ホーム » 証言 » 荻原 金四郎さん

チャプター

[1] チャプター1 初年兵でルソン島へ  04:02
[2] チャプター2 反日感情の高まり  01:51
[3] チャプター3 ゲリラ討伐命令が下る  04:59
[4] チャプター4 命令は絶対だった  02:06
[5] チャプター5 圧倒的な米軍の火力  04:39
[6] チャプター6 銃弾が幾度も身体をかすめた  03:00
[7] チャプター7 斬り込み攻撃 失敗  06:24
[8] チャプター8 バナハオ山へ  05:01
[9] チャプター9 生きるための戦い  06:05
[10] チャプター10 首実検  04:08
[11] チャプター11 ふるさと秋田へ  01:49
[12] チャプター12 戦争を体験し、いま、思うこと  04:49

再生テキスト

わたしがた初年兵で、それこそ、満州さ行って、1か月間の間だからな。その間に、だから、さっぱり、軍隊そのものの気分にもならないうちに、ポンポンポンポンと移動、移動でして歩いたもんだからよ。そして、我々みたいに軍隊さ入ったばかりの人、何も分からないだすものな。分からないもの。だから、何となく「今度どこそこさ行くんだ、今度南方さ行くんだ」ってことで、上官の命令によって連れて歩かれたもんだから。

Q:ルソン島に行くとは、知らされていなかったですか?

うーんと、「ルソン島さ行く」ていうことは、どこさ、わたしがたの耳さ入ったのはよ、台湾さ行って、そこで分かったな。

Q:ルソン島へ着いた時は、ホッとした気持ちが強かったですか?

なんていうかな、戦うっていう気分なんて全然なかったすもんな。まず、行く先がまるっきり、なんていうか、わたしがた、戦争の味も、あんまり戦争の話も聞かないで行ってるもんだからよ、それこそさ、「常夏の国さ行って」という気持ちでよ、安心感でいたっすな。そしてサンフェルナンドさ上がって、あんまり記憶にないけれども、その頃は、見るもの聞くもの幸せいっぱいで、「常夏の国いい」という気持ちで、そしたら、今度、アメリカ上がって(上陸)きたっすべ。そしたら今度、地域の住民がよ、今まで「日本の兵隊さんが、日本人はいい人だ」
っていうことで喜ばれて、幸せであった、本当に、親切な住民であったものな。そしてアメリカ人上がったっけ、今度まるっきり反対になったものな。それでやっぱり苦労したな。

Q:まるっきり反対になったとは、どういうことですか?

なんていうかな、そのう、今まで日本人はよ、大した親切にしてくれたのがよ、まるっきり反対に、今度はアメリカさついてよ、日本に反抗しったすもんな。結局ゲリラっていうから、そういう行動取ったっすもんな。まるっきり、向こうのあれは、日本に対してスパイ的なことばかりやってな。 

食い物、百姓のうちさ、百姓は食い物があるわけだ。どんどんどんどん自由に持ってくるし、馬は持ってくるし、牛は持ってくるしよ、そしてよ、食べられたもんだからよ。だから、それは、当然、住民にすればよ、わたしがたにしたって、それは当たり前だと思うな。全部フィリピン人のそうなったっけ今度、「フィリピン人の家庭内にあるもの全部自分のものだ、持ってくれば自分のものになる」っていうような、日本の兵隊さんもそういうような気持ちになったもんだものな。だから、やっぱり住民はよ、日本人に対してよ、反抗したもんな。

Q:持ってくるとは、盗むということですか?

んだ、盗むっていうか、ただ持ってくる、盗むんだな、ただ持ってくるからな。馬は連れてきて殺して馬の肉は食うしよ、牛は連れてきて牛の肉は食うしよ、自由勝手な。そして店屋、やっぱりなんの店屋でも、店あればよ、命からがら自分の方に持っていく、いい範囲は持って山さ逃げるっすべ、あの、今度日本の兵隊行って、なにかかにか、何でもかんでも、自分の必要なものは持ってくるしな。やっぱり戦争というものは、そういうふうになるもんだな。

それはなんていうかな、住民の中の、どういうふうな住民を連れてきてよ、それは、そのそっちのほうの、例えば集結させる兵隊と、中隊と、それから虐殺する中隊とそれは分かれて、命令でよ、分かれてあったもんだすもんな。だからまず、一般の兵隊は何も言うこともできないし、その指示に従って行動とるだけで。

Q:それを、どのようにして殺害するのですか?

