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タイトルタイトル: 「裏目に出た警戒態勢の解除」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
名前名前: 肥田 真幸さん(トラック大空襲 戦地戦地: トラック諸島  収録年月日収録年月日: 2011年2月17日

チャプター

[1]1 チャプター1 忘れられない2月17日  01:51
[2]2 チャプター2 艦上攻撃機「天山」  03:53
[3]3 チャプター3 トラック諸島へ  05:05
[4]4 チャプター4 トラックの航空部隊  07:11
[5]5 チャプター5 空襲前日、警戒態勢解除  03:39
[6]6 チャプター6 トラック大空襲の始まり  12:03
[7]7 チャプター7 航空部隊 壊滅  06:50
[8]8 チャプター8 米軍上陸か  06:45
[9]9 チャプター9 4月30日の戦闘  06:56
[10]10 チャプター10 あ号作戦発動  03:59
[11]11 チャプター11 連合艦隊という権威  04:02

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
収録年月日収録年月日: 2011年2月17日

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Q:2月17日ってのは?

そりゃ特別な日ですから。2月17日は特別な日ですから。こないだあんたたちは大したもんだなって。そのときの生き残りってのはね、後でも話は出てくると思いますけどね、門司シントクさんってね、東大出の主計長ですね。実に立派で偉い人ですわ。その人から電話があってね、必ず来るんですわ。「覚えてますか」ってね。「今日はえらい(大変な)日でしたね」って。

強烈に思い出すんですよ。だから門司さんから必ず電話がきてた。私が、「まだ今でも屁理屈を言ってますか」と言うと、「まあそんな事言うな」って・・・笑っていましたけどね。3年前位に亡くなられましてね、ここにも来られましたけどね。

Q:これが肥田さんが乗られてた航空機?

「天山」(艦上攻撃機)の12型です。11型と12型とありますから。エンジンが全然違うんですよ。11型はもの凄くダイヤが大きくてですね、「護」というエンジンを2つ九気筒を重ねて18気筒にしたやつですね。エンジンが大きいのもですから操縦席からよく前が見えないんですよね。なかなか・・・操縦がしにくい。

Q:九七艦攻(九七式艦上攻撃機)と「天山」というのはグレードが上がっているのですか?その違いとは。

スピードが全然違います。九七艦攻はですね、巡航スピードが120ktです。最高スピードが160位ですね。天山はですね・・・巡航スピードが150(kt)でですね、最高スピードが240ktですわ。これだけで全然違いますわな。

Q:当時は最新鋭だったわけですよね?

ここにも書いてる通り、「世界中類を見ない攻撃機」と書いてありますよね。TBM(アベンジャー)というのがアメリカの雷撃機だったんですね。それがへたくそで性能が悪いと感じたのはですね、終戦時になったとき、「こちらの飛行機を優秀だからアメリカに運べ」って言って、「日の丸を星のマークに変えて運んだ」と言いましたわな。そのとき、先頭にですね、TBMが先導しとったんですよね。P38という戦闘機が上を見張りしとったんですわ。この先導してるのが遅くて遅くてね、こっちはエンジンをめいっぱい絞っても、のしかかる格好でしてね、こんな性能の悪い飛行機に負けたんかなと思ってつくづく思いました。世界的にいちばん優秀な飛行機ということですな。それから最高高度も違いますしね。

太平洋方面はですね。マキン・タラワは玉砕するし。ガダルカナルはああいう事で占領されるし。もう大変な事になったわけですね。それで、ラバウルにはもう九五艦隊、母艦部隊が行って応援しておったわけですね。だから、「トラックとあの辺の防備が非常に手薄になっておる」と。言うので、「お前たちはそんなところにおらんで、アメリカが大変だからこっちに応援に来い」ということで、「応援」ということで19年の1月にですね。命令が来てたわけですよ。

