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タイトルタイトル: 「海軍上層部への疑問」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
名前名前: 瓦林 一雄さん(トラック大空襲 戦地戦地: トラック諸島  収録年月日収録年月日: 2011年2月4日

チャプター

[1]1 チャプター1 美しいトラック諸島  07:22
[2]2 チャプター2 消えた連合艦隊  04:56
[3]3 チャプター3 油槽船・神国丸に留まる  04:28
[4]4 チャプター4 トラック大空襲  05:31
[5]5 チャプター5 日本軍の邀撃(ようげき)  05:14
[6]6 チャプター6 神国丸沈没  06:40
[7]7 チャプター7 海軍上層部への疑問  03:05
[8]8 チャプター8 今も海底に横たわる神国丸  07:32
[9]9 チャプター9 フィリピンで迎えた終戦  05:30

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] トラック諸島 消えた連合艦隊
収録年月日収録年月日: 2011年2月4日

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まぁ口では言えん、絵に描いたような美しい言うことですね。それとまぁ野生の食べ物があったと。まぁ、極端にいえばパイナップルですね、いっぱい木に下がっているんです。バナナですね。ヤシですね。それは日本でそういう現場を探そう思うてもないですわね。きれいな、美しいなぁ。あぁ、果物が豊富やなぁ。暑いなぁいうのがもう本当やっぱり直感で思ったのがそれですね。それから陸上に上がってからなおびっくりしたんが、案外島というても開けていたんですね。商店街もありました。チョンチョン橋言うところにね。あれはちょうど4艦の病院を下がったところですねぇ。そういうところにそういう美しさいうんですかね、ありましたね。

町いうてもね、まぁ都会でいうたら出店みたいなところですね。あの時分はきれいでしたが。それからもうひとつ、やっぱり思い出すんが、横須賀にコマツいう料亭があったんです。士官料亭ですね。そこの店がやっぱりチョンチョン橋のね、士官ばっかりが行く、言うたら料理屋の小料理屋みたいなところでね。まぁそんな立派なもんじゃないですよ。こんなもう、ヤシの木で囲ったようなところに、コマツいう店がありました。

Q:それは支店っていうことですか?

支店ということですね。それで私は横須賀でいっぺんそのコマツさんに奥さんに会いに行ったんですがね、その時分はもう年いってね、あんまり分からなかったんやけれど、もう5年ほど前に亡くなられました。私は104(号艦)に乗っているときに、艦長によく、前田いう艦長でしたけれどね、よく連れて行ってもらいました。

戦争というのはまず二の次でしたね。おまけに私は練習生で行ってますかね。だから余計そういう気持ちがやっぱり高ぶっておりましたね。だけど、顔には出せませんでしたわ。やっぱりうるさいのがおりましてね。

Q:トラック島で他に何をごらんになったんですか?トラック島で練習生として行ったときには、何をされたんですか?

いや、あれは上陸いうことで、上陸しただけで。これは引率者に連れられて、島内を一巡できませんわね。なんぼ島が狭いいうてもね。だから要所だけを回って、まぁ船に帰ってくるいうのが、大体行程でしたね。

Q:どんなものをご覧になったんですか?他に。

他に、うーん。まぁ4艦行きましたね。第4艦隊司令部はね。それから41警備隊は行きましたね。それからね、あと第4病院。第4病院に行きました。で、まぁ寝ておられる方には、私はこういうものですということでね、元気を出してくださいということで、まぁお互いにそういう言い方をして別れました。それから主だったところは、石油タンクもあのとき見ましたね。それが戦後に行ったときには、もうこんなになっていましたわ。3基、3基ありましたね。かなり、直径10メートル、20メートルぐらいありましたかねぇ。大きなタンクでしたわ。ただね、何遍行っても地図がね、分かりませんねん。夏島、春島いうのは分かるんやけど、夏島のどこにどういう具合に配置してあるかっていうことはね、やっぱり艦船勤務のものと陸上勤務のものとだいぶ感覚が違いますから。どうも何遍行っても、4艦の司令部跡がね、分からないんです。最初に行ったときは、4艦の司令部行って、まぁ一応中に入れてもらいましたけれどね。そういうように、立派いうてもまぁ、南洋の、まぁあの島のことですから、立派ではありませんけれど。それから、戦後私らが慰霊に行ったときには、もう石だけでしたね。入り口の石だけがありました。そうして写真撮っていますけれどね。

