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タイトルタイトル: 「壕にあふれた負傷兵」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~
名前名前: 徳田 弘さん(鹿児島・歩兵第145連隊 戦地戦地: 日本(硫黄島)  収録年月日収録年月日: 2010年3月13日、5月26日

チャプター

[1]1 チャプター1 硫黄島上陸  06:37
[2]2 チャプター2 まん延する赤痢  04:23
[3]3 チャプター3 集中砲火  05:33
[4]4 チャプター4 第1大隊 壊滅  02:09
[5]5 チャプター5 「ゲリラ戦」  04:06
[6]6 チャプター6 負傷兵だらけの連隊本部  02:32
[7]7 チャプター7 壕にこもる  04:01
[8]8 チャプター8 自決した将校たち  02:17
[9]9 チャプター9 日にあたって死のや  04:51
[10]10 チャプター10 生き残ったことを恥じる  04:28
[11]11 チャプター11 水のありがたさ  02:35

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~
収録年月日収録年月日: 2010年3月13日、5月26日

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とにかく上陸した、夕方でしたから、薄暗い中で、北地区と言いました、我々がおった所は。北の方に歩いてですね、行った、その途端に空襲です。だから、どこにどうして隠れたらいいか、もう、分からんかったからですね、がけがあったから、がけの下で埋まくったような状態です。夜の空襲はですね、どこに爆弾が落ちてくるか分からんから、幸い、爆弾がそばに落ちなかったから良かったようなものです。

Q.そん時は、生まれて初めて空襲?

はい…いや、父島に上がってからは、父島も空襲を受けましたよ。父島は、もう、壕がありましたので、あれは昼間だったけど、壕の中におりましたので。ところが、硫黄島の場合、案内人もおらなければ何もない、どこに隠れる場所があるかないか分からんでしょ。慌てたんですよ。

Q.着いた途端に空襲だったんですか…

はい、着いた晩は空襲です。

Q.着いた日もだったんでしょうけど、そいから、ずーっと続くわけですよね、空襲が。

はい。ほとんどもう、「定期便」とか、我々は、そんなふうに話してましたよ。毎日、9時から10時ごろなれば、毎日来るんです、B29が、編隊でね。

だけど、昼は陣地作らんないかんでしょう。夜はだからほんで、今、言うように、空襲があれば、自分で自分の壕は掘らんないかんですもんね。自分で壕、穴掘りですよ、夜は。夜は自分の壕掘り、昼は陣地構築。ま、だいたい、第一大隊は、「水際にて、敵を撃滅すべし」と、こういう命令だったもんですから、とにかく、水際に陣地は作ったんですね。かえって悪かったんですよ、あれはね…、しかし、どんなことをしてもダメだったですね、硫黄島の場合。物には勝てません。いくら大和魂があっても、精神力では戦争には勝てません。物には負けます。そういうふうに思いましたよ、ホント。

とにかくはよう掘らんと、空襲があった場合、空襲は怖いでしょう。恐ろしいから、とにかく座んないかん、どっか身を隠すところを作るために穴掘りですよ。一生懸命ですね。へとへとになるまで、みんな掘りましたよ。各自、自分の壕はな。

Q.壕ちゅうのは、わたしはまだ硫黄島に行ってないんですけど、壕ちゅうのはどういう所ですか?

ちょっとしたこういうがけでもあれば、そこへ穴を掘るんですよ。ま、ガマですね。あれを、横に。普通の平地の場合はですね、底にかけて掘ってあるのもたくさんありましたよ。底にある程度掘ってから、横にね、横道を、穴をつけて。でないと、普通のたこつぼじゃだめですから、空襲の場合は。昔の満州事変、支那事変のやつは銃だけだから、弾は横に飛んでくる。今度は空襲と、砲弾は上から来ますからね、たこつぼじゃ絶対だめ。だから、地下に潜らんとだめですよ。

Q.空襲があったときは、みんな壕の中で退避してたわけですね。

まあ、空襲警報のときはやっぱい、硫黄島のあれが、レーダーが、電波探知機ですか、あれがあったみたいです。あれで、空襲の前触れはありましたので、退避しました。ま、しかし、陣地構築なんかの場合ですね、途中でやられた人が担ぎこまれたですよ。頭が引っちぎれてですね、はらわたが飛び出ちょる、腕が引っちぎれちょっとようなのを、担いで帰って来てましたよ。ま、しかしああいうのを見ても、別に、何とも、そんなに思わないようになりましたよ。

Q.野砲中隊は、陣地は、やっぱりその海岸?

