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タイトルタイトル: 「丸腰で米軍と対峙」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~
名前名前: 上八重 正吉さん(鹿児島・歩兵第145連隊 戦地戦地: 日本(硫黄島)  収録年月日収録年月日: 2010年3月16日

チャプター

[1]1 チャプター1 2度目の召集  04:10
[2]2 チャプター2 水がない硫黄島  02:37
[3]3 チャプター3 「あせも」に苦しむ  03:20
[4]4 チャプター4 泥棒して食いつなぐ  07:32
[5]5 チャプター5 大隊砲で応戦  08:15
[6]6 チャプター6 丸腰の戦い  05:58
[7]7 チャプター7 「明るいところで死にたい」  04:07

チャプター

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Q.またもう一回徴兵で行ったときは、どういう気分だったですか?

やっぱり、どうちな、やっぱい戦争の気分があったじな、そげん、あいすっとは思わんかったっじゃば、言えば、東京も内地のうちでしょう。内地のあひこに、戦争に、戦地つとこい、行かんにゃならんとかっち、思ったがな。ほしたら、行って、2月(1月)の24日に入って、東京を出て、あひこに、父島に入ったんですね。ほしたら、その朝から、24日に入って25日の朝、今度は初めて空襲を受けたんですよ。それで、こういう戦争というものは、こういうもんじゃなあと思ってな。シナにおるときは、日本の兵隊が行くところは全部、勝って行きおったからな、それまでなかったわ。

空襲を受けてみんなびっくいしたわなあ、これ。朝から、自分の装具だけはもう、父島に届いちょったからもう、全部、あれして、自分で準備をしておったじ、空襲を朝早う受けただでな。ほして、上のあんな山んところい、全部逃げたわけ。そいじゃば、他ん衆は、だいぶ兵隊がおったでな、逃げやならん衆もおったし、船にまだ乗っていっぱいおって、今度は船を撃たれて、もう、中に浸かってしまう衆も多かったっどお。

Q.船がやられて、もう人間も荷物もなかなか着かんかったわけですね。

もうほいで、兵隊は全部自分の装具をば持って、山におったば、うちの小隊長なんかな、自分の着の身着のまま、暑いもんじゃから、全部上着から装具からもう、そこへ置いて、そんまま、山の方に入ったわけよな。ほしたら、今度はおったときに、兵隊に、兵隊や、小隊長の当番にな、「自分の装具を持って来い、持って来い」ち、言われたわな。飛行機が舞うときですよ。うちが、今度は、「今、行くな」ち言うたわけよ。したなら、小隊長が、「何でやらんとか」、「今、空襲に行ったら、装具はなんじゃいねなち、死に方て行くやけやから」ち、そいくさ口けんかをしてな、やらんかったわけ。

Q.まあそら、小隊長も無茶なことを言いますね…

そうですよ。そんなことを言うんですから。

もうな、暑して暑してな、そらもう、今度は水はないしでしょう、あひこは、たまり水やっでや。ほで、ほとんど、家に水槽を作ってあったいな。それをば、もらって食べたですよ。ほで今度は、雨水が、雨が降るときは、島の人が言うたよな、「ドラム缶か何かに水をためるごとしちょかないかんのだよ」ち、言いおったがな。ほで、今度は、水が出らんとこいったら、「出るところがあっとよ」ち言やったどんな、東、あたいどんとこの東おったばってん、そん東に、今度は水くみに行くのな。ほたなら一升瓶2本持ってな、朝早く行く、ちょうど夕方2本、ためて持って来おったよな。そいだけ、やっぱり水やったば。

Q.結局、雨が降れば、水がたまるところがあるわけですね?

水槽をな、ほとんど人家に作ってあったば。雨だれが、雨どいから雨だれ、そん水槽のところいな、作ってあったど。

Q.戦争が、戦闘が始まる前は、水やらはあったわけですか、飲む水は?

