ホーム » 証言 » 笠井 智一さん

証言証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る証言一覧

タイトルタイトル: 「特攻機の護衛」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] “特攻の目的は戦果にあらず” ~第二〇一海軍航空隊~
名前名前: 笠井 智一さん(第201海軍航空隊 ゼロ戦搭乗員 戦地戦地: フィリピン(マバラカット) グアム 日本(群馬)  収録年月日収録年月日: 2011年1月29日、2月3日

チャプター

[1]1 チャプター1 海軍飛行予科練習生に  09:02
[2]2 チャプター2 制裁  06:34
[3]3 チャプター3 実戦部隊へ  08:25
[4]4 チャプター4 マリアナ諸島へ  09:14
[5]5 チャプター5 初めての空戦  09:22
[6]6 チャプター6 米爆撃機のよう撃  12:34
[7]7 チャプター7 同期2人の戦死の瞬間  07:34
[8]8 チャプター8 海上に不時着  09:02
[9]9 チャプター9 群馬の飛行機生産工場で  10:29
[10]10 チャプター10 マバラカットへ  04:45
[11]11 チャプター11 艦上爆撃機による特攻  12:17
[12]12 チャプター12 谷一飛曹の精神力  06:10
[13]13 チャプター13 戦死者の慰霊をせよ  07:09

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] “特攻の目的は戦果にあらず” ~第二〇一海軍航空隊~
収録年月日収録年月日: 2011年1月29日、2月3日

証言をご覧になる前にお読みください。

再生テキスト再生テキスト

中学校2年生のときにね、旧制中学校の2年生のときに、私の学校の先輩で太平(遼寧省)へ行った人がですね、講演に来たんです。講演にね。そしたらそのわりと大きな講堂だった。そこのところに全校生徒を集めて、そして講演した。その人がね、小谷っちゅう人やったんですよ。その小谷いう人が後から調べたら、古い人で海兵のね53期、源田(實)さんより1つ新しい若い人なんですよ。
その人が講演に来て、それで『制空権と制海権』という題目で講演したんです。それまでに支那の、支那、中国ですな、の爆撃に、南京爆撃とか重慶爆撃に行った経験があって、そのことを話ししに来た。そしていろいろ話聞いた。まあどういう内容やったかはっきり覚えてないですけどね。そのときに、ああ、これからの戦争は飛行機やと。ちょうど私の叔父が、母親の弟が騎兵隊におりましてね。そしてその馬に乗って、それで、その人の話聞いたら、「馬に乗っとってみい。陸軍は雨が降ってもビチャビチャビチャビチャ歩いとるやつの横を、お前、馬でパッパコパッパ。そりゃあ気持ちのええもんやぞ」と、こういう話で。おお、そうか、これはやっぱり騎兵がええかなと思うたんですけどね、その小谷っちゅう人の講演を聞いていると、いやあ、これからの戦争は飛行機やと。これ、よし飛行機に乗ったろうと、そのときにね、その飛行機を決心したんですよ。

そしてですね、昭和15年に教員室の前に、『甲種飛行予科練生募集』ちゅう看板が出たんですよ。へえ、これは何やって見たら、甲種飛行予科練生、飛行機の学校やっていうわけです。おっ、これはええと。で、こいつ受けてみようと思うてですね、先生に、「先生僕、甲種飛行予科練生で行きたいんだけども、願書ください」って言った。先生、「なに? お前甲種受ける? だめだよ、お前みたいなやつが甲種受かるかい」と。

Q:難しかったんですか?