海岸の、飛行場と海岸線のちょうど中ぐらいですね。命令が、さっき言ったように、「水際にて撃滅すべし」という命令でしょう。だから、水際におらんないかんとです。

Q.まあ、「ところが、ところが」ちゅう話だったわけですね。

敵が上がる前に…ところが、そんなもんじゃない、甘ったるいもんじゃなかったです、硫黄島の場合はな。

とにかく環境は悪かったです。だいたい水が悪いんですから。結局、我々は、一戸建ての家に駐屯したわけでしょう。それを中隊で行って水を飲むんだから、水槽が一つはあったけど、長くあるはずはないですがね。一戸、2,3人で飲む水を、200人ぐらいの人たちで飲むんだから、たまったもんじゃないでしょう。だから、水がなくなって、井戸掘り。結局、井戸を掘って、その井戸水でまかなっていたわけですね。ところがその水たるや、海水が半分、塩分があり、硫黄分が含まれてるわけ。だから、あの水を飲むようになってから、もう尚、わたしは悪くなったです。腹をこわしてですね。それが、赤痢の元だったでしょう。体力は落ちるし、アメーバ赤痢と言ってましたがね、アメーバ赤痢にかかって、そのうち食欲はなくなる、脚気(かっけ)にはなる、ま、栄養失調ですね。結局、体重も、鹿児島におるときゃ70キロあった体重が、35キロになってしまったです。もう35キロなったらですね、歩けんです。転んだら起きられませんよ。こんなこた初めてでした。しかし、そのおかげで、わたしは命をもらったんだと思います。だから、敵が、硫黄島に向けて航行中だという情報が入ったのが、2月の13日ごろでしたかね、そのとき、尚、悪くなったですよ。動けないんですから。でもう、病院に行って、診察を受けて、受けたんです。したら、「お前やダメだから寝とれ」と、「動くな」と。だから、朝の点呼も、寝たきりですよ。「就寝許可」と言ってですね。点呼にも出らんでもいいんです。もういつ死ぬかと。で、わたしより一つ手前、1週間ぐらい早く病院にかかったやつは死にました。「今度はもう徳田だ」と、「この次はな」言われとったんです。そこへ、敵が上がって来たんですね。だから、「徳田はどうせ死ぬんだから、放っとけばいいんだ」ということで、わたしは、壕に残されたんです。もちろん、行こうにも行けなかったんですから、陣地にはな。

Q.体重が半分ちゅは想像ができないですね…

はい。まあ、半分、ちょうど35キロ。も、立てないです。立っても倒れます。転んだら起きられません。ここまで、これで握られおったです。ここまでずっとこう。ホント骨と皮です。ま、あんなことは初めてでした。

9時ごろからですか、1発ダーンと鳴ったですよ、艦砲がな。こん軍艦が、もうとにかく、海の水が見えないぐらい、いっぱい取り囲んだですもん。800隻ちゅうからな、だいたいな。そう言われおったです。まあ、全てがその、800隻全部が、砲を撃つわけじゃないけど、ま、とにかく15日、朝から晩まで、夜もですよ、ぶっ通し。それから16日、18日、19日の午前中まで、敵が上陸する寸前まで。たまったもんじゃないですよ。そんだけの軍艦が。ま、後で聞いたんですけど、洋半紙一枚、これ1枚に一発ぐらいの割合でな、艦砲が打ち込まれているという話でした。そんくらいだったかも。とにかく、ないもかいも。だから、硫黄島のうちの中隊なんか、遺骨はですね、とてもないです。もうバラバラになって。木っ端みじんです。集中砲火を受けたわけでしょう、うちはな。

Q.壕の中におっても、空襲ちゅうか、艦砲攻撃ちゅうのは分かるんですか?

