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タイトルタイトル: 「食物泥棒で処刑された兵士」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
名前名前: 野満 君男さん(金沢・歩兵第107連隊 戦地戦地: ミレー島  収録年月日収録年月日: 2009年10月30日

チャプター

[1]1 チャプター1 海軍防空部隊  02:23
[2]2 チャプター2 ミレー島警備隊  04:06
[3]3 チャプター3 激しくなる空襲  07:39
[4]4 チャプター4 陸軍107連隊の上陸  03:03
[5]5 チャプター5 米軍機の攻撃  03:42
[6]6 チャプター6 母親の顔が見えた  02:18
[7]7 チャプター7 食糧引き揚げ作業  04:57
[8]8 チャプター8 乱れる軍紀  04:02
[9]9 チャプター9 命をつないだ魚とカボチャ  02:35
[10]10 チャプター10 魚で中毒死した兵士たち  02:36
[11]11 チャプター11 投降を呼びかける船  03:12
[12]12 チャプター12 氷川丸  03:02

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年10月30日

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陸軍はゲートル巻いてね、それで短剣つけて外出しなくちゃいけないの、休暇で帰るときでも何でもね。海軍は、ほら、セーラーでしょう? 体裁がいいもんね、やっぱり、子ども心に。それはやっぱり海軍がいいなと。陸軍よりも海軍がいいって。

Q:かっこよかったんですね。

うん、かっこよかったね、やっぱり。若い人のあこがれではあったよね。それから、わたしが兵隊へ行ってから、みんな、中学がみんな予科練に行くようになっちゃったですね、17年、18年になってからね。それまではみんなもう、水兵さん、水兵さんですよ。

Q:上海に行ったときには、どういった役目を果たしてたんですか。

あのね、あのころみんな、ほら戦争がね、航空戦争になるというわけですよ。だから対空射撃ね。空。空を防衛する部隊に配属されたわけですよ。防空砲隊ちゅうね。だから防空砲隊に入って、で、対空艦艇のね、探照灯(=サーチライト)とかね、聴音機(音波を探知する装置)とかね、そういうあれが全部ある部隊に入ったわけですよ。そして、機銃に、わたしなんか、最後入っちゃったわけですよ。専門の飛行機撃つための高射機関銃ちゅうやつね、それに抜擢されて行っちゃったわけですよ。同じ同年兵でもね、探照灯に行った組もいるしね。いろいろほら、空の防衛するためのあれ、訓練を受けたわけですよ。

行ってからミレー島ってわかっただけですよ。66警備隊。あのころはね、84警といったのかな、66警、後で66警になったけど。

ここが滑走路ができてね、飛行機がバンバン来るようになっちゃったの。それで陸軍部隊とか何とかが応援部隊が来るようになって、だんだん大きくなってね、4000人近くいたんじゃないですか。最初は、我々が行ったときはね、やっぱり1000人足らずですからね。

Q:最初に島に来たときは、どういった、この島の重要性とか、任務の重要性みたいなものというのは、上官からは何か聞いてました?

いや要するに、まだね、滑走路がね、正式に出来上がってなかったからね。あの、韓国の人とか、やっぱり日本のね、設営部隊の方がもう何百人っていてね、毎日やってたですけど、滑走路をつくってたんだからね。戦闘機ぐらいは発着できてたけどね。まだね、数多く来るあれはなかったんですよ。格納庫も1つぐらいしかできてなかったからね。行ったときはですよ。

