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タイトルタイトル: 「沖縄守備隊の総攻撃」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~
名前名前: 笹森 兼太郎さん(北海道・歩兵第89連隊 戦地戦地: 日本(沖縄)  収録年月日収録年月日: 2010年11月24日

チャプター

[1]1 チャプター1 機関銃射手  03:09
[2]2 チャプター2 昭和19年8月、沖縄到着  03:40
[3]3 チャプター3 十・十空襲  02:27
[4]4 チャプター4 島を取り巻く米軍艦船  02:53
[5]5 チャプター5 最前線へ  04:13
[6]6 チャプター6 総攻撃  06:08
[7]7 チャプター7 負傷  03:04
[8]8 チャプター8 病院壕での悲劇  03:58
[9]9 チャプター9 亀甲墓  01:55
[10]10 チャプター10 住民と混在した「ガマ」  03:02
[11]11 チャプター11 最後の戦場、摩文仁  03:20
[12]12 チャプター12 終戦を越えて  03:29
[13]13 チャプター13 昭和21年11月、復員  02:54

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~
収録年月日収録年月日: 2010年11月24日

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軍隊では私、重機関銃だから。重機関銃っていうのは機関銃ばっかりの中隊で、200人くらいいるんですよ。これ馬がある、行軍するときは馬につけるから。で、初年兵で入って。僕らはその重機関銃っていうのも初めだし、青年学校の時期にはほとんど小銃でしょう。重機っていうのは初めて触ってみるし、見るもんだ。それだから、まあどんなもんかと思ってね。ところが、あれ、重さが55キロ500もあるんですよ。だから、一人では持って持たれないことでないけども、分解搬送って半分になるからね。それで重機関銃中隊へ入って、さあこれから何をするったってなあ、訓練。

機関銃っていうのは、1、2、3、4人の銃手がいるわけで、撃つ人は4番なんですよ。3番ってのが予備射手で、2番が装てん手ってね、みんなあるわけよ。それで俺はそのとき、俺も張り切ってたから、4番、上等兵になって4番射手になったんだ。4番射手っていうのは撃つほうだからね。だからね、眼鏡照準でね、眼鏡つけてるんですよ。これで4倍の眼鏡つけて狙って撃つんですよ。

これはもう重機関銃で名誉ったら、これ以上はないんですよ。機関銃の射手ったら、もう4番射手ったらね、これは一番なんですよ。

Q:だけど、その分危ないんじゃない。

狙われやすい。だからよく言われたもんだ。「おまえ、一人息子だから、機関銃射手になったら、あれだぞ、やられるぞ」って。ほとんどね、こうやって撃つから、弾を受ける。これに鉄帽はかぶりますよ。かぶるけども、これやられるかね、爆風の破片でやられちゃうかね。だけども、俺はやられなかった。撃ったけどね。

Q:実弾の訓練もしたんですか。

実弾の訓練もやった。ところがね、あのころ実弾というのは余り撃たせないでしょう。実弾演習は1回だけ、射撃大会っての。

それ一回だけですよ、実弾演習させたの。後ないんですよ、演習は。何も実弾演習なんかないんだから、弾ね。そういう、そういう時代だ。弾、実弾あんまり使わせなかったんだよな。

Q:もう次の実弾はいきなり、じゃあ戦場なんですね。

全部戦場。いきなり戦場へ行って実弾ね。それまでには何もないんだから、昔はね。よくその、やっぱり射撃させねば、練習させねば撃てないよな。弾交換して、弾入れたら撃てるけどね、目標に向かって撃つっていうのはなかなかね。現に敵さんに向かって俺撃ったけども。

Q:沖縄に行くというのは兼太郎さんはいつ気づきましたか。

いやね、これ沖縄へ着いて初めて。第一ね、船さ乗ってどこさ行くかって誰も知らないからね。まあ偉い人は知ってるんだろうけども、班長も知らねえわ。俺がたまたまこのキソにいて、俺の乗った暁空、曉空丸って、曉に空って書いてね、曉空丸って大きい7000トンぐらいの船だった。これに連隊旗も連隊長も乗っとった。僕ら重機は、重機はね、こういうところ。歩兵はみんなハッチに入ってるだれども、天井の上に高いところにいて。対空射撃で置くからね、もう楽でしょうなかった。ところが、そのときにね、沖縄行くに女性がいた。船員が。「船員さん、この船どこへ行くんだべな」って言ったっけ、「これ沖縄だべ」っちゅうんだよ。沖縄だら日本の国でねえかって。何だ、おい、僕らはやっぱりね南方へ行く。そして南方の被服をもらったんだ。だから南方だとばっかりったけど、南方はまあ沖縄も南方だわな。だから、「何だ、おい、沖縄だとよ」。そうだったもんな。それで分かった、大体沖縄だと。それまでは全部知らない。どこさ行くか分かんない。

Q:沖縄だっていうのは、兼太郎さんにとってはどうでしたか。

いや、日本の国だってことでがっかりではないけども、「何だ、日本の国でねえか」っていう、そういう気持ちだったな。そうすると、危険だとか戦争するとかっていうのはないんだがな。ただどこどこの警備につくだから。だからそれまでも、だから沖縄に敵さんが上がってくるなんてことは俺は夢にも思わない。分からなかった。

