ホーム » 証言 » 依田 三雄さん

証言証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る証言一覧

タイトルタイトル: 「重傷を負い取り残された」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
名前名前: 依田 三雄さん(第1師団 戦地戦地: フィリピン(レイテ島)  収録年月日収録年月日: 2006年7月

チャプター

[1]1 チャプター1 レイテ上陸  01:38
[2]2 チャプター2 米軍機の来襲  05:59
[3]3 チャプター3 補給が絶たれたレイテ島  04:14
[4]4 チャプター4 交戦中 ヤシの実を拾う兵士  04:01
[5]5 チャプター5 斬り込み命令  08:22
[6]6 チャプター6 依田さんは斬り込み攻撃で被弾、腕を負傷した  05:19
[7]7 チャプター7 傷にわくウジ  01:43
[8]8 チャプター8 2度目の負傷  06:02
[9]9 チャプター9 ジャングルで見た 故郷に帰る夢  07:36
[10]10 チャプター10 米軍の野戦病院へ  04:11
[11]11 チャプター11 思い知らされた日米の物量の差  01:44
[12]12 チャプター12 遺族に伝えたい戦友の最期  02:16

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
収録年月日収録年月日: 2006年7月

証言をご覧になる前にお読みください。

再生テキスト再生テキスト

いや、それはね、上陸して、敵前上陸っていうのをして、初めて、日本の前に上陸してる部隊がね、敗残兵のような格好をしてみんな山から下りて来る。それを見てね、この島は、とてもアメリカにね、包囲されてやられてるなってことをね、初めてそのとき「ああ、日本はこれは大変だな」とは思ったね。敗残兵ってのがみんな、日本軍は、銃を持ったり持たないような人が、みんな下ってきたから。

Q:その敗残兵がどんな様子だったか詳しく…

敗残兵ってのはね、本当に痩せてね、食料はもちろん無いしね。食料は無く、そして本当に身の回りも軽い、それからボロボロの服になってね、痩せてね、ひげなんかはもちろん剃るあれは無いからね。そしてみんなフラフラ、フラフラしてね、山をこう下って来るんですよ。

もう上陸してね、3日目ですか。すぐですよ。休憩して、そこでロッキードっていう胴体が2つある飛行機ですね。あれがね、4機から5機で来てね、機銃掃射をね、こっちで休憩してる広っぱらへ来た時、機銃掃射を受けてね。そのとき初めて、戦闘ってものはこういうものだなと思ってね。それから木の下へもぐる人、そしてまごまごしてもぐれん人は、そこでみんな機銃掃射でね、やられてね、そして戦死、大勢したんですよ、そのときは。それが最初のあれだったですよね。まあ相手が飛行機だから、こっちから撃つっていうことはできんからね。ただ身を隠すだけで。それが第1回の戦闘っていうわけでね。

Q:一方的な攻撃を受けた。

ええ、相当、戦死者が出たからね。

Q:そのときに依田さんはどうやって助かったんですか。

それはね、この班長っていうんですか、軍曹と2人でね。大きなヤシが倒れてるんですよ、あちこちにね。そのヤシの下へ、50メートルばかり駆けて行ったかね。そうしてそのヤシの下へ2人でね、そっと潜った。それが、弾を受けるあれを防いだんじゃないかね。太い、60センチぐらい、直径ね、あるような太い木がいっぱい倒れてるから、その下に潜ったんですよ。そして機銃掃射が終わって、そこへ帰って来た戦友がね、みんな頭をやられ、そしてのどをやられ、脚を撃たれて。そのとき、ほとんど出血多くてね、冷たいようになってたね。戦死者が大勢いたんで。

みんな出血が多いからね、水をみんな欲しがってね、いるんですよ。騒いでね。本当はね、「水をやっては絶対にいけないっ」ていう上からの命令、達しでね。だけどね、あと1分か2分で水をやらなければ亡くなるんですよ、出血が多いと。だからね、自分は上の人に隠れてね、水筒を持たせたんですよ、何人にも。ところが飲み始めると、水筒を離さんで。冷たくなっててもね。それから強引にね、取るとね、取れば2分か3分で、みんな息をひきとっちまうね。出血多量でのどがかわく、それで水をちょっとでもやるとね、出血が多くなる、早くなるんでね。だからね、上からは「やっていけないっ」て言うけど、やらなければ出血多くて、のどが焼けるように熱いらしいですよね。そして苦しんで3分か4分でもね、苦しんで。そして結局はみんな亡くなっちまうんですよ。だからそういうのは初めて、そういう経験をしてね、「なるほど、出血するとのどがかわいて水が欲しいんだな」っていうことが分かってね。それからね、本当に苦しがってる人には、水やるようにしたんですよ。

