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タイトル 「飢えと病で死んで行く若者」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~
氏名 相澤 末蔵さん(第15師団 戦地 インド(インパール)  収録年月日 2009年6月13日

チャプター

[1] チャプター1 山脈の行軍  04:06
[2] チャプター2 足りない武器・弾薬  03:06
[3] チャプター3 5人で50人を捕虜に  05:26
[4] チャプター4 胴震い  04:47
[5] チャプター5 夜襲攻撃  06:57
[6] チャプター6 死の街道  05:07
[7] チャプター7 「潜行三千里」  06:28
[8] チャプター8 はるかビルマからの便り  05:25

提供写真

再生テキスト

わたしはチェンマイを通って、ずっと山、川、もう歩きっぱなし。インドのイラワジ河の攻撃する地点まで全部、一、二度、指導者の輸送する自動車の上に荷物積んでもらったりしたことはあるけどね、ほとんどシャム(現・タイ国)の・・から全部歩いちゃったんですよね、一国を全部。それで、これから戦闘に入るという4日ぐらい前に中隊に着いたんですかね。中隊に着いても、ちょうど連隊が師団のいちばん後方連隊だったから、後ろの方を警備する連隊で、まだよそが、早いところはもう攻撃し始めているときだったけれども、わたしとこはそこからサンジャックという陣地を目指して参りました。

とにかくわたしは歩兵を中心に話すと、弾薬を小銃弾を前に60発、後ろに60、120。これが全部持った弾薬の1人の小銃弾のすべて。それにあるのは手りゅう弾の1つぐらいは与えられているかもしれないけど、あとは何もない。ただ、あとはお米を半月分ぐらい持ちましたかね。半月分というとちょっと重いからね。こういう靴下に入れて、セイブ袋の中に入れて、持つ人は結構重いんですよ。特にいつも思うのは、わたしどもはほとんど軍刀を下へこうしているだけで、そんなに少しは持ってるけど、当番なんかになった兵隊なんかは、そのほかにわたしどもの分まで持ちますからね。本当に申しわけない。「いいよ、おれのとこに入れてくれて」とよく言うんだけど、「はあ、わかりました」と(言うだけで)いつも入れないでいるでしょう。だから、申しわけない、申しわけないと言うだけで。そんなことだから、全部で合わせて30キロぐらいかな。お米とそういう服装なんか中へ入れて、30キロぐらいだと思うよ。

兵隊さんはもちろんのこと、多少なりともある程度上の人たちはだめと思ってましたよ、最初から。だって、攻撃しても戦車砲来ても、うちの方で、連隊で戦車砲を持って何門かあるのが、結局分解して運んでいったから3門あるのが1門しかない。その戦車砲の速射砲みたいになってるから、それで戦車撃つでしょう。そうすると、向こうの5、6台の戦車一遍にここにばーんと来ると全部、1回で終わり。山砲も同じ、そういう具合に。だから、重い機関銃にしても何にしても、こちらから威勢よく撃ったら、すぐ兵器も何もだめになっちゃう。何にもなくなっちゃう。

兵隊は最初からもう、山登り始めからもうだめと思っていましたよ。もう山を登り3日半、下りが2日半で、3日ぐらい山を越えていたでしょう。それだけでもう何もなくなって、ほとほとになっちゃった。それから戦闘してんだもん。勝ちっこない。戦闘1回したらね、敵の半分も撃たないけれども、攻撃する場合にはやっぱり機関銃でも何でも、重火器を撃って、その後攻撃するでしょう。そうすると、60発やそんなものはすぐなくなっちゃいますよ。だから元気のいいのは、戦死した人の弾を自分のに入れて、そんな具合にして。それでないとあと、後ろから弾薬とか何かが来ないんだもん。

