。それどこじゃないんですよ、もうねえ。ほいで、「早よくたばれやくたばれや」って言うてね、もうこっちは「生きよう」って言うんじゃなしにね、「くたばれくたばれ」ですね。そういう風ななんだったんですね。それで、「うんうん」っていうごとに死んでいく。そのときに時間見て、あ、何時何十分やなって書いとかないけませんからね、メモに書いてはさんでおくんですよ。ほいで連れて行ってもらう。でもね、それが届かんのが多いんですね、そんなに書いていっても。そういう風なね、だからもう戦争は絶対いけん。こんなアホなことあるかいなって思ってね、

あのぉ、もうそりゃぁねぇ、みんなそら疲れてるもんね。食べ物ないでしょ、第一に。ほいでひげも、人間やらわからんような格好で生きてるから。なんとかしてこれな、後ろへね、こう下げてあげれたらな、と思って。まぁ、そのひとつの基地の任務をやっとったからね。で、それが完了してもう敵が攻めてきて、ブナ・ギルワに攻めてきたくらいの、もう敵が攻めてきて。後も上ってきたんですね。で、もうしょうがない、居れんから。ほれでもうこれが最後ですっていうことを、大発の最後の艇長から聞きまして。ほいでもうわたしらも引き揚げいうことで引き揚げたんです。

人間っておかしなもんやなって思たのは、行ってね、ずっと飛行場の縁を周っとったらね、尺八聞こえてくる。おかしいな、尺八って言うたら日本人しかないな、こんなところでなと思ってね、いっぺん行ってみようや言うてね、そこへ下士官とみんな連れて、納得さしてそこへ行った。そしたらね、日本のゼロ戦がジャングルの中に隠して上からかぶせとるんです。その車輪にもたれてね、尺八吹いてるんです。これはもうはっきり日本人てわかるから行ったらね、向こうはパッて先立ってね、「ありがとうであります」って敬礼してなんしたんでね、いやーわたしも少尉やて上下あるかいな言うて話した。申し訳ないんだけどね、恥ずかしいことを話さなわからん。わたしは昨晩、明日マルゴに出発せよと、敵の輸送船が通るからそれを攻撃せよっていうことで、10人前に出された。誰々、誰々、誰々っていうことをね。

そうやってね10名出された。で、恩賜のタバコとお酒をもらってね、ゆっくり寝て明日立派に死んでいこうということなんです。ところがね、夜、恩賜のタバコも頂いてお酒も頂いて、飲んで寝ようと思ってね、もう十分頂きましたって言うて、そのかわり遺書もなにもかも全部整えて、枕元へ置いてこれを持って帰ってもらったらええんやっていうことでいたんですが、寝られんって言うんですよ。「恥ずかしながら本当に寝られん、申し訳ないんだけど何のために教育受けたんだかわからへん、思っていてもたってもいられんから、自分の明日共にする飛行機のところへ来て自分の好きな尺八を吹きながら、その何をごまかしていた」って言うんですね。

あのときもう名前聞いときゃよかったのにね、アホなことしてね、名前も何も聞いてなかった。ただ同じ少尉やから、あのしとったんですがね。ほいで、「えらい醜態を見せて申しわけありません」って言うてね、「ご成功祈ります」って言うてね、別れてまた次いかんないけんので、時間までにいってこなきゃいかんから、警備にずっと周ったんです。もう4時になったらね、寝られんのですよ、わたしも。それで、しゃあない。もう飛行機へ行けって思ってね、飛び起きてね、4時に。そして将校を探した。そしたら向こうから飛んできてね、「昨晩の、すみません」って言うてえらいなんしたんけども、「もう心が決まりました。おかげさまで立派に死ねます」って言うたときにね、ほっとしたんですね。そうしていたときに、10機の飛行機のプロペラが回ってるんです。ガソリンがないがそんなに。行くだけのことで帰りはないです。行ったら、飛んだらもう、その前に故障でもあったらそらそれで伸ばしてもらえるでしょうけど、もうプロペラ回うてんねから、もう乗ったら終わりです。「お世話になりました」って言ってね、わたしにね、同じ少尉なのにそんなもん「行ってくるで」って言ってくれそうなもんやと思たけどね、もうその場はね、飛行機に乗られた。