難しい。それであんた、「いや先生、わしもう合格・不合格は関係なしに、いっぺん、とにかく受けてみたい」と。先生くださいと。願書ください言うて、そして願書もろうた。それで家帰ってお袋に言うたら、「なあ、お前が飛行機に乗るなんて。バスに乗っても酔うような人間がね、飛行機になんか乗れるか」ちゅうわけですわ。「そんなん分からん」と。「とにかく俺、願書出すからハンコ押してくれ」って。そんならお袋もそういう昔の女やから、自分の息子がそういうとこへ行くっちゅうのは、やっぱり、自慢じゃないけども・・ほんだら今頃ね、その昔の予科練の見たら、親がその飛行機みたいな、予科練みたいなもん行ったらあかん言うて、ハンコ押してくれんで、親のハンコを盗んで打ったとかね、そんなことよう書いてあるんですよ。僕なんて、そんなこと絶対なかったですよ。だからもうハンコもろうて、そして出した。

そしてね、試験場行ったらね、広い運動場にいっぱいおるんですよ、受験者が。へえ、ごっついこの・・そりゃもうあんた京阪神、京阪神で兵庫県の管轄にいるやつ皆集まったんだからね。そして後から調べたら、だいたい50人に1人ぐらいの割合で合格をしたらしいですよ。そしてその日は何をしたか、質問をしたか、何をしたか。そして、その日は皆もう試験すんだら、皆とっとっと帰るわけですわね。あくる日行ってみたらね、人間が半分ぐらいしかおらんわけですよ。
へえ、昨日あんだけ人間がおったのに、どないしたんかなと思った。ほな皆もうあかんやつは皆帰られて、ほいで、ほいで2日目は学科試験でしたわ。それでもう英語・数学・国語・漢文・作文、みな試験あるわけですよね。それで、わしどないやったか、できたかできんかは記憶はないんだけども、ほいで3日目行ったら、運動場のとこ、ちょぼっとしか人間がおらんわけです。へえー、えらいこっちゃな思うて。そして、5日目、最終日はね、口頭試問やった。ああ、口頭試問まで残ったと。こりゃまあ受かるか受からんかは分からんけども、まあ何を聞かれたか全然記憶ないんですけどね。そして家帰って、「最後まで残ったで」言うて。「おうそうか、それは良かったやないか」ということで。そして、第2次試験がまたどうせあるやろうから、それまで待てという。その時分はね、予科練いうてもね、昔の軍隊と一緒なんですよね。軍隊と一緒なんですよ。私はその軍隊と一緒ちゅうこと知らんと行ったんですよね。

Q:軍隊と一緒というのは、どういうことなんですか?

ということは、普通の学校や思うて行ったんです。飛行機の学校やと思うとった。

ほんだらあんた、17年の正月にですな、役場から使いが来てですね、「笠井さん、甲種飛行予科練生合格しました」っちゅう。「へえー!」、まあびっくりしたんですがね。ほいで、合格書見たらね、4月1日、土浦海軍航空隊へ入隊せよと、こういうことだった。出頭せよ。入隊と違う、出頭せよ。はあ、土浦ってどこにあるのか、全然分からんわけさな。ほいで地図を見ると、「まだお前、東京よりまだ向こうやで」ちゅうわけ。「はあー、えらいとこやな」って。

そしたら予科練っちゅうのはね、飛行場あらへんからね。飛行機は全然乗ったりしいへんから。兵舎がずーっと。それでまあ、ほな、お前は何分隊、お前は何分隊って、みな表をくれるわけです。ほいで、何分隊はどこそこやて。その案内する兵隊が、海軍の兵隊が連れていってくれるわけですよ。で、行った。そしたら、兵舎ったらみなこうハンモック吊(つ)るフックがね、ぶら下がっとるんですよ。ああ、ここんとこに、みな、ハンモックぶら下げるらしいで。ああそうか。ほいでまあそこで着ていった学生服みな脱いで、それでフンドシ1本になって、ほいで海軍の下着とか全部もろうて、着て、ほいで、その時分は“ジョンベラ”言いましてね、まあご存知やと思うけども、こういう格好がね、“ジョンベラ”なんですよ。水兵服がね。

Q:これ笠井さんですか?

これ僕なんですよ。

Q:ああそうですか?

うん。

Q:これはその土浦航空隊に入隊したときの写真ですか?

ううん、それから3月目ぐらいですな。3月目か4月目ぐらいですわ。

ほいで班長がね、丁寧に、あんた、大事に教えてくれるわけや。ああ、これやったらまあ心配ないわと思ったら、ほんだら2日ぐらいはね、大事にしてくれた。そしたらもう3日目ぐらいからね、とんでもない話。もうすごいですよね。だからまあ、私たちが思いもつかんようなことを、どんどんやらされるわけですよね。だから飛行機乗りの卵やから、とにかく自分のその責任、みな全て全体責任になるわけですわね。

Q:1人じゃなくて?