部落の高いところから見たら、(連合軍の兵士が)50名ほどいるわけです。そしたら、こちらの山すそのこの辺にショクチして、弾薬がこちらの取っかかりの、こういう山になってるのよね。このところに弾薬を置いてるわけよ。ここで歩哨が立って、いろんな弾薬についてるのは、「よし、あれはおれがやるから、それをやったら、皆手りゅう弾、同時にね。部落民が逃げてきたら、声を立てて一斉に攻撃しなさい」と。そういうつもりだったんです。ところが、わたしが行って、その兵隊、弾薬を警戒して自動小銃を肩にかけているんですが、そいつの自動小銃を取るやいなや、わたし切っちゃって、それをうちの兵隊に、アサイという兵長に持たせて「向こう向け、だめなら撃て」って言うんだよ。そして、わたしは、がけを隠れて行ったわね。切ってから初めて上に上がったら、見たら、向こうのやつは部落民も「静かにジャングルに入りなさい」ということを(あらかじめ)村長に言ったんだけど、全然部落民には聞こえなかったらしいんですね。何や静かどころか、わあわあわあわあ言って、ジャングルの中に逃げていく。そうすると、こっちの立場がなくなっちゃって、それじゃあ、その声を利用して攻めろって。それで、わたしが1人切ってからあれしたら、ちょうどそいつら座ってるところへ来て、「Sit down!」と言ったら、当時わたしの体は70キロぐらいありましたから声も大きかったんです。そしたら一遍に、今まで立ち上がって御飯食べていたやつが、みんなぴたっと座っちゃった。これはしめたと。それでみんな、周囲から兵隊を下らせて、そしたら今まで立ったやつを座らせたら、もう何も銃は全部わたしどものアサイが取らしてるから。そしたら、住民が山の最初見たところから、4人ぐらいで村長さんたち見てるわけ。だから、「戦争終わったから来なさい。カモン」と言ったら、住民の酋長(しゅう長)が来て、そして麻縄、あそこは麻薬の多いところだから、麻縄といったら本当にきれいな、こんな輪にして持ってきたよ。それで全部50人をつないじゃった。

そしたら村長たちが、わたしども(日本兵が)「ここへ来たのは食糧を調達に来たんで、戦争、うまいぐあいに勝ったけど食糧が欲しいんだ」と。後ろに全部で180名ぐらい行きましたからね、「この人たちの食糧が」。「ええ、いいです」と言うのよ。今まで「ないない」と言ってたのが。それで、よその部落にも連絡して、東から来た日本の兵隊さんが、すごい強いのが来て、もう自分らの前で戦闘して、勝って、食糧に困っている。そしたら、それを次の部落、次の部落に教えてくれたら、3つ4つの部落から、鶏とかお米を持ってきてくれた。そしたら、180名のお米がもう、ものの一月分ぐらい持ってきてくれた。

もう戦闘になると、すごく勇敢な兵隊とすごく弱い兵隊が出てくるわけ。あとは、要するに、指揮官の誘導ひとつなんだよね。だから、なるべく「おまえは強いんだ」と。「おれの部下なんだから、強いんだ」という具合に、自分が強いんだということを思わせておいて戦闘しないとね。わたしは、そういう趣旨なのね。おれが強いということは、おまえたちも同じように強いんだから、だから、おれより先にいかないで、おれに応じたように、おれの後を、攻撃するときでもしてきなさいと。無理に前に出て行って、そういう華々しいことをしないで、じっくりおれについてくる。そうすると、兵隊も強くなるんですよ。いやいや、・・・おれが「出れ!」と、こういう具合にしてると、その形だけで、もうぐーんと出ていくのが怖くなくなっちゃうんだね。そりゃね、一線はそうなのよ。わたしでもそう。夜襲する前に、少しみんな部下がいるでしょう、後ろに。中隊の。そうすると、えらい寒いんだよね。震えがきて、こうなるのよ。ぐっと押さえてんの。兵隊に見つかるからね。えらい寒いのよ。怖くて寒いんじゃない。戦闘が始まる、これから夜襲に行くという待機している間。それが、ものの10メーターぐらい動いた途端に、体がぽーっと温かくなってきて、今度は柔軟になるわけ。緊張のせいだろうと思うけどさ。わたしが震えるのは、弱虫なんじゃなかろうかなと思うことがよくありましたよ。