それで10機揃ったんで、「ただいまから出発します」って言うね、「日本の平和をお祈りします」って言うてね、その無線が入っとったわけなんですが、そして無線室行きましたらね、しばらく向こう行ったんでしょうね、南の方へ。そしたら、「我敵艦発見せり、ただちに攻撃開始します」っていうね、で、「平和をお祈りします」って言うてね、その場はもうビーって鳴るんですね。もうおそらく目をつぶってこうなして行かんことにはね、なかなかそんなに簡単に死ねるもんじゃないですね。そいで、しっかり握ったまま、敵の軍艦へ体当たりに行くんだけども、それが途中でやられるやらなんやわからへんけども、10機ともね、ピーピーピーって鳴ってるのがね、切れるんですよ。その切れたときはもうその飛行機はやられたことになる。もう押さえてないから、上にモールスのボタンがありますけど。そいでそうやってもう10機とも切れてしもたんです。「あー、みんなな、もう死んだな」ってな、「元気で行ってくれたけども、どれだけ成功したんやらわかれへんけども、死にに行ったようなもんじゃ」思ってね。そのとき初めてね、「わたしはいつ死ぬやらわからんけども、何時って言われたらそらたまったもんじゃないやろうな」ってことを思うたですね。そうして、だから今のなにはわからんねそういうことをね、もうそのときも涙出てきてね、ええとこ行ってくれな。極楽行ってくれよ。ナンマンダブツナンマンダブツ。
もうね、だからわたしね今でもナンマンダブツのね、仏さんへ毎日お参りせんことにはね、できない。もう遠いときからね仕組まれとったんですよ。そうしてね、いたこともあったしね。かわいそうなことしたな、勝っとればね、まあよう犠牲になってくれたって言えるんやけれども、負けてね、クソカスに言われて、もう靖国のことも忘れられる。たまったもんやないなということをね、今思うんでね、

「捕虜十名余り海岸で銃殺してくれ」ということを連隊長から言われ、それのときにわたしは副官みたいな仕事をしとったんです。それで、そこへ海岸へ兵隊連れて、一番気の小さい、一番新しい若い兵隊をね、連れて行ったんですよ、十名ほど。そしてね、それを銃殺せないかん、命令やから。それで、海岸行くと砂浜でしょ。やわいからね、スコップでね、殺される者に掘らす。穴掘れって。ほいで十何名か穴開きましてそこへ座らすんです。そして目隠しするんですね。その後ろへ、穴の掘った後ろへ座らす。それで目隠ししてやるんです。そのときにね、後ろから、気の小さいもんばっかり兵隊をねやるんだけどね、それよう突かないんですよ、殺すのに。ましてやね、もっとひどいのになるとね、立ったままね目隠しせんとじっとこう立ったままね、前前、後ろ後ろって歩く訓練。それでね、剣先が胸当たるとくっとこう皆引っ込むんですね、怖いから。それを前前そうやると、こうひっくり返って傷つくでしょ。そうして前前後ろ後ろってこうやりながらしてるうちに、もうこうかっかしてくるんですね、そうなってくると。そうしたらね、大体いけるんですがね。突く時は「突けーっ」て言ったらね、後ろ向いてこうするんですよ。そしたら、まともに胸ようつかないんですよ。そしたらキャーキャー言うでしょ。それ後ろから行って、またこう、わたしが軍刀で首をはねたり色々せないかん。
そういうことがね、何回もあったわけなんです。ほいでまあ、こう突け突けやって、背中やからね顔も見えないし、どんなんやかわからんで座ったままこんなんしてんねから。それを後ろからつくんやからね、まともに心臓向けてこうやるわけなんです。でもね、あのときにそれやってみな殺した。そして全部埋めとけってことで、全部それ埋めて。そして、これで帰ろうっていうことで、まあややこしい奴が、これに書いてるやつがまた撮りに行きあるとかなわんがな。それで歩哨2名、気をつけてこれを朝まで監視して、いうことでわたし帰ったんです。