Q:このミレー島の役割みたいなものはどんなことだとか、説明は受けました?重要だとか。

説明というより何よりね、結局、この島を守ればね、一番これはね、日本の一番南だと。こっちから敵を入れるなという、こういう法則ですからね。だから、ここで陣地をつくって、よこすなというのが命令でしょう? 大本営としては。で、一番優秀な兵隊をおれは連れてきたんだって隊長は言ってたんだから。そう言うくらいですからね、その部下ですから、はいはいはいはいってやるほうだから。来るやつを撃て撃て。そしたらもうすごいあれが違うんですね、戦いがね。日露戦争の戦いと大東亜戦争の戦いって戦い方が違うんですから。それで、陸軍部隊が応援に来ても、小銃だけしかないのがね、何で戦えるかちゅう。敵前上陸して来たと仮定してもね、その前に叩かれてるからね、どうにもしょうがないんですね。
 その陣地だけは、みんなたこつぼといって、陸軍もね、みんな1人で入る、自分が入るだけの穴だけはみんなつくっててね。で、隣と連絡するように通路をずっと掘っていって、掩(えん)体壕ちゅうやつをね。逃げ道。それと、防空壕生活ですから、普通の建物に住んでたんだけどね、こんなことをして戦争できるって、勝つと思うかって言われてね。で、どうしてますかといったら、いや、どこの島ではみんな地下に防空壕に住んでるちゅう。それで、大本営から来た、天皇陛下の命令で来た侍従武官ちゅうのがね、こんな生活をしろって。すぐ土方してあれしろって。で、土方生活に入っちゃった。それがね、やっぱりもう少し早くしとけばよかったと思ったね。のんびり半年ぐらい構えたのがまずかったね。ただ訓練だけしてたから。防御ちゅう面はまるっきりなしに。それで、この海岸の砂利のあれをみんな、掩体壕を掘ってつくったわけです。陸軍さんが来て、ああ、あんなにつくるのかって、教わってつくったようなもんですから。大変だったですよ。

Q:最初、野満さんが行った当初は、島はそういう防御に対しては…

何にもないですよ。何にもないのとね、飛行場をつくってるんで、これは空襲があるなということは我々はわかったけどもね、あんなに数が多いと思わないから。5機や3機で空襲に来るんじゃないんだから。スズメっ子が飛んだようにパラパラ回ってんだから。で、上に哨戒機が行っててね、どこを攻撃、どこを攻撃といって向こうは命令してるわけだよね。そうすると、この飛行場をね、こっちからみんな飛行場を爆撃するわけですよ。こっちが外海というんですけどね、こっちからみんな突っ込んでくるわけ。わたしなんかここにいるから、こっちからこう撃つわけですよ。そしたら、アメリカさんは大したもんでね、高度が高いんですよ。4、000メートルぐらいから爆弾を落としてこう行っちゃうからね、高角砲で大砲で撃つんだけどね、もう下で爆発した。

最初の攻撃のときはね、偵察機でね、焼夷弾でこう落としてきたと言うんだよね、見張りに行った人の話を聞くとね。それでね、敵襲ちゅう号令がかかってきたわけ、夜中にね。わたしなんか寝てたけど、敵襲ちゅうから起きて。わたしなんか本部にいたからね。本部はちょうどこの真ん中なんです、こう桟橋があってね。ここからこの飛行場まで、まあ、材木がゴロゴロ、ヤシの木が転がってるところを自分の陣地まで夜中に走って行ったんだから。そして、やっと間に合って撃ち出したところが、もうほら、いなくなっちゃった。ずーっと高度高く行っちゃったですね。だから、弾を込めて撃つのは撃ちましたよ。撃つのは撃ったけどね、「撃ち方やめー」って。地上砲火を見せるなというわけ、敵にね。撃ち方をやめて、隊長が来たんでやめて、それが一番最初ね。それから、一番最初は偵察に来て、地上砲火を相手が見たわけですよね。それで、しばらくしたら毎日空襲が来るようになっちゃったの。もう18年のね、暮れになったらね、すごかったですね。

Q:ミレー島ではどういう武器で野満さんは戦ってたわけですか。

わたしは13ミリの射手だからね、13ミリ機銃ちゅうやつ。ちょうど親指のこのくらいの弾ね。これの射手をやってたんですよ。最初は二番といってね、弾込めをやってたの。それでほら、上等兵になったから射手になっちゃったわけ。射手の上はほら、下士官になって、長しかいないからね。だから、13ミリに対してはもう責任持たされてるわけですよ。掃除から何から一切合切ね。それで、自分より遅い兵隊が弾運びとか何とかやってるから、わたしは自分で指示しなくちゃいけない。機銃の長ちゅうのは下士官だからね、何もしなくてもほんとはいいんだけども、間に合わないんですよ。わたしがババババ撃っちまうから、弾込める(のが)。だから、わたしがその下士官に文句を言ったんだよ。そうしたらね、「おまえは兵隊のくせに下士官に文句を言うのか」なんて。

