ホーム » 証言 » 毛受 三郎さん

チャプター

[1] チャプター1 輜重兵連隊 馬部隊  04:54
[2] チャプター2 輸送の安全のため人心をつかむ  03:25
[3] チャプター3 インパールへピストン輸送  03:07
[4] チャプター4 軽視された補給  07:10
[5] チャプター5 「徴発」  03:48
[6] チャプター6 砲弾を埋める  05:14
[7] チャプター7 輜重兵にも戦闘命令が  04:28
[8] チャプター8 「転進」混乱の中での撤退行  04:42
[9] チャプター9 病の退却路  05:46
[10] チャプター10 手りゅう弾での自決  05:10
[11] チャプター11 チンドウィン河を渡る  06:47
[12] チャプター12 合掌の日々  03:20

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再生テキスト

Q:インパール作戦では、毛受さんの馬部隊はどのような任務をするというふうに言われていたんですか。

結局ですね、その任務というのはその都度その都度与えられる任務で、どういうことを主としてするかということは、どっちかというとわからなかったですね。だけど兵糧とか糧まつとかいうものを輸送するということは、これははっきりしてる。いわゆる食料ですね。そのほかのというと、いわゆる小銃弾薬とか、あるいは山砲の砲弾とか、そういうものを大体輸送するというのが任務だったように思います。

ビルマのマンダレーの辺りまでは何とか行こうかというので行ったんですが、敵陣は飛行機の襲来が多くて、乗ってる貨車うんとやられてたり、あるいは機銃掃射でみんな銃撃で倒れたりして、日本馬はほとんど消耗してしまったということですね。それでまあ、これでは輸送できないというので、現地で牛を徴収して牛で行こうということになって、牛で。徴収隊というのが別にありましてね、全然関係なしにわれわれと。そこが徴収した牛をわれわれが受領して、そしてそれで行ったんですが、なにぶん現地で徴収した牛ですから、その牛のおった所やを通ると夜中にみな帰ってしまうんです。それでどんどんどんどん数が減ってきて、輸送することもできんということになったので。それで、それでも何とかその輸送をやっておったんですが、いよいよ山岳地帯に入ると、牛ではとても越えられるような山岳じゃないんですね。ちょうど日本アルプスの標高ぐらいのが続いとる所で、牛がこう荷物を積んで登っていくと、このまま後ろへ引っ繰り返るんです。急ですから。後ろへ。ほいで前へ進めんもんだから、こらいかんというので兵隊さんでみんなで担いで、分解してね。それを持って上がって、そして前進したわけなんです。そんなとこで、とても追っつきませんから、今度は象部隊を編成ということになって。当初は象を20頭ぐらいもらったと思いますがね、象を20頭ぐらいもらって。で、それでまあ象はたくさん積んでくれますし、もうそこらの、ほっぽらかしておいたら、そこらにある草を、あの草や木を食べてやってくれますから、これは都合がいいんですが。ところが悪いことに、1週間するともう入ったジャングルがみなスッポンポンになって、敵からすぐ見えるように食べてしまって。象が。

Q:象が?

はい。だから1週間ごとに場所を替えないかん。なかなかそういうことはね、簡単に言うようですが、戦時中ですからどこから敵が来るかわからん。しかも、敵の飛行機が非常に優勢ですから、天井のないようになったジャングルの中でうろうろしとったら、いっぺんにです。そんなんでまあ、後から行ったほかの部隊との間のいろんなトラブルもありましたけどね。

わたしは向こうへ行ってまず思ったのは、ここは仏教国、仏教の国ですわ、ビルマもね。だから仏教のことに背くようなことがあったら、絶対に住民は協力してくれんというので、この部隊がここから、部落からこの部落へ移動するときに、まあ早くわたしが行きます。行って入ったらですね、まず何を差し置いてもお寺へ行くんです。お寺へ行って、ほいでバナナとかザボンとかいうものをお供えしてね、それにまあ割りばしみたいなのを刺して、そしてあの上のとこへ、お札を差してね、そして拝むんです。それ拝んで、それからそこの僧侶のとこ行って、「ひとつ今から部隊が来るからよろしく頼む」と言うて、そして帰ってくる。そうすっと次行ったとき、どこ行っても僧侶にそういうことをする人は悪い人じゃないというので協力してくれますし、これは大変なあのよく考えたなと思ってね、感心しとったんですが。それだけじゃなしに、ほんとにこの部隊がいい部隊であるということを認識してくれたときには、その僧侶がですね、力がありますから、いろんな人を使って情報を収集してくれて、「どうもここに不穏な動きがある」と。「これはひょっとしたら、明日あたり来るかもわからん」と。「今晩悪いけど、ここ夜発って行ったほうがいいだろう」と言ってくれてね、ほいでそのとおりにすると、そのとおりで、自分たちが行ったあくる日の朝、そこが火投げ込まれてね、やられとるというようなこともありました。やっぱし向こうへ行くと、そういうことも考えてやるということが一つのこれ術言うと大げさですが、大事な方法だと思います。

