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タイトルタイトル: 「狙われた輸送船」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
名前名前: 髙橋 太一郎さん(トラック大空襲 戦地戦地: トラック諸島  収録年月日収録年月日: 2011年2月24日

チャプター

[1]1 チャプター1 特設油槽艦・富士山丸  05:00
[2]2 チャプター2 ミッドウェー作戦  06:45
[3]3 チャプター3 アリューシャン作戦  02:39
[4]4 チャプター4 ソロモン海での被爆  08:37
[5]5 チャプター5 海軍の拠点 トラック諸島  02:27
[6]6 チャプター6 消えた連合艦隊  05:28
[7]7 チャプター7 トラック大空襲  08:47
[8]8 チャプター8 富士山丸の沈没  02:57
[9]9 チャプター9 軍属として富士山丸に乗務し感じたこと  08:28

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
収録年月日収録年月日: 2011年2月24日

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私は中学から船乗りでして、前にも言ったようにこのあたりは船乗りが村の掟(おきて)みたいなもので、昔からで、皆船乗りになったわけです。私だけではなく、小学校の同級生なんかも船行ったんですよ。北日本汽船とか、日本海汽船とか。そういう船会社に行ったんですけど、そういう養成所に。で、私も横浜の海員養成所に入ってそれで2か月訓練を受けて乗った船が「富士山丸」っていう船だったわけです。

Q:そのまま要するに軍属ということになって

軍属でしょうね。「お前、軍属だ」って言われたわけではないけどただ私は16歳でしたからね。「船乗り、わーっ」て思って、武装はしてるしね。高角砲はついてるし、兵隊さんはいっぱいいるし。「こりゃえらい、なんだろこの船は」って思うくらい子どもだったわけですよ。それでまあ乗ってる間、こういう船だっていうことが分かってもうどうしようもないですわね。そのままその富士山丸に乗って、いちばん最初に行ったのがミッドウェー作戦です。

Q:じゃあ気持ちとしては全然分からずに。

そうですよ。国のためだとか、そんな思いはみじんもない訳ですからね。「船乗りなるんだ、村のそういうので俺も船乗りになるんだ」っていう気持ちがあっただけ。ただそれで船乗ったわけです。

Q:なるほど。それでは気持ちとしては戦地に行かなくてはいけないっていう。

いえいえ、そんな気持ちはみじんもないです。そんな気持ちはみじんもないです。

Q:でも、行かされるわけですよね?

行かされるわけです。そのころはもういちばん最下位ですからね、そんなことを考える余裕のない・・なわけです。ボーイ長っていう名前で呼ばれてましたけどね、水運びから、先輩の部屋掃除からそれとあと仕事の習うこと。それこそ、コマネズミのように働かされましたからね、そんな余裕なんてなかったですね、国のためだとか。

「おまえら死んだってなんぼだっている」って。お前ら死んだってなんぼだって代わりはいるんだっていう態度だった。

Q:それはやっぱり、こう、かなり下に見られている感じだったんですね。なんていうんでしょう。

まあそうですね。軍属でも、軍属として乗っとったのか、それとも船員として乗っとったのか。軍属なんて聞いたことなかったですからね。そのころは。ただ船員、船乗りとして。ただあとで、年金何やら書くので初めて軍属なんて書いたですけどね。ですけどね。そのころ乗っとったときは軍属なんて聞いたとこもなかったし、ただわしらは「船乗りなんだ」っていう、そういう気持ちしかなかったですね。

Q:まあそれで言えば、ほんとに民間人が戦争に巻き込まれた。

そうそう。民間人です、みんな。だからその思い思いの作業服買ってきてですね、海軍兵はなにかそのひやくの服装してますけど、我々は普通の作業服来て、赤やら黄色やら、思い思いの作業服着ているわけです。

ミッドウェー作戦に出た軍艦と合流して、それで補給をしながらミッドウェー作戦に出たわけです。だからミッドウェー作戦はその戦闘したとかやられたとかそういうことはないんです。途中で逃げたから。油を全部補給し終わって、飛行機が飛び立つ前に日本ヘ引き返えしましたからね。富士山丸は。だからそのとき別に被害はなかった。(被害ははなく)恐ろしい思いはしなかったわけです。ただ、えい航補給ですからね、走りながら補給しますから、猛スピードで軍艦と。軍艦と言っても巡洋艦とか駆逐艦とかそういう戦闘艦です。あれは船が小さいから、燃料もろに食うんです。スピードを出すから。それをもうしょっちゅう補給していましたからね。走りながら。まあそれがちょっとつらかったですかね。

並ぶでしょ。並ぶとこれが富士山丸だとするとこういうふうにこうデリック(クレーンの一種)があるわけです。デリックがあるとホースをつって、ホースをずーっと下すと軍艦に渡すわけです。そうすると軍艦が連結して、油を取るわけです。船はこうなってますからね、それをつってるロープ、船がぐーっと離れたらぐーっと下す。くっついてきたらぐーっと渡す。これが我々の仕事なわけです。渡すわけです。そういう仕事やってたんです。

Q:その仕事は大変だったんですか?