Q:じゃあもう初めは応援という。

応援です。

Q:つもりで行かれたと。

そうです。だから全力いかなかったわけですね。天山艦攻と、九七艦攻はおりますから。九七艦攻はこちらの方で留守番と。という事でですね。

太平洋方面が相当厳しいという事を聞いておりましたからね。それで、「トラックに応援に行け」っていう事があったもんだから、いちばん最初は、全力行くのか一部行くのかですな、あるいはトラックっていうところは分からないで、アール諸島とか、ケイ諸島とか、その辺の中途半端なところに行くのかね、それが分からなかったわけですよ。だから、一部アール諸島、ケイ諸島なんかに行くっていうのは最初だったんです。「それだったら、私だけがですね、少数機を引っ張って行けばいいんだな」という事で司令ともいろいろ話し合ったんですよね。司令部といろいろ話し合ったら、「いやそうじゃないらしいぞ」と。「本隊が行かないかん。一部を残すのはこっちの方に残すんだ」という事だったのか、それじゃ全力、「天山」全力引っ張って、司令も「私も行きましょう」という事に決まったんですね。それでいよいよさっきも行ったように、マキン・タラワは玉砕したし、ガダルカナルも撤退せざるを得ない状況だと。そこに我々は突っ込むんだから、これは大変な事になるなとは思いましたね。

Q:大変な事というのは。

大変な事というのは、今まで戦争っていう戦争をやった事がないからね。インド洋方面の哨戒だけだったから。ただ行けば自分たちだけだっ・・攻撃で行っただけの話ですからね。今度は性根をつけてやらんと、大変な事になるぞと、マキン・タラワの二の舞になるぞという感じはしましたね。

Q:先ほども聞いた事かもしれないですけれど、実際行ってみたら、実戦部隊は自分たちだけだった。それを知らされたときっていうのは、お気持ちはどういうお気持ちだったんですか。

だからですね。応援のつもりが行くつもりだったんですな。最初はね、応援のために行けっていう。行ってみたら、「なんだ、他の部隊は大した事ないじゃないか」と。「我々の部隊が主力じゃないか」と。こういう事で、これはえらい(大変な)事になったなぁと思いましたな。本当の話が。

Q:えらい事っていうのは。

えらい事っていうのは、いわゆる敵が攻撃、本当の敵との決戦をやらなくちゃいけないのかなという考えですね。いちばん心配なのは、向こう出てからほとんど訓練やっていませんしね。魚雷も爆弾もないんだし。

2月の11日。トラックに着きましたからね。紀元節ですよ。だから総員礼服に着替えてですな。紀元節の礼拝を皇居に向かってやって。それからもう、すぐ作業着に着替えてですな。竹島(現・エテン島)に司令部がありましたからね。竹島に行って、自分の状況を聞いてですね。それはここに書いてありますわな。トラックの配備はどうなっておると。お前なんか楓島なんてとこに行くんだっていう。

Q:その当時トラックの配備を聞いた印象はどういう感じだったんですか。

その配備を聞いてですね。トラックのいわゆる戦闘部隊っていうかな。「あんまりたいした事ないんだなぁ」というのが率直な意見でしたね。我々の新兵器の天山艦攻が26機来てですね。「言うてみればこれが主力じゃないか」と。という事ですわな。

要は春島(現・ウェノ島)が戦闘機でしょ。補給基地ですから。飛行機はあるわけですよ。搭乗員はいないですよ。それは。ラバウルに持っていく飛行機ですから。ラバウルの連中が来て、それに来て飛んで行く。という飛行機ですわな。そこで戦闘をするというような能力はないですわね。それから夏島(現・トノアス島)ですね。夏島に根拠地隊がありますわな。根拠地隊いうのは、その防備を担当するんですがね。そこに水上機がありますわな。水上戦闘機とかね。それがまぁ実戦部隊。それから春島に中攻隊が少しおりますわな。それでその程度でしょう。だから飛行機はおったかもしれませんよ。300機、300機はいなかったんじゃないですかね。被害状況でも200機ってなっていますからね。

Q:飛行機の竹島にだいたい戦闘機は置いてあったんですか。

竹島は戦闘機です。

Q:その戦闘機は使えない戦闘機だったんですか。

だから、ラバウルに持って行く飛行機ですよ。それと、ラバウルから引き上げた連中がそこで訓練をするんですね。本当の戦闘には使えない飛行機ですわな。

Q:そういう事をお聞きになったんですか。

そうです。だから、これじゃぁ、だから、「こっちは応援しに来たのに、何のことはない、こっちが主力じゃないか」と率直に思いましたわな。

雷撃隊が出て行くときには、必ず直衛戦闘機がつかないかんわけですな。前衛がいて敵をやっつける。制空権を獲って、すぐに。雷撃隊というのは戦闘機には無力ですからね。無力だから。これだけ突っ込んで行ったら、必ずやられるわけです。だから戦闘機隊と急降下爆撃機隊と一体にならなければ、これは役に立ちませんよ。そういう弱みがあるわけです。だからあとでそのときの戦訓がもうすぐ出てきますわね。