やはり殺伐な戦争といえども、そういう人心ですね、人の心をつかむということがいちばん大事で。わたしの同期の主計も言っておりました。徴発に行ってものを集めるときも、結局人の心に溶け込まんと駄目やと。実際そう思いました、わたしは。だからそんな点で、まあ非常につらいことも多かったけど、懐かしい思いも、向こうの戦地ですね。

いわゆるピストン式にね、しながら行くんですから。だから敵が、敵じゃない、歩兵がインパールまで行って帰ってきたと、それはあるでしょう。だけどそれは行って帰ってきただけです。向こうでドンドンパチパチやっとっても、そんなに歩き回るわけじゃない。われわれのは行って帰って行って帰って、これがピストン式いうのをしながら前へ行くんですから。だから恐らく倍ぐらい歩いとるでしょう。特にわたしはそのそんなんで、兵隊が亡くなるということはいちばん悲しいことですし、また部隊の行動にも差し障りありますんでね。それで例えばここの地点からここの地点へ目標で決めて行く、地図を頼りにこの道を行くとどうなると、まずそれを実際にできるかどうか、自分で体験せにゃいかん。ほいで部隊はここに置いといて、ほいで伝令と一緒にずっと歩くんです。で、伝令を途中で待たしておいて、またこう行って、谷から谷へこう、水を持たんと、動物持ってますから。それで1キロと下がった所で水があったら、そこへ何とかこうじてできるように。よし、ここで何とかなるだろうと思ったら、またその道を引き返して、それで途中で出発してきた部隊と会って、この残りのこの間に、分隊長に「こうこうこう行って、こういうものがあって、おまえんとこはここへ泊まれ。おまえんとこはここ。そこに水がここにあるから、やれ」というふうにして、ほとんどおれたちち全行程の倍、歩きました。だけどそうせんとですね、全然知らんとこでしょう。水がないと動物は生きておられませんでね。そんな関係で恐らく倍は歩いたと思う。

でもみんな兵隊さんもよくやりました。というのは、よくやったというよりも、一般の歩兵とかそんなんと違ってですね、頭がいいんです、みんな入ってくる者は。優秀な兵隊じゃないけど。体がね、もうひとつその戦闘に向かんような人たちが多いので、そういう頭脳をよく活かしてまあやってきて。

Q:それはどういうところから感じられました?

それはその師団なり部隊の上からのいわゆる通達とか命令ですね。あとは1週間だけ持ってったならば、あとは現地の徴発で生活せいということは、1週間しか持って行かんわけですわ。

Q:1週間というのは何をですか?

お米ですよ。もちろん野菜なんかはありませんから、行軍中でそんなものは。現地で何とか都合せいということでしょう。お米だけは1週間分持って行き、あとは現地でと。ところが日本の農家で、農家の中を通って行くんじゃなく、現地現地いうて、ヒマラヤ山脈でしょう。そんなもん村があるはずがないです。お米をつくっとるような所は大概何いうか、お米をつくっとる所もないこともなかったけれども、そんな一年じゅうお米つくっとるような所はない。それを集めて何とか行ったんですが。食料の話になるともう悲しい。人間のお米がないということはどういう悲しいことかいうのは、もうみんな痛切に感じましたね。わたしなんかも隊長でありながら、3日ぐらいお米の顔見たことないのは何回もあります。3日間バナナだけで生活したこともあります。ほか何もなし。そんなんで、非常によく生きて帰ってこられたなと思うのが実感ですね。

