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タイトルタイトル: 「米軍機の大空襲」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
名前名前: 大輪 正行さん(トラック大空襲 戦地戦地: トラック諸島  収録年月日収録年月日: 2011年1月28日

チャプター

[1]1 チャプター1 横須賀海兵団へ  09:01
[2]2 チャプター2 補給基地トラックへ  05:09
[3]3 チャプター3 グリニッジ諸島への補給  04:46
[4]4 チャプター4 連合艦隊 トラックへ進出  05:46
[5]5 チャプター5 消えた連合艦隊  02:52
[6]6 チャプター6 トラック大空襲  08:46
[7]7 チャプター7 終戦後に食べた備蓄食糧  04:59
[8]8 チャプター8 昭和21年2月、復員  08:56

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
収録年月日収録年月日: 2011年1月28日

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16年の9月に入隊して。で役場からね、5月入って入隊した人もいるつうわけだ。それはね、馬に乗って幟(のぼり)を立ててみんなに送ってもらったつうわけだ。9月の兵隊はね、役場から来て、それがシャットアウトで、「隠密に横須賀の海兵団へ入ってくれ」と言うわけだ。9月の1日の朝。

Q:何でですか?

戦争が始まるほら、手前だからね。大げさなことはみんな(ご)法度になっちゃった。5月の衆のときにはね、幟を立ててみんなに送ってもらったで、県境、村界までね。それをね9月の衆はね、全部「隠密に来てくれ」って。ほいで横須賀に3000人志願兵行って。9月の1日の朝ね、あそこの宿屋にみんな、31日の晩は泊まってね、ほして行ったわけさ。あの、隠密だよ。かん口令じゃねえけどね 。隠密に入って。だからわしはよかった。親父と住んでるものだからみんなに送ってもらうのが嫌でね嫌でね。逆によかった。

ほして12月、どうにかこうにか海兵団を卒業して。今度は結構なんて言うか、人を選抜されてましてね。工機学校って今度は学校に入れられた。3分の1、あの学校。工機学校、それからね、通信学校、機雷学校。いっぱい中間のね、学校が。まあ、学校でなきゃ上に昇れんだあね。そういう順に。ほして工機学校に入って。そしてもう死にものぐるいでね。わしたちのときにはね学院を出た人、中学を出た人、高等学校と。志願兵はみんな一緒つうわけだ。その衆とね、勉強するだから、わしは小学校しか出てねえんだ。あれ出た人、死にものぐるいでやってね、勉強しました。ほいでもね、教官が25人かな。ほいで毎日ね、試験があって。試験がでるとね「25番目の何番」つって、みんな公開で張り出されるわけだ。んでこんなもんじゃ、えらい所へ来ちゃったなあと思ったけんど。来たから後っけひけねえ。どんな事があってもしな。

いつでもなんていうか・・・何か背負ってるような気持ちでね。だから工機学校でわし思ったよ。ふた月目か、み月目にね、ここへわだかまり、固まりがね、だんだん出て。その固まりが、どんどん大きくなることを覚えてる。こんなことじゃ参っちまうな。ほんで海軍はね、寝るとこがハンモック。ハンモックだからね、「船形」つうわけだ。まっすぐにこう寝られんでよ、いつもね。あれ、これ寝方がまずいし、寝方でハンモックでね、私は疲れが出たかなと思った。ほいじゃけ、そういう固まりがだんだんこう大きくなってきて、今に倒れるんじゃねえかと思ったね。でもふた月か、ふた月位たったらね、慣れてきて。どうにかこうにかやって。そこを乗り切ってね。

