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タイトルタイトル: 「消えた連合艦隊」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
名前名前: 樽見 太助さん(トラック大空襲 戦地戦地: トラック諸島  収録年月日収録年月日: 2011年2月1日

チャプター

[1]1 チャプター1 電波探信儀(レーダー)の担当に  08:39
[2]2 チャプター2 「不沈戦艦」トラック諸島  07:10
[3]3 チャプター3 電測兵の仕事  06:39
[4]4 チャプター4 ガ島の生存者を見た  02:01
[5]5 チャプター5 大空襲の予兆  04:04
[6]6 チャプター6 トラック大空襲  08:40
[7]7 チャプター7 壊滅したトラック諸島  10:39

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
収録年月日収録年月日: 2011年2月1日

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Q:横須賀海兵団には志願?

志願。

Q:どうして?

あのころはね、満蒙開拓って、日本がね、2・26事件あったりで大不況なんです。そのころね、私も尋常高等小学校のときに2番で卒業したんです。それで満蒙開拓に行かせるのもったいないから、師範学校だったら教育費も出るからそこに行こうと決めてたんです。ところが、海軍の少年航空兵っていうのは、まだこれ以上の名誉のもんだからね、国のためになるから、それでそれを受けたんですよ。茨城県で2人しか受からなかった。少年航空兵は。そういう連中、機関兵とか水兵とかいろいろなのが全部集まって、それで試験受けてですね、受かったものだけが、先ほど申し上げた霞ヶ浦海軍航空隊、そこでいろいろ操縦と偵察と通信とそれぞれ部隊分れてます。それで私は通信で、通信学校にったんです。

Q:戦争に行く不安はなかった?

喜ばれました。それで近所にね、「樽さん学校なんて今出したって役に立たないから、腕に技術つけるのがいいよ」って言ってたでしょ。私は「そんなものよりも海軍のほうで、名誉ある国のためになることがいいことだ」って。だから、当時は満蒙開拓・・開拓団のみんな入るようなこと勧められたんですね。町から。それもいやだからね。死ぬ覚悟で勉強して受けたんです。

Q:航空隊のほうに入ろうと。

飛行士になりたかった。

Q:で、電信のほうに行くのは自分の希望?

私の希望ではなかった。飛行機で操縦をやりたかった。あの当時、笠間から友部に海軍航空隊があったんですよ。それが私らの上空でキリモミやったり急降下やったり、毎日毎日練習してたでしょ。私も乗りたくて、そういう意味でパイロット狙ったんです。だから通信は本当はあまり芳しくない。もしパイロットになってたら、私はいないです。幸い、今考えてみると生き残ったのは、通信のほうに行った為に生き残った。それから通信の中でも、そのまま通信やってたら船に乗るでしょ。船で行けばみんな死んじゃった。戦死した。陸上にいたから助かった。

Q:電波探信儀(レーダー)の講習は希望だった?

いや、これは命令です。それはね、どういう意味だか知らないけど、私1人だけ中に入れられたの。

坑道が、アンテナがあるんですよね。ここに入り口があって、ここにローラーがありましてね、これがグルグル回るようになってるんですよ。これが電波探信儀。これはあの基礎工事。ここにローラーがあるんですよ。中でグルグル回すと、この上の部分がアンテナと一緒に回る動くんですよ。このアンテナがブラウン管っていうのがありましてね、これが直接受けれる。自分で発信してここにメモリがこうあるんです。何キロ、何キロ。こういうところにパルスが出てくるんですよ。そうすると方向とこの間の距離ね、距離をわかるわけだ。島から見ると、こういう方向性をもった電波が出るんですよ、こっから。それでこの中に入ったものがもしあるとすれば、ここに反射して返ってってくるのが、これがここに返ってくるんです。グルグル回ってね。ですから方向と距離が分かる。それで、私らが行ったときまでは、高い櫓(やぐら)立てて望遠鏡で、海軍の見るんですが、大体地球が丸いために見えるのは40キロくらいなんですよ。40キロで、もし見つけたとすれば飛行機の速度の方が速いですからね、間に合わないです。私らの測定する距離は400キロです。今まで40キロしか見えなかったのが400キロ見えるようになった。ですから、これが400キロだとすれば飛行機の速度より速いから、早く空襲警報が出る。だから私らが行ったのは大歓迎だったんです。先ほど言ったように、上海で送信技術から何から全部整備やってたのが私だったもんですから、私1人がね、トラック島の先端に立ったわけよ。名前が案外どっかに出てたか分からないです。ともかく、どこへでも優遇されました。

Q:初めてトラック島に行ったときの印象は?