そうですねぇ。島の防備いうのは、まぁ大輪さんなんかはね、まぁ飛行機関係、それから防備いうのはあんまりなかったと思いますがね。まぁ要所要所には、まぁ20センチぐらいの砲は置いてましたけれどね。それからやっぱり、まぁトラック島の帰りにもそういうところの配置の人もおられますけれど。まぁかなり要所要所にはありましたけれどね。ヤシの木とかね、木が多いんでね。まぁそれは逆にかえって良かったんと違いますか。あのー、上から見たときにね、砲だけ見えてね。憎しみは見えんとね。かえってよかったんじゃないかと思いますけれどね。まぁ、私らあんまり隅から隅まで分かるいうことはあんまりなかったですけれどね。やっぱりまぁ敵機がくると、あれだけの下から砲射しているいうのは、やっぱり要所要所に置いてたいうことは間違いないです。

自分の乗り組みを命じられた阿賀野(軽巡洋艦)が、まぁトラック島におるということで、まぁ(基地に)帰ってくるのは、待っていたらいつになるのか分からんから、便乗して行きなさいということで、便乗したわけです。それが途中変更があって、まぁいわゆる昭南島とかシンガポール、ボルネオ、まぁそういうところを回ってトラック島へ帰ってきたんが、ちょうど14日ですね。19年の2月の14日ですね。14日やったかな、15日やったかな。15日ですね。

Q:15日ということは、もうそのときには連合艦隊はいなかった。

いなかったです。もう10日ほど前(実際は5日前)に出ているという話は聞きました。

Q:それは到着したときに聞いたんですか?

えーと、それはね、もうそのときには聞いている間はなかったですわね。まぁどこに艦隊がおるんかそんなの分かりませんが。ただ錨地いうのは分かっていましたけれどね。その錨地見てもそんな艦隊がおるような気配はなかったですわ。やっぱり防諜関係もあるから、あんまりそんなことを口にしたらあかんということは言われていましたからね。だからまぁ、心の中ではどっかに退避しているなということは分かりましたね。

Q:あぁ、そうですか。

だから艦隊なんかはだいたい南水道は使いませんからね。だいたい北水道出ますからね。

Q:その15日の日に、14日か15日の日に、トラック島に到着されて。そもそもタンカーの神国丸は、何のためにトラック島に来たんですか?

これはね、艦隊輸送を。まぁ油送りですね。そのためにですね、まぁトラック島に入ったと思うんです。それを私はおかしい思うのはね、内地を出たときにね、なんでトラック島へ直行しなくなったんかなと思って。空っぽのタンクでいけませんわね。だから途中変更でなしに、まぁ最初からそういう計画であったんと違うかなと私は思うんですがね。それなら私はなんであれに便乗したんかなと思うんですわね。これは私が勝手にしたんじゃないですよね。軍の命令でやっているんやからね。だからその点が私は不理解なところがあるんですがね。そんな上のことは私はその当時分かりませんからね。

Q:まぁでも石油、ボルネオで給油はしたわけですよね。

えぇ、そうそう。

Q:その給油した要するに満タンの状態でトラック島に入られた?

そうです。

だから艦隊に給油するために入ったと思うんですが、艦隊がおらなかったいうのはね、まぁ連絡は取っていると思うんですがね、艦隊のところまで行くのに、退く方が危なかったんじゃないかなと思ったんですわ。魚雷攻撃とかあの時分には盛んにありましたからね。それとまぁ、航空母艦がもう、敵の航空母艦が近海におるということも分かっておったし、まぁ雷撃を受けたらという事もあったと思うんですわ。私はね、まぁ油を積んだままで入ったら、かえって危ないという見解なかったんかなと思うんですがね。油を積んだままでね、環礁内に入るとかえって危なかったんじゃなかったかなと私は思うんです。これはまぁ我々にしたら、そういうことは分かりませんけれどね。想像でそう思っとったんですかね。入って給油するという話は聞いておったんです。だけど、艦隊がおらんということは電波でも聞いているはずですからね。それでまぁ、特に入ったということは、外洋は危ないということを察知したんじゃないかなと思うんです。