ああ分かる。見えていますから。とにかく、ダダダンと、発射音ですね、ヒューっと、やっぱり、えい光弾、ヒューヒュー言うで弾が来るのが見えてる。ダダダダダダン、着陸弾、破裂する音な。その砲が、もう音がひどいです。でしょうよ、やっぱい。だからな、百雷も、千雷もでしょう、もう想像しても想像つかんでしょう、普通の人には、どんなもんか。この世の終わりぐらいしか思われませんよ、あんな音を聞いたらな。まあとにかく、ひどかったです。艦砲射撃が。

日本軍のやつは、砲が1門ででしょう、1門か2門かで撃つわけじゃよ。そいが、数が多いんだから。もうだから、さっき言うたように、大和魂もな、物量には、物には勝たならんですよ。いくら考えとっても、弾が撃ち込まるれば、いけんもしやならん。もう、手も足も出らんちゃ、あのことです。その後、今度は火炎でしょう、火炎戦車。火炎放射器で。人間のやつはな、威力は大したことないです。わたしも、工兵隊が来て、鹿児島でして見せたけど、実演を。もうとにかく、パーッと出て、時間が30秒ぐらいですから、背負える噴霧器がですね、あれにまあ燃料が入っているぐらいの似たようなものです。でもう、ある程度、何秒かすれば、何分かすれば、もう使えなくなるわけ。ところが、火炎戦車となれば、エンジンの力で圧縮すっでしょう。持久力と、距離が、100メートルぐらい飛びます。寄り付きゃならんですよ、だから。焼っ殺さるっでもう。

Q.火炎に当たったら、もう…

もうだめです。火炎の場合は、仮に壕があっでしょう。銃だったらよ、弾だったらまっすぐしか入らん。火炎だったら、こうこう行くんですよ。だから、隠れとっても、焼っ殺される。もうほいで、だからな、火炎戦車、火炎には参った。もう、どうも、手も足も出らんちゅはそのことです。まあ、日本にない武器がたくさんあったです、アメリカはなあ…

Q.一大隊はその最前線におったわけですよね。そら、一番正面で被害を受けたと…

はい、敵が上がるところに居ったわけですから。集中攻撃です。

Q.145連隊は精鋭だから、一番前に置かれたんですかね?

ま、一つはそうですね。まあ、栗林中将も頼みにしとったでしょうけどね、145連隊を。主力は145だけだったですから。

いつ弾が飛んで来るか分からんですからね。そいから大隊本部も危ないちゅうことで、今度は連隊本部まで下がったんですもん。もーう、それも夜ですね、昼は下がれなんですから。

Q.1大隊は、そうすると、米軍の上陸からどれぐらい持ったんですかね。

もうほとんどが、上陸前の5日間の艦砲射撃でほとんど壊滅状態ですね。もう、武器からなんから機関銃からやられたわけよなあ。

Q.徳田さんの隊の同じ大隊の同じ中隊の、2中隊だったですかね、中隊は…

わたし?わたしは第1機関銃中隊やったから、いや歩兵砲中隊なったけどな、ま、歩兵部隊は3中隊まであったです。各大隊に、機関銃中隊があったわけよな。わたしなんか第1機関銃、第2機関銃は第2大隊に、第3大隊は第3機関銃中隊がおったわけ。第3大隊は歩兵砲中隊なったかも。