ほいでわしは工機学校の卒業4月。工機学校卒業して今度は、各部隊へね、分かれるっつったの。だけどわしたちなかなかね、その配軍が決まらなんだ。ほしたらそのうちに10日ばかりかな、1週間たたなんだ。今度は「潜水学校行け」て。内火術(内燃機関のこと)ってね、私たちはエンジンのね、モーターとかそれからエンジンの内火。自動車のエンジン、飛行機のエンジンのね。その勉強ばっかやっとった。ほいだら「潜水艦へ乗れ」と。「潜水学校へ行け」っつうわけだ。潜水学校も電気と機器と2つ分かれるだね。わしは内火だから、エンジン関係だから、じゃあエンジン行って、「ほー、これは潜水艦乗りとは・・・」。「あそこはでもね、潜水艦の一応の勉強はする」っつうわけだ。ほしてまあ、機雷。魚形水雷って、飛行機が持ってってね、潜水艦がやったり。機雷つうのあれ、あのころはね、今の機雷なんかもっと精密にいろいろの空気を使う。あのころはね、空気を使ってやるので。この空気を80貫。目方にして80貫、一つの魚雷に詰めると。その機械をね、勉強したり。これはいよいよ潜水艦乗りじゃあ、生きちゃあ帰れんなと。あのころはね潜水艦乗りはね、もう命がけだった。ほいでね、(命令が)出たからしょうがないっつうわけでね、確か6人かな、横須賀から6人。その潜水学校へ行って。呉(広島県)の大竹っつうとこに潜水学校がある。まあそれがね、わしたちが第一期つうわけ。そして行ってね。学校の周りを掃除をしたり、まだ始まらなんだ。ほいで潜水艦が、教材用の潜水艦がすぐそばに泊まってて、それ行って掃除をしたりね、そんなこと1週間ばかりやった。ほいで適性検査。適性検査受けた。ほいで適性検査受けたら、わしは、はね除けられちゃってね。「ダメ」っつうわけだ。

Q:それは学校で勉強した後ですか?

いやいや。勉強が始まるとき、前。いよいよ1週間ばか後からね、学校が始まるって。行って、こんな全国から集まった奴が適性検査やる。その適性検査で落っこっちゃった。耳が悪い。潜水艦はうんとね、耳とか目とか重視するだ。ほいで、はねられてね、「お前は横須賀に帰れ」つうわけだ。ほいで横須賀にその日のうちに帰って。ほいで横須賀に、海兵団に。

Q:そのときは、ちょっとホッとしたんですか?

ホッとしたのが半分、がっかりしたのが半分だね。潜水艦乗りはね、進級が早いんですよ。重要だから。ほしてね、給料がいいの。他の勤めよりずっといい。

ほいで横須賀に帰ってきてね、7月の、それが5月でしょ。6月入ってすぐね、「いよいよ行くとこが決まったから、乗る」と。「みんな仕度しろ」つうわけだ。どことも言わんだよ。行くとこは明かさんつう。ほいで船に乗せられてね、1週間。降りたとこがトラック島(現・チューク諸島)。

やあ、いよいよトラック島へ来ちゃった。まあこれはひとつ、半分はね希望がもてるかなあ。ほして。

Q:どうして希望が持てた?何が希望だった?

何て言うかなあ。わしたちはね、山梨でしょ。海の見えるとこが希望だったんだ。海の見えるとこで1年中過ごせるなんていうのはね。こりゃいいなあと。ほして配属されたとこが水上基地。航空隊でね。航空隊で俺たち何をやるのかなあ?整備兵じゃなしね。搭乗員でもなし。「何やるかな」つったら、その衆のね、生活を賄うアレつうわけだ。その衆の使う機械を直したり。わしたちはほら、エンジンが関係だから。勉強してるからね。だから、結局わしたちは発電所とかね、電信、通信の送信所がある、送信所、受信所が。トラック島に。

だから兵隊がね、あそこへ第4通信隊つうのが入っててね、ほいでそのトラックの政府(委任統治の行政庁)でやってたやつをみんなほら、買収じゃねえ、徴用してね。ほして日本航空の遊覧飛行で、九七式大艇がね、10人乗りか、その飛行機があっちこっち飛び回ってた。遊覧飛行で。それをうちの航空隊がみんなね、接収しちゃって。

いい所だったよ。まずね別天地、日本から行くと。まあ、ただいちばん悪いのが、時間からなにから制約されて、自分、自由にできんだけ。ほいだけどね、着るものは心配ない。それから金はね、使うとこがないんだ。「酒保」つうのがあってね、軍隊には。そこに行きゃなんでも安く買えるから。だからね、いちばんいいのは、「こんないいとこはないなあ」て思った。

コーヒーはね、好きでね。ダバオ、この21空(第21航空隊)が、17空(第17航空隊)が来るときにね、飛行機、自動車やらトラックやら。トラックにね一斗缶がある。あれでね、コーヒーを1台持ってきた。倉庫に降ろしてね、ほんだけどね、すぐには飲めない。粒だから煎じてね。ほいで砂糖はねサイパンからね、袋で来る。それを航空隊だから、1袋がめちまう。シャコはね、色々なものを運ぶから、銀バエしちまう。盗んぢまう。多めに。何にもやんでね、ほれ運んでもらうから。砂糖はね、えらいあって。

Q:トラック島は補給基地と言われるだけあって、物は何でもあったんですね?

