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タイトルタイトル: 「飢えの中で」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
名前名前: 荒畑 忠三さん(宇都宮・歩兵第239連隊 戦地戦地: ニューギニア(アイタペ、ウエワク)  収録年月日収録年月日: 2009年2月24日

チャプター

[1]1 チャプター1 ニューギニアに着陸  04:19
[2]2 チャプター2 連合軍の上陸  05:47
[3]3 チャプター3 航空部隊が輸送部隊に  03:06
[4]4 チャプター4 密林を一人で歩いてはならない  06:55
[5]5 チャプター5 終戦後も死んでいく将兵  12:12
[6]6 チャプター6 戦後闇市 残飯の味は  06:20
[7]7 チャプター7 今 思うこと  01:49

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~
収録年月日収録年月日: 2009年2月24日

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まずね、ニューギニアに赴任したのはですね、私は八尾の航空隊におりましてね、大阪のね。18年の暮れですな、それで「ニューギニアに直行せよ」という命令もらいましてね。それでね、爆撃機でね、直接ニューギニアのウエワクまで送ってもらったの。ただし、マニラにちょっと一応止まってね、マニラで中継してニューギニアまで送ってもらったんですよ。そいでね、向こうの部隊に配属になったんだ。それからがいろいろ負け戦にね、ずーと、やったわけですよ。

Q:ニューギニアに行ったころは、戦況はどんな感じだったんですか。

ニューギニアに行った当時は、まだ、そうね、僕がニューギニアに、ニューギニアのウエワクに着いて、それで、九七式重爆撃機の爆撃機でね、着陸してね、着陸したときに、アメリカのね、ソードっていう双発の戦闘機がいるんですよ。それに後ろから攻撃されて、飛行場に赴任したときに、着陸した後やられたから、「逃げろ」って降りてね、ジャングルの中に飛び込んだの。それで、あとからやったその飛行機、やられちゃった。その代わり僕ら乗ってた人はね、僕とね、もう1人整備のやつとね、重爆に4人いたな、5人くらい乗っとたの。それだけど、着陸して降りた瞬間でしたからね、そこの飛行場のとこにいたら、「バーッ」とやられたのをね、その、ジャングルの中に飛び込んで逃げたからね、それでね、皆、助かったの。それで自分たちが乗ってた日本軍の飛行機は、やられちゃったよ。その飛行機をやるために、向こうはソードが「ダーッ」てやってきたんですから。

Q:その後、航空部隊としては、こう。

そりゃもう解散だよ。航空部隊なんかもうしょうがないじゃないですか、解散命令、第4航空軍解散だ。飛行機が無いんだもん。しょうがないんだ。第4航空軍も解散になって安達さん(第18軍司令官)の指揮下に入れって、安達二十三ってのは軍司令官だから、歩兵も何も全部の司令官だから、「安達軍司令官の指揮下に入れ。航空部隊、解散。」こういうことが命令だもん。飛行機がないんだから、歩兵の中に入って拳銃持ったり、手りゅう弾持って、歩兵の指揮下で肉弾戦やらせられたんだから、しょうがないね。飛行機なかったらどうにもしようがないね。

それからというものの、僕は飛行機乗るわけでもなかったしね、それから、ウエワク入ってから、今度は、敵がどんどんやってきてブーツまで逃げて、それから、ブーツに来て、いろいろ邀撃(ようげき)作戦をやっとったね。

Q:いちばん西はどちらまで行かれたんですか?

