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タイトルタイトル: 「ゲリラになった現地住民」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
名前名前: 杉本 逸治さん(第1師団 戦地戦地: フィリピン(レイテ島)  収録年月日収録年月日: 2008年6月

チャプター

[1]1 チャプター1 レイテ島・オルモックへ  04:33
[2]2 チャプター2 輜重(しちょう)兵の仕事がない  04:49
[3]3 チャプター3 囮(おとり)の決死隊  04:54
[4]4 チャプター4 マラリアに倒れた  02:38
[5]5 チャプター5 食糧探し  03:53
[6]6 チャプター6 現地住民とゲリラ  07:40
[7]7 チャプター7 セブ島に転進  05:21
[8]8 チャプター8 富士山が見えた  03:19

チャプター

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~
収録年月日収録年月日: 2008年6月

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Q:(満州から)南方に向かうときって、どんな気持ちで向かったんですか。

うーん、そのね、戦争に行くっていうことは、分かってれば、そういう気持ちもあっただろうけど、私はもう2年以上勤めたから。除隊だとばかり思ったから。服着せ替えられたのはね。だから、内地に帰れるという頭があったのよ。途中で、日本へ向かってないんだっていうことが分かってから、戦争だなってことを知ったのよね。うん。

Q:じゃあ、日本に帰れると思って、出発してたんですか。

そうそう。最初はその、日本へ帰してくれんで、服、新しいのを着せ替えて、汽車へ乗っけてくれたんだんだなと、そういう頭しかなかったのよ。それは行ったところ、北支、中支行ったから、ああ、これは駄目だと思ったのよね。

Q:最初、レイテ島に行くときって、勝つぞって気持ちで、レイテ島には行ったんですか。

そう。レイテ島へ行くときは、勝つぞっていう気はなかったけど、マニラに着いたときね、は、まだ勝つって思ってたの、はっきり。ところがね、レイテへ行って、もう上陸、オルモック湾へ上陸するときに、はたかれたのを見て、これはとてもかなわないなと思ったの。うん。偉い人はそんなこと、言えないでしょうけどね。私らは気持ちでそう思ったの。

もうとにかく、船がやられりゃ、武器も自動車も馬もなくなっちゃうんだからね。だからとても勝つ見込みはないと思ったね。もう、レイテ、オルモック湾へ着いてすぐだから。うん。

Q:特に、輜重(しちょう)隊の兵隊さんとしては、大変なことですよね。

うん。半分ぐらい、そこで亡くなったじゃないかな、上陸までに。

Q:輜重隊の杉本さんとしては、どんな思いで、輸送船がやられるのを見ていたんですか。

人のことは言えないやね。もう、どうやってから、自分かいつやられんか、ただそれだけの考えやったね。いつになったら俺、死ぬんかなって思って。

みんな徒歩で、みんな歩いてんだよ。ただ、逃げて歩いてんだよ。うん。小銃ひとつじゃ、鉄砲一丁じゃけんかにならないわね。こっちがパーンパーンと撃ってる。向こうがダダダダダダと。全然けんかにならない。

Q:武器とか食料を運んだことはありますか。

ないないない。車、ないんだもの。運べないよ。

Q:でも、歩いて運んだりとかもしなかった。

全然ない。うん。歩いて運ぶったって、歩兵さんがどっちにいるか、見当つかないんだものね。そこへ持って行くことは出来ない。そっちの運ぶどころか、自分の逃げるのが先や。うん。

銃も何にもないわや。戦いたくても。銃はどうにか持っても、弾がないしね。うん。

Q:なんで輜重隊の人が前線で戦わなきゃいけなかったんですか。

だって、出てって戦うわけじゃないけど、出くわしたときに撃たなければ、やられちゃうから。こっちから進んで敵をやりには行かれないよ。弾薬も何もないんだから。

Q:リモン峠で、米軍の攻撃ってどんな攻撃だったんですか。

とにかく向こうのは怖いんだよね。ズズズーっと来ちまうから。こっちみたいにトン、トンって撃つんでないんだから。ダダダダダーっと来ちゃうから怖いんだよね。

Q:それに対してどう応戦したんですか。

応戦しない。逃げて歩いてるよ。うん。はっきり言って、逃げて歩いてるんだよ。うん。
向こうでパンパンと音がしたら、こっちへツーっと逃げるとか。うん。それに、応戦する武器なんて、全然ないからね。歩兵さんはいくらか持ったよ。歩兵さんも、恐らく持ってなかったでしょ。うん。