常夏の国。私らが桟橋から上陸したときね、日本町・・商店街があってね、お土産売ったり、食堂があったりカフェがあったり、慰安所があったりいろいろにぎやかだった。それでね、暑いのは暑いんですよ、40度くらいにもなるんですが、1日必ず2回くらいスコールがあるんです。そうすると爽やかになる。ハワイじゃないが、本当に夢の国だったね。土民がいてね。私らはそこでお土産買ったり食堂に行ったりね。あのまま続いたらば、あのくらいいい所はないです。

Q:そんなにいいとこ?

それから魚は取れるしね。カツオ。

Q:補給基地だったから何でもあった?

ありました。軍需部じゃね、10年間くらいもてる燃料(正確には不明)。それから食事ね。軍需部に全部、夏島の陰の方においてあるの。一部は防空壕掘って、中に入れたのもありますが、間に合わなかったのかな、その当時外に出ていたんです。ドラム缶で食料がね。

Q:最初に見たときはびっくりした?

たまげました。缶詰でも、いろんなこういうものも缶詰になってんだなってものが、いっぱいありましたよ。ほうれん草とかね、赤飯だとか、おかゆとか、そういう感じのがいっぱい缶詰。煮干もあります。あらゆるものが。

Q:兵器は?

警備隊が守ってたから。警備隊が数人いたんじゃないですか、軍需部に。

Q:軍需部に兵器もあった?

兵器もあった。爆弾も搭載機だよね。そこを狙われちゃったからね。目玉が。あれがやられなかったら応戦したでしょうね。

石油の燃料タンクなんかも外に出してあったんだから。それだから糧まつって言っても、そういう前線基地に送るって食糧を、そのまま置いたくらいだったんだから。無防備。

Q:当時はそこまで思ってない?

思ってない。まさかそういう空襲があると思わないし、船は入れないから安心してたのね。

Q:トラック島で初めて連合艦隊を見たときの印象は?

すごいどう猛ですよ。もう地球上にないほど強い国だと思いましたよ。ダーッて並んで行くとね、あそこ黒潮が途中あるんですが、その中をね、連合艦隊が行く様はね、まさに軍歌に出てくる「守る攻めるも」ってあるでしょ。あれと同じで、もう天下泰平。世界一の軍隊国だと思いました。そのときは。

Q:当時トラック島難攻不落といわれていた?

船ではね、とてもじゃないが、環礁に入ることはできないです。

Q:トラック島の兵士たちの間でも言っていた?

それは補給地だからね、いちばん安全だと思いました。

Q:補給地だから安全とは?

環礁だから他の船が入ってこられないから。入り口と出口があるだけで。それで入り口にも機雷があるでしょ。だからあそこから船で入れることはまずないです。できなかった。それだから、輸送船でも何でもあの中に入っていれば安心していた。

まず不沈戦艦と同じ。近づけないだろうという自信満々だった。

Q:誰が?

私は思ったし、他の兵隊らもみんな思ったと思いますよ。全然沈没しない戦艦に乗ってると思った。

Q:トラック島は?

ええ。だから近づけないという自信はあった。空から入ってくるやつも零戦が退治して、陸軍の飛行場もあったし、そんで、空の守りも大体大丈夫だと、大丈夫船は入れないし、空は大体大丈夫だなと思ったから。まず不沈戦艦だなと思った。

味方の飛行機が来るのか味方の船か敵かっていうのが、大体司令部の方で分かるから、私らが報告するっていうと、「それは友軍機である」とか「友軍の船である」とか「輸送船である」とか、「それは空襲警報出すんじゃないですよ」っていうのをやってた。だけど夏島と冬島は海底ケーブルで直接本部につないでた。後になってですが、今度は司令部と竹島とに海底ケーブルを作ってやったんです。私らがその司令部に報告したときにはまだ竹島には二の次で、そっから連絡してた。

Q:電探の配置の場所には何人兵士がいた?

私らがいたときは、初めは10人くらいです。それで後から機関兵、発電機回したり。それから後は何かな、いろいろ雑用する軍需部の人らがいたりで、全部で大体5~60人くらいですかね。全部集めればね。

Q:何人で交代?