それから、岡部支隊っていうて宇都宮師団の部隊がワウ市っていう金山のところへ行ったんだけども、向こうのなにが非常にきつくって、もう帰らなけりゃしょうない、ということで下がろうと言うんで下がってきたんですね。

ところが、そのうちにやられてしもうて、やってるもんやから、弾も無くなる、何もかも良いことないっていうことでしたんです。それで、南海支隊のわたしの部隊が、あのぉ、ところへ言ってきたんですね。ほんで、あのねぇ、連隊には第1大隊、2大隊、3大隊ていう3つの大隊があるわけなの。

ただ、3大隊っていうのは大体予備隊ですけども、そういうところへ分散するなにすから、兵隊しょっちゅう変わるんですよ。ほいで1大隊、2大隊はね、きちっともう1小隊なら1小隊っていう、まぁわたしらの一小隊、大体70、80名の者が、ずっと初めから終いまで同じ行動するからね、非常に意思通じ、色々とその助け合うということができるんですが、わたしらみたいに残ってる者、「おい、おまえら来い」って言うて集めて、そいて行くでしょ。だからやりにくかったんですけどね。
で、そのときも岡部支隊を助けに行けっていうのは、「北村行ってくれるか」言うから「行きますよ」って。ほいでまた「兵隊何名おるの?」て言うたら「大体10名くらいやね」って。わたししょうがないなぁって思って。まぁできるだけ寄せようっていうことで、14.5名になったんですか。中におったんです。これじゃあいかんていうんで、わたしがクイで居った時の土人の人に連絡とって、そして応援に来てもらったの。で、これだけあったら、なんとか助けてきやれるやろうと思って。それで、サラモアまで来まして、サラモアからイオリバイオっていう所あるんです。そこまで行ったんですよ。

ところが、行って、それから山へ行こかって言った時に、海軍の一個小隊が全滅しかかってると。それを先助けに行けっていうことをまた命令きたわけなんです。「えぇ、だったらこりゃぁなぁ、それかて海軍の一個小隊なぁ、助けないけん」ていうことで、海軍、昼攻撃かけようかって。だけどね、草原地帯。もう木が無くて、草、草ばっかりのこう山が。大体100メートル位の高さでした。そこのね、ところへ昼行こうと思ったのよ。両脇にもう敵がこう待っとったの。そやから上がって行ったらそのときわたし機関銃、重機関銃持って行きまして、あの、2丁持って行ったんですよ。あの、サンヨウと思ってね、いて上がっとったのね。そしたら、バンバンバンバンて来るんですよ。「わっ、これはいかん。これはやめとこう」言うてね、一旦また下りまして。

ほいてその前にね、兵隊に、土人の人にね、お前たちだったら日本の協力者かアメリカの協力者か分からないから、いっぺんね、敵の上へ上がって行ってくれって。
そして、日本の大部隊がここへ今助けに来る、1個小隊の海軍がね、助けに来るから、大部隊やからあんた方危ないよ、言うたら必ず逃げるんですよ。彼ら賢い。ほいでそれを言ってくれとわたしが言うて頼んだら、まぁ土人の人が3人ほど行きましょう言うて行ったんですね。そして、あのぉ、先行かしたら、うまいことね、逃げてくれたんですよ。「そらぁ、今や」っていうことで、