はい、飲む水はな、各家に大きなタンクが作ってあったいな、そいに、いっぱい入っちょったいな。それをもらいに行って、行った。ほで、雨が降るときはな、雨水をためなさいち、部落の人が言ったもんな。ほで、部落ももう、女の人と子どもの人は全部、あたいどんが行った船で内地へ帰ったんだがな。ほで、男の元気な人はな、仕事の役に立つからって、あひこに、硫黄島に残って、おいやったたいばな。

あたいどまな(わたしたちは)、東側に居ったわな。あたいどんが一番、海の上の方に、東におったじやな。

Q.上八重さん、そしたら、硫黄島に着いて、すぐその東の陣地の作り方が始まったんですか?

はいはい。

Q.東海岸の、上八重さんの陣地はどういうところだったですか?

ま、東の方におってな、作業はもう、南の方に行ったり、西の方に行ったりな、もう、荷物が上がれば、西の方に船が着いて、夜に、荷揚げ作業がありおった。

防空壕も、掘っときやな、そらあ、ふんどしいっちょで、毎日、掘るわけ。そげんせんなもう、汗びっしょいなった。ほいと、みんな困ったのが、兵隊が困ったのが、汗疹(あせも)ができた。汗疹ができてなあ、もう、汗、体いっぱいからな、汗疹から、なんと言うか、痛みの汁が出るごとあった。ほいでもう、海の潮に浸かれば、汗疹が治る言うて、言うたば、そいが浸かれば、今度は、しみて痛いのはやったば、火であぶるごと痛いち言いおったいなあ。

Q.汗疹ですか。

はあ、汗疹が。ほいでもう、汗疹から、あいが、汁が出るごとあったど。ほいでもう、あいしおったら、今度はもう、ひどいのはな、連れて行って、腹をばタオルなんかで2枚ぐらいで帯を作って、ひもをきびって(結って)な、手を引いていって、ほいから海のとこいが、大概のとこいな、(海へ)後ろから押し込みおったの。ほいたらもう、ウォンウォン泣きおったもんなあ。しみて、汗疹がしみでなあ。あいだけは忘れはなりません。

Q.汗疹を治すために、海ん中に…

そうそうそうそうそう。塩水が一番、汗疹の薬やもんな…

Q.上八重さん、食べるものは、そのときはあったんですか?

食べるのもな、もう、いうことがあるんですけど、米も無い、ないもないちいうごとあったんだなあ…ほでな、米も、あたいた、泥棒をしたの。あいばして、今、ちょうど体の具合が悪くて、小鳥を捕りに行ったの。あれを捕ってな、焼いて食べたり煮て食べたりしおったな。ほで、小鳥も、小鳥なんか棒でたたいたち、じっとしちょるくらい、逃げおらんかったもんな。あたいどんが行ってから逃ぐいごとなったば、前は逃げんかったもんな。そで、たたいてみたら、ツグミみたいな鳥が小屋に飛んで行ったじや。あれはもう、死にかかっちょったいがねえ、捕ってこんないかんどねえち思て、行ったら、小屋に行ってみたらな、「かます(米などを入れる袋)」が何俵か、10俵ぐらい、積んであったもんな。それを、鳥を見たら、あそこにおってバタバタするち、あれは捕まえがなったがねと思て、しおった。そしたらな、その「かます」をばな、棒でこうしていじくってみたら、米やったもんなあ。ほでみんな、「米が足らん米が足らん」ち言いおったからな、今度は、兵隊を4人連れて、手車があったじな、手車を持って、泥棒に行ったの。ほいで、4袋か、かますで4袋か5袋か、手車に載してな、晩に持って帰っちょったと。ほいで、それを炊いて、作業をする人は、それを見てな、みんな喜んだわな。「まこちー、お前どま、米が有っつわいねー」ち、ほで、「米が無とこいな、米が有っつえば、米をくれんか」ち、言うとが多けかったもんなあ。

Q.米の話ですけど、そん米はどこの米ですか?

さあ、どこの米やったかなあ、島に、島の倉庫にな、積んじゃったもん。10ぐらい積んじゃったと。ほて、それを夜が入ってからな、兵隊を連れて、ちょうど、東、相当あったが、西の上にあったがね。倉庫に。

Q.海軍の人たちはいっぱい食料があったち言いますけど、海軍の倉庫だったんですかね?

