ホーム » 証言 » 蔦屋 勝四郎さん

証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る

タイトル 「今だからこそ真実を話す」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦 ~秋田県・歩兵第17連隊~
氏名 蔦屋 勝四郎さん(秋田・歩兵第17連隊 戦地 フィリピン(ルソン島)  収録年月日 2010年6月24日

チャプター

[1] チャプター1 満州から南方へ  03:29
[2] チャプター2 マニラ上陸  04:23
[3] チャプター3 食糧は現地調達  02:04
[4] チャプター4 勢力を広げていく抗日ゲリラ(一)  06:04
[5] チャプター5 勢力を広げていく抗日ゲリラ(二)  06:11
[6] チャプター6 米軍との激突  02:58
[7] チャプター7 上空を飛ぶ観測機  06:30
[8] チャプター8 マレプンヨ山  01:44
[9] チャプター9 猛攻撃  02:00
[10] チャプター10 玉砕を覚悟  04:08
[11] チャプター11 飢えとの戦い  06:12
[12] チャプター12 極限状況  03:43
[13] チャプター13 敗戦を知らせるビラ  04:09
[14] チャプター14 日本軍兵士は何をしたのか  03:00

再生テキスト

冬期演習行って、防寒具着るでしょう。防寒具かぶるから、(出る)汗は全部ふかなければ、だめで、鼻毛が凍るんだよ。ご飯食べるって(食べるにも)飯ごうなんてありゃ、ハシでなんか食べるてられないから。飯ごうに唇つければ、唇持って行かれる(とられてしまう)から。だから、ご飯食べるったって、フォークでだよ。自分で作ったフォーク。そのフォークを口に入れられねんだ。だから、放り投げるだけだ。中のご飯なんかみんな、カラッカラになってるんだよ。凍っちゃって。寒さっていったて、本当にあんな固まりなんか食べられるわげね(ない)。

Q:気温は?

普通は30度ある。マイナス。部屋の中は暖かいよ。ストーブ、ついでるから。外は寒いんだ。だから、わたしたちが行ったのは北満だから、うちはそこの、すぐ上だからよ。寒いって、ここらへんの子どもがたさ(子どもたちに)、「寒いっ」てどうやって教えでいいがわからない。やっぱり行って来た人でなければわからない。

冬靴の脚絆(きゃはん)付けて。あれだっけ、歩くだけでやっとだもの。背嚢(はいのう)背負ってだもの。だから「汗かいたら、すぐ取り替えなさいっ」てよく言われるもんだ。汗かいたものおけば、今度、凍傷にかかるがらよ。夏であれば、ここらへん、汗かいたの着てれば乾くども(けど)、乾がねんだ。そのまま。それが凍傷になるから。下着は全部取り替えなければならね。靴下なんかは、特にだ。だから、めんどくさがらずに、取り替えねばダメなんだ。それで、ほれ、ここら辺でいう、こんべはえ人(動作の早い人)ど、こんべのおせ、のろまな人いるべった(でしょう)?脚絆外して、そして、靴下取り替えって、めんどくせがら我慢してやるわげよ。して、戻って来れば、親指なくなるん。凍傷なったったってよ。親指ブラブラ、色も変わちゃうのや、みんな。足の指が。んだ、そうやって切断した人は何人もいるよ。

わたしたちはよ、あの時は、大東亜戦争が盛んに始まった時だがらよ、おらだは、初年兵教育盛んにやってあったがら、動員かかって、8月の、南方移動って、関東軍が全部、南方さ移動することになったがらよ。あれ、ソ連ど、松岡洋右が不可侵条約ってゆうのを結んで「ソ連は絶対に満州に攻めてこない」ってゆう約束事をやったらしいだな。だから、今度、それで大丈夫だがら、ソ連は攻めでこないがら、関東軍は全部南方さ行って、支那の駐屯の部隊も、みな、南方さ行った、全部。

Q:ルソン島とは知らなかったですか。

ルソン島っていうのは、まだ聞かないよ。わがらね(分からない)。それを発表さねん(ない)だ。行ぐ先は、わがらねんだ。ただ、南方移動っていうだげの命令は出てるの。だから、どさ(どこへ)行ぐが、分からないわげよ。

マニラのふ頭さ上陸した所がよ、横手(秋田県)の町並み、(まだ)砂利道のとき、アメリカの港の駅前なんか、舗装道路だっけど、みんな。マニラの港さ上陸した時、一番びっくりしたのが、波止場の洋館でガラスの戸。一枚ガラスで。今で言えば洋館だ。あれが、だらぁっと並んでる、アメリカの使ってる建物だべな、あれば。と思うんだ。「いやぁ、すごいもんだな」ど思った。我々、今度、荷物運ぶど、(道具は)自分の背嚢、今度、大八車だよ。大八車持って、大八車さ荷物積んでって、そして、運ぶんだよ。南部のルソンさは。あれ、バタンガスまで。あれも大変。それも、昼間は上、飛行機飛んでるもだから、狙われているもの。だから、監視にだしてるんだども、なんとアメリカの飛行機が多いために。1機、2機でねもの(ないもの)。ここに輸送船が入ったて向こうでわがったために。もう、観測機がしょっちゅう来てる。頭の上飛んで歩ぐんだ。だから、昼間は絶対動がいね(動かれない)、それこそ、夜でねば、動がいねんだ。

Q:17連隊が上陸してから、米軍がくる間・・・

3か月・4か月ある。

Q:南部ルソンで何してましたか。

穴掘りだ。毎日。たこつぼ掘り。最初、(米軍が)南方がら上陸するというごどであったがら、日本の17連隊はバタンガスってタヤバスって、ルソン島の一番南の湾のとこさ、警備につけらいだの(つけられた)や。だから、みなも、壕(ごう)寒いで、穴掘り。たこつぼ。爆撃されれば困るからって。自分の隠れる穴は自分で掘りなさいって。まっすぐ掘っただけでは、だめなわげよ。横さ、曲げで掘らねば。そさ、隠れでなければ、爆風でやられるのさ。だから、穴掘りが大変なんだよ。機関銃の場合は、たこつぼも大事だけれど、機関銃の陣地っていうのをある程度、作らなければだめなのや。銃座っていうものを作るの。あれはやっぱり、まるっきり2人が3人で、1日かかるんだよな。しっかり掘ってるだからよ。そいがら、屋根。上隠さなくてはだめだしよ。だがら、銃身だげ出るように作るんだよ。上がら見えるようでは、ダメだべった。ソ連の場合だば、ちゃんと掘ってれば大丈夫だばって、アメリカの場合は、上から(飛行機から)観測されるもんだっために、上がら見えねようにさねばダメだ。