Q:連合国の、アメリカのですね、艦隊が攻めてきているというような情報はあったんですか? 周辺に。

その時分にはそういう情報は私は耳にしていませんね。神国(丸)の上層部の方では分かっていたかもしらんけれど、私らは耳にしていません。

Q:ただその、すぐに阿賀野の移らずに、神国に乗艦したままだったっていうのはそういう意味があったんですか?先ほどなんかそんなようなことおっしゃって。

15日の夜半に入港して、16日ですね。入港して16日に阿賀野の方に連絡するという事で連絡したけれど、待てということで16日は待ったわけで、17日にはもう被害が会うたということですね。向こうも艦隊というか、阿賀野も艦隊の一部ですわね。それがなんであそこに残ってたんかなという、それもちょっと不思議ですね。私にしてみたら。でなかったら、もう少し作戦いうのが、こうー私らにもちょっとわかりにくいと思うんですがね。

私が聞いた限りでは、神国(丸)いうのは、だいたい艦隊付きになっていましたからね。だから艦隊についているのが普通だと思うんだけれど、単独で神国(丸)が動いているいうこと自体が、私はおかしいなと思ったこともあるんです。乗っているときにね。だけどそれはね、私らがね、ちょっとでも口を出したらもうちょっとね、やばいこともあったんですわ。

Q:それはあれですか、神国(丸)っていうのは艦隊に付随した油槽船だったんですか?

そうです。艦隊付きだったんです。だから私もやっぱりそれなりの艦隊に付いていって、それから乗り換えるんだなということを予想しておったわけですけれどね。全然単独で行っているでしょう。単独でトラック島に入ってますわね。これはおかしいですわ。でも阿賀野が、いつ、その外洋におったんかいうことも私は分かりませんでした。

Q:しかし、それだけの大きなタンカーを護衛するような船っていうのか、艦というのはなかったんでしょうか?

そうですねぇ。まぁそこまで聞かれてもその時分の私には分かりませんでしたね。もう少し階級が上やったら分かったかも分かりませんけれどね、まだ裸足で走っているような格好ですからね。分かりませんでしたね。正直言うてそうでしたね。

Q:本来はそういう油槽船には少なからず護衛艦みたいなのが1隻ぐらいはついていたんでしょうね。きっとね。

そうですね。だいたい駆逐艦とかね。護衛艦的なものはついていましたね。ただ隠れつつ付いていたんと違うかなと思うけれど、見た限りではそういう感覚はなかったですね。まして油を積んでいるからね。そういう今言われているようなことがあってもいいと思うんですが、これは遠隔から付いているかもしれませんでしたね。まぁ本当の乗組員やったら上官に聞きますけれどね。本当の乗り組みじゃないから、そういう詳しいことまで聞くと、何で聞くんやということを言われるかも分かりませんけれどね。

やっぱり朝のね、払暁というよりも、早朝ですね。3時ごろから、ぼちぼち飛行機の音がしましたね。で、その前日には、すでに上空の方から、偵察が、トラック島を偵察していたわけです。それは聞きました。あれが、偵察機やでって。雲の合間から見てるわけですね。それがもう、16日17日の早朝ですね。もう既に、雷撃が来てますもん。そのことで神国(丸)が中部に一発当たってますもん。トラック島で、神国で泊まっている位置は、北西に向いて泊まっていたんです。その、横っ腹いかれてるんです。

Q:アメリカの艦載機の編隊はご覧になった?

見てません。航空機ばっかりです。向こうは、航空母艦から発進している雷撃機とか、偵察機とか、そういうのが主に多かったですね。だいたい5機編隊で来てました。目の前で見てます。今思ったら、よっぽどトラック島というのが防備がなかったんか、低空飛行で来てましたからね。もう肉眼で見えてました。だから、トラック島というのは、わりになめられてたんと違うかなと思うんですが。向こうにしたら、やり易いなというようなもんでね。

神国丸はその当時は、夏島と春島の間くらいにおったんですけどね。

Q:瓦林さんはその中のどちらにいらっしゃるんですか?

私は左舷におりました。

Q:左舷で、何をされてたんですか?