わたしの場合には、後ろに何名かがついているわけでしょう。だから、少しぐらいこうなっていてはみっともないじゃない。だから、こうやって押さえているわけ。少し歩いて、血が通い始めると、何ともないんだけど、座って腰をおろしている間は、そんな感じ。夜襲に行くたびごとに、そうだよ、みっともないったら。

もう夜襲しかないからね。もう夜襲でないと勝てない。夜襲だけ。

Q: 夜襲でないと勝てないんですか?

うん。もう夜襲でないと、向こうは何でもあるんだもん。手りゅう弾から速射砲、戦車砲、迫撃砲、何でもあるんだもん。それで、ばんばんばんばん、迫撃なんか下まで来るとばんばんばんばん撃ってね。全く、あいつらよく弾薬がこんなにあるなと思うほど。うちのほうは、1発撃ったらもう大変なんだから。もう二、三発しか持ってないというような状態になると、次撃つのに、どこをねらったらということで。撃つものがないんだもん。

そのときは、(午前)2時ごろに中隊長たちが戦死してるわね。指揮班がいかれたのかな。上の陣営もそのときに「天皇陛下万歳」って死んだ。朝の2時半ぐらいかな。それから、カゲヤマ中尉のほうがまだ幾らかよかったんじゃないかな。それで、わたしのところは、周囲を見たら20名ぐらいまだいるわけ。よし、20名あれば、まだこいつらぐらいやっつけてやるなんて言ってた。だけど今度、こっちのほうで少なくなると、こちらの弾が何にもなくなっちゃったりするの、2時半ぐらいになると。結局、陣地を掘った石を集めて、(敵が)うわあっと来たら、石をまず投げて、それでその間に手りゅう弾の1発も投げるぐらいしかないのよ。それが最後の抵抗の弾薬だ。わたしなんかでも、何もないから、そばに来るまで(待って)軍刀で切るよりしようがないでしょう。だから、そのとがった石を詰めてぶつけて、こんなんで死にっこないけど、やっぱり何もやらないわけにいかないじゃない。

向こうは手りゅう弾から手投げ弾、そういうのがいっぱいあるわけ。それこそ、わんさか、こうやって。我々だったら1個だけど、やつらはこうだ、開いてこのまま、うわーん、うわーんと。そのぐらい量が多いわけ。

Q:何倍ぐらいですか?

何倍といったって、10倍以上だよ。そりゃ、ひどいもんだよ。

Q:弾薬とかはほとんどなくなってたんですか?

うん、もうない、何にも。だから、それこそ軍刀でも突っ込んで、突くより、斬るより手がないのよ。

もう無我夢中だから。特に兵隊やられちゃってるでしょう、わたしのところが、右左。前田とかいう軍曹が(もう)1人と、やられてんの、俺の横でね。「こら、きさま、何やってんだ」って怒ったりして、今思うと。そしたら、いや、大丈夫です。大丈夫だったら立ち上がれと言うかと思ったら、わたしのほうへばばーんと来たら・・今までわたしが切った兵隊のおなかの上でわたしは戦闘してるわけだ。英軍の兵隊の上で。ぷわぷわしてる、太ってるからね。そしたら、それから立ち上がって攻撃に移ろうと思ったら、今度砲弾か手りゅう弾か、だだだだーんと来たから、そこから下へ(谷へ)落っこちちゃった。そしたら、衛生兵が下まで飛んできましたよ。「どうですか?」と言うから、「いや、何ともないよ」と言うたんだけど、立ち上がったろうと思ったら、立ち上がれないんだ。立ち上がろうとしたら、この辺からぬるぬるぬるっと、生ぬるいのがももたに垂れてくるのよ。

