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タイトルタイトル: “気持ちが人間でなくなる” 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~
名前名前: 北條 與四郎さん(北海道・歩兵第89連隊 戦地戦地: 日本(沖縄)  収録年月日収録年月日: 2010年11月23日

チャプター

[1]1 チャプター1 満州から沖縄へ  02:50
[2]2 チャプター2 沖縄  02:58
[3]3 チャプター3 米艦隊出現  03:47
[4]4 チャプター4 最前線へ  04:14
[5]5 チャプター5 斬り込み攻撃  10:08
[6]6 チャプター6 総攻撃  04:10
[7]7 チャプター7 壊滅した部隊  04:10
[8]8 チャプター8 病院壕  04:36
[9]9 チャプター9 巻き込まれた沖縄の住民  03:11
[10]10 チャプター10 追いつめられた将兵たち  05:07
[11]11 チャプター11 終戦  03:55
[12]12 チャプター12 帰国  03:19

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~
収録年月日収録年月日: 2010年11月23日

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わたしはね、もう軍隊行くなんて気なかったんですよね。それでも徴兵検査前はね、みんなが、おまえはもう丙種だと。もう体弱かったし、割とね。そして、徴兵検査でいつも1組取るのに3組取ったから、もう甲種合格になっちゃったんですよ。まあびっくりこいたようなもんだけどね。それでもね、何ていうかね、軍隊ってのはひいては死ぬとかどうとかっていうけどね、だからわたしの親が言ってますけどね、行くときあれだね・・もうちょうどうち農家でしたからね、実家帰ってね、してお祝いしたんですけどね、行くとき何と言ったとしたら、「父さん、母さん行ってくるよ」と、こう言って行ったと。そんなことをあとから帰ってきてからも言ってましたけどね。何ていうかね、死ぬとかね、兵隊ってつらいというのは聞いておるけどね、何かそんな気にはなんなかったんですよね。そして、旭川に入隊してみて初めてね、それはもう苦労しました。

だけど、わたしの場合はね、わたしのさっき言ったノモンハン帰りの兄貴がね、それがちょうど町から13人行ったんですよね、一緒に満期して。そしたら、兵長がわたしの兄貴1人なんですよ。

そんなんでね、人一倍抜けてきたからみんなびっくりこきましたけどね。それで大した歓迎をいたし、親も大した喜びましたけどね。
それを思ったらね、わたしもあれだもんね。まあ、帰りにとにかく人に負けんで帰ろうと。やっぱりやる気になりました、入ってからは。人がどんなつらい、逃げたとしてもね、とってもそんなことできんと。親兄弟に迷惑かけんで帰れんよしと。して、同じ町内会からわたしら3人行きましたよ。そんなんでね、まあ頑張れたしね。それから満州行きましてからね、さっき言ったように、うちら、わたしら3人だけですね、うちの班で。晩に時たま班長呼んでね、特別いろいろ教えてくれたり。そんなんでね、わたしの努力もあったけど、半分上げてもらったようなものです。

沖縄、8月の5日ですか、あそこ着きましたわね。したら、船が港へ全然入れないんですよ。もう港にね、帆柱だけ立って見えたりね。あるいは湾の入り口に、座礁した船が半分だけ陸に乗り上げておったりしてるからね、もうあれですね、港は使えないんですね。それで、遠くから行ったらすぐポンポン船でない、もとのはしけですか、あれが何艘も来てね、それに縄ばしごで降りてね。

当時はまだあれですね、艦砲もまだなかったときだから、きれいな島だったですね。もう花の・・・花が多いしね、どこ行っても何ていうか緑がものすごく多いんですよね。それで、ただね、わたしらも自分の生まれた土地と、本国とそう変わりないと思いましたけどね。まあ変わったのがね、向こうはサトウキビと、それからあれですね、芋しかないんですよね、畑は今と違って。それから、たまに野菜がね、この辺へ行けば何といいますかね、長芋は弱いらしいんですよ。それが、とろろ芋といいますか、よく今やっていますけどね、いぼのついたのあるんですね。あれでも、こうやって縛ってね。それがやっぱりね、野菜として少しずつ植えてあるんだよね、春からね。

Q:沖縄の住民の人とのかかわりとか、そういったものはありましたか。

それはね、わたしら行った当時ね、前におった部隊が、やっぱりかなりいろいろなことあったんですね。それで、兵隊はもう民家立入禁止ですから。兵隊も下士官も、こういう腕章なければね。こういう腕章は各中隊3枚ぐらい来てますからね。何か用事あるときはそれ持ってね、そして出るんですけどね。あるいは砂糖買いに行くと。だからね、ほとんど町から離れたとこにテント生活です。で、テントっていうのがね、もう8メーターぐらい広いからね、大きいのね。したから、1個小隊60人入るにいいんですよ。それで、そこへ草を敷いて、そしてその上に毛布敷いて、それが毎日もう寝床です。

もうどこからでも肉眼で見えるんですよ。そしたって艦載機がね、戦艦がね、飛行機降りたり飛んだり。それが目の前に見えますよ。肉眼でね。こっちも、こっちもね。あと細い船がね、すごくおるんですよ。それから上陸、水陸両用の舟艇に50人が乗るんですけどね、わたしら帰りに(復員時に)それに乗せてもらってね。陸から海の中入っていって、何もぬれないでね、帰ってきましたけどね。