10人くらい。

Q:ローテーションは?

大体1人3時間か4時間くらい操縦するっていうと疲れちゃうからね。交代で。その脇にテント張って、交代するために待機でテントを置いて、操縦する。一夜。1時間でも1分でも困るからね。中、手で回すんですよ。電気で回すのもあるんです。ボタンを押すと電気でグルグル回るんです。だけどもね、本当に精密にやるには、手でこうやって反射を見つけるんです。電気でやるっていうと細かいのが抜けちゃうんですよね。だから1日ずっと当直時間にはこうやって回す。だから3時間か4時間っていうと疲れちゃう。2人ずつで当直するんですが、5交代くらいで。

Q:原始的ですね。

そうです。6畳間くらいの建物が回るから。それを手でローラーが下についてて、こうやって回すとククッと動いてく。

Q:力も要る?

そんなにいらない。そこは軽く回るようにしてある。

Q:5交代制で毎日勤務?

毎日勤務。休みなし。もうそれこそ1分たりとも大変だからね、空襲受けると。だから待ったなし。ところがね、やっぱり直接波を受けて、反射を見つけるためには受信機がね、精度の良いもんじゃなくちゃ駄目なんです。ところが実際についてたときは真空管のだったんですよ、受信機が。受信機の使ってる球が、それが弱いんですよ。それでね、私が司令部に話して「この真空管使ってちゃ駄目だから改良してくれ」って言ったの。それで曳光管って言って小さな、今までこうあった電球の玉みたいなのが、それこそ3分の1くらいで、強力な電波に耐える、耐えるあの真空管ができた。それで輸送隊で運ばれてね、私らのところに置いてね。日夜まるきり受信機の整備で、故障しちゃうから。

Q:樽見さんからも改良したほうがいいって言ってた?

ええ、司令部へ。それで、私の言うことはみんなね・・私のことは「金太郎さん」って言ってね。真ん丸いあれで、知識が結局、送信機の技術だなんだ持ってますから、貴重品扱いですよ。優遇されました。所長なんかもう、私が後から入ってきてから、当時少尉で入って中尉になったんですが、それなんかが「対等の付き合いでやってくれ」って。自分で勝手にほら、「遊ぶ場所行くときは構わないから、自由勝手に行動しなさい」って。優遇されましたよ。

ガダルカナルでね、兵隊が、助けに行って、そしてまるっきり洗濯板のようになった兵隊がね、船から上がってくる。あの、その助けるときにね、日本の船がドラム缶を使って、何本かこうドラム缶をつないで海へ流したんです。そしたら、ガダルカナルで生き残ったのが、泳いで行って綱につかまったの。その綱を、日本の船がトラック島まで連れて来た。

びっくりしました。ああもう友軍がここまでアメリカにやられてるんだなあというのが分かったんですね。

Q:なんでこんなガリガリの兵隊がいるんだと、驚きが。誰かに聞いた?

見たんです。トラックに乗せるとき、5キロくらいしかない兵隊をどんどんトラックに乗せてたから。それでね、あのもう無意識のうちに水を飲みたがったり、食べ物を欲しがるんですよね。だからあの、「絶対にやっちゃだめだよ。もし水飲んだり食べたらば死んじゃうよ」って言われた。そいういう状態のときには。そこまで見てました。

Q:2月4日の話、電探の任務についていた?

そうそう。それでね、後で分かったんですが、低空飛行なんです。それからね、向こうは進んでるから、電探の能力知ってるでしょ。だから、海を低空で来て、山をまるっきりかするようにして、電探に撮られないように来たんですね。だから、当時としては電探働いてたんだけど、そういう方法があったっていうのは後でわかった。

Q:2月4日は電探にひっかからない?

ひっかからない。ですからひっからないように向こうが来たんだから。山の上こうやるでしょ。まるっきり山だと思っちゃうから。反射波が。だから見つからない。それまで向こうは知ってたんですよ。それからね、欺まん波つって、金粉を飛行機からずっとトラック島の周りをね、散らかすんですよ。そうすると電探がみんなそれの反射波がきて、キラキラキラ、ブラウン管に映っちゃうんですよ。そうすると、大切なパルスが見つからないんですよ。そこまで彼らは電探に攻撃やってた。

Q:敵の偵察機を見たっていうのは?