私はね、17日には、まだベットにおりましたけどもね、18日・・・18日はまだ早いですね。17日は、だからベットにおって、それから、上甲(板)まで上がりました。それで、一応は見とかんと、これはどういうことになるか、分からんからということで、単独で上がりました。

それから、夜が明けてもういっぺん上がったら、低空で来てましたからね。あとで考えたんやけど、17日は陸上を主に攻撃していると、17日はね。18日は、艦隊に。艦隊って停泊艦隊ですね、に行こうという算段やったんだと思うんです。見事に18日に全部いかれてますわね。17日いかれているのは本当少なかったはずです。

Q:17日のときに、やられているときはどんなことを思っていたんですか?

敵襲があったときですか?私はもう少し号令があってもいいと思ったんですけどね。総員が配置につけとかね。何か、そういう指示があってもいいと思うんやけど、全然そういう指示がなかったです。その点は艦隊なんかやったら、おそらく指示があったと思いますわ。全然そういう配置がないから、全部もう兵隊さんなんか、ハンモックで寝てましたね。18日、見事・・その寝とったから、全部もう機関科の兵隊さんから、下士官の一番上部まで、みな同じ部屋で寝てましたからね。私、なんべんも行てましたから、その部屋へ。だから右舷の後部ですから、まともに来てます。そこへ。2発目がね。2発目で見事沈んでますからね。

Q:敵機が来てても、基本的に何もしなかったんですか?

神国(丸)ですか?いや、これは対空射撃やってましたよ。やってました。やってたけど、とてもじゃないが追いつきませんわ。向こうは雷撃で来るからね。大体3機から5機編隊で来ますからね。もう、高いやつが、すーっと急降下で来ます。雷撃ババーとして、ダーと行きます。それが18日はすごかったです。

Q:対空射撃もそうですが、飛行機での邀撃はご覧になってないですか?

日本の飛行機ですか?日本の飛行機はね、向こうが5機に対して1機くらいが上がるぐらいでね、上がるまでに皆いかれてましたわ。ほんでね、上がらん飛行機が多かったです。

Q:ご覧になった?

はい。それは済んでから見たんですけどね。済んでから。

Q:飛んでるのも見た?

飛んでるのも見ました。見ましたけど、これは向こう5に対して、こっち1ですわ。

Q:5に対して1?

5に対して。

Q:どういう状況だったんですか、その戦闘というのは?

これはどう言うていいんかね、もう問題にならんということですね。まさかと思っていたという事もあると思いますわ。向こうの敵襲があんなに激しく来るという事がね。短時間で総攻撃来てるんですからね。ただ、ちょっと立ち後れというんかね、そういう感じでしたね。見る限りではそう思いました。

油断ということが大いにあると思いますね。あれだけ来るということは思ってなかったんじゃないですか。ま、4艦(第4艦隊)の司令部があるんやから、警備隊があるんやから、もう少し連絡が密になってなかったんかなと思うんですがね。

Q:不思議な話ですが、連合艦隊は危機を察知して、先に出て行ってしまったが・・・。

それは、ま、あとで思ったことですがね、連合艦隊がなんで、トラック島をあとにして、去ってしまうんかなと、だから、連合艦隊は既に、アメリカの航空母艦が来てるということは、もう分かってるはずですわ。だから、トラック島を先逃げてるわけですね。商船は置いておいてもええと言うような格好で逃げてるわけです。だから、商船の船長とかそういうのは、どういう考えで、そういうことを認知しているかどうか分かりませんけどね。ちょっと作戦的には、ま、どういうんかね、考えられんようなことですね。すごかったですわ、もう夜が明けてからの攻撃なんかはね。やっぱり、南方ですからね、夜が明けるのが、6時ごろだと明けますからね。もうそれからの攻撃はすごかったです。夜明けなんかでは、曳光弾(えいこうだん)がもう走ってるんですからね。不思議にね、私は飛び込んで、しばらくは泳いでましたけどね、ま、泳いでる分にはあまり撃ちませんでしたね。

