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タイトルタイトル: 「山中での自活」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
名前名前: 五味 健彦さん(宇都宮・歩兵第239連隊 戦地戦地: ニューギニア(アイタペ、ウエワク)  収録年月日収録年月日: 2009年3月16日

チャプター

[1]1 チャプター1 中国・山西省からニューギニアへ  05:34
[2]2 チャプター2 セピック川上流の集落で  05:02
[3]3 チャプター3 守備と自活の山中生活  04:20
[4]4 チャプター4 もう少しで日本は負けるから  10:40
[5]5 チャプター5 ラバウルに拘留された  02:15

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年3月16日

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場所は秘密で出発するのも秘密になっていますがね、そこを出て、もう出た途端に。具体的には潜水艦が来ていてね。敵の方の。それで爆薬を積んで、我が船の方に向かって撃って来るんだよね。ドンドンドンドン。だからもう、あのころ、「日本海まで来ていたっていう事が、とにかく、情報が入っていた」っていう事ですよね。まぁそこをよけて、途中に2か所ばかり、日本軍の占領した場所があって。そこへ2,3回泊まってね。そうしてまぁ、船の状況を見て。船は、当時、オリンピックを日本でやるっていう、その準備のために作った大きな船でね。それで1万(人)ぐらい乗ったかねぇ。無理しても。それで、2、3日かけて、ようやくニューギニアに到着した。そこで、すぐ浅くてね。船で岸に行かないと着かないっていうもんで、まぁそんな事で、ようやく岸に着いた。そのときは、ほとんどニューギニアの人たちは全部いなくてね。それで、我々と日本の軍隊も我々だけでね。そこに上陸して。それで準備をして。
すぐにね、2,3日たってから、「お前たちは一個中隊山を越えて行け」という事で山を越えて。セピック川っていう川があるんですが。そこの上流の方へ行って準備をした。いうような状況だったです。それから準備をして、まぁそのころは、近くのところには、アメリカ軍だかオーストラリアの軍隊だかが来ていたようですがね。具体的には、まだ我々のところにはこなかったんですね。そんな事で行ったんですが。そこで少したってから、中隊長が指揮して、「上の方に、軍隊の一部が来ちゃいないか」と。というのは、川を缶詰のような空き缶が流れて来るんですね。だから「これは(連合軍が)上に多分いる」という事で、「じゃぁ、行ってみよう」という事でね。それで、10隻ばかりのカヌーっていうか、木で作った船で土人と一緒に乗ってね。そこまで行って。そうしたら案の定いてね。いたのも、結局、あれは中尉かなんか、上官だったね。そこで、こっちから連れて行った土人と一緒になって、そこを射撃してね。そうして、そこで一人きりなんでね。それをとっつかまえて、いろいろ調べて、その捕まった将校だったがね。戦死してね。そんな事で第一はそんな事。第二は、やっぱり、「同じように、上流かなんかにいりゃしないか」っていう事で、またその上に上ってね。それで、そこでまたやっぱりいてね。そこでやっぱり戦闘をして、それを殺して、そうして帰って来たんですけれどね。まぁそんな事が2回ありましたね。

その後、今度は、少し大きな情報が入ったものですから、「そこへ行こう」という事で、一個中隊連れてね、土人の船に乗って、その場所へ着いたんですが、そのときは、こっちも銃を構えて、戦うつもりで行ったんですがね。そこでも、やはり、わずかの土人だけで。部落が多くてね。それで人口は100人足らずかなぁ。それで、色々交渉をして。「ここで、あれをしよう」っていう事でね。そこは、前に敵が入っていて、もう「そこの土人を使って、いろいろ我が方の宣伝というか、情報を探っていた」っていう事でね。そこで、まぁ苦労して「みんな男を集めろ」と。女はみんな逃げちゃっていないんでね。「男を集めろ」って言って、100人はいたかな。100人以上男が集まってね、それで俺たちが「集めなければ、お前たちをやっつけちゃう」って、だまかして、それで、集めて、いろいろ後の状況を調査したんですがね。それで、「ここの男の土人を、全部やっつけてしまえ」と。そうすると100人以上いたんですよね。そこで、みんな座らせて。ちょうど爆弾の穴があってね。そこへ全部座らせて。それで色々調べて、その後「こんなところに、生かしておくわけにはいかない」っていう事で、ちょうど99人かな。そこで全部銃で突き刺して殺したんです。ちょうど99人だったかね。それで1人逃げて。逃げたけれども、それは機関銃で撃って。やはり途中で倒れてね。そんな事がニューギニアの最初の戦いっていうか。戦いだったわけだね。そんなような事がありました。