大変だった。船が走ってるでしょ。そうすると波と波がぶつかり合ってそれがしぶきになって、もう息ができないくらいの波がバーッと。みんな体をくくり付けてね、飛ばないように。くくりつけて。それでもう、いや、あんなにつらいことはなかったですね、ほんとに。

Q:まあ15、6(歳)だったからちょっとびっくりだったんでしょうね。

こたえた。これが戦争かなって思ったんですよね。

Q:息ができないんですか?

息ができないんです。まあそれはわたしだけではない、それはもう体がびしょびしょになるでしょ。こうやってて1時間ごとに交代するんですけどね、体がびしょびしょになるわけ。そうやってすぐ風呂に入って着替えるわけ。着替えてもまた行かなきゃならない。両方やってますからね、駆逐艦あたりは両方やってますから。

Q:1時間ごとに交代っていうことは、何時間もかかるんですか?

そうですね、まああの巡洋艦、駆逐艦でどれくらい補給してたんですかね。どれくらい補給してたのか。駆逐艦で1000トンくらい積んだか、小一時間くらい時間かかったですね。その間ハンドル持ちながら、ぴゃーっと浴びながら。上げたり下げたり上げたり下げたり。

Q:なるほど。しかしあれだったんですか?少しずつ仕事慣れていくに従って連合艦隊を支えてるのは俺の仕事だとか。

なかったなかった。そんな気持ちはみじんもなかった。俺も戦争に出てるんだっていう気持ちは、みじんもなかったです。

Q:逆に、気が付いたらそういう世界に入っていると。

だから「これが自分の仕事なんだ」っていう考えしかないわけです。それはもちろん私だけではなく、みんなそうだったと思いますけどね。ほんとに切なかったですね。

Q:その、現地での待遇っていうのはどういうものだったんですか?

良かったですよ。海軍の兵隊さんが約50人ほど乗っていましたからね。海軍並みの待遇でしたからね。それで船乗りは船乗りの待遇がありましたから。海軍から海軍へ支給品っていって1か月酒やらたばこやらお菓子やら山ほどくれるんですよ。それが楽しみでね。まあ酒は飲まなかったけど、たばこは吸っとってたからね。酒は飲まなかったけれど、それが楽しみでね。それでみんな酒を交換するわけ。それでお菓子をくれて寝る前にポリポリとっていう楽しみだったですね。

Q:しかしあれですか、たとえば連合艦隊っていうものを見たときの、そのくらいの少年になったときの、すごいなっていうか憧れみたいなものは?

それはもうありました。そのさっき言った、千島から南下して連合艦隊と合流したんです。そのときに、あのころ確か戦艦一杯とそれから各航空母艦がようけおった。3杯か4杯おったです。航空母艦が。それをぐーっととりまいた巡洋艦を先頭に駆逐艦がいて、そういう軍艦と「富士山丸」が帰ったときに、朝方だった、西日が当たってるわけです。そのとき見たときにびっくりしたんですね。腰抜かした。うわーってなって、腰抜かすくらい、びっくりしたんですよ。これが日本艦隊かなと思ってね。

ミッドウェー作戦が終わって、私らが入ったのはアリューシャン作戦です。アリューシャン作戦に行ったんです。そのアリューシャン作戦は、艦隊が動いた、艦隊がその上陸する船舶の護衛する艦隊が動いたわけです。その艦隊付きで我々も護衛に行ったわけです。

それで、キスカには行ったことなかったけれどアッツ島へ行ったわけです。まああそこはアッツ島へ無血上陸しましたからね。陸軍部隊が。それから、アッツ島のなんとかっていう湾があるんですけどね。なんとか湾言ったですよ。

初めて16歳の17年の6月、初めて空襲受けた。あんときは怖かった。

Q:怖かった?