ある時は、首絞めて殺した時もあったんだな。それからよ、銃剣で刺して殺すとかよ。その数よけい(多い)なもんだからよ、いろいろ殺す、銃殺とかよ、銃殺ってやつは、ほれ、音出すっすべ。へば(そうすれば)次の運ばれてくる人が恐怖になるってな、だから、そういうことも考えてやったもんだな。

Q:銃殺で音が出るとダメ?

殺されてるってことが分かるっすべ、次の人がよ、運ばれてくる人が、だと思う。その中隊によっていろいろあったべどもな、わたしがたは、ちょっと(関係した)だけで、あとは当番、偉い人の腰元の当番やってたから。

Q:首を絞めるとは、具体的に、素手でやるんですか?

それは、いろいろ。その人のいろいろあったべどもな。縄で絞めたりな、そういうふうにヒモでよ、締めたりして殺したあれもあったな。

Q:目隠しか何かをしてですか?

いやいや全然すった(そんな)ことしない。

Q:住民は抵抗しなかったですか?

抵抗しないもんだな。抵抗すれば、すぐ銃で撃たれるっすべ。銃で撃たれるっていうことは、抵抗すれば銃で撃たれるっていう、なんていうかな、その音が出るっすべ。

Q:銃剣で刺すとは?

その人によって、あれだけれども、
心臓さまっすぐ刺す人もいれば、肩からこう刺したりする人もあればよ、いろいろその刺し方がいろいろあったな。

Q:肩からというと・・・?

そうそう、この三角のこれから、こう入れてやればスポッと入っていくもんだすもんな。そういうふうに殺した人もいるすもんな。

Q:荻原さんは?

わたしがた、わたしが殺したのは、んだな、首絞めて、ヒモで首締めて殺した人もいるな。けれども、あんまり、
そういうこういうこと、もちろん入っているけれども、しゃべりたくねえな。

Q:それ(命令)は誰から言われるのですか?

わたしがたは、もちろん小隊長、小隊長は中隊長、中隊長は大隊長からって、そういうふうな指示によってあれ(命令)されるもんだからよ、わたしがたみたいな兵隊はよ、いちばん下の兵隊はよ、それこそ、言うことを聞いて動くだけ。指示された通り動くだけ。

Q:荻原さんは、どう指示されたのですか?

やっぱり中隊、小隊のする小隊長の指示によって動いたるんだ。

いずれにして、軍隊っていうやつは、命令に従わねばいけねえからよ、言うなりの命令によって動いているもんだすべな。下の兵隊はよ、何も言うこともなく、全部、命令によって動いてるから。だからったって、偉い人は、偉い人の命令、わたしがた聞くこともできねえもんだし、だから、ただ「直接動けって、こういうふうに動け」っていった通りの動き方より、他になんも出来ねえもんしぇ。

Q:命令に背くことはありえないですか?

絶対ねえっす、ありえねえな。絶対、絶対。

Q:命令とはいえ、葛藤(かっとう)や悩みはなかったですか?

もちろんあったな、それは。だけれども、軍隊っていうやつはよ、悩みも何もない、命令だからな。命令に従わねばいけねえんだからな。

初めて戦争っていうのはよ、とにかく、戦車はバーッと来るしよ、歩兵はよ、来るしよ、空は飛行機が飛んで来るしよ、あのヤシ林、ヤシの木たって、小さい木が、大きくなって太くなってまいてくるっすべ、細いのが段々と太くなってくるもんで、ヤシの木ってよ。そういうヤシの林なんて、戦車が来て、戦車にバタバタバタバタって倒していってよ、そして今度は飛行機バーッと銃撃していってよ、そして、先、見ればよ、歩兵がよ、後ついて攻めてくるんだもの。だから、下がれ一戦の時期になればよ、毎日全滅、全滅。そうすればよ、全滅、ほとんど毎日、わたしがたの一線の部隊であったからよ。だから本当に一線にまで行ったっす。だから戦争なんてよ、戦争なんて勝つもんでねえもんだと思ったな。戦争なんて負けるもんだと思った。戦争ってものは、ほんと、負けるために来てるんだと思ったな。毎日、バタバタバタバタって死んでいくんだよ。そうすればよ、次の補充兵入ってくるっすべ。だから、わたしがたのほうは全滅したんだ、全滅。

Q:最初から米軍の兵力は圧倒的だったですか?

