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タイトルタイトル: 「集団投降」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
名前名前: 元兵士(匿名)(宇都宮・歩兵第239連隊 戦地戦地: ニューギニア(アイタペ、ウエワク)  収録年月日収録年月日: 2009年2月11日

チャプター

[1]1 チャプター1 生き残りを集めた第2大隊  03:59
[2]2 チャプター2 集団投降  03:47
[3]3 チャプター3 終戦後、捕虜収容所で尋問を受けた  02:50
[4]4 チャプター4 封印したいニューギニアの記憶  02:54

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年2月11日

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ハンサに1年近くいて、それから今度は、マダンちゅうとこ行ったんだね。で、マダン行ってから、今度は玉砕命令が下って、部隊集結することになったんだね。まあ、私らの中隊は、7中隊・・・つう人が、中隊長している頃で、アイタペ作戦終わったときの、生き残りをみんな集めて、一部隊をつくって行動したんだから。

あんとき、竹永さんって人が、どこの部隊か知んねえけど来て、階級が上なんで人をひとまとめにして、兵隊をまとめて、ほんで、行動して歩いた。

アイタペ作戦終わってから、生き残りがそこらへんで、ごろごろしてるのを、竹永さんつう人がほら集めて、ほんで、一団隊を作ったんだよね。それまで、竹中さんって人は、何部隊だか知らないが。

Q:どんな上官だったんですか。

いや、どんな上官だなんて、竹永さんつう人は、兵隊と顔合わして話したりしなかったから。

話したのはコバヤシっつう、大尉でね、その人が、みんな兵隊と連絡したんだわ。竹永さんは、あまり兵隊の前に顔は出さないであれだった。

Q:連絡してる将校は、誰ですか。

コバヤシつうのかね、それは、竹永さんのその下の小隊長だったね。で、その人らも、歩兵部隊だか、何部隊だか分かんない、みんな生き残りが集まったんだから。

まあ結局、これは「誰が誘導する」っていうのも、「兵隊がどこそこ行く」っていうのもないから、竹永さんの言うように、動くしかなかっただね。で、生き残ってる中には、そんな悪意をもった兵隊はいなかったからね。ああいうところで、部下をいじめた人は、皆、「上官生かしておくと、兵隊の苦労だ」とか、だんだん話が盛り上がってきたんだからね。だからね、「上官を殺して食べちまえ」って。佐藤さんの本にもあったけど、人種が違えばどんどん食い尽くしちゃって。実際、そのとおりなんだよね。最初は食べ物がなくて困ってるところが、上官が来て「人種が違えばどんどん食べろ」って。「生きるがために、朕の命令だ」って言われたんだから。

敵が進んできたから、その後方へ回っちゃったんだな、竹永さんの指示で。後方に回って、土人の部落に強盗に入った。毎晩、暗くなると土人の部落行って、土人がアメリカ軍の塩だの鏡だの、いろいろ仕事の代わりにもらってたんだけどね、それを盗んでいたんだね。そんなことしてたんだ。

私らが、避難してた土人の小屋が一つあった。そこで見てたんだよね、一晩。その家の前に手紙が、枝先に挟んであったんだね。で、小林って中尉の人が持ってきてくれたけど、手紙が枝にさしてあって。
それは、結局、誰が見つけたんだっけな。小林の連れが、外に出たとき見つけたんだっけな。読んだら、「戦争が終わったんだから、武装解除して出て行こう」っていうことが書いてあったらしいんだね。その手紙を、皆に報告したらば、飛行機が飛んできて「ただただ・・・戦争は終わったんだ、ただただ・・・」と、言い始まったんだよ。みんなで「どうする」って「殺される」と思って、武装解除して降伏してんか。「降伏する」って手紙を書いて、そこへ置いたらしいんだ。取って、持っていたらしいの。そして、あの手紙を持ってたならば、今度は、返事が来たわけだ。「何時ごろまでに、そこ銃を下ろせ、銃をおいて武装解除して待ってろ」って。銃を、みんな、外に並べていたわけだ。向こうは、何百人って大勢出てきて、こっちは、10人くらいしかいないのに。

「武装解除して降伏しろ」って言われて、降伏したわけなんだね。本当は、武装解除しても、向こうの世話になるのは、日本軍の恥なわけだ。だから、部隊の人数が多いから、それをしなかったのはアメリカ軍だ。私らのは小人数だから。

日本は、あれだから、「捕虜は恥だ」っていう。国の恥になる。「戦死は名誉の戦死だ」っていう。アメリカはこうじゃないからね。戦死は、戦死じゃない、「名誉じゃない」つう。「捕虜が名誉だ」。捕虜になるまで戦って、名誉だと。

Q:捕虜は恥という考え方は、軍隊で徹底的に教えられるわけですよね。

そうそう。上官から、その辺で入隊したときに言われっから。だから、「捕虜になる前に、手りゅう弾を自爆させて自殺しろ。」ってことを言ったんだ。

毎日のように二世が来て、「お前らどこ方面にいた?」って聞かれてた。私らは、みんな偽名を使っていたから、名前も偽名。「俺らの部隊は、歩兵部隊、戦闘部隊ではないから、衛生兵だから、戦争には行かないから分からない」って嘘(うそ)をついたねみんなね。衛生兵というのは、戦争をしないから、みんな撃たないで、傷の手当だとか、ちょっとした病気とか衛生兵が見てたからね。で、そういう部隊だから、「戦争は前線に出てないから分からない」。嘘をついたわけだ。