夜もう7時か8時頃になったんです。行ったんだけども、スコールでもうズルズルになってきた。一歩行ったら滑り、一歩行ったら滑りしてね、もうそのときのもう厳しかったっていうのはね、「とてもじゃないこれなぁ」と思ったくらいね、したんですが。ようやく朝のね、あの4時から5時頃あたりです。その100メートルの低い山でも、ようようたどり着いた。そのときに、やれやれ、もういよいよと、敵はおらんと。逃げてしもてるから。部隊へたどり着く前にね、山へ、上へ上がった時にね、「隊長、もう殺してくれ」って言うて皆泣きながらね、しがみつかれた。で、「なぜそんな時殺してくれて、なんで殺さんならん」って言うたらね、「もうこれ以上ね、頑張れん」て。「もう死んだ方がマシや」って。ほれからどうもね、「ここでねもう皆一緒に死のうや」って。「ほやけど、海軍のところまで行ってないじゃないか」って。「我々の任務は海軍を助けるってことや。助けるために来たんじゃが。そんなにまで、僕も誰だってえらい。きついけれども、ここが我々の日本の軍隊のええとこじゃないか」って。「何のために来たんじゃ。」て言うてね。そのときにね、1人もうしかり飛ばしたんや。そいたら「もうここまで来たんやから、もうまぁ上るとこないんじゃから、行こか」って言って、行ったらね、全員待ってくれとってね。よかったなぁって思ってね。「一緒に帰ろうなぁ、迎えに来たんじゃ」言うて、その時わたしは、そのときに、やれやれと思って。ほやから、「あんたらはもう帰りなさい」言うて、もうイクンジラて。もう「わたしはまだこれから岡部支隊を助けに行かなあかん。その任務があるから、下へおりたらまた山へ上がりますよ。」っていうことで、そこで別れたわけなんです。

そして今度、その明けの日に、いよいよ岡部支隊が来るから、それを助けに行けということでしたところ、またね、後ろのなにが、あのぉなにがもう閉鎖されてね。豪州兵かアメリカか、その時は分からなかったですけどね、もう遮断されとったんです、後ろへ下がる。その山を越さないことにはサラモアへ帰れない。さぁえらいことになったなっていうことなんですが、ほいたらわたしが機関銃持ってるから、まだ弾そのとき少しあったんで、もう忘れたですけどね。常にやっぱり責任者は弾薬は何発ある、何百発ある。その中でここで何発使ったら残りがどれだけ、ていうことを常に頭入れんならんいうことをね、作戦要領にも載っとる、もうそんなねことを忘れてしもてね、なんにも、もう弾飛んできたらパパンて、撃て、撃てって、もうそういう風にしてね。ほいであの、一個小隊っちゅうのは2丁あるもんですから、一つ前へ出して撃ってるうちに、向こうは撃ってこない、その間に片一方がまたそれを通り越して前へ行く、というこの交互に前へ前へ進みながら行ったんですが、もうあと20M位だったの。「なんや向こうでガチャガチャ言うてるなぁ」っていうところまで。ところが尾根でしょ、高いとこ行かんとジャングルですから弾は飛ばない。だからもう上から見たら丸見えなんですよ、わたしらのもう暴露してしもて。そやけど作戦にオブネにも隠れた時から撃ってって言うてるけども、そんなことはもう思い出さないんですね、何でもやらないかんと思ってね。それで、その前やっとったんです。ほいで伏せていとったんやけども、あの、ポーンていう音がしたんですよ。「あっ、迫撃器ぞぉ、伏せぇ。」って言うてね、「頭を全部伏せて今の危ないぞぉ。」って言うてね。だから上から狙い撃ちなんですよ。ほいでわたしゃぁケガ人の後ろに行きましてね、「後ろに下がれ、全部下がれ。」って言うてね、そいで、あのもう機関銃を横にこう置きましてね。たらもう弾無かったんや、そのときには。そいで後ろでこう伏せておった。パーンと真後ろへ来たんですね。ほいてわたしが一番前、ほいであのぉ、両分隊長、1分隊長2分隊長が右、えぇ両脇へ。あの、土人の、その道の尾根って言うのはこの位の道しかないんですね、そこへこう皆くっつきおうて、あの、寝とったもんです。