Q:その艦艇も、アメリカ軍の沖縄を取り囲む船を見たときは、北條さんどんなことを感じましたか。

もういよいよ来たと、みんながね。もはやあと何日間だと、そんなこと言ってましたよ。

Q:どういう意味ですか。

ということは、もう一斉射撃されたら・・ちょうど海岸で警備しておりましたからね。あれが一斉射撃だったら、この辺が岩も何も砕けて何もなくなるなと。数が向こう多いですから。そんなんであれですよ、船がね、本当にかなりな数で海見えないぐらいね、かなりな何キロかな、幅でね。そして、夜は電気つけっ放しですから、本当にばかにしてるんですよね。そして今度、水陸両用あたりがね、結局3月の暮れですか上陸する前にね撃ちながらね、淡々と撃ちながら、機関銃撃ちながら、陸上がったり戻ったりね。そういうことをやってるからね、いよいよ来たと。それでもね、何ていうか、ほとんどの人間がね、何ていうかあれだね、そんな弾すぐ当たるとかさ、死ぬとかっていうこと余り考えないんだよね、やっぱりみんな。そういう教育も受けたからだけどね、気持ちが違うんだね。

Q:夜も電気つけっ放しだったんですか。

つけっ放し。海岸もきれいです。釧路の港みたいだったです。そして、夜、敵が上陸してないかあれだね、こういう山の、八重瀬の山におったけどね、この下にあれ具志頭とか富盛とかってあったけどね、この海岸ぶち行ったらね、ジャズの音聞こえますよ。ジャズ。かけっ放し。そして電気つけっ放し。ばかにしてるんですよ、本当に。それで飛行機がね、物すごく飛び立ってね。そしてあれですね、そのうち艦砲がボンボン始まったわね。したら飛行機もやられる。

Q:ジャズの音はどこから聞こえてきたんですか。

やっぱり船からですね。

Q:はー。そんなに近くにいたんですか。

うん、本当近くにいるんです。水陸両用、上陸用の舟艇が、淡々と撃ったり、陸上がったり下がったり、100メーターぐらい行ったり来たりやってるんで。すぐそばですよ。

Q:音が聞こえるぐらい?

音、本当聞こえるぐらい。もう本当に、こっちは飛行機も何もないから、向こうは悠々たるもんだもんね。そんなんでね、そんなんで艦砲今度始まったら、あれですね、海岸縁の民家1軒なんかも、全部こう、まていにね、民家あたりも残ったのが、今度飛行機でやるし。隠れ場所、何もなくね、海岸ぶちは、ずーっともうあれですね、焼け野原ですよ。

うちの中隊長は立派でね。あれですね、ここへ敵が来たらもう全滅だと。だけどね、1日も本国へ向かうのを延ばして・・そういう命令だと。だから、どっちみちみんな逝くんだけど少しでも長生きして、少しでも、這ってもずっても、とにかく少しでも敵を懲らしめて、そしてあれだね、本国へ上陸するのを1日遅らそうと。教育が、わたしらもね、もう本当に軍人になってますから、やっぱり頭はきちっとしてますよね。そういうことを聞きましたね。

4月の17日ですね、晩にあれだね・・そのころ艦砲たまにボンボン落ちてるんですよね。海岸ぶちでなくても東風平戻っても。して、東風平は、そのころもうあれですよね、連隊で何人か死んでるんですよ。ボンボン落ちてるんで、絡歩いて死んだりしてるんですよね。そんなんで、17日いよいよ一線集合になって、外で分隊ごとに、弾落ちるけど集まったわね。そして、ちょっとそこで休憩して。何時まで集まれだから、出発だから、それまでの時間外で草っ原でみんな座ってね。そしたら、あれだもんね、これから一線行くからと。そういうこと、そういう話聞いたら、やっぱり初年兵あたりがね、結局何といいますかね、沖縄の兵隊あたりなおさらだったけど、余り教育少ないから。それから、ホンカイ行った人も3か月しか教育受けていない。召集兵は半月だわね。40ぐらいまでの人、召集兵がね。そしたらやっぱり何ていうかね、分隊長のとこへ、もうすがりつくみたいに寄るんだね、あれ。頼りにするっていうかね。後方行ってもそんなだったですね。それで、まあ暗いし、「名前ひとつ言ってみれ」ってなもんで、自分の分隊に名前言わせたりしてね。あれだ、もう余計なこと考えるなと、死ぬときはみんな一緒だからと、そういうことを言ってね。そして、もう一線出たんだけどね。

Q:北條さんは、分隊長として一線に出られたわけですね。

一線に出るときは、分隊長でまた出ました。

Q:部下何名を持ってらっしゃったんですか。

部下12名。

Q:12名。戦場に、第一線に向かって歩いていくときっていうのは、みんなどんな雰囲気でしたか。

みんな無言でしたね。だから、そのとき思い出したね。元へ戻るけど、入隊するときね、新得から釧路、帯広、こっちから行く人、釧路から行くのみんなおるわね。そしたら、狩勝の峠まで汽車の中ガヤガヤガヤガヤ言うんだけど、あの峠行ったら、あれ越えたら旭川まで物言う人いなかったですよ、シーンとして。それと同じで一線行ったときも、行軍してる間も、だれも物言わなかったです。だから、もうシーンとして。ただ黙々と前の人にはぐれんようについていくだけだったですね。

わたしら一線行ったときはね、何ていいますかね、石部隊(62師団)が、前の部隊がほとんどもう戦死しちゃって、幾らもいなかったんですね。それで何ていうかな、余り戦闘というのを余りやってなかったようだね、一線陣地見たら。したから、敵も攻めてこんかったですね、割とあれ。そして、そこへ今度我々行ったでしょ。して、我々行っても敵も攻めてこんかったし、そしてたまに夜襲に来るのね。夜も夜襲に来られるから、それ気をつけんとね。