いちばん西は…ブーツ、サルミ。ブーツ、ウエワク、ブーツ、サルミね。そこまでですね、行ったのは。

Q:サルミには敵も上陸してますかね。

それは、敵は上陸しましたよ。日本軍がいると思って、敵が上陸してきましたよ。サルミにいるときにね。だから僕らもサルミまでは行ったんだ。そのときにね、敵が上陸してきました。そのときは山の中に逃げましたよ。そりゃ山っていったってね、ジャングルですから道路ないでしょ。道路ないところの山の中に逃げてね、それで艦砲射撃っていってね、大発部隊呼んでね、機関銃で「バーッ」と撃ってくるんですよ。だからね、最初ね、山ん中に逃げたほうが危ないからってね、海の波打ち際のところでやってたのがね、命が助かったことあるの。撃つでしょ。ジャングルに行くとね、ジャングル入るとね、500mくらいグッと入らなきゃ駄目なの。入ったくらいだとかえってね、500mくらい入ればね、敵の弾だって、機関銃だからね。銃、大砲じゃないから機関銃だから、あれですよ、500mも入ればいいんだけどね。500m入らないとまずいからね、それならむしろね、波打ち際で、じっとしてたほうがね、しゃがんでたほうがね、命助かったの。そういうことがあんだよ。だから、ジャングルに入るんだったらね、それはもう100mじゃなくて、500m「ダーッ」と奥まで入らないと命が助からなかったわけね。そう、敵のやつなんて、我々友軍のところに、「ジューッ」て、敵が上陸してくるための、射撃ですからね。射撃をしながら、大発みたいな向こうの船でね、射撃をしながら陸に、今度は、普通の向こうでいえば陸軍だ。陸軍が上陸してくるんだから。

だから、そのころ僕らあれですよ、最初は波打ち際にいたけど、これも危ないっていうんでね、上がってくればやられちゃうでしょ。だから最初は波打ち際だったけど、これはまずいって言うんで、とにかくジャングルを500m以上がーっとね、やったほうがいいって言うわけでね、部隊長以下全部ね、ジャングルの奥に逃げ込んだんだ。敵が船だからね、ばーっと撃つんだから、そんな奥まで弾は入んないんだ。そんな事で助かったこともあります。

Q:被害者もたくさん出たんですか?

被害者は、敵が上陸したときには、あまり出ませんでした。うまくその指令でもってね、「波打ち際から500mぐらいジャングルに入れ!」そういう命令が出てバラバラに逃げて入ったんだから。だからほとんど、あのころは死んだ人いなかったと思ったな。

Q:その後、ブーツの方に戻ったんですか。

そうそう。それから、ブーツの方まで戻りましたね。ブーツは出たり入ったりしてましたよ。ウエワクからブーツ行ってね、ブーツからサルミのほうまでに来てから、またブーツに戻ったりね。なんかしましたね。

Q:その後は、だんだん、どうなっていったんですか?

その後というのは…ブーツでやって…そうやって、それからね、敵がどんどん攻めてきましてね、ジャングルに入りましたよ。入ってからずーっとどんどん奥に逃げて行きました。

戦争やるときに友軍がね。航空隊だけどもね、航空隊は戦争ができないからね、歩兵隊が前進して、あれですよ、向こうで戦闘しているでしょ、前進して戦闘しているものに対してね、糧まつ、それから弾薬を運ぶのを、「航空部隊は、そういう担送隊を結成してね、運べ」というのがね、副司令官の命令がきてね、航空部隊はね、担送隊っての編成してね、糧まつ、最前線に行ってるのは、食い物がないでしょ。弾はうんと持って行くわけに行かないでしょ、撃ってすらないから。 

弾とね、それから糧まつを運んで、運ぶのが1人で運ぶわけにいかないから、途中でね、皆、体力がないから、途中で交代するようにね、こう人が代わってね、やって向こうに。担送隊って。航空隊が担送隊っての編成して、物と糧まつ。

Q:糧まつを担送するときに、リレー式でいろんな部隊が運んで行くんですね?大変ですよね。

そうそう。大変だよ。部隊ごとにね、根拠地おいて、「ここが、だれだれ部隊、なになに部隊」って行って、先に行って待ってるんですよ。歩いて行ってね、次から次へとね。それでもって、こっちの人が、こう持っていくと、こうやって渡すと、この人はこうやって。1人でね、最前線、本当の戦線まで、最前線まで担いで持っていくわけにいかないから。ここでって、もう中継するようにね。部隊は歩って、こう行って、こう行ってね。それで本当の、いちばん最前線で鉄砲撃ったりしてるとこに、もって行くにはね、3か所ぐらいでね、中継するんだよ。