Q:11日に来てからその後っていうのは、ものすごい忙しかったみたいですね。

それは忙しいですよ。それは。ここに飛行機を竹島に下ろしたわけですからね。楓島に移さないかん。それとそれを急速整備せにゃいかん。それから荷物も糧食だいたい6か月分ですからね。それから爆弾魚雷なんかも運ばないかん。大変な事ですわ。それで楓島って行った事もない、見た事もない島ですからね。それで整備が出来た飛行機で真っ先に私はそこに飛んでいって。えらいところだなと思ったんですがね。

Q:えらいっていうのは。

えらいってそれはもう、こんなところで住めるんかなと思ってね。作戦が出来るんだろうかって。こんなところに飛行機が上がるっていうの。脇に。着陸するところがないですよ。

Q:狭いという事ですね。

狭いですよ。20メートルいかないところにですな、飛行機は7メートル。だからもう羽根の幅いっぱいいっぱいです。ちょっとでも狂ったらもう周りの飛行機をがーっとひろっちゃいますからね。大変ですわ。

Q:もうじゃぁお忙しかったんですね。

そりゃもう。不眠不休ですよ。それで運ぶものは大発しかありませんからね。大発って小型の上陸用舟艇ですね。あれしかありませんから。あれで運ぶわけですわ。で、飛行機は整備した飛行機からどんどん行け行けって言って。どこに駐車させるかどうか、そんなのも検討せねばいかんしね。大変ですよ。それは。

Q:11日の日に(トラックに)来たときには、連合艦隊がいる基地だっていうのはご存じだったんですか。

前の日に(戦艦)「大和」がおったんです。引っ越しちゃったんです。

Q:それはどういう。11日に知ったんですか。

そうそう。入ったら「前の日まで連合艦隊おったよ」って言って。それで駆逐艦が少し残っておったわけですね。

15日にですね、こちらに哨戒で出た中攻隊がですね、2機行方不明だと。それから敵の機動艦隊の電話を傍受したと言うのでですね。16日早朝、私の551空がですな、「敵を探しに行け」。そういう命令が来たわけですな。
索敵に出したわけです。中攻隊も出たわけです。春島におったのをですね。それが発見しなかったんですよ。

それで帰って来て「敵を見つけなかった」て言ったら、「休め」がかかったわけですよ。それでこっちもですね、もう忙しくてしょうがないでしょう。あぁ良かったなぁ、敵もいないし、休めっていう号令がかかったからね。「そら急げ」っていうんで、飛行機を運ぶやなんやかやしてですね。17日の朝は索敵に行かなかったわけですね。休めだから。「行かんでもええ」っていうから。

Q:やっぱり、休めがかかってほっとしたって感じですか。

ほっとしたんです。本当にほっとした。良かったなぁ、これで少しは荷物を片付けられると。思ったのが正直なところですな。

Q:しかしそれが裏目に出てしまった。

それがえらいこと(大変なこと)になったわけですね。だから、奇襲を受けたんだけれど。

Q:本来であればあれなんですか。やはり毎日索敵にでるべきものなんですか。索敵というのは。

南西方面においてはそれをやりおったから、それをやりおったから。戦争っていうはそういうものだと私は思っておるわけですよ。しかし命令がないと出られませんからね。

飛行隊長というのは、自分の部下を訓練に訓練を重ねてどんな命令が来ても、それに即応出来るだけの部隊を作り上げるというのが飛行隊長の任務ですな。いざ命令が下って作戦になったらですな、攻撃隊を引っ張って真っ先に飛んでいくんだから。いうのが飛行隊長の任務ですよ。だから、平時の訓練についてはですね、司令は一切口をつけない。つけないんです。ところが作戦行動になると司令が言わなければならない。

「空襲」という電報が来ましてね、「敵大編隊」とここに書いてありますがな。「各隊、警戒を厳にせよ」っていう電報ですね。それでも私はすぐ16日の事がありますからね、16日でリハーサルをやったからよかったと。だから16日の朝と同じ、「行け」と、索敵はですね。それで「残った飛行機はですね、魚雷も爆弾も1発も無いんだから、俺が全部引っ張って一応テニアンに帰隊する」と。「そして夜間雷撃か、黎明攻撃をかける」と。

Q:魚雷の爆撃もなかったんですか?

