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タイトルタイトル: 「艦砲射撃、迫る戦車群」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ブーゲンビル 墓島と呼ばれた戦場 ~都城・歩兵第23連隊~
名前名前: 関屋 忠文さん(宮崎県都城・歩兵第23連隊 戦地戦地: ニューギニア(ニューブリテン島、ブーゲンビル島)  収録年月日収録年月日: 2010年7月6日、7月12日

チャプター

[1]1 チャプター1 南海の最前線  03:56
[2]2 チャプター2 米軍上陸  06:24
[3]3 チャプター3 砲弾のスコール  02:17
[4]4 チャプター4 自決する傷病兵  01:45
[5]5 チャプター5 再度 前線へ  05:50
[6]6 チャプター6 連合軍陣地への侵入  06:33
[7]7 チャプター7 戦車への砲撃  03:16
[8]8 チャプター8 終戦  05:24

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] ブーゲンビル 墓島と呼ばれた戦場 ~都城・歩兵第23連隊~
収録年月日収録年月日: 2010年7月6日、7月12日

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いや、そのときはね、12月やったんね。夏服を、冬服を着とるのを夏服にみんな着替えたわけですよ。どこへ行くとやろうて。台湾沖を通るまでは、マカオってあるでしょう、台湾の横に小さい島が。あそこのとこを通って行ったんじゃから、行くわいね。いよいよ南方に行くなと思ったら、パラオ諸島に行ったんです、最初。パラオ諸島に行って上陸をしかかって、もうガダルカナルが危ないから救援に行かにゃいかんというところで、今度はもうトラック島にすぐ行ったんです。

それで我々はソロモンに進攻したら、もう12月の20日の午後6時30分に、一つのスラバヤという輸送船はもう轟沈(ごうちん)で、パッパッと2発食らったら見る間に沈んでしまった。

で、「あーあ」と思っちょる間に、自分たちの間に潜水艦の頭が見えて、「あーっ」と思っちょるうち、ボーンとやられて、船首をやられてね。それがピーンと金のシャチホコってあるでしょう。あんなふうに尻がピンと上がった、艦尾が。頭突っ込んで。で、やられた瞬間は全速で前進するわけ、しちょっとですよ。それでね、「退船準備!」って言ったら、救命具やらそのボートとか浮き袋とか、そういう材料を投げ込むわね、海に。そうしたら全速で行くから、もうわたしたちが海に入るときは、ほとんど板切れやらなんやら浮いたやつを捕まえるほか処置なし。それで浮いちょって。そんじゃから、その救命具ってやつがゴミ袋じゃなくて、真綿の入った袋でね、で、こうやって、ここへんやられて。みんなここ辺がピロピロ溶けてしもうてね、ずって。で、ここで潜ればサヨナラじゃないかと思うけど、そうはいかんね。やっぱね。で、ときどき巡洋艦っていうやつよ、来るとよ。我々を救助に来るわけよ。で、泳げるものは来いと。ちょうどそこがいくんけんど、わたしは教育も受けて、上海でちゃんとしちょるから、わたしは泳げるとよ。じゃけん、わたしの板切れをつかまえちょる人がね、みんな金づちで。泳げんやつを金づちと言いよったです。そういう奴ばっかりです。みんなをしてたら、とても自分も助かるとは思わんから、もう終わればそれで終わりという覚悟じゃったからね。

モシゲタ(タロキナの南東方)に。ここに連隊本部があって、ここから警備して、わたしが一個小隊を持って、海軍と一緒にこのムッピナ岬の警備に付いちょったとよ。敵が上がるまでね。そしたら、ここから向こうかいて、このときに山本元帥(連合艦隊司令長官)がここで、わたしどんが下がる前にやられたんじゃ。暗号解読されて、ここ辺に落ちて。参謀長はこの海のマワレカのここに落ちて。参謀長やら助けて、助かったけ、ここで。それからこのジャバ川渡って、あたしらこのサワ川を渡るね。で、タロキナに行ったつよ。このタロキナ岬。