1人じゃなくて。1人がもう失敗したらね、全員が制裁を受けるわけですよ。

まずね、殴られるときはね、「両手上げ」って言われるんです。ちゃんとこうしたら、バッタで手たたかれて、手腫れて骨折れるから。そしてこうせえ。それで、ベンとたたかれるわけですよ。そりゃもう本当にね、1発たたかれたらね、はあーっと。どないやったんかいな思うぐらい、そりゃすごかったですよ。そしたらね、それがね、やっぱり日が経つと、もう2発も3発も5発も殴られるわけですよね。そしたらね、お尻が出血してですな、ほいで、お尻がもう青うなるんですよ。
だから、そういうその僕はバッターの話するのはあまり好かんのやけども、しかしそういうこともありました。それでもね、私たちが入った兵舎は、ちょうど航空隊のいちばん、あれが、どっちになるのかな、北になるんかな。夜中になったらね、土浦の駅でね、汽車がね、「ブオー」音出て、「ボオ、ボオ、ボオ」いうてね、汽車が通るわけですよね。さあ、それ聞いたときに、えらいとこへ来たもんやな。もう帰りとうてね、まあなんぼ泣いたか分かりません。

早く、早よう早よう予科練出たいと思ったね。ああ。それでね、予科練入ってね、そいで3月目ぐらいにね、慣熟飛行と称してね、向こうは水上機がね、あるんですよね。水上機が。その水上機にね、乗せてくれるわけ。慣熟飛行と称して。それは水上機だからね、フロートがついとるわけだ。赤い色が塗ってあるわけですよ。それに教員が操縦して、離水して、そして飛ぶわけですよ。そいで、それに乗ったとき、はあ、これが飛行機かと。よくぞ男に生まれけると思うたですよ。そのときは。

普通、延長教育って言うんですよね。飛練(飛行練習生)から出て、実用機で訓練するやつを延長教育言うんですよ。私たちも、結局まあ延長教育という感覚でやっておって、そして普通の練習生は少なくとも半年以上、1年ぐらいは皆、延長教育で訓練した。
ところがね、ある日のことね、零戦(れいせん)が着陸して来よった。ホウー。そんだら、偉い人が降りて来よった。それで、ライフジャケット見たらね、豹部隊(263海軍航空隊の通称)司令と書いてあるんですよ。その人がね、玉井浅一っちゅう、当時はもう中佐になっとったな。あれ、お前、何ちゅう人か知らんけど、豹部隊の司令が来よったで。
そんなら、早く練習生がほしいと、奇襲隊に欲しいと言うんで、我々の訓練状態を見に来たわけですよ。それでしばらくしたら、卒業やって言うわけですよ。ほんならね、考えたらね、たった22日間、たった22日間の訓練でね、延長教育済まして、それで実施部隊へ放り込まれたわけですよ。

Q:そんなに早くですか?

そうなんですよ。だから、まあ、本当にね、まあ、離着陸も出来んような状態で、実施部隊行ったんですよね。

Q:ちなみに、そのときは、技量的には、どういうことが出来るぐらいの技量?

離着陸だけ。離陸と着陸だけ。

Q:それ以外は?

何も出来ません。訓練してないんだから。訓練する暇がねえんだから。とにかく離陸着陸がもう、飛行機の基本やからね。とにかく上手いこと離陸と着陸が出来るようにならなければ、他の訓練は出来ないんです。まあ、離陸はまだいいとしてもね、それでもやっぱり着陸はね、むずかしい。それで松山へ行った。10月の、10月の22日やったかな。松山へ行った。