そうですね、5月4日まではね、結局あれですね、お互い撃つ戦争っていうのはほとんどないから、夜襲に来なければこっちも攻めないから。だから、結局前に言ったあの斬り込みですか、あれを各中隊から毎日2組かそこら出ておったんですよ。あと早く言えば守備ですわね。そんな調子で5月4日まではやっておったけど、その間にやっぱりこっち守備しておってね、大分戦死者も出ています。して、うちの中隊あたりもね、前に言ったように壕をつぶされてね、指揮班がやられたようなもんでね。かなり戦死者が出ておりましたよ。

爆雷を持ってね、爆雷かあれですね、ほとんど爆雷ですけどね、敵の戦車へ飛び込んで。穴掘って穴に入っておって、戦車が来たら体まま飛び込むとか、あるいは転がしてやるとか、いろいろ方法あるんですけどね、確実なのは飛び込んだら確実だわね。したら、そういうとこに、うちの中隊長っていうのは、割と飛び込めってまで命令余り言わなかったですよ。とにかく転がせというようなもんでね。だから、完全にやるには飛び込まんきゃならんですよ。よそは、もうかなりそういうのあったらしいんですよね。
だから、斬り込みっていうのはそれと、それから敵が幕舎張ってね、して向こうは寝るとこと、それから弾薬庫と、それから食糧庫と3つテントを建てるんですね。もう8メーターぐらいの大きいテントね。日本のもそうなんだけど。それをね、夜、爆雷持ってって飛ばしに行くんですよね。して、あと戦車ですね。戦車は大抵横におりますからね。その前には歩哨立って、ピアノ線引いて。だから、それひっかかったらね、ピアノ線なんかひっかかったら、10メーターおきぐらいね、ヒューヒューって10メーターか15メーター、花火上がるんですよ。そしたら歩哨がね、その前に立ってるんだけど、一目散に後退するんですね。そしたら、物の何分たたないうち、その近辺もうバチバチ来るんですね、迫撃砲がね。そんなことなんだけど、それをくぐってね、結局ひっかからんで、くぐってくぐって。歩哨の間もかなりありますからね。200メーターぐらい、300メーター離れて立ってますから。だから、ピアノ線ひっかからんでそこへ、どっちかもぐっていくにいいんですよ。そっからあれだね、何百メートル奥だからね、そこまで這ってね。だけど、飛行機は飛んでますから、照明弾落とされるからね。とにかく少しでも、草でも窪地とかでも、それを探して行かなきゃならんし。それからよく網かぶってね、その辺の草なら草を挿して、そしてかぶっていくわけですよね。

Q:だれが命じるんですか、斬り込むことを。

それは中隊長です。上から、結局、軍から師団司令部へ行く。師団から今度連隊に、まあ何組ぐらい出せと。各中隊から1組ずつ出すとか、いろいろ命令来るわけですよね。

つらいことですね。そしてまたね、わたしみたいに2回も3回もそうやってくると。2回まで出したのはかなりおるけど。あとはうちの中隊長が一人息子なんで、長男とか一人息子を、全然、分隊長は出さなかったと。それははっきりしてるわね。だけどわたしみたいな四男坊は、余計出されても仕方ないんだけどね。

3回目のときはね、もう何であれだ、北條1人だけ行かんきゃならんだ、3回目はと。中隊長何も言わなかったですよ。わたしはね、とにかく行くのは嫌だったわけでないと。斬り込みで死んだって敵の顔ろくに見れないんだと。おれ戦って死にたいんだと。鉄砲でも1発でも撃ちたいんだと。だけども命令だったら行くと。中隊長何も言わんから、もう。そうやって3回目は出たけどね。

Q:1回目の斬り込みは、どういう武器を持って、どういう命令を受けたんですか。

1回目はね、戦車攻撃ですね。あの道路を戦車が来たら戦車をやれと。そのやり方については分隊長に任すと。たとえば、うまく転がしてうまくいくようだったら転がせと。それでなかったら飛び込めと。戦車来なかったら、明日のあれだね、未明まで帰ってこいと。そういう命令だったですね。だから、1回目は戦車来なかったから、そのまま帰ってきたね。

Q:北條さんは、部下を連れていってたんですよね。

そのとき部下3名連れていきました。大抵2名か3名です。

敵の幕舎をやれと。幕舎か戦車をやれと、そういうことだったね。できれば幕舎やれと。その前に、戦車が横っちょにおるから。幕舎やれば、うまく幌(テント)に当てたら何十人と飛んじゃうわね。だけど戦車だったら、2人ぐらいしか乗ってないから。戦車壊して2人しか死なんから。2回目はそうだったね。だけど、2回目はなかなかそこまで入れないんですよね。そうやってピアノ線くぐって、歩哨の間くぐって、それから戦車を撃って、それからだからね。して、その幕舎の縁に、日本でもそうですけど不寝番、寝ずの番っていってね、交代交代くるくる回ってるから。

だから、2回目の斬り込みはそうやってね、何とかあれですよね、あれ食糧庫だったと思うんだよね。こっちは寝てるとこだと思ったけど、そうでなかったようだわね。その後、兵隊がワイワイ、ハチの巣つついたみたいになったからね。して、後方にいれということ。そこまで行くまでにね、ある程度みんなけがしてますよ、かすり傷。弾ボンガボンガ撃ってるから。それで何とかね、2回目はやって、そして・・