最初はうわーパンパンパンって打つでしょ、わーってなってるのを、映画、ニュース映画でも見てるように見ておったんですけどね。そのとき兵隊さんに「バカおめえ隠れろ」なんて怒られて頭隠して隠れた。そしたら「富士山丸」の脇にビューッて水柱が上がるんですよ。その水柱が上がるよりも、音ですね。落ちてくる音。そらすごい音ですよ。ここに船があってここへ水柱が上がって、ここ距離2メートルか3メートルです。普通の人だったら死んどるわけです。それが海と船の間でここに落ちてくるわけです。その落ちてくる音がね。ほんと、地獄の音はこんなもんかなって思った。

Q:どんな音だったんですか?

ブワーっとなんとも言えない音です。あれはね、この日本に空襲来たころ、その音を出すのでわざわざ爆弾に笛をつけて日本の都市爆撃したとき。それくらい恐ろしい音だと。それをもろに聞いたんですよ。それは恐ろしかった。それはアリューシャン作戦で初めてその恐ろしさを体験したんですけどね。

それでもう一次二次のソロモン海戦で海戦した船がそこへ来て油を補充するわけです。補充するわけです。それで油を満船にして帰って行くわけです。三次まであったんですね。一次二次三次までとソロモン海戦があった。そのときはみんなおったんですね。200マイルぐらい離れとったかな、その島におったです。

Q:どうしても前線にまでタンカーが行かなければならない状況ってあったわけですか。

そりゃもう、駆逐艦っていちばんもう先頭艦ですね、いちばん敵艦と渡り合う。駆逐艦って小さくてね、スピード出すんです。小さいから燃料も少ししか積めないわけです。小さいから。スピードはもう、20~30のスピード出すわけです。だから、ものすごい燃料食うわけです。だからもうどうしても、近くには燃料を補給するタンカーがいなかったら動けないわけです、駆逐艦は。巡洋艦でもそうですが。戦艦とか航空母艦あたりは、船が大きいからガバーッと燃料積んでましたけど、駆逐艦はいちばん燃料食うんです。それを補給するために常にもう脇におらんかったらもう燃料なくなったらどっかで流れないけんわけだ、駆逐艦は。だからそれはもう、いちばん大事なわけです。

Q:もう、じゃあ、弾が飛び交うのを目の前で見たりとかって。

いやいや、そういう海戦は見たことないんです。海戦は見たことない。必ず海戦したら、ショートランドっていう小さい島ですけどね、小さい島がぽっぽっぽっぽっってある。その島影に隠れて、錨入れとったわけです。そこに帰ってきて燃料補給して、また出て行く。

Q:その当時にいちばん恐ろしい思いしたときの話を。

それは、やられたときです。

Q:その辺のお話をうかがってもよろしいですか、詳しく。

最後にはもう敵の飛行機に見つけられて、発見されて、ボーイング、B19っていうやつかな、6機で空襲きたんです。それで富士山丸、来たときに集中攻撃、バババババーッと集中攻撃。そのときに、3発。1発、2発3発、くらったわけです、船が。そのときに兵隊が約30何人。船員が7人、死んだんです。

Q:船員が亡くなったんですか。

ところがそのときには、船が沈まんかったんです。沈まずにポンと浮いてるわけです。ただ、火災起こしたですけどね。火災はほかの兵隊さんが来て、設営隊が来て、消してくれたけども。それでそれ以後、富士山丸は爆弾は命中してるし、火災は起こしてるし船は沈まんでいるけど廃船にするって捨てる気で命令来たですよ。「もうこれだめだから、捨てる気でいる」って。そのとき彼らは船長は(わたなべかいや)っていう船長だったですけど、「いやちょっと待て」と、「富士山丸はなんとかして日本に帰れるようにするから待て」と。それで機関長をはじめ、一等機関士、全部点検してあるいたらあれディーゼルエンジン8気筒入りなんですよ。8気筒入り。「8気筒のうち、4気筒は直せばなんとか治る」と。全部ばらしてね。焼けた跡を全部磨いて。「なんとかしたら4気筒は動く」と。「じゃあそれはやろうじゃないか」って言って。それから毎日、エンジンの所行って、ピストンを抜いて、磨いて、油をさして、また入れて。それで4気筒を工事したわけです。

Q:あれですね、軍は消耗品のように扱ってたようですけど、船員さんたちは愛着があったわけですね。

ワタナベカイヤ船長ってのは、なんとかして持って行かにゃ、この乗組員を島にあげてしまったら、島に残してしまうんだというそういう考えがあったわけですね。船長は。だからなんとかして日本に帰さにゃいかんという、「この船と一緒に日本に帰るんだ」という信念があったわけです。