それで松山行って。それで、今の空港ですわな。それはもうずいぶん大きいなってますけどね、あそこで訓練したんです。そして、とにかく離着陸の訓練。そして、後は何する言うたら、後は特殊飛行と称してね、垂直旋回とか、宙返りとか、上昇反転とか、そういう訓練をね。
それもね、零戦(れいせん)は1人乗りやから、2人乗るわけに行かんわけでしょ。だから、誘導機、1番機が、皆、教えてくれるわけですよ。だから、追従講義(訓練)と言いましてね、追従。1番機がする通りに、こう、ついて行くわけ。これを、訓練をやらされて。それで、1番機がこう進んで、追従。追従して、それで1番機がする通りに訓練する。これやって、そして、あと、空中戦訓練がありますわな。それはもう、初めは1対1の空中戦。1番機と。それで、早うケツについた方が勝ちなんですよね。それで、それを訓練やって。それで今度は2対1の空戦とかね。

まあ、言うたら失礼かも分からんけども、沖縄戦の当時のね、特攻に行った人のことを考えたら、まあ、あの方より少しはましやったかも分からんですわな。だから、その当時で飛行時間にして、300時間乗っとったですかね。

Q:300時間って言うと、どの程度の腕前なんですか?

300時間言うたらね、そうですね、まあ、特殊飛行は出来て、編隊飛行がどうにか出来て、そして、まあ1対1の空中戦が、まあ、そこそこ出来るぐらいじゃないでしょうかね。

Q:空中戦の練習を始めたぐらい?

そうです。そうそうそう。だから、さっきも言うたように、沖縄に特攻に行った人たちは、そんな空中戦の訓練もね、編隊訓練も、離着陸だけで特攻に行った人が多いんじゃないでしょうかね。

Q:最後の方は、そうですよね。

そうです、そうです。そうそう。それは殺生な話ですよ。

Q:ただ、それよりはちょっと良いぐらいだから、とにかく松山で訓練してろと言われて、とりあえず戦場には行かなかったわけですか?

そうです、そうです。

Q:まだ行けるような状態じゃなかった?

なかった。それで、サイパンで10何機やられて、そしていよいよ、当時の、足りない飛行機がなくなった言うんで、しゃあない、「10期、お前ら行け」と言うことで、2月の末であったか、3月の1日であったか、ちょっとそこら辺は正確じゃないですけども、松山を出たんですよ。

Q:それで松山を飛び立って。

そして、千葉県の鹿島、香取・・・

Q:ええ、香取。

香取。あっこの飛行場へ集合して、そして、あっこから硫黄島経由でサイパンへ行けというようなことでですね。

僕ら、そんな洋上飛行なんかしたことないでしょ。陸の上ばっかで訓練しとるから。そんならもう香取出て、ダーッと行ったら、途中まではあれがあるじゃないですか。

Q:房総半島ですか?

房総半島やなしに、島がずーっと・・・

Q:ああ、出た後ですね?

うん。何列島言うんですか?

Q:伊豆七島ですか?

おう、せやせやせや。あの上、ずーっと飛んで行くからね。まだ気は楽なんですよ。もしもエンジンがあれになって、それで、不時着するときはあの島へ、どこでも降りられるというわけで。さあ今度、だから、その伊豆を過ぎたらですな、そんなら、もう全然島がないわけですよね。大体ね、昔、私の感覚では戦闘機が2、3時間飛ぶときには、誘導機がついたんですよ。誘導機がね。僕らいたときは、「彗星」(すいせい・艦上爆撃機)がね、誘導機で、連れて行ってくれた。それで、どんどんどんどんもう、おっかなびっくりですよ。もう、そんな洋上飛行なんかしたことないから。ここでエンジンが変になったらどうしようかなとかね。もう、死ぬより他ないわけですよね。そして時計見たら、ああ、もうそろそろ硫黄島は見えないかんはずやのに、おかしいな、えらいこんな、硫黄島が見えんな、見えんなと思ったらね、誘導機が、ビャーッと左旋回で、どっか行ってしもたわけですよ。これはいけません、ついて行った。ほんなら、はるか彼方に硫黄島が見えた。そんなら彗星の偵察員が間違いよったんやな、あれ。

それで、まあ、ようよう硫黄島を見つけた。そんなら硫黄島なんか初めてでしょ。そんなら、あんた、ふっとこう見たら、ボコボコモコモコもう煙が出ておるわけですよ。あれ、何の煙かなっちゅうわけですわな。何の煙かなと思って。
そしたら、ずーっと行ったら、えらい硫黄の匂い。あ、そうか、あれ硫黄の煙かと。あの山、何ちゅうねん?