大体中国におったでしょう。中国お米ありますわね。そんなにうまい米ではないけど。それでもシャム米いうてあったから、まあ向こうにもあるだろうと思ったけど、それは平地だけの問題で、そんな山岳地帯にそんなものありません。だから結局、早い話が牛が倒れたり動けんようになったら、それを殺してみんなで食べると。あるいは象が亡くなったら、それをまた解体して食べると。まあ現地にいろんな動物がおりますから、それをみな手に入ったときはその肉を食べると。あるいは山で、これはどうもイモのつるらしいということになるとみんなで、ただ現地人がいろんなことを教えてくれるで、それで掘ってですね、それで食べると。それから鳥がおりますから、それを撃って、それで手にいれて食べると。ただしカラスだけはもう食べられませんでしたね。臭うて。あとトカゲ、トカゲやそれから小動物、それからヘビ、こういうものは大概食べました。食べられるものは。そうでないと体が続きませんわな。だけどその中にも、何というか、戦いを離れた一つの慰めもありましたし、みんな和気あいあいに歌を歌いながら進む、どんどん進めたということで。まあ今から考えたら、あの苦労を何かでやってほしい言われても、とてもできるもんじゃありませんし。

Q:毛受さんは輜重兵として、補給はこの作戦期間中何回ぐらい前線におこなったんですか。

前線に、それははっきり、こっちから行ってね、で、この人に渡して、で、帰ってきて、またこの人に渡すという、そういうもんじゃないんですよ。ただここに集積場があって、そこへ持ってれば、持ってったものを(置いてくる)、ここ、ここ言うて置くでしょう。また帰ってくるでしょう。必要があったならば、また行くわけです。なければもうここはこのまま。次の行動へ移るということですから。だからわたしが第一線のそのインパールを脱出して、チンドウィン川を渡って、渡ったとこにわれわれが前に送ったいろんな食料がたまってました。前送れんのです。川があってそんなんで。だから食料とはいうものの、そんなものはもうある所ではなかったし、ある所ではあり余って、もうそんなもの要らんというようなとこもあったと思いますよ。ただ、それは大きな作戦の上層部の、その方法が悪かったといえばそれまでやけど。ま、そういうのわからんですから。いつまでもちこたえる。だから1日行ってもうすぐに帰るかもわからないし。だからあのときの、そういういわゆる輜重の任務である食料とか弾薬の補給ということの計画性ですね、これもやっぱし偉い人の経験者がなかったいうことですな。

あとは現地で賄う。現地で賄ういうことはどういうことかというと、結局さっき言ったように、それ専門の兵隊さんがおって、それで集めて金払って集めて、そして蓄積したものをみんなに配る、これですわね。と、そんなとこがたくさんいませんから、どんどん行く間になくなるとどうするか。徴発しかしかたないじゃないですか。

Q:徴発?

はい。頂いてくるわけです。

Q:それは買うんじゃなくて?

買うって、おりゃしませんわね、怖いで。戦争に巻き込まれたらかなわんから、みな逃げてますわね、部落は。残っとる所行って、倉庫とか何とかのもの探し当てて、そこで食べられるものがあったら頂いてくる。結局どう言うか、もう泥棒と一緒ですわ。しかしそうしないとないですもん。1週間しか持ってってない。だけどそれがいつもいつも、そのこっちが希望するようなものがありゃよろしいけど、なければですね、あるもんはピーナッツしか倉庫の中にはないと。あとはみな持って逃げとるということ。ピーナッツばっかり集めて5日なり6日なり食べないかんこともある。中にはあの少しずつお米持ってくる者もおりますけど。だからピーナッツを1週間、何も食べんとおったらどういうことになるか、大体想像がつくと思いますよ。

いちばん心配したのは、その魚みたいなもんは食べられんだろうと。山奥だから。何とかしたいなと思ってね、ほいで中流、一日行ったら泊まりますわね。泊まってそこで馬の手入れして、

そして宿営動作に入るわけです。で、その間、若干間がありますから伝令と二人で、あらかじめ兵隊さんに、動物にたかるハエをつかまえとけと。おまえたち後で返してやるからと。

ハエを集めてね。そして兵隊さんとあの宿営するようになると、ハエを、集めたハエを持ってくるわけです。それで当番と一緒にそれ持って魚取りに行くんです。川でじゃない泊まりませんから、川があるとこじゃないと。動物を持っとると。それでほかの者が宿営の準備しとる間に、二人して川に行ったら何ぼでも釣れるんですよ。あのハエの1匹あれで投げると。ほいでたくさん釣ってね、ほいでそいつを引っ張って部隊行って、そいで各分隊から一つずつ取っていいと。ほいでこれ、今日の晩ご飯のおかずにせいと。それを毎日ぐらいやりました。