そうじゃったんでしょうね。荷揚げ作業ちあいばってんな、荷揚げ作業には、陸軍が行くの。ほしたら、品物はな、海軍の品ばっかし。陸軍の品は何も揚がらんもん。ほでな、今度はそれを倉庫に持っていく人がおったでどしたいすれば、そん人なんか、覚えちょてそら、やっぱい隠しとったんだな。それを夜、盗りに行って、抑えられたりしてな、怒られたり、どしたい、たたかれたりしたも大分おっとかち聞いた。米はそらも、それだけ持って帰っちょったでな、お前どま、作業をすっとにね、まっこち腹いっぱい米を食べがなったらねえち、普通はもう、こえんすいひこしか無かったもん、昼も。

Q.手ですくうひこしかないわけですね…   

Q.上八重さんたちが盗って来た米は、バレんかったですか。

いや、バレんかった。ほいで、米があっどが米があっどがちな、知ってる人が、同じ部隊の人もな、「くれんか、くれんか」ち言って来る人もおったばっな、うちのあいが、隊が、食ぶいひこは食べて、残りはいつまで食べて残るち、それが分からんじ、やるのはあんまりやらんどち、やらんかったわな。

Q.みんな、いっつもひもじい思いをしてたんですね。

はい。そいと、こん畑に野菜が植えたいしちゃらな、そいが、雨が降って湿りがすれば、天気がよかもんじゃっじな、そらただいま、大きくなりおったでな。それをば自分たちで植えとったや、今度は、小隊長なんかも見ちょって、「この野菜を盗るな」ち札を立てたい、しおったでやな。ほいと、他(んあい)の衆が、部隊の衆が、「盗るな、盗るな」ち札を立てたいしてな、自分のもんにする衆も多かったた。

荷揚げ作業に行ってもな、もう、あたいどんな監視に行くだけやったばな、すれや、自分の米やらいろんなもんの、いい物を見つけたら、堀を掘っちょってな、海岸じゃっでな、ほいでよかった、そこに埋けて、棒切れを立てたいどしたいしてな、帰りおったが。ほして、今度は、帰ってからな、またそれを盗りに行きおった。1里ぐらい行って…。泥棒の…。

Q.しかし、そうせんな、生きて行かれんかったわけですね。

そうですよ。

Q.しかし海軍のものばっかり揚がって来て、なんで自分たちの荷物は揚がって来んのかち、歯がゆかったんじゃないですか?

みんなそう言た。作業には陸軍が行ってな、品物は海軍の品やもん。ほいでみんな隠した所に、陸軍の兵隊が、分かっちょればな…これは何やっどね、これは米やっどね、これは砂糖やっどね、ないやっどねちゅうた、やっぱい、自分で持って行って、覚えちょいおった。ほいで、また、その部隊のとこへまで、泥棒に行きおったたろな。ほで捕まれて、そら、怒られたいどうしたいして、したたいが。

飛行場がここにあれば、あたいどは、東の、(米軍は)西の方から上がってきた。ほで、ここに来っときゃ、大隊砲で撃ったわけや。ほたら、兵隊もやっぱい慣れんけば、弾が来たりどしたいすれば、ビクビクビクビクしてな、やっぱり、どこでもそうじゃ、シナでもそげんやったがなあ、弾がボコボコボコボコ来ればな、そらもう、撃つち、そげな、ねたらもう。自分でやっぱい、怖いとやな。ほでも、あたいどは、慣れちょったじやばってん、シナで慣れちょったじ、弾がここへ来っとじゃ、「前のあれを撃たんかい」ち言たばってん、やっぱい、慣れんでな、ガタガタ震るて、撃っがならんかった。

Q.ほすと、何台も戦車をやったですか、大隊砲で。

そえん、何台ちゅうやらんかったもんな。あたいどんがやったときは、4日間な、やっぱい、飛行場に、アメリカん戦車があったばっな。

ほで、あたやもう、砲を撃つときは、俺が代わっで、俺がやるっつせえ、代わったわけ。そしたら、飛行場があっとこの真ん中を戦車が来っときな、撃ったらな、またよう当たったを。ほしたら、そこで続けて撃ったもんな。したら、3発か4発か、続けて撃ったなら、そんまま動かんごとなったでやなあ…

Q.なるほど、命中したちゅうことですよね?