ソロモンでやられたときの、あの悲惨な姿ね。あれ、兵隊が五十何人、船員が7人死んだんだけど、あの兵隊の死んだ姿なんか、それは無残なもんだったですよ。悲惨なもんだったなあ。まあ、その姿を見たのが、あれ19年だから、18の年ですよね。それでその、ソロモンでやられたときは船沈まなかったわけですよ。それでその五十何人死んだ人間が、まあもっとも行方不明になっとった人もおったけども、もうゴロゴロゴロゴロしとうわけです。それでそれを今度、船が沈まんから残ってるわけです。その残ってる死体を、陸から大発、水上大発もってきて、全部移して、それで陸へ、砂浜へ山積みにして焼きに行ったわけです。その死体を。ガソリンつけて、油つけて。それで、油をつけて焼いとったら、空襲警報かかってね、それで消せっちゅうんで、穴は掘っとったけども、消せっちゅうんで消したわけです。それで空襲警報が解除になってそれからまた焼こうかって言って、そこ掘ったら、きれいに焼けてるわけ。山なってる死体が、もう手が焼けたり、この辺の腸が破けたり、そら無残なもんだったですよ。あの姿見たとき、これが死体かなと思ったの。

その臭いがね、臭いが。今でもその臭い、何かこの辺から来るような感じで。感じがするんすよ。臭いが、死体の臭いが。それで結局もう、焼くことも出来ずに、それでその焼いてる、焼けた部分の骨をね、まあこの辺が焼けとったらこの辺の骨、たたいてた。それで皆ばさばさにしてね、それで今度は箱に入れて、あれ五十何体かな、まあ六十近い死体の、いなくなった人の分も全部、その生き残った、焼けた人の分からとったわけです。船帰ってから。箱に入れて、「これは誰それの箱だ」、「これは誰それの骨だ」言うて。それでその骨を持って、日本に帰ってきたわけです。だから、そりゃもうあのときの悲惨な死体っていうのはまあ、何て言ったらいいですかね。人間の死体・・・んじゃないな。何か、虫けらか何か焼いているような、そういう感じですね。

まあ、いいとこやった。いいとこだったですよ、トラック島は。それはあのトラック島でね、日本人もおったし、兵隊さんもようけおったし、で、軍艦もようけ入ってたときはね。トラック島には海軍の慰安所があったんですよ。慰安所言ったら遊郭ですね。だから日曜なるとみなそこへいそいそと出かけていくわけです。だから、まあまあトラック島はそういう慰安に関してもよかったし、だから兵隊さんもトラック島行ったらって、そういう話があったわけです。だから小学校もあったしね。慰安所の山があって、そこの山ってったってそんな高いもんじゃない。道路があって、そこに小学校があったわけです。

Q:結構あれですか?とにかく、すごい船がいっぱい入れるとこだったんですか?

そうなんですよ。それは夏島(現・トノアス島)とか秋島(現・フェファン島)、冬島(現・ウマン島)とか全部、島がこうごちゃごちゃごちゃってあるとこですからね。環礁で巻いとるとこですからね。そこへ入ったら、潜水艦はどこへも入ってこれないわけです。だから、軍艦にとってみれば、最高の所だったわけですよ。

だーっと「大和」「武蔵」ね。それはすごかったですよ。あそこの島に全部錨入れてね、いやあ、すごかった。

Q:あれですか?トラック島に入ると安心感みたいなのあったですか?

あったです。あった。「やれやれこれで今度も命助かったわい」っていう気持ちがあったです。

Q:トラック島に行ったり来たりして、2月の、昭和19年の2月。

17日、18日。

Q:その17日18日前にトラック島に入るときっていうのは、どういう経緯でこうトラック島に入ることになったんですか?どういう理由で?

連合艦隊の補油ですよ。さっき言ったように、トラック島には戦艦の大和から武蔵から全部おるわけですよ。その燃料を積んで、入ってくるわけですよ。そのボルネオ島からシンガポールから、油を積んで重油を積んで、そこで戦艦に油を補充するわけです。そういう任務だったわけです。

Q:じゃあその、19年の2月もそうだったんですか?

その予定で来たわけです。それで来てみたら、あんだけおった連合艦が一隻もおらんです。一隻もおらんです。軍艦ってやつは。それで「どうしたんだ」って言ったら、「分からん」って。ただ、海軍のほうからの連絡で、「敵の、アメリカ軍の機動艦隊が接近してきてる」と。トラック島に。そしたらそういう情報が入ったもんで、連合艦隊が全部逃げてしまったわけです。パラオ島に。そこでそこに入ったとった、商船が何十何隻残したまま逃げてしまったわけ。そこへ富士山丸が入ってきたわけです。そこで行ったみたら一隻も軍艦いないもんだから、「おかしいな。軍艦みんなそこ行ったんかな」って思ったわけ。そしたら陸上司令部のほうから、油積んどったら、「その油は陸のタンクに移せ」っていうわけだよ。そこで、移す岸壁につけて、油を下したわけです。そのときにアメリカの接近しとった部隊が2月17日18日に大空襲を襲ったわけです。

Q:その連合艦隊がいないっていって、パラオに逃げたみたいなことをいつごろ聞いたんですか?