そうそう。いちばんあったね。航空廠だってね、うちのあの水上基地の横が航空廠だから。あの日本航空の機体整備所。それを航空廠ていうね、軍で。でっかいほんだら格納庫があって、その向こうには、でっかい地下タンクがあってね。いいとこだっただよ。

8月の13日にね、グリニッジ諸島(ポンペイ島近海の小島)てね、まだ1時間半、赤道の方へいけばグリニッジ諸島というとこがあるんですよ。そこへ応急基地でね、21空の航空機の基地物件を輸送でね。これわし、乗っけ、「乗れ」て言われて。ひと月たたんでんね、小さいね、カツオ船。それ3隻でね、これ乗って行って。ほんだらこの・・・。

Q:カツオ船で行ったんですか?

カツオ船。ほいでそれがね、3隻で。

その乗組員はみんな静岡の人間だった。静岡と沖縄の人間ね。兵隊はね5、6人だった。

Q:何しに行ったんですか?そのグリニッジ諸島に。

グリニッジ諸島はね、作戦でね。ここも大きい環礁でね。

「もしかしたら飛行機が不時着するかもしらんから、行って、燃料補給とか物資補給をしろ」と言ってね。ほして応急基地で行ったんです。

Q:じゃあ重油なんかを持って行ったんですか?

重油とかそういうものはもう、ある程度行ってて。飛行機が来たら、それ食料をやったり、医療品とかそういうものをね、持ってって、応急基地でね、やるようにって。

あれはねえ、初めてでしょ。何しろ無理のことばっかね、「なんだ無理のことばっか言うじゃねえか」というのは頭にあったね。

Q:例えばどんなことですか?

そうね、海軍はね、ひげ剃(そ)り。これはね、ひげ剃りが、ちゃんと床屋がいるだよ。ほいでそこへ行っちゃあね、床屋がいてね、床屋がやってくれるだよ。だけどね、あっち行ったらいねえ(いない)。ほら、床屋ねえ(ない)じゃん。「上官のひげを剃れ」つうわけ。ひげなんて剃ったことねえやねえ、人の。ほいでね、「俺の剃れ」だよ。ほいでね、それもいいだよ、「船ん中でやれ」て言う。ゆらゆら揺れるね。自分が剃りゃあいいじゃんね。ほれを「剃れ」って言ってね。それは2回ばか剃ったな。ほいだら傷を出しちゃって。船だから揺れるでしょ。ほいでね、切ったらちょっと血がでた。「醤油(しょうゆ)持ってこい、醤油持ってこい」つうわけだね。あの、若い衆に。ほいでいちばん先は何のこんだと思った。「あれ?傷だしゃ、醤油をつければ治るかな」なんて思ってね、わしは。ほれ、真面目だから。「醤油ですか?醤油をつけると痛いですよ」「痛いと思うか?」なんつってね。怒られて。「気をつけろ」なんつってね。そしたら人を困らせるために、そういうことを言うっつうわけだ。嫌がらせ。

「はいはい」なんて醤油持って行ったら、「バカ」って怒られて。ね、そういうことをやるつうわけだ。困らせるように。何かにつけて反対のことを言うのは、まあ、それが伝統的に若い衆を強くするアレだかも知らんけどね、伝統的なことはね、嫌がらせをして、ほして人間を良くするもんじゃねえだね、あんなものは。早く言えば。悪くするようなもんだよね。それが通るだ、軍隊は。

Q:殴られたりとかは特にしなかったんですか?