ここまで。ここのカングラトンビ、ここへこちら側から来て、こちらで、ここ松が生えとんですわ。日本の松と同じような松が。ここ高いですよ、ここ。ここん所に砲弾置いて、そしてまずようすを、これを探りに単独で下りて。カングラ、この街道まで下りて、ここをずーっとこう来て、これが前が山になっとんです、これが。向こうは見えんのです。で、これ越したらインパールやからというので、こう来てここへ、ここまで来たときに敵の山砲のあれを受けてね。そしてその何ちゅうか、その落ちて道路がこうえぐれますな。穴があいたとこへ足突っ込んでね、ねんざしてね。もう動けなくなってね。これではとても、この途中はもうツーツーですから、「もうやめ」と言うて、ここから這うようにしてここに。ここにあの野戦病院みたいなのがありました。で、ここへ行って、その応急手当をしてもらって、そして元の所へ帰って、ほいで今度はずっとここらに歩兵がおりましたけど、たくさん。おるだけなんです。何も攻撃も何もせんと。ただ情報を集めとるだけでね。ほいで聞いたら、もうずっとこのままおるだけやと。ほいで「これではいかんし、どうしたらええやろな」と言うとったら、ここでその砲弾は・・ここにね、わたしの中隊から離れていった1個分隊がおったんです。インパールのこの、このこの辺でしょうな、対峙しとったんですから。ここに。それに「どうや?」言うて。「いやあ、どうもこのままいつまでも続くようや」「ほんならもうこんなとこ行ってもしかたないな。おまえたちもしっかり帰ってこいよ」言うて。ほいで聞いたら、もう砲弾も何も要らんと。砲、撃つ砲がもうやられてしまったから。持ってきてもろうても何もならんという情報を得てね。ほなしかたないから、今度はこの辺りのカングラトンビのここの松林の中へその砲を全部埋めて、そしてあと下がるということに決めて、ほいでここから下がったわけなんです。

向こうの機銃が用をなさんので、砲を持ってきてもらっても役に立たんと。これでもう判断つきますわね。これはもう自分が今まで持ってきたことも、もう何にもならなんだということと。持って行っても何にもならん。すと下手すると、持っていくと今度は向こうがですね、その銃器を奪って、今度それを修理して、ほいでこっちへ向かって撃ってきたら反対になりますわね。そんなことも考えると、もうこれは用がないと。もうこれわれわれのここまで来た努力は一応評価してもらわないかんけれども、もうこれでしまいやと。任務は終わったと。良い終わり方ではないですよ。だけどもう最善を尽くして、これじゃあどうにもならんというとこで、わたしはもうみんなに「砲埋めなさい」と。これはわたしの責任で。だけど、そうしとっても簡単にその埋められるもんやないです。猛獣がおりますから、そこには。ヒョウやとかトラやとか。そんな中でやるんですからね、それは。そやけどまあ、何とかそれ無事に済まして下がったということですね。

それで帰る途中で命令が出て、その途中の山を占領して、それでそこで敵が来ても押さえるように指示があって、山の所へ宿営しておったんですが、隣りにおったのがわたしと同期のニシダいう小隊長で、これでその隣りがわたし。ところがまあこういう土地で、ここへニシダ君が長で、ここでわたしがおって、それで敵がこっちからこう来たら、ここでやろうということになっとったんですが、ここへ空挺部隊(航空挺身部隊)が、ちょっと低い盆地になっとるもんですから、そこへどんどんどんどん、銃から馬から食糧からいろんなものを集めて、ここで宿営をしだした。「これはこのままではもうとてももたんで。何とか考えないかんな」言うて話ししとったら、どうもおかしいなと。ほいで「ちょっと偵察に行ってきます」言うて、分隊長が言いましたんで「おまえ、象を1頭連れていけ」と。象は割り方そういうもんでして、ほかのものに対しては反応を示すはずやから、象連れていけ言うて。で、これはこのままで、わたしがその分隊長に象連れて偵察に行かしたんです。夜になってしもうて、ここんとこで敵の、敵も偵察へ出しますわな。で、ここでとうとう山の上んとこでばったり出会うたわけだ。ところがわかりませんよ、真っ暗ですから。ところが象が後ろ、ややこしいもんが前からゴソゴソ来るというのでね、「ウー」と吠えたんですわ、象が。ほしたらびっくりして、敵さん。何が来たかわからんけどとにかく吠えたと。逃げて帰ったわけです。もの置いといて。ほいで「あ、あそこで動いたで、敵に違いない」言うて行ったら、何かいろんなもの残したまま、敵が下がったと。そこで戦利品を取って、象ももう行かんと帰ってきてね、何かタバコ一箱くれたことがありますが、そんなことで。ところがそのあくる日か、3日だったかな。ここが総攻撃くると。この部隊で。もういっぺんに、問題ないくらいにやられる。まあ小隊長もちろん玉砕して。残った者が谷底からはい上がったりして、わたしんとこへ合流して。ほいで、どうもここんとこやられたら、次はこっちへ攻撃して間違いない。ほなここでもう思い切って下がろうやないかと。それがよろしいということで、ま、だれも命令も何もないのに下がったんですから、そら抗命の罪で大きな罪なんですが、そんなこと言うてられませんわね。ほいでみんなで集まって、象がおったもんだから象の背中へできるだけ負傷したもんやら体の弱いもんくくりつけて、ほいで夜陰に紛れて下がったんですがね。ここんとこ思い出します。