Q:目の前で亡くなっていく戦友を見て、どんな思いだったんですか。

別に、亡くなっていく人は、まあ2、3回ぐらいずつくらい声を出してね、お母さんのことを呼んで亡くなっていくけど、別に悲しいっていうことは。こんなこと言うとあれだけど、何も思わなかったね。そのくらい、自分もほとんど気があれじゃないですか、おかしくなるってことはね、そういう考えになっちまうんだよね、気持ちが。だから戦友が亡くなっても、何とも思わないしね。もっとも、亡くなった人をまたいで前進するからね。

Q:戦友が死んでも何とも思わないような精神状態だったのに、水をあげようっていうことができたのは、何でなんですか。

それがね、本当に出血が多くて水を与えると、安らかに亡くなっていくって話は聞いてたからね。かえって苦しむよりはそれの方がいいだろうなと思ってね。

上陸してね、1週間ぐらいたった時にね、「食料受領」っていうのを本部の方へね、もらいに行く人がね、何人かいるっていうわけで。行くっていうわけで。だけどその人がね、帰っちゃ来んていうわけで。「食料受領」に行ってもね、帰ってこられないで。もうどんどん、どんどん、山のやぶの中を、前進してしまうからね。だから食料っていうのはね、1回も届いたことがないので、食べるものが。上陸するから。

Q:上陸する時にじゃあ持たされたきり…

ええ、それだけで。それだけでね、全然食料は来なかったで。

Q:上陸する時に持たされた食料って、何をどのくらい持たされたんですか。

乾パンをね、いつも決まっただけでね。乾パンだけだからね。

Q:乾パンをどのくらい。

乾パンなんか、2日か、少しずつ食べても3日くらいしかないでね。

Q:1回に食べる量っていうのは。

1回に食べる量っていうのは、小さい袋をね、これくらいの袋をね、ひとつですよ。それで小さいこれの中にね、このくらいの小さい乾パンがね、固いのが入ってるで。

Q:それが何袋くらい持ってたんですか。

3つくらいでね。食料はそんなものだからね。だから腹減ってくるとね、沢山食べる人なんかは1回で食べちまうで。それから行きながら道ばたの山の中に、ここらで言うサトイモみたいなイモがある木があるのでね。そしてそういうのを掘って、生で食べるとかね。木の実があれば何でも取って、みんな生、火は一切使えんからね。煙は絶対禁物だから。敵にすぐ分かるからね、煙は。だから生のイモを取って食べたり、向こうの水牛を捕って食べたりね、ニワトリを食べたりなんて人がね、大勢いたんですよ。

Q:水牛とかニワトリっていうのは、現地民の。

ええ、現地民のね。ニワトリなんかはね、すぐ捕まえてね、それも生でね、みんな食べるんだから。だから病気になるんですよ。アメーバ赤痢ってね。あの赤痢は下痢がひどいので。一日にきっとアメーバ赤痢は、(トイレに)20回も30回も行くんじゃないですか。何でも20~30メートル行くともう始まるね。座ってしまうんですよ。そういう人は長くは一緒に行動できないですよね。アメーバ赤痢になるとね、2、3日でね、ほとんど歩いた縁へね、座ってしまうからね。座れば結局みんな、座って亡くなってしまうっていうね。だから餓死~食べなくて亡くなる~餓死の兵隊が、本当に大勢レイテにいたですよ。

一番近くで敵に遭った時はね、50メートルよりもっと近いですよ、このときはね。だからね、そのときの撃つのは小銃ばかりで、機関銃の人は少し前に行ってるけどね。そして我々は小銃だからね。1発撃っては、今話したように、木の周りをみんな回って歩いて。このときにね、ほとんどの戦死者が出て、我々の小隊長もここでけがしたんですよ。キクシマ少尉ですか、小隊長がね、ここでけがしてね。そして少年兵2年兵ぐらいの人がね、食料っていうのが全然無いからね、腹減ってね。向こうで機関銃とか砲を撃ちこんでくるとね、ヤシが落っこちるので、大きいのがね。そうするとね、腹が減りすぎてヤシを拾いに行くんですよ。そうするとね、拾って抱えているのを後ろからみんな撃たれてね、死ぬ人がね、少年兵2年兵なんかでは多かったですよ。腹減ってね。もっとも、上陸するから食料が全然受け取らんからね。もらわなかったからね。だから自分でどんな木の実でも根でも取って、食べると。