Q:ひたすら穴掘りですか。

穴掘り。ずっと穴掘り。毎日穴掘り。そして予備陣地って、今度、進むばりでねぐ、(米軍が)下がってきた時にはここだから、マレプンヨまで穴掘りしてきた。ずっと。とこらが状況がかわって(米軍が)北がら来たでしょ。北がら来たがら陣地が反対になっちゃった。また、新しく穴掘り。だから、本当は連隊本部は、1船の2船の3船のところに、マレプンヨの陣地ってあったのよ。あれ山だがら、ところが、北がら来たもだから、一番先にやられでしまったわげよ。一番最初に病院。病院が一番最初にやられで、今度、連隊本部だもん。我々はずっと先の方にいで(居て)あったがら。

Q:どんな気持ちで穴掘ったのですか。

自分のためだがら、掘らねばねった(ならなかった)。穴掘りって、今度、穴掘れない人もいるのや。同じ人間でも。一つ穴掘るにしても、早い人と遅い人といるわげ。せば、遅い人の手伝わねばだめだもの。その穴掘りばりでねぐ(ばかりでなく)、つぎの陣地さ行がねばだめだもの。我々の場合は本当に困ったんだ。機関銃の陣地の穴掘って、今度、自分の穴も掘らねばねしよ、本当に食べ物でもあればいいけど、食べ物もないもの。

(補給は)一回もね(ない)。だから、命令を「現地調達をしなさい」と命令がででるんだもの。現地調達っていったって、国の金で買うもんでもねし、軍票なんて遣えねし、かっぱらってこいっていう意味だもの、はえ(早い)話しが。だから、フィリピンの国さ行って、食うものもねがら、フィリピンさ行って、「これ、売って下さいっ」てたって、日本のお金は使うねべし、腹へるがら「かっぱらわねばね」、「ジャパン、スンダル、ドロボウ」だのいって追っかけでくるんだ。

Q:ジャパン?

「ジャパン、ドロボウ」だっていうの。ジャパン日本の「スンダル」って兵隊なんだ、フィリピン語で。ジャパンスンダルって、ぶっかげでくるの。ケツ追っかげでくるの。かっぱらってくるんだもの。何と。

米。野菜。あと、鶏、豚、牛な。なんも食うものねんだものかっぱらうしかねんだもの。軍事調達って命令は出てるども、立派な言葉だけれどもね、早え話しがかっぱらってこいっていう話しだこい。兵隊さん達だっきゃ、腹へってるもんだもの。んだ、それが、補給もなんにもねがら(ないから)みるまでもね話だ。だからフィリピンは本当に迷惑した話だ、今思えば。ほとんど、畑のものは食われるしよ、言うごどきがねば(言うこと聞かないなら)殺されるべ。こんだぁ。なんぼが(どれぐらい)殺したもんだがわがらね。ぶっかげで(追っかけて)くるもんだもの。そこの人達は兵器持ってあったがら、フィリピン人は。アメリカが全部住民さ兵器渡したがら。ゲリラばっかりでないもん。住民さ、全部兵器を渡したもの。だから、どごの家さ行っても撃たれるんだ。「かっぱらいに行くのも命がけ」「戦争するのも命がけ」「いつも、寝ても起きても命がけ」だよ。

行ったばかりはよ、非常に歓迎してけだのな。南方さ、バタンガス(島南部の町)の学校さ行くどよ、日本の先生がいであったん(居ておられた)だよな。日本語教育してあったんだ。「父よあなたは強かった」だのよ、「愛馬進軍歌」だのよ、それらを歌って迎えてくれたんだもの。「これいいな」と思ってらっけ、あどすぐ。そのあど、手のひらがえして、その人達はいなくなっただもん。最初行った時は、まだ、平和であったんだよな。ところが、日本の兵隊が陣地さつくようになってがら、こうだ。アメリカさも、そろそろ、レイテまで来たど思ったがら、あそこはよ、住民は全部に「戦争が始まるっ」てアメリカ人が教えたんじゃねべがな。(それを知った)住民はみんな山さ待避したんだ。学校もみんな閉鎖してまったもの。大変だべ。市内が戦争なったら。それこそ大変だがら、市がみな山さ待避したんでねが。

Q:どこにいったのですか。

山の中さ行ったんだ。我々は、すべて(住民が)逃げたと思ったがら、山の方さ行ったんだ。住民はな。ただそれさ、残ってるのがいがったんだ(居たのだ)。残ってるのがゲリラで、危ねんだ。そりゃ、アメリカがら給料もらってるんだもの。

Q:どういうことですか。

それはよ、なんだが、アメリカからそういう情報がはいってるんじゃねが。だど思うんだ。「日本の兵隊を殺したらよ、懸賞金とがなんだどがついでる」ようなことであったびょん(でしょう)。どうも。その時によって小指ねがったり(無かったり)、こっちの耳ねがったりするもの。死体をみればよ。それ証拠にもって行くんだべったよ。そして「俺はこうやって、ジャパン・スンダロ殺してきた」なんていって、あれはお金けだり(だけっだたか)、分からねどんもよ、そういんたもんだ。残虐な殺し方されれだんだ。

「我々の邪魔する」のだよな。我々が行く先々によ。「道路壊されたり、橋落とされたり」。先々でよ、これから、行きましょうど思えば、橋落とされでよ、向こうの地形は深いんですよ。沢が深くて。日本の沢ど違うんだ。あの橋、落とされれば、なんも、向こうさ行かれないがらな、遠回りさねば(しなければ)行けねがらよ。ああいうことは、ゲリラの人たち、お互いに会ってやってだもんだと思うんだ。「日本の兵隊ここにいるがら、今度あそこさ行ぐよ」とかって。あれ情報がいってるのでねがや。だから、行く先々でやられるもん。

Q:実際に殺された日本兵をどうみましたか。

だって、それも、「この野郎」とそこで言えばよ、今度、「相手見つけだらやってきましょう」と思って、相手見つければ、こんど、逆に抵抗心っていうが、逆恨みっていうが、あべこべによ、日本の兵隊がそんなふうに殺されるのよ、今度、見っけだらっていうふうによ、虐殺だな、要するによ。虐殺するんなや、我々。そういう気持ちになるんだ。やっぱり仲間がやられてれば、クソと思ってよ。

Q:仲間やられたのですか。

わたしの仲間にもやられたのはいるからよ。

Q:どういう風に?