Q:日本軍のレイテ島の基地からは、食糧を送ってもらえなかったんですか。

最初いくらかあったんでしょうかね。終いには全然なかったもんね。うん。

Q:それ、詳しく説明すると、どういう風に減っていったんですか。届くもの。

どう減ったんだろうなあ。そりゃ、上の人のことで、俺らがどういう風に分けただかなんだか、分かんないからね。うん。だから、末端には来なかったね。

Q:食糧配給があった覚えとか、全くないですか。

ないない。うん。

Q:米軍の攻撃で、火炎放射器の攻撃とかって覚えてますか。火炎放射器。

火炎放射器はね、火炎放射器同士で戦ったって、向こうのは100メートルも飛んでくる。こっちのは2、30メートルしか飛ばないでしょ。とても戦いになんないですよ。

Q:米軍の火炎放射器って、どんなものだったか、もう少し詳しく教えてもらえますか。

いやあ、それ、出くわさないからね。それにやられないから分かんないけどね。やられた跡は見たけど。

Q:やられた跡って、どんな風になってたんですか。

焦げてるさ、もう。うん。

Q:何が焦げてるんですか。

人も何も、焦げてるよ。岩の穴があるんだよ。そこから奥へ入ってると、放射器が全部回っちゃうからね、炎が。だから、中にいたってみんな焼かれちゃうよ。

Q:それをどんな気持ちで見てましたか。

どんな気持ち。そのときの気持ちもない。自分で逃げるが頭が先だから。見てるっちゅうじゃないよ、もう。自分がやられちゃいけないと思って、逃げるのが先だから。うん。

Q:亡くなった戦友たちの姿を見て、悲しいとか、そういう気持ちってなくなっちゃう。

まあ、はっきり言って、そのときはこういう気持ちはないね。自分に、はっきり、自分が逃げるの、もう、頭にあるだけだ。どっちに逃げたらいいか、どうして逃げたらいいか、それを考えるだけだ。

一番ひどいのはリモン、カンギボットだよね。リモン峠とカンギボット山、これは一番ひどかって。

Q:具体的にどうひどかったんですか、戦闘は。

どう、どうもこうもないんだなー、追いまくられて逃げて歩くだけのことだから。最初のうちは戦っていたよね、弾薬も武器もあったから。しまいにはすぐなくなっちゃったから、もう戦うことはできないから、逃げて歩くだけだ。だから逃げたってことなんかは、本当は口にしたくないんだよね。いけないんだから、逃げちゃ。だけどしょうがないんだよ、逃げなきゃやられちゃうから。

あのね、こう山になっているでしょ。山になっているここに私らがいると。米軍がこれを囲んでいるわけなの。これ、破らなきゃ、どこか破らなきゃ出られないわけだ。だからここにいる人は、何人かこううまくこうやってこの下へ行って、それでガチャチャ、チャガチャやるっていうと、こっちに大勢いると思うから、敵の銃弾はみんなこっちに来るわけ。その間に抜け出した。

Q:その缶を鳴らして囮(おとり)になった人たちは、どうなったんですか。

死んじゃうよ、5人から7人で行くから。みんな、ばーっとやられて死んじゃうよ。だからそこが決死だよ。

Q:杉本さんは、どっちにいたんですか。

いや、誰彼、1回ぐらいみんなそれに行くでしょう。でも5人から10人で行って、1人か2人は帰る。帰るときに自分の隊へ帰れないで、ほかの隊にぶつかっちゃうんだよ。それで幾日か歩いているうちに、また本隊と一緒になって行動するんだよね。私は2日ぐらいだったけど。

Q:杉本さんはその囮(おとり)になっている間、攻撃を受けていたわけですよね、米軍の。杉本さんも、そのこっち側の少数のほうに入っていたときに、米軍の攻撃を受けていたんですよね。