そうそうそう。そらあ、砲だけは、あたや、福岡に入ったときな、そんときから、その砲に、弾をば、砲で撃つのが、大分撃ったの。

大隊砲は2個あったえばってん、1分隊の分隊と、2分隊、あたいどは2分隊、1分隊ちゅうとがおって、砲を1門ずつ持って行きおった。ほして、それをば、分解して持って行きおったらば、あたいどが分隊は、場所まで行って、大隊砲を、組み立てたわけ。ほしたや、1分隊はもう、1人は、戦争でやられたとか、迷ぐれたとかな、持ってこんで、組み立てができんかったの。ほで、1分隊は今度は、組み立てができんでな、弾を撃っがならんわ、あたいどんがた、完全に組み立ておったで、よかったわ。ほで、飛行場を両方に挟んで、戦争をしおったら、あたいどんと組み立てて、戦車をば撃ったの。ほすりゃ、1分隊は組み立てがならじ、1門しかなかったでな。それを今度は、明くる日は小隊長がな、「あすこは交代せよ」ち言われたわな。ほじ、今度は、前の日は、飛行場を挟んで砲を撃ったの。あくる日は、今度は、別の所い行ったち、行きおったわけ。ほたら、戦車やら兵隊が道路を・・・たばってん、今度は、命令をばな、小隊長と、分隊長と小隊長がそら、「射撃する命令を下すからそれまで待て」ち言われたわけ。ほしたら、あいやな、戦争に慣れんかったじやろな、1分隊の分隊長は、現役やったたえばな、ほたなら、分隊長と小隊長、あいと、砲を撃つ、射砲、3人居ったわけ。ほしたら、戦車が来るのを、命令がないちゅとこでな、小隊長と分隊長の命令がないつとこでな、戦車が来ても、戦車を撃たんかったわけ、そら。ほしたら、道路の真ん中で、砲を越し、兵隊越し、分隊長越し、3人、ビリビリビリっと押しびられた(ひかれた)わけ。ほいで、今度は、小隊長の当番がな、「小隊長おらんな、小隊長おらんな、お前どんがどこおっどか」が、「おいどんが所いなおられんど」ち言うたならな、うんにゃおられんたち。「ほんなら探さんないかんが」ち、そいがもう、砲と分隊長とそいと砲手と3人な、ビリっと押しびられた後じゃっでや、そらな。当番が、「なんで探してごわさんな」、「あん衆は、射撃命令がねえもんじゃっでな、そのまま戦車から押しびられた」っち言えやな、「ないごて、弾かいないか、戦車を撃つのを、なぜ一発あったとを、目の前を来っとに撃たんかったのか」ち、「まだ命令どん待っちょったなったひこ、撃てばよかった」、あたいが言ったらな、「うんにゃ命令を待たんな」ち言うて、まじめにやったろじ、射撃せんなったわけよなあ…

Q.米軍が上陸をしてきてからですよね?まあ…慣れてなかったんですかね、戦争に。

あ?

Q.戦争に慣れとらんかったんですか。

慣れちょらんわけよなあ。

Q.第一飛行場のあたりですか。

はあ…

Q.大隊砲ちゅは、どれぐらいの大きさですか。

大隊砲の大きさ?全部でいくらか、200キロぐらいあったとよな。そよ、砲身がちょうど、このくらいあったじやな。ほで、弾がこのくらいあったと。

Q.砲が無くなったあとはどうしたんですか?

それはもう、手ブラや。もう何もできんかったでや。ほで今度は、防空壕の、入って、隠れちょっとか逃げちょっとか、逃げちょっち…そげんせんな戦争は出来んかったもん。鉄砲ちゅうは、そん、前の東京湾で替えたその鉄砲を持ってればよかったば、今度は、九九(式)の短い鉄砲を持って行ったら、弾が出らんごとなったち、なんも、いけんもでけんごとなった。あいが、そのまま、東京で替えんで持って行けばな。そらあ、もう、見かけたひこ、昔の鉄砲ならば、いくらでも撃っがなったらな。

Q.上八重さんたちのみんな隊の人は、みんな九九式(小銃)を持っちょったわけですか?