この地図で説明しますけどもね、わたしの機銃はね、ここにあったんですよ、地図で言うならね。この辺にあってね、ほいて、大砲と探照灯、電波探知機というのがここにあったんですよ。ここからここは、わたしの機銃陣地の距離はね、150メーターぐらいしかないんですよ。で、上空からここへ爆撃が来るわけですよ。大砲とね、高射砲と電波探知機とあるもんだから、みんなここをこっちから、外海から攻撃してくるわけ。これからこう。わたしはそっちをにらんでね、自分に向かってるように見えるんですよ。こう高度がね、2000メートルぐらいあるから、真っすぐここへ飛んでくるんですよ。ちょうどプロペラのとこにね、その焼夷弾、あれが行くようにねらってこう。これこそ、さっき言ったあれじゃないから、まともに来るやつを撃つんだから、そのまんま撃ってるんですよ。それで、ここで落としたやつ撃ったやつを、こっちに突っ込んで沈めるわけ。これは後でわかったことだけどね、何機もここに沈んでましたよ。わたしが落としたのか何か知らんけどもね、そこまで確認してないから。わたしは外海に向けてここを攻撃するやつを撃ってたんだからね。で、ここにね、3機4機撃墜してましたよ。魚とりに行って食うようになってから、魚とりに行ってからね、実際、その沈んでる飛行機を見て、そしたら、死んだ遺体が上がってきたやつをね、おれの靴を、って入っていった人もいたんだからね。航空兵の、アメリカの航空兵の靴。

情報は逐次入ってきたやつですね。そうすると、バンダのサクラが何機突入して何機撃墜したとかね、轟沈(ごうちん)したとか、そういう電報は入ってきてたですよ。だから、じゃあ、アメリカにはもう戦艦はなくなったんじゃないかなんて自分たちは思ってたですよ。

だから日本のね、大本営発表ちゅうのがね、あれをみんな信じたらアメリカも、イギリスでもね、船は1隻もないわけですよ。それで、飛行機は毎日ね、何百機って来るんだから。だから信用できないと我々が思っちゃったもん、第一。大東亜戦争がぼっ発する前はね、日英同盟でね、戦艦は5隻、巡洋艦は2隻、駆逐艦は10隻って、こう決めてあったんだからね。それを国際連盟で日本は脱退したんだから。だから戦艦はどんな国でもね、5隻か6隻しかないと思ってるんだから、こっちも。そしたら何隻ごう沈とか大破って情報が入ってくるでしょう。 アメリカにはもう船がねえんじゃないかなんて思ってたんだから、もう18年になってから。そしたらとんでもない。いくらでもある。

もう、陸軍部隊がね、言っちゃあなんだけど石川の部隊が来たときはね、もうほとんど焼け野原ですから。だから、どこへ住むのかなってわたしなんか思ってたんだから。そしたら、陸軍部隊の人は大したもんだよ。すぐ塹壕(ざんごう)を掘ってね、防空壕をちゃあんとつくって。そして、あのう、山砲ちゅうのかな、このぐらいの砲身の短い、弾の、このぐらいの弾が飛んでいく、ああいう大砲なんか持ってきてね、海岸にみんな外へ向けて陣地築いていましたよ。そうすると、負傷兵とか死んだ遺体なんかを運んでいくとね、「作業やめ、英霊に対して敬礼」なんて、作業しながらね、英霊に対して敬礼をやってましたよ、陸軍部隊は。海軍は全然そういうことをしない。どこで爆弾でやられて死のうがね、もうただ運んでいって置くだけ。陸軍部隊は、「英霊に敬礼」って、みんな作業してる人がね、みんな敬礼してたね、海軍の死んでいった方に対して。あれは陸軍は大したもんだと。海軍もこれは見習わなくちゃいかんなと思ったですよ。

Q:最初はそういう思いで、上陸してきた陸軍に対して見てたわけですね、海軍の人たちは。

ええ。だからね、糧食が、陸軍はどれだけ持ってきたんだろうかと思ってたですよ。わたしなんかは、そんなね、大勢の陸軍が来たって知らなかったんですよ。どこへ上陸したのかも知らなかった。そしたらね、夜になってね、「うちの兵長殿がね、タバコを海軍さんにもらってこいと言われまして来た」と言って来るようになっちゃったんですよ。「あれれ?」と思って、どこの兵隊だと言ったら石川の兵隊って、どこの兵隊と言やあマニラから来た兵隊だってね。そして、陸軍だから星が1つとか2つの人がね、来て。カワノ君なんかがね、「おれがやったんだから、野満さんもやったらどげんですか」と言うから、「おう、やるぞ」ちゅうて。おれも兄貴は陸軍だからちゅうて、「おれはやった」ってカワノが言うからね、「あんたがやったら、おれもやらなくちゃな」ちゅうて、「おれのタバコ、あそこにあるから持ってこい」ちゅうて持ってこさして。配給ので10箱ぐらい持ってたんだよ、わたしはね。そうすると、吸わない兵隊がいたから、わたしにくれた兵隊もいたしね。そんなやつを集めて10箱ぐらいあったからね、「じゃあ持ってこい」ちゅうて持ってこさして、それを2回か3回やりましたよ。

