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タイトルタイトル: 「遺族に言えない戦友の餓死」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
名前名前: 酒井 常治郎さん(金沢・歩兵第107連隊 戦地戦地: ミレー島  収録年月日収録年月日: 2009年11月9日

チャプター

[1]1 チャプター1 携帯食と水筒を携え上陸  03:20
[2]2 チャプター2 空襲  02:51
[3]3 チャプター3 深く掘れない壕  03:12
[4]4 チャプター4 偶然が生死を分けた  03:32
[5]5 チャプター5 食糧が足りない  04:01
[6]6 チャプター6 食糧泥棒  04:09
[7]7 チャプター7 自分の墓穴を堀る  04:11
[8]8 チャプター8 米軍からの食糧投下  02:34
[9]9 チャプター9 終戦  02:45
[10]10 チャプター10 遺族に伝えられない“餓死”  01:52

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年11月9日

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Q:食料とかっていうのは、どのくらい持っていったんですか?

そのときはあんまりなかったんやね。下へ積んどったのが、若干のいわば甘いもんとか、羊かんとかね、ああいうものが若干缶詰、缶詰。食料っていっても、缶詰があったわね、先は、先の間は。米は別やけど。そういう連中も船の下へ積んであったらしい。そやけど、その荷物は向こうへ着いてから時間がなかったで、あんまり降ろす時間がなかったんだわ。ある一定の程度、夜明けになると引き揚げてしまうんや。空襲が来るさかいに危ないっていうんで。兵隊で下ろすのが精一杯やったんやわ。荷物降ろす間がなかったんやわ。

Q:個人で持ってる量っていうのは、普通どのくらいの量を持って、そのミレー島で降りたときは、どれぐらい持ってましたか。

降りたときは、そんな配給で船の中でくれる程度で、持っとるもんは、別になんも。まあ背嚢のなかへカッパが。ちょっとあの乾パンか、乾パンが携帯食ちょっと持っただけで。そいで、水筒の中へ水もいっぱい入れてあったし。ちょっと上がったときに飲むように。その程度です。

Q:米とかは、全然じゃあ持ってってなかった。個人では。

下に少々積んであったらしいけども、さっき言うように、空襲があるので時間が、夜が明けるまでにその船が帰らんなんって言って、兵隊を下ろすのが精一杯だったんやわ。それでなかったね。で、上陸するなりから、海軍の米を分けてもらって食べとったよ。

Q:個人で背負って、一人分背負ってっていうこともほとんどなかったんですか。 じゃあ。

何を。

Q:米を。

ないない。米は全然よ。

もう上陸して、そのときまだ兵舎が、兵舎らしい兵舎があったんやわ。あの、上陸したときは。ヤシの木もまんだ茂っとるしね、パンノキもまんだあるし。爆撃がそのときに来て、そしたらその兵舎あったけども、やられてしもうてね、もう入れんで。それから、3人なり5人なりに分散して、どこでもここでも穴掘って、壕の中におることになったんやわ。うん。でも、米っちゅうのは全然。あれ、船には積んであったかなかったかはわかりませんけどが、降ろす時間ていうものが全然なかったんよ。いっぱい積んであったんやけど、下に。倉庫いっぱい積んであったんやけど、その上にわしらおったんやさかい。そやけどその荷物を降ろす時間がないもんで、そのまま兵隊だけ降ろしてずーっと引き揚げたんだわ。