ところがねぇ、その分隊長がね、「お前出てきゃいかんの。」言うてね、あとはもうここら辺まで来たように思とるんですよ。ここへ。ほいで後ろへね、副官がやってきましてね、その岡部支隊です。来てね、「どらぁ?」「弾はもうありません」て言ったんですよ。「そりゃいかん、それやったらウチからねぇ、他の部隊に来さすから、まぁそこで頑張ってくれと。言われたんでしとったんですが。もうそれから弾が落ちたもんやから、わたしは両足、後ろですから、真後ろへ落ちたんですね。そしたらその副官が目をやられたんですね。真後ろへ伏せたもんで。ほいたら両分隊長は二人とも、こうお腹やら出してちょうど頭やらがちょうどこのように出てたんです。お腹やられたんです。だから4つに割った空き地なんてこんなもんですわね。
その中に落ちたもんで、まぁ軽迫言うてね、一番ちいちゃな弾だったんですが、それも破裂したら、わたしでもこれ、あれやな、60いくつか、何発かね。この中に入っとったんですが。そんなのでね、わたしはもう足だけでやられたんですけど。もう、分隊長は「うーん」て言うたままもうモノ言わないですよ。もうしょうがない、後ろへ下がろうと思ってね。こうすりごで下へ降りたら、岡部支隊の部隊が横に居ったもんですから。それでまぁわたし助けてもろて、岡部さんに。それで岡部隊長に申し上げないと、報告しようと思って、岡部さんも地雷に引っかかってね、足やられて。今そこで休まれてるっちゅう。ほいでそこへ連れて行ってもらって。「申し訳ありません。せっかく来たけれども、もうここでわたしらもやられました」言うたら、「御苦労でしたなぁ、本当になぁ、よそで部隊からこうやって応援に来てくれて。皆さん戦死されてイクオさんらもほんとに申し訳ない」言うてね、えらい言われとったです。

もうわたしはそれで、しかしね、いのち冥加(みょうが)のあるのはわたしみたいなね、いのち冥加のある者は無いです。だから、後ろへ下げられて、ラエへ行って、ラエから潜水艦へ乗って行くで、っていうことだったんじゃけど、最後の潜水艦でしょ。そいでしかも、その、病院、陸軍病院行ったって、ただの縄の手綱をこう横へ張って、その中、ここが陸軍病院やっていうことだけしか書いてないですよね。そこへどんどんどんどん入ってくるし。だからね、わたしにね、特別に蚊帳をね、1枚用の蚊帳、彼ら船へ皆積み込んでるから。それでねわたしにね、あの、蚊な、さされんようにこれ、張りましてね、特別にね。上の上官がたくさん居てるのにね、わたしにこれをくれたの。そしてやってくださったの。

一番そのときにね、最後のわたしも戦車のそば、そばであったんですが、1人ね、「入れてくれんか、その蚊帳入れやってくれ。」って言ってきたもんおったの。その日に。そしたらね、誰かって思たらね、やっぱりわたしとおんなじそのときの少尉だったんですが。それがね、口から入りまして、ほいてここの胸で止まってるんですね、弾が。ほいで「ゴロゴロゴロゴロ」言うてるんです。「あぁ、どうぞ入ってください」て、わたしは広げてね、そこのわたしの台でこう寝たんです。とにかく、こう物を言えないんですよ、この口の中やから。それでこう、書くものをね、欲しているから、なんちゅってわたしの雑のうから出して、渡してやったらね、「お母さん」、あん時ね、しもたなぁ、聞いときたかったのになって思たね。「お母さん」て書いて。それから何か書きたかったんですよね。ところがそれでもうパタッと落したままね、ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴロゴロ、てそんなことばっかり。ここが息すんのが難儀じゃった。で、わたしが「衛生兵、衛生兵」言うて頼んで、したら衛生兵きましてね。もうこれは助からんわ言うて、もうこんなに苦しんだらね、とてもじゃない、大変じゃろと思うんでね。「もう早うお前らしてくれんか」と小さい声で話したらね、「分かりました。」って言ってね。ほいで衛生兵がそれを連れてね、向こう行って。「弾出してあげるよ」って言うてね。向こうで手術したんです。その手術はもう難しい、助かるっていうよりも早う死なしたる、いうそのなんですね。んでしばらくしたら、もう参ったよって言うて、「もうここへも来ませんよ」って言うたんで、「そうか、まぁそれはよかったわ。どうせね、わたしもまぁどないなるやら分からへんけども、いうそういうこともね、途中であったんですね。