Q:2回目は、じゃあ本当に敵陣の中まで入って・・

うん、本当に入りました。そして、やったらね、もう動けないんですよ。敵の後方、横っちょ後方だわね。敵が横と前もすごく、ハチの巣みたく撃つからね。撃った弾同士でぶつかってるから。こうやってね。それを見たら、もう動けないんですよ。そうして明け方になったら、敵が後ろもおるんだから。敵の中だから、これどうもならんと。そして少し収ままったら、今度本当にもう這って匍匐(ほふく)でもって、とにかく大回りしてね。そして何とか来たけど、朝方も撃たれましたよ。そして、まあほとんど1人かな、けがもしないで来たのが。ほとんどやっぱり、かすり弾やなんかで来ましたけどね。

Q:3回目の斬り込みは、どういう命令を受けたんですか。

3回目はね、そんときは大分敵が近寄ってきて、かなりおったんだね。だから、敵があれ、1個大隊は前へ向かっているだろうと。それであれだね、2組出るんだけど、2組一緒に行けということで、あれだね、古参軍曹とわたしとが分隊長2人行って、あと2組だね、大体。そして、分かれて、うまくいったらやってこいと。片方は本部ね、片方はさっき僕言った、そこの戦車でも、それから兵舎でもね。できれば兵舎やってこいと。だけども、敵がかなり近寄ってきてるからね、もう警戒が強いんだよね。

行ったらよその部隊のね、いや、うちの連隊ですよ、やっぱり。連隊のあれ何中隊かな、ちょっとわからんけどね、それが曹長でしたよ。したらね、やっぱりわたしらと同じ命令もらってきてるんですよ。したけど、おれ行ったらもう全滅だと。もうだめだから、「どういう命令もらってきた?」って言うから、いや、こういう命令って。「難しいかもしらんけど、もう分隊長に任すと。考えてやってくれ」と、そういう命令来たと。したら、「やらんで帰ってもいいんだな」と、こういうことを言いましたよ。したら、「これあれだ、戦車から持ってきたから。前の人、戦車やったやつの中にあったから、これ持って戦車やったよって帰れ」と。そして部下を殺すなと。その曹長がね。そうして、みんなと一緒に戦ってあれだと、敵の顔を見てね、一人でも殺してから死ねと。だけど、それ嫌だったら、これやったって言って、これ持って帰れと。そしたらね、わたしの軍曹ももう何も言えないわね。わたしみたいな兵長はまたね、同じ分隊長でも、従うほかないんだよね。したら、兵隊は、みんなシーンとしてね、何ももの言わんから。

いや、あのね、命令来たのが、本当あれですよ、晩暗くなってからですよ。わたしらも敵と向かってバンバンやってなかったけどね。あれですよ。それから、敵と向かってやってるところもあるんだよね。そしてそういう命令でしょ。そしたら、一線に行くとき背負ってったその弾薬だけ余分にしてあるの。それを分けるだけ。あと今度乾パンなんかあれですよ、当たらん人あって、わたしは乾パン持たんで行ったよ。後方からは全然、物を持ってきても途中で飛ばされて全然来ないから。だから、わたしら背負って立つしかないから、そんな調子ですよ。そして、弾薬と食糧が少しあるのを分けてもらって、そしてすぐ一線に出たからね。準備なんてもんでないですよ。だから恐らくね、晩御飯食べない人間おったと思う。わたし、晩御飯食べないで出たよ。敵と向かっておってね、わたしの軍隊が。そして命令で行っちゃったでしょ。したら、飯も何ももうないんだわね、呼びに来たときは。だから、飯も食わんで出たですよ。
だから何ていうかね、計画も何もないんだわね。だから、背負っていった弾薬しかないから、一線へ行っても、今度だんだん進んでいけば弾がなくなったらしいんだよ。だから、結局けがでもして動けん人間の弾をとってやるほかないわね。そんなような状態だったんですよ。だからあのむちゃな、ああいう命令っていうのは、本当に偉い人はさ、連隊長になったって、4キロか5、6キロ後方におるんだからね。して、それから師団司令部、あれ摩文仁のあの下なんだね。我々、この入り口からみんな見てきたけどね。今金網でふさいでるけど。そっから命令来る。したら、連隊長の命令だから、やっぱり各大隊へ出す。大隊長は今度中隊長へ出す。して、我々に命令来るまでには、本当にかなり時間かかるわね。そして、結局準備しても、背負っていっただけのしかものがないんだから。あともう何も分けようないですよ。だから早く言えば、ろくたま武器を持たんでね、もう死ぬために出されたようなものですよね。だけど、上の偉い人はそんなこと全然わからんと思うんだわ。あるいは輜重隊が、食糧でも弾薬でも後方から持ってきてるんだけど、もう全部途中で飛ばされちゃって届かないからね。そういうことも全然掌握してないんでないかと思うんだよね。

Q:どんな命令を受けて総攻撃に行ったんですか。

総攻撃はね、結局、中隊長の命令はあれだわね。そのときは中隊長だって、少尉が中隊長代理でね。結局何小隊がどこ付近、どこ付近、そこを攻めれと。あともう、結局もとから教育受けてるから、小隊長は小隊長の、一線出ちゃったら、頭でもって分隊長に指示すると。だけどこの戦争は分隊長に指示するも何もないだろうと。どんどん弾来るから、全然そんなもの、口で言ったってそんな聞こえないし。小隊長が進むからあとの分隊も進むと、それだけですよ。弾ぼんぼん来て、片っ端から飛んでるからね。だからあれですね、何というか、火の中飛び込んだようなものですよ。ああいうむちゃを何でやらせたか。本当わたしから見たら、それが情けないんだよね。だから少し小刻みにね、敵が攻めるまでやってれば、まだまだ保ったし、あんなに一遍に無残に死ななくてもいかったと思うんだよね。