もう夜が明けたらやられた。わかるらしいわ、アメリカは。今、陸軍が上がったっていうようなこと。わかったらしいって。

Q:酒井さんはどうやってそれを逃げたんですか。 どうやって避けられたんですか。

あの対空・・くったらこっちも訓練もしとったけども、小銃しかもっとらんけどが、だいたい300メートルまでぐらいやったら、飛行機、小銃の弾撃ってもちょっと効果あったんやけども、それを超すと飛行機っていうものは撃っても何もならんのや。届かんのよ、弾が。届いても弱いさかい、飛行機を突き破るだけの威力がなかったけんね。そして、あれ、爆弾というよりか、飛行機から銃で撃つと、高いとこからこう、こうりしばに前から弾をパンパンパンパンと撃ちよるのがやって、奴ら。で、こう上る(上昇する)ときに、後ろからババーンと撃つがいて、それに何人かやられたんやわ。上陸してすぐに。
それで、それからもう毎日のように、飛行機は来るは来たけども、どっかへ隠れて、よわらいに、偽装網でもかぶってみんな耐えしのいどったけど、もう壕を掘るっていってもなかなか上へこうなんかやられたら、小銃の弾がだいたい30センチか40センチほど、これほど砂がなけりゃ弾が下へ通すわけに、それをせんと結構手間もかかるし、だんだん毎日飛行機は来るしね。で、だいぶやられたもんもおるけども。
そういう具合だったで、そのころに電波探知機って言って、島の南の端っこにあったんやわ。その機械は、敵の飛行機がずっと見えんところにきても、その探知機でちゃんとわかるんやね。それで「空襲警報」って、「対空戦闘、位置に着けー」って、命令を出しとったで。すぐ飛行機に対する。そやけど、陸軍やさかいね、そんな飛行機が来ても、あんまり練習もやっぱ不自由なんやて。・・・撃つ構えして、撃つわけだけど。そのときはまだ弾もあるし、まだ元気もあったさかい、みんなやったけどが。おいおいにそれで食料がないもんで、だんだん体が弱ってきてね、後のしまいには本当に餓死者がだんだん出るようになったわけや。

あんまり深う掘ると、ああいう島やさかいね、水が張るさかいに、あんまり深う掘れんけれども、あの、そのやっぱり人間が、まあちょっとうつむかな歩けんぐらいの壕かな。

Q:どのぐらい掘るんですか。 どのぐらい掘ったんですか。

そうです。だいたい2メーターほど掘って、3~40センチ上へ砂を盛らんならんさかいね。2メーターぐらいやったと思う。まあ測ったことないさかいにわかりませんけども。で、中へ入ってちょっとうつむいて歩くくらいやったと思うんです

Q:下は水が出ちゃうんですか。 ビチャビチャに。

あんまり掘れば。海岸やさかいに出るさかいにね。まあ、2メートルぐらいまでぐらいは大丈夫やったと思います。

Q:そこをヤシの木かなんかで補強するんですか。

うん。そう。ヤシの木の、木ががそれでもあったさかいね、ヤシの木。爆撃でやられたのもあるし、それから若干の材料もあったし、そういうものを全部使って上へこう並べて、その上をヤシの葉で雨漏りのこういうのもこしらえて。その上へ、ヤシの葉の上へ今度は偽装、偽装しとかな危ないさかいに、青いもの、草かなんか植えては。みんな分散、それもせいぜい5人、5人ほどやね。1つの壕に。

Q:じゃあ、上がヤシの木ってことは、上から落とされたらもう。

それはもうだめ。直撃食ったらだめなの。

Q:隣に落ちてもやっぱ危ないんですか。

危ないです。至近距離に撃ったら、もうそれで壕はもうだめやわ。で、
びしゃんと、そこで直撃、至近距離でやられたとこも。人もいたし。

Q:どうなっちゃうんですか。

そんなもう爆撃でしん、飛んでしまうがよ。

Q:何にも残らないんですか。

何にも残らない。ただとにかくモモだの血だのが、頭のもげたのが散らばっとる。またそれがあるとこのしあわせだけどな、砂の上にでっかい穴が開くんやさかいに。それが噴出したわけよ。全部埋まってしまうか。それで、そんな細かいもの、またわざわざないからっていって、探してる間もないし、それで危険やしね。

もしなんかあっても、誰のやらわからんもんね。5人も6人も乗っとるのがいっぺんに、直撃におうたら、そのそばにおっただけで、バーンと砂が舞い上がって、そんで隠れてしまうし、誰のどれやら全然わからんわ。あっても。