うん。殴られなんだね、そんときにはね。船の上だからね。揺れてね。その、グリニッジ行く・・・。グリニッジ行ったらね、グリニッジは、やることが何にもねえだよ。あの応急基地でね、通信の人は忙しかったらしいけどね。何もなくて。そこにひと月位いたんじゃねえかな。ほいでまた船が迎えに来てね、ほいで帰ったわけ。

「武蔵」、「大和」はね、前から見るとね、タライを浮かべてるように見える。ずーっと幅が、ほして高いと。「すごいなーすごいなー」と思ってね。感心してる。だからあのころはね、あのころはまだ戦争は勝つ。戦争は勝つって頭はあった。

Q:停泊してる船は「大和」「武蔵」だけじゃなかったんですよね?

そうそう。「比叡」(戦艦)からみんな、軍艦が。でかい軍艦でも20隻以上泊まったんじゃねえかな。

Q:トラック島に?

うんうん。小さいの入れれば、40隻くらい泊まったんじゃないですか。

もうあらゆるものがね、軍需部から工作部だね、これはみんな軍属だからね。みんな、あってね。わしは行ってみてね、こんなとこにこんな物があったのかなあと思ってね。ほいであの、南興水産とかね南洋貿易とかってね、そういうでかい会社が行ってね、みんな牛耳ってたから。ほしてあの、建設はね、竹中工務店、大林組、馬淵組なんだ。でっかい会社がみんな来て、で、建設作業やってた。飛行場を造るだ、宿舎を造るだなんて。みんなね、ああいう衆がやってて。んで、大林組、竹中工務店の人足で、わしは小さい長い内火艇(ナイカテイ)て、あれのね機関長もやったの。ほら、エンジンをやるから。機関長をやってね、あの衆を船から波止場までね、送り迎えをしてね。だらあの衆はね、えらい来てたよ。大勢。ほしてね、若い衆より全然羽振りがいい。何しろね、わしがいちばん驚いたことはね、金があって、金があっても使うとこがないんだよ。あの衆には。だからね、博打(ばくち)。博打をね、船の上でやる。あれにはわしもびっくらしたな。入れ墨をしたやつがいててね、こりゃ、えらい衆が来てるなと思ってね。博打ばっかりして。

Q:花街もあって映画館もあってなんでしょ?

ああ、映画館。映画館はね、わしが行ったときにはね、引き揚げちゃってね。隣が映画館だ。映画館の奥さんがよくしてくれたよ。

「トラック島は難攻不落の島だ」って言ってね。なんていうか要塞は堅固だって頭の中にたたき込まれてたから。みんなに。ほして敵にもそういう吹聴で。トラック島は難攻不落でね、色々のもう武器やらなんかだとか。そんだから向こうも、上陸しなんだ。わしたちもね、そう思ってた。

Q:たたき込まれるってのは、そういうふうに上官たちに言われてたんですか?

そうそう。「ここはね、絶対、落ちない。難攻不落だ」っつってね。自分たちもそう思ってたもの。わしたち。

「安泰で、こんなとこはやられん」て言って、思ってた。飛行機はあるし、艦隊はいるしね。みんな、あの、安心していただよ。

Q:連合艦隊と飛行機がいることで、よほどのことがない限り負けないと思っていたのですか?

そうそう。思っていたね。まああのね、連合艦隊が入ったあれはね、今考えればね、「危ねえなぁ」と、「前兆だ」と思わなきゃいけなんだね。今思えば。だけんど、反対だ。安心して。「これだけのもんがいれば何がきても恐ろしくない」って、そう思うわね。

Q:まあそうですよね、何十隻も船があって

うん。全部で来て、輸送船から全部じゃね。50、小さいもの入れれば100隻くらいはずっといたんじゃないですか。そう思うね。

Q:輸送船もいっぱい来ていたんですもんね。

えらいもんですよ。輸送船の数だけでも、やられたのがね、何十隻だもん。

Q:連合艦隊がトラック島を出て行ったときは、ご存知なかったんですよね?

そうです。わしたちは見れんからね。夜出たからね、あれは。このあの、あれを見ると。だから「ああ、いなくなったなあ」と気づいたのは、その日の午後くらいじゃねえかな。

Q:連合艦隊が出てった翌日の夕方くらいには気づいたってことですよね?