やから、そいで潜水艦、120人生きた、先にあったあの写真にある、あの船に助けられたわけなんです。

ただ1人その当時にお世話になった土地の方でね、一人だけおったんです。そして、わたしの顔を見てくれまして、「北村違うんか?」言うてね、このまぁ、土人語で。「おぉ、懐かしいな。あんたに世話になって」。て言うのはね、もう引き上げて、敵がそのクイっていうところへ上陸した時に、わたしがね、一体どうしたわけだなと思って酋長(しゅうちょう)に話したら、この男が来て、「便所へ入れ」。便所っていうのは外側にこう穴開けてるんですね、深く。で、その中に深く放り込まれましてね、この男に。それで上から草かぶせられて。そこへオーストラリア兵が来ましてね、「日本ソルジャー居てるやろ」言うてしとったんです。「いや、もう皆帰っちゃった」ってことになったんですけどね。それで、彼に助けてもらったんです。唯一の人です。だからね、「よくなぁ、生きてあんたくれたなぁ」って言うて、まぁ色々と話してね。んでまぁ懐かしいし、「ありがたいよ」って言うて話したんです。

これがトロイヤンっていう酋長ですね。しゅう長が非常に大事にしてくれましてね、わたしを案内してくれたり、色々とお世話になったんですが。これが、家に連れていって頂いて、こういうごちそうを色々頂きまして、あの、したんです。で、この人のね、この方なんですが、酋長やってるわけなんですけどね。この人のお父さんがね、何したんで、あの、もう亡くなられてて。尋ねたんです。「あんたのお父さんどうしてるの。」って言ったらね、「もうダウンしとる、死んどる」って。だからあの、「墓へそれやったら参らせてくれ」言うて。これが、わたし助けていただいた酋長のお墓なんですよ。

例えば、あのぉ、2、3人ね、山の中で抱いて寝とるんですね、寝とるって死んどるんです。ほいてもう白骨になっとるんですよ。その、そういう、その広い便利のいいとこは、もう日本の兵隊の骨もありませんけどね。そういう風な山の頂上とか、崖っぷちのね、なんかそんなところでね、2人3人逃げる、その、逃げるじゃない、まぁその交代するね、ところのとこで、皆抱き合って死んでるんですね。それ見た時にね、「あぁなぁ、かわいそうなことしたなぁ。友だちはこうやって生きてるんやなぁって。迎えに来たでぇ、迎えに来たでぇ」ってね、したんだけどねぇ。もうね、この足のね、靴に、靴がまだね、こうぼろぼろになったままこうしてるんですね。そいで、「うわぁ、まだここに何年位、もう50年も経つんやが、ようまぁしかしこれ靴履いたままここでよう寝とったなぁ」言うてね。
「脱がしたるよ」って言うて、その靴のこの皮もう腐ってるんですから、もうぼろぼろになってる、こう開けましてね。ほいでこう中をこう突きましたらね、この位の骨が出てくるんですね。「あぁ、しんどかったやろ。足も痛かったやろ。脱がしてやるよ」言うてね、ほいでなぁ、「帰るんじゃが、一緒にな連れて帰るから、あの、見ながら寄ってくれやぁ」言うてね。

この間見せた。あの帽子にね、入れてね、その骨を。そいで、そういう不便な所ですから、その不便な所の下に、まだ下に上からわたしの帽子の中に入れて、ほいで「大事にしてくれよぉ」言うてまぁ、下へ降ろして。そしたら、あのぉ、下で受け取ってくれて。ほいてまたそれを上に放ってもらって。あのぉ、そうしてあのぉ、お骨をねぇ中へ入れたの。そこの高い、あの帽子あるやろ。いつもかぶってる。それ持ってきてちょうだい。よぅ、帽子。わかった?