初めはね、なかなか地方人(一般住民のことを軍隊ではこう呼んだ)とは兵隊とはあんまり会わせなかったんですよ、防諜上ね。それが大体部落に、始めまだ幕舎も建てないうちは兵隊は各中隊ごとに皆部落へ駐在されたんですよ、陣地をつくのに。そういうときにほら、地方人から「兵隊さんよ、腹減ってるか」って、サツマイモをふかしたのを持ってくる、あるいは豆腐を焼いたのを持ってくる。いろんなものを持ってくる、ね。そういうので、そしていろんな話をすると、沖縄、北海道、「兵隊さん、どこだ」って言うから、「北海道」ったら、北海道、雪降って寒くてな。そしておめえ、「沖縄は砂糖はサトウキビからとるけども、北海道は寒いから大根からとるんだったっけ」「はあー」って。もうホラも少し混じってね、でかいこと言うんだ。そして、そのうちに大隊そろってきたら、軍の命令で民家から離れて山に兵舎をつくるということで、木切ったりして、沖縄人にならって幕舎を建てたんですよ。だから協力的だったし、我々兵隊も、そのあれもしなかったんだよな。それは純朴だったな。

そしてあのね、男が少なかったってことは、徴用なんかで随分あれだったから、女が多かったね。だから女の人にみんな助けてもらったりしてね。だから、そういうふうで沖縄って暖かいとこだし、北海道ってのは寒いとこで、そういうとこで話、ホラを交えながら話ししたんだ、兵隊みんなな。それで腹減るから、民家さ遊びに行っては芋ごちそうになる、サツマイモね。サツマイモごちそうになって。主食がサツマイモだから。僕ら行ったときにはご飯は食べないんですよ。朝昼晩サツマイモなんですよ、沖縄人というのはね。

あのときはね、部隊がね、移動したの。陣地をつくるためにね、大部隊は移動したの。で、僕らも移動したわけだ。移動して民家へ泊まって、その朝ご飯食べてたら、バーンと高射砲上がったわけよ。「あれ」って見たら、実弾なんだもんな。「おい!」ったっけ、小隊長が「空襲だ」っちゅうわけよ。それから今度すぐ「重機を出せ」。まだ下駄履いたまま、服も履いたまま、飯食わないでトウキビ畑の中へ重機をつかんで出した。兵器だけ出した。10月10日の空襲ね。それで戦ったんだけど、とにかく下手に撃たれねえから、爆弾も落ちなかったし。それで、そのときに恩賜のたばこがね、下賜(かし)されたんだよ。「10月10日の戦闘において」ってな、恩賜のたばこをもらったんだ。まあそれで、そのときは空襲で終わったけどね。ただね、大部隊が大移動したときだ。そのとき那覇の町がやられたんだ。

Q:アメリカの飛行機は見ましたか。

見ました、見ました。パーッ。そしてね、あれ撒(ま)いたんですよ、銀紙パラパラッ、電波を障害するために。ところが、我々兵隊も偉い人も知らないから、その「パラパラッと落ちたものは爆弾だろう」ちゅうことでね、その棒っこを持ってって、そのこう、こう持って持ってきたわけよ。誰も知らねえんだもんな。だけど、そんなもの爆発・・それは電波妨害する銀紙だったな。それ撒いた、パーッとな。そのときは何も、部隊にも被害も何もなかったんだけど。

Q:それは、笹森さんたちはどういう、空襲が来そうになってどういう態勢をとったんですか、重機関銃は。

初めて分かって、「機関銃を出せ」って言われて出してから、出せって、今度おらは賄って、そして鉄かぶとで完全軍装して、その重機を置いてるところに、俺射手だから、もう離れられないからこうして待ってた。なるべくトウキビ畑だから、背こんな高い。それだ、飛行機が向かってくる。向かってくるやつを撃つんならいいけどもね、飛んでるやつなんか撃てねえんだから、とにかく一発撃てば百発の来るんだから、「あんまりもう撃つな」というようなことでね、重機をすべて構えたけども撃たなかった、一発も。それで、そのまんま空襲終わるまでその畑にいた。

摩文仁のね、高台に82高地だから、そこから「おい、アメさんの軍隊が海軍の軍艦が来たぞ」って上がってみたらね、海岸の地平線にね、真っ黒やつがタッタっているじゃねえか。「ああ、ああ、あああ」ってね、いよいよ来たかと。これで初めて戦争、戦争っていうもののあれが、実感がわいてきたんだな。これで初めていよいよ戦わなきゃいけないと。

Q:船を見たときは笹森さん、どんな気持ちになりましたか。

いやあ、すごいもんだと思ったな。真っ黒で、ザァーって。それで上陸舟艇、ちゃっこい船が近くして、ババババッて機関銃撃ってるんだ。「はあー、いよいよ」。だけど、まあそれでも勝つとか負けるとかというのは考えないんだからな。「いよいよ、いよいよ戦争だ」ということだ。それだけだな、我々に考えてるのは。