そうそうそう。あのほら、風評でほら、「おい、連合艦隊がいねえぞ」ってね。「船がいなくなった」つって。ほれ、そういうのでわしたちも聞いたから。

何しろね、これで見ると、こっちが竹島。トラック・・ほうだな、こっちがうちの部隊だからね。ほして連合艦隊の錨地(びょうち) はこっちだからね。そう、山で。こっちの衆は全然分からん。お偉方は通信隊やそういうとこじゃほらね、しょっちゅうやってるから、分かるとおもうけんど、他の衆はね全然ね、こっちの衆は分からんだよ。

Q:じゃあ、風評でお聞きになった?

そうそう。通信隊の兵隊がね、「おい、連合艦隊はいねえぞ」つって。ねえ、「いないぞ」。「出かけたから、もしかしたら空襲があるかも知らんぞ」っていう話は聞いたけんど。みんなね、あんだけのもんがいるから大丈夫だと、頭で思ってるつうわけだ。普通の衆は。

Q:あんだけのもの、ていうのは?

その大きい連合艦隊がね、「どこに行こうと、そばにいるから大丈夫だ」って。ほしたら、これはあのパラオ行っちゃったね。パラオまで。

Q:じゃあ、そんなに遠くに行ってないと思っていたんですか?

そうそう。「避難した」ぐれえに思った。

Q:空襲が来た瞬間ってのはどうやって知ったんですか?

それはね、みんなね、島中騒いだから。サイレンが鳴るし。空襲警報がね。空襲警報のサイレンが鳴るときはね、こここっちからずーっと、小型機が来てる。小型機が来た。日本の、自分の竹島の飛行機かと思ったらそうじゃねえだよ。敵さんだもの。

Q:サイレンが鳴ったんで、飛び起きたんですか。

そうそう。そう、みんなね。大体みんなそうだと思うよ。

Q:大輪さんも?

ほう。わしだってそうだから。

Q:この時間帯は、明るくてもう起きてたって人もいるんですけども

いるかも知らんよ。ほいだけどね、大体配備が、第1、第2、第3配備だからね。普通と同じだからね。ほんなにみんなね、起きてるのは番兵か、ほれから色々の機械のね当直の人か、そういう衆しかいない。起きちゃいんね。だからね、これをこの飛行機を、早く察知した人ってのは少ねえと思うよ。わしたちだって、これを頭上に来て初めて飛び出しただから。

Q:何がですか?

ん、飛行機を。飛行機をね、見っけたときにはね、すぐそばまで来てたから。飛び出したときは。

Q:目の前に敵機を見た、というわけですか?

うんうん。そうだよ。これをずーっとほら、やって通っただから。こっからは海だから。

Q:どれくらいの数の飛行機を見たんですか?

数はねえ、20や30は来たんじゃねえかな。まあちっとばかじゃない(少なくはない)よね。

Q:見たんですね。2、30、爆弾を落としてるのも見たんですか?

爆弾は落とさん。爆弾は落とさなんで、機銃。機銃掃射。戦闘機。戦闘機ばっかだよ。だから日本の戦闘機だと思った。ほいじゃ敵の艦載機だ。

Q:なんで日本の飛行機だと思ったんですか?

形が同じだから。ゼロ戦と同じような格好してね。ほんなもの、あれね、専門家じゃあ分かるかも知れんけどね、普通の人間じゃ分からないよ。敵だかあれだか。専門家の搭乗員とかね、整備課の人間じゃあ、「あ、あれはナニだから日本のじゃねえ」てことは分かるけどね、普通の兵隊や民間人には分からない。

Q:それで味方機だと?

そう。みんな味方機だと。なんで味方機が飛ぶか。ほでも空襲警報が鳴ったから「あれ、敵さんが、でかいの来てるのかな」て、不審に思いながら見ていた。ほいだら、ダダッツて機銃掃射やるだから。「ええ、こりゃ敵さんだ」と思って。機銃掃射てのは恐ろしいよ。