Q:「生かしておくわけにはいかない」ような、日本軍の情報をあれしていたんですか。
                    
話してあったからね。そうして、敵の有利になるように取り計らっていたようですね。

Q:具体的には、どういう日本軍の情報をあれしていたんですか。

結局、「日本から何かここに連絡があったろう」と。「お前たちは、それでだいぶ近寄っているらしい」と。敵の方にね。

だから、「それを話さない」と、「我々は許さない」というわけで、そこで彼らに承知させてね。それで、「これは、ここで、やっつけた方がいいんじゃないか」と一部の将校が、「いや、ここで全部やっつけるなんて可哀想だ」っていうような事でね。そんな話も出たけれども、「いや、やっちゃえ、やっちゃえ」っていうわけでね。

主に軍医かな。軍医やなんかが反対したんです。「これは殺すのはいけないから、よせよせ」って言ったんです。結局、中隊長は「やっちゃえ、やっちゃえ」っていう事で、全部やっつけたわけですよね。

Q:セピックの上流に行かれて、先ほどのチンブンケでのあれがあって、その後はどういうふうにされたんですか。

結局「お前たちは山の方を警戒しろ」と。「海岸の方はいいから、お前たちは山専門で、山の方を敵が来るから情報をよく探って、そうして、そこを警戒しろ」というような事を命じられたわけだね。

Q:一個中隊だけですか?

一個中隊だけです。

Q:戦闘も多かったんですか。

いや、山の方は別に。なかったね。ただ警戒して海岸の作戦を警戒してやっていただけですよね。

Q:そこに、どれぐらいいらっしゃったんですか。

そこで?そこはもう最後(終戦)まで。

Q:食べ物なんかはどうされていたんですか。

結局、自分で土人の作ったやつを、かっぱらうっていう事ですよね。主に芋とかね。それから、サゴヤシっていう椰子(ヤシ)から取るデンプンがあるんですがね。それなんかは取ったけれど、サゴヤシから取るヒマがなかったですよね。余裕がなかったです。だから主に、土人の作っている芋をかっぱらって、それを食べていたっていう事ですよね。茹(ゆ)でて。それも、昼間入れるわけにはいかないんで。敵の飛行機は絶えず上を回っているからね。それで煙でも出すとすぐに「ババーッ」とやって来るからね。だから、夜洗って、そこで調理して、飯ごうで炊いて、それを食べていたっていう事ですよね。だから食べ物だって本当に、あっちの方に行った連中はなかったですよね。だから、もう食べ物がなくて、コロコロ死んでいたってなんて事が大多数あったでしょう。

Q:畑があるだけねぇ。まだ良い方だったかもしれないですね。

そうそう。あれ、畑でもあればね。すぐにでかい芋でね。ちょうど里芋の大きくしたような芋でね。おいしかったですよ。だけどそれだけ食べたんじゃ、とにかく腹が減ってしょうがないっていう事でね。

Q:そういう食糧以外の塩とか弾薬とか、そういう物の補給はなかったんですか。

それはなかったですよね。特に弾薬がなかったですね。それと、あっちの方に大勢で行った人たちは、10人に鉄砲を持っている者は、5,6人だったでしょう。後はもう途中で死んだ人、2つ鉄砲を持ったってしょうがないからね。それは、そこで捨ててきて、やったっていう事ですよね。だから、あっちの西の方に行った連中は苦労したよね。ほとんど戦わずして、向こうの敵の思うままに、やられたっていう事でしょう。だから戦死した人たちは道にゴロゴロしているっていうの。戦死している人、あるいは、腹が減ってそこで倒れている人ね。そういう連中は、そこらでゴロゴロしているっていう人たちが、一杯だったね。

日本の2,3人は早く捕まって。そうして、そこで勧誘したからね。だから、きれいな声で大きな拡声器を持って、我々に向かって、「やい、何をグズグズしているんだ、もう、こっちに降参してこい」というような事で、毎日すごい放送をしていたですよ。「食べ物はいくらでもあるし。こっちはあるんだから、肉やなんかも沢山あるので、遠慮しないでこっちに降参して来い」というような宣伝を盛んにしていたですよね。

Q:そういう宣伝っていうのは、いつぐらいから始まったのですか。

あれはわずかだねぇ。わずかの期間だね。

Q:終戦に近い。

ええ。あんまり早くからは、日本の兵隊が捕まって宣伝した事が、なかったんですよね。だから、相当、遅くなってから捕まって放送させられたんでしょう。

Q:それを最初に聴いたときは、どういうふうに思いました。

「何をばバカバカやっているんだ」っていうね。だけど、わたしの連れて行った兵隊の中には「いやいや、そんな事をしていたら日本に帰れない」と。「殺されてもいいから降参しろ」って言うような兵隊もいたね。