まず最初にね、爆弾ですよね。飛行場、こっちへね、ダッダッダッダッて何百の音がする。こう地響きがするんです。寝てて、ドンドンってこう肩が動いちゃうんだ。ダダダダダダッとB29なんかは40個ぐらい落としちゃうからね。爆弾を。それに夜は、ほら、夜間は照明弾を落として爆撃だから。ドシン、ドシン、ドシン、ドシン、ドシン、ドシンと音がするわけですよ。大体6機ぐらいの編隊で夜間爆撃ですからね。

うちの守ったところはね、やっぱ、海岸線だったからね、空襲があるんでね、外を眺めに防空壕から顔を出したら、これが持っていかれちゃう。首だけ持っていかれた。これは長崎の人だったけどね、あの人は外をながめてるなと思ってたら、なあに、こっちへ引っ張ったところが、首がないんだよ。首は、ほら、もっていかれちゃって。そういうふうに殺傷爆弾ちゅうやつ、バーッと。地に落ちたらすぐ破裂するやつ。だから首をちょん切られて、ない。きれーいにない。首出してたから出してた分だけもう切れちゃってる。そういう人もいたですよ、北砲台で。あれは19年の正月ごろでしょう。 それは。一番芝居のうまい人だったんだけどね、応召の。

Q:野満さんは、直撃とか、近くに落ちたということは…

いやいや、入り口に。さっき、ああ、そうか、おたくいなかったか。こう地下にね、防空壕に入って出口でこう寝てたの。もうまた空襲があったんじゃあ、機関銃まで走っていってね、撃つのは大変だからって。うちの中にいたんじゃしょうがないから、入り口にこうして寝てたの、壁によっかかって。そしたら、爆弾が入り口に落ちた。それで吹っ飛ばされちゃった。で、目をやられてね。そうして、やっぱり仮死するのかね、吹っ飛んでいってドーンとぶたれてね。で、目を覚ましてみたらね、「ああ、野満さんはここにいた」なんて、カワノあたりが騒いでるわけですよ。「どうした」と言ったら、なあに、「あそこで逆さになってたですよ」と言うんだよ。そしたら、目は腫れてね、目は見えないしね。そして、手はもうチリチリでもう固まってしまってね、ここから肩と腰。もうそのころは看護兵がいないから、薬も何も、ほら、爆弾で飛んでしまってるから、治療できないちゅうわけで。で、洗面器にね、海水をくんできて海水でこう洗ってもらって、看護兵に。そして、ガーゼをこう巻いてるだけ。だから、こんなになっちゃった。今でこそ、もうきれいになったけどね、あのころはほんとにウジ虫がたかっちゃってね。みんな負傷した人はウジ虫でやられちゃったんだ、体やられた人は。自分でとることができなくて。背中とか何とかやられてる人はね。わたしなんかは手だからよかったけど。

実際、マキン・タラワが玉砕したときにね、うちの島にも上陸するというあれはあったんですよ。だからね、みんな、北砲台はみんな、外海に一列にずーっと並んでね。あのう、探照灯とか何とかの人はこれはないから、自分の小銃しかないから。わたしは、対空撃つやつを平へ向ければいいことだしね、自分の陣地で守ってたの。そのときにね、いよいよ来ると思ったときはやっぱりわたしたちも覚悟したね。1つのね、雲を見てもね、あれがおふくろに見えちゃうのね。おふくろに見えたり、弟に見えたりね。自分の親子兄弟のことを思って。そしたら、みんなね「お母さーん」「じいちゃーん」なんて叫んでたよ。また、波の音がね、ザワザワザワザワするのが名前呼んでるような気がするんですよ。わたし、自分の名前を呼ばれたような気がしてな、「あれ? 今、おれの名前呼んだような気がしたな」と言ったら、「あ、おれもそうだよ」なんてみんなが言い出すようになっちゃって。「あの雲見たら、うちのおふくろにそっくりだ」とか言って、雲がやっぱり自分のね、おふくろの顔に見えちゃうんだよね。敵前上陸するときのね、相手ついたときの話。みんなもう、ここでまあ上陸して来るからね。隊長が大尉だった。大尉が隊長でね、「きょうはここで死守するから、おれに任せろ」というわけだ。「おれの命令どおりに動け」ちゅうわけ。「敵が来るまではそこで休んどれ」って。「来たら撃つから」って。その待ってる間が、波の音と石の流れる音でね、それでふるさとを思い出してね。みんながそう言ってたね。「ああ、おれ1人じゃないんだな、こういうことを考えるのは」と言ったら、「いや、おれもそうだよ。おまえもそうか」って、みんな。