こっからね、じゃから、ここに敵が上がってきたよ。ここは2中隊がやられたでしょう。やられたらここの軍医少尉、クボ准尉、いや軍医よ。あん、脳みそが出たなり、軍刀なんしてこのマワレカまで来て、パッタリそのまま死んだ。もう第2中隊は全滅したっていうことを言われたまま、もうそのままバッタリ死んで。そのときはわたしももう、まだムッピナから帰るときじゃったけど、そういう話を聞いたと。中隊長からね。やられたということを。それで、うちはもうすぐですよ。連隊もこのモシゲタにおったから、大隊本部も、それからすぐここへ攻撃に出た。そしてずっと交戦をして、それまで保てて終戦まで、ここでもやられてね。戦車もだいぶんこの辺でやって、まあ戦車で蹂躙(じゅうりん)されて。じゃからもう、今、こげな肉薄攻撃班って、こげな金棒よ、鉄棒みたいなやつに火薬をいっぱい詰めたやつの、戦車、対戦車肉薄攻撃っていう班が1個分隊ずつ決まっちょってね、中隊のうち。それがいて、鉄の棒を敵の戦車前に近づいていって突っ込むわけよ。じゃからもう全滅よ。そんなんや。そのときうちの中隊も4台ぐらいやったらしい。わたしはもう負傷して下がっちょったけん。

わたしだんが攻撃に行くのに、攻撃に行ったら、ジャングルの海岸端の敵の方におったから生きちょった。こっちの味方の方におったら、着弾、弾がね、こっちばっかり落つるから、そんでわたしら命拾い。ちょうど海端でね。そのときもやられとった。

Q:あの、そのタロキナで負傷したときっていうのは、どういう状況だったんですか?

それは艦砲が一斉に撃ち出したとき、大きなこの、この部屋よりも大きい大木の下に、こう伏せちょって。もう普通の小銃弾でもなに、立派にのうあるっとじゃわ。上から落ってくって、向こうは走らんよるし。軍艦の弾ってこう走らんのだ。ボンボンボンボン。

ジャングルの中で芭蕉をしいてね。て、何も消毒も何もせん。消毒も液もなかったろうが。解剖の何やね、メスよ。いわば。あれでここを切りやってくれたっつよ。そしたらグアーッと開いちょったわ。そりゃ、包帯はどうにかあったってね。それを一反分を二つに割ったぐらいの一巻き要りよった。これを巻くのにね。それで、もうあるじ、後送になるまでは、その様子で地上も隠れんといけんしね。して、あそこの海岸端に、マボイって言ってた、そっからわたしあの上陸用舟艇に乗せられて。まあ曳光弾の敵は警備艇よね。あれが上陸用舟艇みたいなやつがボンボンボンボン夜撃って、花火大会のごただった。そこ、敵の中を縫うて、夜このマワレカまで下がったつよね、ここ。やっとね。そしたらここは、もう明けたら日は、わたしが下がったそこは全滅してしまった。そして、今度はマワレカに下がったつよ。一応ね。そうしたらそこに3人ぐらい残って、病気した人が残っとって。そこに一晩泊まって、その晩また運よく上陸用舟艇がここまで来てくれて、わたしを乗せたら、ここもまた全滅。してずっと、モビアイ、ミオ川、ここへ兵站(へいたん)病院があって、ここにやっと収容されて。

軍司令官がここに、ここに兵たん病院に入院しとるとき、わたしがその寮長をしとったが、そして第一線の話を聞きにわたしのとこに来られたっけね。そして、「どうか」って言われたら、砲弾がスコールのように来るって。スコールとはものすごい、こっちの大雨のごたる、ドワーっとものすごい。そのスコールの壕を作っていう話があったが、本当にそうです。それでやられちゃってって、わたしが言ったら、前線に行かれて。また帰りにわたしのとこに帰ってきて、「本当じゃ」て。自分たちはなんかにおるけどね、そういうことは一線におっても、大本営なんか知る余地はないと。ここにおってさえも第一線におって、第一線にあらんもんね。そこにあんた、わたしらの頭の上をね、何時間ってアメリカの飛行機がこっちから飛びよったったから。