僕はね、今考えたらわたしの分隊いかったんだけど、特別行動隊っていってね、みんなから離れて最後回って敵の中へ入れと。敵の右翼に回れと、そういう命令だったんですよ。だけども時間ないから、みんなと一緒になるから、できるだけそれに沿って分隊長の判断でやれ。こういうことで、わたしらうちの大隊と隣の1大隊の間をくぐって出たんだけどね、大体。だけんども弾落ちてくるから先へ進めないんですよ。だから、大隊と一緒になって、そしてあれだね、コイシカワの台上に上がった途端に、わたしがこれ足やられちゃってね。そして間もなく左腕までやられた。にっちもさっちもいかなくなりましたよ。それであれだ、どうもならんから、あとは怪我はしてたけどね、戦闘に支障あるほどではなかったから、あれだと、2年兵の責任者に「おまえ分隊長代理やれ」と。そして、おまえの頭で好きなようにやれよと、そういう命令なんだから。右側のこれはうちの中隊だからと。ぞろぞろそこに見えるからね、進んでるから。だからとにかく合流せいと、そうやって出したんですよ。して、わたし一人置き去りですね、動けんから。
だから、わたし生きれたのも、早くけがしたんで、これ生きたんですよね。そんなもんで、敵の奥ん中へ行っちゃったらね、最後はね、4日の。僕4日にもやられましたからね。5日の晩ですから、退去命令が来たのは。だから相当奥まで行ってるんですよ。で、最後奥まで行ったのがね、結局うちらのとこは戦車が出てきて、最後にはね、かき回しちゃったと。生きてようが死んでようが、沢にみんなブルドーザーで落される、窪地にみんなやられたと。そんな調子でね。だからもっと前へ行って動けんくなると、わたしたちもその組になるんだけど。それで5日の日、退去命令出たと。それで、その間でも弾ぼんぼん落ちてるから、いつまともに当たるかわからんですよね、窪地に入れられたけどね。して、後ろのほう見たら飛行機とあれだね、こう援軍が来れないようにたたきつけてるから。

Q:素人同然の部下をさらに前線に送り出す隊長のお気持ちっていうのは、どういうふうなものだったんですか。

いやー、だけどね、地方人考えるようなもんでないからね。みんなが死ぬために、とにかくもう死ぬと思って行ったから、とにかくみんなと一緒、そばにふっついて死んだほうがいいんだっていう気持ちあるんだよね。離れて死ぬより。だから、やっぱりあれだ、とにかく置いてけと。敵が来たらおれあれだ、自決の手りゅう弾でもぶつからと、そうやって出したんだけどね。だけど5日の日、退去命令出て、やっぱりだれも生きてこなかったです。
だから5日の日ね、4日の日が175、6名なんですよ、うちの中隊はね。二百何名おっても、その間に大分死んどったから。そして病人がね、やっぱり体はどうにもならんのがね、やっぱり十数名残したからね。だから175名ぐらい行ってね、して2日間の戦闘で、5日の日退去命令出て6日の朝まで帰ってきたのが13名かね、わたし入れてだよ。わたし担いでくれて、明け方ね。

壕の中、わたしだったら病院ってのは、まあ言わんかったけどね、患者収容所なんですよね。どこでもちょっと大きな穴掘ったとこはね、全部兵隊入れましたからね。それで、あれですね、雨がちょぼちょぼたまに落ちるわね。したらそこに草を敷いて、そして毛布1枚で敷いてね、そこへみんな野営したと同じで寝てるんだけどね。あれですね、毎日隣の人が亡くなったりなんかするんだよね。そして何ていうかね、壕の中臭いですよ。そして真っ暗な中おってね。たまに重油ですかね、周り、角あたりにやってるから鼻真っ黒ですよね。かなり遠いとこにおっても、充満しちゃって。そして、自分でこうやって触って。体、触ったら全部シラミですよね、毛布が。つるつるしてますよ。もうそんなんでね。して、あとまあ、1日1遍、朝、やっぱり衛生兵がね、衛生兵が、わたしのとこ見習い士官1人と衛生兵1人おりましたね。そしたら2人でやるからね、わたしのとこはね、やっぱり20人ぐらい入ってたのが昼くらいかかるんだよね。だけどまあ、割と早いんだよね。治療しても、ウジを払って、汚いけどウジはわいてますから。ウジを払ってボロ布巻くとか、その繰り返しですから。あ、化膿止めちょっとやってね、その繰り返しなんですよ。あとは何も、治療は何もないからね。して、食事も1日1遍当たるか当たらんかね。一線だったら飲まず食わずだけど。そして、壕の入り口には、亡くなった人みんなやっぱり穴掘って一括して埋めてるからね。そんな状態ですね。どの壕入っても同じだと思うよ。

わたし担がれたときは、70人ぐらいは自決させたっていうけどね、足の悪い人間は全部もうしば敷いて、爆雷下へ引いておいてね、そして導火線でも飛ばしたらしいからね。その後わたし帰ったからね、死ねって言えなかったんですよね。だからその後帰ってきた人間もね、沖縄で毛布の担架で、さっき言ったような防衛召集の人間が担ぐんだよね。それでわたしもよく担がれたから。あれやっぱり担がれんで敵が来て、あそこでまた自決させられたのが、かなりおるらしんですよ。

そのあとね、あれですね、そしてそこ行ったらね、沖縄人がそうやって運んでるんだけど、どっから、わたしらも、うちの連隊でないんだよね、よその大隊の曹長なんだよね。「これ運んでけ、これ運んでけ」 僕は運んでけって言わなかった。したらやっぱりね、今度壕の中に入れられたわね。して、ずーっとやっぱりやったわね。もうあれだ、本当のそのときはあれだね、はだしだね、まるっきり。して、ズボンも何も切っちゃって、根っこからね。して、ボロ布巻いてね、こっちにもね。そんなんして、そこへ寝かされた。そしたらあれだもんね、そばにおった人がさ、「いやー、あんたよく今までも生きれた」と。「あんたみたい足悪い人、みんなここでこうなったよ」と、はっきり言ったよ。

Q:こうなったっていうのは?