どうしていいか分からんだ。本隊は、本隊と通じるアレがないから。ほしたらね、1人、若いのが2人いたから。すぐね、ここへ、通信隊へ行って、ほいで向こうへやったら、そうしたらなんでもね、ここからうちの飛行場へ行く頸部はね結構時間かかるでよ。これだ、これをね。本隊へ来てね、「途中でやられちゃいけんから。どこでも手伝え」つうわけだ。ほいでわしは4通(通信隊)がすぐそばだから、4通へ行って、ほしで、なんでかまあ4通のあの、「わしたちは航空の兵隊じゃねえよ」なんつってね、一緒にね、弾。重いだよ、弾がね。このくらいのでっかい箱へ入ってね、10貫、20キロ以上。10貫だから、1貫目が4キロ・・・40貫か。それをね、無我夢中だね、あれこそ。普通じゃあんなもの持ち上がらんよ、それを担いだ。

「どこどこにこの見張り所やら防空壕のあれがある」って指示するから、「おい、あっちへ運べ、こっちへ運べ」って、上の人が指示するから。

Q:どっからどこに運んだんですか?

こっからね・・・山。みんなこの、あの、この中にはねえだよ。みんなこの離れた所に防空壕やら、退避壕やらあって、そこに機銃がある。そこへ運ぶ。わしたちはね、どこへ・・隊が違うからね、「分からん」つうわけだ。だからその島で、その衆の後をついて、運ぶ。あの、ここの衆はね、どういうときにはどこへ、お前はどこへ運べって決まってるらしい。あの、配置が。だからその衆の後をついて。

Q:弾薬を運んでたんですか?

弾薬を運んだよ。

Q:じゃあちょっと山の上のほうに行ったんですね?

はあー、山よ。ほんだから17日、18日はね、船がやられて。目の前の船がみんな、バカバカバカバカ、轟沈(ごうちん)。18日は。18日の午後は船をみんなやられた。17日は陸上。ほいで18日は海。海に浮いてる船。だから輸送船からなんからみんなやられた。

Q:上から船がやられてるのを見たら、いやでしょうね

いやだねえ。かわいそうなあと思ってね。「あれ、またやられた」なんてね。何しろまあ、生きた気持ちはしないやね。みんな人間が乗ってるだもん。船はおっかない、何しろ1人や2人じゃないだからね。何しろね、2つばか見たよ。水煙が上がったと思ったら、その水煙がなくなったと思ったときには、何にもねえだ。船が。ねえ。「轟沈」て、よく言ったけどね。恐ろしい。

Q:トラック島がもう厳しいと思ったときでも、トラック島を放棄しようとはなんなかった?

なにしろね、島でしょ、放棄なんつうことはできんよ。自分がでかい船でも持っときゃ逃げるけどさ。あとは外洋でしょ。どうやったって逃げられんでね。袋のネズミつうわけだ。どう考えても、とても逃げるわけにはいかんでえね。どうなるだろう。何しろね、夜は、18日の夜はね、17日、18日の晩かな、夜中、眠れなんだよ。いよいよどうなるだろう。これで明日はこんどは連合艦隊(連合軍の艦隊)が来て、艦砲射撃でやられるじゃあねえかと。

あのころから終戦まで、終戦が8月でしょ。8月の終戦は15日かな、15日はね、「本隊へ帰れ」て言って、14日・・・14日だか13日ごろね、連絡が来て。15日には本隊へ帰るよう。ほしたらね、そのころはね、敵の飛行機が来るだよ。来ちゃ宣伝ビラまく、「降伏しろ」って。俺たちもね、宣伝ビラ2枚ばかり拾ったことあるだよ。ほいで「いよいよ、戦争終わりだぞ」なんつってね。ほいで15日の日に本隊へ帰った。ほしたらあの、放送。天皇陛下の放送でね、終戦だ。その終戦を聞いてね、本隊へ帰った。寝られなんだ。1週間。ぼやーっとしちゃってね。これどうなるだか。戦争末期にね、日本なくなっちまう。どうなるだ。なにしろ寝ても寝れなんだね。