Q:「このまま、いても、日本に帰れない」っていうのは、どうして、そう思ったんですかね。

「日本に帰っても、相手にされないんじゃないか」と。「敵に捕まったような兵隊は、もう兵隊じゃないだろう」というような事でやっぱり困ったですよね。そういう者も相当いたですよ。だけど、俺の方は「いやいや、そんな事言わないで、もう少し頑張れ」と。「日本は降参してなんていうのはおかしいわ。降参して終戦になる」という事で、だまして連れて行ったわけですよね。

Q:「だまして」っていうのは。

いや、「そっちに降参して敵の方に行け」と、行きたい者があると、「そういう者は、それじゃいけない」っていう事で、こっちが無理して説得して、「いやー、もう少し待て」と。説得させて待っていたんです。

いや、「もう少したてば、日本もいよいよ、戦争は、国全体が負けるから、それまで我慢しろ」と。それだけど、連中は「もう、そっちに行け行け」っていう事でね。「こんな事をして、内地にも、日本にも帰れない」と。「だから、こんな事をしていたら、やられるが先だから。どんどんどんどんやられないように頑張ってやろう」という事で、まぁ注意してやらしておったんですがね。

Q:みなさん、下の人たちは、みなさんの意見がまとまっていたんですかねぇ。

うーん。まとまっていたようですね。みんな苦労しているからね。食べ物もないし。やっぱり食べ物もろくに持っていないし。だからもう、こんな事をしていたら、我々はいつ日本に帰れるか、殺されるか、分からないという事で、みんな苦労して思うようにいかないので、相当悩んでいたようですよね。

本当に追い詰められて、特に、我々はまだ山にいる、中にいたから、下のこっちのすごい戦いの所は、全然、(情報が)具体的に入って来ないからね。様子が分からなかったけれども。

連絡が取れない、我々も、中隊の本部まで、連絡がうまく届かないよね、全然。

Q:連絡が取れないと、どういうふうな気持ちになってくるんですか。

やっぱり怖ろしいっていうか、不安っていうかね。一体どうなるだろうと。我々はどうなるだろうという事で、不安でいっぱいだったようですよね。

Q:それは部下の人たちが。五味さんご自身はそういう連絡が取れないという事に対しては不安がなかったんですか。

いや、不安はあったんですよ。だけど、この人たちの言う事が、本当だったらどうしようと。また日本に行ったって、殺されるかも分からないという事で、何か不安がいっぱいだったんですよね。

Q:その当時はね、軍隊の考え方っていうのは、捕虜とかね。そういう事をすごく禁じますよね。

そうです。まぁ捕虜っていうか、向こうの方に引き取られて行けば、また、向こうの敵の国に連れられていって、殺されるかなんかっていうような事が、不安だったんですよね。まぁ、うまい事を言うけれど。どうなる分からから。

Q:「うまい事」っていうのは。

宣伝でね。宣伝で言ってくるからね。「こんな事していたって、どうなるか分からない」と。「我々の国に行け」と。「そうしたら、いろいろ歓待するから」って言って。言うもんですから、不安だったんですよね。

俺はもう賛成してしまえば、そのまま敵の方に行っちゃうからね。だから「まぁ待て待て、もう少したてば、日本も負けるかもわからん」というような事だったと思うけれどね。「負ける」なんて言ったらいけないけれど。

Q:「日本は負ける」っていう事は思っていたんですか。

そのときには、何か思ったね。「いつまでも、こんなところで、こんな戦闘をやっていたんじゃ、日本は将来は分からない」という事で、「何か新しい情報があるかなぁ」というような事は頭の中で思っておりましたね。

Q:最終的に部下の気持ちを受け入れようというかね。そういうふうに決めたときはどうして心境が変わったんですか?

あれだけ宣伝してきて、色々こっちに来た人たちが苦労してやってくれるけれど、全然勝目がないでしょう。だから、「もう、これは一応だめだなぁ」と思いましたね。もう勝目がなくて、みんな負けっきりだもんね。そうして、道を行けば、みんなゴロゴロ死んでいるっていうような状況でね。「こんなところで勝目はない」というような事は思ったね。

Q:部下の意見に五味さんが従ったっていう。そのときは、どうしてそうやって決めたんですか。

結局、部下の方が大勢だったからね、話が。「もう、こんな事をしていたんじゃ日本に帰れっこない」と。「帰ったって、ろくな事はないだろう」という事で、そんなような事を思ったんだろうね。

Q:じゃぁ、本当に終戦って分かったのは、どの時点ですか?