転進ということはね、聞こえはいいけど、言いかえると退却行ですわな。これはかつて日本でなかったことで、退却するいうようなことは。だからその研究はしてませんわな。敵に後ろを見ながら戦争してくんだから、そんなんありません。絶えず敵は前におったんですから。これは難しいですね。それとやっぱりそういう場面、いちばん問題なのは人心の掌握。もう後ろから敵が、そら怖くてまともな精神状態ではおられませんから、だからつい自分勝手な行動する。それが引いては部隊そのものが支離滅裂になるということですわ、ほっといても。団結するというのが日本の、それまでは団結で固まって行けと。そうじゃない、固まとったものが今度はこう緩んで、そしてしかも敵に後ろを見ながら作戦するんですから、こんな難しいことありませんね。

Q:じゃその支離滅裂という、そういう状態になったんですか。

そうです。

Q:それどういう状態ですか。

どういう状態、そのいちいちこれがこうですというようなもんじゃなしにね、大きな目で見ると、下意上達(上意下達の逆意)。とにかく言うことを聞かんようになったと、上官の。これはもう当たり前ですわな。今までの上官は前におったんやけど、上官おらん、おりませんわね。

Q:いない?

まあ随分そういう面で、将校といわゆる兵隊の間にあつれきがあって。そしてその理由なしに将校がだれの弾か知らんけど当たって亡くなってしまうと。随分聞きましたよ。

Q:どういうことですか?

結局、友軍に撃たれとるんですわ。今までは前進のときは、弾に撃たれたというときには敵の弾に撃たれた。今はもう前に敵おっても、それは後ろから追いかけてる敵ですよ。だからそんな敵じゃなしに、結局まあ将校と兵との間のあつれきがあって、常日ごろからまあ酷な使い方をしとった将校が、自分とこの部隊の部下の日本人に、日本の将校がやられたということです。

Q:転進のときに?

随分聞きましたよ。

軍紀が乱れたというよりも、もっともっと小さい意味の、あるいは自分の戦友が何人も、あの人がこういうこと言って無理なことに参加さして亡くなってしまったというような式で、その積年の恨みが出たもんで、それはわたしなんかでもいろいろ聞きましたよ。名指しで、「隊長、何とか少尉はもうあれは命がないでんなあ、ないですな」。「何でそんなことわかるんや」。「いや、もう兵隊が言うてますやん。弾は前からばっかし来るもんやない、後ろからでもいつでも来るんやて」。ということは、みんながもう、そういうことがあったならば、一つ間違うたら、もうそういう行動に出るということですわね。またそういうふうになりました。

わたしも象の背中で、アメーバ熱とそれからデング熱と、それから熱発で何もわからんぐらいなって、象に揺られて下がってきて。そして軍の野戦病院があるで、そこへ入院し、ほいで自分の持っとったものから何から全部、先任の分隊長に頼んで、ほいでわたしはここで野戦病院に入った。一人で。だけど生死のほどはわからんけれど、ここまでは確かに生きて、そしてこうこうやったから伝えてくれと。ほいでわたし一人、その野戦病院へ入ったんです。

Q:一人で入ったんですか?

はい。ほいで残り先任分隊長に指揮さして下げて。で、入ってって診てもらったら、「とても動ける状態やない」と、これでは。「戦線の動きも難しいな」と。「しかしそれはそれとして、ここへ入ってもらっても、退院するときには骨になって帰ってもらうしか、現在のこの組織と薬品だけではとても無理や」と。「ということは、もうここで死ぬということですか」と言ったら、「そのとおりや」と。「入ってもらってももらわなんでも、もう亡くなる。それでもよかったらおってください」。 そんなとこおれますか。野戦病院ですよ、それが。だから、「ほな、せっかく来たけどお断りします」と。「わたしは自分で自分の人生をちょっと試してみたいと思いますから」「そうですか。よろしいです。非常によい考えです」と。「やっぱり自分の命は自分でちゃんと処理されるのがいちばんいいと思います」と。いうことは、何だったらもうここで自決せいと言うのと同じことですわ。その病院にはもう入れてくれないんですから。

Q:入れてくれない?