ないですよ。竹島に魚雷爆撃は持って行かないですから。南西方面からは。トラックにあるんだから。

Q:それは楓島には運んでなかったんですか?

運ぶ暇があるもんですか。着いたばかりですよ。司令部が気を利かしてですな、「551空が来るから爆弾魚雷を運んどけ」と言えば別ですよ。ところがまだ楓島も整備も出来てないときですからね、とてもじゃ無いけどそこまでは出来ないですよね。

まず飛行機を運んで、どこに飛行機を置くか、自分たちの住むところをどこにするかですね。住むところも分からないですから。飯炊きもどこでするのか、そんなところが全然未知のところでしょ。場所はこんな所ですから。こんな所に真っ先に行って、爆弾を他所から持ってくると行ったらちょっとそんな考えの人はいないでしょうな・・・。

Q:17日の空襲の日は丸裸なわけでした、大騒ぎじゃなかったですか?

大騒ぎですよ。だからわしは司令に索敵だけ出してテニアンに行きますって言ったわけですよ。

Q:竹島には戦闘機隊が居たわけですよね?

もちろん。

Q:戦闘機隊はどうでしたか?

だから「戦闘機隊があがるのが遅かった」と書いてあるでしょ。「なかなかあがらんですな」と司令に言ったら、「まだ未熟だし、爆弾も機銃弾も積んでなかったんじゃないかな」という話でしたね。

Q:17日敵機が見えて来たときの印象はどうでしたか?

それこそ、「見渡す限りの敵機」ですわな。雲の霞から「わーっ」と言ってね。「しまったー」と思うのが第一ですね。「索敵出せ」と言うから索敵出すけども、これはとてもじゃないが。攻撃は爆弾も魚雷もないし、スマトラを出て1か月近く訓練もやってないからね、皆の技量も相当落ちとるからね。「これはいかん」と、「一応テニアンに逃げて、それで態勢を整えて、出てこにゃいかん、それが最良の方法だ」と思いましたね。

Q:そんな中で、第1波の空襲が始まった気持ちはどうですか?

だからもう、ちゃんちゃんばらばらが始まったわけですな。曳痕弾(=曳光弾)が錯綜しますわな。曳痕弾言うのは昨日話したように5発か10発に1発、花火を後ろにつけた弾を入れてあるわけですね。曳痕弾ですね。それを見て照準を変えるわけですな。だからそれだけじゃ普通の弾は見えないけど、曳痕弾だけは見えますわな。バーッと。流星みたいにね。流れ星みたいにダーッと。それと同時落下傘部隊が降りるわけですよ。それから火を吹いて落ちる。わしは初めてだからそれも書いてある通り、「落下傘部隊が来ましたね、司令」と言ったら、「違うよあれは敵がやられて落下傘で降りるんだよ」って言う。そうかなあと思って。

Q:落下傘を見てどう思いましたか?

本当に落下傘部隊が来たと思ったよ。ところが司令が言うにはそうではない。やられたから落下傘で飛び降りるんだよと、日本は飛び降りませんからね。日本はやられれば、そのまま飛行機と一緒に落っこちますから。だから火を吹くのは零戦、落下傘で飛び降りるのは敵のF6F(艦上戦闘機)というのをそこで初めて知りました。

Q:空襲のときは戦闘機なんかも出撃して戦ったんですか?

戦って、ここにも書いている通り、ほとんど相打ちになったわけですよ。第1波は。それでこんどは降りて来て、「さ、大変だ、弾を詰めえ、飛行機を修理せにゃいかん」いう大騒ぎするでしょ、そこにまた第2波が来たわけですよな。新手ですよ。それで、「さあ上げれ」と言いましたけど、上がったのは4、50機とかいてありますかな、それで日本は終わりですね。

Q:終わりと言うのは?

飛行機が無くなったわけですよ。
そのときまではF6の最新鋭の戦闘機ですな。

Q:アメリカが?

はい。だからそこは戦訓に残るところでね、初めは最強の戦闘機だけもってくるわけですよ。こちらがいなくなったら旧式のF4FとかF4Uとかhが来る。そのときこっちは戦闘機いませんからね。それで十分なわけですな。それで地上におる飛行機を機銃掃射でやるわけですな。それが終わってから今度は陸上の施設をですね、今度は爆撃機が来て、悠々とやるわけですな。

こっちは戦闘機の何も無いわけですし。それで後は船をやるという事ですね。だから敵のやる事は非常に合理的であるいう事ですわ。

Q:索敵に9機出られてあとの20機近い飛行機はどうなったんですか?