受けてたよ。

Q:どんな気持ちで攻撃を受けているんですか。

ああ、もう死んじゃうと思っているから。ただ、銃弾が止むまでじーっとしているほかはないんだ。脇を見たって、倒れちゃうしね。ああこれ、こいつが逝っちゃったけど、かわりに俺が逝くわけだったなと思ったりするけど。だから戦友に、もう砲弾を受けてだめになって、写真を出して、これ、うちに届けてくれなんて言ってね、写真を受け取ったけど、この写真はみんな取られちゃうから、取り上げをくったから、そこに持っていかれなかったけど。目の前で死んでいくのは、何人も見ているからね。

Q:そのときどんな気持ちで、戦友たちが亡くなっていくのを見ていたんですか。

どういう・・、どういう気持ちって、まあ・・、自分の番がいつ来るかっていうのを考えているだけだよ。明日は俺かな、今日は俺かなって考えだけだよ。

リモンのときですよ。熱くて、体中が熱くてだるくて、歩けないだよ。だからみんながどんどん転進するだけど、それに付いていけない。だから俺はもうここでしまいだから、いいからみんな行ってくれって。なんとか連れていこうと思って、ずいぶん肩へかけたりなんかして、みんな連れていこうとするんだけどね、もう体がどないもくにゃっとしちゃうから。それでしかたない、じゃあお前、さようならって言って。それで1日、2日、その場にいてるときに、どうかしているとなお、治ったわけじゃないけど、元気が出てきてね。すると、ほかに通過する部隊が、まあ向こうの兵隊だったら出ていかないけど、日本兵だから。こういうわけだって言って、一緒に連れていってもらったことはあるよね。それで、確か君らの部隊はこっちにいるわけだから、それでそこでまた分かれて出ていって、自分の部隊にぶつかったからね。

やっぱりその仲間も逃げて、後退してくる最中に出くわしたから。私が普通に立ったもんだから、1人でも余計なほうがいいと思ったんでしょ、一緒に連れていってくれた。それでこういうわけだって言ったら、この先にそれじゃあいるんじゃないかっていうわけだ。それで2日ぐらい経ったら、なんか沢のほうから言葉が聞こえるんだ。なんだ、日本の言葉だっていうわけだ。それじゃ日本軍がいるんだろうっていうわけ。それで行ってみたらいたんだね。

Q:で、リモン峠から海岸のほうに転進するときの話で。

そうそう。

Q:最初、そのマラリアで倒れて置き去りにされたとき、どんなことを考えていたんですか。

考えないよ、もうだめだと思っているから。ひとりで付いて行かれないから、置き去りにされたから、ここでもうしまいだと思っているから。だから、あと何時間ぐらいで死ぬかなっていうことは考えたけどね。

Q:食糧もないわけじゃないですか。食糧はどうしていたんですか。

だから、いろんな果物がいっぱいあるんだよね。それを食ったりなんかしたわけだ。

Q:あとはどんなものを食べていた記憶がありますか。

ああ、ムカデでもねずみでも、見たものをちょっとつかまえて食っちゃうよ。

あのね、ムカデなんかね、焼いて食べるとちょうど鯵の塩焼きみたいなああいう味で、おいしいですよ。

Q:そういう味を感じる余裕もあったんですか。

まあなんにも食わずにいといて、そういうもんでも食べると、おいしいなっていう感じが出るね。

Q:やっぱりこうガリガリにやせ細っているんですか、体も。

もうきれいにやせているよ。

Q:どのくらいやせちゃうのか、教えてもらえないですか。

そうだねえ・・・。とにかく今でも20キロ、胃を取ってから20キロやせたけど、こんなもんじゃない、もっとでしたからね。

Q:もっとっていうのは、どのくらい。

筋が浮き出ているんだもん。この筋がね、今でも浮き出てきているけど、こんなもんじゃなく、みんな筋が浮き出ているんだ、ここらも。まあ目方を量れば、おそらく40キロ台でしょうね。

Q:現地物資収集の命令が出てたみたいなんですけれども、実際にそういう命令として、

物資の収集とかにあたっていたんですか。

物資?