その点私は、あとでルソン島で沈んだときには、泳いでる者を滅多撃ちましたね。そんな事思ったら、トラック島は泳いでいる者にはあんまり撃ちませんでした。ただ、艦船はね、神国丸に限っては、前島、楓島の近くにおりましたからね。その他の艦船はね、わりと離れてね、夏島と春島の間にたくさんおりましたわ。図南丸とかね、大きい船はね。小さい船もその陰に隠れてたくさんおりましたわ。だけど、神国(丸)はね、なんで離れたんかなと思うんは、やっぱり油槽船ですからね、油乗せてると危ないから、やっぱり離れたんだと思います。これま、その時分の考えですからね。ま、私も幼稚な考えだから、そういう具合に思ったんですがね。一般の船はだいたい、春島と夏島の間ですね、あそこに大体おりましたね。だいぶ固まってましたわ。

Q:夜明けの攻撃のときには、瓦林さんはどちらにいらしたんですか?

私は、だから、だいたい右舷の方におるんじゃなしに、左舷におったんです。左舷におって、あんまりちょっと変な音がするんで、艦橋を上がったわけです。艦橋だったろうね。上甲(板)まで上がったら、ぼちぼち向こうが撃ち出してきたんです。で、そういうごし、あの私は機関科の方に行ったんですがね、もう階段の途中まで、降りてきたら、ボカーンと音しましたからね。一歩降ったところでボカーンと音したから、もう上甲(板)までもういっぺん上がったんです。ほなま、むしろ飛び込むというより、飛ばされたいう感じがきついですね。ま、一般的、私らが習った関係では、艦長の指示があって初めて退避するというのが、1つの海軍の常例でしたからね。ところが、そうじゃなしに、飛ばされているというのが実感でしたね、それとま、あの、自ら飛び込む人も割に多かったです。艦長の指示を受けるも何もありませんわ、轟沈(ごうちん)と一緒でですよ。

Q:はねとばされて船から海の中に・・・。

それと飛び込んだ人に、船から離れなさいということは言いました。吸い込まれたら危ないからね。

Q:神国丸はどういう状況だったんですか?

だから、後部から沈んでいきました。言うたら、これが前部でしたら、こういう格好で沈んでいきましたね。私は、真ん中に、立ったのが、上がった上甲(板)からこうなってきて、飛ばされたような感じで、飛び込んだような感じですね。だから、艦長も何も分かりませんわ。艦長なんかは全部、臀部(船の後部)でしたからね。

Q:タンカーですから、そんな船が沈んだら、油だらけじゃないですか?

油だらけ。だからもう、途中、油でいっぱいでしたわ。それでみんないかれてますね。油でね。海の中で油が体に付いてね、それが皮膚っていうんかね、気孔が全部詰まってしまったらね、そりゃやっぱり呼吸が困難になってきてね、立ち泳ぎをしなさいということは、私は習った関係で、そういう指導は泳ぎながらでもしましたけどもね。それで、木片を持ちなさいということも言いました、私はね。そな言うて、やっぱり1つの木片に5人も6人もつかまると、これはなんにもならんわけで、沈んでしまいますわね。だから、「離れなさい、離れなさい」ということで、わしはかなり泳いでましたけどね、これは危ないと思うんでね、やっぱりまた、1つの木につかまってね、こんな本当木片でですわ。このくらいの木片ですわ。それで浮いとったというのは現実です。泳ぐなんてとてもじゃないけどできません。泳いだら疲れてダメですわ。

Q:そのあとはどうされたんですか?

結局ね、そのあとは、もう潮流ですね。潮流。潮の流れ。それから、ま、干満。引き潮、満ち潮、それに乗っているというのが実際の実態ですわ。泳ぎ着いたというよりも、漂流して着いたのが、星島の近くということです。

Q:救助というのはなかったんですか?

なかった。全然そんなん。全然ありません。だからね、あの神国丸に限っては、艦上で死んだ人よりも泳いで死んだ人の方が多いです。だから、あとでダイバーが、神国を、ダイバーして、遺骨を調べても、そんなに多くなかった言うんですから。だから、泳いでる人やったら、神国を離れたらそんなに遠くまで行きませんわね。

Q:救助も、全然考えられなかったんですね。

そうですね。古い兵隊さんやったら知ってるけど、無理に泳ぐゆうことは疲れるばっかりでね。これはもうダメだから、新しい兵隊さんに、みな注意してましたね。私どもは学校でそういうのは聞いてましたからね。だから泳いだらダメですよ、ということを言うてましたわ。「泳ぐな!」言うてね。

Q:それで、何時間ぐらい漂流していたんですか?