いや、その殺されたと。自決させられたと。大隊長以下もう自決したと。それ大分、顔見たらね、大分古い兵隊だなと。これ召集兵でもあれだね、ノモンハン帰りの召集兵。まあ余り、たまにしかいなかったけど、まあ5年兵かそこらね。初年兵やなんかでないんだよね。それではっきり言ってましたよ。

もう殺すですよ。言葉だけ自決だけど。まるっきり殺しちゃうんだよね。そうやってしば敷いて、その上15人ぐらいまとまって。戦車やるやつだから、そんなもの20人でも30人でもしばと一緒に吹っ飛ぶわね。げんこつのような、これどうにもならんって、手りゅう弾っていうのは。あれで、こうやって5、6人おって、あれをバッと。これは、きゅーっといったら40秒ぐらいもつから。それでこうやったらね、あれだよ、全員死ぬにいいよ。はらわたみんな飛んじゃうから。だからあの自決っていうのはいいけど、自決でなくても殺されてるんですよ。

その途中であれですね、もとの中隊の人間7人方と一緒になって、そしてまた壕を移動してる間に、あれだね、赤ん坊の泣き声聞こえましたよ。それで、そこちょっと行ってくれと、少しちょっと入ってみたら母親が血だらけになってもう死んで。それをあれだね、子どもが、赤ん坊がね、お乳を手探りでやってるんだよね。もうやせて骨と皮。だから、地方人と一緒に兵隊はみんな帰って、後退してる、わたしらの前に。だけどあれが、やっぱり一番遅く、やっとあそこまでたどり着いたと思うんだよね。だから子ども生きてるんだからね、まだね、あれだね、母親もそう溶けてなかったからね、幾らもたってないと思うんだよね。だけどね、どうしようもないんだよね。だけどわたしあたり見ていると、地方人さえこういう悲惨だなと。本当に戦争っていうのは、口に言えないあれなもんだと。だからこれがね、召集兵が、子どもが何かおって40歳まで来ていますから、41歳まで。そういう人だったら、やっぱりどう思うだろうと、うちのこと思い出すんでないかと。それまではね、そんな余裕ないんですけど、それ見たら思い出すんでないかと思いましたね。だからほんとうにね、もう哀れなもんで。捕虜になったら、そうやってやられるっていうような宣伝だから。

Q:赤ん坊はどんな様子だったんですか。

もうやせて骨と皮でね、それからやっぱり親がね、子どもがやっぱり動くから着物をちゃんと、ちゃんと着て縛ってあったね、きれいに。子どもだって、顔だってあれだよ、男の子か女の子かわからんようなもんですよ。そうやって、そこまで来る間に砲弾が落ちる、伏せる、泥が飛ぶ、弾当たらんでも、上がるからね。それでもって、こういうふうに当たってるから。あとは着物も大分破けておりました。だから恐らく、子どももどこかにけがしてるかもしれない。母親はあれだね、腹やられとったから、あれはどうしようもないんだよね。

Q:赤ちゃん泣いてたんですか。

泣いとった。かすかに、もうね、死にかけ前だね、弱い声で。

Q:どんな声だったんですか。

もうどんな声っていうかね、本当のもう、本当に死ぬときの断末魔の声だね、あれは。弾落ちないときはちょっと静かになるから、そのとき聞こえたんだよね、ちょうど。だから本当にね、もう哀れっていうか何ていうか。その当時はだけどね、みんなが死ぬもんだと思ったから、頭が違うから、それはもうあれだね、感じないんだけどね。

して、足の丈夫な人間は北のほうへ行けってことで、2大隊あたりが先に出ちゃったんですよ。それも帰らなかったけどね。こう下がってから、あれだね、今度山越えして与座のその麓におったらね、壕から来る人間ね、軍司令部だか師団司令部とかさ、いろいろね、おれは山何部隊とかって壕で一緒になるわけですよ。そしたら、足ある人間はね、もう敵は2キロしかいないから、130キロ歩って、北の1個大隊と合併せいと。合流せいと、そういう命令だと。して、足の悪い人間は、水飲める壕につっ込んでいけと。1か月間、水飲んで生きるにいいからと。どっちか選べと。最後の一兵になるまでとにかく敵と戦えと、こういう命令なんだね。

Q:その命令は北條さん直接受けたんですか。

いや、直接も何も全然受けようない。山越えしてきて、僕ら動けんようになって、その壕に寄って、そしてそっからまた出ていくから、そのとき聞いた話なんだ。

Q:その命令を聞いたときは、北條さんはどう思いましたか。北に行けっていう。

そのときはね、だからわたし言ったように、恐らく途中までしか行けんだろうと。そういうことをはっきり言いましたよ。もう言って、あれだったらここ一晩泊まっていけと。したらもう、もう毎晩物すごい撃たれるっていうんだよね。だれかがくぐって行ってるから。だからね、海岸ぶちへ行くかこの山行くか。海岸ぶちへ行っても船がもう、電気つけっ放しでほとんど睨(にらむ)んでるんだから。だからこれをくぐっていかんきゃならんと。だけど2キロぐらいくぐったら、そんなにも激しくないだろうとは言ってあったけどね。