最前線のやつは、三分の一は死んじゃったね。「帰ってこい」。いちばん先に行って戦闘してる、弾を撃ち合いしてるとこに糧まつ、弾薬運んだでしょ。それで、それがもう駄目になっちゃって、もう担送隊もやめると。それから「もう全部、退却しろ」って言わないな、転進だな。「転進」って。逃げるってことは絶対、名前使わないから。転進作戦だ。「転進しろ」って。転進するなら、帰ってくるって。そのときには、あれでしょ、向こうで帰ってこられない人が結構いたの。もう、足が悪かったりなんかしてね。

だんだんだんだん、(状況が)悪くなってきましてね、友軍のとこまで1人で歩けなくなったの。これがね、大変だったんだよ。というのもね、食い物ないでしょ。食い物がなくて倒れてる、そういう人はまだ、今なんとか生きてるんだよね。そうするとね、1人で歩くとね、銃で日本の兵隊を「ボーン」て撃っちゃうんだよ。日本の兵隊を撃って、ジャングルだから見えないんだよ。ちょうど、引きずり込むと分からなんだ。草いっぱい、生えてるでしょ。それでもって、その人の持ってるものと、その人の肉、人間食っちゃうんだよ。倒れた人がね。だから、そういう状況があったの。日本人が殺しちゃう、だから1人歩きはできないんだよ。

2人だと、自分がね、倒れてるからね、2人だと、やられたって、今度は「ボーンッ」てやられちゃうからね。

だから絶対ね、1人で歩いちゃいけないと、どこにいくんでも、その、友軍の陣地の中でも1人で歩いちゃいけないと。2人で歩かないとやられちゃうからね。友軍にやれちゃうんだ。倒れてるやつに。

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◆戦争証言アーカイブスでは、証言が長時間に及ぶため一部を公開しております。以下の部分については、誤解が生じる可能性があると判断したため、ノーカットで公開します。◆

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退却するときは日本の死んだ兵隊の肉を切ってね、飯ごう持ってないから雑のうに詰めてね、ところが生だからね。1日か2日かもたないんだな。そうかって炊さんできないでしょ。取ったやつ、生で食べるんだから。なんでもね、動物性のたんぱく質は、取らないとだめになっちゃうから、生きてるものは、なんでも生で食べたんだよ、それはなんとも思わなかったね。それからね、野ネズミって大きいのがいるんだよ。このぐらいのネズミがいるんだよ、ハウスにいるのは小さいネズミなの。2匹いるんだよ、たいてい2匹取れるんだ。ネズミ捕りあるでしょ、飛行機の部品ね、ネズミ捕りできんだよ、それ仕掛けとくとね、一晩で2匹とれんの。皮をむいてね、生で食べるんだよ。最初は生で食べられなかった。皮をむいてね、またネズミの皮って柔らかいんだよ、ネコが食べられる、柔らかいんだよ。毛がつかないようにして、臓物とってそりゃ内臓食べなきゃ絶対大丈夫だよ、ネズミの内蔵を食べなければ下痢をすることもなにもしない、内臓だけきれいにとっちゃって、それで生で食べちゃう。最初は生で食べれなかったの、炒めたりなんか、やってたんだけど、そのうち生で一回食べてみようって一回食べたら、「大丈夫だ」って、生で食べてたねずみ、だけど、うまいよ結局は。みんな食に飢えてんだから、よく生きて帰ったと思うけどね。