あの、終戦なってからね、なってっから。それはね、わしより1期古い兵隊でね、その人がね、「おいおい」なんて呼ぶつうわけだ。ほいでね、「何ですか」なんて言ったら、「おい、あの終戦になったからね、ご馳走してやるから、持ってきてやる」ってね。そしてその人がね、兵隊に持たして送ってよこして。ほしたらね、缶詰が、缶詰なんか、そういう物があるからびっくらしちゃってね。ほいで、本隊へ行ったときにね、その鍵を持ってるやつ、「おい、こんなのがあるだけ」って言った。「あるだわ。大きい声じゃ言えんけどね。こんなもの今出しゃ、上の隊長は首だ、殺されちまう。だから絶対出せん」。ほして自分が知ってるのには出してやったらしいけど。ほいでわしが6人、8人残して帰ってきて。そのときにね、その前にわしが十何人のときにね、これから鍵をもらったつうわけだ。ほうしたけんど、こんなもの出せばね、他のとこから殺されちまう。今までね、こんなもの隠してたって。ほしてこの6人の知ってるやつに少しずつやってね、後で残ったのへはね、出さんでね、「どうなってもかまわんからみんな帰ってこう」て。ほいでわしたちは6人残して、帰ってきた。まだね、食いきれん程あっただよ。

あのねえ、航空隊は備蓄食料がえらいあったから。「そんなものは公にはできん」つうわけだ。他んとこはねえぎね、自分とこだが、航空隊はね、航空食糧とか特別の食糧があってね、それを備蓄していた。それが残っていてね。さあ、こんだ戦争終わったら出せられん。そんなもの出したら今度は問題になる。だからみんなね、わしたちなんかね、相当、各部隊へくれちゃった。人は少なくなるし。黙秘権じゃねえけんどね、他の無いとこへもくれたり、そして少なくして。ほいでも結構残っててね。だからわしが来たときにはね、うちでもびっくらした。餅の缶詰ね、いなり寿司の缶詰ね、(そん)なん持ってきてる。

ほいで本隊がね、うちの部隊は早かったな、割合。わしが2月だからね、8月、9月かな、9月か10月にはね半分帰っちゃった。復員。ほいで後にね、だんだんだんだん兵隊が残っちゃって。ほいでわしたちが、いちばん最後まで、20何人か、20何人残って。ほいで8人残して、わしたちが帰ってきた。それが2月。えーっとね、これに書いてある。わしたちがね、これで帰ったの。2月の18日のね、LSTってアメリカの船。これでね、これを見るとね、海軍の軍人は15人。わしはこの中で、わしたちがね8名かな。あとで8名残しただからね、8名ぐらいしか残っちゃあいななんだ。ほいで15名。海軍の軍人が15名、軍属が8名、陸軍が55人、市民がこれでも416人もいた。

何しろね、これを見て、引き揚げを見て、一般人がこんなにいたとは思わなんだ。びっくらしたよ。じゃ、一般人なんかはね、これをやる前にね、空襲の直後ね、相当もう帰っちゃったと思ったから。何しろえらいいるだもんね。何百人といる、びっくらしちゃった。わしたちなんかね、兵隊だけだと思っただ。へえ、ほうかな。わしたちはね、こんないたとはなあ、驚いたよ。416人。

2月の15日に出て、ほして、1週間たってグアムへ来て、グアムでね。1週間グアムで留められて。そして、いよいよ、「降りろ」っては言わんだよね、船ん中で。ほして、1週間目にね、「作業員を出せ」って。「各部隊から2人ずつ出せ」て。ほいでうちの方も2人出して。ほいでその衆がなかなか帰ってこんだなえ。おい、いよいよ下ろされて、見ればね、行くとこは何にもなかった所へずらーっと堤防を作ってる。陸から海へ防波堤を。それがね、アリのよう。あの自動車、ダンプが。ほいでどんどんどんどん見る間に伸びちく。ああいうことをやらせられるだ、おりゃ。覚悟して。「へえ、みんな覚悟しろ」。まあ、ここでやるじゃいいけんどね、遠くのインドやあんなとこに連れてかれるよりはいいから。ほしたら夕方、作業員が帰ってきてね。ほしたらね、着るもの、着るものが主だったなあ。毛布とね、それからアメリカの長い服を持ってきて。ほいで「分けろ」って言う。内地は冬で寒いから。分けてね、待遇がいいじゃんね、びっくらしちゃってね。ほいで毛布もわしはうんと。人は段々減る、物はあってね、色々持ってきただよ。毛布も3枚も持ったり、着るもんも持ったり。それから食うもんも持ったりしてね、それは取られなんでね、みんな乗っけてきた。ほんだらね、もらうの悪いようでね。ほいで軍属だの衆にね「おい、みんな持っといて分けてやれ」なんつってね。そのねえ(持ってない)衆にね、ねえ衆で着たっきりって奴もいるつうわけだ。ほいで「そういう衆に分けてやれ」して言って。ほいでやって、ほいで浦賀へ、久里浜か、久里浜へそのままその足だね、夜か夜出航してね。ほいで朝、久里浜へ。あれ4日くらいかかったんじゃあねえかな。