信号兵がね、見張りついてたでしょ。音と、ゴーッという音がしたりするんで、分かったんですよ。で、電探は捕まえることは出来なかった。

Q:連合艦隊がいなくなったのを見たときどう思った?

何か作戦、秘密行動を起こしたなってことは分かったけど、それだけです。そういう参謀と違うから、私は見てただけのことで、ただそういうことになった。あれ?と思いましたね。連合艦隊が、「あれ?今日はいないな」って思ったの。夜中に出航したのね。そのときに・・私が責めてるのは、なぜ他の輸送船にそういう作戦に出たんならば、そういう連絡を輸送船とか駆逐艦に何故一言言わなかったのかなっていうことが、いまだに不審に思う。

一回転、追跡してね。一回転するまでに、何回したか、それでも空襲警報出ないんです。変だなあと思ったんです。そしたら敵機がまるっきりハエの大群が来たみたいに近づいてたんです。

それで空襲警報だったんです。

Q:敵機を発見したのはどうして分かった?

目測できたから。

目測で、ちょうどハエの塊がぐぐっ集まってくるように、真っ黒になって近づいてきたんです。そのときはもう40キロくらいかな。目で見えるくらいだから。それで私が報告したのは170キロくらいの測定で本部に連絡したんですから。そのときに空襲警報が出れば、輸送船の退避だの、それから飛行機の応戦体制でも何でもできたわけなの。

Q:電探で発見したときどんな気持ち?

いやこれはまさしく、来る方向が、来るわけがない方向だったですから。初めて、今まで通常見てた航路と違う方向だったです。友軍機が日本からトラック島に来るまでの間、年がら年中映るでしょ。だけど、それ以外は来るわけがない方向から、ハエのような形の反射があったの。だから「これは敵機だ!」ということが判って、報告したんだけども、空襲警報が出されなかったの。

Q:空襲が始まったとき樽見さんはどうしてた?

山の頂上でちょうど映画みたいに毎日毎日あれですよ、本当にテレビの放送と同じに、パイロットが、操縦の方が私らのところをずーっと降りてってね、飛行場をやったり、軍需部の燃料タンクやなんかやられるのまるっきり見えた。

あと、前線基地にいくためにゼロ戦が飛行場にね、全部こうやったままね、何十機って持っていくためにあったんです。

Q:こうやったままっていうのは?

輸送船に載せるつもりで。

Q:羽を曲げてたということ?

そこをまずやられちゃったの。飛行場がやられて、それからドラム缶が、防空壕に入らないのが山積みであった。それが敵機がやったもんだから、誘爆して、ほとんどそこにあった零戦がみんな爆発した。

Q:それは見た?

ちょうど真下だから。山の上に私らがあって、下に竹島航空隊って飛行場があったんです。だからこうやってみると飛行場が見えるんです。

Q:丸見え?

丸見え。バンバンバンバン。こっちに軍需部があってね、そこに誘爆して。全部。それは向こうは、空から偵察機で情報が入ってたらしい。それで、まず飛行場をやる。そうすると空の守りが全然ないでしょ。そこ今度、次の日はロッキード、グラマンそれが本当子どもの手をねじるように、悠々としてドンドンドン。

ともかくパイロットが眼鏡かけて私らの上をすーっと降りてってていう印象が強いですね。

Q:冬島(ウマン島)も狙われた?

いや狙われない。相手にされない。飛行場をめがけて、夏島(トノアス島)と竹島(エテン島)を狙って、私らの山づたいからこう。ですからパイロットが操縦してるのをよく私は見えてた。

Q:竹島(エテン島・日本軍の飛行場があった)はどんな状態?

竹島は前線に送るゼロ戦とか糧まつね、そういうのが残ってあったですね。裸のまま。ゼロ戦も30機くらいはなにか、こういうふうな状態で、飛行場のところ、前線に行くためにあったらしいですね。優秀なるパイロットは全部休むつもりでトラック島の竹島(実際は夏島)にいましたから。だから、パイロットが見てるうちに、自分らの飛行機がやられてるのが分かったと思いますよ。