「本当だ」と。じゃから、大本営なんかにはわかるはずがないと。それじゃから、撤退命令もここは、ここを退かんと全体全滅じゃから、もうこれは一人も残らんから、連隊長がここを転戦命令って言ったって、退却とは言わん。転戦命令と言ったが、転進じゃというたけれども、それを大本営が知って、すぐ内地に後送して、軍事裁判で、どげになったか知らんけどね。そのあとはわたしどもは知るよしもありません。そういうことやっとった。じゃから実際なってみらんと、なんでもわからないよ。

Q:今まだタロキナで仲間がいっぱい戦ってるっていうときに、自分が下がるということに対して、やっぱり関屋さん自身は、どういうふうに思っていたんですかね。

そりゃあんた、誰でもないでしょう。負傷したら下がらんことには。もう戦闘もできない、何もできないんですから。そうするともうどうしても傷をして下がらん者は、みんな手りゅう弾で自爆したんだよ。道端で。こう道のとこで。わたしどんが下がるとこでも、みんなやられたり。足やら手やらストッと切れた同期生なんかは、水で手を、そのタラッと下がっちょっと洗うたり、もう頭がどうかなっちょったってね。そういう状況も見とるよ。

Q:同期生の方々がその手りゅう弾で、自分が下がっていく中・・

同期生じゃないけんど、同じ軍曹の下で、みのなに、軍曹じゃったか。わたしの後輩でやっぱ、そういうどんがやっぱ、そげして死んだっちゃもんね。目の前でね。

Q:どんなこと言いながら死んでいったんですか。

何も言うか。そら、覚悟して、みんなもうよう下がらんと言えば、自分でせにゃ。

けがはね、

Q:負傷したけがはいつ治るんですか。

帰るまで治らんかった。まだいぎで、そのくらい生なましちょったです。傷はここにある。

Q:じゃあ、治らないうちに、もう1度、前線に。

はい、前線に。じゃから、あのミオ川、図面持っちょるでしょうが、あの線からね、特攻隊がずっと出たわけですよ。ほんで、そのときにわたしは18回目の菊水特攻隊に隊長で出たんですよ。ほんで、そのときにね下士官を2人、じゃから3人ですが、わたしが3人のうちの長で。そして連隊長から・・乾麺麭(かんめんぼう)ってあるでしょう。あれを3袋ずつ、ほかの者には渡らんとですよ、全然。もう秘蔵で隠しちゃるやつを出して3袋ずつもらったらね、もう命令を受けてすぐ下のジャングルの中に入って、もう3人とも一緒に食うてしもうたですよ、3袋ずつ。

Q:乾麺麭というのはどういうものなんですか。

金平糖と乾パン、でしょうね。この袋に金平糖も入っちょるで。それをもう、みんな同じ、もう3人が一緒の精神と同じようなふうになってね、一緒に食うてしもうて。で、あのミオ川ってあったでしょう。 あそこ、命令をもらって、こっちの対岸に待機しちょって、薄暮ってちょうど薄暗くなったころに、この川を渡って。ずっと点々歩哨がおりますからね、前線にね。その間をくぐり抜いて、まあ無事3人とも通過したわけですよ。そして、地図があるでしょうが、モシゲタですね。あそこに敵の陣地があるから、そこに大体行って戦車道路を、戦車をやっつける任務ですから。それで、それを川を渡るときにはもうちょうど、ここうちに、ここを戦車が通れば反対側には向こうで、こっち側はね、何か、何といったらいいかな、全部ジャングルはジャングルの中で見えないんですから。そこにおって、川はちょっとした小川ですけえね、ここの上の川よりはちょっと大きいぐらいの川があってね、そこのとこを行きよったですよ。目的地に行かにゃいかんから、敵の中をね。