Q:一回、大丈夫と思ったら、みなさんそういうふうになるんですかね。

あぁ。なるでしょうね、まぁそういう心境になるでしょうね、食べようというね。で、最初はね、最初は、まぁ僕らなんかある兵隊さんは、友軍が死ぬでしょ、死ぬと埋めるんだよね、それでもさ、そのまま部隊はそっから移動するでしょ、このまま移動するのはもったいないって、友軍の肉を、土を少しかけてね、置いといてさ。それから取っちゃって、肉を切って食べてきたんだ。友軍の。だって死んじゃったんだからしょうがないでしょ。生きてるやつを殺してくるんじゃないんだから。だって、死んじゃったやつをそのままやったって(放っておいたって)3日も4日もウジがわいて、バーッと。暑いからね、ウジがわいて。ガッとなっちゃうんだからね。もったいないでしょ。それで切って食べて、もうとにかく長く持って歩けないから、傷んじゃうから、傷んだって焼いたりしてできないからさ、焼く時間ないから、生で食べたんだね。友軍が死んで埋める前にね。これはしょうがないね、そういう経験した人結構いますよ。そのときは生き延びたけど、死んでしまった人もいるね。帰ってこないうちに半分は死んでるね。

Q:一回やるまでは、すごい抵抗感とかもあったんじゃないんですか。

そら、あったね、あったけど、体力がなくて(食べ物が)欲しいんだから。食べたいというね、食欲ちゅうかな、食べようという欲望のほうが多いんだね、生きるためには。生きるためには食べなきゃしょうがない、おなかがすいちゃあ。なんだって食べなきゃしょうがない。ねずみでも、こんなへんな名前は知らないけど、これぐらいの動物がいるんですよ。そういうの、捕ってはたいてい生で食べちゃうんだよ。最初は生で食べられなかったの。一回生で食べると臓物食べると中毒になるんだよね、腸ね、だから臓物だけきれいにとっちゃえばね、皮とね。そういう経験した人、全部じゃないけどね、我々は経験したね。

Q:終戦のときはどういうふうに分かったんですか。

終戦のときはね、ずっとウエワクから奥地に逃げてたでしょ、そしたらね、敵がね、こっちの陣地が分かるでしょ、敵の陣地が向こうにいるんだよ、そうするとね、砲弾じゃなくて機関銃で「バーッ」と撃ってくるんですよね、みんな部隊ごとに解散してね、もう部隊長は、どうのこうの言ったってしょうがないから、とにかく、もう解散と同じようにね、「自分自身で自分のあれを守れ」っちゅうことで、命令がきてるから、部隊で一緒にやらなくて、ジャングルの中に逃げてたわけ、そうするとジャングルにいると敵が向こうドンと攻めてきて向こういるんだよ。見えるんだよ。それでね、何かくれんのかと思ったら、見てたらね、そしたら敵はそこから弾撃ってこなくなったんだよ。「おかしいな」と思ったらね。そしたらね、軍司令官の方からね、終戦になったということの、すぐ、達してくれなかった。おかしいからね、飛行機も爆撃機もいるし、飛行機が来て爆弾落とすんだけどね、「おかしいな」と思ったらね、1日くらい遅れてね、「終戦っちゅうよりも、降伏した」って、言うんだな、日本が。それで「戦争をやめた」って、こういう。だからね、「日本が負けて降伏した」っちゅうことは、言わないんだよ。それで、「よかった」ちゅうんで、それで、戦争終わったって知ったの。それから「海岸線へ捕虜として集結せよ」と、それから、10日もかかって海岸線へ出てきたわけだ。ムッシュ島へ流されたんだけど、海岸線まで出てきて、軍刀から何から全部そういうの裸に取られちゃって、そのままで、小さい島へね、その島へ捕虜になったわけだ。

Q:海岸線まで出るのに10日もかかるんですか?

10日かかったよ。だって歩くのにね、普通、だいたい元気な人がね、1日6キロから10キロの行軍は、長いほうだね、10キロあったら元気な兵隊の行軍は最高だよ。普通の兵隊の元気なの6キロ行軍。重装備して6キロが、普通の兵隊を教育するときは6キロ行軍、だったよ。ところが6キロって歩けないの。1日に1キロくらいしか歩けないんだもん。ちょこちょこっと行っては休んで、ちょこちょこっと行っては休んで。食い物ないでしょ。食い物を拾って食べて、それでやってると。部落か何かあったら、土人が逃げちゃっていろんな物が残ってる荷物とか拾って食べて、休みながら出てくんですからね。(海岸線まで)出てくんのも大変ですよ、10日もかかっちゃう。1日にいくらも歩けないんだ。

Q:海岸まで、出て来れない人も?