それはね。そのとき私はなんで、アメリカの機動艦隊が接近してるってことが耳に入ったんで

Q:あ、その情報は耳に入ったんですか?

富士山丸も第一警戒配備っていって各兵隊さんが、普通警戒配備だったけれども、第一警戒配備っていって各地上に兵隊が付いて配備している。その配備に付いていましたからね。それで接近してるってことを知ったわけですよ。情報が入ったほかの司令部から連絡があったわけです。だから常に警備をしておけとそういう情報が入ったんで、第一警備配置に付いとったわけです。だけどまさか、あんなようけ飛行機来るとは思わなかったですよね。まあ、1機か2機来るだろうっていうことしか思ってなかった。

Q:我々もパラオへというふうにはならないのですか?

それはやっぱり指示が無ければ動けないわけです。指令が無ければ。軍の司令が無ければ動けないわけです。船勝手に出来ないわけですよ。船勝手に、船がもしトラック島から船長なり監督官なりの決断で船を放棄した場合は、その逃げた場合は、キリコバ兵隊さんと一緒ですよ。逃げたら逃亡罪で罪になるようなもんで、船も逃げられないんですよ。指示がなければ。

Q:そのときはトラック島に行けという指令だったので?

そうそうそう。「トラック島に行け」っていう。トラック島に。だからシンガポールから油積んで、トラック島におった機艦隊を拾ったわけです。ただそのときに限って、トラック島から全部もう連合艦隊は逃げて、パラオ島からこっちのほうの島に逃げとったわけです。だからトラック島は空だったわけです。日本の艦隊は一隻もおらんかったです。だから商船だけがごろごろごろごろ錨下ろしてたわけです。四十何杯。それが狙い撃ちされてしまった。凄かったですよ。

Q:その、ほかのタンクに油を移してるってのは、いつごろやってたんですか?

17日に空襲あったんだから、あのときにもう、そのタンクの岸壁についてるときに空襲あったんだからね。あそこ付けたのは15日か、そこらだったですよ。

Q:じゃあ15日かそこらにつけて。

つけて。荷役、油をあげとったわけです。ポンプで。

Q:じゃあずっとその作業が?

続いとったわけです。それで朝、4時半頃ですか、空襲警報があったわけです。

Q:それ朝ってのはどんな感じだったですか?何してたですか?朝そんときは。

荷役しとったから。交代でみな荷役関係つくわけです。タンカーってのは特殊構造ですからね、全部あげていくときに、油をタンクからタンクに切り替えていかなきゃならんわけです。その作業は全部僕がやるわけです。だからその作業をやっとったわけです。交代ごうたいでね。わたしちょうど朝の当直で、まあその作業やっとったわけです。そしたらはじめてのサイレン聞いたわけです。あれは(午前)4時半ごろ。

Q:もうそんな朝早くから作業してたわけですか?

いやいや、よっぴいて(一晩中)やってたわけです。はやく上げなきゃだから。よっぴいてやってたわけです。

Q:なるほど。

作業は、ポンプを動かすのは。ポンプを動かしてあげるんですからね、油を。その作業はあげるまでやってるわけです、休むことはできない。

Q:じゃあほんとにもう交代交代。

3時間か4時間交代して。

Q:じゃあ(午前)4時半ごろ、ちょうど作業してたころですね。

作業してころ。ちょうど当直に入ったとき。

Q:どんな感じだったですか、空は。その空襲警報。

空襲警報あったときに、「おいどうしたんだ、空襲があったらしい」って言ううちに、パパパッと撃ち出したわけです。商船からや陸からや、機銃やらもってる船やらほかやら、撃ち出してるわけです。それで見てみたら真っ黒の飛行機が。真っ黒っていうか、何機ってまとまって来とるわけ。「うわーこれはどういうこっちゃ」って思ったですけどね。それで富士山丸はすぐ離してね、もう何もかも、やりっぱなしで。そんなとこ付いとったら狙われますから。「もうとにかく逃げよう」ってそこから離れたわけです。それで離れて、うろうろうろうろ島を離れずうろうろうろうろ入っとったわけです。ところが奇妙なことに、17日はあまり攻撃加えなかったですよ、飛行機は、富士山丸に対して。その代り、40何杯の船がもう次から次へとひっくり返ったりバーっと行ったり、もうまるで、おもちゃみたい。それはすごかったですよ。やられて。

Q:目の前でご覧になって?