Q:危険さは、危ないっていうのは、同じだったわけですか。

一緒です。どういう弾が落ちるかわからん。「空襲警報発令」って言うんやけども、そんな隠れるものは何も、出りゃボンボンとやられるしね。みんな壕に入って、こうして硬うこうやって、爆撃の行くのを待っとるだけのもんやわ。で、そのときでもやっぱあれやな。今思っても涙が出るんやけども、たいていこの、今までその壕の中に入ってこうやっておるとき、願うのは、願うのは、いつでもこうなるんやけどが、思い出すと。ほとんどなんやわ、パパ、お父さんとお母さん。まあ言えば、今やとパパ、ママって言うのもおるけどさ。いずれというとお母さんが主よ。

Q:そういうことを思うわけですね。親のことを思うんですか。

そうです。「かかあ」っていうか、「お母さん」っていうか、たいていそうやわ。今や今やと思うときになると。それと、念仏がやっぱり出るしね。もう今やと思うともう無理だけんね。あんまりこういう話すると…

Q:何度もやっぱりそういう状況があったんですか。

あった。あった。そうしたら大隊本部でおって、空襲が済んで、さあ、これはだいぶ死んで危ないぞって行ったら・・大隊長が出てきて当番やさかい付いて歩かんならんし、行くとね。そうして行って、もしある日なんか壕があったさかいそこへ入って、兵隊なんともないか見て、また次の壕へ入って、そして見たりと。で、ある壕へ入って、7人おったかな、兵隊が。「ああ、よかったな。元気やな、よかったな」と言って、それでそこを出て、次の壕へ入って、また見たら、その間にこの壕が爆撃されてね。ここ、大隊長と見舞いに行って、「えらいよかったね」って言って出てきて、次の壕へ入ったそのときに、このさっきの壕が直撃食ろうたんやわ。だけどあれ、飛行機が確かに来た、警戒せんならんはずなんやけども、大隊長が先に爆撃があったさかいに、仕事が大隊長やさかいに、見んならんと思って、そしたら当番やって言って、見て、「よかったね」って言って、「頑張れよ」って言って出て、次の壕へ入った、入ってる間に、先に入った壕がバーンとやられたんやて。うん。そして、6人が7人、全部やられたんよ。そういう場合もあったしね。

Q:食糧なんですけど、上陸してすぐのころは海軍からもらってたんですか。

そうそうそう。海軍から分けてもうたんやわ。陸軍はちっとも、乾パンだけ全員持っていったから、非常食や。いわゆる。非常食て乾パンってこんな、兵隊はパンの硬いのがあったんやわ。それを2日分ほど持っとったかな。

Q:どういう取り決めで、海軍から食料をもらえてたんですか。

いや、もう上がったときから海軍からもらわにゃ食うものないんやさかいに。陸軍は食料を何も上げていかなかんだやさかいに、もうそのときから。そんで海軍もその時分は食料を持っとったらしいしね。それでまあ、腹いっぱいはなかったけども、まあ分けてもらって。ほかさんやらなんやら、それでヤシがね、その上がったときはヤシの木やらパンノキも、パンってこんな青い実がこんな実がなる、それやらヤシの実やらねあったし、そんなものも結構食べておったんやけども。まあ上陸するときから、米っていうものは十分にあたらなんだよ。

Q:最初のころは、普通に食料は分けてもらえるっていう。

うん。ほんのわずかの間。ありましたね。

Q:そのときは、米の飯はまだあったっていうことですか。

そうそう。あった。あったね。上陸した時分には。でも、それもすぐや。すぐに米がないって言って、だんだんだんだん控えられたのは。

後にはだんだんだんだん減らされて。後はほんの水飲みみたいなお粥さんこしらえては、みんなで食べておったんやね。それに、トカゲとかネズミとか。またりくつとかないようになると、ネズミがどっとおるんや。ちっちゃいネズミやけどが、こんなちっちゃいネズミ。でかとって、あれはほんまにうまかったし、栄養もあったんやわ。トカゲ。トカゲもヤシへ上がってるカニでも、なんでも。トカゲのこれぐらいの、にしんめのトカゲがおったよ、結構に。それも食べておったんや。