もうそう言うとおりですから。「入ってもらっても何にもなりませんよ。だから早いとこ、もう自決されるほうがよろしいよ」と。まあ軍人はそんなもんですよ。戦争は。だけどわたしは死ぬつもりはない、まだ。ほいで、「そうですか」。そこを出て、少し這うようにして下がった所が、ちょっとこう何か人が入れそうな感じがした。地形的に。ここやったら何かあるかもわからんなと思って、そこ行ったら、いわゆる個人の、こう、壕みたいのがありましてね。あ、これだれかいつか、敵か味方か知らん、どっちか知らんけど壕を掘ってここで戦闘があったんやなと。そしたら仮にそうやったら、ここで対峙したら、食料がひょっとしてあるかもわからんと。食料が。ほいで掘ってみたら缶詰があった。見たら敵さんの缶詰だった。敵さんの缶詰。ほいでこじあけて、ほいでもう引きちぎって、肉があったからそれ食べたらちょっとこう、治りませんけど元気になる。食べてませんわな、それまで。


食べて、ほいでその壕おってもしかたないですから、敵がもうどんどんこっち来よるんやから。だからとにかく歩くだけ歩いてみようと思って、歩いてったけれども、さっきのその第二の誕生日のとおり、雨が降ってきて、気がついたときには倒れとって。現地人があのタバコの葉巻の太いのを口にくわえさしてくれて、そしてそれで目が覚めて。ほいでこれはいかんと思って少し歩いた所で、もう駄目やと思ったときに豪雨がきて、ほいでもうどしゃ降りの豪雨でね、倒れてしまって。そのまま人事不省で、気がついたら泥の中に軍刀持ったまま倒れとった。これは生きとるんやなと思ったのはそのときやけど、死なないかんなと思ったのもそのとき。

ほいで地形を探してちょっと道を下りた所で見たら、ちょうど西のほうが開けておって、大きな岩があって、これはもってこいのとこやと。ほいでそこへ一息ついて、ほいで持ってくるいろんな持ってる書類を全部出して、ほいでそこで処理して、これでもうええなと。ほいでいよいよ手りゅう弾を出して、もうこれで最後やと。ほいでチンやって(信管を抜いて)、ほで(手りゅう弾を)抱いた。ところがいつまで経っても、大体7秒いうとんのにはじかん。しかしそんなこと・・(手りゅう弾)はじいたときに自分はもうおらんのは間違いないんやけど、はじかんのや。おかしいなあと思って、もう1回やってみても全然。そしたらもう急に怖なって、それこそ金玉の下から何かで突き、突き上げられたように、フーッともう怖くなって。そしてどうして登ったか知らんけど、前の下りてきた小さながけをはい上がって。そして歩いておったら、もう日が暮れてきて。

しかし日が暮れてくるわ、いづくのうてこんな格好で、まだ着かんわなと思いながら歩いとったら、

左の山の上に明かりが見える。もう敵でも味方でももう、全然そんなこと考えんで声かけた。そしたらしばらくして、「おーい、誰や?」ちゅうような返事があった。ああ、日本兵や、日本兵や。

もう無我夢中ですよ。無我夢中。夢中。もう怖いやらね、失敗したという悔いやら。また後になって考えると、あんなこと考えたけど、ほんまに考えたんかなと思う。そやけどそのときの精神状態はもう病気でね、だいぶ横へゆがんどったんじゃないかと思いますけどね。そうですね、やっぱりそんなもんなんですよ、人間、生と死というものは。生きようと思っても、どうしても死なないかんときがあるし、死のうと思っても死ねんことがあるし、これが人生やないですか。

「もう体が病気であかんで下におるんやけど、できたら下へ下りてくれんか」と言うたら、「え? その声は何とか少尉やないですか?」って言うのが・・ああ、これはわたしを知っとる兵隊さんやと。「そうえ、そうえ」って言ったら、「今迎えに行きますから、そのまま待っててください」。そこでその兵隊さんに助けてもらって、ほいで引き上げてもらって。したらちょうど晩ご飯で、見たことのないような白米を大きな飯ごうに炊いとるわけです。もう炊けとる。よいにおいがしとるんよ。ああ、これは久しぶりにこんなお米のご飯が目の前にあるわと。