はい、ほとんど替えていったの。東京を出っときな。

Q.全然、使いもんにならんわけですね?

使いもんにならんわけ。

Q.あとは武器はないわけですがね。

そうそう。

Q.あとはどうされたんですか?

もうあとは、防空壕に隠れちょいご、ほかにはしがなかったと。ほで、防空壕に入っちょっ時な、手りゅう弾の投ん込まれて、向こうから投ん込まれて、ほわ、こさっ出したわけ。ほしたら、これが破裂してな、ここにあったの。ほて、これをカミソリ、もう衛生兵もな、も、びっくびっくしてすいもんやじ、自分でカミソリを拾うてな、皮の上にやったじ、出したわけ、ここは。ほで、ここにはまだ破片が入っていますよ。

Q.手りゅう弾のですか?

いや、うんまあ、手りゅう弾じゃか、どっちん弾やいかわからんわな。

Q.要するに、壕の中におったときに、手りゅう弾を投げ込まれたわけですね?

そうそう。入り口ん所にあたいが立っちょったなら、来たじな、ポーッち来たとこい拾って投げた。途中でどーんつたなら、あたいや、ここに破片が入っちょったな。

Q.ケガをしたあとは、手が痛くて動かんかったんですね。

はあ。

Q.あとはあれですか、壕の中にずーっと隠れてる状態ですか?

そう。もう、逃げ回ってでんおいでんせんな、お前、どうもできんかったわな。

もう、6人じゃなくて、他ん部隊の衆もな、壕には、戦争ができんもんじゃっじな、隠れるだけ。

Q.上八重さんは、壕の中は、何人ちおられたわけですよね。何人ぐらいおられたわけですか。

何人おったろうかな…14~5人ばっか、おやせんかったろうか。

Q.みんな、145連隊の人たちですか。

うんにゃ、ほかの部隊の人も。

ほいで、壕の中はな、弾と鉄砲とザックン、ザックンあいわけ。どん部隊も、そら持ってたたろじな、出らんかったわけ。ほで、その鉄砲がどうかち言えば、もう、まだ、カネ(鋼)のところも木のとこいも、ノコギリの、木を挽くノコギリの型がしれちょるし、カネんところもまだ、仕上げをしちょらんでな、ガッサンガッサンガッサンガッサン、すいご、あったわけ。ほいで、「こげな鉄砲をどひこ(どんなに)銭取いでしとたろうね」ち、あたいどは言うたど。

Q.壕の中に居るときは、水とか食料はどうしてたんですか。

食事はな、ほでもう、炊いじょったりどしたいしたとをばな、ちっとは食ゎせんかちっとは食ゎせんかち言うてな、すればな、あひこは壕の中でご飯ができるの。

Q.水はどげんされたんですか。

は?

Q.水は。

水はな、人の家の裏に行くか、表に行くかすればな、あいが、タンクがあいおったじな、

やっぱい、裏ん家をよう知っちょっじな、あひこに水があっどここに水があっどち、みんな、やっぱい困っちょ時はな、ああどっち、よう話おったもんなあ。

Q.壕の中におるときは、水には困らんかったんですか。

うんにゃ、あんまい困らんかったどなあ。

Q.最後はどういう状態で捕虜にないやったんですか。

もうな、「もう、こいから先ゃ逃げやならんどちゅう時な、逃げられんちゅうときやったが、どこにおってももう、あいじゃ、殺さるったっで、外い出ても殺さるっと、防空壕におっても殺さるっと。外に出て、晴れたところで殺されたほうが気持ちがよかとよ」ち、それしか考えんかったなあ。どうせもう殺さるつもいでおったでなあ。で、「場所のいいところで殺されたほうがよかとよ」ち、出たばってんな、殺させんかったいなあ。

Q.壕の中に米兵が、アメリカの兵隊が攻めてきたりちゅうことはあったんですか?