Q:どんどん食料がなくなってくるときに、ネズミも食べたとか、いろいろおっしゃってますけど、そういうのは自然に食べられるもんなんですか。

ああ、そりゃもう腹減ってる。いくらでも食べれますよ。なんでも。ネズミも首持ってぎゅーっと皮はいで。やっぱうまくはげるもんよ。ここきゅーっとはいって、頭をキュルキュルっとやった、シューっと引っぱると身ばっかりコロンと出るがや。それを本当はちょっと火たいて焼いて食べると一番うまいんやけども、その、焼くとね、今度は日中焼くっていうことになると、火せんならんやろ。そうすると煙が上がるやろ。そうすると爆撃の目的に目標になる場合があるんやし。夜間やると、へんな明かりが漏れるやろ。そういうのが爆撃の目標になる場合があるんね。それで、めったに・・まあ生でガシガシと。焼くと骨もちょっと柔らかくなって、丸ごと食べられるんやけど、生はちょっとやっぱ、骨はちょっとね。トカゲはみんな食べられます。頭は落ちると、頭は目でギョロンとされると気持ちのいいもんやないさかい、頭は。栄養になります、全部。人間によってやけど。

海軍の倉庫に、ゴロゴロ缶詰とか、まあほとんどの缶詰があるやん。もう赤飯の缶詰もあるし、なんの缶詰もあったわ。海軍は持っとったで。で、それを、それも小屋がないさかい、それもどっかへまとめて倉庫の代わりにおいてあったんやね。うん。それを今度はやっぱり腹減るにはかなんさかいに、泥棒が・・泥棒って、わしらもそうだったけど泥棒。盗んでは取ってこないと体が続かんのやわ。そして歩哨、それに歩哨がついとるんやて。で、歩哨(見張りの兵隊)に「米頼むぞ」って約束しとくで。で、歩哨に立っとる兵隊が知っとるもんやさかい、「おいおい、頼むぞ」って言って、取ってくるわい。それは、わしばっかじゃない、みんなみんなやっとるわい。

Q:歩哨は、じゃあ陸軍側で出してるんですか。 海軍。

主に、まあ食料。あの交替やけどほとんど陸軍やったね。それにみんな歩哨は。で、わが知っとるおんなじ本部の、本部内の歩哨ぐらい付くと、楽かったわ。泥棒するのが。兵隊っていうところは昔から本当の、まあ現役もそうやけどが、泥棒の巣やわ、(一言)で言えば。現役のときでも、シャツ取られるやら、巻ききゃはん取られるやら、銃の銃口があって、それのあれもよう取られるんやわね。そんな泥棒ばっかのとこや。軍隊っていうとこは。で、またそれができん、おとなしいのは務まらんのや。務まらんって死ぬわけにいかなんだけど。

Q:酒井さんとかが行くと、取ってくるっていうと、どうやって取ってきたんですか。

まあ、歩哨が、歩哨が晩やらね、いろいろ泥棒がいかんから待っとるんやね。それは、きつかったで。泥棒が来たっていうことになってくると、歩哨が撃ったっていい、実弾を。撃ったんやわ・・やけど。そうやったら歩哨に、「今日頼むぞ」って言うとくんや。そうすると、歩哨が知っとるもんで、それで黙って行っても、歩哨が知らん顔してするわけや。それで取ってくる。だから、おとなしいことしとったんでは、とても生きてこれんわ。