Q:艦砲射撃の威力というのはどういうものなんですか。

ブカーッ。艦砲、砲の大きさにもよるけどもかなりなもんだなあ。あのね、観測機っての飛ぶんですよ、羽根が2枚の。で、羽根が2枚で飛ぶっていうと、アメリカも飛行機がなくなったと。ああ、いよいよアメリカも大分飛行機が減ったんだわ。だから羽根2枚の古い飛行機だなと。昔の日本のね、練習機。ところがあれが観測機で、ヒューッて、何かもう英語でもう入るなっていうから。それだらダーッと来ると、沖縄をこう線で、こうしまってるんだな。それでもう来る。だからね、ところが沖縄というとこは砂の地とサンゴ礁だけども、信管が固いとこで当たる爆発と、それでね、いろいろあるわけだ。ところが不発が多かったんだよ。バーッと来る。ブッといって爆発しないんだわ。柔らかかったからな。それが大してあった。だけども、すごい。いいものグワーッて上がって、砂30メートルぐらい上がって。うわーっ、フッフフーッと。俺ほら、島尻にいたと言えばこれが海でしょう、こっち。ところがここに陣地あったから、だからこれなもんだから心配はないのよ。弾はこっちのほうへ行くしな。なかなか当たるもんでない、直撃は。だけど当たったら、あれすごいな。壕なんか飛んじゃうべ。いやあ、ブハツがドドドンドン、ダアーッ、シュシュシュシュシューッ、ドカーンって来るの。それが朝から晩までやってるんだからな。だからもういよいよ戦争だと思った。

満州から、支那から来た62師団を、この敵さんが上がるだろうというとこに初め僕らはいたんだけど、そこに出したわけよ、石部隊を。石部隊というやつね、62師団。僕らは山部隊(24師団)はこっちに残った。そのほかに島はあるけども、旅団が2個旅団いたな。だから、僕らが前線へ出ていったのはとにかく4月の29日だ。天長節の日に出て行ったんだ。

Q:そんなに島尻から入ってくる気配があったんですか。

軍艦が固まって、上陸舟艇を舟艇して何回も上陸見せた。今晩は上陸したら、今晩夜襲だっちゅうことで何回もあった。ところが、それを見せておいて、この1個師団をこの島尻に引きつけておいたんだな、アメさんは。それでやらなかったわけよ。これはもういよいよ上陸しないということで、山兵団(24師団)に4月の29日、前線に出動命令下ったのが4月29日だ。それで出ていったんだ。

Q:じゃあ、うまく作戦にひっかかったわけですか。

ああ、ひっかかった。まあ、まあそういうことだな。もう石部隊(第62師団)もほとんどやられてるから。石部隊っていうのは、これ支那から来たから装備が余り良くないんだわ。62師団ね。

Q:もう、じゃあ本当にもう夜襲に行くぞっていう、島尻でそういう日もあったんですか。

ええ、「山」「川」、合い言葉。鉢巻きして、たすきかけてやった。重機も全部せいして。だから「今晩、夜襲」。そういう日もの2回くらいあったな。だけどもあっちなかった。「いよいよ今晩夜襲だ、おい。おい」っ、鉢巻きしてなあ、もう張り切ってるもんだ。まあ若いころだもんな。

Q:それで4月の29日に第一線に転進をするわけですね。

はい、はい。

Q:どんな命令を受けたんですか、その第一線。

命令っていうのは、機関銃の僕らのあれはあれだ、「敵さんが今上陸した小波津の線に進出せよ」と。そういうことで、機関銃叉(また)つけて。2個分隊だから30人、30人だから60人だな。が、それがまた出て、大体40人くらいの1個小隊がずっと行ったんだよ、ずっと。そして出て。そして壕に入って、そして次の日に、「おまえはここ、ここ、ここ」と指名されて、それでそこだっていって昼間出ていったんだ。それまで敵さんなんか見てないんだもん、ね。敵さんなんか見てないし、第一線へ行くと余り飛行機も来ないんだ。で、敵さんも見てないし、それで「ここだここだ」って。僕ら2中隊配属だった。機関銃っていうのは配属になるからね、中隊に。そうしたら、「おまえはここだ、ここだ」って言ったって、敵さんなんかどこにいるか分かんねえんだわ。したっけ、隊長が来て、「あっこに来た、来た」って見る。「あれ、あれが敵だからな」って。「気をつけてくれよ」「あっ、ああ、あれが敵か。初めて見るど」ってな。そして陣地に据えつけて。いつでも撃てるように重機据えつけた。その前に機関銃の陣地を造ってるとこにおら入ったんだ。こっちのほうに小銃隊がいた。軽機がいた。そこさ入ったところが、入って間もなくドカーンって一発来たっけ。その銃眼が下がって、機関銃がぐわって下がっちゃったんだ。もう撃てないんだ。もう穴つぶれちゃったんだ。そしたら、この軽機が出たら、軽機の分隊長がけがしたら、「おい、重機かわって出くれー」って言って軽機を下げて、ここへ重機出た。タコツボの穴掘って、そこにそれ入って、こんな小高い丘だな。そして天幕に砂を盛って、そしてここへ重機をつけていた。

「4日、5日を期して総攻撃をする」と。「海軍は逆上陸を敢行し、飛行機は3000機来援する」と。「陸軍は総力を挙げて戦うべし」と。「右、糧まつもそれ以降は米軍のものを起用すべし」なんて命令でもらって、ああ、5月4日、5日まで生きれば何とか生きれると、それで思った。で、その5月の3日まで、29日から3日まで頑張ったんだよ。

Q:5月4日はどういう行動をする命令が出てたんですか。どこからどこに行く。

いや、とにかく与那原のね、与那原でねえで小波津、小波津の部落だから、その小波津の部落に今敵さんが海岸から上がってきて、これを海岸にぼったくるわけさ。

Q:押し戻す?