その飛行機はですね、私が「テニアンに避退しろー」って言うんでどんどん行ったわけですね。ところが残った飛行機、エンジンがかからんとかですね。何とかいう飛行機、それから私の飛行機は司令が「お前だけは残れ」と言われたから。

Q:お前だけは残れ?

「お前だけは残れ、俺が裸になるじゃないか。誰も相談相手がいないじゃないか」。大きな航空隊ならですね、副長、飛行長はいますわな。航空戦隊なんかは幕僚がいますわな。司令官が自分で考えても良い、幕僚がこうしましょう(よかろう)としても良いわけですよ。ところが私たちみたいないちばん小さな最小の航空隊、1個飛行隊しか飛行隊もないという所はですな、副長も飛行長もいませんわな。話をするのは飛行隊長だけでしょ。今度はどうしようか、こうした方が良いじゃないですか、じゃそうしようかって。私いなくなったら司令1人でしょ。

ハギワラ中尉のエンジンだけかからないんですよ。皆大騒ぎして整備長が乗ってやるけどかからん。そのうち敵が戦列を離れて来る、「そりゃ急げ急げ」と、やっとかかったと思ったら、真面目な男だもんだから、試運転を始めたもんですわな。「試運転なんか構わん、行け行け」と、「エンジンぶっ壊れてもええじゃないか」と言うんだけど、習い性でそんなことは出来ないからやっとるうちに飛びかかったと思ったらやられたわけですわ。目の前でね。

Q:目の前で?

目の前ですよ。飛びかかった所ですよ。もう一部始終見えてるんだから。ここが飛行隊飛行場ですからね。

Q:そのときはどういう気持ちでしたか?

そりゃ悔しくて悔しくてしょうがないですわな。「畜生」と言うしかありませんわな。その次に私の飛行機もやられちゃてですね。司令が「すまんかったな早く引き上げさせれば良かった」とぽつり言われましたけどね。

Q:戻って来た飛行機も目の前でやられるのを見て。

そうです。

Q:それはどういう状況だったのですか?

偵察用の大将の中隊長のミヤザワというのが偵察の中隊だったんですがね。それはよく蝕接しててですね、帰って来てですね、それと同時に2、3機帰って来たんですけどね。「今空襲中だから、島から離れろ」と。「ちょっと敵が引いてから着陸しろ」と。電話でしゃべったらもう・・・あれしましたけどね。それでも構わず着陸して助かったのもいますし、落ちたのもいます。

まあ本当に、大激戦も大激戦でしたな。だから2日目も来たけども、もう第2波くらいで引き返して行ったですからねえ。もうこっちは飛行機は全然いないし、爆弾で飛行場も使えんようにしたし。ということで引き返したんでしょうが。

トラック諸島の地図がありますわな。これですね、これが、竹島がこれですか。これですね。これが楓島ですね。私から見える所はここですね、艦隊泊地言うのが、この竹島に物を揚げるからこの辺も艦隊泊地って言ったんですけどね。それからこっちですね。ここは狭いから皆こっちに逃げて来たわけですよ。それで走り回ったわけですね。だからこっから、真正面に、楓島から良く見えますわな。

Q:船が逃げ回っていたんですか。

逃げ回っているわけですよ。当たる当たらん、今度は当たると、ボンと吹っ飛ぶと1発で轟沈ですわな。だから30何隻ですか、これだけの船が沈んだんですよ。駆逐艦なんかもこんだけ沈んだんですよ。これは港外にでて逃げたんですよ。港外でやられとるわけですな。やられるんだったら港に入っていて商船の盾になれって言うんですよ。これだけの船が沈められたのに。

駆逐艦なんかが相当沈められていますわな。「何で逃げても沈められるんだったら、輸送船の盾にならなかったんだ」と。「輸送船は丸裸じゃないか」と。少しでも盾になってですね、こっちは高射砲も機関銃も持っているんだから撃ちまくりでもすれば良いんじゃないかと。それが悔しかったわけですな。

夕刻になって「敵上陸の恐れあり、各隊、警戒を厳にせよ」って。いよいよ明日の朝玉砕するのだなっていう気がしましたからね。どうせ死ぬのにも間違いはないなって。

Q:夕刻に敵の上陸のおそれありと知ったのは電報で知ったんですか。

電報で。

Q:どういう形で来るのですか?