Q:すり鉢山。

すり鉢山。あのすり鉢山をね、飛び越えて、そしてこう、着陸せないかんのですよ。

そして、飯食うて。それで、あれ、1時ごろでしょうかなあ、出て、それでサイパンに向かった。そんなら、今度はね、一式(陸上攻撃機)がね、九六陸攻(九六式陸上攻撃機)やったかな、うん、が魚雷抱いてね、それで誘導機で来てくれた。それでね、その次に付いて、とっとっとっとっ行くわけですよ。だけど、九六陸攻言うたら、一式にしても、スピードが遅いでしょ。こっちが突っかかりそうになるわけですわな、零戦は速いから。そいでエンジン絞って、そいで距離を離して、それで行くんだけども、行けども行けども、白い雲と青い海ばっかりでしょう。ほう、これ、エンジンでも変になったら大変やなあと思って、もう、それこそびくびくもんでしたよ。そしたらね、行けども行けども、前見たら、みな同じ格好の水平線がね、こうなっとるでしょ。あっ、そうか、これで地球の丸いのが分かったと。

大体ね、3時間ぐらい飛んだんですな。あの時分に零戦で巡航速度、なんぼで飛んでおったんでしょうかな。90ノットか100ノットぐらいで、飛んでおったんでしょう。ちょっと記憶ないですけどね。そして、そのサイパンの手前、サイパンの方見たら、ごっつい積乱雲がうわーっとあるわけですよ。それで、どんどんどんどん高度を飛ぶんだけども、もう南方の積乱雲言うたら、もう、1万メーター以上ありますからね。すごいですよ。
それで、これはもう、誘導機があの積乱雲は超えられんと言うことで、手前にパガンっちゅう島がありましてね、パガン島ちゅう島がある。そのパガンに小さい飛行場がある。そこんとこへね、不時着したわけですよ。そして、その不時着する前に、こう行った。ほんなら何と12、3機、硫黄島出たやつがね、4機しか残ってないんですよ。

Q:それは、何でですか?

それは、みなもうエンジン不調とかね。それで中には1人、海の中へ落ちたやつもおりますけれども。

まあ、無線があってもね、もうそれは硫黄島から1時間、1時間半離れたらね、とてももう救いようがないですよ。そこまでね、零戦(れいせん)1機のためにね、硫黄島からね、船でね、救助に来てくれるっちゅうようなことは、まず考えられないですよね。
それで、パガン島(サイパン島の北方)というところに不時着した。そして4機1列になって、ずーっと飛んで、それで、着陸のための飛行場はどんなんかと、こう見て、飛ぶわけですよね。そして降りちょった。
そんならね、そこに、パガン島には噴火山がありましてね、それで煙、こう、吐いとるわけですよ。それでね、1番機がまず着陸した。それで、僕は2回目に着陸した。そんならね、後の2機がね、どうしても着陸しないんですよ。飛行場、空見ても飛行機が・・おかしいな、何でかな、おったのになと思って。それで1番機と話しとったら、そんだら、島民が走って来て、飛行機が落ちたって言うんですよ。飛行機が同じとこへ2機落ちたっちゅうわけですよ。「ええーっ?」と。そんならもう、大体、飛行機っちゅうのは湖の上とかね、火山の横はね、気流が非常に悪いんですよ。

Q:ああ、そうなんですか?

うん、気流が悪い。そこも気流が悪くて、それで、わずか高度200メーターぐらいで、失速になって、同じところに2人落ちたんですよ。

Q:それは下降気流に巻き込まれちゃった?

それはどうか、それはそこまで分かりません。それで失速で落ちて、それで2人死んだ。

それでグアムへ行って、相変わらず、やっぱり、グアムで訓練。磁石訓練から特殊飛行の訓練。それから編隊訓練。それから空戦訓練。で、私はあの訓練で、射撃の訓練っちゅうのはね、あまりしたことがないんですよ。

Q:ああ、そうですか。それはやる時間がなかった?