もうすぐそこで。だから郵船とか、いまは商船三井ですけどね、商船会社の船だとか、それと郵船の横浜で氷川丸繋船してますけどね。それと同型の船とかそういう船がもうバーッとやられて、それでひっくり返って行ったり、それはもうすごかったですよ。

Q: 17日の戦闘のとき、味方の飛行機とかは?

最初、飛び立ったんですよ。
     
Q:何がですか?

飛行機。日本の飛行機。戦闘機が。最初のうちはね。飛び立ってたんですよ。もう最後になったら、日本の飛行機なんか全く見なかったですよ。どこ行ったんかやられたんか、やられてはなかったろうけども。見なかったですね。ただ、あのトラック島の、夏島の周りに私がこの錨を入れとると、この方の島の所に飛行場があったんです。ここにこう。それでその飛行場の飛び立った飛行機が帰って来るんです。そしたら飛行場もやられてるわけです。爆弾落とされて。そうすると帰ってきた飛行機が、その飛行場がないわけです。そうすると少しずつストーン、ストーンと突っ込んでいったんです、海に。

Q:それはご覧になった?

見た見た見た。そうすると富士山丸ここにいるでしょ、それで港がこういうふうにあって、それでここに飛行場があるんです。そしたらその飛行場がもう穴だらけになってやられてるわけです。そうすると帰ってきても降りる所ないから、この飛行場のすぐここへ、スポーンスポーンと落ちたんです。だから、うちらはそれ見とるわけです。そうすると、あの陸から内火艇で、ダダダダッて来て浮いとる飛行機を引っ張りあげとったんです。そんなことあったんですね。

Q:帰るべき飛行場がもうやられていた。

ないってなった。やられてしまって。やっぱりアメリカさんも馬鹿じゃないよね。飛行場やってしもうたわけです。それで飛行場がやってしまって飛び立つことも出来ない、帰ることも出来ない。それで今度、船を停泊してる船四十何隻、もうそれこそ赤子の手を捻るようなもんですよね。商船だもの。手向かうことも出来ない。まあすごかったですね、しかしあのときねえ。

Q:凄かった?

ああ、凄かった。あれは凄かったですよ。
      
Q:どう凄かったのですか?

まあ、その陸から撃つ飛行機、大砲、それからその飛行機が自由自在に爆弾を落としていく。
はあ。もう空襲だっていうより、遊んでいるんじゃないかっていう、そういう感覚だったですよ。

Q:遊んでる?

飛行機が遊んでるんじゃないかと。もう飛行機来てはババー、ババーババー落とすですよ。
それで落としたと思ったらまたクル―って回ってはまたババ。

優雅なもんだった。ほんと遊んでるんじゃないかと思うくらい。ほんとその戦闘してその船をやるんじゃなくて、もう遊んで、遊びながら爆弾落としとるっちゅう感じです。

Q:完全に一方的だったということですね。

一方的です。そのときまた対抗設備もなかった、その対抗する砲火もなかったんですよ。ときたまタタタタタって撃つけども。いったらもうそのバーってもう、そこでめちゃくちゃやられるんでしょう。だからもう撃てないわけです。だから富士山丸も機関銃なんか積んどったけど撃たなかったです。じーっとしとったわけです。

Q:結局。

はあ。撃ったら撃たれる、爆弾落とされる。まあそういう状態だったですね。だから、うん、なすがままだったですね。大分死んだ、もうあそこで。トラック島で。

翌日。今度集中攻撃だ。富士山丸。あとほか船いないんだもん。みんなやられてしまって。そりゃ集中攻撃ですよ。もうそうだな。デッキにおったんだけど、頭抱えてじっとしておったんです。しぶきの中バーッと。近くだったら波がバサバサバサってかかるでしょ。もうだめだなって。

Q:そのとき、高橋さんは何をされてたんですか?