Q:それは戦闘中にもかかわらず、そういうヤシの実を食べに行ったりしてたんですか。

それはね、幾日も幾日もね、何も食べずにいるとね。そしてヤシの実が落ちると、それを本当に食べたくてね。そして5メートル、10メートル飛んで行ってね、抱えて来るんですよ。そして抱えてそれを食べようかと思って。抱えて帰って来るのを、後ろからみんな撃たれてしまうからね。そういうのがね、目の前で見てるからね。

Q:それは米軍に包囲されてるって分かっていて、そういうことをする。

依田:ええ、そうですね。米軍はね、目で見えるからね、ずっと前にいるのがね。そこと向き合って戦闘している。そうしたらヤシが落ちる。そうすると腹が減っているから拾いに行く少年兵なんかがね、大勢いるっていうわけで。

Q:出て行ったら撃たれるっていうのは分かっていて。

ええ、分かってるでね。それでも出て行って拾いに行くっていう人は、ほとんど拾って来るのが成功するっていうふうに思ってるんじゃないですか。「大丈夫だ。俺は撃たれん」っていう気できっと拾いに行くんじゃないですか。だからそういうのを目の当たりで見てるからね。

Q:もう正常な判断ができなくなってるっていう…

そうだね。ええ。腹が減りすぎてね、何も食料が、自分で何かを見つけて食べなければ何も無いんだからね。何でも口に入るものがあれば、何でも食べるという。

この作業隊にね、斬り込みの命令が来たのは、きっと11月の20日近所じゃないですか。そのころね、その前日に、この海抜200メートルか何度の山でしょ、ここにあったのが。その山の向こう側がアメリカの陣地があって。この裏にね、1小隊が、裏の8合目の所まで行って、家を破壊して。それで夜明けに、ここ200~300メートルはあるかね、そこの陣地へ切り込んだってことですよ。この切り込んだ時は、相当戦死者も出たけどね。これは一応、アメリカの兵隊は海へみんな、水陸両用(車)でね、みんな逃げちゃったんだけどね。それで…

Q:ええ、その斬り込みっていうのはどんな状況だったんですか。

この斬り込みってのはね、こっちは何とも思わないけど、ただこの陣地を必ず明日の朝ね、斬り込むから、必ず取れというあれでね。それからそこへね、200メートルばかりだから、山下るに、声は出さなくてね、ダッとみんな銃をみんな撃つばっかりにして、剣をつけてね。そうしてこの陣地って言っても、天幕、幕舎の兵舎でね。この中へ入るんだけどね。途中まで行ったら向こうでも気がついて、撃ってくるっていうわけで。それでこっちでも撃ちながら下る、向こうじゃその幕舎でどんどん撃つ。それで最後に幕舎へ切り込んで。切り込んだ時はアメリカの兵隊は、とてもかなわないとなると、みんな逃げちまうってわけで。それから水陸(両用車)でね、さっと逃げちゃったからね。それで全部逃げたから、これはここへは来ないなっていうあれでね。それから、ここに長くいるわけにはいかんからって、前進するわけですよ。次の陣地の方へね。

Q:あと、斬り込みなんですけども、要は日本軍はどういう武器を持って突入した…

武器。小銃だけですよ。小銃にね、この、剣をつけて。それから、そういう教育だったけど、剣をつけて、本当に近くて撃てない時は、剣で突くというね、相手を突くということだけどね。ほとんど、突くなんてことはほとんどできないでしょう。まあ、小銃でどんどん撃っていくんだけど。向こうじゃ機関銃でどんどん撃ってくる、こっちは小銃で撃つんだからね、とても撃つにはあれだけど。

もうアメリカの兵隊が逃げればね、「ここは日本が占領した」っていうのを、気持にはなっちまうんですよ。何でもアメリカのいる所に日本が行って、アメリカがもうそこを移動すれば、「ああ、ここは日本軍が占領した」ということを思って。それから、どんどんどんどん前進する以外には無いっていうあれですけどね。そして前進したんですよ。