押し戻すわけさ。その、そういう命令だから。それで、「以後は糧まつも米軍のものにせい、こえ」って言うんだから。

とにかく4日まで生き延びろと。4日まで生き延びれば、4月4日、5日の総攻撃で大攻撃やるんだから、そして勝てば勝つから大丈夫だと、そういう気持ちだったな。

Q:じゃあ、5月4日の総攻撃をするっていうふうに聞いたときは、これで攻勢に出られるぞという気持ちだった。

そうです、そうです。で、飛行機も来るっちゅうんだからな。

Q:飛行機も来るという話だったんですか。

ええ。飛行機3000機来援するって。海軍は逆上陸を敢行するって。これやったらもう勝つと思ったんだよ。ところが飛行機はこない。海軍も途中でやられちゃってる。「大和」やられちゃってる。だからあのとおりになってれば。そしてね、地上の戦闘っちゅうか、穴から出て、陸で、こういう平らなとこで戦闘できねえでしょう。航空、飛行機がないから。
みんなやられちゃうんだから。だから、やっぱり航空機なき戦争っていうのはみじめなものだ。手足もがれたと同じ。穴で入ってるしかないんだ。逃げることとかもできないな。だから、それが第一線に出ていくと、敵の艦砲もこないし、あんまり。それから飛行機も飛んでない。ということは、味方と近いから、間違って落ちたら困るからね。だから、第一線行ったら、かえって正面だけ気をつけてればいい。「あ、これまた撃ってくるな」とかってな。それだけ気をつけてればいい。それがちょっと後方へ下がったら、もう弾で弾でやられてんだ。輸送隊だかみんなやられてんだよ。だから、第一線に出て、かえってやったほうがうんといかったんだ。

Q:初めてその重機関銃を撃ったのはいつなんですか。

5月4日。

Q:5月4日までは一発も撃たなかった。

一発も撃たないですよ。撃たない、撃たない。5月4日の日で初めて撃ってみたんだな。そのときはもうとにかく6時になったら一斉に撃つんだから、大体もうこう構えておいて、そうしたら、もうこのときこのときとばかりおめえ、ダダダダダーッ。30発だから、90発くらいダーッと撃っちゃうの。それでピタッとやめるんだわ。

Q:5月4日はどういう命令が出てたんですか。

5月4日、5日かけて、そう、僕らは第2中隊配属を命ずる。2中隊に配属になる。4中隊あるでしょう、歩兵が。これに2丁ずつの重機が配属になるわけよ。で、これと一緒に行動するわけよ。ところがこの、それがだな、これはまあ、あれだな。普通ならば小隊長がいて、ちゃんとこれ2中隊について行くんだけども、小隊長がこの2中隊の中隊長と連絡をしに行って、それっきり帰ってこないの。そのうちに4時30分の時間になったから、総攻撃始まってるわけ。これはいかねえぞ(良くない)っていうんで、それから遅れて先任の班長が指揮をとって、30人の兵隊が重機担いで出て行ったわけよ。そしたら、はるか向こうでもうやってるから、手前のほうの山にはいないだろうっていうので、その山を上がっていったのよ、タタタタと。そしたら、僕らは2分隊だから、この1分隊が全部上がり終わったときにダダダダダーッてやって、「敵だー」って言って分隊長が下がってきた。上がってきた。それから重機を据えつけたけど、1個分隊はあそこで戦わずして全部死んじゃった。それから、僕らはその重機を持って、今度部落の中へ入ったんだ。だから、そのときもう向こうで戦ってるんだよ。戦ってるんだから、もうその手前に敵さんはいないだろうと思ったところがいたんだな。それが何も陣地、先に兵隊を出して、その展開してから行くんだ。普通は訓練ではそう行くんだけども、ただもう行った、いないと思って。したら1個、分隊長以下全部十何名全部死んだ。ダダダダダーッと敵さんにやられて。そのとき俺は山に登りかけてへっこけた。そしたら、この重機1個据えつけたけど、山のこれではとっても弾撃てねえから、「だめだ、下がるべー」って言って、重機分解して下がった。それがまたいかったんだけどね。

後ろから行ってそこで撃てなくて、部落へ下がってきて、そこでもう反撃されて撃つとこもねえ。撃つどこでねえんだ。そこで重機をね、捨てたんだ、僕ら。僕はもう前線でやられて、連隊、大隊長も戦死して、部隊は下がれっちゅう誰かの命令だっちゅうんだよ。将校が下がってくるから、将校下がってくるから兵隊も下がれると思って、だけどこんな重機を持って下がったらやられるから、命あれば機関銃はまだ何とかなるというんで、その排水の、排水があったの。このくらい幅で、溝このくらいで。そこさ捨てた。捨てれって。それで俺、捨てれって。命あれば何とかなるって。それで下がったんですよ。そしたら、その排水がね、こんな排水だけども、前線から傷ついて下がってくるやつも昼間の機銃でやられてるんだよ。そうしたら、その川みたいな海が血の海だよ。そして死体がうんと浮いてあった。