そのときね、船が「だめだ、退却せい」って指示があったんです。私らは陸(おか)から、トラック島の中におったからね、陸(おか)からボートが着いておったんです。それで「そのボートに乗る」って言ってね、生きてる人間。まあ生きてる人間って言っても、そのときあまり戦死者はいなかった。2人しか死んでなかったから。2人死んだだけだったな。船が傾きかけたとき、離れて行って、それで船が沈んで行くのを眺めながら島に上がったわけです。トラック島の島へ。

Q:富士山丸が沈んでいく姿をご覧になったときは。

なんとも言えなかったね、あのときはね。沈むときは、エンジンルームに水が入るでしょ。窯っていって、ボイラーに水がダーッて入ってくるとき、ものすごい音するんですよ。わーって音が。あの音聞いたときにはやりきれなかったね。それでスーッと沈んで行った。「ああこれで、第一巻の終わりだな」って。それで、その陸上に上がったわけです。船に乗って。そしたら四十何杯やられたからね、そのやられた船員が、生き残った船員が、そこへみな上がってるわけです。学校だったな、あそこ確か。真っ黒けになってね。「お前もやられたんか」、「お前もやられたんか」言ってね。ようけおったですよ。そりゃ四十何杯やられてるんですからね。

必ず船は荷物を積んで走るときは護衛艦を付けるんです。駆逐艦を。護衛艦を。それは油が大事だから。ところが、あげてしまったら、「お前ら勝手に油積み行け」っちゅう。もう護衛艦なしです。だから富士山丸一杯で、まああの、今言ったシンガポールとか、ボルネオとか、一杯で行くわけです。だからそれで皆、潜水艦にやられた船が多いんですよ。積んでしまうと、今度護衛艦付くわけです。油を積むと。大事だから、油が船より油が大事だから。それで護衛艦付いてずっと行くわけです。だからまあ、よっぽど船っていうのは、どうなんすかねえ。どういうふうに。だからあの、よく船でね、船に積んでるこの機関銃とか高角砲、あれは軍備だっちゅうんです。船は消耗品だっちゅう。それがもう、その、あのころの海軍の考え方ですよ。

Q:どういう意味ですか?それは。

機関銃すね。高角砲、あれは軍の軍備だっちゅう。軍のもんだっていう。船は消耗品だっちゅう。もう沈んでしまったらそれでいいんだっちゅう。使えるだけ使えるっちゅうこと。消耗品だから。

Q:そういう言い方をされた?

そういう言い方をするんですよ、海軍は。軍は。「船は消耗品だから、使うだけ使い」って。「沈んでしまったらそれでいいわい」って。ただ、その機関銃や大砲は、「これは軍備だから必ず、その、沈むようなときはこれを降ろせ」っちゅう。だから海のど真ん中で降ろせるわけないんがですね。ないわけ。降ろせるわけがないんだけども、そういうこと言ってるわけです。だから消耗品だっていう、船は。

船長あたりが意見言うと、「お前らは消耗品だから文句言うな、口出すな」って言う。そういうことも言われてくるわけ。そしたら船長辺りでもその、まあ航海、作戦なんかでも、口出せないわけです。全て海軍の言う通り、この船団で行けと。このたびはこの船団は護衛艦付けないぞとか。もう皆そうしてちぎられてしまうわけです。

もう兵隊上げてしまったら、もう船は用事ないですから。もう、何ももう。兵隊上げるまでは、ちゃんと護衛艦もついとったけど。もう兵隊上げてしまったら、「もうお前ら勝手に日本に帰れ」っちゅう、そういうあれだったですからね。だから、軍は船っちゅうものをどういうふうに見てたか、我々には分からないですね。今でも分からない。

Q:思い出してみて、悔しいという気持ちですか?それとも・・・。

まあ悔しいっちゅうよりも、戦争のその無残な、戦争っていうのは本当に無残だっていう考え方ですね。あんな戦争なんで日本がしたのかなあ。

まあそのころはただその成り行きで、この船乗れ言うたら、はい、もう乗った船は戦場に行く、やられてくる、まあそういう繰り返しだったですけどね。だから、怖さっちゅうよりも、もう俺も死ぬんだなっちゅうそういう考え方だった。まあそれで父も死んでるんですけどねえ。だから、まあ俺も死ぬんだなっちゅうふうに。

Q:トラック島でですか?

いやいや、トラック島じゃなくて、父はあの終戦ちょっと前に朝鮮のジンセン(仁川=インチョン)の沖で潜水艦にやられて死んでいますけどね。

Q:やはり商船に乗られていて?

はい。船乗りで。やしきまる(屋敷丸)っていう船だったですけど。死んでるんです。ここは船乗りが多くてね。船乗り一家が多いんですよ。だからここら死んでるんですよ、船乗りが。この集落は。

Q:軍艦よりも商船で亡くなった人の割合の方が多いといいますものね。

そうですね。割合が多いんです。商船の方がですね。

Q:戦争に巻き込まれた民間人の方が死んでいるという・・・。

そうですねえ。商船乗る人はまあほんとによく死んだですねえ。

Q:あのときのことは今でも思い出される?