さっき見た電報ですね。通信長が走って持って来ますからね。

夕方になってから、明朝、敵があがって来るというのですね。私は陸戦隊指揮官に命じられましてね、まあ陸戦隊指揮官は島を防衛する指揮官ですな。わしはしたことないもんだから、陸軍みたいに刀抜いて「進め」とか「撃て」とかやったことないですよ。「困った」と思いましたけど、ほかにやる人がいないですからね、「やらしてもらいます」って。それで全部集まって指令が、訓示されたんですよね。

「後は皆、肥田隊長の指揮の下に入れ」って。それで主計長いうのがですね、「今夜ごちそうせにゃあかんよ」って、指令が電報さしらえて、門司主計長が「今晩は大宴会ですな」って言い換えたんですよ。夕食が終わってからですね、主計長がまたひょうきんな人だから、司令と主計長がね、司令の訓示はなっとらん。玉砕するぞ、て言われたけど、玉砕言うには結果じゃないですか。「勇戦奮闘して結果は玉砕になるかもしれんけど、生きとる間は勇戦奮闘せんといけんよ」と言われたわけですよ。

Q:トラック島にいる間、敵の上陸の危機感は常に持っていましたか?

いやそこまでは考えなかったなあ。敵が上陸してきてここで今夜玉砕するということはあまり念頭にはなかったですね。電報が来てからいよいよ、現実は厳しいと思いましたね。しかししょうがない。もうそこで死なないかんなと思って、だから終わってから、陸戦隊の編成をやってから、もうそれだけで命令を下すと、することありませんからね。普通の戦闘みたいに敵が斬り込んで来たら、またこっちがいうわけにはいかん。もう上がって行ったら終わりですから。わしは「もうしょうがない、酒でも飲んであれするか」って。だから酒1本持たしてですね、司令所に入れたわけですよ。司令に「どうしますか」と言ったら、「俺もそうするか」。主計長も、「わしも込めて下さいな」って言って。「夜中まで飲みますか」って言って。まあそういう心境になりますわな。

Q:それでその後は?

こなかったんですよ。「艦砲射撃を実施・・・」と電報が来たけどね。「敵上陸の恐れ無し」って言って「先の艦砲射撃は誤り」と言って電報が来たわけですよ。だから司令部、何しとるんなもう・・・玉砕準備をしろって言ってみたり、そりゃ休めと言ってみたり、相当混乱に混乱に混乱しとると思いましたな。

それで、18日は明くる日は、そういう事で昼前に引き揚げたわけですな。それで私は悔しくて悔しくてしょうがないもんだから。「天山1機出せ」と。「俺が乗って、もう一度敵を探してくる」と、ただ1機で行ったわけですよ。高度を高くとりましてね。レーダーに引っかかりますからね。出来る限り高く飛んでですね、敵のレーダーに引っかかれと、「まだトラックには残っていたぞ、また来いよ」と大きな声で叫んで帰ったわけですよ。

それ以後ですね、さっきあった毎朝入室3時間前に飛び立って、400マイル飛んで行って。6機ぐらい行ってですね、それで敵を索敵をやって。その間は残っている飛行機はすぐ飛び出せるように魚雷爆弾を積んでですね、急襲隊長って言ったけれど、飛行機が乗ってもエンジンを回して待っておると。それで「発見」って言ったらだーーーっと飛び出して行って。途中で敵のいちばん先を迎えてやる。その戦法をやろうって言ってですね。それから毎朝やっておったわけですね。2月11日の紀元節のとき来たから、今度は紀元節のときに来るんだと。4月の29日のですね。「天長節の天皇の誕生日に来るぞ」とそういうんで、手ぐすね引いて待っておったわけです。来たわけです。それが、あそこに写真見られたかもしれないけれど、2階に。ホーネット(米海軍の航空母艦)にですね、うちの急襲隊が突っ込むのをアメリカは新聞記者が乗っておったんだな。写したあれは、アメリカが写した写真ですよね。

Q:どの写真ですか?