飯ごう、ご存じですか。飯ごう。あれを。したらプーンとよいにおいがしてね、ああ、米というのはこんないいにおいがしとったんやなと。ほんならできるだけ、「ああ、いただく」言うて。ほいで何かほかのおかずもあったけれども、おかずなんかもう、ようわからん。食べた、食べた。みな食べてしもた。飯ごうひと函、いっぺんに。びっくりしとった。

2人に抱えられるようにして、ほいで落ち着いた所が川があって、チンドウィン河の。その渡河点に、軍として指揮並びに配列をやっとったのが辻参謀いうて、さっき言っとった辻、あれ。「挨拶に行かないかんで、一緒に行っときましょう」言うて行った。、まずは階級を見て、こんな階級やな。「どこや?」って。「ここです」「おまえとこの部隊のもだいぶここに集まっとる。そやけどいつ進むんかわからへん」「どういうことです?」「いや、下流から船が上がってきて、それで各序列を決めて、その船に乗せて下流へ送るんや」「いつになるかわからんですか」言うたら、「そんなわからへん。おまえたちは遅く来たから、ほんなもん、だいぶ待たないかん」「ま、その覚悟はできてますけど」「よし、ほんなら頑張っておれ」。そこまではよかった。あとはもう何ぼ行っても、もうけんもほろろでね。そうでしょう。軍の参謀やからもう、いろんな所がやっとらんいかんでしょう。砲弾は飛んでて、谷底へ死んだ者みなポンポンポンポンほって、谷が埋まるほど死者が出とんですよ。ほんなもん、いちいち語ったらね、これはもうここでいよいよ最後かもわからんな。何とかせないかん。それから行ったけども、全然らちがあかんし、もうこうなったら独力で下がる方法考えないかんなと。

それから船探しで。3日ほど経ってから兵隊さんが、「隊長、カヌーが見つかったんやけど、大き過ぎてあんなもん乗って渡れへん」。「そんな大きいんかい?」「10人は乗れるぐらいの大きなカヌーが見つかった」「見に行こうやないか。内緒で行かんと。ほかのとこに見つかったらいかんで」。ほいで見に行った。そしたらりっぱな大きな、そこの酋長か何かのあれでしょうな。大きなやつで10人十分に乗られる。そのかわり下手したら引っ繰り返る。こんな、こんな丸木舟でしてね、くり抜いたやつで。ほいでバランスが悪かったらもう、すぐに引っ繰り返る。これはごっついもん見つけてくれたな。いよいよこれは参謀にたて突いて、みんなと一緒に下がれるかもわからんないうことになってね。そやけどほかのとこが探すかもわからん。「いや、これは内緒で何も見つからなんだ顔して帰らないかんで」。ほいで帰って、ほでその関係の者を集めて、こうことやで、ほいで明後日ぐらいやろやないかと。「そやけどいっぺんに行ったら見つかるで、その参謀をそれとなしに何か探すような格好して、おのおのうまいこと出よう」て。「任しといてください。そんなことは上手です」とか言うて。ほいで集まったのは12人ぐらい。そいで集まってみんなで部署決めて。進水式。大きな船で、これで行けるかなと思ったけど、みんな張り切っとるで、何とかなるかもわからん。前はチンドウィンの濁流ですわ。もうほんまに濁った中へ、これで行けるかなと思うけど、みんなもうこれが最後や。もう行くのやったら、みんな同じように死んでしまうんやで、最後の頑張りやで。まずこれが向こうへ渡ろうと思うと横波食らって引っ繰り返るで、上流へこいで上るようなつもりでみんなで頑張ってやらないかん言うたら、「そうや、そうや」って。さあそれでみんな張り切って、それこそ「エイエイオー」で乗って。それでやったらやっぱしあの正解やったです。あれ早う行こうと思って横に乗ったら、いっぺんに引っ繰り返っとる。上流へ上流へ行ったら、舳先がここへくるでしょう、こう。そうすっと当たってもね、少し気持ちが向こうへ着きたいいう気があるから、ちょっとずつそういうになってしまうんです。ほいで一生懸命みんなでもう死ぬ気でこいで、いつ着いたかわからん。見て、前、見たら前に陸があったちゅうような。そこの陸、上って行ったら、もうビルマですわな。野戦倉庫があって。ぎょうさんもう、砂糖からいろんなものがみな積んだまま送れん。前線へ送れんもんやから。とにかくみんなもうその砂糖、思いっきりもう今までの分をこれで取り返せ言うて、ミツバチがブンブン飛ぶ中、みんなこうして食べたの、よう忘れもしませんわ。そんなことは参謀には報告しとらん。全然。全然知らん。

