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タイトル 「飢餓の果てに起きたこと」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦~秋田県・歩兵第17連隊~
氏名 清水川 多左衞門さん(秋田・歩兵第17連隊 戦地 フィリピン(ルソン島)  収録年月日 2010年6月28日

チャプター

[1] チャプター1 海外に行きたかった  05:18
[2] チャプター2 陣地作りの毎日  02:38
[3] チャプター3 ゲリラ討伐命令  05:58
[4] チャプター4 米軍戦車の攻撃  05:10
[5] チャプター5 背のう爆雷  05:42
[6] チャプター6 ゲリラの襲撃  03:51
[7] チャプター7 飢餓のバナハオ山  03:16
[8] チャプター8 飢餓の果てに  02:33
[9] チャプター9 投降  02:40
[10] チャプター10 絞首刑になった上官  03:30
[11] チャプター11 首実検そして復員  08:49

提供写真

再生テキスト

最初はよ、どこへ行くんだか分らながったんだ。移動することは事実だどもな、だがら喜んで行ったな。「戦場さ行ぐに良いど」ってな。海外志願したぐらいだがらよ、そういった所さ行きたがったものな。それさよ、七男なんてよ、一番後がら生まれた男の子だからよ、家さこねば出来ね(戻ってこなくちゃならない)なんた感覚、なんも無がったものな。だがら、どこへ行っても良いって気持ちだがら海外さ希望したわけだものな。

Q:満州から出発して、マニラに行くんですが、どこから乗ったんでした
釜山から・・・
Q:釜山から船に乗ってルソン島へ行く時ってのは、航海の途中は安全だったんですか。

全然、安全で無かった。一回よ、潜水艦来たどってよ、飛び込みしなければならなかったな。船から、飛び降りるわげよ。すると助かるべ?潜水艦にボンとやられれば自爆だべったな。わたし、その時、ちょうどマラリアにかかってな、どこだ、下関経由してって、九州のどごだがの港さ着いでよ、それからマラリアにかかってよ、飛び込みの命令来たったけれども、わたし飛びこまねがったもの。なしてがってばよ、マラリアさかかって動けなかったべ、死んでもいいってことでよ飛びこまねがった。

Q:どんなお気持ちでしたか。船の中にいる時は。

やっぱり、大部隊が乗ってるもんだから、そんなにも怖いことはねがったども、マラリアさかがって動けねべ?どうせ死んでもいいど思ってな、死ぬごったば(死ぬならば)船の中で死のうど思ってよ、それで飛び込まねがった。

Q:でも17連隊は比較的無事にフィリピンに着いたんですか?

そうそう。フィリピンの北サンフェルナンドってどごさよ、上陸したもんだっけ。その時分はよ、フィリピンの汽車さ乗ればよ、山さ(さし)かかればよ、押してけねば(やらねば)ダメだった、汽車降りて。ヤシのコプラたいてらったおの、あのヤシの水飲んだあとの殻よ。あれたいてらったんだ、だがら馬力ねえべ?だがら多くの兵隊が乗ればよ、汽車走れねぐなるものな。「皆降りて押しなさい」と命令が来るおんだっけ。そういう風にして、汽車で3日ばかりかかったかな?さっきの地図のリパーってとこまで行ったおんだもの。北サンフェルナンドから3日ばかりかかったんでねすかな?汽車歩けねもんだから、止まってる時もあるもんだからな。

Q:その北サンフェルナンドから南の方へ行って・・・

そうそう、マニラ通ってな。

移動するときはよ、まず、大体班長以上の人が「斥候」に出されでな、そして今度行くところの偵察して来るわげよな。やっぱり同じ所によ1週間と居られなかった。3日ばりだどって出かけて行ってな。リパっつうどごさ行ってよ、毎日タコツボ掘りな。それをアメリカが、タコツボひとつひとつ爆撃するもんだがらよ。移動さねねぐ(せざるをえなく)なるべ?せば、なるべくアメリカのいないところさいないところさ出かけて行ったものな。