昼間、空襲があって、夜になったらね、爆発するんですよ、船が。ボンボンボンね。輸送船がね。それで昼間は黒い雲でしょ、空が真っ暗になっちゃったの。それで、夜になったら海岸線に、その輸送船に乗ってた徴用工とか兵隊とか連中らが、泳いで私らの島に海岸線に逃げてきたんです。泳いで。そこをね、今度は向こうのグラマンが一斉射撃してね、それで海岸線は血の海ですよ。それで私の部隊は、「応援に行けるものは助けにすぐ担架作って助けに行け」って、何名か行ったんですよ。血の海だった。あそこでみんなサメに食われちゃった。サメが血見るとみんな食べちゃう。

明け方。全員ね、ほとんどのものは丈夫なものはみな助けに行った。まあ3分の1くらいは、まるきり元気だったのは3分の1くらいでしょうね。後は負傷したり死んだり。まあ哀れだったですよ。それも空襲警報を出す指令が、もしね早く出せれば、ああいうことなかったわけだ。いかに桶狭間じゃないけれど、奇襲されるってっと駄目だよね。

最後は恐ろしいって全然思わなかったです。みんな防空壕できたしね。いくら空襲警報出してもみんな潜っちゃうからね。後から攻撃したのは、島と島の間をやりとりするようの防ぐために、彼らは攻撃したんだと思いますよ。島と島の間、通信できないように。小さな漁船と小さな砲艦みたいなのが行き来したんです。軍需物だの食事をね。そういうところを毎日空襲やって。そのために最後まで電探は当直ついていました。

電探にも攻撃があったんですよ。そのときにね、戦友が、私と一緒に下に逃げたときに、その人だけは貫通して死んじゃったのね、一緒に働いてた。それを思い出しますね。なんで私が助かったのか。

Q:もう少し詳しく。

電探の操縦室に、敵の攻撃が、電探狙われてきたの。私らが出て逃げ出したときに、2人で逃げたときに、1人が貫通して私は当たらなかった。その人は呻いてましたがね。それ以上に感じとしては思ってる。強く感じるね。戦友の死がね。ほんの一寸の一分の差でね、死ぬ人と生きる人がある。生死の境目。それを強く感じました。

トラック島がほとんど壊滅になったとき、今度は食料の問題があったんです。トラック島が壊滅に近くなってからすぐ、即日白米の食事はやめるわけです。自分で今まで持ってるやつを格納して、それで後のものは勝手に食べ物を自分で食べなさいという命令が出た。その間、防空壕(ごう)堀りやって、食べ物もないし栄養失調がどんどん出てきちゃうんですよね。それで、サツマイモが出てきたら、青木昆陽っていう人が、サツマイモを海岸に作るっていうようなことの講義がありまして、苗を沖縄あたりから取り寄せて、それで岩盤を崩して畑作って、で、サツマイモの苗を植えたんです。それで1回目はその芋で成功したんです。ところがね、その芋がね、何虫っていうのかな芋虫っていうのかな、一晩でみな食いころし。サツマイモがとれなくなっちゃったの。飛行機は上空にいるし、みんな缶詰持ってって虫を一生懸命とって燃した。で栄養失調者が出た。栄養失調になるのは応召員が多い。いちばん先何かって言うと、こういうところに粟粒が出きるんですよ。そして、もうそうなると下痢しちゃう。なんていうかな、糞まみれ。初めのころはね、テーブルを棺箱に作って、包んで埋葬したんですが、バタバタバタバタ死んでいくから、そんなもう何も出来ないから、後はもうみんな穴を掘って埋めただけなんです。

Q:なんで応召員が多かったんですか?

結局あのころニューギニアとかあっちの方の戦力が欲しかったんでしょうね。

Q:まず最初に栄養失調になるのが応召兵なのはなぜ?

結局体が弱いから。歳とってるから。ちょうど私らが20歳のとき、40歳くらいの人が多かったんですよね。その人の中は、全部じゃないけれどやっぱり体力的には弱かったから。かわいそうだったですよ。

水ぶくれが出てね、膨らんじゃうんです、体が。そうすると明日の朝何人かずつ、そのまま寝たままになってたの。で、士官室と、私ら下士官だった下士官室と、兵隊と三者があるんですよね、兵舎の方の連中らが、みんな応召員が多かったですよ。その人らが糞まみれで明日の朝みんな何人か死んでたの。

Q:部下を看取った?

ええ。

Q:どういう状況で?