思いだしますよ。夢に見ますよ。ちょこちょこ。飛行機にそのやられたことを。

Q:どんな夢ですか?

それはねえ、まあ最近見た夢ではやっぱりあの、船やられて、さてどういう船に乗ろうかなって考えてみたらねえ、船はもうやられて沈んでしもうたし、俺今度どんな船に乗ろうかなって思って考えてみたらねえ、そういうその、恐ろしくて逃げ回ったっていう夢はあまり見ないけど、船がやられたから俺どうしようかな、どうなるんだろうなって、そういう夢だけですねえ。が主に見るすねえ。

Q:今でも?

今でも。まあそれがあの船やられて日本に帰ってくるまでの間、俺、本当に日本に帰れるんだろうかっていう、あの気持ちが心のどっかに残ってるんですねえ。そういう夢が、思いが夢になってそういうふうに見えるんじゃないのか。今でもまあ俺はどうなるんだろうなあっていう気持ちがあるっすねえ。夢を見るすねえ。

Q:途方に暮れたような。

そうそう、途方に暮れたような。だから、今のこの平和な日本にはね、ほんとに、ありがたいことです。

だから、戦後この船がこれだけ復興したっていう、それはやっぱりあのそういう思いをした人たちが、先になってこの復興っちゅうものを務めたからこそ、こうして海運が復興していったんじゃないかなと思うすよ。なんぼ船造ったって、もう船に乗るの嫌や言うて、乗らんかったら、こんな復興するわけないですもんね。それを皆好んで乗ってったっちゅうことは、やっぱりあの戦争を二度と起こしてはいけないと、そういう考え方もあったろうし、もう一回この日本の海運を世界に出してやろうという気持ちもあったろうし、やっぱりその思いが今の海運をここまで持ってきた原因じゃなかったかな。まあ、そんなふうに思うですね。自分が、その生きてた船で、生きてきたその過程を考えたらね。ほら、戦後の船乗り、まあ生き残った戦後の船乗りの苦労っちゅうのは、もう死に物ぐるいだったですよ。いろんなことがあったんですねえ。

出来事の背景出来事の背景

【トラック諸島 消えた連合艦隊】

出来事の背景 写真太平洋のほぼ中央に浮かぶトラック諸島。巨大なサンゴ礁に囲まれ大小200余りの島々が点在している。大正8年(1919年)に日本の委任統治領となり、民間人や軍人・軍属など約2万人の人々が暮らすようになっていた。島には町が作られ、病院や小学校、映画館や料亭までが立ち並んでいた。

昭和17年8月、連合軍の本格的な攻勢が始まると、日本軍は連合艦隊の拠点を日本国内から前線に近いトラック諸島に移す。来る決戦に備え、戦艦大和など連合艦隊の主力が集結し空母機動部隊が島を拠点に作戦を開始した。

しかし連合軍の攻勢の前に日本軍は各地で敗北を重ねた。米軍は昭和18年11月、トラック諸島の東にあるギルバート諸島を攻略、翌19年にはマーシャル諸島にも手をのばした。ラバウルの航空隊も度重なる空襲で大きな損害を受けていた。

昭和19年2月10日未明。連合艦隊の主力15隻がトラック諸島を離れた。連合艦隊司令部はトラックを拠点とした決戦は時期を逸したと判断。体勢を立て直すため作戦を変更したのだ。その際、物資や燃料を運ぶ多くの輸送船がなぜか残された。

2月17日早朝、2日間にわたるトラック大空襲が始まった。空襲開始から2時間足らずで航空部隊は壊滅。次に標的にされたのは、ほとんど防備を持たない輸送船だった。この空襲で、日本軍が出した損害は、輸送船31隻、艦艇10隻、航空機279機。死者は2000人以上にのぼった。

連合艦隊の拠点としての機能を失ったものの、トラック諸島が米軍の基地として利用されることを怖れた大本営は、多くの将兵を送り込んでいく。戦況が悪化し補給が絶たれると兵士たちは自給自足を余儀なくされた。トラック諸島では終戦までに、5000人にのぼる将兵や民間人が餓えや病で命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1927年
新潟県北蒲原郡中条町乙村(現・胎内市)に生まれる
1942年
横浜の船員養成所を卒業後、特設油槽艦・富士山丸に甲板員として乗船
1944年
2月トラック大空襲 7月大邦丸に乗船
1945年
図們丸に乗船 韓国プサンで終戦
 
戦後 商船の乗組員

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