それがね、19年になってからね、わたしなんか、ほら、泳げるから、糧食を取りに行ったんだから。まだ陸軍の戦車なんか入ってましたからね、倉庫に。それも潜ってね、こうかすかに見て、手さぐりで。で、糧食がどこにあるかわからんから貨物船の、あの、ハッチ(船の甲板の昇降口)ちゅうのがあるんですよね。ハッチのふたを開けて、それで潜っていって、それで足でこう触ると、あ、これは箱だな、これは何だなって、ソースだとか醤油とかわかるわけです、箱がね。八百屋とか魚屋にあるように箱があって、こう入ってるのがね、ああ、これは醤油、これは何って。カルピスがあってね、カルピスを上げて。そして、「もう飲めないだろう」と言ったら、「いや、ビンがしっかりしてるから飲める」ちゅうて。そしたら下へ潜っていったらね、今度は俵がいっぱい、ドンゴロス(麻袋)というね、きれがあって、ドンゴロスの中に米が入ってる。それを潜っていって綱でくくって上に上げてもらって。ここからここまで船で30分ぐらいかかるんですよ、船が沈んでるところからここまでね、桟橋まで。これを朝行って、夕方まで行って、こっちへ持って帰って、3俵か4俵ぐらい持ってきてたからね。その作業を、わたしやってたから。自分の機銃が、ほら、撃てなくなったから。

Q:何で引き上げようという話になったんですか、そんな沈んでるものを。

食いものがないから。食いものがないから、こういうのがあるからちゅうわけで。ほら、積んできて上げないうちに沈んじゃったんだから。戦車も沈んでるし弾薬も沈んでるしね。弾薬はもういじるなちゅうわけで。だから食糧があるから、見てこいちゅうわけだ。まあ言う人も言う人だけど、命令だからしょうがないから、わたしなんか行ったんだけどね。

18年のね、12月まではね、空襲はもうひどかったけどね、糧食だけはまだありましたからね。いよいよ糧食がなくなったちゅうのは、もう19年の半ば過ぎじゃないですか。それまではね、どうにかね、主計科がつくった鍋のあれを食ってたんだから。

ああ、沈んだ船ね、あれ荷揚げしてね。荷揚げももう潜っていけなくなったんですよ、深くなっちゃって。上へ積んでるところはどうにかね、ロープをかけて上げたけど、もう下へ潜ってロープをかけてるうちに息切れして、また上がんなくちゃいけない。

Q:どのぐらい深さはあったんですか。

7メーター以上でしょうね。わたしたちが8メーターから9メーター潜るんですよ。手をこうやって十尋(水深などを表す単位:一尋=約1.8メートル)ちゅうんですよ。そうすると、下へ行くだけでね、もうすぐ上に上がらなきゃ。すぐ上に上がるったってね、上の明かりの窓がね、小さく見えるからね。真っすぐ行ったんじゃ頭打っちゃうからね、船に。その明かりの見えるとこまで上がっていかなくちゃいけないから、あんまり潜れないんですよ。それで、1俵のあれを上げるのに、3回ぐらい潜ってやっとくくって、引っ張っても落ちないようにくくって、引っ張ってもらって上げてたんだからね。引っ張るのは引っ張る作業員がいたからね。

Q:命がけだったわけですね。

いやあ、命がけですよ、上げるのも。いやあ、3俵持ってこいと言われちゃうからね。3俵はどうしても上げなくちゃいけねえから。こっちも命からがら、沈んでる船まで行ってるんだからね。それで爆撃はあってんですよ。沈んでるから船へやらんだけで。それで、ここのとこを爆撃してるときは船の中でじーっとして隠れてなくちゃいけない。

