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タイトルタイトル: 「斬り込み攻撃」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
名前名前: 篠木 進さん(宇都宮・歩兵第239連隊 戦地戦地: ニューギニア(アイタペ、ウエワク)  収録年月日収録年月日: 2009年2月18日

チャプター

[1]1 チャプター1 中国戦線から南方へ  04:42
[2]2 チャプター2 湿地帯の行軍  02:08
[3]3 チャプター3 アイタペ決戦  02:27
[4]4 チャプター4 斬り込み攻撃  03:04
[5]5 チャプター5 途絶えた補給  02:31
[6]6 チャプター6 終戦  01:49
[7]7 チャプター7 復員  05:53

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年2月18日

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今度出発して、今度ニューギニアのウエワクってとこ。まあウエワクっちゃニューギニアではいちばんいいところなんですね、いちばんトバ口の。で、ウエワク行ったら、なんだ、日本の船がうんとばかしやられてね、湾中にいるんですよ。ほでそんときに、向こうは連合軍ですから、日本軍が上がってるってんであちこち来るわけなんですよ。代わる代わる。それで早くジャングルの中入れって。ともかく湾の中入った途端に、軍装したまま胸くらいあるところへみんな飛び込んで。ほらジャングルの中へみんな入った。

そうだ、ヤシ林行って道路作業始まったわけです。それで何しろ道路がないもんですから、道路作業して。そのうちその何て言うんか、飛行場を造るってんで、始まったわけです。それで、飛行場造るったって、何しろ、何一つないんですから、道具がね。戦車から使えないですから。ですから1本のヤシの木を倒す、戦車をそう、4回ぐらいぶっつけないとひっくり返んねえです。それをワイヤーへ引っ掛けて、どんどんヤシの木をね取っ払って、そこへ飛行場を造ったわけです、ウエワクね。

あんだから、並大抵じゃなかったですねえ。それから、あれからウエワクで飛行場造って、それからマルジップってとこへ行くんで。そこも道路がないんで毎日毎日、土方ですよ。土方専門で、ほんとに兵隊どころじゃないねえ。そして気候そのものが、暖かいですから、半ズボンと半そででいられますからね。ほとんど、年中。で、それが終わって道路、飛行場。それから移動作戦移動作戦でやっぱり、それで何て言うんですか、クリークみたいのが多いんですよね。そんな関係で馬なんか持っていったんですけど、全然使い物になんないです。ジャングルとかそういうのばっかりで。それで馬なんかみんな、あのほっぽらかしちゃって。

今度船で行くようになったわけなんですけども、船そのものもろくにないですからね。で向こうはその大発とか小発とかってんで、みんなエンジンそのものが飛行機のエンジンなんですよ。日本の船と全然違うんですよ。走り方がね。

それで、日本の兵隊がいないなと思うと、その海陸両用戦車みたいで、ジャングルの中へ今度入って来ちゃうんです。こりゃいるなと思ったら、またグーっとバックしてっちゃう。そういう戦法ですから、とてもじゃないけど戦闘にならないですよ。全くのねえ。それからアレキスって飛行場のとき行ったんですが、そんときには、大体いろんなニュースでもって、アメリカのあれが上がるってわけであったんです。そうしたら、駆逐艦が2杯(隻)、はるかかなたに見えるんですよ、肉眼で見ても。その船が、朝、やつらが上がるばっかりで、まあ何ていうんですか、弾撃つわけなんすね。これがあれです、半日かけてぶっ通し撃つわけですからね、船。ドンガンドンガン、ドンガンドンガンさ。

昼間は全然ほら、行軍出来ないですからね。やつらの警戒が激しくって。ほとんど夜ですから。んだから夜なんか歩ったって、ろくにその歩けないですよねえ。ほで、向こうから撤退するときでも、アレですよ、あのセピック(河下流の湿原)というとこあるんですが、向こうから撤退してくるのに1本しか道がないでしょ。ですから、ちょうど内地の田植えと同じだね。泥んこで。その、泥んこでも何でもあれですよ、みんなあれですよ。中に、編上靴なんか履いたままなんか仏様になっているのが、面人わからないんですよ。「これ、いいの履いてるから頂いてくか」なんて。「なんだこら、仏様だ、履いてるわなんて、こら」なんて。そういうそのわからないですよ、どこの部隊だかね。そこばっかりでしょ、通るとこは。あれは苦労したですね。で、セピックってとこなんか無尽蔵っていうくらいだから、底がないような深さがあるっていうですよね。2本マストが入るっていうんですから。ときおりこんな、おっきい島みたい山が、木の生えたままこの流れてくるんですから。そういうところもその、やっぱり前進基地にアメリカの兵隊がいたでしょ。飛行機で、朝に晩に朝に晩に移動したんですね。