あれは、ご馳走なってるんだもの。ごちそうになってよ、酔っぱらって、腹ワタみんな出されでよ、頭とこう並べらいっけよ(頭が並べられていたよ)。頭とこう、体切ってよ。腹ワタみんな出してよ。そいで、首ったもいでよ(首を切りとって)、手と足並べらあいでらっけよ。酔っぱらて殺されだもんだべ、あれ。んだって、俺こういうごといわれねっべて(言われないでしょう)、家族さだって。向こうだってそういう残虐行為があるわげよ。戦争ってそういうもんだって。弾ばりあだる(ばかりあたる)のでねんだ(ないんだ)。住民のいるところで戦争だがら。ちょっと考えつかねべ。

わたしたちも、陣地を掘るときに、あんまり難儀なもだから、地方の住民を連れできて、穴掘りされるわけよん。穴掘りさせで、お金払って、お米けでやったり(くれてやったり)して、やったこともあるけれども、だんだん、くれる米も無くなってきたわげよ。だから、穴掘りさせで、そのままパタンしゃ。初年兵さよ、銃剣術の訓練だっていってよ、ヤシの木さつないでよ、突かせるの。そうゆうこと聞たことねべ?訓練のためによ、そうゆうゲリラを利用したのよ、我々が。

それは、ゲリラを使った場合に、自分で処理をしなさいってゆう、まぁ、なんていうが、書いた紙ではね(ない)けれども、ただ、命令で、そういう風に、防諜上な、「ただ帰してやればいけないっ」てゆうことになってる訳よ。帰してやれば、日本の陣地のことを、あからさまに言われてしまうわけ。ゲリラが。作業着きてるもだから、日本の兵隊、あそこさなんぼいだって、陣地はここ、たこつぼはここ、洞くつはここって、機関銃の位置はここにあるって、そいつらみんな見でいぐがらよ、それどご、アメリカさ、報告されるわけよ。せばほれ、日本の兵隊はここさ(に)いるってわかることだべ?だから、これ帰してもいいときもあれば、帰せば悪りときは、あれ処分さねばねった。

Q:蔦谷さんも?

うん。だから、銃剣術や人刺実験どがあったども、初年兵では、ながなが、突けねんだ。向こうに、パッと、にらめらいる(にらまれる)どよ・・・おっかねぐなって、こっちも突けねぐなるべ?せばやっぱり、隊長に、「班長模範なんて」言われれば、わたしがたは「嫌ですっ」て言われねべ。班長が初年兵、教育する以上。んで、わたしたちは何回も実際に殺したごどはねけれども、けいこはしてるがら、人刺ってものは、なかなか、まっすぐ突いだばりでは、刺さらねんだ。銃剣術は。あれは一回転さねば、入っていがねがらよ。入った瞬間さっと、肉がつまるがらよ。人間の体。だから、失敗すれば、今度抜けてこねんだ。大変なことなるんだ。あれ。だから、そういうこともやったことあるからよ。実際にそういうところさ行った人でねば、わからね。やっぱり。自分が死ぬか、相手に殺されるかだもん。そうなればな。

Q:実際には模範として、初年兵の前でやったのですか。

やった、やった。やりました。

Q:具体的に?

いや・・・、やぶれかぶれだべあ。こうなればな。

Q:住民をならばせるのですか。

だって、フィリピン人はやっぱり宗教心が強いからよ、3人位並ばせてやったけれどもよ、つないで目隠ししてやるどもよ、「目隠しいらないっ」ていう人もいるがった。「アーメン」っていうがったな。黙って見ててよ、「アーメン」てやる人もいたしよ。んだども、おれがた、いちいちそんたこと、聞いてることもねがらよ、つないでてやったほうが一番無難だ。やっぱり。

Q:何につなぐのですか。

ロープで、ヤシの木さつないでな。刺すんだよ。狙うとこはここな。左な。心臓をな。ただ刺すどごここらへんさ、刺せばだめだど。苦しがるだげだがら、やっぱり心臓一つにさねばダメだ。

そのどぎでねば、分からねな。今だば分からなねな。分からね。よぐやったなど思うよ。俺、自分では。今やれって言ったってやれねべすな(やれないだろう)。鶏だって殺したことねずにや(ないから)。

Q:抵抗はなかったですか。

抵抗はあるよ、そいだば。抵抗はあるったって、お国のためだど思えばなんでもね。「みんな国のため。郷党家紋のため、家のためだの、故郷のため」だどがってよ、「捕虜になってはいけない」と教えられてるもだからよ。やっぱり、何かのために、なるもののためにやるもんがらよ。ただ、それはよ、やってる人は残虐事件ていう事だどもよ。んだども、やっぱり、たいがい(戦地に)行ってる人はよ、戦争中は経験してるもんだ。ただ言わねだげだ。ただ、わたしは、教える立場だがら、初年兵たちさ、教えるためにやったもんだっけばって、だいたい、支那辺りさ行っても、全然。南方さいった人達だって、ほとんどやってるはずだ。ただ、言わねだげだ。食うか死ぬかの境だもの。生き物、食うものなくてよ、ニッチモサッチモもいがねべ、金は出しても買えねべ、だからやっぱり、かっぱらうしかねんだ。かっぱらえば撃たれるから、今度は殺すよりねん(ない)だもの。

Q:ゲリラと住民の区別は?