Q.ほすと、第1機関銃中隊の人たちは、ほとんどいないわけですね。

ほとんど、ほとんどももう、帰って来ませんでした。

爆雷を背負ってですね、20キロ爆弾、爆雷ですね、あれに、戦車の下に滑り込めと、ま、将校の人が命令しおったが、行ったですけどね…爆雷には、導火線に火が着いているわけだから、滑り込まんな仕方ないんです。それも最初はな、成功したんです。成功して、何台かはやったんですけど、後になったら、今度は、戦車は、止まってバックをするですが。バックをしたら、こらタイミングは合わんですがね、なあ。ほでもう、自爆ですよね。何もならんとですよ。それも失敗。大隊本部も、3日ぐらいおったですかね、大隊本部に。ところがもう、「明日ごろは、ここまで敵が攻めて来やせんどかい」ちゅうことで、まあ、みんなそれぞれよ、動ける人はまた退却せんないかんですがね。とても手向かっても、かなわならんから、もう分かっちょっでしょう、敵に…ほで、今度は連隊本部まで下がろうと思って、連隊本部はまだ北の方やったから、連隊本部のほうに下がったんです。

Q.1大隊の大隊本部にまず行かれたと。大隊本部の中は、けが人の人でいっぱい…

はいはい、負傷兵。

Q.大隊本部で、そこで息絶える人もいっぱい居られたわけですね、けがをして…

はい、けがをして。それも、けが人は自力でやっぱい帰って来んと、誰も連れて帰らない。これが、負け戦の哀れさですね、負傷兵の。もう、かわいそうですよ、負傷した人を、誰も診ないから。自力で歩くかゴソゴソはって帰らんと、誰も手は貸しません。そいどこいじゃねの、また自分がですよ、いつそんなふうになるか、分からんわけでしょう、戦場の場合はな。

こっちもゲリラ戦ですね。ゲリラに移ったんです、ゲリラ戦に。夜だけ、奇襲攻撃ですね。奇襲攻撃ちゅうのも、ただ敵の陣地に行って、手りゅう弾を投げ込むだけ。当たり前、斬り込み突っ込め~つう、銃剣で突き刺すんじゃなくして、手りゅう弾を投げ込んで帰るぐらい。それもな、最初はいいんですよ。だんだん兵隊の人数が減ってくるがね。やられたりけがをしたりな。だからやっぱいな、しばらくは続いたけどもそれももうあとにはだめ。そらもう、3月の17日が過ぎてからですよ。わたしが捕まったのは、4月の29日だったから。そんころなったらもう、銃声もあんまりしなくなったな。それまではやっぱりあっちこっちで銃声がしおったですよ。

連隊本部の壕に行ったんです。そしたらまたも、そこも負傷兵でもうな、ウン、ウン、ウンと、うめき声がもう、聞いちょらならんご、「こらもう居っとこじゃね」ち思たですよ。負傷兵がなあ、壕の奥、中から聞こえてくるんですよ。「うんにゃ、こらもうここへおってもどうにもならん」と思って、そこを出て、通信隊の壕があったからそこに行ったけど、そこは水もなきゃ何にもないんですよ。「だいたい水がありゃせんか」と思って、壕の中にを、ドラム缶に水を入れて、保管するわけよな。ほして、あそこへ行ったら、今度は、連隊本部の糧まつ庫、食糧倉庫な、そこに行ったら、あったから、ドラム缶に水が。それでま、助かったようなわけです。

Q.連隊本部の壕の中ちゅは、うめき声ちゅは、どげなもんですか。

もうな、ウー、ウー、ウー、もう断末魔の声が、あっちもこっちも聞こえるんですよ。聞いちょらならんですよ。恐らくみんな重傷を負ってな、息絶え絶えの人たちじゃっと思たがなあ。

Q.どうにもならんわけですね、誰も手当ても…

誰もおらんです。手当ても誰もしない。自分でせんな。自分で手当てをして、なんとか壕までたどり着ける人は、よか人。誰も連れちゃ帰らんから。衛生兵もいないし。自分で持ってるのは、三角巾ぐらいな。三角巾ぐらいはみんな持ちよったから。そいで…手当てちゅうのもな、薬もなかったし、手当ても何もできんじゃったと思いますよ。

食べ物があっても水がないと食われんですよ。つばも出ないんだから。2日3日ぐらいならいいけど、10日も1週間もたてばですよ、あいやな、水を飲まずにおれば、キチガイみたいになっですよ、ホント。だからもう、自分の小便でも何でも、飲めるものを飲むわけよな。