ニューギニアには、朝鮮の朝部隊(20師団)と宇都宮の基(51師団)、それからわたしの、北支から行った河部隊(41師団)と。3師団が、3個師団。それがみんなあれでしょ。それで、最後に残ったのが河部隊が撤退してる。みんな他のはみんな散り散りバラバラで、ろくに戦争させてねえ。みんな手でもなんでも負傷してしてるので、手からウジがぼろぼろこう出て、それ取れてしまう。そういうどん底、わたしはして。最後わたしら、されてもなしでいるから。で、はだしですからね。ヤシの葉っぱを、芯を裂いて藁(わら)みたくし、足なんか張ってんですから。足、半分、張るのね。足とか。わらじですね履いてもね。あれでもって探してきたんですよ。履く物もないんですから。編上靴履いてっても、糸切りしちゃったから、あんなん持って歩いたってどうしようもねぇ。背のうも何にもないし。だから山まで来て、背負子(ショイコ)っての作って。それで藤のツルをグルグル巻いて、ここに背負って歩いて。そういうような状況です。

Q:篠木さんは坂東川(ドリニュモール河)の戦いには行ったんですか?

はい?

Q:坂東川の戦いには?

それまで行けないんですよ。途中でそういう部隊がやられちゃって。それでどうにもならないんですよ。目的がそれあったんですけども、部隊がいなくなっちゃったんです。なんせ、わたしの237(239)行ったときのね、部隊の人間が198人いて、帰ってきたら15名かそこらですから。帰りはね。みんな道路なんてのは死人の山ですよ。ぐじゃぐじゃ。そうですからね。

ずいぶん日本の兵隊も少なくなっちゃって。それで、その、アメリカのやつらに、まだこれだけのあれがあるんだって、それを見せかけるために、その各班、部隊でね斬り込みってのがあったんだ。だけど刀で斬り込む、斬り込むわけじゃないですよ。軽機関、重機関銃じゃ重いから軽機関銃持ってって、軽機関銃と手りゅう弾。そういうのを昼間に、なんて言うんですか、アメリカの陣地を偵察してて、経路を見てて夜行くわけなんですよ。それも夜中ですから、後半ですから、12時から1時ですから。それを行くわけなんですよ。それで、必ず行くまでに、川が2つそこらあるんですよ。それで川そのものの、水の流れが速いんですよ。スースー流されちゃうんですから。足崩されちゃって。だから4,5人手つないで、それで引っ張って行く。それで、やつらの陣地近くにこう行くわけですよ。行って、その陣地めがけてやるわけよ。軽機関ババッ撃ったり、手りゅう弾投げたりやるわけです。そうすると、やつらはほら、普通は陣地があってもみんなこれですから。ほら来たってんで、やつらこの陣地にパって入って、これやるわけですけど。やつらみんな陣地の周りは歩哨が立ってないです。みんなピアノ線なんですよ。だから足引っ掛かるっつうと、パッとこうするでしょ。そうするとやつら今度やるんですけども、普通出し抜き行ってこれやられたら慌てちゃうわけ。まさか、向こうがこう頭いいですよ。ピアノ線ですから、歩哨の代わりに。で足引っ掛かるとほらパっとね。んで普通こう寝てんだから陣地でゴロっと。そうゆうこと。なにしろあれですよ、斬り込みっつったらいい感じじゃないですよ。いつどこでね、やられるかわからないから。それで、同じ日本軍のなか、その向こうの陣地行ってもはぐれることもあるんですよ。夜間に。わしもはぐれたことある。どうすっかっつうと自分で死ぬか、それとも落とす(占領する)かと思って。そういうこと。だから合言葉ってある。「日本」って言えば「富士」、とかっていう合言葉ってできてるわけなんですよ。そうした場合に言えば「あぁ、これは」ってなる。そう合言葉だってね。斬り込みもそうですよ。「参加、義理や」って曹長に言われて。「今晩、斬り込みだぞ」って、「はい」。あんまいい感じじゃないですよ。