私はもう着いたんが、もう夜半でしたからね、10時ごろでしたわ。おそらく18時間ぐらい泳いでると思います。4時に飛び込んで、10時ごろですから、それくらいになると思いますわ。もう、目が見えんから全然。見当もつかんですわ。

Q:目が見えない?

もう光線で目が全部いかれるんで、油が入ってね。それから、油が入らなくっても、光線と太陽がきついでしょ。そこへ塩水やから、目がみんないかれますわ。ノナカさんでも目がいかれた言いますもん。あの人はね、前島へ着いたんですから。一番近い島に着いてますね。

疑問はたくさんありました。なんでこういう、言うたら不手際ですわね。なんでこういう打ち合わせが悪いんかなってね。ちょっと悲観しましたね、艦隊に対してね。というよりも、海軍に対してちょっと不安でしたね。だから、私ら16年に大東亜戦争が、始まったんですがね、15年にはいってますわね。真珠湾攻撃したんはよかったんやけど、それからだんだん傾いてきているのは分かったんやけど、これはいよいよ日本も危ないなという感じはしましたね。敗れるということよりもね、日本はもっとしっかりせないかんなと思いましたね。

Q:それはどの時点ですか?

内地へ帰ってからですね。104号乗るまでにそう思いましたね。今度の船では、これはきっちりやろうと。私も1つの責任者になってきたから、やろうという気持ちは持ちました。

Q:トラック島に入ってから、「なんかおかしいな?」と思うことはいくつかあったんですか?

そうですね、その時分ではまだ、やっぱり少尉候補生という関係もあるし、兵隊が若かったということあるから、そういう特に言うことはないけど、連係プレーというのがおかしいなということは考えましたね。

Q:それは何のとき?

海軍そのものの連携がおかしいなというんと、もう1つは、細分すると、艦隊と艦隊との相互関係いうのが、やっぱり非常にまずいなということを思いました。

Q:それはどうして思ったんですか?

極端に言えば、艦隊だけが退避して、一般の船は放っておくという、連携が一つもなってないと。艦隊は1つの艦隊になって、固まってやるというのは、これは普通であるけど、これは戦術考えて分散したんやろと思いますけど、分散もしてたし、それから連係プレーというのがあまりないという事ですね。他艦船は消耗品という考え方を持っているんじゃないかと不安に感じました。その時はね。感じて、国が滅びるということよりも、やっぱりこれは立て直さないといかんという気持ちは持ちましたね。

私がこれだけ乗せてもらって、沈んでいくということは、本当に悲しいことでしたね、残念でしたね。残念無念ですね。実際に目の前で沈んでいくのを見てるんですから。轟沈に等しい沈み方ですね。哀れというか残念無念ですね。3月ほどお世話になりましたからね。

Q:その当時の沈んでいく情景は今でも思い出します?

思い出しますね。言われて初めて思い出します。もうできるだけ忘れようと思いますけどね、やっぱりそういう話になってくると思い出すわけです。だから、今の私らの会でも、こういう話はしますけど、あんまり込み入ってまで話をしたくないんです。

Q:なぜですか?

やっぱり、昔は思い出したくないです。やっぱり無念残念ですね。負けたいうことに対してね。沈むという以前の問題ですね。沈むということが以前の問題で、負けた事が残念ですね。それと私らにしてみたら、やっぱり、亡くなられた方に対しては、やっぱり慰霊の念は忘れんようにしようと思って、私は生きている限りやるつもりでおります。トラック島へも、忘れられん島であるし、港でもあるから、13回行ってます。慰霊にね。遺骨引き上げは3回してます。これも私は厚生省行ってお願いもしました。最近で言えば、一昨年も厚生省へお願いしましたけど、トラック島へはいま、揚げられませんと。どういう理由でというたら、向こうは観光資源にしてますと。そりゃ言うだろうと思っておりました。ミクロネシア政府は観光資源です。だから、我々沈んだ船を観光資源にするというのは、もってのほかやと思うんで、厚生省行って、遺骨だけでも引き上げてくれと、いうことを頼んだけど、もう3回で精一杯ですと。今度はフィリピンの方ですと。そしたら私ら、沈んでる船をもういっぺん言ってくれと。そしたら、あんたらが沈んでいるところは、深すぎて揚げられませんと。

Q:それはほんとに無念ですね・・・。

そうですね。そうしか言いようがないですよ。

Q:18日に沈んだあと、何人が乗ってて、何人が生き残ったんですか?