いよいよ明日、運玉森の大総攻撃が終わって、生き残った兵隊が全部下がってきたの。したら、うちの1大隊で何人もいなかったんだわ。機関銃の兵隊がちょっと多かったんだわ。15人くらいいるからね、機関銃。だから、1個分隊だから固まっていないからね。だから、その機関銃の兵隊がいて、下がって、それで陣地でまた兵器をもらって、第2線へ、第2線へ下がっていった。そして、いよいよ明日は我々は運玉森の線って、運玉森の線に出るっていうことで、陣地偵察に行った。それで陣地つくってきたわけよ、明日ここへ来るってことで。そしたら、俺がその指揮してた分隊長がやられ、けがした。それをおぶってきて、そしてここに帰ってきた。壕に帰ってきて、明日命令、受領、命令受領と食糧もらいに指揮班に行って、俺が代わりに行って帰ってるあの壕から出た瞬間に、ダダダダーッと2発の迫撃砲が来たわけ。それでやられちゃった。「誰だーっ」「笹森だーっ」「中入れーっ」て引っ張られて中へ入ったけど、自分で足をやられてるんだけど、傷の見る元気ねえんだな、初めて。ここをこうびちっとズボン切られて、ここぴしゃっと血止められてさ。それで壕に入って、そのうちみんなもう前線へ出ていったでしょう。それで全部死んじゃった。俺は残っちゃった。したら、3日ぐらいたって沖縄の防衛隊(沖縄県人の補助部隊)が来て、おぶって野戦病院へ行ったら、「これはだめだ、これはもう後方へ下がれ、後方の病院へ下がれ」って言って、トラックさ乗せられて後方の病院へ行ったんだ。これから後捕まるまではまだ放浪の旅よな。これ5月のね、20日ころだと思うんだ、20日前後。

それまではね、俺は弾当たんないと思ったの。もう相当な期間長かった、俺には弾当たらないんだと思って。ところが、この弾一発受けてから、弾の音っていうのがシュッ、シャーッてやられると、実に憶病になる。憶病だ。

Q:ケガすると、じゃあ少しやっぱり。

憶病になる。憶病だ。もう弾シュッたらシャーッ、憶病になる。これははっきりしてる。弾当たるまでは、俺には当たんないものだって俺は飛んで歩いたんだから。だけど当たってからはだめだ。もう実にだめだ。

やっぱりおっかないんだ、弾の痛さを分かったから。シュッ、シャーッと、もう敏感になる、体がかえって。足は悪いんだけど敏感になる。そういうのは敏感になるね。だから、そしてその傷でまあ生き残ったようなもんでねえか。俺がこれで傷いってなかったら、恐らくもう死んで。この傷だ。神様がこれ傷、傷を受けらしたんで俺は生き残ったわ。と、俺は今でも思ってる。

Q:野戦病院の中というのは、やっぱりそこも、戦場はもちろんすさまじいところですけども、野戦病院はどういう。

洞窟、全部天然の洞窟。そして、水のぽったらぽったら漏るくらいで、下にずうっと石があって、それで起伏あるわけでしょう。そこへただ寝てるだけですよ。それで、おらんときなんかに800人くらい入ってるんだよ、ズゥーッとね。そして治療はそのとき、運ばれたとき治療してくれる。与える薬ね。で、こうっちゅう。あとは1週間に1回ずつだから、それまでにウジたかった。そして、だから、もう気の弱いやつとか、あんなやつはほとんど死ぬんでねえですかもう。

足を切るのに、麻酔薬とかあんなのないから、手術するのに「あーあーあーあー、痛い、痛い、痛い、痛い」って、もうすごい、もう絶叫な叫び出して、叫ぶの聞こえてくるな。麻酔も何もないんだから、もう足をね、切断するのに。

そして、いよいよそれ6月のね、何日だ、あれ、病院が解散になったでしょう。「どの病院も、いよいよ沖縄は全滅するから、病院は解散して、生き残れる者は生きて中隊へ帰れ」と。動かない者は皆注射で殺した。だから、毛布かぶったまま白骨なったやつをみんなあれ、毛布のやつを殺した。そのときに俺は、ようやくその壕から1本のぼっこ(棒)を持って出れたんだよな。

現に「動ける者は動いて中隊に帰れ」と。「動けない者は自分で始末しなさい」。自決できなかったら注射で殺す。だからたくさん。だから壕へ行って毛布かぶったまま、ここたくさん死んでる遺骨があるんだわ。みんな打った。もう重症患者はそうだった。だから、這っても生きても、這って壕から出てね、「助けてくれ」って言うのがたくさんいたんだ。だけど、自分さえぼっこ持って出てるから、助けられないでしょう。元曹長だとか、もったいつけて勲章つけてるけども、こんなのおまえ、いやあ、そしたら「兵隊、おい。おい、おまえ、連れてってくれ」って足にすがりつくんだよ。だけども、自分も今こうやってね、歩かねえんだから、ざっとわかれって。で、その中隊だってどこだか分かんないけど探すのに。だから中隊、そういう、もうその道路はって歩いてる。生きてまだね、連れてってくれって。だけど、それが無情というかな、やはり自分だけのあれになるのかな。生きるの。そんな助けるか、助けていけねえんだもんな。