ですから全然戦争どころじゃないですよほんとに。体はね、持って歩くの精一杯なんです。で、食料はどんどん無くなっちゃうしねえ。ああこれは、どんな人だって戦争勝つとは思わなかったですね。それからあれだ・・・それから、いつかも言ったような食料も何もないもんですから、土人の農園ですか、農園へ行って食料をかっぱらうわけなんですが、ほとんどイモが主食なんですけども、土人だって、兵隊にやられたら死活問題ですからね。やつらだって一生懸命なんですよ。

土人の食べ物をね、早く言えばかっぱらって食べちゃったすわ。だから、土人にみんなこれやられちゃったですよ。土人だって利口ですから。向こうは山があるでしょ。そうすから物資取られるのを見てるんですよ。

それみんな向こうのアメリカの方は手りゅう弾ですからね。発火が早いんですよね、日本のやつより。日本のやつはあれですね、編上靴の後ろの金具ちょっとぶつけて、確認して、「いーち、にーの、さん」て言うんですから。向こうは、「いーち、に」って速いんです。だからみんなやられちゃうんですよ。イモを取られたり、そしたらやつら、そんときのあれでね。だけどみんな兵隊先やられちゃう。だから、わたしの戦友も3名ぐらいはやられちったかな。それ向こうに、みんな置きざらしですよ。全然、構っていられないですから。

あのときが初めてなんですよ。だから、そのビラまく前に、前の日に部隊にあれが連絡があったんですよ。ともかく今晩夜間、このなんとかって名前もう忘れちゃったけど、「草原を突破しねえとっちゅうと、みんなやられちゃうんだぞ」って言って、わけだったんですよ。やつらその、油をまいて焼け野原にして。そういうニュースが入ったんです。それなんで夜行軍でやったわけなんです。そうして部落へ着いた途端にイギリスの飛行機が、飛んできたわけ。「おぉ来たぞー」なんて言って。そしたらもう銃撃も何もしない。そしたら宣伝ビラみたい。だから、「日本、平和来ル」っていうな宣伝が。なぁんだこら、戦に負けたんか。だけど将校連中はね、「そんなこと言ったんじゃ惑わされんじゃねえぞ」って。「ダメだ、貴様ら」って。「しっかりすんだ。これからだ」って言うんだけども、すぐ(連合軍の)飛行機が飛ばなくなっちゃったんだよ。それなんで誰でもね、そういう感じがするわけなんですよ。「あぁこれは、ほんとに負けたんだ」って。ほんとに、あのときみんな泣いちゃったんですね。ほんとに。なんだ負けたんかって。これだけなぁ、頑張ってなぁって。「日本平和来ル」なんてねえ。

それから、大体そんなのが終わってからですね、ともかく、海岸線にいたんじゃって。みんな山奥あれですね、20里ぐらい奥入ったですからね。奥入って、みんなですね、自活したような具合でおったんですが、何しろあれです、その後になってから今度、なんだか、武装解除ってな話聞いてたんですけど、海岸線まで出てくるのに、1週間ぐらいかかったんですよね。

山から出て来てあのときはアメリカの兵隊が、武装解除ですから、両端でドラム缶に腰掛けてて、やつらチェッコかなあ、機関銃を両方持っているんですけど、ガムなんかこういうふうに噛(か)んでいるのは、そんなことはね、日本の兵隊と全然違いますからね。それで、アメリカの大発ってのがそこへ来てて、ムッシュ島ていう島へ、ゆるしおの島へ島流しみたい状態でもって、向こうへ行ったわけなんです。

それで向こうでもって、向こうの給養を受けたわけなんすけど。食べ物そのものだって、日本の兵隊に合う食べ物は全然支給してくれないですよ。いつかも言ったように油なんか支給したり粉なんかくれたから、粉だから、中に戦友なんかも、いろんなやっぱり商売人がいるからね、じゃあみんなで粉もらったからうどんぶって食わせると。なんともうどんがまとまらない。ともかく、ようく聞いたれば、大麦の粉をってんで、まともにくれないんですよ。ほんであれですよ、