Q:見つかれば撃たれちゃうわけですか。

撃たれちゃうわけですよ、あのう、船でも動かせばね。わたしなんか、伝馬船(木製の小舟)で行ってるから、伝馬船をね、動かないようにくくりつけてね。大変だったですよ。ほんとに命からがらの仕事だった。

ああ、倉庫はみんな泥棒ですよ。倉庫ってもう、会計倉庫というのはみんな泥棒がねらってるんですよ。泥棒がねらってるのと、もう会計は会計でね、自分、あれが仕事の材料がのうなっちゃうわけで、留守番して。だって、処刑された人がいるんだもん。ものの、食糧倉庫のあるところね、潜っていってね、掘って、砂だから掘れるわけですよ。スコップを持っていけば。で、夜な夜な潜ってね、1人で生活してたちゅう。見せしめでね、殴り殺されちゃったよ、その人は。わたしなんか、ああいうことはね、思いもよらなかったけどね、その人はやっちゃってたんだよね。で、主計科から注目されて、坑道を入ったところを捕まってね。そういう兵隊さんがいたんだから。まだね、食糧があったころだからね。まだ殺伐にならない前だから。まだ会計の、あのう、主計科の倉庫があってね、そこにものがあった。それをもう何ちゅうのかな、海軍ではギンバイ(銀蠅)というんだけどね。ギンバイ。ギンバイしてこいと言われちゃうんですよ。主計科へ行って砂糖をギンバイしてこいって、かっぱらってこいと言われちゃうんですよ。そういうあれでね、人に言われてやって、自分1人で覚えて食ってたのかしらんけど、1人で食ってて、1人で逃げてたらしいんだよね。いつもなくなるからちゅうわけで、主計科がそこを張ってたわけですよ。そしたら、案の定入ってきた。入ってきたから捕まえたちゅうわけで。そしてね、処刑された人がいたですよ。それはわたしの目の前で処刑されたから、それは知ってるけどね。見せしめちゅうところで。それはもうあすこの、福岡の人間でね。

軍人がね、軍人じゃないんだから。生きるためにおまえたちは分散しろだからね。ここじゃあおるな、向こうの島に行け。あっちへ行け、こっちへ行けだから。偉い人も食うのはなくなっちゃうんだ、もう。昔は、将校といってね、将校は将校クラブで別に食事やってたの。その別の食糧も何にもないんで、もう一般並みになって、で、元気のいい兵隊を2~3人連れて家作っているだけだもん。で、若い兵隊が魚取りに行ったりなんかして食わしてるだけで。だから、もう19年に入ってからはほんとにね、何ちゅうの? 軍律なくなっちゃったね。もう強いもの勝ち。魚なら魚取れるものが大将。カボチャならカボチャを作るのか大将、まあ一番偉い。そこに頭下げて行かなくちゃカボチャもらえねえんだ、みんな。

うちのタカイワという島はね、魚は取れるわね、カボチャは取れるわ、もう充分だったから。それで、終戦になったから内地に帰るといったら、若い兵隊はね、「恩給がつくまでおれはここにいる。あと1年、2年」って頑張ってたもん。「もう野満さんあたりは恩給がついたからいいじゃないですか」と言うんだ。「おれは足らねえから、あと1年おれはここにいる」なんて冗談言ってた人がいたですよ。こんなにカボチャが取れてちゅうて。また、山ほど取れたんですよ。8月になったら取れ始めたの。あれが遅かったね、タカイワも。もうちょっと早く作っておればほんとに何人かは生きて帰ったと思うけどね、遅かったよ、もう。

Q:島ではやっぱりいろいろあったわけですね、そこの島では。

タカイワですか。いいや、何たって爆撃されてないから。だから自分でヤシの木を倒して畑作って。だから、わたしたちが行ってから作り始めたんで、なるまでは、ほら、半年かかるからね。

Q:それまでは何で食いつないでたんですか。

やっぱり魚ですよ。魚とね、あれしかないもん。何というのかなあ、あれが取れたんですよ、クズ。クズが取れたんですよ。ジャガイモみたいな根が、根があってね、それをトタンでするんですよ。そして乾かして粉にしてね。それを焼き餅にしたりなんかして食ってたですよ。そういうことまでしてたですよ。だからほとんどの、あのジャングルの、ジャングルちゅうとおかしいけど、珊瑚礁の岩をこう掘っちゃって、小さなあれをこう・・ぐらいにこうこすってね、粉を作ってあれしましたよ。そしたらね、魚がだんだん取れるようになってね、魚の取り方がうまくなってきたんだ、みんなね、なれて。