途中で死にましたよ。「頑張れ、頑張れ」つってもね、「とにかく、もう、私はだめだからあんたは行ってくれ」って人もいるし、今、言ったように、それから「なんとしても連れてってくれ」と泣く人もいるしね、「俺はだめだから、俺のことはかまわないで、あんたたち行ってくれ」と言う人と、それから「行きたい」と泣いて死んでく人もいるよね、いろんな人がいたよ。そりゃ、負け戦ってのは大変なもんだよね。

向こうにはね、4個師団いたんだよね、 1個師団が4万ですよ、4万でね、1個連隊は1000人。1個師団がね、4個師団いたんですよ、ニューギニアのあっちの方にだいたい4個師団、16万の兵隊いたんだよ、だけど、転進ていうか、早く、負け戦になってから内地に帰った部隊もあるし、ばらばらになった部隊もあるし、だけど4個師団16万の兵隊がいたことになってるんだけど、これがですね、終戦のときにムッシュ島ってとこに、捕虜になったからね、負けて、集まったのが1万4000人だから。でも1万4000人集まって、もう、食い物ないからって、海軍の駆逐艦がね、普通の輸送船じゃ駄目だから。12月、終戦が8月だね、それから出てくんのに2か月ぐらいかかって、出てくんのに。正月、…出てくんの、前の、ムッシュ島集まったのが、復員船がすぐ来て12月の25日に1艘(そう)が来て、正月の7日に、もう1艘がきて復員したんだけど、あれだね、帰ってきて、16万いたのが帰ってきたのは、1万何千人だろうな帰ってきたのは、きっと。だから、一つのね5000人くらい乗せて帰ったんだよね、5000人乗せて、いっぱいだからね軍艦でね。下の倉庫から何から全部ね、寝かせて、それで、普通の輸送船じゃないやつが来て、迎えにきてくれたからね、ニューギニアは。5000人くらい乗ったんじゃないんですか。食べ物、無かったから、話したようにね、ご飯食べたくても食べさせてくれなくて、船の中ではね、おかゆを食べさせて、それでこっち上がって来てからでも、まだおかゆを食べさせたからね。

復員船に乗って、こっちへ来んのに、だいたい8日間で来ましたからね、普通の復員船じゃなくて、海軍の駆逐艦なんか、そういう早いやつ、で僕ら乗せてもらったの。それでも(仲間が)船の中で死んだよ。船の中で死ぬと、礼儀でもってね、落としたら回るんだってね、汽笛鳴らしながら回るんだって。そんなことやっちゃいられない。ボーンと捨ててどんどん来ちゃう。中で死ぬんだから。船の中で死んでんだよ。「やぁ帰れるな」って安心してね。船乗った。船乗ったら、「ご飯食べさせてくれる」って思ったらね、軍医やら全部いてね、「今食べさせたらふん詰まりになって死んでしまうから、おかゆでなきゃダメだ。」って言うんでね。ほんとのご飯の、白いご飯食べたくてしょうがないんだ。食べさせてくれない。それはね、やっぱり食べさせたら、そのままだめになっちゃうんだって。おなかがそうなっているから。ろくなもの食べてないでしょ。葉っぱ食べたり、動物食べたりしてっから、便だって普通の便じゃないんだからね、真っ黒だったりなんかして。普通の太い便なんか出ないんだから。下痢便だよ、だって食べるものないんだから。それで食べさせちゃダメだって言うんでね。船乗ったら食べさせてくれると思ってたね、船乗っても説明してね食べさせてくれなかった。