Q:そのときは、何取ってきました。

まあ主に缶詰やね。主に缶詰。米っていうのは、そんなのなかったけど。何の缶詰でも持っとったわいね、海軍は。それを、そこばっかりやない。分散して、あっちもこっちも置いてあるが、爆撃が来るさかいに。1箇所に置いたら爆撃が来たらなくなるさかいね。何箇所もあったがやわ。

Q:撃ってもいいっていうのは、威嚇じゃなくて、もう本当に撃っちゃっても、それは別に罪じゃないってことですか。

そうです。泥棒するのは、ミレー島のその場合には、あれだけね、命を取るっていうこっちゃさかいね。命やさかいに、食料は。たくさんあるなら、急がすなら急がすで、いくらもすぐに入っていってくるんやけども、上がった(上陸した)きりで、何にもそれから補給はないんやからね。それで、海軍と2千人、2千何百人おったと思うわ。その食料がなんもないさかいに、それはもう泥棒してもなんも、それは撃っても仕方ないんやて。それを、それをたるいことしてると、泥棒、泥棒だらけでどうしようもならんさかいね。

そりゃあ何ともまあ、あんだけの痛ましい死に方はないわ。うん。もうネズミでもトカゲでも取って「一口食べや」って、やっても口あけんもん。あのう、まだ息しとるがや。息しとるけども、まあ何や、死ぬ前んなってくると。それども、その連中はもう穴、穴掘って。あとには、その穴掘って埋める元気のある兵隊がおらんように、だんだんだんだんなってきて、自分の掘る穴をあの掘れっちゅうこと、命令で。自分の掘る穴を、入る穴を、砂や砂やさかいに、そんな掘って構えとったんやわ。もう自分はそこの穴へ、あのうみんなゴロナガラ持って行って、穴掘って(埋める)力が兵隊ないようんなってきて、うん。

もう掘らなあかん。だれも掘る者おらんちゅうことになってきたんやわ。そやけど海軍ではそりゃわかりませんけど。

Q:じゃ、ちょっと弱り始めたなって自分で思ったら、掘ってる人がいるわけですか。

そうですね。(あのころ)後にだれも始末してくれるのおらんっちゅうな(なのを)考えると、自分の掘らな、掘っとかにゃ。それ掘っといても、入れてくれるおるんかわからんけども。

Q:そういう隊もあったわけですね。 ほかの壕では。

ああ、ありました。もう最後はもうほとんどみんな体力が落って、もう落ってしもうとるさかいに。

Q:酒井さんも掘りました? 自分のは。

あ、自分のはあの本部のあそこへ、隊長のも掘ったし。隊長はまあ大丈夫だと思うたけどさ、掘ったし、掘りました。

Q:自分用のを掘ったんですか。

あ、自分用の。全部、全部穴、自分用。ヨドランダシね、だいぶ死んで。その時分、もうみんなだれも落ってしもうて。本当に情けない。どういう、今んになってもあんまり思い出しとうないんやけども。

栄養失調で、餓死ちゅうものはそう死ぬときに苦労はせんもんじゃわ。それまでに苦しむけど。死ぬときは、それはスーッと逝くんやかという感じがするね。生きとって、生きとっても、「おい、おい、貴様」・・戦友は貴様って言うけど「貴様、しっかりせいや」って、こうほっぺた叩いても、それがあとはないもん。それがもう駄目やった。あした、あしたまで駄目やと。それで、顔は何も知らん顔して逝ってたもん。あれはスーッと逝けるのや。体が衰弱してしもうて、衰弱して死ぬのやさかい。あれは痛ましい。

Q:弱って寝てる人は、どのぐらいもつかもたないかっていうのはもう…

だいたいわかります。

Q:見ててわかるんですか。

だいたいわかるね。まあ、力、力つけるもんがないやさかいに。何も力つけるもんっていうの、薬だけでも飲ませてえがあるはずないし。何もない。栄養失調に薬何もないやろうけどさ。あの、何でも、なんか米の飯いっぱい、一口食いたいっていう人も、食えたこともないでもないけど、結局何も栄養にならんがさかいに。取って食う力がない。自分で口へ入れる力ないやで。人が一口食べやって最後に一口食べやっていうても知らん顔してる、こうやって。うん。