えーと、これにも載ってないかな。敵の、4月の29日の戦闘のやつは。載っておりますよ。高度5メートルで弾幕の中を突っ込んでいくところが。・・・あ、これこれ。

Q:このときの状況っていうのはどういう感じだったんですか。

そのときはですね、さっき言ったようなことで、こっちは待っておったわけですな。いつきてもやれるという。ところが飛行機はものすごく少ない。「天山」艦攻たった4機しかない。九七艦攻は少しおると。それを索敵に出して天山艦攻は魚雷を積んで待っておったわけですよ。索敵隊が敵を発見したわけですね。発見したのがですね、まだ夜明け前だったんです。敵は発艦しておるところですわな。そこに突っ込んで行ったわけです。だからこっちは奇襲をかけたわけですな。それで、これは魚雷はまともに当たらなかったというアメリカの評ですけれどね。こっちは見たものはいなかったんだけれど、それで敵は度肝を抜かれたわけですな。それで、発艦した飛行機はこっちに来たけれどですね、その日天候が悪かったんです。天候が悪くてですね。それで、敵の戦闘機は地上銃撃をやろうとして、来たところがですね。こちらは前の2月の17日の教訓でですな、島を要塞化しておったわけです。楓島なんか百丁ぐらい機銃を並べてですね、「来たらダーーーッて一斉に撃て」と。それで、敷戸のところに旗を揚げておってですね。「下がったら撃て」って「一斉に撃て」って。それから、竹島も春島もそこにならってですね、準備しておったわけです。そこに来たもんだから。敵はもうびっくりしたわけですな。それで銃撃しなかったんです。

Q:じゃぁそのときはあまり楓島はやられる事はなかったんですか。

やられないわけですよ。かえって敵をやっつけたんだ。で、さっき言った敵は2機2機編隊でですね、2機2機編隊で零戦もあれせんように、対抗する隊形で来たわけですよ。それで楓島に突っ込んで来た飛行機はですね、後ろの飛行機は指揮官機で中尉だったけれど、これは尾翼にかみつきましてね。落っこちちゃったんですよ。それで捕虜にしましたがね。中尉殿がですな、「あれほどお前は内地を、アメリカを出るときに、俺にかみつくなかみつくな、技量が下手だからって言っとったに何でだ」って。ケンカ始めたりしてね。まぁそういう事で第2波は終わったんです。だから初めはですね、あれだけの26機を持っといてケチョンケチョンにやられて。あとはたった4機しかなくて。それだけの成功をあげたと。まぁ言うことですわね。備えあれば憂いなしっていうのは。

あ号作戦発動がありましてね。6月15日。敵がサイパン島に上陸を始めたと。だからあ号作戦発動があったわけですね。それで午前8時ですか。Z旗があがったわけですよ。「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」、東郷平八郎元帥が日本海海戦のときに揚げられましたね。ハワイ海戦のときも揚がったんです。そのあ号作戦が2回目ですわ。揚がったんですよ。それで「それ行け」って言うんでですな。それで、「決戦は19日だ」と。それまでに基地航空部隊はですね、全力をあげて敵を攻撃しよう」っていう命令だったんです。全部書いてありますがね。それで11機で殴り込み攻撃をかけてやったわけですよ。それで、戦闘機の直俺(えん)もないからね。「戦闘機はちょうど帰る、日没頃に敵に突っ込めばいいから」って言って。それで6時頃っていう。じゃぁまぁ3時間ぐらいはかかるだろうから1時間余裕を見て1時頃出発したんです。ところがね、途中で輸送船に会ったんだ。敵の輸送船に。それで輸送船が1万トンの輸送艦でですね。1000人ずつ乗っておるんですな。幸いな事に航空母艦がついておらんわけ。だからそれに突き当たって、5隻沈めたんかな。1隻に1発当たれば沈むんだから。それで大戦果をあげましてね。

ところがね、この本にも書いてあるけれど、奇跡というものは起きるもんだと。そのときつくづく思いましたがね。帰って3機が帰ってきた飛行機からですね、(そのうち1機の飛行機から)6人ぐらい降りて来るんですよ。「お前たちはどうしたんだ、昨日の攻撃で戦死としてなっておるじゃないか」って言ったら、それがですね、「敵に魚雷発射してからエンジンが調子が悪くて、海上に不時着した」と。ところが、「ロタ島からですね、救助艇がきて助けてくれた」と。「で、ロタ島に行ってみたところが、前の日に戦死したという飛行機が残っておってですね、それをみんなで寄ってたかって修理して、それに乗って帰ってきました」っていうんですな。そんな事があるんですね。