Q.笹峯さんは、ガーゼを持ってて、泥水ですよね…

ガーゼならいいけど、ふんどしでですよ、ガーゼなんて持ってないから、戦地では、汚いけど、その汚いどころじゃないですよ。泥水を絞って飲んだこともあります。そげんせんな水はないんだから。ああ、どうも、水がないのがな、大きな…もちろん敵も怖いけど、これもまた怖いですよ。水のないのはな。

あすこはな、どのくらい…1か月ぐらい入っちょったんじゃないですか。がっつい、暦もないし、何も無たれば、だいたいの予想はな。どんくらいやったろ…

Q.壕の中にいて、昼だ晩だちゅうのは分かるんですか。

まあ、だいたい分かります。透き間があるから、入り口は、光がある程度差し込むわけよ。ま、ふさいではいるけど、透き間からな。もちろん中は暗いけどな。

Q.雨が降ってきた、晴れたちゅうのも分かるんですか、壕の中で。

まあだいたい、雨が降れば音もすっでしょう。じーっと息を殺してるわけだから。たまには、外をガヤガヤ、米兵が通るんでしょうな、探しているんでしょうね、生き残りがおらせんかと。何回か聞きましたよ。怖いですね。見つかったら、イチコロやったから。

Q.ニッポンノヘイタイサンデテキナサイちゅう、あれですね。

はい、それは、糧まつ庫の壕に入る前の兵器の壕だったです。そん壕で、手りゅう弾を食ったわけ、わたしはな。そん時、ま、米兵だったか、朝鮮人だったか知らんけど、「デテキナサイ」と言われたです。ま、しかし、出る気はせんかったですね。ああ…どうせ、出れば殺されるんだと思ったから。

わたしが兵器の壕に居っとき、自殺したそん衆が、将校が2人、准尉と少尉じゃったけれど、そげんして逃げっ戻っ来たとかもしれんどな。分からんです。何も言わんじゃったけど、何処ん中隊の衆か分からんですけどな。

Q.准尉・少尉がですよ、自決をした時の様子ちゅうのはどげな感じだったんですか?

とにかく、手りゅう弾が投げ込まれたところで、わたしは逃げたんですよ。そん時、また行ってみたら、「目をやられた」ち、2人ともな、言われて、「ああそうや」ち言っせえ、わたしは引き返して、したら後で、ボンボンち音がして、して、そういうよなことでな、目をやられて、もう、やっぱい、いかんち思ったとかな。めくらじゃればいけんもしやならんでやな。そいで自決したんじゃないかなと思います。

Q.自決をした人は結構いっぱい居ったんですか。

自決を…ま、将校連中は、自決と、聞きましたよ。恐らく、栗林中将も死体は無かったでしょう。聞いたけど。ま、自決じゃなかったかなと思いますよ。うちの三重野隊長も自決だったと思います。将校連中は、第一線に出ないから、壕の中から命令するわけでしょう。でまあ、最後にはよ、ダメだと思えば、部下をたくさん殺してるわけでしょう。殺したわけじゃないけど、死なせてるわけだから、責任を取らんないかんとでしょうね。

呼び出しが来んな、まあ一時が居いがなっとけど、しかしやっぱい限界じゃたかもなと思たい、あとから思いましたね。人間、いつまでも日の目を見らずに穴ん中け、もう、わたしで4か月ぐらい日の目を見ちょらんかったわけだから、穴ん中ばっかいでな。

Q.最後、出たときのきっかけちゅうのは、どういうことだったわけですか?

その呼び出しが入って来て、「出っ来んや」と、「根っかいや(みんな)、どっさいおっど(いっぱいいるぞ)」と、「根っかいな、みんな出っ来ちょっど」と…そら、いけんすいこっかいよねち、そいとも語い寄っせえ、したらまあ、「どうせ生きるか死ぬかだから、死を覚悟してな、いつまでもこん、穴ん中け入っちょたつあいじゃっじ、どっちかじゃっじ、ま、出っみろかいと、どうせけ死んとじゃれば、日どんの、日に当たってでもけ死のや」というようなことになったわけ、結論は。で、「出るが」というようなことでな。やっぱい、何か月もな、ガマん中け入っちょればいかんど。闇ばっかいでしょうが。日どんの見らんわけじゃっでな。だから、顔も真っ白、じゃった。誰を見ても、我々もそうしちょったどんばってんな。

Q.糧まつ庫の壕には、何人ぐらいいらっしゃったんですか?