国頭行った兵隊やら、それからあとから聞いた話だけど、もう地方人もものまでとって食ったと。それは南へ下がった人間もね、後方で。そして、いい壕に入った地方人をみんなぼったくって兵隊が入ったから、入ったんだと、それは聞いてるわね。だから、地方人がみんな飲まず食わずでほうり出されちゃったから。地方人が本当の野ざらしですよ。

最後は自分ですよ、だれも頼りにならんから。だから、そんな気持ちだからね、もう人間でなくね、人のもの、人死んでもいいと、自分だけ生きると、そういう気持ちになると思うんだね、最後はやっぱり。だから、やっぱり数のうちだからね、やっぱり大したけがしてない人も、けがしても、そう歩けんとか、腕全然動かんとかっていうのはない人もおるからね。やっぱり普通並みに何とかできるような人も、やっぱりおったからね。だからやっぱりもうあれだね、人間でなくなるね、その後、恐らく。

Q:人間でなくなる?

恐らく気持ちが人間でないですよ、もう。だからそういうことできるんだよね。地方人のものが、食べ物とってさ、壕にいいとこ入ったら、ほうり出して自分が入ると。兵隊がね。もうそうなってんだね。だから、最後はやっぱりもう人間でないですよ。もう常識も何も。だから最後はね、もう助けるなんていうこと全然なかったです。ただわたし助かったのは、前に言ったように、そうやって北に行くあれで、軍司令部の人間だわね。閉めて、途中で、2日目にも3人やられたから、4人帰ってきたんだよね。そして帰ってきて、あれ与座のどっかにおるぞって、僕を探したわけさね。やっこさんらは、どこに壕あるか何かわからんしね。おれたち逃げ回るにしても、やつら全然、戦争を知らないようなもんだよね、早く言えば。だからわたしを頼って探したりして、3日目に僕も移動して、3回ぐらい・・・、あ、2回移動したんだ、その間に。して、またあと2人も足悪いの来ておって、引きずっても連れてこいって言って連れて回ってるからね。そしてそこへ合流したわ。したら、その人が最後、今度ね、あれさ何か食糧でも何でもたまにあさって見つけてきてくれて。そして、壕、よっこするときは、もう肩かしてくれてね。もう隊長、隊長って、僕がそうやって思われたんですよ。そして2か月半ぐらいかな、終戦まで。

いや、あのね、その前にもうビラがそーっと・・終戦前からね。手向かわんかったらあれだ、初めから手向かわんかったら撃たないからと、そういうビラを撒いてたからね。運玉森後退する近くなってからね。だからね、して終戦になった。今度終戦になったと。

無条件降伏したから、みんな捕虜になってるんだから、言うこと聞いて、おまえらも刃向かわんで出てきたらいいんでないかと。出てこい、出てこいということで、米軍が毎日来たんですよ。探し歩いてね。そして出ていったら、あれやっぱりたばこくれたりなんかしてね、大事に扱ったんですよね。化膿止めやってね。して、僕のときは、そうやってあれだね、最後に、前に言ったようにあれだわね、我々は助けようと思って何ぼ叫んでも、みんなだめだと。だから、今日はもう護送されるから音聞こえるだろうと。聞こえるんだよ、ボンボン隣も壊してるんですよ、戦車で。戦車入れたからね、あそこは。そしたら、とにかく出てきて心沈めて太陽さん浴びなさいと。

天皇陛下以下みんなもう捕虜になったんだから、堂々と大手を振って、アメリカ人言うように、やつら日本の本国手挙げても、おまえら手挙げんかったんだと。おまえら大英雄だと、米軍がそうやって叫んで歩いたからね。
だからあれだと、とにかく中で、今出なかったもう埋められちゃうから。このあと埋められることよりね、とにかく出てきて、太陽さん拝んで心しずめなさいと。そして、もう今10人ぐらい、この前出てきてるから、もう顔見せなさいと。嘘でもないけど、本当に日本は負けたんだと。信じられんかったら、偽名使って入れと。そう言われましたよ。
だからね、させんをしなくてもよかかった。どうせ埋められるんだからとにかく出ようと。して、司令部の人間はね、とにかく出ようと。そしてたなかれて出たんですよ。そして、出て、あれですね、何十メートルか行ったら、こう柵いってあったとこにね、水と、それからたばこやなんか、たばこくれて、水飲ませて。粉でもって化膿止め塗ってウジ払って、そうしてやってくれましたよ。そしてちょっとたったらね、あの大きなトレーラーで乗せて、そして与那原近くまで行ったらね、そしたら、テント張って、あそこでかなり、そうだね、1000人はおったろうね。そこで官姓名聞かれてさ。だけど本当のとこ信用できないんだよね。わたしも嘘でないけど、偽名で使って入りました。

Q:何ていう偽名ですか。

陸軍一等兵北篠義郎って言ったよ。したらね、篠っていう字は、条のにんべんに、上にくさかんむりかぶせただけなんだわね。親が悟るんでないかと思って。もしかこっちに、こういう人間、沖縄へ来てるとなったらね。して、ヨシロウは、與四は義と書いてね。まあ、親が悟るんでないかと。ということはね、ノモンハン帰りで捕虜になった人間も、何ぼか来てるんですよ。うちの中隊1人おったからね、7年兵だっていって、召集になって。したら、その人あたりもそうやって偽名使って入ったと。