Q:衛生兵にすると言ったのは、誰か上官が言ったんですか。

いや上官が言ったんではない。兵隊仲間で、いろんな気がついたんだ。「衛生兵だ」って。毎日尋問されるから。「衛生兵だ」って。

Q:本当の部隊の名前は言わなかったんですか。

言わなかったですよ、「歩兵部隊ですよ」って。「衛生兵だから分からない」って。「衛生兵だからって、結局、アイタペ作戦に参加しなかったから、生き残ったんだ」って。そうねって。みんなトンチがよかったんだね。生き残っとる。

Q:どうして偽名を使ったんですか。

いやー、どうして使ったんだべな。本名を言わないことにしたんだ。そのせいで、結局、終戦が20年だから、20年に日本軍に引き渡されたんだ。アメリカ軍の救護を受けていたから。たぶん。そしたら、20年になってから、今度は、日本軍がウエワクってところに日本軍の集団部隊があったんだね。そこで、アメリカ兵が上陸するんで、島が潰されるんで、ほっとけば自然の捕虜収容所のようなところ、そこに日本軍がいっぱいいたんだな。自活してんだわね。そんでおかかなど作って食べてんだわ。そこへ、私ら引き渡されたんだ。

Q:今回「お顔を撮影するのは、ちょっと、控えてほしい」と言っていましたが、どういう気持なのでしょうか。

なに、私が顔撮られ、映されるのが悪いってことか?いや、やっぱり、何となく戦争に負けて、あれ、恥を。戦友、亡くなった戦友に申し訳ない気がするんだよね。みんな、白骨死体でゴロゴロ死んでたのが、私だけ、内地へ帰ってきているっていうのは、こんなこと幸いなことだから、きっと。そういう戦友に対して、申し訳ない気がするだよね。ほんだから、ニューギニアのことは思い出したくないんだ。なんで、あんなところに行ったんだか。

春先になって「慰霊祭だから出席してくれ」って手紙が来たんですよね。私は1回も行ったことない、その慰霊祭には。

後で、慰霊祭も何も無くなっちゃったんだよね。靖国神社参拝だめだなんて、そんなの言われちまったから、慰霊祭やんなくなっちゃたんだわね。慰霊祭に行っても、帰って生き残ってるのは、俺たちぐらいだから、行かなかったすよ。

Q:どうして行かなかったのですか。

何だか気乗りしなかったんだね、何となく。身が引けてたのかな。

「なるったけ、思い出さんよう、忘れよう」としてた。ほんとに、日本人は捕虜っていうことが、いちばん、やっぱり嫌だったんだね。ほら、兵隊に入隊してから「お前らは捕虜になったけど、その家族は国賊だからなぁ」って言われてたから、

Q:そういう気持ちは、60年たっても変わらないものですかね。

うん、まずね。捕虜っていうのが、当然みんな死ぬ気だね、そもそも。日本でも「捕虜っていうことはいちばん、国家の恥だから」なんて言われて。「戦死は名誉の戦死だ」って。だから「捕虜になる前に、自分で自殺しろ」って言われたんだ。

出来事の背景出来事の背景

【東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~】

出来事の背景 写真南太平洋に横たわるニューギニア。日本軍はガダルカナルでの敗北が決定的になる中、連合軍の侵攻に備えるため、第18軍を編成し兵力を投入し続けた。

栃木県と長野県出身の若者を中心に編成された歩兵第239連隊がニューギニアに上陸したのは昭和18年(1943年)2月。与えられた任務は、生い茂る密林を切り開き、道路や飛行場を建設することだった。

その後、連合軍は東部ニューギニアで反攻を開始。日本軍の拠点を次々と攻略し、昭和19年4月には日本軍の背後、ニューギニア中部のホーランディアとアイタペに上陸した。239連隊を含む第18軍は、完全に孤立してしまった。

この事態に現地の第18軍司令官・安達二十三(あだちはたぞう)は、アイタペに総攻撃をかけることを決断。将兵は弾薬や食糧の補給がないまま、アイタペを目指し数百キロにも及ぶ行軍を開始した。行く手には幾筋もの河と広大な湿地帯が広がり、多くの者が飢えや熱帯特有の風土病に倒れていった。

7月10、日本軍は3万5000の兵力でアイタペ攻撃を開始したが、連合軍の圧倒的な火力の前に8000を超える戦死者を出し作戦は中止。食料も弾薬も尽きた将兵は「山南地区」と呼ばれた密林の奥地へと逃れ、病人や負傷者は部隊から次々に落伍していった。

極限状態の中で追い詰められる将兵たち。死を覚悟で敵陣に突入する斬り込みが繰り返される一方、昭和20年に入ると大隊の40数名が組織的に集団投降する事件も起こった。

東部ニューギニアに投入されたおよそ15万の日本兵のうち、12万8千人が亡くなり、今も6万を超える人々の遺骨が、収集されることなくニューギニアの地に眠っている。

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