そしたら、朝になって、わたしが落ちてから、朝引っ張るときに、カゲヤマ中尉がおりてきましたよ。そしたら、こうやって、腕を両方貫通しちゃったらしいのよ。だけど、気が強いから。いい人だった。だから、連隊本部まで行かないうちに出血多量で死んじゃったよ。それで、両方ぶらんぶらんでこうなって。「カゲヤマさん、どうしたの?」って言ったら、「こうだよ。相澤君、こうだよ」。「押さえたんですか」って言ったら、「もう押さえてもしようがないよ、衛生兵もだれも死んじゃっていないし」。連隊本部まで行ったら、それが出血多量で死んじゃった。それから、中隊長も、頭をこう鉄帽の中を弾が入って、一回り回ったらしいね、鉢巻きみたいに頭の中。それで、やっぱり出血してるんだけど、途中で兵隊が担架つくって下がるときに、中隊長が落っこちたらしいんだよ。それでもうだめになっちゃった。

Q: 部下は何人ぐらいそこで亡くなったんですか。

わたしのところでも、40人ぐらい、30人ぐらいかな。だけど、分隊ごとに開いて(散開して)いるでしょう。そこで全軍が一遍に、200名ぐらいいっちゃったんだから。

ウジと一緒になって、10メートルに1人ずつ死んでいるのよ。つまり、サンジャックの位置から、今度単独で帰るようになってから。10メートルぐらいに1人ずつ、負傷したのが。こんな一口ぐらいのお米を雑のうに入れて、最後に食べようと思って持っている。ところが、これをまたねらっている兵隊がいるわけ。それで、1人腰をおろすでしょう。腰をおろしたら、死んじゃうのよ。腰をおろしたらだめ。だから、「頑張るだけ頑張って、這ってでも、腰をおろさないで」と言うんだけど。わたしの前に兵隊が1人とぼとぼ歩いていったよ。そうしたら、向こうに兵隊が1人寝ているわけ。そうすると、その兵隊のところに歩いていった兵隊が、けっ飛ばしているわけ。「こら、何やっているんだ」と怒ったんだけど。「いえ」なんて、とぼけたような兵隊が、その兵隊も負傷して。ちょうどわたしが、兵隊の肩を借りてそこまで歩いていったら、そこの寝ている人の雑のうに手を入れていた。雑のうに手を入れたら、倒れていた兵隊が「おれ、まだ生きているぞ」って。雑のうに入っているお米、このぐらいのやつ、「おれ、まだ生きているんだよ」と。「こら、きさま、泥棒みたいなことをやるな」と。それはそのまま歩いて、元気のいいほうの兵隊は歩いていったけど。その兵隊の、雑のうにお米を入れている兵隊はそのまま死んじゃうね、そこで。5メートルに1人か10メートルの間に、だーんと腰をおろしたらみんな死んじゃう。そこを3里ぐらいかな、「死の街道」と言った。

ミヤンカシという中州のあるところまで、

川べりまで、近くまでは兵隊が2人ほど負傷したのと一緒に行ったけど、そこから、兵隊3人か、3人を川に沿って歩かせて、早く向こうへ渡りなさいと帰して。それから一つちょっとした山を越えて部落に行って、いかだをつるで絡んで、半分体が埋まるように、バナナの木と普通の家屋の木と絡んで、それに半分水に埋まりながら、それで流れて下がった。

Q: 川を?

うん。だから、割と。その川面から中州のあるところまで行ったら、そこでちょうど救われて。もうそのときは意識はパーだった。物を食べてないんだから、何日も。それでマラリアにかかって震えていたら、わたしの知っている、南京時代に教育に行ったというのが、軍曹か何かでいたよ。「あっ、相澤さんだ」というので、わたしにマラリアの薬とか何かを、キネンとかそういうのを飲ませてくれて、注射を打ってくれて、それでまた生き長らえた。しぶといんだ、おれ。死にかかっては、また生き、死にかかっては生きてるの。

Q: 辻正信の本に出ている「潜行三千里」ですか、同じように現地人になるんですよね。

そうそう。その中に、地方人になったときに、「潜行三千里」の中に、23名かな、いる間に、みんなばらばらで入ったから、それが当時の幹部候補になった人たちが随分入っているわけ、23名。特別攻撃になるつもりで来た人たちが全部、「潜行三千里」の23名に入っているわけ。

Q: その中に相澤さんも入っているんですか?