あった。ほで、壕の中に、地下に入ったろうっち、ほんな、あっちに逃げんな逃げやならんどちってな、逃げたことも何回かあっど。

あたいどんが出っときも、あいしよったなら、どこへおっても、殺されるっと、「出て来んか、早よ出て来んか、おいどんももう出っど、明るい日の照っとこで殺されたほうがよかあねか」ち、やっぱい、今度、そういう気持ちになったいな。

Q.壕を出たときは、どんな気分だったですか。

壕を出たらな、明るいところでな、あいしよったば、「これからどこに行っとや、日本に連れて帰っとや、アメリカに連れて行っとや」ち、やったがな、「もう、どこへ連れて行っても、いつかは殺さるったで、よかとよ」ちゅうてな、ご飯なんかもな、「お前たちご飯はねどが、ご飯食べんか」、つってな、ご飯の持っ来って食ゎせてくれたやな、そいで、「あー、こいだけ、ご飯のもらっ食ったいどしたいしがなれば、まこちよかねー、ご飯の食べやならんと思いやったたいがっち、おいやったどな…

Q.捕虜になって、アメリカをあっちこっち回ってるときはどういう気分だったですか。

もう、どっかい、どっかに連れて行ってな、殺さるったいがね、「殺さるっときは、ころっと殺されりゃよかがねえ」ち、あいば、死ぬかて、難儀をするような殺され方をさるれば、のさんがねえって、それだけは考えたがな。すれば、アメリカ人じゃ、あいしおったらな、「ご飯食べなさい」ちゅて、ご飯を腹いっぱい、食べさせおったじゃなあ。

Q.今、傷を見て、何を思い出しますか。

そやなあ、何も考えださんが、やっぱい、こひこん傷で、こえんしじ、よかやねえち、それだけ考えぐったな、やっぱい。

Q.しかし65年前の傷ですよね。

はい…

出来事の背景出来事の背景

【硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~】

出来事の背景 写真東京から南へ1250キロ、太平洋に浮かぶ硫黄島。太平洋戦争終盤、周囲22キロの、この小さな島で米軍6万人と日本軍2万1千人が激突。1ヶ月に渡り戦闘が行われた。

昭和19年(1944年)、米軍は、サイパン・グアムを相次いで占領し、日本本土への空襲に向け長距離爆撃機B29を配備した。爆撃ルートの中間に位置する硫黄島は、重要な航空拠点として攻防の焦点となった。

硫黄島を守る日本軍守備隊の最高指揮官、栗林忠道(ただみち)陸軍中将は、米軍の上陸に備え全長18キロに及ぶ地下壕を網の目のように張り巡らせ、全島を要塞化。米軍を持久戦に引きずり込む戦略をとった。守備隊は総員2万1千人で多くは、戦争末期の兵員不足で急遽召集された3、40代の兵士や少年兵だった。その中で、20代の現役兵を中心に鹿児島で編成された陸軍歩兵第145連隊は「栗林の虎の子」とも呼ばれる精鋭部隊で、激戦が予想される地点に配備された。

昭和20年2月16日、早朝。米軍は攻撃を開始。三昼夜に及ぶ砲爆撃の後、3万の米海兵隊が上陸を始めた。待ち構えていた日本軍は一斉に反撃し、5日間で硫黄島を占領できると考えていた米軍に大きな犠牲を強いた。しかし、米軍は圧倒的な火力を投入し日本軍の陣地を一つ一つ制圧していった。上陸からおよそ1ヶ月後に日本軍守備隊の組織的な戦闘は終わったが、兵士たちはその後も武器や水、食料が底を突く中、死者や負傷者で埋め尽くされた地下壕で壮絶な持久戦を続けた。硫黄島の日本軍守備隊2万1千人のうち、生きて島を出られたのは千人あまりだった。

昭和43年(1968年)、硫黄島は日本に返還された。多くの遺骨が今も収集されぬまま地下壕に眠っている。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1918年
鹿児島県鹿児島郡吉野村に生まれる
1943年
歩兵第145連隊に入隊
1944年
硫黄島の戦いに参加 第二大隊歩兵砲中隊軍曹
1947年
浦賀にて復員
 
農業を営む

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