飢え死にですね。家族の人には見せられなかったですよ。飢え死にして。まさか、やる食べ物がないっつことは、筑波山のところに7万人くらいがいたと思えばいいですから。それが食べ物探すんだけど、もう木の芽から根っこからみんな食べちゃったからね。虫と同じ。だから体壊しちゃった。それから、最後に思ったことはね、天皇陛下を恨んだよ、私は。天皇陛下万歳だなんて全然思わなかった。「何故参謀の言うままに、こういう戦争しかけたんだ」って、恨みが思ってたんですよね。

Q:ご自身は栄養失調になった?

なりました。あれは毎日電探まであがるところ、坂道があるんですよ。疲れて何回か休みながら上がってった。だってサツマイモ2本くらいですよ、1日。1日食べものが。あとサツマイモの葉っぱ。それから、小魚の・・・本当に少ないんですから。ほんのこれしかない。そんで働いてたから。だからまあ飢え死はひどいですよ。地獄ですね。生き死に。戦死したほうがずっといいですよ。

Q:そのころは毎日何を考えていた?

早く戦争、講和条約でもやって、早く生きてるうちに祖国に帰りたいと思った。

Q:帰りたいと?

いやそれは思いました。それからね、浦賀に着いたときに、向こうの婦人会の人らが出迎えてくれたときね、「ああ、すごい美人がいるんだな」と。向こう行ったときは、向こうは茶褐色のおばあさんで刺青なんかして。娘でも、あそこドイツ語がね、胸に絵描いたりなにかして、女と思わなかった。それを浦賀についたら美人が多い。

Q:トラック島ってのは、樽見さんにとって何ですか?

青春時代のいちばん、真っ只中の悲劇だと思ってる。青春時代のね。何も青春でいいことひとっつもなかったから。あのころ私らの年の人はみんな思ったと思いますよ。青春の真っ只中でね、何一ついいことなかったもん。今の若い人らが踊ったりなんかしてるの見るとね、まったく、同じ日本人なのかなって思うよ。

出来事の背景出来事の背景

【トラック諸島 消えた連合艦隊】

出来事の背景 写真太平洋のほぼ中央に浮かぶトラック諸島。巨大なサンゴ礁に囲まれ大小200余りの島々が点在している。大正8年(1919年)に日本の委任統治領となり、民間人や軍人・軍属など約2万人の人々が暮らすようになっていた。島には町が作られ、病院や小学校、映画館や料亭までが立ち並んでいた。

昭和17年8月、連合軍の本格的な攻勢が始まると、日本軍は連合艦隊の拠点を日本国内から前線に近いトラック諸島に移す。来る決戦に備え、戦艦大和など連合艦隊の主力が集結し空母機動部隊が島を拠点に作戦を開始した。

しかし連合軍の攻勢の前に日本軍は各地で敗北を重ねた。米軍は昭和18年11月、トラック諸島の東にあるギルバート諸島を攻略、翌19年にはマーシャル諸島にも手をのばした。ラバウルの航空隊も度重なる空襲で大きな損害を受けていた。

昭和19年2月10日未明。連合艦隊の主力15隻がトラック諸島を離れた。連合艦隊司令部はトラックを拠点とした決戦は時期を逸したと判断。体勢を立て直すため作戦を変更したのだ。その際、物資や燃料を運ぶ多くの輸送船がなぜか残された。

2月17日早朝、2日間にわたるトラック大空襲が始まった。空襲開始から2時間足らずで航空部隊は壊滅。次に標的にされたのは、ほとんど防備を持たない輸送船だった。この空襲で、日本軍が出した損害は、輸送船31隻、艦艇10隻、航空機279機。死者は2000人以上にのぼった。

連合艦隊の拠点としての機能を失ったものの、トラック諸島が米軍の基地として利用されることを怖れた大本営は、多くの将兵を送り込んでいく。戦況が悪化し補給が絶たれると兵士たちは自給自足を余儀なくされた。トラック諸島では終戦までに、5000人にのぼる将兵や民間人が餓えや病で命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1924年
茨城県笠間町(現・笠間市)に生まれる
1939年
横須賀海兵団入団後、海軍通信学校へ
1940年
支那方面艦隊上海陸戦隊付
1942年
横須賀海軍通信隊に転属
1943年
トラック諸島へ 電波探信儀(レーダー)隊に配置される
1944年
2月トラック大空襲
1945年
トラック諸島・冬島で終戦
 
戦後 富士通に勤務

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