Q:そうやってしょっちゅう移動するのはどうしてなんですか。

やっぱり、その陣地、皆やられでしまうもんだがらよ。タコツボさ入ってでもタコツボを皆爆撃されてダメになっちまうべ。

Q:先ほどフィリピン人は最初は日本人に親しげだったという話をしたけど、具体的に、家も貸してくれたりしたんですか。

貸してくれだ、貸してくれだ、最初はな。こんだ状況が悪くなったばよ、今度、そういう人達はよ、敵対になってしまうんだがらな。行った時分ならよ、「日本の兵隊が来てけでよがっただど」ってよ、たいした喜ばれだった。だんだん戦況が悪くなったばよ、ダメなっちゃったけもの。「バガヤロー」なんて言うようになったっけ。日本語で「バガヤロー」っつうけもの。

Q:普通の住民の方が。

うん。

おらの連隊長はよ、住民でも子どもでも「みな殺してしまえ」とばり言ってら人だった。「住民どってなみな殺してしまえど」って、俺なば、そこまで殺せねがったどもよ、うちの方の連隊長はよ、無論、最後の絞首刑で殺されだどもよ。その人はよ、とにかくゲリラだろうがアメリカ軍だろうが、とにかく見たらみんな殺してしまえと言う人だった。

Q:そういう隊長の命令がきたんですか。ああ、連隊長命令がどういう風にして聞いたんですか。

いや、各中隊のどごさ連隊長が回って来るごどあるのな、そのとき言うんだ。連隊長なば、壕(ごう)の一番奥にいるわげよな、だがら連隊長そのものはやられねわげよ、だどもへ、辺りにいる人だちはやられるもんだがらよ、それを聞いているべった、せば「殺してしまえ」どってな。藤重という連隊長だったどもよ、その人はよ、やっぱり気合いのかかる連隊長だった。

Q:そのときはもう既に清水川さんは小隊長だったんですか?
小隊長だった。
Q:小隊長は、誰から命令をもらうんですか?

命令もらうやつか?中隊長がらもらうのよ。小隊長は中隊長からもらうわげよ。中隊長は連隊長からもらうわげよ。

Q:その実際に住民も関係なく殺せと命令を受けて、清水川さんはどうしたんですか?

聞いただげだった、回って来てな、連隊長がよ「全部敵なんだがらよ、なんでも皆殺してしまえ」とばり言う人だった。

ゲリラ捕めで来てよ、そしてバナナの(木)さ繋いでな、そして軍刀で切るおの。…バナナの木、一番いいんだ。柔らこいがらよ、バナナと一緒に切るんだ、切りやすいわげよ。俺だよ、自動車のスプリングで作った軍刀下げてらったがらよ。重いべ?そして切れねべ?だがらバナナさ、繋いでやればよ、一番いいんだ。…野蛮だったな。いま思えばよ、「まんず、恐ろしいごとばりやったもんだなあ」ど思うな。

Q:ゲリラをどうやって連れて来るんですか?

やっぱりあれだわげよ、ちゃんと手錠かげたりしてな、後ろさ手背負わせてよ、ここ手ぬぐいどがで結んでな。そうしなければば逃げられるおの。

Q:ゲリラか一般の住民かってのは区別がついたんですか。

うん、だいたいな。憶測だがらな…銃持ってるもの。ゲリラはほとんど銃持ってるもの。

Q:軍服も着てるんですか?

軍服は着てねおん。フィリピンは暖かいんだがらよ、ほとんど半袖みでったな、半袖ど半ズボンだな。

Q:そのゲリラの方は抵抗しなかったですか?

んだべった、皆手繋がれでるんだがら。

Q:ま、戦場でね、そこまでせざるを得ないやらないとやられるっていうくらいこう、追い込まれていたと思いますけど、とはいえ、本当の心の中ではちょっとこう、葛藤(かっとう)があったり申し訳なさも感じてましたか?

全然無がったな。やる気でやったったもんだがらよ。全然無がった、そういうごどはな。今の人達がら見ればよ、実に残酷なごどだわげよな。んだって、戦場ってやっぱそんたもんだ、なんともしょうがねえもんだ。「やらねばやられるっ」つうごどだがらな。

最後にアメリカ出てきてよ、そしてタコツボでもなんでもよ、ギリギリどねじってよ、キャタピラでな、タコツボこうあればよ、それさキャタピラ上げてよ、戦車でギッとねじってしまえばあと終わりよ。

Q:タコツボに人が入ってるんですか?