結局、あれはどっから情報が入ったのか。ああいう事が分かったね。あんなのは分かりっこないと思っていたけれど。意識はね。それでも、向こうの宣伝にも言ったがね。「いよいよ日本は負けた」って。「だから、お前たちはこんなところでグズグズしておらんで、出てこい」という事は言ったしね。それからは、全然向こうからは敵が弾を撃ってこないし。向こうからも静かだったよね。だから状況が分かったわけです。

Q:その後は、どういうふうに武装解除というか、されたんですか?

「こっちに集まれ」というふうに、向こうの方が。山の上に集めてね。こうして、あんなところに飛行場があったんですよね。敵の。その飛行機でウエワクまで乗せてきてくれたね。ああいう所は大したもんだね。敵のさんざんあれした連中を、わざわざ飛行機に乗せて。ウエワクまで帰してくれたからね。ああいう所は大したものだと思う。だからそのとき、ウエワクで生きている人たちが全部集まって、幾人ぐらいかなぁ。200人ぐらいはいたかね、よくこれだけの人が生き残っていたと思うぐらいだったね。

でも、我々は、ちょっと、いろいろ事件があったから、後に残されてね。いろいろ軍事裁判とかそういう関係の人たちも残されて。そうして、そこで取り調べを受けて。帰ったのは、ちょうど終戦後1年ぐらいたってからだよね。

Q:その間は不安はなかったですか?

それは不安はあったよね。俺はこういう事をしているから、あるいは、おかしくなりはしないかと。我々も50幾人殺した。あれがバレれば、裁判にかかると思っていたんですよね。だけど、俺らのところのあれは、バレなくてね。良かったですよ。

Q:その同じ中隊からは、何人かやっぱり。残されたんですか。

残ったのは我々の中隊だけだったね。

Q:五味さんの中隊から、将校の中隊長とか、そういう何人かが残ったんですか。

そうですね。だけど、そこに集まった人たちは、相当いろいろの部隊があったから。いろいろなやっぱり、取り調べというかね。そういうのも受けた人たちもいたね。特に少将か。少将あたりの偉い人もいたね。

Q:向こうに抑留されているときには、日本に帰れると思っていましたか。

思ったね。もう最初から、終戦になってから、用事のないっていうか、別に問題がない兵隊は、みんな迎えに来た船に乗って帰ったからね。だから、「ああいうふうに帰してくれるだろう」というようなあれは持っていたね。

出来事の背景出来事の背景

【東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~】

出来事の背景 写真南太平洋に横たわるニューギニア。日本軍はガダルカナルでの敗北が決定的になる中、連合軍の侵攻に備えるため、第18軍を編成し兵力を投入し続けた。

栃木県と長野県出身の若者を中心に編成された歩兵第239連隊がニューギニアに上陸したのは昭和18年(1943年)2月。与えられた任務は、生い茂る密林を切り開き、道路や飛行場を建設することだった。

その後、連合軍は東部ニューギニアで反攻を開始。日本軍の拠点を次々と攻略し、昭和19年4月には日本軍の背後、ニューギニア中部のホーランディアとアイタペに上陸した。239連隊を含む第18軍は、完全に孤立してしまった。

この事態に現地の第18軍司令官・安達二十三(あだちはたぞう)は、アイタペに総攻撃をかけることを決断。将兵は弾薬や食糧の補給がないまま、アイタペを目指し数百キロにも及ぶ行軍を開始した。行く手には幾筋もの河と広大な湿地帯が広がり、多くの者が飢えや熱帯特有の風土病に倒れていった。

7月10、日本軍は3万5000の兵力でアイタペ攻撃を開始したが、連合軍の圧倒的な火力の前に8000を超える戦死者を出し作戦は中止。食料も弾薬も尽きた将兵は「山南地区」と呼ばれた密林の奥地へと逃れ、病人や負傷者は部隊から次々に落伍していった。

極限状態の中で追い詰められる将兵たち。死を覚悟で敵陣に突入する斬り込みが繰り返される一方、昭和20年に入ると大隊の40数名が組織的に集団投降する事件も起こった。

東部ニューギニアに投入されたおよそ15万の日本兵のうち、12万8千人が亡くなり、今も6万を超える人々の遺骨が、収集されることなくニューギニアの地に眠っている。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
長野県に生まれる
1938年
現役兵として松本第50連隊に入隊
1939年
盛岡予備仕官学校入学
卒業後、第239連隊第4中隊小隊長を命ぜられ、北支山西省へ
1943年
ニューギニア・ウエワク上陸
1944年
アイタペ作戦当時、中尉
1945年
第6中隊長として終戦 当時、陸軍大尉
1947年
福岡・博多にて復員 復員後は、教諭に

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