うん。

Q: 相澤さんは、23名で田島一等書記官にパスポートを取りに行ったんですか?

うん、わたしは、自分なりに軍人だから、向こうではくれないというのを、ビルマから後退したんだから、ビルマで召集を受けて軍人になったんだから、また地方人に帰してくれと。それで、おのおのがいろいろ命令を、今のあとの人たちは、やはりビルマのほうから下がってきた地方人だということで、すっと入っちゃったんだけど、わたしは長いこと軍人なんだから、なかなかくれなかったけど。

わたしの場合には、遺骨を取りにいくつもりで行ったんだけど、時間は、幾ら歩いたって・・汽車で行くのは、そんなにシャム語も達者じゃないし、ある程度話はできても、今度ビルマのほうへ行くと全然わからなくなっちゃう。

Q: どうしてそこまでして遺骨を取りに行こうと思ったんですか?

そりゃ、聞くことないよ。やっぱり戦争のときに、(戦死者の)指でも切ってきてりゃいいけど、そのまま置いてきたんだから。せめて普通だったら、戦闘のときに指でも切って持ってくればいいけど、こっちも、そのときは死ぬもんだと思っているから。指なんか切るわけにいかないじゃない。その思いだけで。死ぬもんだと思っているから。それがたまたま死なないで、谷底に落ちちゃったんだから。これは死ぬどころの騒ぎじゃない、もう離れちゃったもんね、そこから。だけど、その兵隊自体が、「すみません、お先に」と言うだけで、これだけ言って、兵隊がそう言うて死なれてごらんよ。「お先に」って死なれたら、何とも言いようがないよ。もう揺すったって何したって、だめだよ。「待ってくれ。今おれも行くからな」と言うより、しようがないもんね。自分の兵隊がそばで死んでいくのを黙って見ているよりしようがないんだもんね。こうやって、こうで、ほっと倒れちゃったら、もうあとは動かないわな。しかもそれが、頭から血かぶってくると、体じゅう、わたしの体は血だるまになっている。理屈抜きだよ。とにかく何か持ってきてあげたいとか。いまだに何も持ってこないで、靖国でもお参りに行くのは、ただ単なる普通の兵隊で、死んだあるいは戦死したよというのと違うから、もう本当に兄弟でそこで話をしていて、そこでお別れを言って死んだという人を置いてきたんだから、これは申しわけないという一語に尽きるよ。

それの顔を思い出すよ。寝てても、夢を見ている。半分夢、半分夢でないみたいな、そういうことがあるよ。
半分夢、半分夢でない。目を覚ましているときに、今まで夢うつつが、目覚ましても、まだわかっている、そういう夢が。

ああ、わたしの一生は、もう戦争でなく、英軍と戦争しても、わたし個人は負けた戦争はしていないと、うぬぼれかもしれないけれど、そう思っているの。それを慰めにしているの。そりゃそうでしょう。もちろん全滅食って、これをやられたときは負けているけど、だけど、トータルして、その前に戦闘したのは、50人も1人で、5人で50人も捕虜にして、武器弾薬をいっぱい取っているんだもん。

部落の人の感謝のお返しです。これが、向こうの人が送ってくれた。

Q: これが送られてきたのは戦後ですか?

そうです。

自分のやったことが、向こうのインパールの中で唯一お礼をもらったなんていうのは、光栄だと思っているよ。向こうを助けて、苦しいながら、死ぬかもしれないのに、そこで米で50名をやっつけて、部落の強姦している英軍から離したということは、部落を助けたんだもん。

Q: これは、一緒に戦った部下には見せることができたんですか?