僕だって帰ってきたころ40キロでね、岩国に上陸したときは、熱帯潰瘍(かいよう)ができてた体中に。それで、朝から晩まで薬湯に入ったんだよ。食べ物ないでしょ、結局、実家のほうから普通のもちなんか持ってきても硬くなるでしょ。だから「あられ」を炒ったやつをこんなにね、持ってきてくれた。病院に入っているのは、分かっているから。そのころは、汽車に乗るのだって大変だったじゃないですか。そのときね、あられをね、あられはいいんですよ、ぽりぽり食べられるしね。餅(モチ)だったら焼くとか煮なきゃダメでしょ、あられならさ、なるべく、湿気ないようにね、上手くやって袋に入れてね、そいで病院に持ってきてもらったことあるね、それを食べたくってしょうがなくってね、一晩中食べてたらね、おなか、いっぱいになっちゃって。バーッと膨れちゃってね。下へ出たけどね。目、覚ますと食べたくてしょうがないんだ。あられっていったらおいしいでしょ、おいしいから、一晩中食べてんだよ。そうしたら、食べた瞬間はいいけどさ、水飲んで食べてたら、おなかこんなんなっちゃってさ、そんなことありましたよ。

帰ってからいろんなことありましたよ、帰ってからまず何したかって言うとね、復員してね、「まず、語学を習わなきゃいかん」てことで、神田のカンバセーションスクールってのに通って会話を習いました。会話を習ってからね、進駐軍の接収ハウスっていうのがあったんですよ。今の人は知らないけどね、が、いいとこのうちはね、進駐軍が全部接収してね、ナンバーつけてね、外(国)人が入ってたわけ。いいとこ、みな、ただじゃないですよ、お金払うんだけどね、ずいぶん進駐してるからね、軍人がね、それで、洋風の家はみんな接収しちゃったの。「そういうとこのやるためには、語学やらんきゃいかん」てことで、習ってね、それでハウスキーパーになったこともあるんだよ。ハウスキーパーになって。それで、悪いこともしたよ。と言うのはね、配給だろ、物がないんだよ。接収ハウスには何でも来るんだよ。だって終戦後は何もないでしょう。接収ハウスにはそりゃなんでも豊富にあるんだよ、それを横流ししたんだよ。そこでね、ハウスキーパーで語学を勉強したからね、そんなうまかないよ、スピーキングはそんなに上手じゃないけどね、配給なんか全部来るわけですよ、GHQから全部ハウスになんでも来んだよ、それを横流しすんだよ。それでごまかして、向こうはね、そんなもんだと思ってんだよ。いくらでも来るんだから。糧まつあそこのね、築地の、築地からずっと向こうへ行った海岸線ね、糧まつ送ってくんですよ、日本にもないんだから。米とかバナナとか色んなものを送ってくるやつを、配給がくるのよ、それをごまかしたり。ごまかされても、黙ってんだよ、向こうはね。そんなようなこともあるんだよ。

Q:横流ししてどうしたんですか。闇市かなんかに。

闇市だよ。神田のね、持ってたらね、スープがねえ1つ100円かな、いや、10円か、1杯10円だよ、屋台で売ってましたよ。そういうごまかしたやつを持ってくとそれを薄めてね。そうかというとね、ホテルの残飯ね。うまいこと考えてね、GHQのあれで話をしてね、ホテルとかクラブとか、丸の内ホテルとか、5つあるホテルのね、残飯を集めることをね、(僕らの頃は)話し合いでよかったんだよ、それからはね東京都が管理することになったの。僕らは3年ぐらいはね、行って話し合いでもらえたの、コーヒーはコーヒー、別途にね、「これは、ここに置いといてくれ」ってそれを集めとくんだよ。コーヒーはコーヒーでまた持ってくと売れるんだよ、この先かな、作業場に持ってってね、集めたの、コーヒーはコーヒーでそのまま売れるの。それからね、カレーだとかいろんな残飯ベタベタになるでしょ、それ集めてもね、それで煮て売れるんだよ。残飯屋だよ。向こうの捨てたやつ整理してさ、それで肉は肉であるでしょ、こっちきて、洗って分けてね、肉は肉で売れるんだよ。また買いに来る人がいるんだよ、ホテルから出るやつを洗ってね。買ってった人はね、石油缶が1杯ね、800円くらいだったかな、1000円か2000円くらいで売り上げんだよ。神田あたりの屋台で。僕も食べたことあるよ、神田の駅前で、屋台でもって。今はないけどね、あのころは屋台でもってね、たいてい売ってるんだよ。1杯10円くらいと思ったな。うまいんだよ味は。残りもんだよ。残りもん、混ぜたヤツだよ、それをね、売ってるんだよ、俺も食べたことあるよ、うまいんだよ。そんなこともあったね。