圧倒的だった。圧倒的だった。そして、時間になればグアーッと引き揚げていくんだもの。引き揚げていって、そして、引き揚げていけば、今度、砲弾、砲弾バコーン、夜いっぱい朝まで砲弾撃ってっすな、ボーン、ボンボンと。

(砲撃は)休まる時ねえ。だから、アメリカがガーッと攻めてくればよ、気の弱い奴、頭さ上がってしまうんだ。狂うんだよ、狂って走って歩くんだよ。その人によって、狂い方によって違うけれどもよ、夢中になって走って歩く兵隊もあるんだ。あと、狂ってしまってよ、逃げて、逃げてっていう兵隊もあるんだ。頭さ上がるんだな。

Q:錯乱してしまうんですか?

そういうこと。そしてよ、兵隊がよ、アメリカの兵隊が、ずーっと、何時だかな、何時だかになればあと戻って、帰っていくんだ、自分の隊さ戻るんだ。せばよ(そうすれば)、ぱっと目覚めてな。そういうふうになる、気の弱い人はな。

Q:兵力は、日本軍と何が違うんですか?

兵器は全て違ったな。全て、全て。そして兵器が違ったっていうより、アメリカは飛行機も戦車も歩兵も、どんどんどんどん来るべ。日本は撃つ弾も無いんだもん。無くなってきてあったんだもん。飛行機は無えし、戦車は無えしよ、ただ攻められるだーけだ。死ぬのを待っているだけであったものな。だから、たまったものでなかった。だから、家さ帰ってきても、十年も寝て休めば、毎日夢見て、負ける戦争の夢ばり見たもんな。毎日、毎日。勝つ戦争一回もしたことねえしよ。そういう夢ばかり、毎日見たもんだ。

わたし軽機だから軽機。見たすべ?軽機関銃。だが、戦場で軽機関銃で1人残ったこと何回もあるっす。全部、全滅、全部死んで。運、本当に運というものが、運、本当に弾当たらねえで済んだもんだな。弾なんて向こうから来るこって、こういう避けるってことあるだで、弾なんてよ、この鉄帽さ、これ耳のこれから入って鉄帽さバーンと当たっていったこともあったしさ。それから、伏せてて、このバンド、これくらいでよ、これから抜けていったこともあった。こさ(ここに)手りゅう弾入ってるんだや。それから弾薬箱と。弾薬とな。その間、抜けていったことあった。これからベターっと伏せてるからな。伏せてるから。

Q:その透き間を銃弾が?

銃弾。だから、なんていうかな、運良く生きたっていえばよ、運というものどういうもんだかよ、ほんと。なにしろ軽機関銃の射手というのはよ、いちばん狙われるんだもの。重機で一発バーンバーンバーンといく間に、軽機関銃は3発その間に、ドッドッという間に、3発飛んでいくんだもの。いちばん狙われるんだもの。

Q:仲間がどんどん死んでいったのですか?

だす(その通り)、誰もいねえっす。

Q:どんな気持ちでした?

気持ちって何も無えな。ただ、食い物が無えし、一戦に弾の中、くぐっていって、早く死にたいっていうのがいちばんの思いであったな。いやあむしろ、早く弾に当たって死んでければいいってよ。それは確かにあったっす。

Q:生きたいとは思わなかったですか?