うん入ってる。…俺家のそこのよ、大曲(現 仙北市)がら出たフジイっつう第一分隊長、居だったおのな。その人よ、夕方なったら俺のタコツボさ来たっけおの、「や、カワグチ(旧姓)」だどって来たっけおの、「俺、もしかいったらよ、死んだらよ、俺の家さ落としてけれな(教えてくれな)」なんて言うっけおの。「お前、もしか早ぐ死ねば、俺がお前の家さ教える」なんてよ、2人して別れだ。その夕方が、俺、眼鏡かげで見てたわげよ、戦車来たんだがらな、したっけ(そしたら)その分隊長の上さよ、キャタピラな、がっと、戦車なんと16台も来たもの。それこそ、ヤシ林さ入ってきてタコツボ、ひとつひとつ、つぶすのよ、なんと残酷だな。それさな、小銃撃ってもなんともならねしな。それで「戦車さ飛び込み自殺させるど」ってな、爆弾背負って、「背のう爆弾だど」ってよ、背のうさな、こんけばり(このくらい)の四角だやつさヒモ付けてよ、戦車さ飛び込むのよ。その役目が、俺がたの分隊だったおん。したっけよ、その戦車がよ、あまり数(多く)来たもんだがらよ、阻止できなぐなっちゃったわげよな。俺見でらどごろで、そのフジイって人がつぶされでしまったっけ、んだがらその人の遺骨もなんも無えわげよ、あの重戦車がキャタピラでグルッとひとつねじればよ、タコツボさ居た人がたなんともならねべ?生き締めだべ?して、フィリピンさなんて、石ころがあまり無ぐって砂っぱらばかり多くってよ、タコツボねじられれば皆ガタっとつぶれでしまうわげよな。あれ、岩場ならよ、そうはいかねべどもよ、畑中なんてな、皆いっちまうもんだっけ。俺、眼鏡かけて見でらったでそれ。なあんと、その晩のうちにあれだった、俺がたそこ撤収したった。みなタコツボやられでしまったもんだがらよ、

Q:戦車もあって、空からも地上からもですか。

そうそうそう、先にまず観測機が飛んで来るんだな、観測機が飛んできてよ、タコツボひとつずつ調べて行くんだべった、あれな。タコツボの上に居でで調べでよ、爆撃来る時はよ、そのタコツボのところさあれだもん、監視してる人がた皆いなぐなるんだな。すると今度は、一斉に迫撃砲で来るんだな。あの迫撃砲で来たやつならばよ、タコツボひとつひとつさ命中すればよ、ちゃんといっちまうもんだっけ。でなければ(弾が)空なばよ、音するんだな、土の中さ「ネリネリ~」っと入って行ぐ時よ、ちゃんと聞こえで来るのな、「ああ、あれは不発弾だな~」なんてよ、そんな事言ったりなんだりしてよ「あれは不成功だな」なんて言ったり、俺がた言ってらった。

これが背のう爆雷だとすればよ、「背負う爆雷」なわけよ。これが戦車を狙ったようなよ、ここのとこさヒモっこ付いてるんだ。そのヒモをこの指さつないで、(戦車の前へ)飛び込めばこれが爆発するわげよ。指揮者の命令によって「何番行け」「何番行け」と背のう背負ってよ、そして戦車一台と交換なわけよ。ところが背のう爆弾背負って、下手な人は、戦車の前の砲塔というか金具さ、ぶつかっちゃって成功できない人もいるんだな。戦車のずっと手前で爆発することもあるんだな、そういうのも全部俺見ておった。

この中さ爆雷が入っているわげよ、四角な。四角の頭の上さヒモっこついでる、それが発火装置なわげよ。(戦車の前へ)突っ込むと同時に手を伸ばせばヒモが抜けて発火するわげよ。爆発するわげよ。背のう爆弾。

成功せばよ、戦車が爆発するものだっけ。だから人間一人と戦車一台交換なわけ。

Q:特攻みたいなもんですか。

特攻隊よ、やっぱり。特攻よ。船さ乗って特攻隊いぐべ?あれどおんなじ。


Q:部下の方に命令出すんですよね。命令を出すってのはどんな気持ちなんですかね。

だってそのときはよ、言いつけられた事は十分に果たさねばならねがったんだがらよ、それだげよ。

Q:成功したんですか?背のう爆雷は。

成功した。成功した。一台だどもな。さっき言ったとおり、戦車がグリンとふむぐいでよ(ひっくり返って)あどダメなものだっけ。戦車一台とよ、人間一人と交換よ。あの戦車は重戦車でねがった、中戦車ぐれえなもんだったな。それ皆米軍だもん。