Q:このとき点では、やっぱりアメリカの武器の方が圧倒的にっていうのは分かってた。

ええ、本当にね、日本は三八(式)歩兵銃で、雨季だったからね。赤くなって、1発撃つにも大変で、さびちゃっててね。いつもはちゃんと手入れをする、手入れなんかするあれなんてできんからね。それでアメリカじゃあ機関銃。機関銃でも自動だからね。だから1発撃てば何でも向こうじゃあ、2人か3人でダーっと撃ってくるね。100発くらい来るよね、弾がね。だからうっかりね、木の無い所じゃね、こっちから撃てんですよ。太い木があればね、相手に向かって撃つ。そして向こうからバーっとくれば、反対の方へ隠れるからね。まあ隠れるって、絶対立っちゃいられんからね。伏せたまんま、その木の周りを、右左どんどんどんどん、弾の来ない方へ動いてね、木の周りを。だからこういう所、みんな切れちまうんですよ。ずってね、右左行くから。だからそのときは、とても日本でも機関銃があるけど、日本の機関銃なんかと向こうは違ってね。戦車からボンボン撃ってくるからね、逃げても。全然、兵器が違うからね。

斬り込みに行くに、アメリカの兵隊が下から撃ってくる。これで先頭行く人はほとんど戦死でね。平らのとこじゃ割にいいんだけどね、山じゃこう下るにもね。下る時はね、みんな同じとこを下っちまうんだよ、沢をね。だーっとこういう風に。そして下から撃ってくるから、前の人はみんなこう戦死してしまうね。頭に当たってね。

Q:後ろにいてかろうじて助かった人も、相手を傷つけることはできたんですか。

それは後から後からね、前の人が戦死して、ずーっとその後行くね。そして相手は逃げちまう。そしてここでケガした人なんか、もうねえ、全然手当を受ける人は1人もないっていうわけで。ここでもね。ここでは衛生兵ってのはいなかったので。

Q:じゃあそれこそ、亡くなった方だとかケガ人を踏み越えて…

ええ。全然ね、手当っていうのをした人ってのは1人もないですよ。

Q:その人たちはじゃあ、もう置いてけぼりなんですか。

ええ。みんな置いてっちまうのね。だからケガをえらくしてね、これはまだ息してるなと思ってもね、その人を何とかして連れていかなくっちゃっていうあれがないんでね。前進の命令が下ってればね、どんどん前へ進む以外にはないっていうわけで。だからね、動けん人はみんな置いてけぼりを食っちまうんですよ。まあ悲惨なもんでね。こういった戦闘は。

朝ね、川を渡って、そして夜明けにこの川をね、夜が明けたから川から出て。それから自分はこの川から出て、湿地帯がここに、一面にあるからね。そこへ行った時、今度は敵にまた撃たれた。そのとき、初めてけがしたで。この、腕をね。

Q:見せていただいてもいいですか。

Q:どこをけがされたんですか。

右の腕ですよ。ここの右の腕がこういうようにね、こうなってるんですよ。ここは骨が割れちゃってね。ここから入ってね。だから全然これが回らんで。これがね、骨が飛んじゃったっていうことだね。

Q:骨が飛んだ。

ええ、壊れて。ここからね、弾が入って、こっちの細かいのがばあっと、あれしちゃっただよ。だから結局、これが回らないから、この筋肉が全然動かんわけでね。このけがをここで初めてした。まあ腕だからね、ここへ木を当てて、そして亡くなった人の巻脚絆(きゃはん)ですか、それをみんな取ってね。そして巻いて、そして移動するっていうわけで。衛生兵がいないからね。

Q:撃たれた時の状況をもっと詳しく、教えていただけますか。

うん、これはね、遠くに道路が、沼の向こうにね、道路があるわけで。それで沼の湿地の中を歩くにはね、この普通の固い所を歩くとは違ってね、いくらかと足が入るからね、ゆっくり、急いで歩けんていうわけで。そこのね、この道路の方へ行こうと思って、みんな。道路へ出る予定でいたんですけどね、湿地の中へ入ったところをこっちから、撃たれてきたっていうわけで。道路の方からね。それから自分はこの腕をけがする。他の人たちもみんな今度はジャングルの方にね、みんな逃げ込んだっていうわけで。

Q:相手はそのとき、どういう武器で攻撃してきたんですか。

機関銃ですよ。昔はほとんど機関銃ばっかだからね。それで小銃も機関銃と同じで、自動小銃だからね。小銃で何発もずっと撃てるあれだから。自動になっててね、自動小銃って言ってね。弾が出るんですよ、ボンボンと。だから軽くてね。みんなそういうのをちょっと肩にかけて。アメリカの兵隊は歩いてるんですよ。