Q:戦後はすごいですね…

ああ、おもしろかったなあ、しかし。そういうことがあったよなあ。うん…。

やっぱりあれだな、戦争はしないほうがいいけど、戦争しかけなきゃいけないような窮地に追い込まれるちゅうことは、追い込まれたら戦争するようになるわな。ただ、漠然として、「ものを、とりたいから」って戦争をするってのはあまりよくないね。

Q:ものを取りたいっていうのは、さっきおっしゃってた、その、油田の問題とか。

そうそう。油田もね、戦争、長期戦すると「油田をとらなきゃいけない」からっていうんで、日本は離れたとこ行ったんですからね、これが、そもそも大戦争になっちゃったんだな、しょうがないや。

まぁ、人間に欲望がある以上は、そういう争いごとがあるんだろうな。だから、それはなるべくないように教育をしなきゃいけないし、みんなが自覚しなきゃいけないわな、それは。まぁ、とくに戦争なんか色々経験した人は、今後はそういうことを考えてね、戦争はなるべくしない、平和な世の中であることを願うよね、願わなきゃいけないよ。

出来事の背景出来事の背景

【東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮 歩兵第239連隊~】

出来事の背景 写真南太平洋に横たわるニューギニア。日本軍はガダルカナルでの敗北が決定的になる中、連合軍の侵攻に備えるため、第18軍を編成し兵力を投入し続けた。

栃木県と長野県出身の若者を中心に編成された歩兵第239連隊がニューギニアに上陸したのは昭和18年(1943年)2月。与えられた任務は、生い茂る密林を切り開き、道路や飛行場を建設することだった。

その後、連合軍は東部ニューギニアで反攻を開始。日本軍の拠点を次々と攻略し、昭和19年4月には日本軍の背後、ニューギニア中部のホーランディアとアイタペに上陸した。239連隊を含む第18軍は、完全に孤立してしまった。

この事態に現地の第18軍司令官・安達二十三(あだちはたぞう)は、アイタペに総攻撃をかけることを決断。将兵は弾薬や食糧の補給がないまま、アイタペを目指し数百キロにも及ぶ行軍を開始した。行く手には幾筋もの河と広大な湿地帯が広がり、多くの者が飢えや熱帯特有の風土病に倒れていった。

7月10、日本軍は3万5000の兵力でアイタペ攻撃を開始したが、連合軍の圧倒的な火力の前に8000を超える戦死者を出し作戦は中止。食料も弾薬も尽きた将兵は「山南地区」と呼ばれた密林の奥地へと逃れ、病人や負傷者は部隊から次々に落伍していった。

極限状態の中で追い詰められる将兵たち。死を覚悟で敵陣に突入する斬り込みが繰り返される一方、昭和20年に入ると大隊の40数名が組織的に集団投降する事件も起こった。

東部ニューギニアに投入されたおよそ15万の日本兵のうち、12万8千人が亡くなり、今も6万を超える人々の遺骨が、収集されることなくニューギニアの地に眠っている。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
東京市武蔵村山(現・東京都武蔵村山市)に生まれる
1936年
現役兵として大阪八尾航空隊に入隊
1943年
第4航空軍第59飛行戦隊に転じ、ニューギニア・ウエワクに上陸
1944年
アイタペ作戦当時、准尉
1945年
終戦 当時、陸軍航技准尉
1946年
神奈川・浦賀にて復員
 
復員後は、一級建築士として不動産業に従事

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