Q:戦車の下の方まで入らないとだめなんですか。

そうそう。飛び込んでいがねば、爆破されねべった。(戦車の)横っ腹なやったってよ、背のう爆雷背負った人は必ず戦車の底まで入って、前の方からな。

Q:みなさんそこまで行けるんですか。

行ける行ける、行ける。そこまで行がねうちに拳銃でやられる人もあるしな。戦車の砲塔がらよ(米兵が)顔出してで、これで(ピストルで)やられる場合もあるし。

Q:その部下を失うって、どういう思いなんですかね。

う~ん…なんと言ったらいいもんだべな。…なんとも言いようがねえなや、とにかく夢中になってるもんだがらよ。「部下困るべが?」とかよ、「家族が困るべが?」とか考えてるごったばよ、戦争な出来ねがったおん。あんだ方の年配がら言えば様々な事が浮かんでくるけども、あの当時はよ、まだ俺フィリピンいだ時だがら24、5か?25歳ぐらいだったべな、そんた事なばひとっつも考えねがった。

日本の人がたが腹空いてるべ。兵隊がたな、だがらよ、どっかの家でご飯ごちそうするんだな、ところがごちそうなってるうちによ、ゲリラが、皆、包囲するんだな、包囲してよ、わたしなんか包囲されでよ、大変な時があった。日本のご飯食べらへでよ、そして…あれなんて言うがな…安心させたとごさ、今度はゲリラが、ごちそうなってる間に、ゲリラがちゃんと包囲するんだな、3回ぐれあったな。

民間の人がた(たち)がな、ゲリラでねぐ女のひとがたがな、ご飯作ってくれたっけ、たいした良いど思ってへ、ごちそうになるべった、せば、その時すでに包囲されでしまってるおのな。それを分かってで、腹空いてるもんだからよ、またそんた事さ引っかかるんだな。

Q:包囲されてそのあとどうなったんですか?

いや、やっぱり撃ち合いするわげよ、撃ち合いして、うん。それで撃ち合いして、その人がだ(ゲリラ)をぼってやる(追い払う)わげよ、フィリピンのゲリラなば、そんたに多くの弾持ってねえもんだがらよ。なんてなこともあったな。

Q:そうやってゲリラにやられちゃった方って結構いたんですか?

いだいだ。だいたい食うものが無えもんだがらよ、ちょっと暇だどって、暇あればよ、ねまってな(弱ってな)いるべ?座ってるべった、せば、そごさゲリラ来てよ、襲撃されでな、逃げれねべった、弱ってるがらな。あど逃げる途中にな、弱ってる人がだはよ、ほとんど、水一杯飲めばほとんど自決したな。「最後の水飲んでだど」ってよ、川さな、沢な、沢さかっぷして(腹ばいになって)水飲むわげよな、そのままよ、あど。わたし「それをよ、拾ってこい」っつう命令受けてな、なんと、わ(わたし)の体もゆるいのに拾いたてならねべ?(拾いきれるものじゃない)、みんな沢さ置いてったのよ、あれがた皆、ワニ類にかれで(食われて)しまったべった。行方不明になってる人がだはほどんどそうだ。

バナハオな…あの、バナハオさ行ってがらよ、芋のツルな、サツマイモのツル、ああいうもの採りに行ってな、して食べた事もあった。自分の背のうさ、米よ、米な?靴下さ入れたの、あれ何合だべな…忘れじまったども靴下さ入れでよ、最後の食料だどって持ってらったおのな、それみんなバナハオで食べだ。

食うもの無くなったもんだから牛捕りに行ったものな、捕りに行ったらよ、田んぼの中さ赤い朝鮮牛みたいなのが2匹も繋いであるんだな、「いい牛居だ」どって捕りに行ぐべ?へば、林の方でみんな機関銃し付けて待ってるなだ、そういう時があった。それで、夕方だったがらよ、これなば死んでられねどってよ、せき(用水路)の中さ入ってよ、暗くなるまで、牛は捕らないでせきの中さ隠れだ。せきの中でも寒ぐねべ?フィリピンだばな、頭だけ出してよずっと、夜暗ぐなるまで。して牛も何も捕らねでタジタジとして戻って来たった、夜になってから。そういうこともあったった。

Q:ゲリラが待ち構えてるのが見えたんですか?