殺すんだ。これがやはり大和魂かな。それとも日本軍人としてのあれかな。殺すんだよな。死ぬ、殺しちゃうんだよ。注射で打って。そのほうが本人は楽だろうけども、置いとけば米軍で助けたはずなんだ。今は助けるって、助けたはずなんだ。だけど、そのころはそういうことを聞かねえもんな。米軍とにかく鬼だとか、いや、あれだとかって。ああ。ただ、そういう米軍が傷を治してちゃんとやるなんていうものは、だれも言わないし聞かねえもんな。捕まれば殺されるぞと。殺されるんなら、やっぱり日本人のな、あれで、日本軍人としてやっぱりやったほうがいいと。とにかく「捕虜になるっていうことはもう最大の恥だ」ということは、おらの現役の時点から言われたんだからな。

Q:八重瀬岳のほうでは、一回じゃあ部隊に戻ったわけですね。

戻ったんです。中隊に帰ったんです。

Q:そのときはもうかなり人数は減ってたんですか、機関銃の。

患者ばっかりがね、あれは墓の中に何名だろう、30人くらいいたかな。中隊のほうに、本隊のほうで元気なのが何ぼいたか、それは中隊長まで行かないから分からない。地下のほうにいたから。患者ばっかりその墓の中へ入っていったんだ。

Q:お墓の中に入ってたの。

墓を用意したやつね。こういう、こういう山あるんだわ、その中腹にある。この下のほうに本隊があったのね。

Q:じゃあ、笹森さんは墓場の中に入ってたんですか。

そう、墓に入ってた。この患者ばっかり入っとったから。

Q:沖縄独特のあの墓ですか。

墓ですよ。こっちにこう段でしょう、中な。そこへこうやって。だからにおいするんだよな。何回も入った。

Q:そしたら、もう本隊とは完全に離れてるんですか。

本隊って、中隊はそこで中隊だから、それはもう自分たちの中隊さ。そこにいたんだ。ただ、「ここでいよいよ明日は本隊も米軍と戦って全滅するから、患者をみすみす殺すわけにいかんから、おまえたちは1日早く、後方へ、早く後方へ下がれ」って暇もらったんだ、中隊から。乾パンもらって、そして足の悪い者と手の悪い者は別れて下がったのよ。それで、俺は足の悪いもんだから、3人の兵隊と一緒に下がった。手の悪いやつは手持って、タッタッタ行ったよ。

それで、俺はどうせ死ぬなら海岸さ行ってね、俺は一人で海岸、そこで死ぬんだら海岸さ行ったほうがいいって。海で死ねば、山で死ねばウジたかってなっちゃうから、海だらきれいになるからね、俺は海に行って、摩文仁は知ってるから、俺は自分でやるから摩文仁に下がったんだ、最後に。

Q:どれぐらいの人がいたんですか、そこに。

何ぼいたべな。学徒もいたしね、地方人もいたし。兵隊が、後からになってどんどんど島尻に下がってんだから、もう大したもんだったべ。おらが島尻へ下がって、ここで俺は死ぬんだと。

Q:その島尻にどんどん人が集まってきて、みんな全員隠れられるような場所はあるんですか。

かなり洞窟がたくさんあるんですよ。もう沖縄人らはよく知ってるけどね。おらはね、自分で見つけるんだから、沖縄は壕あるとこだな。よくある。

Q:じゃあ、笹森さんもその壕の中で隠れるような形で。

海岸に下がって。それこそそういう壕を自分で見つけるわけだ。

Q:何人で隠れてたんですか。

3人で。3人で隠れた。俺ともう一人の同じ中隊で、もう一人がほれ、中隊が違うんだ、どこの中隊だか。それと3人で。

Q:どういうつもりでそこに隠れてたんですか。

いや、これに米軍、まだ海岸にいるでしょう。もし日本の軍隊がまた再上陸して戦うんならば、それに協力して戦うってことで。だから、米軍だけには降伏しないというか、あれはしない。まだ、まだ日本軍が来るだろうと。日本が負けるなんて、その時点になってもね、日本が無条件降伏するなんてものは全然考えないんだ。まだ今、日本軍が上陸するだろうと。そのときにはまた協力して戦おうってのを、そのとおり皆思ってるんだ。生きた人はね、生きた人は。

Q:じゃあ、それまでこの壕で頑張るぞと。

そうそう、それで頑張る。

特に俺は足が悪くてとっても・・そっちの国頭さ行けば日本の潜水艦が来て、助けに来てるとかってくるんだもん。だけど、俺は足悪くてとっても行けねえから、俺はここで戦うんだって、そういうこと言った。

いや、沖縄人というのはやっぱり、だから沖縄人はそこに大分いてね、いろんなものをやっぱり捨ててってるんだよ、壕の中へさ。みそであり、砂糖であり、タピオカであったり、粉あるからね。だけど俺はそんなもんやって食うこと知らんけども、だけど何かかんか食べてるな、生きてるもん。