ほとんど戦争始まってる時は住民は退去してるがら、残ってるやつらを俺らはゲリラとみなしたのだ。あとは、ビラとかまいて、あと、「ここは戦地になるから、住民は引き上げなさいっ」てアメリカでも、言ってるんでねがなど思うんだ。

Q:ゲリラをどうやって穴掘りにつれていくのですか。

部落さ行けば、いっつもいるがらよ。いっつもいるがらつでくる(連れてくる)べった。お金払えるときはお金払うとか、食糧やるがらとが、うまい事言って連れでくるなや。んでなければ、我々兵隊がいっつも難儀するもだからしぇ。間に合わねぐなってくるがら、間に合わせるために、期間に、期日に間に合わせるために、地方民を徴発してきて、ゲリラか住民かは分からないけれども、「残ってるやつらは、ゲリラだ」と俺らは解釈してあったんだ。あれは、住民はもちろん、子どもとか女はいなかったがらな。

Q:こういう話は今までしなかったのですか。

ねな。

Q:あ、奥さんも?

うん。ね。

Q:初めてですか。

うん。初めて。

んで、俺、NHKで取材にくるっていうがら、本当のこと教えでらっけ(教えてやった)ので。60何年ぶりでな。日本の実際の真実を話する人はそうはいねど思うんだ。

Q:どうして話てくれたんですか。

あんだがた来たがら、せっかく来たもんだからな。「後世に残しておぐべ」ど思ってるんだ、俺。こういうこと、実際戦争って惨めなもんだ。戦争はしちゃいけないんだ、本当はな。「今の時代は本当にいい時代だ」。んだども、我々さ言わせれば、「昔の方がかえって良かったような気がする」どもな。「今の時代は不安定だらけだよ。好き勝手な放題してるもの」、まず。「子どもたちもみんな。させでるしな、親たちも、なにか事があった時に困ると思ってるんだ」。

「いよいよこれから始まるんだな」と思ってよ。それもまた、作業中だもんであったがら、現場がら離れであったんですよ。とこが「班長大変だって」ことで、伝令がきたも(の)だから、みたば、洞くつさ入っていってみた(ら)ばよ、ほら、眼鏡(望遠鏡)でみればちゃんとわがるよ。アメリカの兵隊ど、そうそうゲリラが先導してくるだ。アメリカは直接、来なんだ。ゲリラが先導なわげよ。んで、ゲリラは土地勘が明るいものだからや、なにがあるどが、ちゃんとわがるもんだのよ。だからその、ゲリラが先導せよ、アメリカが銃をかついでよ、ちゃんと歩いてきたもんだ。道路いっぺ(一杯)になってきた。よっぽどいで(居た)あったな。20~30人はおったな、ゲリラな。んで、アメリカの正規軍はその後で、きたっけもの。それ眼鏡でみればわがるもの。「まずまず、もう少し、待て、もう少し近づけようって」よ、距離200(メートル)まで近づげで、眼鏡だがら600まで見えるもんであったがらよ。200ぐらいまで、近づげで、そして、兵隊さ撃でって言ったって撃でねがら、そういう時は、班長がぶだねばねがら、機関銃のこの横に流すのな。あまりはえぐ(早く)せば、兵隊さあだらねがら、ゆっくり、タッタッタと行ぐわげよ。そうすれば、弾がみごどに当だるんだ。パタパタパタパタ倒れるの。

Q:米軍の攻撃はすごい?

そうですよ。

Q:どんな感じですか。

向こうの攻撃っちゅーのは、だから、絶対に飛行機と爆撃と大砲撃、そして、車だな。日本人みたいに小銃だの機関銃だの撃ってこねんだ。最初はよ、飛行機で爆撃するわげよ。そうすれば、出て行がれねべった、顔、兵隊さん方も、ここさ入ってれば、顔あげられねんだもの。もぐってるべった。そうしてるうちに、今度、大砲撃ってよごすがらよ。そうしてるうちに、うかれでれば(うっかりしていると)、すぐそごまで来るがらよ。だから、うがれでらいねんだ。その間隙をみて、敵の近づくのを早ぐ見ねば。うがれでれば、あら、爆撃やってら、大砲の弾とんできたなって穴さばっかひってれば、ここまできてるがらな。来るがら。だから、それは注意さねばね。それが戦闘のやり方だものな。

観測機っていうのが飛んでくるがら、ただ、あれするわげでねんだよ、必ず観測機っていうのは電波探知機をつけだ飛行機。ゆっくりした飛行機が飛んでくるんだ。普通のこう早い飛行機ではわがらねんだ。ゆっくり飛んでくるんだ。そして、上空をまわるわげ。まわられれば、大変だ。絶対にうごがいね(動けない)。そしてで。ここがら、ここに、日本兵がいるって発煙筒落とすんだ。日本の場合は眼鏡で選択するんだけれども、あいつらは、発煙筒落どすがら、発煙筒が上がったところから、日本の兵隊がいるところからの距離を上がら計って、2発目はまちがいなぐ来るがら、発煙筒落どされればもうダメだ。その場がら、退避さねばね。我々の場合は機関銃だがら、ずっとまがってはいってるがら、隠ぐれにいいけれども、隠れっぱなしではだめだのよ。すぐ出でくるがら。だから、あいつらはそれだげ、進歩してるがらや。して、また逃げで、また退避して撃ってよごすがら、砲撃と爆撃、これ、飛行機ど、大砲と、いっつも同じだ。上から落とす、下がら大砲くるしよ、だから、いっつも、頭上げられねんだ。