思わなかったな。生きるってことは、このぐらい苦しいものだべかって思った。

斬り込みって大体敵の陣地さ入って、敵の陣地を偵察してくるとか、陣地さ行って手りゅう弾投げてくるとか、そういう、どこそこ陣地のどこそこに、どのぐらいの陣地あってどのくらいの兵隊いるか、どこそこに、どういうところに敵の陣地あるとか、それを見てくるとか。だから斬り込んで行ってどこさ手りゅう弾投げてくるとか、まずあれだな「行って死んでこい」と同じだな。偵察隊に行って、1人も帰ってきた組ないもの、全部全部、戦死。だから運いいっていえば運いい、雨は降るの、雷に雨降って、行くところまで行かれねかった。それで、隊長に会ってごしゃがられるべ(叱られる)と思ってな、「まず、こうこうこういう訳で、豪雨のために行くところまで行かねで、戻ってきた」って言ったら、「良かった。荻原君良かった。」ってして、隊長がよ、サトウコウヘイ隊長がよ、本当によ、「戻ってきてよかった」とてよ。だから、とにかく何しても、死ぬ、「死ぬに行く」と同じだから、間際なんだからな。「死ぬか生きるか」っていう、そういう生活なんだもの、毎日365日。食うか食われるかだもの。

Q:斬り込みとは、手りゅう弾や爆弾を抱えて飛び込む特攻と同じ?

その指示によって、そうであったらしいな。その指示によって。わたしは、「どこそこに敵のアメリカの敵がよ、どのくらいいるようだ」ってことで、「それを確かめて来い」ということで、そういう命令を受けて行ったと思った。

Q:斬り込みは、いつくらいからですか?

いつくらい?、戦争負けて、後半ごろだな。向かっても、向かっても、全滅全滅になっていかね、今度、斬り込みに行ったんだもの。

Q:マレプンヨ山に集結した時は、17連隊は何人くらい残ってました?

どのくらいいたか、全然分からねえな、それは。全部山さ、疎開してるもんだから。

Q:マレプンヨ山の戦いは、どんなでしたか?

まず言ってみれば、あれでねえっすかな、わたしがた、それこそか、それこそか、兵隊のいちばん下のような者だからよ、その情報なんてまず分からねえどもや。だけれども、ほとんどやられたな。全滅、玉砕であったな。

Q:米軍の攻撃はすごかったですか?

だな。ひどかった、ひどかった、やられた、全部やられたな。

Q:具体的に、どんな攻撃でした?

やっぱり、戦車は来るし飛行機は来るし、夜は歩兵、砲弾は飛んでくるし、夜の砲弾、夜、砲弾ひどかったもんな。わたしと一緒に伝令に行ったスギサワという兵隊、わたしと同年兵でよ、連絡に行ってけれって行って、帰りによ、ドバーンとズバーっとよ、向こうのほうによ、ドドーンって大砲の音、したな。「スギサワ、いま飛んでくるぞ」って、こう走ったもんな。スギサワ、足痛えし走れねえって、こう遅れたもの。わたしは、ざーっと走った。(スギサワに)直撃が当たったもんなあ。吹っ飛んでいったもんな。だから、夜は夜でよ、大砲が飛んでくるし。

Q:勝てると思いました?

勝てない、勝てない、勝てない。勝つとは全然、一回も思ったことない。

みんな死んでいくし、食い物はねえしよ、毎日弾は飛んでくるしよ、やあ、「これは生きてるったってよ、生きてるったって、今生きてるったって明日死ぬんだ」と、「明日生きてても、明後日死ぬんだ」と。「必ず生きては帰られねえ」と、そうすれば早く死ねるとよ、死んだ人とが、がうらやましかったもん。

大変であった。その時はよ、歩けない者はよ、銃、兵器取って、そしてよ、手りゅう弾ひとつ持たせて、そして残されたんだ、みんな。そうすればよ、わたしがた、ついて来る人は、まず、後ついてくるんだ、なんぼかはついて来る。あと、来るにだめだという人は、自分で自爆や、手りゅう弾抱いて「ボーンボーン」って死んでいく、死んで。だから、あのつらさ、あの苦しみは、やっぱり忘れられねえな。手りゅう弾ひとつ持たされてよ、銃も取られて、そして、残されていくんだもの。その行軍していく、後さつけられるんだもの、尻っこさ。手りゅう弾の音「ボーンボーン」って聞こえてくるんだ。

Q:仲が良かった人もいたのですか?

いたいた、あの人は、伊藤部隊の人は、あの人はよ、これ切れてよ、(足を指さして)これ切れれば足こうなって、あと上がらなくなるんだ。歩かれなくなるんだ、これ切れれば。

Q:アキレス腱ですか?