Q:じゃあ何発もあびせられた中で、1発が。

ええ、1発がね。ここにね。こっちに前進する時に、こっちから入ってね、そしてこっちへ抜けたからね。かえってぬけたから良かったかもしれんけどね。

Q:撃たれた直後はどうしたんですか。

このジャングルへ入っちゃったんですよ、仲間とね。みんなこっちは、道路へは行けないから。またこっちの、少しバックで、ジャングルの中へ入っちゃった、隠れたっていうことで。

Q:初めて本格的に負傷したと思うんですけども、やっぱり痛みとかって…

いえ、撃たれた時は、痛みってことは全然無いですよ。撃たれる時はね。熱いね、ちょっと熱い、まあ、物でここを殴られたっていう気はするんですよ。だた「熱いな」と思った時は貫通しちゃってるからね。痛いとか何とかっていうことは、全然無いですよ、弾が当たった時はね。

Q:じゃあ当たった瞬間は、痛みとかは感じない。

ええ、感じないですよ。後がね、後が痛いでね。だけどほとんど、あそこに行ってて、痛くて、なんていうことは感じなかったんだね。夢中ですからね。

夜になるとね、傷からね、気持ち悪いウジがね。白いこのくらいの、何つうかここらでいけば、ウジってよくね、釣りなんかによく使うようなさし。ああいうものがね、それこそ手で集めるくらいに、これから出るんですよ。だからハエか何かがきっと傷へたかって、それから順々に増えると思うんだけどね。毎朝ね、朝になると傷の下が白くなったんですよ。ウジがわいてね。これがだから、多少なり腐ってるっていうことだよね。だからこの中が、うんとかゆい時があって。中が、ウジがもぐってくるから。そのときは棒でね、痛いけどね、こうやってつつくんですよ、棒でね、包帯を取って。そんなまあ、衛生兵がいれば、すぐに手当てすればそんなあれはないけど、衛生兵がいんからね。結局自分で、自然にそういうことをするようになっちまうよね。だからけがして、これはどうのなんて言って。だから右じゃ何も持てんから、結局左を使うようにね、銃なんかも左でみんな持ったり。

このときは、腰を撃たれたんだね。この、腰をね。こっから入ってね、こっちへ出てるんですよ。このときはもうあれ、ジャングルの中だけどね、水が相当ある所ですよ。これもね、前進をどのくらいしたかな。腕をやられてるから。2日ぐらいしたじゃないですか、移動を。そこでまたあの敵に見つかってね。相当攻撃をされたで。このときは自分はこの腰を撃たれて。今度は動くことができんで、ちょっくりね。そしてこの撃たれた所に沼地があってね、10センチぐらいの水があって、その中へ、ジャングルの中へもぐり込んで。そこでね、動けるのを待って。きっと十幾日とか。自分で記憶があるのが、だいたい13日、ここに1人で寝てたですよ。食わずね。もちろん食料がねえわけだから。ここにいた記憶がはっきりしてるんです。

Q:それはけがをしたので、置いてかれたということですか。

ええ、そうです。ええ、日本はね、けがして動けなければ、それを連れて行くとか何かってことは、戦場へ行くとそんなことしてはいられないですよ。本当に動けんけが人は、そこへ置いて行っちまうでね。

Q:その、2回目のけがをした時は、そのときは何人くらいで行動してたんですか。

このときはね、だから最後の14~15人ですか。それで行動していたからね。こっから、川から出た、そして沼で撃たれた、そのときの人数は、ここのジャングルの中にいたからね、行動して。それで撃たれたら、やっぱり今度は動けんから。自分はジャングルの中にもぐっちゃったちゅうわけで。それで仲間は、動ける人はどんどん、どんどん前進しなくちゃならんからね。前進するっていうわけで。

Q:そのとき一緒に倒れた仲間とかはいなかったんですか。

この沼地で倒れたのはよく見てたけどね、このときに倒れたのは記憶が無いけどね。

Q:あの、まあその沼地に隠れたわけなんですけども、そのときどんな気持ちだったんですか。

そのときはね、まあ腰の痛みなんかは全然感じなかったけどね、動けんだけでね。だからあの、日本軍が、どこへみんな集結してるかね、それを考えてたんですよ。どっち方面へ集結してるだか。アメリカの兵隊がまたこっちへ来るのかね。そんなことはよく考えて思ってたんですよ。でも、4日5日って経つと、ほとんど気力が無く、ただ居眠りするっていうことだけでね。