ああ、そうそうそうそう。まあ、あったとしても、1回か2回ぐらいしかないですね。そんなあの吹き流し追いかけて行って撃っても、そりゃ、当たったことはなかったでしょうけどな。それで4月の、19年の4月のはじめに、杉田庄一という上等下士(官)が転勤して来よったんですよ。杉田庄一いうたら山本五十六のね、6機の護衛戦闘機の1人。それで、その人がグアムへ転勤して来て、それで、「今度転勤してきたあれは、お前、えらい。顔もまだやけどが残っとし、手なんてこんなんやないか。あれな、どこでケガしたんやろうな」という、みんな不思議がっとったんですよ。

杉田庄一っちゅうのは割合、お酒が好きでね、それで酒、椅子に座ってこう飲みよるわけですよ。「おい、お前ら、戦地に来たら、戦地というのはそんな簡単なもんじゃないぞ。お前らみたいなやつが敵を落とそうなんて思いよったら、みな落とされるぞ。落とさんでもええから、とにかく編隊について来い」と。これがもう、あれやったんですよね、その杉田さんのいちばん先の注意事項やったんですよね。

ほんでね、毎日上空哨戒やる。上空哨戒。4機編隊で。4機編隊でね、毎日上空哨戒。ずっと、今の国際空港がある向こう、ずっと回ってね。ほして僕たちが、いつごろやったか、その国際空港のあれ、西になるんかな、東、国際空港こうやから、東になるんかな。そこにあの、グアムの第2飛行場いうのが出来ましてね。そしてそこに、あの、銀河部隊がね、653やないわ、あの有名な隊長のおる銀河部隊の飛行場がそこに出来て。まあ、そんなん関係なしに僕らは上空哨戒。上空哨戒で2時間ぐらいやるんですかな、ずーっと。それも、みなもう編隊の訓練なんですよね、上空哨戒いうても。そして上空哨戒済んだら、2機、2機に分かれて、ほいで空中戦の訓練するわけですよ。だから、あの、上空哨戒だけでは絶対終わらなかった。必ず編隊訓練するとか、それから空中戦訓練するとか、そういう。当時はね、そんな、燃料がないとかね、そんな感覚全然なかったですもんね。

それではじめての空戦がね、あれ、4月の末やったと思いますがね、あの、PB2Y(米軍の飛行艇)だったか、B24であったか、4月の終いのほうやったと思うですが、あの。

Q:神立さんの本だと、4月の25日って書いてますね。

ああ、そうですか。ああ、その時分かもわかりません。その時に偵察に行きよったわけですよ。あれ3機、3機か4機ぐらい来たんかな。そのときに、それっちゅうわけで上がったんですよ。だけどね、こう、こういう後上方で、こう行くでしょう。ほしたらね、あの照準器、OPLっちゅう照準器があるんですよね、ここに。そこにこう十字が書いてあって、ほいでそいつに敵のあれを入れて、ほいで射撃するんですけどね、飛行機の射撃っちゅうのはね、あの、基軸、いわゆる敵の基軸と自分の基軸が外れたら、絶対弾は当たりませんねん。

Q:同じ方向を向いてなけりゃ・・・

そうそうそうそう。うん。それで撃ったろうと思って、こっちからターっと思って、OPLをこう見るんで、なんていうてもあんた、図体がごっついでしょう。

Q:B24。

B24は。こっちは訓練したいうたら、あんた、零戦対零戦のやね、小っちゃいやつの空中戦でしょう。それやったら、はっきりOPLの照準器で分かるんだけども、だけどあんたB24なんて初めてやからね、見たんも初めてやのに、射撃なんて・・それでダッダーと撃ったら、もう全然当たらん訳ですよ。うん。ほんだら、よう考えたらもう、100メーターから離れたところから撃っとるわけですよ。

Q:それは遠いんですか?