んだ、そういうことだ、アスレキ腱切れてよ。そしてよ、同年兵よ、手りゅう弾1発持たされて、いちばん尻さ付けられて、それで、すぐ「バーン」て自殺した。だって、弾当たった人はよ、どこさ当たってもまず行軍は容易でねえわけだ。そういう人はやっぱり、食い物は無えもんだからよ、精切らしてよ、後ついて来れないもん、なんぼでもいるんだよな。いちばん尻さつけられてよ。

Q:負傷兵を置き去りにしていく思いは、どんなものですか?

どんな思いって、いやあ、また一人、また置き去りにされたなって、本当に哀れみ、ただ気の毒だ、哀れみ、それであったな。それさよ、やっぱり、本当のこと言えばよ、自分がいつ死ぬのか、いつ、そういうふうな立場に立つのかよ、分からねえんだもの。だからよ、案外よ、あんたがた、その気持ちを口さ出せって言えばよ、出されねえんだな、出ないね。案外、おめえがた、「案外、あっさりした気持ちで戦友とか置いていくもんでねか」と、そう思われる、本当の言葉を出せばや、今の言葉からいけばよ、そういうふうに思われる、あっさりしたもんだ。一戦一戦のその中ではあっさりしたもんだ。ついて来られんだもの、あと、なんともならねえんだもの。それさ、人が付いていてよ、手当しても、治るもんでもねえんだからよ、1日2日で。だからや、戦争の知らねえ者は、本当から言えばや、人間の友情、情愛なんて、人間、ケダモノだって、やっぱり、極限に追い詰められると、あれなんだってや、その道さ、その場になればよ、人間も恐ろしくなるもんだ。

Q:余裕がなくなるものですか?

余裕が無えして。自分で自分をよ、自分をなんとして行軍の後をついて行けるか、それだけより他は、何も無えもんだは。

Q:バナハオ山では食糧調達が困難でしたか?

んだな、難しかった。へばあの、山のすその芋だのよ、かっぱらいに行った。なんでも食ったからな。芋でも芋の葉っぱでも蔓でも、食うにいいものはなんでも。

Q:飢えとの戦いは、大変でしたか?

大変であったな。

Q:飢えをしのぐために、食糧は強奪していたんですか?

んだな。それこそ、山のすそはずっと畑だものな。畑には何でも植わってるからよ。向こうはサツマイモだのよ、それから里芋だけんたもの、そういうもの大した植わってるんだ。そういうの、芋食わなくても蔓食っても、生きてるからな。それさ、山にいるなんでもケダモノでも、蛇でもネズミであろうが何でも食ったからよ。だから何でも食ったからよ。だから死なねえように生きてらんだ。

Q:蛇やネズミ?

まず晩げに、火が見えないように、煮たり、焼いたりして、焼いたりして蛇は食ったな。生でも食った。

Q:生で?

へえ、生でも食った。

Q:蛇を?

蛇でも、蛇でも、わたしは生でも食ったよ。

Q:それほど極限だったのですか?

だすな。あんたがただって、いま、ここで、何も食わないで、何も死ぬまで食わないで、蛇さ置いておいて「生きろって、これ食えばよ、明日まで生きねえ奴がや、これ食えば明日まで生きる」と、そうすればよ、みんな食うから。

ただ食うために、生きるために、いちばんの戦いは生きるためであったもの、そのときは。生きるための戦いであったもの。自分で自分を戦う、精神的な。

Q:そのときも、死にたいと思ったですか?

いや、そのときは、後はそれこそか「弾もこねえし、平和に生きていくにいいもんだ」と思ってるからよ。人間という者、切り替えが早いもんでしぇ。

Q:小隊長から終戦を聞いた時はどう思いました?

ああ… それが、なんと言うかな「ほんとに負けたんだべかな」と思ったな。それからや、先ず終戦になれば、「あのぐらいの戦争して、まともに帰ってくるとは思わなかった」な。「まともに帰してくれるとは思わねがっ」な。うん、「これはもう、もう全部、殺されるんだ」と。それで自殺した人もいるしな。

Q:投降しても、米軍に殺されるということですか?

いや「戦争して負けたんだから、もうこれ、フィリピン人も、まともには帰してけねえ」と、そう思ってらな。

Q:荻原さんはどう思った?

わたしは、もちろん、そう思った。「あのぐらいの戦争して、殺し合いして、まともに、生かして帰してしまってよ、そういうことはできない」と思ったな。

Q:下山して、収容所へ送られたのですか?