Q:あの、食糧っていうことです。

命令で取りに行けなんていうのはなかったね。もうそのときは、ひとつの小隊にはまとまっていないからね。10人か15人ずつになっちゃうから、もうてんでに探さなきゃならない。全部の分まではとても間に合わないからね。それで、昼間に出て歩けばわかっちゃうから、撃たれちゃうから、夜に探して歩くの。昼間に行くとね、今でいうヘリコプターか知らんけど、なんて言うの、あのときは艦載機って言ったっけかな。こうやって一箇所でばーっと止まっていて、弾を一発撃って煙を出すと方角がわかるから。それでいろいろ、何メートルこっちに敵がいるといえば、みんなそこに来るから。だからその飛行機に見つからないようにしていないと、すぐに撃たれるんだよ。

Q:本当に命からがらですね、食糧を探しに行くのも。

うん。だから夜、そおっと歩いて。まあバナナ、パイナップル、ヤシの実が一番多かったけどね、そんなものを探した。

Q:食糧を探しに行って、夜でも撃たれたりはしないんですか。

いや、やられるよ。なんて言うかね、土人がやるんだよね、土人が。米軍にくっついちゃっていて、しょうがない。そういうのにずいぶんやられているんですよ。

Q:フィリピン人の攻撃って、どういう攻撃なんですか。

あのね、サトウキビ畑にサトウキビをいっぱい作っているから、その中に、鍬(くわ)を持って耕しているようだけど、その鍬を逆に持ちかえると小銃なんだよ。それでダダッと撃たれるから、耕している人を見たら、先にこっちで撃って殺さなきゃ。通り過ぎると、すぐにやられちゃうから。

Q:それは、訓練を受けていない現地の人の攻撃でも、結構すごかったんですか。

うん。サトウキビの高さがね、人間よりちょっと高いからね。その中に入っちゃえば、わからないんだから。あそこに人がいるなんていうことはわからないからね。だから知らん顔をしてそこを通り抜けると、見つかったらやられちゃうから。

Q:日本の兵隊さんも油断しているわけですか。

油断しているよね。最初は知らないから、土人だろうと思っているから、撃つとは思わないからね。しまいにはわかっただけど。

Q:最初、撃たれたときはやっぱりびっくりしました?

びっくりしたよ。食事を、3人でヤシの木によりかかってこうやっている。2人がこういう格好で食べている。こういうふうに抜かれちゃうと、真ん中に入ったものは弾がこう通るけど、両脇にこうやっている人間は、抜かれちゃうだろうからね。逆に、今度はこうなっている一人がやられて、こっちが助かるときもあるんだから。私らは2回、3回は、それを、やっちゃっているんだ。だから運がよっぽどよかっただから、生きてきたけどね。両脇の人、4人、山梨のアオヤギっていうのがそうだし、八丈島のナカムラサダオっていうのもそうだ。両脇にいてて、2人が倒れて。ただ、こういう格好にしてて、これを抜かれて、ここにいた私は助かった。逆の場合もあるんだよね。

Q:それもゲリラっていうか、フィリピン人の攻撃だったんですか。

それは、そのときはフィリピン人だか向こうの兵隊だかはよくわからないけどね。どこから狙っているかわからないんだから。また本当に日本軍によくしてくれた土人もいるんだよね。私らがいたところに1人いた。年寄りの人だったけど、言葉は通じないけど、そっちはだめだって、こっちへ行けって言って教えたりね。あっちに行くと敵がやっているって教えてくれた人がいるんだ。

Q:そういうやさしいというか、協力してくれたフィリピンの人に会ったときは、どういうお気持ちになりましたか。

そのときはどういう気持ち、こういう気持ちって言われるとさ、ただ助けてもらったっていうだけの気持ちしか出てこないよね。

Q:そのゲリラとゲリラじゃない民間人が、見分けがつかないっていうことなんですか。

それはもう結局、一般の人はそこの中にいないわけだよね、もうどこかに隠れて。それで百姓のふりをしているけど、ゲリラがやっているんだよ、あれは。だから撃ちかたもうまいんだよね。最初はそれを百姓だとばっかり思ったから、見逃したんだ。

Q:現地の人とも戦わなければいけなかったっていうことに対して、今思うこととかってありますか。

うーん・・、まあ本当の軍服を着ている人以外は、撃ちたくはなかったよね。うん、撃ちたくはなかったけど、あとでそれが兵隊だっていうことがわかってあれだけど、最初は土民だとばかり思っていたからね。