Q:日本とアメリカじゃ、兵器は違ったですか。

まるっきりちがうんだ。あど、あいつら、みな全部自動小銃だがら。我々は、弾の数出るのは、重機と軽機、重機ど軽機しかねがら。あいつらは、各自、みんな自動小銃もってるがら1発こう撃てば、30発弾倉が入って行ぐがらよ。だから、弾はよげ(多く)飛んでくるんだ。あど、そのほかに、大砲のほがに、トラックにつんでくる、迫撃砲っていうのがあるんだ。あいつら、6連装のこんな迫撃砲うってあったんだ。花火みでんた(みたいに)、上げるやづ。あれだから、ドドド撃ってよごすんだ。迫撃砲な。日本の武器なんかなんにもねんだもの。軽機ど重機ど、あど、てき弾筒。迫撃砲の小さいやづ。兵隊さんが持って歩く、このぐれの迫撃砲。1こ中隊に20だが30だがしかねんだ。あれ、手りゅう弾ぶっこんで、飛ばすんだ。あれは威力あったんだや。それのおっきいのが、迫撃砲よ。だから、武器のちがいは大したもんだ。一番びっくりしたのはよ、戦争マレプンヨさいたとき、アメリカさんは8時でねば、出勤してこねんだ。8時なればトラックで来るんだ。高どごところさのぼって見でればよ。そして、陣地さ着くんだよ。夕方なれば戻って行ぐべ。4時ってばよ。8時間労働だがら、あどはフィリピンさ任がせるんだ。ゲリラっていうが、フィリピンの正規軍さ。頼むべった。だからあいつらは、楽してらべった。土曜半ドンだもの。日本人は、のたばって(張り付いて)、一日中アメリカとニラメッコしてるだや。別に食糧なんてあるわげでねんだよ。

Q:夜はフィリピン人と交替して、夜な夜な攻撃は続く?

夜中には、だから、ただ、フィリピン人はアメリカに言われたとおり、ただ、撃ってくるだけ。昼間、アメリカが焼尽した陣地さ。ただ焼尽してるどごさぶってるだげ。こちあっちゃこっちゃさ、撃つんでねもの。だから、15分おきどが10分おぎとがにぶってくるがらよ。だって動きようねんだ。ジャングルだがらよ、まして、真っ暗(に)なってしまうがらよ。ただ、我々うごがねよう(動かないよう)におさえでるんだべな。次の日の朝間は、飛行機とんでくる、観測機きてまだこう、見ていぐんだもの。だから、前の日発見されだがらって、一晩移動する距離て、ジャングル中だがら、わがってるたべって、次の日なれば、移動したどごさ、ちゃんと飛行機きてるんだもの。いっつも、だから、捕捉されでるわげ。

なんも寝るときだっきゃね。いっつも、まなぐ(眼を)ぎょろぎょろってねばね。だから、いつ寝て、食い物だばねし(無い)よ、のたばった(横になった)どごろの草っこだのをむしって食いてぐねわげ。敵の山だ。草っこだば、やっぱり、まわりの草っこだばなんもねがらな、草っこみんな食ってしまうがら。なんにも米ってゆうものはね。食事でもする時間もあればいいたって、そんたもの(そんなもの)もなんもね。まず、だからよぐもってあったっけ。んだども、だんだん体だばやせでいぐっけ、やつれてくるし、やせでくるしよ。目ばりぎょろぎょろするしよ。汗、トイレさ行ぐ用もなさいねべす、水も飲まいねし、ものも食ってねがら大便さも行がね。俺、行った記憶ねもの。戦争中、俺トイレさ行った記憶もねし、大便所さ行った記憶もね(ない)もの。水だっ、ろぐに飲まいねもの。水、普通の水飲まいねしよ。ヤシの水ったって、ヤシの実とりに、ヤシ林さ行ぐのも大変だもの。ヤシ林本部の方さあるども、その林行ぐまで大変だ。だからほら・・・

Q:圧倒的に攻めてくる米軍にどう反撃したんですか。

だまってそさ(そこに)はいるしかね。たこつぼさはいるしかね。ダダダダ。したって、頭上げられねもんだの。あど、狙撃手ってのが、かならず、むごうのほうにいるがらよ、頭あげればすぐ、ぶだれるよ。頭もあげられねんだ。だから、指揮官は、敵情視察なんて今はやりで、眼鏡なんかでこうやってみで、くびたっこ(首)あげるもんでがら、みな頭部貫通銃創。頭部貫通銃創で即死んだ。

わたしたちは、あどがら、アラミノス(マレプンヨ山の北)がら、連隊長によばらいで(呼ばれて)、マレプンヨの近ぐさ、いらせらいだ(守備についた)わげよ。だから、アメリカの見えるわげよ。そして、29日までいて、後ろが全部山で、山さ全部アメリカがあがっちゃたわげよ。前がら来ねんで、後ろがあがってきたんだ。んだって、それだたてと、道路などねがら、今でいえば、ここであれ、道路のダンプカーなどよ、作るやつ、道路作って。今思えばよ、あれ道路作ってよ。我々みたいに、飛行場作るってばよ、一輪車もってねご(猫車)もって、工場作ってで、あいつら、ショベルカーだのなんだのもってや、ずっとならすなだがら。早えんだ、あいつらこへる(造る)に。だから、ショベルカーでよ、山さ、陰の方さよ、道路つくって、そっから上がってくるったもんどん。あれ、何の音だって、俺見にいったもんだもの。そしたばよ、山さ道路作ってよ、今度トラックあげるったたて、山道だがら、ぬかるんでべったや。せば、鉄板敷ぐのや。工場さそ行ぐ鉄板あらった。4メーターものの鉄板。穴のあいてるの。みなつなぐに、いいようになってら(いる)の。それを鉄板しいで、トラックで人をあげるだだ。まるっきり時代が違うな。

だから、人のいるどごろさ(爆弾を)落とすなべった。人がいそうだなと思うとこらがら落どすんだ。だから、洞窟なんて、入口ふさがれてしまうわげよ。こう掘るもだからよ。これ、落どされれば崩れでしまって、生き埋めにならった。洞くつごと埋められでしまうがら。だから、生き埋めの人がたは相当いたべ。

マレプンヨのときだ。あれは、林があってよ、日本人が隠れでるもだからよ。隠れるのあれあいだろって。火つけで燃やしたんだべ。ドラム缶さガソリンまいで、石油が、ガソリンだばへもんだものな。石油だな。

Q:どうやってまきましたか。

飛行機がらバンと落どせば、バンと破裂するべった。飛行機がら落どしたら、岩山だもの。はじけるべった。落どしたもの。せば、散らばるべった、あどはそれがら火つければいいんだもの。んだど思う。わたしはこっちがら、ドラム缶落どしたってみでらっけもの(見ていた)。