19年の12月の23日の夜食。あれに書いてあるでしょう。たしかあれに書いてありますよ。だから、12月の23日に亡くなったのは皆、毒魚だから。

それで毒がわたしの体に、ほら、毒を消すヨザイがあったんじゃないかとわたしは思うんですよ。

Q:同じだけは食べたんですね。同じ時間に同じだけを食べた。

うん、同じものを食って、わたしだけだから。みんなすやすや寝てるのに、わたしだけが腹を壊しちゃったんだ。だから、みんな人が寝てるのにおかしいとわたしは思ったんだよね。そしたら、それと同じ状況なんです、あの毒魚を食って亡くなったのは。みんなトイレに行くんだ。トイレに行くときに倒れて、みんなトイレに行く途中で倒れて。それで食って何時間、早く亡くなった人、遅く亡くなった人といるだけで、十何人ぐらい亡くなってんですよ、その23日のうちにね。だから23日の夜食ったんだから。夜ったって5時ごろですからね、夕飯は。5時ごろ食って、もう明日の朝はみんな死んじゃってんだから。

わたしがね、一番最初タカイワに行ったときにね、行った夜ね、火薬をぶち込んでバーンとやって魚を取ってきて、その行った夜、食ったわけですよ。わたし1人で、当たったのが。もうみんなすやすや寝てるのに、こっちはね、一晩中トイレ、下痢。だから、それでね、何か予防ができたんじゃないかと思うんですよ。で、毒魚を食ったときにね、まあ神経はバカになってしまったけども、2人生き残ったからね。2人生き残って、1人もとうとう後はまた魚食って亡くなったけどね。それもわたし1人だけども。今思えばほんとね、一番最初タカイワに行ったとき夜食った、わたしたちが取った魚を食ったのがね、それが予防注射みたいに効いてたんじゃないか、体がなれてたんじゃないかと思うんですよ。毒魚を食ったときにね、わたしが残れたちゅうことは。

何回もありますよ。だって、逃げていく、もう8月いっぱい待ってね、もう9月になったらわたしたちだって行こうと思ったもん。すごいにおいだもん、すき焼きのにおいプンプンさせるんだから。こんな小さな島でしょ。風上に船が来てね、ボンボカボンボカ、そしてデッキでは踊ってるのが見えるんだから。

女を見せるんですよ。女に見せるんですよ。男がやってるかなんかしらん、わたしたちから見たら女に見えるわけ。結局、ほら、髪が長くてこうやってるから。それで、こういうのをね、毎日やりますよちゅうわけだ、こっちへ来れば。だから、アドック船(?)にはね、これはほんと、みんな悩まされちゃったね。


これから言うなら500メートルぐらい、500メートルかい、200メートルぐらいだろうね、沖合、この沖合、これでやって見せるんだもん。レコードをバンバン。レコードが聞こえるんだから、せめて距離が遠いとしても200メーターぐらいでしょうね。そこまで接近してきてやるんだから。「皆さんは戦死を、餓死したのを戦死と偽られてよろしいですか」なんて日本語で言うんだもん。「いつでも来てください。迎えに行きますから」って、ボートがちゃんと迎えにくるちゅうんだもん。アドック船って、なあんも何回も。もうこれはね、19年になってすぐ来始めたですよ。

Q:タカイワで?

タカイワで。もう、最初はね、逃げたら撃つぞってわたしなんか言われてたから。で、撃つほうにわたしなんか回ってたんだから。それが、「ああ、もう8月いっぱいこういう生活だったら逃げていこうじゃないか」なんて、「アドック船が来たら今度は行くぞ」なんて、みんなで冗談話にしてたんだから、そのくらいだから。だから、ほんとね、8月過ぎたらね、行ったかもわからんですよ。またね、アドック船につれられて行った人がね、自分の名前で、ほら、呼ぶんだもん。「おれはだれだれだって、北砲台の野満来い」って。「北砲台の野満来い。おれはだれだれだい」なんて。おれはこうして、今、ここにいるぞ、あそこにいるぞちゅうて、どういう生活してんだって、うまいもの食ってんだぞなんて名指しで来るんだから。それで行きたくなるんですよ。だから、名指しで来たからね、8月いっぱいまで待とうって。そして7月中は我慢したんですよ。こんなに苦しければって。そうしたら、カボチャがボンボコボンボコなり出して、もう、何で逃げようか、逃げんでいいちゅうようになっちゃったんですよ。そういう運のめぐりちゅうのかな。あのまま続けば、ほんとね、9月1日ぐらいに逃げたかもしらんね、あのアドック船が来たならば。