Q:「連合艦隊司令長官の責任を問う」みたいな事は当時はちょっと考えられなかった。

考えられないですね。考えられないですよ。

連合艦隊司令長官っていうのは、いわゆるみんなを引っ張っておるあれですからね。下級士官を引っ張っておるんだからね。これは、まぁ極端に言うと神格化されますわな。連合艦隊司令長官に対しては、みんな文句を言う人はおらんけれど。各艦隊の長官に対してはいろいろ文句を言いますわな。

連合艦隊っていうのは、いわゆる実戦部隊ですわな。本当に危機に向かいあってやる部隊ですね。この部隊、この指揮官というのはですな、これは別格視されるわけですよ。

だから連合艦隊の言うことは、軍令部といえども聞かざるを得ない。という風習が前からあったわけです。

Q:それは、一航空隊長であった肥田さんでも感じた部分ですか。感じてた部分ですか。

やっぱりね、実施部隊、我々実施部隊って言いますけれどね。実施部隊っていうのは、もう部隊長の言うことはきかないかんと。尊重せねばいかんという思想はありましたよね。そのころからずっと。

Q:そういう意味では連合艦隊の長っていうのは、そのいちばん長の中の長。

そうです。そうです。

Q:それは軍令部といえども扱えないんですか。

いや、意見を必ず聞きますからね。意見を。どうだって言ってですね。意見を聞いてまぁいろいろこのハワイ海戦のときでも、ハワイ海戦をやるかやらないか。やるとすれば、航空母艦をどのぐらい、何隻使うのか。全力使うのか、どれだけ残すのかというのは、源田さんの回顧録にもあるように相当丁々発止やっていますわな。軍令部と連合艦隊とですね。相当。そこは軍令部の方は実施部隊じゃないから。自信があってこれだけの兵力でやれるというんじゃなくてですな。全体を考えてこっちもやらないかんから、こっちはそのぐらいしか出せんぞという事しか言えませんわね。ところが最後にはやっぱり連合艦隊の方が言い分が通って、その通りになってますわな。

出来事の背景出来事の背景

【トラック諸島 消えた連合艦隊】

出来事の背景 写真太平洋のほぼ中央に浮かぶトラック諸島。巨大なサンゴ礁に囲まれ大小200余りの島々が点在している。大正8年(1919年)に日本の委任統治領となり、民間人や軍人・軍属など約2万人の人々が暮らすようになっていた。島には町が作られ、病院や小学校、映画館や料亭までが立ち並んでいた。

昭和17年8月、連合軍の本格的な攻勢が始まると、日本軍は連合艦隊の拠点を日本国内から前線に近いトラック諸島に移す。来る決戦に備え、戦艦大和など連合艦隊の主力が集結し空母機動部隊が島を拠点に作戦を開始した。

しかし連合軍の攻勢の前に日本軍は各地で敗北を重ねた。米軍は昭和18年11月、トラック諸島の東にあるギルバート諸島を攻略、翌19年にはマーシャル諸島にも手をのばした。ラバウルの航空隊も度重なる空襲で大きな損害を受けていた。

昭和19年2月10日未明。連合艦隊の主力15隻がトラック諸島を離れた。連合艦隊司令部はトラックを拠点とした決戦は時期を逸したと判断。体勢を立て直すため作戦を変更したのだ。その際、物資や燃料を運ぶ多くの輸送船がなぜか残された。

2月17日早朝、2日間にわたるトラック大空襲が始まった。空襲開始から2時間足らずで航空部隊は壊滅。次に標的にされたのは、ほとんど防備を持たない輸送船だった。この空襲で、日本軍が出した損害は、輸送船31隻、艦艇10隻、航空機279機。死者は2000人以上にのぼった。

連合艦隊の拠点としての機能を失ったものの、トラック諸島が米軍の基地として利用されることを怖れた大本営は、多くの将兵を送り込んでいく。戦況が悪化し補給が絶たれると兵士たちは自給自足を余儀なくされた。トラック諸島では終戦までに、5000人にのぼる将兵や民間人が餓えや病で命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1919年
鹿児島県鹿児島市で生まれる
1936年
海軍兵学校入学
1943年
大尉任官、331空飛行隊長、551空飛行隊長
1944年
2月トラックに進出、トラック大空襲
1945年
千葉県で終戦。戦後、自衛隊で海将、航空集団司令官に

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