腰・・・ですからね、あんまり記憶が無いけどね、出血相当したんじゃないかと思うね。ここの一番の肉のあるところだからね。こっから入ってね、ここへ止まってたですよ。後ろから入ったのが、貫通でなくて。ここで止まっててね。こんなものはね、終戦後、弾がここへ。だからどっか途中で止まってたのが、順々に動いて。弾は動くからね、体の中を。どんどん、どんどん、小銃弾が動いてくるんですよ。それからここへきてね、皮をくっと持ち上げてきたのが、終戦後ですよ。それから病院でね、取ろうかと思ったけども、そのうちにね、なんぼか化膿したから、自分で押したらね、弾が出ちゃったので。そして後は治療してもらったけどね。弾はね、体の中をね、30センチも40センチも動くらしいですよ。弾はね、移動する。だから自分のだって、こんな方まで直接きたんだからね。途中で止まってたのが、ここへ移動してきたっていうね。

Q:そんな大けがを負って、どんどん衰弱していったりはしなかったんですか。

ええ、衰弱は、ええ。骨と皮ばかりになったですよ。脚だったってこんなものだしね。そして顔だってもちろん、腕だったって何だってほとんど骨。骨に皮が付いてるぐらいのもんでしょうね。ただ、ジャングルの中の沼地だから、水だけはいくらかずっと泥水をね、飲んでたから。だけど食べる物は全然。そしてね、1週間やあれは、全然歩けなかったからね。静かにジャングルの中へ寝てる以外にはなかったで、ずっと。

Q:どんなことを考えてたんですか。

何も。幾日も経ってっから、ただ夢を見るだけでね。色々なことは考えなかったじゃないかな。夢はよく見たのを覚えてるでね。

Q:どんな夢を見たんですか。

あのね、自分の実家ですね、生まれた家へ帰る。それだけを毎日のように見た。それもね、表からは入る夢は見んですよね、玄関からは。裏に、昔自分の実家はね、裏に大きな木戸があって、そこから、お勝手の所から出入りしたからね。何度もそこまで行って、目が開いてしまうんだね。だから家の中へ入ったことは一回も無いだけどね。それでよく後でみんなにね、聞いたらね、中へ入らなかったから良かった、って言うんですよ。戸を開けてね、中へ入ればね、そこでみんな亡くなっちまうって。だから入らんほうの夢だったから、まあ生きてたって。まあそんな夢ばっかりね、毎日毎日、見てたね。自分の家へ帰るっていう夢を。そのころなんかはそんなに、もうろうとしてくるから、部隊の後々の話っていうことは、たまに思うだけでね。ほとんど思わんようになったね、夢ばっかりで。

そしてね、10日も経ったでしょう。そして、這(は)うようにしたらね、今度は、這えるようになった。這って歩けるようにね。傷なんかはきっと、血なんかはみんな止まっちゃってたんでね。それでまあ、幾日も出てればとっくに亡くなって、死んじまうだけど。血はきっと固まって、止まっちゃったんでしょう。そしてね、這い出すことができたんですよ。13日くらいですね。それからね、これは這えるからって思ってね、夜になると少しずつ。一晩に100メートルぐらいはった記憶があるかな。それで「谷がある方、谷がある方」と思ってね、そして這って、幾日も這ってね、そして谷へ降りた。その記憶があるからね。どのくらいのメートルを這ったか、そのときは嬉しかったね。這って歩けるようになってね。

Q:這って歩きながら、どこを目指していたんですか。

谷へ行ってね。谷へ行くと、谷のあの中には、色々食料というか、食べるものがあるしね。水が、いい水があるっていうわけで、川だからね。そういう所へ行ってね。そしたらそういう所はね、日本のけがした人はたいがいこういう所へ入るんですよ、ジャングルの谷へ。必ずいるなと思ってね、それから毎日毎日その谷を目当てにね、はったんですよ。それで幾日か経って、谷へたどり着いて。それでやっぱり日本のね、けがした人がね、この谷にはね、4人も5人もいたんでね。それでその人たちだけを共同っていうかね、一緒に行けばみんな仲間になるからね。その人の、歩ける人が食料を取ってきてくれるのね。そしてお互いにここで潜んで、でまあ、終戦を待つっていうことだったんですけどね。終戦少し前に、まあこの日本は、何て言うんですか、東京だのあちこちのビラをまいて、それを見てね、とてもこれは、そして日本はだめだなって言ってね。よくビラまいたのを見てね。それから、とても生きて行くわけにもいかんから、なんて言ってね、そしてこう、投降しちゃったというわけで。