支給されたものだととってもだめですね、食べていられないです。とんでもない、命を繋ぐだけだったです。ほで、ムッシュ島から今度、内地帰れるようなニュースがきたわけです。ほれで中には、「内地じゃねえぞ、こりゃあ他へ持ってかれて、羊追いだぞ」なんて、いろいろなあれが、ニュースが入ったんですけど。内地帰るって、4、5回だまされたですね、船は来てた見てても、ほかへ行っちゃうんですね。それでムッシュ島って島から、今度、いよいよ内地へ帰れるってんで、アレですね、迎えに来たって船、乗って、浦賀へ着いて。
浦賀でもって、1週間ぐらいおりまして。体の健康体なものと健康じゃないものを預けてね、内地、国へ帰れるものは帰ってええと。そこからだめなものはね、千葉だっけ千葉県とわしらの、村山(東京・立川市)っとこありますね、村山の病院へ行ったわけなんすが。で、浦賀から乗り物で乗って来て、東京駅着くまでに家が無いんでたまげたんです。あるのは、あの墓地ばっかです。石塔はいんですけど、あと、家なんか一軒もないですよ。ほんで東京駅来ても、歩って上がる兵隊いないんです。みんな四つんばいです。上がれないんです、怖くって。

Q:家族の方に戦争の話はされるんですか?

いやぁ~あんまりしないです。言ってもね、若い人本気にしないんです。

Q:本気にしない?

しない。だめですよ。たまにはね、わたしんちの、「おじちゃん、そら昔のこと」ってね、話が終わりになっちゃうから。確かにね、あぁ昔のこの軍隊のあれってのはいいことなんですよね。すべての面からね、礼儀作法からしてもね。自分じゃ白いことってわかってても黒いって言えば「ハイ」って言う軍隊の教育の方針でしょ。だけど、そんなことしたって、今の若い人には話はだめです。

今じゃねぇ、若いののまわりじゃ、あぁこの話しても無駄ですけども、たまにわたしも、話したくなるっていうことあるんですけど、「おじちゃん、それ昔の話だよ」って。話は終わるの。聴かないですよ。時代のあれでね。

出来事の背景出来事の背景

【東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~】

出来事の背景 写真南太平洋に横たわるニューギニア。日本軍はガダルカナルでの敗北が決定的になる中、連合軍の侵攻に備えるため、第18軍を編成し兵力を投入し続けた。

栃木県と長野県出身の若者を中心に編成された歩兵第239連隊がニューギニアに上陸したのは昭和18年(1943年)2月。与えられた任務は、生い茂る密林を切り開き、道路や飛行場を建設することだった。

その後、連合軍は東部ニューギニアで反攻を開始。日本軍の拠点を次々と攻略し、昭和19年4月には日本軍の背後、ニューギニア中部のホーランディアとアイタペに上陸した。239連隊を含む第18軍は、完全に孤立してしまった。

この事態に現地の第18軍司令官・安達二十三(あだちはたぞう)は、アイタペに総攻撃をかけることを決断。将兵は弾薬や食糧の補給がないまま、アイタペを目指し数百キロにも及ぶ行軍を開始した。行く手には幾筋もの河と広大な湿地帯が広がり、多くの者が飢えや熱帯特有の風土病に倒れていった。

7月10、日本軍は3万5000の兵力でアイタペ攻撃を開始したが、連合軍の圧倒的な火力の前に8000を超える戦死者を出し作戦は中止。食料も弾薬も尽きた将兵は「山南地区」と呼ばれた密林の奥地へと逃れ、病人や負傷者は部隊から次々に落伍していった。

極限状態の中で追い詰められる将兵たち。死を覚悟で敵陣に突入する斬り込みが繰り返される一方、昭和20年に入ると大隊の40数名が組織的に集団投降する事件も起こった。

東部ニューギニアに投入されたおよそ15万の日本兵のうち、12万8千人が亡くなり、今も6万を超える人々の遺骨が、収集されることなくニューギニアの地に眠っている。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
栃木県に生まれる
1940年
現役兵として松本第50連隊に入隊 歩兵第239連隊第1機関銃中隊に転じ、北支山西省へ
1943年
ニューギニア・ウエワク上陸
1944年
アイタペ作戦当時、兵長
1945年
終戦 当時、陸軍伍長
1946年
神奈川・浦賀にて復員
 
復員後は、家業の農業に従事

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