Q:何で一等兵にしたんですか。

いや、指揮官は、もう下士官以上は半年余計に残されたと、満州で。ソ連にね、ノモンハン事件は。だからそれで一等兵にしたわけさ。

わたしは帰ったの早かったんですよ。だから浦賀上がるとき、小学生に囲まれて、「こいつら負けたから日本の国負けた」って石投げられたんだから。そうやって帰ってきたんだからね、わたしら。で、あとから帰ってきた人はさ、ある程度もう迎えられて帰ったけどね、わたしら帰ったとき、そんな調子なんだよ、余り早かったからね。

Q:本当に石を投げられたんですか。

石投げられました。そうしたら厚生省の人間はね、ポンポン船で上げられたんだからね、あそこへ。もう港、やっぱりあれ東京の湾だと入れんかったと思うんだよ。アメリカの艦船で帰ってさ、船着くか着かんうちポンポン船がかなり来ました。あれに乗ってね、ロープでこうつるして降ろされてね。そして、ほとんど患者だから。そして浜辺に昔の、言えばムシロだな、今みたいなゴザないから。それに、あっちこっちのとこに座らされて。そして、かなり上がったら、今度何か市長さんか、それは何かだれかわからんわ、挨拶しようと思って来たところが、子どもらぐるーっと取り巻いちゃってね。そうして、「こいつら負けたから日本の国負けた」って石投げられたでしょ。そうしたら、子どもどなりつけて散らばして、そうしてその辺にある、走ってるトラックでも何でも全部・・もう命令だわな、やっぱりあのころは。そして寄せて、全部乗せて。元の浦賀の海軍学校だったと聞いたけどね、そこへ全部輸送したんですよ。

Q:北條さん、子どもにそういう言葉を投げかけられたときは、どんなお気持ちでしたか。

もうね、どんな気持ちもないね。我々でさえ、これだけすさんでるんだから、いやー、日本軍の人間もね、例えば海から見たらね、木や草、かなりまだ青々してるんだよね。いや、やられたっても大したことないや、これって。そう思って、いざ今度上陸してみたら、やっぱりすごいとこあったわね。見晴らす限りもう焼け野原さね。そういうとこもあったしさ。だけどね、もう日本人の子どもをこんだけひるんでるんだと。そうして今度ね、少しトラックに乗って歩ってたら、今度、みんなが感じたと思うけど、結局食わんがため、日本人の当時の娘だ、早く言えば。それが大きな米軍にね、米軍ぞろぞろそこら歩ってたから、それさぶら下がってるんだわ。食糧もらうに。びっくりしたね、腹立ったね。こっちはこれだけやってるのにね、こんなもうね。そんなんで病院に収容された。そしたら、動けんからそこで2日間おって帰ってきたんだけどね。

米軍言うに、大手振って帰れと。そうこっちは思うけど、だけど地方人がそれほど、みんな社会が理解してるかと思ったら、汽車に乗ってみたらそうでないんだわ。全然理解してない。そんな連合軍の捕虜になってるなんてことは、一口もやつら思ってないんだわ。それで、我々帰ってきたら、こいつら負けたからだってな、言わんばかりだってね。汽車に乗ったって、本当に飛ばされたよ。デッキで震えて帰ってきました。

出来事の背景出来事の背景

【沖縄 終わりなき持久戦の結末 ~陸軍第24師団~】

出来事の背景 写真昭和20年3月に始まった沖縄戦、米軍の総兵力は54万。沖縄守備軍は10万人。
そのうち、米軍上陸時に沖縄本島南部の防衛に当たっていたのが陸軍第24師団で、北海道出身の将兵を中心に、一部現地召集された兵士で編成されていた。

24師団は、南下してくる米軍を撃退するため、沖縄守備軍の32軍司令部のある首里の北西に進出、米軍と激戦になった。とくに、隷下の89連隊は西原村の運玉森で激しい戦闘となり、弾薬が尽きると手りゅう弾と銃剣による白兵突撃で次々に兵士の命は失われた。

5月下旬になると、32軍司令部は南部への撤退を決定。しかし、後退する日本軍と避難する住民であふれていた南部へと通じる道に向け、米軍は容赦なく砲爆撃を繰り返し、首里から喜屋武半島に通じる道沿いには死体の山が築かれた。兵士たちは、武器や弾薬を運びながらの撤退で、助けを求める住民を見捨てるしかなかった。

南部へ撤退した将兵たちは、「ガマ」と呼ばれる天然の洞窟にこもって戦い続けた。そこでは、軍民一体となっている洞窟もあり、ときには足手まといとなるなどと、軍が住民を追い出すできごとも起こった。

6月なかば、「馬乗り攻撃」と呼ばれる米軍の洞くつへの掃討戦が始まった。壕に爆弾を投げ入れ、火炎放射を浴びせたのだ。

6月23日、米軍は本島南部を制圧。32軍の幹部たちも次々と自決し、沖縄守備軍は完全に崩壊、組織的な戦闘は終結した。わずかに残った兵士たちに与えられたのは、「最後の一兵に至るまで敵の出血を強要すべし」というもの。投降は厳しく戒められ、自決やさらなる掃討戦で、さらに犠牲者は増えていった。

本土防衛の名の下、沖縄戦で亡くなった日本の軍人・軍属は9万4千人。住民も推定で9万4千人が命を落としたとされる。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1922年
北海道新得町に生まれる
1937年
新得高等小学校卒業
1943年
現役兵として旭川歩兵28連隊に入営
 
満州東安、歩兵89連隊に編入
1944年
沖縄に転進、陣地構築・沖縄初年兵教育にあたる
1945年
与座岳付近で終戦を迎える 当時、兵長
1946年
浦賀にて復員
 
復員後は、国鉄に勤務

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