2か所ほど見せたんだけど、あとは部下のうちがわからないで、あと2人は。向こうが、麻が専門だから、麻でつくってくれた布だから、わたし独りもらっているのは申しわけないし、何とか、どこへやったらいいのかと思って困っている。

Q: でも、これを亡くなった部下にも見せてあげたいという思いはあるんじゃないですか。

そりゃそうですよ。

おまえたちが生きているときの戦闘のお礼がこれだよと。部落から直接、民間人から来るなんていうのは、大東亜戦争の中でも少ないんじゃないですか。ねえ、民間人が直接助けてもらったからといって、軍人にお礼をしたなんて。だから、そういう点では、わたしは名誉だと思っていますよ。だけど、その名誉を自分独りじゃなく、部下たちには喜んでもらいたいという気持ちですよ。

Q: そういった部下に、やはりあの世で早く会いたいというような気持ちもあるんですか。

会いたいですよ。先幾らもなしで会えるんだからと思っているけど。わたし、この間でも、初めてお墓をつくったんですよ。まだ入らないけど。だけど、わたしは自分なりの「心」という字をお墓に書いて、それを彫ってもらった。部下たちを思い出して、ここではいつも考えているように、お墓に「心」という字を彫ってもらった。このぐらいの大きさで。このぐらいあるかな。むしろ、インパールの山も彫ってもらおうかと思ったんだけれど、まだ死ぬ前からと思って。山も、その「心」の下に、インパールのアラカン山脈を彫ってもらいたいと思っているんだけどね。

出来事の背景

【インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~】

出来事の背景 写真陸軍第15師団は、京都府と滋賀県出身者を中心に編成され、総兵力は2万。
昭和19年(1944年)3月に始まった「インパール作戦」に投入された三つの師団のうちの一つである。
「インパール作戦」は、ビルマ方面第15軍司令官牟田口廉也司令官が、戦況を一気に打開しようと考えついた作戦で、連合軍の補給拠点、インド東部のインパールを攻略しようというものだった。
31師団が、インパール北方の拠点「コヒマ」を攻略、33師団は、南のう回路からインパールへ、そして、15師団は北側からインパール攻略を命じられた。
大本営をはじめ、陸軍内部は補給を軽視したこの作戦の成功を危ぶんだが、牟田口司令官は強硬に主張し、作戦開始が決まった。

3月、インドとの国境を流れるチンドウィン河を越えて、作戦が始まる。将兵は重い荷物を担いで、3000メートル級のアラカン山脈を越え、作戦開始から10日目に、サンジャックで連合軍を退け、コヒマ-インパール間を遮断した。
しかし、インパールを取り巻く高地に近づいたところで、最新の兵器で反撃を受ける。「セングマイ高地」では、連合軍の最新の戦車に蹂躙され、肉弾攻撃に踏み切らざるを得なくなり、多くの兵士が命を落とした。
6月に入ると、コヒマを攻略していた31師団も苦境に立たされ、ついに佐藤師団長が独断で撤退を開始、31師団からの援軍を当てにしていた15師団は大混乱に陥る。

15師団にも、7月には退却命令が出されたが、その撤退は悲惨を極めた。飢えと病気で兵士たちは次々に倒れ、その撤退路は「白骨街道」とまで言われるようになった。

19年末、連合軍とのイラワジ会戦を戦いさらに大きな損害を受け、タイまで後退して終戦を迎えた。師団将兵2万人のうち、1万5000人が亡くなった。

証言者プロフィール

1919年
北海道苫前郡羽幌町にて生まれる
1936年
陸軍に志願し合格、関東軍に入隊
1937年
陸軍教導学校旅順校へ入校
1944年
第60連隊第二大隊第六中隊第三小隊長として、インパール作戦に参加
1945年
ビルマにて終戦を迎える
1947年
復員、復員後は不動産業を営む

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