あ、(終戦を)聞いたのはタカイワでね、あのう、ここから隊長が来てね、で、録音放送を聞かされて。「ああ、そうか、終わったのか」ちゅうわけで。

Q:聞いたときって、終戦を迎えたときって、どう思われましたか。

いや、もう空襲がないと思ったら、「ああ、そうか。よかったな」ちゅう、それだけですよね。降伏しなくてよかったなって。

まさかアメリカには連れていかないだろうなと思ったですよ、氷川丸って書いてあるからね。とにかくほら、みんなミレー島にいるのは栄養失調で、もう死んじゃうからちゅうわけで、早く来いちゅうわけで、ほら、病院船が来たんだからね。だからみんな、わたしなんか、ほら、一番最初にリンゴをもらったもの。リンゴを1人に1個ずつ。リンゴを食ってね、それで、徐々に飯を食うようにと言われてね。だから、氷川丸が来て乗船して、夕食が出たのにね、食えないんだもん。半分しか。量は少ないんだけど、それのね、半分しか食べられない、胃袋が小さくなってるから。雑炊みたいのばっかり食ってるからね。

戦争に生き残れたちゅうことがね、最高だね。これで、例えば、わたしの戦友が亡くなったけどね、ほんとにね、米の飯も食わずに亡くなってかわいそうだといって、うちのかみさんと行ってね、お線香あげに行ったけどね、おみやげいっぱい持って。ああ、これ食いたくて食えねえで死んだんだなあ、今、生きてるなら、どんだけね、あれかと思って。だから、わたしが1人生きてるもんで、死んだ戦友のうちに墓参り、ずっと日本全国、わたしは行ってきてるけどね。みんなそのうちから言われますよ。うちのせがれがね、足でもなくて、だるまさんでもいいから、そこに座っているだけでいいって。「おたくはよかったね」ちゅうから、「ああ、命拾いしました」ちゅうて。毒魚食ったんだけどね、わたしだけ助かりましたちゅうてね。だから、ご先祖がよかったからじゃないですかね。もうそのあれしかないもん。何も、助かるも何も、運がよかったちゅうことね。何回死んだかわからねえもん、わたしは。

出来事の背景出来事の背景

【飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~】

出来事の背景 写真日本からおよそ4600キロ離れた太平洋中部ミレー島(マーシャル諸島のミリ環礁)。太平洋戦争中、5700人の日本陸海軍将兵が送られ、3100人が命を落とした。

このミレー島は、戦況の悪化とともにアメリカ軍の支配地域に取り残された。そのため2年近く補給が途絶え、兵士たちは耕作地のほとんどない環礁の島での自活を余儀なくされ、飢えのために次々と倒れていった。
多くの犠牲者を出したのが、石川県金沢市で編成された陸軍歩兵第107連隊第3大隊。この部隊が派遣されたとき、島にはすでに3000人を超える海軍部隊が配置されていた。補給が途絶えた島に駐屯した陸軍と海軍。食糧不足が深刻化すると、同じ日本軍でありながら、両者は食糧を巡って激しく敵対するようになり、食糧を盗んだ兵士が射殺されたこともあったという。

さらに、米軍は上陸してくることはなかったものの、海で漁をする兵士を機銃掃射の標的にした。

昭和20年(1945年)になると、第3大隊1000人のうちおよそ半数が亡くなっていた。
そうしたなか、同じ部隊同士でも食糧の配分を巡って対立するようになり、大けがを負わされた部下が小隊長を射殺する事件も起こる。先行きに絶望した兵士の中から自決する者も出た。

終戦後、第3大隊の生存者が島を離れることができたのは、昭和20年9月29日。復員船氷川丸に乗ることができたのは、300人足らずであった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1923年
生まれる。
1941年
入隊。上海に駐屯
1942年
上等兵としてミレー島
1945年
中部太平洋ミレー島にて終戦を迎える。
 
戦後は警視庁にて勤務

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ミレー島

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