えーと、あたいとそいと、そから、後かいな、野砲じゃっつ、3人連れが入って来たいな。そん衆は別な…ま、こっちにも、こう何本も枝があったから、奥ん方に入ったみたい。そん衆もやっぱい、出たみたいですよ。

Q.壕を出て、太陽を見たときはどげな気分だったですか?

ああ、あん時ゃ、気持ちがよかったですね。もう、出たら、ヤンキーが、グリグリっち30人ぐらいですね、取り巻いて、銃を構えちょっでしょう。「こらどうせ、殺さるったち思たですね。日どんの分な見らんな」と。したら、「こっちへ来い」と合図をすっでや。車に乗れち。まあ、なら、「今度はどっか連れ行たっ射い殺しとやな」と思ったから、どうせけ死んたい、根っかいみんな死んでるわけだから、一っなんじゃち思ったですね。どうせ、殺せばよかとよち、今ずい生きっちょったが幸いじゃったと、そう思って、車に乗った。そしたら、金網が回った捕虜収容所ですね、そこへ連れて行った。そこで、裸にされて、頭から粉をぶっ掛けられて、それから、シャワーですね、ああ、こやシャワーちゅうもんじゃろち思た。湯がぽっぽっ出てきて、ジョウロでお湯をかける、あれを浴びて、ほで、ヤンキーの軍服を取り出して、これを着れち。パンツもランニングも。そして、収容所に収まったわけです。もちろん、死を覚悟してましたよ。出っ時は。もう、どうせ殺されると。向こたって敵わならん、こっちゃもう素手振いでしょう。素手振りで、こう見てみれば、じゅうぐりっ、銃を構えちょっでしょうが。「今度はやられた」
と思ったですね。ま、そういうことです。

あんまいな、名誉なことじゃないしよ、もう、あんまい語るのは控えておりました。

Q.仮に勝ってたとしても、やっぱい語らんかったですかね。

勝っておれば、そうですね、語っちょったかもな、勝ち戦であれば。ましてや、自分な米軍に収容されたでしょう。尚、昔の軍隊ではもう、銃殺ですよ。恥やっでな。ほいで人にも語ることはなかった。だから、収容された時や、わたしも徳田じゃなくて、偽名を使っとった。

Q.何ちゅう偽名を?

ヤマモト。

Q.収容所ではヤマモトさんだったわけですか…ヤマモト弘さんだったんですか。

ヤマモトタツオ。

Q.つまり、やっぱい警戒されてたわけですか、名前がばれるちゅうことを。

やっぱい、本名は言いたくないですね、アメリカには、敵だから。そういう気はあっですよ。

Q.帰って来られて、神主さんをしたちゅうのは、どういう思いから…

これは父がですね、父もたまに神社に行きおったです。ほで、「わいも戻っ来たなら、神さあんおかげで命をもろろたたっで、お前も行け」と、「行たっけいこをしい」ちゅこっで、父が連れて行ったです。ほて、もうこれも辞めました。もうヨットンカッタン(よろよろ)すっでしょう。階段を上るのがな、つえをつかんないかんから、神主がつえをついて階段を上がるちゅうのは見たこと無いですから、もうやめるちゅて、幸い、そこん隣、今度、講習に行く人がおって、ずっとないやかや教え方でした。そういうようなことで、これも永く、60年間しましたよ。50年以上。

神の力とでも思わんないかんぐらい、わたしは危ない目に遭ってるんです。もう、今度はやられたちゅうことが何回かあっですよ。もちろん、さっきの手りゅう弾もだけど、爆弾の直撃も受けたし、爆弾が、病院に行く途中でしたが、あと30メーターぐらいのところまで落ちてきたです。こうこう落ちて来っですね。