そしたら、その、敵の戦車やら自動車が通る軍用道路が、もう濁って川は流れちょったですよ。そしたら、そこに野豚があらわれた。1頭ね。野豚って普通の豚と同じですけえね。主のないやつですよ。ジャングルの中におる。それがちょうど目の前に、ここからその柱ぐらいのとこに来たですよ。それじゃから、何という間もなく、ほかの、別の2人には黙って、わたしがバンと撃ったですよ。真正面から。そしたら眉間(みけん)からせき髄に抜けてね、即死でそこにバタンと倒れた。それで、その豚を解剖して、内臓だけ飯ごうで炊いて、内臓だけ食べて。そして手足は全部切って隠蔽して偽装でね。そして燻製ですわ。におわないし埋められないね。燻製して、その内臓でまあ食糧をやって満腹したわけですよ、3人ともね。

そして、全部はちょっと負い切らんですもんね。じゃから、だれかまだ特攻隊のもんが通らんかなと思うて待っちょったわけですけど、だれも通らんから、もうそれは捨てて。で、ももやら肩肉やらを燻製したやつを背負い袋って、背のうはもうないけえ、そのころは。背負い袋って知っちょるかしらんけん、あれに詰め込んでね。

あれやら迫撃砲の弾を詰め込んで、そして前線地に向かって、そしてこのジャングルに行ってこれを敷設して。で、結果を見て報告せんといかんですかれね、任務が。それで、前3人はその方向へ行ったらしいから、切り込みじゃったんです。わたしの前に(第)17隊の曹長ばっかり3人で敵陣ちに切り込み。じゃから、もうその前の人はほとんど玉砕です。それから後の人は、まだ2~3組出たらしいけれども、もうわたしたち出た後じゃからわかりません。そういうことじゃった。

Q:関屋さんの攻撃というのは、その迫撃砲の弾を持っていって…

そうそう。じゃから、迫撃砲の弾を、3人1発じゃから3発、やっぱり背負い袋に入れて、じゃから、ずっと任務を達するまでは持っていったわけ。

Q:で、それを通り道に仕掛けていく。

そうそう。今言うたように、湿地帯になってね。ジャングルじゃから、木を割らにゃあ戦車も通られんから、木がずーっと敷いちゃってある、軍用道路ね。その下に敷き込むの。その月の明い夜ね、もうほとんど昼や見た戦車も行かんかったから。あのころ、敵もね。じゃから夜行って、それを仕込んで、その戦果を見らにゃあいかんのよ。ただ仕掛けたばっかりじゃあ、不発に終わったらだめじゃから。すると、戦車はやられるじゃろう、迫撃砲(で作った爆弾)に。そうすると、敵は潜伏しちょると見てバンバンバンバン撃つわ。ジャングル、わたしども隠れるとこ。それでまあ目標にはなっちょらんわけ。どこもわからんと撃つわけじゃから、敵はね。じゃからまあやられんで済んだわけ。

Q:じゃあ、一応戦車には会うところまで行ったんですね。

戦車の音はして、戦車は見えんわ。わたしどん見るうち、やられてしまうわ。その効果を見るだけで。やられた音となんだけを見るだけで、戦車は見られんわ。

真夜中、月が出ちょった、月の中を這うてね、鉄条網をくぐって。で、出たですよ、陣地をね。出て少し行って、行ったらもう陽が入って真っ暗になって、もう歩けもどうもせんです。じゃから、その道路にね、3人でこうしておがみ合わせにするようにして眠ったんです。

そして、ハッと思うて、明こうなったから見たら、まだ敵の陣地がそこですもんね。ここから神社ぐらいのところにいっぱいおったですわ。敵の陣地じゃからね。ほんで、これはいかん、早う、夜がもう大分見えてきたから。で、ジャングルの中に駆け込んだら、こういう平地から道をこう入り込んだちょっとこう窪みがあって。ここはもうジャングルですよ。50メートルぐらいのジャングルの中を入っていって、わたしが一番、このへこごりの一番柱のほうで、あと2人を両方向に分けて、そして偽装して。エー、わたしが撃つまでは絶対撃つなと。撃っちゃならんぞと。そしたらもうそれを言うただけで立派に意思が通じてね。ただ1人の人間と同じようなことでね、部下もね。それで、ここでおったら、わたしの棲息すっとこのちょうどここ辺まで敵のなにが踏み込んできたです。もうこれは終わりかなと思うたです、そのとき。ほいで、ほかの者が撃たんから大丈夫じゃ。そしたら、20人ぐらい来て取り巻いたけどね、自動小銃を持ったのがね。