Q:山はどんな状態ですか。

山はみんな坊主山よ。なんいもなくなる。普通のこうゆう山でも爆撃で坊主山にしちゃうの。ヤシ林のところだってよ、ヤシ(が)全部倒れでしまうしよ。だから、我々、たこつぼ掘ったあどだって、掘った土は上さあがってるがら、そのままなわげよ。ヤシの葉っぱでなんぼ隠したって、爆撃とか爆風でみな飛ばさいでしまうもの。せば、掘った土だげちゃんと見えるんだもの。上がらみれば。それがらこんど、小型爆弾落どされるんだもの、上がら、飛行機で見でで。ゆっくり来て。堀たあど見えるたもの。だから、まっすぐな穴はだめだどって、曲げで掘れよって教えられでるうだ。小型爆弾で落とされだ人、なんぼもいだべ。たこつぼ、直撃だもの。

玉砕するという話はあったんだ。な。最後は玉砕すると。それで向こうさ、お上のほうさ、師団長っちゅうが、山下さんさ連絡とったら「玉砕まかりならん」っていったの。な。「命を永らえて、国のためにな、もう少し長生きへと。国のために長生きしなさい」という命令がきたというので玉砕しね(しない)ごどにしたなだおん。玉砕というのは聞いたんだ、そのとき。

Q:どんな気持ちだったですか。

玉砕なばいいって。喜んで行くなだおら。どうせアメリカと戦って、五分五分で戦争するなばな。死ぬのが名誉だから、誉れだからよ、なんとも思わなねがった。そのとき、なばな。したら「玉砕まかりならん」っていうなで、命令がすぐきたっていうなで、「それなば早く転進をしよう」というのでした(転進した)なだ。

Q:一回玉砕を覚悟して、命令が変わってどう思いましたか。

これなば、しょうがねべった。上の人がそういうのだから守るしかねべ。自分だけ玉砕するというわけにはいがねがらよ、そうなればな。だから、そのときにすでに病人、人の面倒にならねばだめだ、けが人もいたんだ。そういう人たちは、みんな、そこで自爆したおん。マレプンヨで。

Q:それはどうしてですか。

けがした人、そのまま置いてきたよ。あれ自爆すれば、手りゅう弾爆発すれば、肉もなにもなくなるからな。スカッと、みんな飛んでしまうがらよ。だから、ここさ残らねんだ。だからそのときはほら、本当に人の面倒にならねば歩ね人もいるしほら、栄養不良の人もいるし、そんた人がた(たち)は、病人は。平和な時なば、病院に行くってこともあったども、病院もないべし看護婦もいねべし。だから、本当にけが人や病人はほとんど自爆した。

手りゅう弾あれば本当に自爆する。だからその気持ちがよ、あんたがたには、わからねと思うんだ。手りゅう弾1発持ってるから。自爆用として渡してあるがら。敵前で、もしけがして、敵の捕虜になる前に自爆しなさいと教育されてるわけよ。けがしてなんのためになるんだかわからねねが。アメリカの捕虜になってはいけないと教えられてるもんだから。そういうときは自爆するなだ。

Q:そうやって仲間を失うのはどんな気持ちですか。

こりゃ天命だからしょうがない。仲間って弾にあたって死んだ人もいるんだしよ。そういう人もいるんだから、寿命だから、これ、しょうがねんだ。その人に、死ぬ人にいちいちよ、「どういう気持ちだ」なんて聞かれてもこれ困るのよ。そのときの命令だからよ。みんなそういう気持ちになってるの。死ぬことはむしろ名誉だと思ってるもだからよ、捕虜なるよりなばいいよ、おらなば(わたしなら)いい。捕虜になるくらいなば死んだほうがいい、自分なばな。そういうふうな教育されでるがらよ。

俺なば、自分だけ死んでもいいんだけども、自分の周りに部下が20人もおったんだよ。せば、「この子だちなんとせんばいいのよっ」て思えば、俺死なれねがったんだ。死ねば自分の命は簡単に終りになるけど、この子たちをなんとしようかなと。やっぱり誰かいれば、導く人がいればこれついてくるったって、この人たちはウヤムヤなわけよ。絶対にわからないんだもの、兵隊生活も短いべしよ、だから、俺たちはこの子たちと一緒にいこうというの。だから「班長は死んではでぎねぞ」て、どこに行っても言われてらった。兵隊たちは。「班長死ぬごったなば、俺代わりに死ぬ」
ていう兵隊まで出てくるがったおん。

食糧の問題(が)一番困ったな。5か月だべ?5月6月7月8月9月まであるもの、5か月あるもの。だから芋堀りやって芋植えだとかっていうのは、それ言うのだ。

Q:飢えとの戦いはどんなふうに厳しかったですか。

食うものな。だったってよ、あの当時はよ、汗もかかなねしよ、まなぐ(眼)ばり。骨と皮ばりで何にも食うものねぇのだもの。気持ちだけで持ってるもだ。「ああダメだ」と思えばすぐいく(死ぬ)ど。あのときの、あの人間っていうのは、生か死かっていうのは紙一重だ。あのよ、わたしの部隊でもやっぱり、みんな水飲みたいって言うわげよ。冷たい水飲みたいって。「んだば汲んできて飲ませるから」て川まで、山から沢さ降りて冷たい水くんできて飲まへでよ「ああおいしかった」って終わりだ。それで死んでしまった、水のんで。だから気持ちの問題なんだよ。最後さいけば。冷たい水だからよ。わんざに(わざわざ)くみにいって飲ませたのだよ。死ぬときはよ、その人でねぐ別の人だども、別の人は「天皇陛下万歳」じゃなかった。「あば」っていったっけやっぱり。あば。母親のこと。ここらへんで母親のことをあばっていうんだ。秋田県人は。秋田の部隊だもの。だから昔の物語に「死ぬときは天皇陛下万歳って死んだ」っていうのがあるね、物語に。ところが、実際死ぬ人はよ、天皇陛下万歳なんて言って死ぬ人はいね。弾当たって死ぬときは即死だから天皇陛下もなんも言われないわげよ。だから本当に病気でいくのは、最後に苦しくなってきて「あば」って言ったの。「あば助けてけれ」って意味じゃねが?苦しくて。