戦友ももう、そのね、亡くなったことをあんまり早く、深く考えるとね、悲しいなりますから、そんなことじゃなしに、悲しいということはその一時的な・・亡くなったということは悲しいにしても、これから先のことを考えると、人ごとじゃない、私自身のことで、そのどうのこうのいうことになると、これはもうそれでしまいですから。だからできるだけその戦友も、その先輩のかたがたも、亡くなったかた、どうぞ見捨てんと守ってやってくださいという意味も込めてやっております。

Q:その戦地で亡くなられたかたに対してもということですね。

はい。ほいでそれをね、いちいち言うとまたもとの、その当時の悲しいことがいろいろ出てきますので、できるだけそういうことのないように、もうあの成仏して健やかにやってください、という意味のほうが非常に多いです。悲しい思いして亡くなったかたもありますし、悲惨な人に言えんような亡くなり方のかたもおりますんでね、そういうのをいちいちあげつらうと、これかえって悲劇に終わりますから。そうじゃなしに、みんなこうして亡くなったんだけど、後々の人を不幸のないように、ひとつ見守ってやってくださいという意味で、毎朝拝んでおります。

「忘れい」言われても無理です。あの悲惨な戦闘の中で、そのいわゆる紋切り型に、りっぱな華々しく亡くなったかたばかりじゃないんです。どっちかというとそういう人が少なくて、その非常に悲しい亡くなり方をしたかたが多いですから、それを目の前で見てますから。どうしてもそうなったら供養じゃなしに、自分の逃げどころというような感じがしますんで、それはいかんと思います。やっぱしその人たちはその人たちなりに、一途の一生を終わってくれたと。ありがとうというような意味で、明るいほがらかな気持ちで毎朝拝ましていただいております。

出来事の背景

【インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~】

出来事の背景 写真陸軍第15師団は、京都府と滋賀県出身者を中心に編成され、総兵力は2万。
昭和19年(1944年)3月に始まった「インパール作戦」に投入された三つの師団のうちの一つである。
「インパール作戦」は、ビルマ方面第15軍司令官牟田口廉也司令官が、戦況を一気に打開しようと考えついた作戦で、連合軍の補給拠点、インド東部のインパールを攻略しようというものだった。
31師団が、インパール北方の拠点「コヒマ」を攻略、33師団は、南のう回路からインパールへ、そして、15師団は北側からインパール攻略を命じられた。
大本営をはじめ、陸軍内部は補給を軽視したこの作戦の成功を危ぶんだが、牟田口司令官は強硬に主張し、作戦開始が決まった。

3月、インドとの国境を流れるチンドウィン河を越えて、作戦が始まる。将兵は重い荷物を担いで、3000メートル級のアラカン山脈を越え、作戦開始から10日目に、サンジャックで連合軍を退け、コヒマ-インパール間を遮断した。
しかし、インパールを取り巻く高地に近づいたところで、最新の兵器で反撃を受ける。「セングマイ高地」では、連合軍の最新の戦車に蹂躙され、肉弾攻撃に踏み切らざるを得なくなり、多くの兵士が命を落とした。
6月に入ると、コヒマを攻略していた31師団も苦境に立たされ、ついに佐藤師団長が独断で撤退を開始、31師団からの援軍を当てにしていた15師団は大混乱に陥る。

15師団にも、7月には退却命令が出されたが、その撤退は悲惨を極めた。飢えと病気で兵士たちは次々に倒れ、その撤退路は「白骨街道」とまで言われるようになった。

19年末、連合軍とのイラワジ会戦を戦いさらに大きな損害を受け、タイまで後退して終戦を迎えた。師団将兵2万人のうち、1万5000人が亡くなった。

証言者プロフィール

1920年
京都府舞鶴市字北田辺にて生まれる。
1941年
現役兵として中部43連隊に入隊。
1944年
輜重兵第15連隊馬部隊小隊長として、インパール作戦に参加。当時24歳。中尉。
1945年
タイにて終戦を迎える。
1946年
復員。復員後は、故郷で旅館業を営む。

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インド(インパール)

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