Q:現地の人に対して、申し訳ないとかいう気持ちを持ったりするものなんですか。

いや、味方をしてくれた人が死んだときには、本当に申し訳ないと思うけどね。味方に見てくれない人間は、いくら土人でも死んでもなんとも思わないで、このやろうと思うけど。味方をしてくれたあのじいさんが死んでいるのを見たときは、本当に気の毒だった。

Q:その味方をしてくれたおじいさんが亡くなったのは、いつ、どこで亡くなったんですか。

私らが話をして、そこを通り抜けてから2日ぐらいして、そっちに引き返したときだね、死んでいたのは。見たら弾に当たっていたから、おそらく日本兵に加勢したっていってやられたんじゃないかね。よくわからないけど。顔だけは、ああ、あのじいさんだっていうことはわかったけど。

セブ島へ渡る手前の海岸ぶちだったなあ、なんて言ったっけなあ、あれは。セブ島に行ってからは、ぜんぜん戦争なんていう戦争はないんだから。

Q:そのおじいさんは、なんで助けてくれたんですかね、杉本さんを。

うーん、なんで助けたんだか。とにかくまめに自分で様子を見に行っといちゃあ、ここはだめだと、こっちに行けと。そのとおりに行くと、なんでもなかったからね。本当に道を知っていて教えたんだよ、あの人は。

Q:そのセブ島に転進するっていうことは知っていましたか、当時。

いや、知らない。ただ海岸に集結っていうことだけ。全部、いつまでに海岸に集結って言うでね。それで海岸に行ったら、上陸用の舟艇でって言ってね、全部セブ島へ移るっていうわけ。で、半分ぐらい、半分まではなかったけど、レイテに残ったんだ。残った人間はどうしちゃったか、あれは2つに分かれちゃったからね。多くはセブ島に渡ったんだけど。

Q:杉本さんは舟に乗れたんだと思うんですけども、その舟に乗れたとき、どういうことを思いました?

うーん、どうって思いはない、今考えるとどうっていう思いもなかったんじゃないかな。

Q:でもやっぱり助かったって感じじゃないですか。

いや、そういう気持ちもなかったね。

Q:セブ島はアメリカ軍は、まだそのときはいなかったんですけど、アメリカ軍がいないところに行くっていうのは知っていたんですか。

うん、それはセブ島に行くっていうのを知らないじゃない。海岸集結だけのあれで。それで海岸に集結したら、今度はセブ島へ、じゃなく舟艇が来て、上陸用舟艇に乗っただけだから。ぜんぜんわからないで。

3分の2ぐらいはレイテに残ったんじゃないかな。うーん、3分の1ぐらいは残して、3分の2ぐらいセブ島に渡ったのかな。

Q:私が聞いた話だと、みんなセブ島、アメリカ軍がいないセブ島に行くっていうことを、結構みんな噂(うわさ)で知っていて、舟に乗れなかった人は、俺も乗せてくれって殺到して、混乱したっていうようなことを聞いたんですけども。

いやあ、わたしらが乗った舟じゃあ、そんなことはなかったね、誰も。だからこれ、部隊によって、早くに移動した部隊と残された部隊では、みんな言うことが違うんだよね。あとへ残ったのは、おそらく九州の部隊じゃないかな。

Q:セブ島に着いたときは、どういう感じだったんですか、みんながセブ島に着いたときは。

どういうって言うか、もう・・、自分の居場所を探すんだよね。こっちからあれは、敵はこっちから来ると。ここの断崖にいれば、どっちから来てもやられないとかそういうところを選ぶと。下手に海岸の洞窟に入ると、火炎放射器が怖いしね。

Q:レイテ島じゃないところに来たっていうのはわかりました?

わかりましたよ、渡ったんだからね、舟で渡ったんだから。それで島の格好が違うから。

Q:それはその、レイテ島を脱出できたっていう気分なんですか。

脱出、うーん、脱出といえば脱出だけど、なんのために渡っていくかっていうことまではわからなかった。武器があれば、戦争に行くっちゅうこともあるしね。武器がないで渡り歩いたんだから。ただ、おかしいと思うことは、昼間走らないだから、上陸用の舟艇も。夜だけ走って、昼間はヤシの木陰に隠れているんだから、舟を。それで夜になると走るんだから。だからどこか逃げて歩いているっちゅうことはわかるんだよね。