Q:海軍の最重要拠点といわれながら、絶望的な戦いを強いられてしまったというのは、なんだったんでしょうね。

まあ、こんな島が重要な島かとは思ったね。こんな重要な島かなあと思ったね。まあ山ん中から出てきたからね、視野は狭いけんど。ひどいときに行ったから、まあある程度こういうとこもあるのかなあと思って。まああの地図上から見れば重要だ、日本からみれば。どこへ出てくにもいちばんいいとこだから。だけんど、まあ日本人の考えじゃあ、良かったのかもしんけんど、世界から見ると大したことねえだね。と思うね。まあわしたちなんかは、「海を見れりゃあ、はあ、いいなあ」と、思って行ったけど。まあ2年、1年半はいいとこだなと思ったね。あとはへえ、いつやられるか分からん。

Q:亡くなった同胞に対して今、思うことってありますか?

うーんねえ。かわいそう。かわいそうしか言えんね。残念だよ。みんなね、亡くなる人は、うちの部隊でもほうだけど、この人は帰さなきゃならんて人がみんな死んでるね。あれは世の中うまくいかないなあと思って。俺なんか4人兄弟だから、死んでも後釜があるから、いいだいね。そういうのが生き残って。これはひとり息子でうちで待ってるから帰さなきゃならん、という人が3人も死んでる。わし看取ってるから。

出来事の背景出来事の背景

【トラック諸島 消えた連合艦隊】

出来事の背景 写真太平洋のほぼ中央に浮かぶトラック諸島。巨大なサンゴ礁に囲まれ大小200余りの島々が点在している。大正8年(1919年)に日本の委任統治領となり、民間人や軍人・軍属など約2万人の人々が暮らすようになっていた。島には町が作られ、病院や小学校、映画館や料亭までが立ち並んでいた。

昭和17年8月、連合軍の本格的な攻勢が始まると、日本軍は連合艦隊の拠点を日本国内から前線に近いトラック諸島に移す。来る決戦に備え、戦艦大和など連合艦隊の主力が集結し空母機動部隊が島を拠点に作戦を開始した。

しかし連合軍の攻勢の前に日本軍は各地で敗北を重ねた。米軍は昭和18年11月、トラック諸島の東にあるギルバート諸島を攻略、翌19年にはマーシャル諸島にも手をのばした。ラバウルの航空隊も度重なる空襲で大きな損害を受けていた。

昭和19年2月10日未明。連合艦隊の主力15隻がトラック諸島を離れた。連合艦隊司令部はトラックを拠点とした決戦は時期を逸したと判断。体勢を立て直すため作戦を変更したのだ。その際、物資や燃料を運ぶ多くの輸送船がなぜか残された。

2月17日早朝、2日間にわたるトラック大空襲が始まった。空襲開始から2時間足らずで航空部隊は壊滅。次に標的にされたのは、ほとんど防備を持たない輸送船だった。この空襲で、日本軍が出した損害は、輸送船31隻、艦艇10隻、航空機279機。死者は2000人以上にのぼった。

連合艦隊の拠点としての機能を失ったものの、トラック諸島が米軍の基地として利用されることを怖れた大本営は、多くの将兵を送り込んでいく。戦況が悪化し補給が絶たれると兵士たちは自給自足を余儀なくされた。トラック諸島では終戦までに、5000人にのぼる将兵や民間人が餓えや病で命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1922年
山梨県北巨摩郡菅原村(現・北社市)に生まれる
1941年
9月、横須賀海兵団入団。その後、工機学校、潜水学校へ
1942年
第21航空隊の機関兵としてトラックへ
1944年
2月トラック大空襲
1945年
トラック諸島・夏島で終戦。終戦時は第902海軍航空隊所属
 
戦後は農業・ガソリンスタンド経営

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