もう…爆弾も、空襲ももう、まちっとんこっ(もうチョット)で、あと1メーターぐらい外るればまともに来るところ、そういうこともあります。何回かありますよ、危ないちゅうこともな。そのたびに、かろうじて助かっております。ということは、もう、紙一重ちゅうことは、こらもう神さあん力じゃなければ、あげんなればな、もう、人間の力じゃとてもかなわならんですよ。神さまのおかげで助かったとも思うようになっです。

水で苦労しましたから、硫黄島で。水のありがたさですね。身をもって体験しました。

Q.しかしよく、不思議なもんで、ここに水が出ましたですね。

これもう、今までですよ、48年からずっと、切れたことないです、全然。

Q.硫黄島を、水を見れば思い出されるんじゃないですか?

まあ、考えますね。田んぼの泥水でいいと思ったです。戦時中はですね。もう、水のないのに…もうとにかく、1日一口あれば、飲むだけです。ごくごく飲めないんです、ないんだから。水筒1本の水を、10日も2週間も飲まんないかんですよ、ないんだから。雨が降らないと飲めないところです、硫黄島はですね。川がないし。

Q.そんなとこから帰って来られて、この水を出たとき見たとき、どういう気分だったですか?

ああもう、ありがたいと言いますか、神の恵みとでも言いますかね…

Q.水があってこそですか…

水がないとですね、ここは成り立たないもんですから。

Q.不思議なご縁だなと思ってですね…やっぱり常に水の神様に感謝されてらっしゃるわけですか?

はい、そうです。これ、水神さん建ててですね、祭ってます。

出来事の背景出来事の背景

【硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~】

出来事の背景 写真東京から南へ1250キロ、太平洋に浮かぶ硫黄島。太平洋戦争終盤、周囲22キロの、この小さな島で米軍6万人と日本軍2万1千人が激突。1ヶ月に渡り戦闘が行われた。

昭和19年(1944年)、米軍は、サイパン・グアムを相次いで占領し、日本本土への空襲に向け長距離爆撃機B29を配備した。爆撃ルートの中間に位置する硫黄島は、重要な航空拠点として攻防の焦点となった。

硫黄島を守る日本軍守備隊の最高指揮官、栗林忠道(ただみち)陸軍中将は、米軍の上陸に備え全長18キロに及ぶ地下壕を網の目のように張り巡らせ、全島を要塞化。米軍を持久戦に引きずり込む戦略をとった。守備隊は総員2万1千人で多くは、戦争末期の兵員不足で急遽召集された3、40代の兵士や少年兵だった。その中で、20代の現役兵を中心に鹿児島で編成された陸軍歩兵第145連隊は「栗林の虎の子」とも呼ばれる精鋭部隊で、激戦が予想される地点に配備された。

昭和20年2月16日、早朝。米軍は攻撃を開始。三昼夜に及ぶ砲爆撃の後、3万の米海兵隊が上陸を始めた。待ち構えていた日本軍は一斉に反撃し、5日間で硫黄島を占領できると考えていた米軍に大きな犠牲を強いた。しかし、米軍は圧倒的な火力を投入し日本軍の陣地を一つ一つ制圧していった。上陸からおよそ1ヶ月後に日本軍守備隊の組織的な戦闘は終わったが、兵士たちはその後も武器や水、食料が底を突く中、死者や負傷者で埋め尽くされた地下壕で壮絶な持久戦を続けた。硫黄島の日本軍守備隊2万1千人のうち、生きて島を出られたのは千人あまりだった。

昭和43年(1968年)、硫黄島は日本に返還された。多くの遺骨が今も収集されぬまま地下壕に眠っている。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
鹿児島県曽於郡西志布志村に生まれる
1943年
歩兵第145連隊に入隊
1944年
硫黄島の戦いに参加 第一大隊歩兵砲中隊兵長
1947年
浦賀にて復員
 
農業、養魚場経営、神主を営む

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日本(硫黄島)

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