食糧なば、口に入るものなば(なければ)何でも食った。最後になればよ、革帯(かくたい)、バンドあるべ?兵隊の革帯。あれを、口を動かしてれば、落ち着くんだな。あれを、革帯をかじった。食うものねくて。別に食うわけでねんだで、かんで口動かしてるだよ。んだから、そういうきわどい生活っていうのは想像もつかないべ?我々な本当に食うものはモミだったって自分だけで食べられねがらな。フィリピンの農家からモミかっぱらってきてよ、モミをひとにぎりずつ分けて、歩きながらモミ食うの。モミガラ邪魔なってプってやって。なんぼ食うもんであるしめし(しるし)な。んだって、とにかく、口さ物入らねばほら。食うものねんだもの。草っこな、なんぼ食ったって腹いっぺなならねしよ。だから、こんだなあれだど、ヘビなの見つけるごったなば宝物だで。ヘビ。焼いてよ、皮っこはいて(剥いで)な、骨も、みんな食ったんだ。自分だけでか(食う)れねおん。みんなでか(食う)ねばだめだがら。こんけばり(分ける)しかねった。20人も30人もいるのだもの。

Q:1匹を?

んだ、1匹。カエルだって。モモたの所は焼いて食うのはうめ(うまい)ど。本当にうめ。カタツムリだって。山が高いところだから、こんなに大きいのがあるんだ。たき火のところにケツおくんだ。せばケツあぶられるもだから、ずっと出てくるんだ。それ、こう引っ張って食うんだ。ははは、カタツムリも食ったよ。

Q:餓死する人はいましたか。

餓死するころだからよ、楽をするんだな。食べ物がなくなるしよ、みんなと行動が、ともにできねぐなるべった。おなかすいてるべし。だから気持ち次第だべどもよ。だからそうやって、途中でいなくなったり。夜までいたのに、夜明けたらいなくなってたり、ジャングルのなかではロープで繋ぐんだよ。ロープをほどいて落ちていぐんだ。本当に苦しくなれば。ついてこれねからほら、餓死寸前、ほとんど餓死寸前だ。骨と皮ばり。よくあれで持ってるようなもんだ。だから最後は気持ちだ。精神的問題だな。気の強い人と弱い人と、「ああだめだっ」て思えばすぐいく(死ぬ)しな。だからきわどい気持ちっていうのは、おめださ(あなた方)わかるかな。

だから戦死した人が、わたしの中隊には3分の1。餓死と不明者で3分の2だな。3分の1は生きてきた人だから。あと3分の1が餓死と不明者で3分の1。生きてきた人が3分の1。3分の1が戦死、3分の1が餓死と不明者。

Q:それでも遺族には戦死と伝える?

そうそう。だから公報は全部戦死になってるわげよ。

それは影の話だな。影の話。俺なば見たよ。モモた干してらっけ。ここのモモから下よ、縁側さ干してらっけ。おらほの部隊の人たちでねもの。おらほの部隊は、ある程度結束してるからそんなことさねどもよ、他の、いろんな部隊の人がきてるがら。見ればわかるどもよ、藤重連隊ばりじゃねんだ。他の部隊もうんと入ってるからよ。だからそういう人たちは統率力がないから自分勝手なことばかりしてるんだよ。だから、人の肉なんてあれ、食うものねぐ(なく)なるから、3人組やめたのはそのせいだ。おらほは、3人組やめたんだ。普通は斬り込みでもなんでも3人組なんだ。ところが3人組だと戦争が激しくなってきて負け戦なってくれば、食うものねえために3人だば1人パタしちゃって、料理しちゃうわけよ。それで3人組やめたんだ。したって、やせたもの食うとこねぇねがよ。丈夫な人なばいいったって。でも食うものないからなんともならないんだ。

Q:3人組みのときは、2人が生きてる人を殺すんですか。

んだ。生きてる人よ。2人でまとまるべった。相談するもの。食うものねえがらやろっかってことになるんでね?俺はしたことないからわからけどもよ

Q:そういう話を聞いたんですか。

うん。聞いたことある。んだからやっぱり、本当に食うものなくなればそうなる。人の気持ちってそうなるなでねが?

Q:足が干してあった?

それを足を干してるのは見たんだ。モモた。

Q:どこにどういうふうに?

ここで、こう取ったんでね?モモたの付け根とって足首上さこう、ひもでつるしてるっけ。

Q:足が?

足首上になってよ、干してあるな。だから食うものねぐなれば、んだなでねが?俺なば、いぐわがらねども。そこまでなばあれされね。それで、3人組をやめてたんだ。今度2人組にしたんだ。斬り込みのときもな。

Q:どういう気持ちだったですか。

「ここまでさねっても(しなくても)いいべなっ」て思ってらったって。うん。どういうふうに思うったって、そのときなば、俺も食いでなっては思わねがった。「なんで人の肉ここに干してある?」って聞いたら「誰それのだっ」て言うっけど。兵隊な。自分のものでねんだごというっけ、人のなだって。

な。だからよ、人の心っていうの、みんなすさまじいもんだ。ああいう境遇になってしまってるがらよ。本当にはかりしれない。常識では考えられない状態だ。俺が思うにはな。まず戦争なのやめたほういい。やらねほういい。な?

今思えば8月の15日過ぎだ。終戦なってからビラ。誰も負けたとは思わないで、ビラはみんな便所紙にしたよ。俺は便所紙にしたもの。んだから日本が負けたから、無条件降伏したから、山から降りてきなさいって、紙きれを持って降りてきなさいってビラまいたわぎょ。でも我々はこれはデマだ、うそだって、おらなケツぬぐいにしたで。

Q:信じなかった?

信じなかったおん。負けるとな思わねがったもの。

Q:でも戦況は悪いんですよね?