見える見える、ちゃんと。

Q:牛はおとりだったんですか?

おとりよ。わざと田んぼの中さ繋いでおくんだな。へばこっち「ああ腹空いた」どって「牛居だ」どって行くべ?わたしともう2人いたったどもよ、その人がたもみな無事でよ、せきの中さ入ってでな。暗くなってがらではってきた。そうして助かってきたこともあったった。

Q:見えたんですか、ゲリラがいるのが。

やっぱりヤシ林の中だがらよ、ほとんど見えるおのな。んだどもホレ腹空いてるもんだがらよ、牛捕るってことだけ頭にあるもんだがら、包囲されでるって事がわがらねわげよな。

わたしあの、命令で行ったどもよ、そういう人がだのところな、訪ねてで行ったわげよ。行ったらよ、なあんと親分がドテラ着てるもんだっけおのな。そして壕の一番奥に居るもんだっけおん、手前によ、飯ごうさな、何が炊いてるもんだっけおのな、飯ごうで。それがよ、人の肉らしがったけおのな。「食べれ」つうけどもよ、俺は食べねがった。俺ど、何人ばり居たったべな?して最後によ、そっから出はってがらよ(そこを出てから)、その人がたをよ、わたし、襲撃した。襲撃してよ、あとなんとなったがわがらねどもよ(そのあとどうなったか知らんが)、襲撃したった。「人食べるなんて人はよ、人間でねえ」なんて言ってな、襲撃して、山の平(ひら)に居るもんだっけがら、山の上さ上がってがらそれどご(そいつらを)銃撃した。してよ、なんとなったが知らねどもよ、そのままバナハオさ戻ったがらよ、いぐわがらねがったどもな。俺さよ、人の肉「け(食え)」っつうもの。とにかくよ、人の肉ってよ飯ごうさ入れればよ、白いアブグ立ってな、泡立って、だがらすぐわがったけおん。

Q:え?洞くつから出て・・・銃で撃ったんですか?

そうそう。あっこさよ、3人だがよったり(4人)居たったがらよ、それもあれだもの、糧まつ収集に行った戻りだもの。バナハオさ行ってがらだもん。

人間、人間の業にねえごどしてるがらよ、「ダメだ」ってごどだった。飯ごう2つか3つぐらい(火に)かけてよ、中で炊いていたもんだっけおん。

投降する時もよ、わたしが先頭だっけおん。そういや、いい話こあった。そのときな、一番先に来たんだがらよ、そこさアメリカの兵隊付いでるべ?俺そのときタバコ吸ったったんだがらな、アメリカさ「タバコけれ(くれ)」どってよ、軍刀の柄さ手をかければよ、すぐタバコける(くれる)もんだっけおな。「これななんただごどする(しでかす)がわがらね」ど思ったんだで、タバコけ(くれ)でよ、して無くなればよ、まだ軍刀の柄さ…俺戻って来る時軍刀下げてらったんだ。その軍刀の柄さ手かければよ、すぐにタバコけるもんだっけ、アメリカ兵。タバコ。したら一番最初にもらって吸った時は酔ってな、タバコに酔って、しばらぐ吸った事ねがったがら。

Q:日本は戦争に負けた、と知った時はどう思われましたか?

う~ん、良かったと思ったな、今度は家さ帰れるど思ったったども。んだがら、良かったと思ったべの。いがったんだが?良かったんだが?

Q:悔しいというよりですか?

うん。んだがら一番先に話した「馬鹿な戦争した」ってのはそこだったわげよ。

Q:戦地でも「馬鹿な戦争」だと思ってたんですか。

いや、思わない。今だからな、そういう風に考えられるけど。勝つために戦争したんだがらよ、負けだ時には悔しいどが、そんた風にはなんも感じねがった。良かったなあと思ったった。宣伝ビラ見ればよ、様々な事書いであるべ。ああ、これ本当に負けだんだなあと思ったった、その時はな。

死刑台のとこさよ、俺どご呼ばったっけおん。したっけよ、死刑台さ登って行くんだ、13階段だものなあれな、死刑台の階段はな。そこまで呼ばってよ、「おばこ節」謡ってよ、そしてあの階段さ登って行った。したら「清水川」って言うっけおん、「俺これがら殺されるんてな」って。して、俺がまだ居た内によ、ちゃんと銃殺されでしまったっけ。13階段上がってな、俺もそこさ上がって行ったった。13階段さ。へばよ、鉄板の板の上さ上がってよ、そうして首さつってな、その13階段の扉がよ、バッと開くんだ、へばよ首つりになるべ?へばよ、すぐにこんだ両方に居た兵隊がよ、銃殺な。鉄砲撃ってすぐ死なせてしまうの。「おばこ節」謡って、そうして死んでった。ああ、あのときなば泣けで来たったな。

Q:それ、どんなお気持ちで見てらっしゃったんですか?