Q:アメリカは摩文仁の崖を、もうそこらじゅうに取り囲んでるんですか。

そうです。

Q:海からも狙ってくるんですか。

上陸舟艇でもって。だから、投降する者はその助かって、上陸舟艇に乗せられていく。俺は「来た来た来た」っていうんで隠れるけどね。だから地方人はね、「おまえたちは兵隊でねえから心配ねえからここにいなさい」って、米軍ちゃんと乗せていくから。兵隊はほらな、やっぱり。だけど、手を上げていけば何も、あのころは何ももうやらなったんだけども、やはり米軍と日本軍ってことはあるからな、やっぱり。上陸舟艇来るの。それで、「日本の皆さん隠れてませんか。はやいかた、出てきてください。安全なところへ連れていきますよ」って。殺さないんだよな。だけども、捕まったら殺されるっていう観念が、いつかどこか絶対頭から離れねえんだよな。それでやっぱり大事な命を落としたやつはたくさんいると思う。だから、もう少し考えるとな、そういう教育を受けたんだからまあしょうないんだけども。まあ生きようと思ったら、もう少しそういうこともあれば、助かった人はたくさんいると思うよ。

Q:その、もう摩文仁のがけは極限の状態だと思うんですけれども。水飲み場も少ないわけですよね。水も、そうしたらじゃあ1か所に、いろんな人たちがそこに汲(く)みに来るわけですか。

そうそう。もう夜になって夕方になって潮下げたら、あちこちから夜になったらバケツ持って出てくる。ガタガタガタッと出てくる。そして水くんでいくの。「兵隊さん、もうもう大丈夫ですよ」ってな。

沖縄っていうのはあの白いサンゴ礁だから、ところどころにこんなような岩がこうあるわけだ。ちょうどバケツこう持って、このそうだなあ、100メートルぐらい行ったとこのそのとこに、ここにちょうど石があるんだな。石があるんだけど、この石のあるとこへかかったときにダダダダーッて撃ってきたんですから。俺は何かあっこにまだ敵さんがいるなという胸騒ぎがしてるから、注意力もあったんだ。バケツ投げたまんま、その石の間、ターッと隠れた。そしたら、機関銃でもってこの石が当たってね、石ころがタタタタタタターッ。だけど、おまえ、頭上げらんねえな。そのときに一天にわかに陰曇った。雨がさあっと降ってきたんだ。雨降ってきても何しても、おまえもうやめられないんだ。そして物の20分もいたかな、「兵隊さん、もう大丈夫だよ。アメさんいませんよ」って。「ああ、おまえ聞いてたのか」って言ったら「はい、大丈夫だ」って。それから今度戻って、バケツ行って水くんできたんだけどな。これが俺がこの沖縄戦を通じ、まだこの戦争終わって、この隠れて、敗残兵の生活をしてるときにもいちばん危険なときだった。危険な災難だった。

「生きて残った者は米軍に投降しなさい」と、「右命令は朕の命令である」ってビラ張ってあるんだ。そのビラを見たけども、まだこれは米軍の宣伝だっていうことでね、本気にしなかったよ。これはたくさんあったんだ。

Q:じゃあ、戦争が終わったこともきちんとは分からなかったですか。

分かんない、分かんない。その時点では分かんない。8月の15日ですか、あのときまでは米軍の警戒というのは非常に厳しかったんだよ。海岸で行くともうやってくるんだ。ところが、この15日になってからビラまいた。「降伏した」って。それから敵の米軍の警戒がなくなったんだ。「あら、本当に戦争に負けたんだべか」と。そうしたらね、一遍に肩の荷がおりたよ。「ああ、これで生きて日本へ帰れる」って。な、「生きて帰れる」って。そのときからもうそのあの全然もうなくなったな。欲もこくもなくなって、もうそれで全部片づけて、食糧のあれも片づけ、それから食器なんか、みんな岬から投げて、きれいに体洗って、「明日米軍がトラック持って迎えに来るっちゅうから、みんな投降しよう」と。本当かうそか、本当か、本当かうそかも、これまだ分からなかったんだ。「本当だったら降伏しよう」って。「うそだったら、これ手りゅう弾一発持って自決しよう」と。

本当か嘘かは、もうこれ以上頑張っても、俺はもう食糧も手に入らなくなって死ねば死ぬんだから、「おし、俺は手りゅう弾一発持って、うそなら自決するし、おら米軍へ投降する」って、それで出ていったんだから。それこそ。それが本当だった。それからおまえ収容所へ行ったら、たくさんいるんだもんな。もうランニング1枚になって運動して、「おまえ、よく今まで頑張ったな」って、そっくりかえってるんだ。「てめえ、いつ捕まったんだよ」ってな。終戦前に捕まったのたくさんいるんだ、やっぱり。投降されてね。

米軍から言わせると、戦後に捕まったのは手間かけたから、これはだめだっちゅう。先に捕まった者こそ優遇されたんだ。これはアメリカ式ですよ。だから、捕虜の第1号は捕虜の連隊長ですよ。陸軍曹長(連隊長は大佐)でな、連隊長ですよ。あれな、あの石部隊でな、敵さんが揚がって2日目に捕まったんだ。で、あの後。後から捕まったのは、それ手間かけたからだめだって言うんだ。それがアメリカの考え方なんだな。日本とは違うけどね。だから、待遇は何もあれ変わらないですよ。だから、だから、ただ我々が終戦後に捕まって捕虜の同じ収容所にいたときに、あれはな、戦争行って捕まったんだってよってうわさは聞くし。だけども、そんなもん何も責めるわけじゃないけどな。だから・・・