先ず、下山するとき、白い旗持って、そして下山して行って、で、そのアメリカさんがや、下山はこの位置さ来いって言う連絡あったらしい。そこへ行って、銃、自分の持ってる兵器は全部置いて、そして汽車、貨物列車さ乗せられて、そして収容所まで。貨物列車さ乗せられた時にはよ、アメリカ人からよ、やーっと揃って行く時さはよ、石持って待ってるんだ。で、石ボーン、ボーン、ボーンとその貨物列車、屋根もなんも掛かって無い列車さよ、石投げて来るんや。そして「これは、家さは帰られねえもんだ」と思ってきたな。

首実検ていうやつあるんだもの。どこそこのフィリピンの住民にだや、「俺の親父がどこそこに居て殺された」と、「殺した人俺判ってる」と、そう言って収容所さ来るんだもの。そうすれば兵隊とか並べて。それこそ、それを首実検と言ったんだもの。皆その中から、その殺された息子にも、例えば親でも「その殺した兵隊の顔判っている」っていうことで、見て回ってくるんだもの。で「この人だ」ってばすぐ、連れてかれるんだもの。

Q:連れて行かれて?

すぐ殺されるのや。うん。

Q:この人がやったか、どう確かめるのですか?

だから、その本人がや「この人がや、俺の親父とかを殺した、俺の息子とか殺した人だ」っていう、その「俺は見てる」っていう、その本人が見て、回ってくる。

Q:本人が言えば、言い逃れは出来ないですか?

ねえらしいな。ねえな。なんぼでも「この人だ」って言うもんだからな。「この人が俺の息子とか殺したんだ」と、「俺が見て判ってる」と。言われてしまえばあと、すぐ連れてかれるんだ。

Q:「首実検」て言うのですか。

うん、首実検っていう。だから顔見て、判断されて連れて行かれるんだよ。

Q:毎日あったんですか?

いや、そういう、フィリピンの要望によってや。

Q:それはどんな気持ちでした?

いやー… それは「俺でねえ」とってよ、「違う」とてなんぼしゃべってよ、泣いてしゃべってもや、「この人だ」って言ってしまえば、「この人だ」と片っ端から通して連れて行かれるっすべ。

やっぱり、フィリピンの殺されたその家族であればや、例えば人違ってもその代わり、代わりにも連れて行って殺してしまうと、一人を。そういう気持ちに立ち会ってるべからよ、だから恐ろしんだよな。自分で「やらねえ」つったってあとはだめや。首実検に見つけられれば、当たれば。

Q:そこでのフィリピン人家族の気持ちって、どう思いますか?

それは、やっぱりあれだな。フィルピン人のひとの気持ちにならねばいけねえな。あのぐらい殺して、ああいうふうにしてきたもんだもの。だからやっぱり、当然、それはあるべきだと思うしな。「んだ」とか「んでねえ」とかいったってもみな殺したんだからよ。だからやっぱり、それは、あるべきだと思うし。なんとやっぱり、そういう苦しみは味わわねばいけねんだ、ほんと。住民とかいじめて殺してきたからや、これはやっぱり。

Q:帰国はどのように知らされたのですか?

わたし、アメリカさんの捕虜の本部付きであったから、どこかの基地さ、どこ、あの島さ連れて行って仕事させられるんだか判らねえんだいな。それが何回もあったのや。そしている内に、「南方引揚第一船で内地さ帰す」って言った時に、アメリカの本部に居た若い兵隊さんがよ、「内地さ帰るからよ、おめ、荻原君帰んねが」って教えたもの。そして「帰りてえっ」つったっけ、「じゃあ、わたしよ、手続きしてやるから帰れ」って。それで帰してもらったんだ。

Q:実際に、秋田の土を踏んだときは、どうでしたか?