まあ、この辺でもそうやけど、死なれると大概顔白いこうくるむげね。あれでもうきょうはもうだめや、これでだめやと思うと、あのう何でもない、白い布ないさかいに、かけてやるがや。そうすとあしたの朝もたいていもうだめなん、うん。

飛行機が来て落とすのは、俺は見とるのやさかい。飛行機が来て落とすのは。で、米でも缶詰でも落として行ったんやわ。で、ビラも落として、「君たちは悪うもなんもないさかいに、これを食べて生きとれ」っていって書いて、ビラも落ちるし。そやけども、正直言って、食べりゃよかったかもしれんけども、当時はやっぱりなんといっても敵やさかいに、何がそれこそ入ってるかわからんって言って、「食べるな」って言って、上司から言われるし。

Q:何が落ちてきたか、見ましたか。

見ました。米も見ました。大きい粒やわ。アメリカの米は。

Q:缶詰とかは。

ああ、缶詰も。

Q:手に取るっていうか、もう目の前にあった。

あるんですよ。落ちてきたのがあるんよ。もうみんな食べよう思って、食べようかと思って、構わんと思うけど、やっぱ上司から絶対食べたらいかんということを言われておるもんやで、食べられなかって。

Q:終戦前のまだ戦ってる最中にもそういうのがあったんですね。

そうそう。もうしょっちゅうそういうビラが、ビラはミレー島へ落として行ったんやわ、敵は。

あの、「君たち、とにかく君たちは悪くないんやさかいに降参しなさい」って言って。せんかとうしなさいとかいって。ビラが落ちるんだわ。

Q:それを見て、酒井さんたち兵士はどう思ったんですか。

それはやっぱりなんとも戦争やさかいに、戦争しとる真っ盛りなさかいに、絶対そういうことも頭に感じなんだね。敵のやることやさかいに。

Q:敵の落とした食料を食べることはなかった?

なかった。俺はなかったけども、食べた者も、内緒に食べた者も、後で終戦になってから話しとるときに、食べた者もおったらしいけど。なんともなかったけども。それはもう、降参しなさいっていうビラはしょっちゅう落ちてきたやわ。けど、食料落とすのは、終戦ちょっと前に2回ほどあったかな。しっかり記憶しとらんけどが。

いや、うれしかったねえ。うれしかった反面、どういう、アメリカの兵隊がこの我々をどう、あとをどうするんがで、まさか内地へ帰るとは思わんし、どうするのか、この場で殺してしまうのか、アメリカへ連れてくのか、連れてっても何も間に合わんけど。いろいろそういうことをまあ考え、考えておりました。それだれも大隊長もわからんだわ。いつ何時氷川丸が迎えに来るちゅうことも。それでだいぶ何日もしてからあのう、だいたい第1陣やったでね、あれ。ミレー島、あれ引き揚げるは。第1陣やったで、氷川丸が行くって聞いたときには、飛び上がって喜んだね。