そのとき?この人やっぱり、俺、それ(入隊時の教官)がら教えてもらった時よ、「それ」(と呼ぶの)は失礼だども俺一番だっけおん、んだどって(だから)俺を呼ばったったんだべおの。死刑な時な、んでねば、自分の部下たちなんぼもいるんたってよ、俺どご呼ばったもんだおん、まずそれもアメリカの兵使って寄越してよ、そうして俺そさ行ったった。

Q:それはゲリラ討伐に問われて絞首刑になったんですか?

そうそうそう。その人よ、どごさ行ぐったってよ、参謀長だったでもな、俺どごよ「おめゲリラと出会ったんだからおめ来い」どって呼ばれでらったおん、だがら絞首刑の時もよ、俺どご呼ばったんだべの。泣いだったなや、あのときなばや。「おばこ節」淡々と「おばこ節」謡っては、登って行ったおん。

Q:どんな歌ですか?


♪おばこな~、って歌う歌っこだ、秋田おばこ。なあんと、あの人転進もあったったし、討伐っていえばなんでかんで連れて行くっけおのな。

やっぱり強姦(ごうかん)かけたとか、おれの親族殺したどが、そうした人たちがよ…まんず強姦が一番余計だったな(多かったな)。なんと、朝間がらよ昼間過ぎまでよ首実検な。こう、回して歩ぐのよ、(実検するのは)大概は女だっけ、したば、一番最後によ、今度はフィリピンの二世がよ、日本人だっけおのな、その人がよ、首実検の一番最後さ回って来てよ、その人引っ掛からねっけおの。したばよ、その人がよ、おかげでよ、そこに首実検さ引っ掛かるぐらいの人がいなくなったって事でよ、なんもそれがら、なんもねがった。首実検はな。

Q:首実検てのはどうやるんですか。呼ばれて並んでるんですか。どういう感じで?

いやいや、首実検さ引っ掛かる人は名前呼ばれてそこさ行ってるべ?せば住民がよ、何十人と来てるんだな、引っ掛かるんた人を見て、回って行くんだな。大抵、強姦だな、おらな強姦もかけた事ねえし、役立たねんだがそっちの方なんも役立たねがったものな。あまり気合いかがんねがった。

Q:清水川さんはゲリラのあれでかけられた?清水川さんも受けたんですよね?

ゲリラの討伐に行った時なばよ、やっぱり一回だげだおの、軍刀で斬ったやつはな。後なば、ほとんど、みんな兵隊だちやったやつだがらよ、俺なば罪ならねっけおん。

Q:首実検受けるってのはドキドキする?

するなあ。なあんと、1日に3回もある時あるもんだっけ、首実検。ほとんど女だっけな。

Q:そうやって復員が決まりましたよね、帰るって時はどんな思いでしたか?

うん…いがったことが半分だな。良かったこと半分な。それさ、たったひとり来たってのが寂しぐってな。「はあ、残った人だち何してるべなあ?」とそういったごどの寂しさが出てくるっけ。