いやはー… なんとも言われねがったども、恥ずかしい、まず、ぼろっぼろの服着でよ、地下足袋の切れたやつ履いて、11月の20日に秋田の駅さ着いたな。うー。寒かったしよ、それからみじめなもんであった。南方そのものの姿でよ、ぼろぼろだもの着て、地下足袋履いて、そして秋田の駅さ降りた。

何と言うかなあ。やっぱり、亡くなった戦友、1人1人頭さびーんと入ってるから、やー、1回顔見たいと思うな。戦友の顔見たいなと思うな。そして、やっぱり戦争の恐ろしさ、戦争の恐さの為に、やっぱりあれだな、誰さも、しゃべりたくも、聞かせたくも聞かれたくもねえ、ほの姿(姿勢)では、やっぱり、これでは戦争と言うものの苦しみがや、地域の人がたは判らねえから、これはやっぱり、自分の知っている範囲内で、みんなに戦争と言うものはこういうもんなんだと、戦争はしてならないということ、やっぱり教える必要があると思うな。自分でもそう思うし、もはや87歳もなって初めてそう思ってきたな。

Q:亡くなった戦友への思いは?

うーん… やっぱり、全部よ、亡くなって、戦死してしまえば、いま今日の、この日もねえんだもの。それがために生きてきた。ために、今日のこの日がよ、戦死した人の気持ちも、その姿も、現れてくるんだもの。だからやっぱり、誰かが生きてきてよ、誰がよ昔のその亡くなったその苦しみ、それを、それは、やっぱり教えてやらねばいけねえなと思うな。

Q:フィリピン住民への思いは、どんな?

これは、ただ単に、申し訳ねえ。責任はやっぱり日本にあるな。あすこは戦場であったんだもの。あすこと戦ったんでねんだもの。なあ。アメリカ人と闘ったんだもの。そしてよ、地域の住民が、まるっきり犠牲になったんだもの。だから、それに対しては、やっぱり口に表わせねえ程の、やっぱりなんというかな、気の毒だな、申し訳ないな。自分の家庭を思うだけでもよ、やっぱり…。

Q:65年前の戦争は、何だったのですか?

なんだろな、何であったかなあ。何であったかなあ。うん。何とも言われねえな。うん。何れにして、とんでもない、人殺しをしてしまったな。何の為に戦争したものか判らねえものな、何の為に戦争したか。偉い人がたにはな、まず、これは政治的ないろいろな問題あったかも知れねえども、我々、政治的な問題も何も、いま現在そのものにもや、あの戦争が何であったかも、それも判らねえからよ。ただ、つまらない戦争、人殺しの、つまらない戦争したっていうことだいな。

出来事の背景

【ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦 ~秋田県・歩兵第17連隊~】

出来事の背景 写真昭和19年、日本軍はフィリピン・レイテ島で大敗し制空権・制海権を失った。援軍も補給も断たれるなか第14方面軍・山下奉文司令官は、ルソン島での持久戦を決断。南部の守備隊10万人のほとんどを、マニラ東方の山岳地帯に配置した。

ルソン島南部の守備に残された秋田県・歩兵第17連隊は、将兵およそ3000人。その多くは戦闘経験のない20代前半の若者たちだった。日本軍が手薄になったこの地域で、米軍はフィリピン人抗日ゲリラ部隊に武器・弾薬を与え、活動を活発化させた。ジャングルに潜むゲリラから度重なる襲撃を受ける中、第17連隊長・藤重正従大佐は、このままではアメリカ軍と戦わずして壊滅すると判断し、ゲリラと協力する住民に対する粛清命令をくだす。9万人以上の犠牲者を出したともされる日本軍のゲリラ討伐により、フィリピンの人々の日本軍への憎しみは決定的となった。

昭和20年3月、激しい市街戦の末、マニラが陥落。米軍は第17連隊が守るルソン島南部に攻め込んできた。最前線に立つのは日本軍への復讐に燃えるゲリラたちだった。包囲され猛攻撃を受けた連隊は玉砕を覚悟したが、方面軍から最後まで持久戦を貫くよう命じられた。やむなく30キロ離れたバナハオ山への転進したものの、マラリアや激しい飢えが兵士たちを襲った。

第17連隊で終戦まで生き延びたのは、およそ700人。その後、20人あまりが住民虐殺の罪に問われ、藤重連隊長以下5人が処刑された。

証言者プロフィール

1923年
秋田県秋田市にて生まれる。
 
添川尋常高等小学校卒業。
1944年
歩兵第17連隊入隊。
1945年
フィリピン・ルソン島にて終戦を迎える。
1946年
復員。復員後は農業を営む。

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フィリピン(ルソン島)

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