悪いけど、このビラはデマだっていうので信じねがった。だからそれだけ教育が徹底するべった。我々には。

Q:信じて山を下りた人はいなかったですか。

うちの部隊にはいね。よその部隊にはいたったど。ビラ持っていったって言うっけ。あとからきいた話だどもな。あとから聞いた話。うちの部隊にはいねんだ。

電気屋がいでよ、バッテリーだが、ラジオだがかっぱらってきて、タイ国の放送が入って、日本の国は無条件降伏したどって放送が入ったわげよ。んだども、俺のどごの連隊長が、それではだめだど、軍使を出すために、山下さんさ、軍使だすために、山がらおろしたども、1回おりだっきゃ、ゲリラにぼわれで(襲われて)きたわげよ。んだ、こっちなんも武器持ってねったべった。白い布ってたって、白い布ねったもの。それで、2回目行ったったもの。なんとかかんとがして。マニラさまで。アメリカの兵隊ど会ってよ、負げだってゆうごどわがって。ただ、我々、無条件降伏したのは9月の26日だもん。無条件降伏。山がらおりだのは。9月の26日。

Q:日本は負けてどう思いましたか。

「大変だ。これからどこに行くんだろうっ」て思ったで。な。「内地さは帰れないなと思った。んだごったばいいって。この沢さ行って、この体、身体さ沐浴、川で体洗って清めて、首切られてもいいようにしていこうって」言って、部隊の人たちみんな川さ降りていって首たみんな洗ったで。すかっとふんどしも、かっぱらっていったのあったから、新しいふんどしも作ってよ。そして、首た切られてもいいように、恥ずかしくないようにしようっていうことにして沢に降りていったもの。斎戒沐浴してよ、上がってきたのだ。

Q:沢で体を清めたと?

んだんだ、そうそう。これは内地さは帰られねどって、行く先はどこだ。アフリカかアメリカかどごだかわからねねが。どさ、連れていかれるかわがらねねが。内地さな帰れると思わねがったおん。どごさ、行くのだべど思って。だから捕虜になってキャンプ場から帰還の船さ乗ったとき、物おべだ(物知り)人がいて、船が、北さ向うか南さ向うか、ちゃんと計ってれよって、「北さ向ったー」なんて。ははは。せば日本に帰るにいいってことになったわけよ。

Q:なぜ体を洗い清めたんですか。

昔でいえばあれ、切腹とか首切りされるえった?だから体汚れてれば、ほれ、相手に対して失礼にあたるから、体だけ清めようっていうので。斎戒沐浴っていうか、そういう気持ちになったのや。今まで風呂に入ったこともないべしよ。下着だけは新しいのと取り換えようと、そういうごとにしたのや。

Q:今フィリピンの人にはどんな思いがありますか。

んだってよ、あの当時、んだってよ。本当に日本の国そのもので申し訳ないと思ねばだめだんたもんだ。あんまりフィリピンのことを荒らしてしまったがら、我々にしてはな。今そのとき代の人はおそらく生きてないと思うけどもよ、60何年も前の時代の人だがらな。だってフィリピン人ってもよ、結構人のいい人はいたったよ。ゲリラだゲリラだって言うけれどもよ、人の心っていうのは世界各国同じだから。どこも。悪い人もいい人もいるしな。話してみればみんなおんなじ。

Q:住人を殺してしまったことについては?

本当に申しわけなかったと思うしゃ。ああまでしなくてもよかった、話すればわかったんでねべがなど、思う気もするどもな。でも、あのときは、あのときの状態でやむを得ねがったと思うけれども。だから、結構悪いこともしてきたどもな。だって、これやむを得ねんだ。兵隊さんたちにやれったって、兵隊さんたちやれねべし、そのときのあれがあるからな。

それはしゃべられね。みんな帰って来た人は誰もしゃべってねんだよ。あんた60何年たってて、今度本当のことを教えたほうがいいんじゃないかって、いつかの新聞に出たこともあるっけ。何かの資料に、これからの参考にするってなんだかんだ言われてるから、ならばお話しようって。わたしの戦友会でもそういう話が出てるんだ。今度は本当のことを言ってもいいだろうということでな。ここさ抑えておくというのは、本当に苦しんだよ。思ったことみんなしゃべられねからな。今日だって本当に思っていることの半分もしゃべってねよ。まだまだあるんだ。本当のこと。戦争だもの、仕方ね。ただ言うと言わねの違いなだけで。わたしも我慢できないほうだから、あんたに言われてしゃべったどもよ、まだしゃべらね人もいる。絶対しゃべれない人いる。わたしは口軽いほうだよ。

出来事の背景

【ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦 ~秋田県・歩兵第17連隊~】

出来事の背景 写真昭和19年、日本軍はフィリピン・レイテ島で大敗し制空権・制海権を失った。援軍も補給も断たれるなか第14方面軍・山下奉文司令官は、ルソン島での持久戦を決断。南部の守備隊10万人のほとんどを、マニラ東方の山岳地帯に配置した。

ルソン島南部の守備に残された秋田県・歩兵第17連隊は、将兵およそ3000人。その多くは戦闘経験のない20代前半の若者たちだった。日本軍が手薄になったこの地域で、米軍はフィリピン人抗日ゲリラ部隊に武器・弾薬を与え、活動を活発化させた。ジャングルに潜むゲリラから度重なる襲撃を受ける中、第17連隊長・藤重正従大佐は、このままではアメリカ軍と戦わずして壊滅すると判断し、ゲリラと協力する住民に対する粛清命令をくだす。9万人以上の犠牲者を出したともされる日本軍のゲリラ討伐により、フィリピンの人々の日本軍への憎しみは決定的となった。

昭和20年3月、激しい市街戦の末、マニラが陥落。米軍は第17連隊が守るルソン島南部に攻め込んできた。最前線に立つのは日本軍への復讐に燃えるゲリラたちだった。包囲され猛攻撃を受けた連隊は玉砕を覚悟したが、方面軍から最後まで持久戦を貫くよう命じられた。やむなく30キロ離れたバナハオ山への転進したものの、マラリアや激しい飢えが兵士たちを襲った。

第17連隊で終戦まで生き延びたのは、およそ700人。その後、20人あまりが住民虐殺の罪に問われ、藤重連隊長以下5人が処刑された。

証言者プロフィール

1921年
秋田県横手市にて生まれる。
 
横手尋常高等小学校卒業。
1942年
歩兵第17連隊入隊。
1945年
フィリピン・ルソン島にて終戦を迎える。
1947年
復員。復員後は製材所に勤務。

関連する地図

フィリピン(ルソン島)

地図から検索

関連する証言

関連するニュース

ページトップ