フィリピンがら復員して来る時な、わたし1人戻って来たもんだがら、幕舎に居た人たちがってよ「なあんと隊長、おめ1人行ぐやづが(1人だけで故郷に戻るのか)」と言われた時には、俺もほろっとしたったなや。なしてがってばよ(どうしてかと言うと)、俺ちょうど仕事さ出はってよ、仕事って言うのは米軍さ働きに行ってら人たちを銃殺に行ったったんだな、したっけよ、アメリカの階級少佐の人がよ、通訳連れてよ、俺のこと迎えに来たっけおのな、したばひゃ、「家さ帰る事になった」どこういうおの。「ああ?」とびっくりしたわこんだげよな、したっけ「なんぼ(何人)帰る?」て言ったばへ、「あんた1人だ」ちゅうおの。「なして?」て聞いた、したばへ「抽選で当たった」じおの。それでへ、今がら帰る準備してけれどって、こんだ幕舎さ戻ってきたべった、幕舎さなんぼ居だべな…何日か居だ、何時間だが居だ。それで「帰る時間になったから準備せ」ど指令が来たおの、たった1人なわげよ、してマニラさ来たどもたった1人。その少佐が「帰ってもいい」つうがらよ、わたし、兵隊なもんだがらな、少佐の言う事聞いで、帰る事にしたわげよ。ところがマニラさ来てがら、「首実検やるど」って言われだわげよ。んだども俺さ当たらねおのな、首実検でもよ、で、そこに、16日居だわげよ。その間、いつ、これ違反(刑罰)になるべど心配しておったども、とうとう16日間なんにもなくってよ、家さ来たわげよ、家さ来る時も1人。脇の(他の)部隊もあるっけどもな、船さ乗るまでたった1人よ。まんず、そのとき言われだった、「隊長、おめえ1人帰っていいのが?」って。そのときな俺、泣げて来たったな。なあんと…。そういう事あったった。

Q:今振り返って、あの戦争ってのはなんだった?と思ってますか

なんだがわがらねな。なにがなんだがなにがなんだが。俺はやっぱり先に言ったのはよ、「まさか負ける」どな思ってな行かねがったんだがらな。

Q:今亡くなった戦友に対してはどんな思いを?

う~ん、やっぱり俺も少し無茶だったなあと思う、そう思う。いかに命令だったがも知れねけどもよ、やっぱりなあ、少しひどい命令の仕方したな、と思うな。やっぱり軍人ちゅうのは皆よ、全部命令だがらな。朝間に起きる時はラッパで起きてだべ、寝る時は寝る時でラッパで寝ねねべ?(寝なくちゃならないでしょ?)なあんと、とてもとてもや…

Q:そうやってひとり生きて帰って来たからこその苦しみもあったですか。

やっぱり兵隊さ行きたくて行ったもんなんだがらよ、兵隊の事については,そう悔いもねえしな…んだなあ、兵隊さ行ぐったって海外志願までしたった人だべ?だがら、戦争についてだば、やっぱり今言えばよ、今でなば「馬鹿な戦争した」と同じでよ、やっぱり大変なことをやったもんだんな。

出来事の背景

【ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦~秋田県・歩兵第17連隊~】

出来事の背景 写真昭和19年、日本軍はフィリピン・レイテ島で大敗し制空権・制海権を失った。援軍も補給も断たれるなか第14方面軍・山下奉文司令官は、ルソン島での持久戦を決断。南部の守備隊10万人のほとんどを、マニラ東方の山岳地帯に配置した。

ルソン島南部の守備に残された秋田県・歩兵第17連隊は、将兵およそ3000人。その多くは戦闘経験のない20代前半の若者たちだった。日本軍が手薄になったこの地域で、米軍はフィリピン人抗日ゲリラ部隊に武器・弾薬を与え、活動を活発化させた。
ジャングルに潜むゲリラから度重なる襲撃を受ける中、第17連隊長・藤重正従大佐は、このままではアメリカ軍と戦わずして壊滅すると判断し、ゲリラと協力する住民に対する粛清命令をくだす。9万人以上の犠牲者を出したともされる日本軍のゲリラ討伐により、フィリピンの人々の日本軍への憎しみは決定的となった。

昭和20年3月、激しい市街戦の末、マニラが陥落。米軍は第17連隊が守るルソン島南部に攻め込んできた。最前線に立つのは日本軍への復讐に燃えるゲリラたちだった。包囲され猛攻撃を受けた連隊は玉砕を覚悟したが、方面軍から最後まで持久戦を貫くよう命じられた。やむなく30キロ離れたバナハオ山への転進したものの、マラリアや激しい飢えが兵士たちを襲った。

第17連隊で終戦まで生き延びたのは、およそ700人。その後、20人あまりが住民虐殺の罪に問われ、藤重連隊長以下5人が処刑された。

証言者プロフィール

1919年
秋田県秋田県大仙市太田町にて生まれる。
 
長信田尋常高等小学校卒業
1941年
歩兵第17連隊入隊。
 
第3中隊に配属
1945年
フィリピン・ルソン島にて終戦を迎える。終戦当時、軍曹。
1946年
復員。復員後は農業を営む。

関連する地図

フィリピン(ルソン島)

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