後方、ずっと後方にはね、遅くなってね、野戦病院式のものが。簡単な野戦病院式のものがあったらしいけどね。そこへなんかは入ってね、そこを今度はアメリカが攻撃してくるね。そういう時は、この病院に入ったけが人はみんな自決したらしいよね。攻撃してくる、この病院に入ってる人は、自決したらしいね。みんな手りゅう弾で。

Q:依田さんご自身は、自決しようとかは思わなかったんですか。

いえ、そんなことは思わなかったね。日本が必ず勝って、そして帰れるっていう自信が、自信っていうことはねえ、そういうことを思ってたからね。

Q:よく、捕虜にならないために、自決する人とかがいたとわたしは聞いたんですが、依田さんは…

そんなこと思わなかったよ、この中の三人はね。

Q:例えば、捕虜になる可能性とかも考えなかった。

ええ、いや、もちろん、それはとてもここにね、ずっと長くいるわけにはいかんから、動けるようになったら出て行こうっちゅう話はしてたんで。ほいで出て行けば、捕まれば必ず殺されると。収容所に連れてかれると思ったことはない。必ず殺されるっていうことは、いつも話をしてて。殺されてもいいと、死んだようなものだからって言って、こういうようによく話をしてたんですよ。

向こうのアメリカ兵に投降したってことだ。投降して、早く病院へ。そしたらね、タクロバンていうのがあってね、そこの(米軍の)野戦病院へ連れていかれたんで。こっからね、野戦病院へ連れて行かれて。そこで、治療を受けてただけどね。そのときは、日本の兵隊が大勢いたで、野戦病院には。

Q:野戦病院に入った時は、どんな気持ちだったんですか。

野戦病院に入ったらね、通訳が日本のね。早くにきっと投降した人でしょう。それが通訳になっててね。そして「大丈夫、この病院へ入ってれば力もつくし、あれだから、安心しろ」ってね、よくそういうように言われたで。でも、「そこに入った時は『やれやれ』と思ったけど、いつまたここでアメリカの兵隊がうまいこと言って、なに、いつかどこかへ連れて行って、殺されるじゃないかなっ」
てね、みんなで話をしてたんですよ。病院に入ってもね、日本になんか連れて行くわけがないって。

Q:そのとき点では日本の敗戦は知ってた。

ええ。敗戦はね、知っていたで。

Q:それを知った時はどんな気持ちだったんですか。

まあ敗戦っていうことは知ってたけどね、実際に日本が負けただか何だかっていうことは、まだ信用はしなかったで。言うだけでね、「まずデマじゃないかな」なんて言って話はしてたんですよ。

Q:なぜ信じられなかったんだと思いますか。

ほうだね、「日本は昔から何をしても戦争をしても、絶対に負けんだっ」ていうことをね、聞いたりなんかしてるからね、「日本は負けるわけがない」と。だからなに、デマでそういうあれをしてるんじゃないかってね。敗戦ってことはなかなか信用しなかったで。「うまいこと言って我々を病院から連れ出して、そこで銃殺でもするじゃねえかなあっ」て、みんな話はしてたんですよ。

Q:本当にはっきりとした形で、戦争に負けたっていうのを確信したのはいつですか。

それはね、20年の12月か。本当に負けたっていうのが分かったのは、日本へ帰って来て初めてね、負けたっていうことをね。その前も薄々知ったのは、元気でいたよその、周りの島へ行った人がね、みんな収容所へ来て、その人と、まあ、交流したからね。その人たちが、日本は負けただどうだって言ってね、よく話は聞いたで。だけど本当に負けただなしたって、そんなのデマだと。そして横須賀へ帰って来て初めて、病院へ来てね、あ、初めて日本は負けただなってことを。