そしたら、占領軍はあんまりジャングルの中は見えんそうじゃ。ほいで、これがすっと退いたから、わたしたちはまた、もう任務は終わったしね、それから帰路についたけれども、わたしは40キロ、いや、40度ぐらいのマラリア熱帯熱になってもう歩けんねん。熱でどうもこうもならんで、もう先に行けんと。じゃから、おまえたち2人は、下士官は、もう少し下ったとこに今夜の宿泊地を作って、そこに泊まっちょって、夜になったらわたしも来るからというとこで、夕方になったら熱が引いたわ、また。おかげでね。それでヤクを持ってこのジャングルを回ったら、また元のとこに明いうちに着いてね。もう薄暮になってからですよ、農園にね。その2人の下士官がわたしを見つけてね、そこで合流したんです。

砲兵部隊・・重砲兵って、榴弾砲って、15榴って時計ぐらいの太さの15センチ、あれ、直径じゃね。あの弾をね、みんな構えて敵が攻撃したらね、それを戦車に。もう零距離って、距離は何せんでそのままもうバッてやったら終わりですね。そしたら敵が入ってくるからどうしようもないから、そのままその15榴も戦車1つと引き換えになって。そして全部爆破してしもうて、で、兵は下がったわけです。それはもうほとんど第一線で。

Q:爆弾自身を兵隊さんが抱えて戦車に突撃していくということなんですか。その15榴という・・・

いやいや、それは持っちゃいけんわ、大きな大砲やから。その陣地にね、陣地の前に、軍用道路じゃから、そこを戦車が来たとを斥候が見ちょって、今来て戦車が通るよというときに零距離で戦車を見つけて撃つわけ。そしたらもう、じゃから1発。その戦車と15榴と引き換えみたいなことね、いわばね。もう、1発撃ったらあとはもう撃てんわけよ。じゃから、死んで・・その砲はなくなるわけよ。それで大分ね、1基の15榴にも大分な、わたしは知らんけど、やっぱ何個部隊がおるとよ、それについた。大きな砲じゃからね。要塞砲みたいなやっちゃ。

Q:じゃあ、ゼロ距離なので、どっちも壊れちゃうということなんですね。

そうそう。いや、どっちも壊れて。こっちのほうは壊れんで、壊れんで、戦車をやったら、自分たちももう逃げ場がないのよ。それじゃから、もう壊して下がるよりほかは、もうその大砲は置かれんのわけ。その陣地には。敵が攻めてしまうわ。

Q:じゃあ、失敗したらもうだめってことですか。

ほとんど失敗せんように、大体、第1発で。ゼロ距離で。射程が決まらんでそのままバーンとやって、戦車をやって。じゃから、戦車と交換みたいなことやね、15榴とね。

負くると思わんよ。終戦になってもまだ負くると思わんで。ビラをいっぱい飛行機でまくわ、ジャングルの中もなんもね。それでも負けたとは誰も言わんよ。それでまたいっぺん出ちょって、もう負けたんやなっていうけんど、本当の終戦ということは知らないから、また敵が、軍艦が入ってくるでしょう。それを撃ってね、またやられそうになって、またジャングルに帰ったこともあります。

そうして、まあ警戒が緩んできたからわたしたちも生きて帰れた。あれが、やっぱ、まだ戦闘中のなんの警戒じゃったら、とても第一線も潜ってミオ川も渡れんかった。警戒が厳重でね。でも、そういうときになったら、いわば敵も粗雑になったんじゃないかなと思ってね。あと1週間もわたしらももうなにしたら生きちょらんもん。もう全滅で。ブーゲンビル島の、一人もおらんわ。