Q:別れはつらくなかったですか。

その別れるっちゅう言葉がもう、残されるとしたら死んじゃうんだっていう頭があれば、それは別れはつらいかしれないけど、そんなのはぜんぜんなかったから。

フィリピンから帰って来るとき、一番先に見えたのは富士山なんだよ。あれ、どういうわけだろう。日本の領土が見えるより富士山が先に見えたんだ。それで誰か、わー、富士山だって騒いでたら、船が片方一斉に富士山の方、見たんだよ。あんなに富士山、偉大なもんだってこと、分かんなかったなあ。

Q:嬉しかったですか、富士山見えたとき。

ああ、嬉しかった。まあね、日本へ帰ったっていうことと、富士山は私の先祖の在所なんだよね、山梨は。勝沼だから。だから二重に嬉しかった、富士山が見えたとき。

そりゃあね、家へ来てから、落ち着いて、初めて戦友のことを思うけどね、帰って来たばっかりのときは、戦友どころか、もう、自分の身内と顔を合わせるのが先だったから。

Q:でも、落ち着いてから、やっぱり、戦争のことって頭から離れない、

そりゃあ、うん、あいつとこうあったっけな、あああったけなって、そりゃあ頭から離れないよ。

Q:それは何でですか。

いやあ、早く言えば、命を賭けた友情だからね。それはなかなか離れるもんじゃないですよ。で、生きてる仲間でも結構親密ですよ。5年ぐらい前まではレイテ会っていって靖国神社でやったんだけどね。もう人数が少なくなったからやめたけど。毎年11月1日に皆集まったの。

そのときにはもう、我が子と会うより嬉しくてね。もう、11月1日が待ち遠しくて飛んで行ったもんだ。

Q:今、そういうこと話せる仲間も少なくなりましたよね。

うん、それがね、もう、会わなくなってから5年経ってるから、誰が亡くなったかさっぱり分からないの。それでも年賀状がまるっきり少なくなったからね。恐らくいないんじゃないかと思うけど。どうした、生きてるんかって聞くわけに行かないからね。

Q:淋しいですね。

うん。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~】

出来事の背景 写真昭和19年10月中旬、マッカーサー率いる20万の大軍がフィリピンに接近、上陸地点はレイテ島が選ばれた。レイテ島は、日本軍にとっても5つの飛行場がある重要な軍事拠点であった。
10月、太平洋戦争中最大の誤報がレイテ決戦の決行につながった。米軍機動部隊はフィリピン侵攻の前哨戦として台湾を空襲。迎え撃つ日本軍との間で激しい航空戦を展開した。ほとんど戦果はなかったにもかかわらず、海軍が報告した米機動部隊撃滅の大戦果を大本営は鵜呑みにし、昭和19年10月20日、レイテ島で一勝をあげることで和平につなごうとしたのだ。昭和19年11月、1週間で勝てると言われた第1師団がレイテ島に上陸した時点で、既に制空権は米軍の手に握られ、米軍機が次々と襲いかかってきた。また、米軍の上陸直後から猛烈な砲撃を受けた。短期間の戦いを予想して十分な物資を持たなかった兵士たちは、すぐに食料・弾薬が尽きてしまった。
さらに兵士たちに過酷な命令が下された。限られた武器を手に敵陣に突っ込む「斬り込み攻撃」である。次々に兵士たちの命は失われていった。

食料や弾薬を運ぶはずの日本の輸送船は攻撃され次々と撃沈され、レイテ島の日本軍は孤立。生き残った兵士たちは食糧を求めて、密林をさまよった。

第1師団上陸から50日あまりたった12月21日、大本営はついに、レイテ島の放棄を決断、兵士たちに転進命令が下る。米軍が上陸していないセブ島で再起を図れというものだった。しかし、セブ島に行くために用意されたのは、わずか4隻の小型艇。第1師団1万3000人のうち集結地点にたどり着いた兵士は2600人。船に乗れなかった2000人はレイテ島に置き去りにされ、米軍とフィリピン人ゲリラの掃討にあい、全滅していった。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1920年
東京都伊豆大島生まれ
1940年
入隊 満州(現・中国東北部)の第1師団へ
1944年
上海を出発し11月、フィリピン・レイテ島へ
1945年
セブ島で終戦を迎える
 
戦後は農協などに勤務

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フィリピン(レイテ島)

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