そこまで分かりませんね。泳いでるときには、20人ぐらいの人は覚えてますけどね。その方は全部亡くなってますわ、なんでか言うたら、油が体についてね、呼吸ができなくなるわけです。それと、慌てて島へ逃げようと思ってね、溺死(できし)してる人ですね。そういう人は亡くなってますね。案外、落ち着いてる人が、助かってる人が多いですね。ノノムラさんなんかは、3時間か4時間泳いで前島へ着いてるんです。私らみたいな、潮流に乗ってしもうたら、もうどこへ着くか分からん人。私1人ですわ、星島ついたのは。いちばん、18時間いうたら長い方じゃないですか。ま、よう命があったなと思うて、今思うと不思議なくらいです。

Q:トラック島にはいつまでいらしたんですか?

ほぼ体のずるずるになったのと目治ったんが・・とにかく内地帰ったんがね、4月のね、10日ころですわ。あ、4月や。4月の10日ごろです。それから、大阪造船所入ったんが、呉の海軍病院で目の治療をしてもらったり、それで、大阪の大阪造船所に入ったんが、4月の15日ごろでした。

Q:そうすると、それまではトラック島にいらっしゃった?

トラック島には、1か月おりました。

Q:何をされてたんですか?病院にいた?

いえ、病院行ってません。警備隊におりました。41警におりました。病院いうのも、病院満員で、とてもじゃない、私の日焼けで皮がむけたとかね、日焼けで目がいかれたとか、そんな・・全然両方とも見えませんでしたもん。その目が開くまで待ってたわけです。だから、星島に約半月おりました。それから、島の避難民が4艦の方へ連絡してくれて、それで迎えにきてくれたんが、半月ほどしてからです。それで、警備隊に半月ほどおって、それから帰ったわけですわ。

Q:警備隊にいる間はなにされてたんですか?

もう、休養です。あの、目がはっきり開かんのですから、しょうがないですわ。眼帯が巻かれてた。

Q:その半月は目が開かないから、回りの状況も分からず、とりあえず過ごしていた?

あんまりそんなことは言いませんでしたね。目は治してくれと、そうせんと使い物にならんということですわな。

それは20年の、19年の12月15日に沈んでます。ルソン島の西岸のマシンロックいうところでね。

全部もう、船とともに沈めてもうて。それで片足で泳いで、上がってきて、村民に助けられたいうのが現状です。それでま、ケガしたもんとか、そういうもんの食糧調達にね。村はあるんやけど、村は村の人の食べもんやから、これは食べんといてくれと。日本びいきの村民でしたんや。それでま、その人らは、山行って何かとってくるよということで、ちょっと歩けるもんを連れて、山へ行ったわけですよ。それでま、患者とかそういうもんをなんとか、食べられるもんのなんとか調達しとったんやけど、80人の調達をする言うたら、とてもじゃないがそれはできませんでした。その日、私らが山へ入っている間に、帰ってきたら、全然兵隊さんがおらんと。どこいったんやって村人に聞いたら、陸軍の車が来て、全部マニラの方へ行ったと。いわゆるその人らは陸戦隊に編入されて、亡くなったということです。私らは、山のなかへ逃げたわけです。だから、それが良かったんか、私なんか、これはあんまり人に話できんわ思うてね、恥ずかしいから。そんなこと私は全然知らなかったわけです。帰ってきて、食糧をちょっと調達して持って帰ったんやけど、全然人がおらんということについて島民に聞いたら、陸軍のトラックが来て、全部積んでいったと。聞いた話やけど、これは市街戦で全部いかれてると。マニラでね。でも、ほとんど戦死してるということですわ。

Q:じゃ、偶然生き延びてしまったという感じ、ずっと山のなかにいらっしゃったんですか?