Q:それは敵に見つかってやられてたかもしれないということですね。

そうそう。それはそうよ。

Q:敵が去っていったときっていうのは、どんな状況だったんですか。

それじゃから、おらんと思って。もうどこにいてもええ見つけんという考えで下がったんじゃわ。もうおらんわいと思って。

それからだんだん下がって、その、ミオ川のほうにね下がっていったんですが、もうそれは部隊は全部退いてだれもいないしね。それで、通信紙って、こんな紙に連絡を書く通信紙というた、それに矢印つけたり、切り張っちゃったりですよ。方向がね、下がった。それを目印に、8月のもう14日前じゃ、まだ陣地、敵地におって、音がせんごになって、今の潜伏斥候やら、この特攻隊やらでもほとんどおらんし、また、敵も油断をして、もう終戦になって降伏をしちょると思うちょるからね。それで警戒が粗雑になって、わたしたちはこのミオ川も無事に渡ることができたんです。
そして、海岸端へ行ったらもうみんな集結しちょってですね、そして、大発、上陸用舟艇、敵のそれに分乗して乗せられて、あのステンレスの鑑札をみんな首にさげてね。で、階級とそのなにをつけたやつを下げて。で、別のフアル(ファウロ)島という島に今度はやられたんですよ。それじゃから、そこの島はね、収容所第6露営区って。そこにね、師団司令部とそれから騎兵連隊と23連隊が、第6露営区というとこの島におった。

Q:最後、戦争が終わったんだなというのが信用できたのはいつぐらいなんですか。

それはもう、天皇陛下のなにが、お言葉があって初めて納得をした。

Q:天皇陛下の玉音放送を聞いたわけですね。

そうそう、あとじゃね。

Q:それは海岸に集められて聞いたんですか。

いやいや。後で、捕虜になって収容所に入っちょって。それまでは負けたとは思わんけんども、そうなっちょったから、それはもう仕方がないわ。

まあ、わたしは本望じゃった。あれだけ尽くしてだめならもうしようないわ。自分の本分を尽くしたと思う。

Q:本分を。

うん。人間としてね、やるべきことをやったというしか言いようはない。

出来事の背景出来事の背景

【ブーゲンビル 墓島と呼ばれた戦場 ~都城・歩兵第23連隊~】

出来事の背景 写真ニューギニアの東、ソロモン諸島に連なるブーゲンビル島。この島で昭和18年末から終戦まで、強大な連合軍と日本軍の激しい戦闘が続き7万人の日本軍将兵のうち4万人以上が命を落とした。

中国戦線にいた宮崎・都城23連隊は1943年1月、ソロモン諸島の西にあるブーゲンビル島に上陸した。所属する第6師団、海軍陸戦隊などとともに島の防衛に当たった。

1943年11月1日、米軍が、23連隊の1個中隊が守っていたタロキナ岬に上陸。中隊は全滅する。連隊本隊は、米軍によるタロキナ岬での飛行場建設を阻止するため出撃したが、猛烈な砲撃を受け戦車に蹂躙され、戦傷者が続出。そのため、23連隊の濱之上連隊長は、師団司令部に退却を訴えたが、攻撃を続けさせようとする司令部に更迭された。

いったん後退した23連隊は、翌1944年3月、ラバウルを空襲する航空部隊の出撃基地となったタロキナの米軍飛行場を制圧するため、再び攻撃に乗り出した。しかし、兵力も弾薬も十分でなく、米軍の砲爆撃に圧倒され、多くの将兵が命を落とした。その後、1944年末には豪州軍が上陸し、再び激しい戦闘になった。兵力の差もあり、将兵たちは斬り込み攻撃や爆雷を抱えて戦車に飛び込む捨て身の攻撃を仕掛けるようになった。また、絶対国防圏の外側に置かれたため補給もままならず、飢餓で死ぬものや自決する兵士が続出した。

都城23連隊将兵6千人あまりのうち、終戦時に帰国できたのはわずか400人だった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1919年
宮崎県西都市に生まれる
1938年
23連隊に入隊
1939年
熊本陸軍教導学校卒業
1943年
ブーゲンビル島に上陸
1945年
終戦時 准尉
 
戦後 農業を営む

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ニューギニア(ニューブリテン島、ブーゲンビル島)

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