いや、そりゃう、うれしい、うれしい。もう終戦っちゅう、天皇陛下のあれ、それを大隊長がいうて聞かしたときにはやっぱ残念は残念やけども、やっぱ体が体やさかい・・栄養失調なんて死ぬ方法じゃないっちゅうときやさかいに、やっぱうれしかったね。それもうその当時はうれしいはうれしかったけども、まださっきもいうように、殺されるのか、アメリカかどっか連れて行くのか、わからん、わからんやろ。それで負けたんやさかい。それで不安やったけども、まあ、氷川丸が迎えに来るちゅうこと。あ、1か月ほど、あれ9月やったと思うわ。だけど早かったんやわ。それ、そんときはもう本当にうれしかったのよ、うれしかった反面やっぱ戦友のことをどうしても忘れられない。今でもまだ戦友忘れんけん。60何年たつけど。毎日思うとるないけども、たまに話が出るとこう胸が苦しいなって。あんまり痛ましい死に方でね、餓死ちゅうのはね。食べる物さえありゃ死な、死ぬこといらんがやさかい。そりゃあ弾に当たって爆撃おうて死んだのは、これはまあしょうがないけども、餓死ちゅうものは・・あのう食料がないために死んでいくんやさかいに、これほど痛ましいもんはないね。そいだば氷川丸が迎えに来るときは、そりゃあ本当にうれしかった、うれしいことは。いろいろちょっと、うれしいこともあり悲しいこともあったけどさ、負けたんやさかいな。勝って戻るなるなら万万歳やけど、負けて帰るがやさかいやっぱ不安もあるわい。

Q:遺族に餓死っていうのはやっぱり言えないものですか。

言えんね。餓死ということは言えんね。まあ、この箱に入っておりますぐらいは一口も言えるけど、それもなかなか言えんね。もう無理や、こんなこと言えんも。で、餓死ばっかりだし、それはやっぱり戦死、立派な弾に撃たれて死んだ、死なれた人も多少おりますさかい。それは餓死っちゅうことは、まあ、あまり口に出せんけどが。この箱の中に入っているっていうことは、大体、八分通り分かっとるさかいに言えるけども、なかなか言いにくいんやって。ああいう場合は。

やっぱ帰ってきたときは、本当に歩いても揺れるぐらいになっておったんよ。まあ、1か月や、1か月でわしも骨になったけど。
まあ、でもミレー島の、ミレー島のこの思いというのは、何か死ぬまでこれは消えんと思うんや。死にゃ、わしもやっぱりおらんさかいにええけどが。もうしょっちゅう思い出しては、本当に胸につまってくるやけんに。今でもやっぱそうや。本当に胸に詰まる。何か忘れたいと思うけどが、なかなか思えば思うほど忘れないって。

出来事の背景出来事の背景

【飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~】

出来事の背景 写真日本からおよそ4600キロ離れた太平洋中部ミレー島(マーシャル諸島のミリ環礁)。太平洋戦争中、5700人の日本陸海軍将兵が送られ、3100人が命を落とした。

このミレー島は、戦況の悪化とともにアメリカ軍の支配地域に取り残された。そのため2年近く補給が途絶え、兵士たちは耕作地のほとんどない環礁の島での自活を余儀なくされ、飢えのために次々と倒れていった。
多くの犠牲者を出したのが、石川県金沢市で編成された陸軍歩兵第107連隊第3大隊。この部隊が派遣されたとき、島にはすでに3000人を超える海軍部隊が配置されていた。補給が途絶えた島に駐屯した陸軍と海軍。食糧不足が深刻化すると、同じ日本軍でありながら、両者は食糧を巡って激しく敵対するようになり、食糧を盗んだ兵士が射殺されたこともあったという。

さらに、米軍は上陸してくることはなかったものの、海で漁をする兵士を機銃掃射の標的にした。

昭和20年(1945年)になると、第3大隊1000人のうちおよそ半数が亡くなっていた。
そうしたなか、同じ部隊同士でも食糧の配分を巡って対立するようになり、大けがを負わされた部下が小隊長を射殺する事件も起こる。先行きに絶望した兵士の中から自決する者も出た。

終戦後、第3大隊の生存者が島を離れることができたのは、昭和20年9月29日。復員船氷川丸に乗ることができたのは、300人足らずであった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1918年
石川県能美郡白峰村にて生まれる。
 
桑島尋常小学校下田原分校卒業。
1939年
現役兵として歩兵第7連隊補充隊に入営。
1942年
第107連隊編入。
1943年
充員召集のため107連隊応召、ミレー島へ。当時24歳
1945年
中部太平洋ミレー島にて終戦を迎える。復員後は農業や建設会社、製材会社に勤務。

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