レイテからね、帰って来た戦友同士で話をしたんですよ。とにかくアメリカはこの物資じゃね、とても日本は勝てるわけがない、ってことは思ったんですよ。収容所でね、いる時にそう思ったね。収容所でね、何でもね、靴下が3足、服が3着、何でもかんでも3通りずつ、全部ひとりの枕元へ置いて。それが靴下がちょっと隙が開いてもね、すぐ持ってきて取りかえるんですよ。そうすると日本の兵隊はね、本当に靴下をどんどん破けば、向こうが物資が無くなって、今にアメリカが苦しくなるな、って言ってね。それで大勢でね、靴下なんかこうやったりね。服なんかはさみでちょっと切るっていうわけで。そうすると1週間に1回検査があってね。ちっと傷ついてるとね、新しいのを持ってきて、そういうのをみんな引き上げるんですよ。何回やっても、そればっかり新しいのを持ってくるから。これじゃあとてもアメリカは日本と違うわって。アメリカでなんぼやっても、こんなことじゃアメリカが壊れることはねえや、なんて言って。なんぼこんなものをやっても、なんぼでも物資はあるという話をしてね。そんな話をしたんですよ、よく。

激戦の時にね、後方の本隊へ連絡へ行くなんていう戦友があって、それが出かけてね、少しも帰ってこないみんな戦死した。その人たちのその状況をね、家族にね、知らせようと思ってね。そして捜したんだけどね。それが何と言っても分からないのがいるっていうわけだから。だから今の南アルプス(市)ですか。そういうのは本当に心残りはある。今でも忘れられないね。そういう、その人を。そういうのがあるですよ。

小隊長のね、キクシマ少尉もね、その1人だったんですよ。実際ね、川の中を一緒にかついでね、冷たくなりかかった小隊長を、まあかついで歩いたっていうのがね。何とかその本当のあれを、家族に知らせてやりたいな、なんていうね、気持があってね。それから2、3の人にね、住所をね、探してもらった覚えがあるので。今この、相当の、軍隊じゃ相当の階級の人がね、こっちへ、塩山(山梨県塩山市)、こっちの方へ捜してくれた人もあったけどね。最後までその人の住所が分からなくてね。そしてまあ、行くことができなかったで。だからそこへ、線香をあげに行かなくちゃねっていう気持ちはあり、このナガクボの同年兵なんかは、何とか家族を捜したいっていう気持ちは今でも、60何年経っても、その気持ちはあるんですけどね。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~】

出来事の背景 写真昭和19年10月中旬、マッカーサー率いる20万の大軍がフィリピンに接近、上陸地点はレイテ島が選ばれた。レイテ島は、日本軍にとっても5つの飛行場がある重要な軍事拠点であった。
10月、太平洋戦争中最大の誤報がレイテ決戦の決行につながった。米軍機動部隊はフィリピン侵攻の前哨戦として台湾を空襲。迎え撃つ日本軍との間で激しい航空戦を展開した。ほとんど戦果はなかったにもかかわらず、海軍が報告した米機動部隊撃滅の大戦果を大本営は鵜呑みにし、昭和19年10月20日、レイテ島で一勝をあげることで和平につなごうとしたのだ
昭和19年11月、1週間で勝てると言われた第1師団がレイテ島に上陸した時点で、既に制空権は米軍の手に握られ、米軍機が次々と襲いかかってきた。また、米軍の上陸直後から猛烈な砲撃を受けた。短期間の戦いを予想して十分な物資を持たなかった兵士たちは、すぐに食料・弾薬が尽きてしまった。
さらに兵士たちに過酷な命令が下された。限られた武器を手に敵陣に突っ込む「斬り込み攻撃」である。次々に兵士たちの命は失われていった。

食料や弾薬を運ぶはずの日本の輸送船は攻撃され次々と撃沈され、レイテ島の日本軍は孤立。生き残った兵士たちは食糧を求めて、密林をさまよった。

第1師団上陸から50日あまりたった12月21日、大本営はついに、レイテ島の放棄を決断、兵士たちに転進命令が下る。米軍が上陸していないセブ島で再起を図れというものだった。しかし、セブ島に行くために用意されたのは、わずか4隻の小型艇。第1師団1万3000人のうち集結地点にたどり着いた兵士は2600人。船に乗れなかった2000人はレイテ島に置き去りにされ、米軍とフィリピン人ゲリラの掃討にあい、全滅していった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
山梨県韮崎市にて生まれる。
1942年
現役兵として、甲府歩兵第49連隊に入隊。満州に駐留。
1944年
レイテ戦当時、23歳、兵長。
1945年
セブ島で終戦を迎える。復員後は故郷で林業関係の仕事に勤める。退職後は日本傷痍軍人会の相談員に従事。

関連する地図関連する地図

フィリピン(レイテ島)

地図から検索

NHKサイトを離れます