Q:でも、やっぱり兵隊の間では、そういうアメリカの見方とは違う見方があるんですか。

兵隊ではね、やっぱり何ちゅうかな、あのやろうな、戦争前に、やってる最中に捕まったとかって、投降したとよとかって、それは流れるな。あるな。だけど大っぴらには言わんけどね。もうみんな同じなんだから、もう言わんけども。収容所に入ったらね、またこれ人間性が出てくるんだな。

Q:笹森さんは、それで釧路に戻ってこられるときはどんなお気持ちでしたか。

函館へ着いたときね、電報打つかって。いや、勝って、勝って帰るなら打つけども、負けて帰ったのに電報なんか打たないって。そうやって俺と阿寒のね、何だかって人いたんだわ、一緒に帰ってきたんだよ、夜ね。で、うち間違わねえで、うちへ帰ってきたよな。して、うち帰ってきて「おやじいたか」ったっけ、おやじ死んだったもんな。

まあ生きて帰ったとき、そしたらね、その辺から入った人、向かいから行った人がいっぱい、召集で行った人、皆戦死してるわけよ。それが俺が帰ってきてね、近所にあいさつしたりしたな。だけども、やはりあなた隠れてたんでねえかとか、あるいはどっかへ隠れたから生き残ってんであって・・そういううわさとか気味はあったんでねえか。俺はそれに何も言わなかった。だから、この話もね、こういう沖縄の話も、これまで詳しく誰にもしゃべってない。

これだけの長く話して、沖縄の今までだれにも話したことない。これで俺は思い切れないから、思い切り死んでいくけども、もうないからいいけども。初めてだ。敗戦の将はね、敗戦で、敗戦の将、兵を語らずってね、語らない。言ったって分からない。こういうわけで生き残ったとか、こうだって分からないんだから。全然その場にいないから捕虜になったんだべと。だから、安全なとこに隠れてるから生きてきたんだべと、こう言うんだ。それは本当かもしらねえと思うだろ。だけどそうでねえんだな、兵隊行った人はみんな。だから、何もそれは弁解はしない。弁解したら、そう思ったら思っててくれって。歴史が分かるだろうと。だから、こういうことを大っぴらの前で一部分だけはしゃべるけども、しゃべったことはあるけども、こういうふうにこれだけ長く隅から隅までしゃべったことない。

Q:笹森さんにとって沖縄というのはね、どういう場所ですか。

まあ第二のふるさとだべな。あっこで生きたっていうことはさ。そういう生死の境を、もうほとんどだめだと思ったときもあったのに、あっこで生きて帰ってきた。それがやっぱり多くの戦友は戦死してるし、俺は生きて帰ってきたんだから、やっぱり一生忘れられない島だな。俺のふるさとだと思うよ。第二のふるさとだと思う。だから、沖縄は永遠の島だと俺は思ってる。だから、あれだけの苦労あればどんな苦労でもしのげるんだけどな。

出来事の背景出来事の背景

【沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~】

出来事の背景 写真昭和20年3月に始まった沖縄戦、米軍の総兵力は54万。沖縄守備軍は10万人。
そのうち、米軍上陸時に沖縄本島南部の防衛に当たっていたのが陸軍第24師団で、北海道出身の将兵を中心に、一部現地召集された兵士で編成されていた。

24師団は、南下してくる米軍を撃退するため、沖縄守備軍の32軍司令部のある首里の北西に進出、米軍と激戦になった。とくに、隷下の89連隊は西原村の運玉森で激しい戦闘となり、弾薬が尽きると手りゅう弾と銃剣による白兵突撃で次々に兵士の命は失われた。

5月下旬になると、32軍司令部は南部への撤退を決定。しかし、後退する日本軍と避難する住民であふれていた南部へと通じる道に向け、米軍は容赦なく砲爆撃を繰り返し、首里から喜屋武半島に通じる道沿いには死体の山が築かれた。兵士たちは、武器や弾薬を運びながらの撤退で、助けを求める住民を見捨てるしかなかった。

南部へ撤退した将兵たちは、「ガマ」と呼ばれる天然の洞窟にこもって戦い続けた。そこでは、軍民一体となっている洞窟もあり、ときには足手まといとなるなどと、軍が住民を追い出すできごとも起こった。

6月なかば、「馬乗り攻撃」と呼ばれる米軍の洞くつへの掃討戦が始まった。壕に爆弾を投げ入れ、火炎放射を浴びせたのだ。

6月23日、米軍は本島南部を制圧。32軍の幹部たちも次々と自決し、沖縄守備軍は完全に崩壊、組織的な戦闘は終結した。わずかに残った兵士たちに与えられたのは、「最後の一兵に至るまで敵の出血を強要すべし」というもの。投降は厳しく戒められ、自決やさらなる掃討戦で、さらに犠牲者は増えていった。

本土防衛の名の下、沖縄戦で亡くなった日本の軍人・軍属は9万4千人。住民も推定で9万4千人が命を落としたとされる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1923年
北海道釧路市に生まれる
1940年
釧路男子高等小学校卒業
1944年
現役兵として旭川28連隊に入営
 
満州東安、歩兵89連隊に編入 沖縄に転進
1945年
沖縄戦に重機関銃の射手として参加
 
摩文仁で終戦を迎える 当時、上等兵
1946年
名古屋にて復員
 
復員後は、国鉄に勤務

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