そういうことでね、だからその帽子がもう随分役に立ったんです。そやからもう今にね、どんな、沢山あるんです。あるんだけどね、その帽子だけは絶対わしゃぁ死ぬまでね、かぶりたい。それで死んでもね。早う、持って来て。はい放って、放って。はい、ありがとう。

これです。もうこれはね、絶対よう離さんのや。もうこのままこう半分、開く。ほいてね、これわたし接いだんです。もうあのぉ古くなってる。ほいでここへこう入れましてね、だからね、みんなね言ってる、これ古くなって、もう去年のことです、「こんな帽子かぶって何や」言うけど、「これは大事なねぇ、わたしの宝物や」言うてね。これ自分でこれ縫うたんですよ。このぉ、こうもうこんなになってるんです。で、これだけは絶対離さへん。これ中入れまして、こうして上から放った。ほいたら土人の人があのぉこれを開けてくれたら、またこれをぱぁっと放って。だから年中、冬であろうが夏であろうがこれは絶対離せないっていうことでね、これも大事に置いてあるわけなんですよ。

これがホンマのわたしの命から2番目に大事なものやから、死んだときこれ棺箱の中に必ず入れてくれっよていうことをもう約束してる。だから冬であろうが夏だろうがね、なんていったって北村さんそんな汚い帽子やめて新しい帽子買いなさいよって看護婦さんによく言われるんですけど、それでもこれがわたしの命から二番目に大事なもんやからいうことでね、戦争のためにわたしは生きてきたようなもんじゃなって言うてから笑うんですけど、そのくらいまあ、思うんですが。

出来事の背景出来事の背景

【ポートモレスビー作戦「絶対ニ成功ノ希望ナシ」 ~陸軍 南海支隊~】

出来事の背景 写真日本軍将兵の9割が命を落とした“生きて帰れぬ”戦場ニューギニア。その口火を切ったのが昭和17年のポートモレスビー作戦である。
日本軍は、中部太平洋の海軍の根拠地「ラバウル」を連合軍の空襲から守るため、連合軍の航空基地があるニューギニア島の南岸「ポートモレスビー」を攻略する作戦を立てた。ポートモレスビー攻略を命じられたのは、南海支隊で、当初は海路ポートモレスビーをめざしたが、珊瑚海海戦の結果、ニューギニア北東岸のバサブアに上陸して、陸路オーウェンスタンレー山脈を踏破する総距離350キロの作戦に変更された。現地司令官は「攻略は不可能」と断じたが、大本営参謀・辻政信の独断で作戦は実行されるにいたった。
昭和18年8月、南海支隊主力がバサブアに上陸、兵士たちは一人当たり、20日分の食料を含む50キロの荷物を担いで、詳細な地図がないままジャングルに分け入った。そこは、道なき道で、樹上からから吸血ヒルが降り注ぐ密林だった。密林を抜けると、豪州兵が銃火・砲火を浴びせかけてきた。さらに、標高3000メートル級の山越えで、食糧も尽き、兵士たちは体力を失った上に、マラリアに苦しめられた。
出発から7週間、兵士たちがポートモレスビーを見下ろす「イオリバイワ」まで進出したものの、そこまでが限界だった。9月下旬、日本軍は「転進」を決定したが、マラリア患者、負傷者を抱え、豪州軍の追撃を受けながら険しい山道を将兵たちは撤退することになった。そして、食料を失った兵士たちは、木の皮や根をかじるようになった。
ニューギニア北岸にたどりついた生存者は、バサブア、ブナ、ギルワなどの日本軍陣地に拠ったが、連合軍の追撃で翌18年の1月までに相次いで撤退する。
南海支隊はこの作戦で、9割以上の兵士が命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
和歌山県日高郡田良町にて生まれる。
1938年
箕島商業中学校卒業。
1941年
現役兵として和歌山第61連隊に入隊。幹部候補生として豊橋予備仕官学校に入学。翌年卒業。善通寺師団配属高松防衛隊に入隊後。愛媛県新居浜市住友へ。監督官。
1943年
ブナ作戦の増援のためラバウルへ。ブナ陣地から撤退する将兵をクイ陣地で収容する任務に従事。
1943年
ボブダビの戦闘で足に負傷。内地還送後、善通寺陸軍病院に入院、手術。
1945年
高知護土部隊中隊長として勤務中、終戦。復員後は小売店業などを営む。

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ニューギニア(ポートモレスビー、ギルワ)

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