もう半死でした。食べ物がないんでね。それから陸軍の兵隊さんがあっちゃこっちゃで殺されてね。全部裸でね、ウジ虫が湧いて。私らでも、ケガしてるところがウジ虫わいてね。これを、掃除するだけでも、大変でしたわ。暑いからすぐウジがわくんです。薬はないでしょ、これがボトボト落ちるんです。ほとんどは大なり小なりの負傷はしてました。ま、元気な者は、4、50人はおりましたね。みんな市街戦で、みんないかれてますわ。

私にしてみたらね、人はみんな逃げたと思うんです。そんなこと、戦況が分かるわけないんです。海の戦況は分かってましたね。104号と106号は一緒に行動しとったんです。高雄着いたときは良かったんやけど、高雄からフィリピンのマニラへ、マニラじゃない、ルソン島へ行くのに南下しますわね。南へ下がんのに、あのバシー海峡がもう潜水艦ですごかったです。3便出入りしてます。夜間消灯して、夜間(海へ)出るんやけど、もう雷撃がすごうてね、魚雷ばっかり。

Q:104っていうのはどういう任務だったんですか?

だいたい、輸送ですね。主に輸送ですわ。

Q:陸軍の兵士とかを輸送していた・・・。

そうそう、陸軍とかね、いわゆる陸軍の兵器ですね。だからタンカーみたいに、前がバタッと落ちるやつです。こう船があったら、バタッと落ちるやつあるでしょ。バーッと開くんです。でこういう具合に横が全部落とすようになってます。大阪造船所で作ったんが、そんなんが10隻ほどありましたね、あのとき。

出来事の背景出来事の背景

【トラック諸島 消えた連合艦隊】

出来事の背景 写真太平洋のほぼ中央に浮かぶトラック諸島。巨大なサンゴ礁に囲まれ大小200余りの島々が点在している。大正8年(1919年)に日本の委任統治領となり、民間人や軍人・軍属など約2万人の人々が暮らすようになっていた。島には町が作られ、病院や小学校、映画館や料亭までが立ち並んでいた。

昭和17年8月、連合軍の本格的な攻勢が始まると、日本軍は連合艦隊の拠点を日本国内から前線に近いトラック諸島に移す。来る決戦に備え、戦艦大和など連合艦隊の主力が集結し空母機動部隊が島を拠点に作戦を開始した。

しかし連合軍の攻勢の前に日本軍は各地で敗北を重ねた。米軍は昭和18年11月、トラック諸島の東にあるギルバート諸島を攻略、翌19年にはマーシャル諸島にも手をのばした。ラバウルの航空隊も度重なる空襲で大きな損害を受けていた。

昭和19年2月10日未明。連合艦隊の主力15隻がトラック諸島を離れた。連合艦隊司令部はトラックを拠点とした決戦は時期を逸したと判断。体勢を立て直すため作戦を変更したのだ。その際、物資や燃料を運ぶ多くの輸送船がなぜか残された。

2月17日早朝、2日間にわたるトラック大空襲が始まった。空襲開始から2時間足らずで航空部隊は壊滅。次に標的にされたのは、ほとんど防備を持たない輸送船だった。この空襲で、日本軍が出した損害は、輸送船31隻、艦艇10隻、航空機279機。死者は2000人以上にのぼった。

連合艦隊の拠点としての機能を失ったものの、トラック諸島が米軍の基地として利用されることを怖れた大本営は、多くの将兵を送り込んでいく。戦況が悪化し補給が絶たれると兵士たちは自給自足を余儀なくされた。トラック諸島では終戦までに、5000人にのぼる将兵や民間人が餓えや病で命を落とした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1924年
大阪市淀川区南方町(現・東淀川区東中島)に生まれる
1940年
12月、海軍兵学校入学
1943年
10月、海軍機関学校卒業
 
12月、神国丸に便乗、トラック諸島へ
1944年
2月、トラック大空襲、神国丸沈没 5月、輸送艦104号艦に乗艦 12月、ルソン島西岸で沈没
1945年
フィリピンで終戦を迎える
 
戦後は大阪の土木局に勤務後、建設会社を経営

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