遠い、遠い、そんなもん。もう本当に当てようと思ったらね、まあ、50メーター以下ですよね。もう杉田兵曹やったら、30メーターまで接近せいっちゅうわけですよ。ぶつかるまで接近せいっちゅう。そして撃ったら、少々目標外れてても当たるっちゅうわけですよね。うん。そしてまあ、そんなもん、僅かあんた、100発程しかあんた、銃1丁について100発程しかあんた弾積んでないでしょう。7.7ミリやったら、あんた、500発ぐらい積んどるけどやね、7.7ミリやったらもう、全然もうあんた、弾にもならんわけですよ。ほいで、ちょっと撃ってたら、もう弾がなくなって。それでどうしようもないから基地へ帰るんですよ。そりゃ、帰ったら怒られる、怒られる。「貴様ら、どこ向いて射撃しとるんじゃ。あんな射撃しとったら、弾何発あっても足らんぞ」言うて。さすがは、そりゃ戦地やからね、そりゃバットで殴ったりやね、そんなビンタで殴ったりね、そんなことはしませんけどね。そして怒られて。それが僕のね、はじめての敵に対する射撃でした。

サイパンへ敵が上陸しとって、それでペリリュー(フィリピンの南東の島・現パラオ共和国)から、あのときは17、8機、もうそのときは既にね、艦攻、艦爆っちゅう飛行機がほとんどなくてね、零戦がね、6番の爆弾2発ずつ積んでね、ほいで零戦が行ったわけですよ。それは特攻じゃないんですよ。ほいで、僕はその爆弾積まんと、制空隊で、ペリリューからヤップ島(フィリピン東方の島・現ミクロネシア連邦)へ行って、ほいでヤップ島で燃料補給して、ほいでヤップ島からサイパンへ行ったんですがね。
その、ほいで敵が上陸しとるのを、上空から行って、ほして見たらあんた、サイパンとテニアンの、あの狭いとこを、アメリカの船で真っ黒なんですよね。どうしようもないんですよ。そらすごいな。これじゃとてもやないが、大変やなと思ってね。ほいで、そのときはちょうど敵にやられずに、そんで、ほんでまあグアムへ帰って、ほしてグアムからまたペリリューへ行って。

ほんなね、ヤップ島行ったらね、まだ零戦が2,3機おりました。ほして、搭乗員がどこにおるんかいうたら、みな10期の連中ばっかりなんですよ。

Q:あ、甲の10期の同期生たち。

うん、同期生なんですよ。4、5人おったですね。もうそれらは、みな戦死しましたけどね。ほして、行ってあくる日に、朝からB24をやるぞ言うて。ほしてまあ、邀撃(ようげき)の準備。ほしたらね、向こうにはね、あの、レーダーがありましてね。あの時分はねレーダーと呼ばんと、電探っちゅうとったんですよ。電波探知機です。電探がね、山の、小山の上に電探がありましてね、ほいでその電探から、敵を見つけたら電話で、「敵らしき編隊、何度何分の方向、接近します」っちゅう電話が、毎日入るんです。
ほんならね、あれ、10時前後やったと思うんですがね、ほれ来たっちゅうわけで、菅野大尉先頭に、デーッと5、6機上がるんですよ。ほしたらね、向こうを見たらね、もう本当にゴマ粒みたいに、プツプツプツプツプツ見えるんですよね。ほれやれっちゅうわけで、ほいで、まずやっぱり、太陽を背にせないかん。高度を取らないかん。スピードを取らないかん。これが1つの鉄則ですわな、戦闘機に対しての空戦の。ほいで、ほらようけ来よる。こっちはデーッと高度を上げながら行く。あのときにね、B24がね、5,000メーターぐらいで行きよったんじゃないですかね。だからその、最初僕らは、そんなにB24と空戦をしたことがないし、グアムでいっぺんやったぐらいで、そんなようわからんです。ほしてまあ、とにかくやった。ほいであの、もうね、1,000メーターぐらい高度差がないとね、向こうの13ミリ(機銃)は、1,000メーターぐらいで有効弾が飛んで来よるからね。だからもう、最低1,000メーターはとらないかんわけです。ほして、こう行きよってね、ほいであの、まずこう飛んどって下がおる。ほしたらね、ここから、この下からね、敵の飛行機が見えんようになったら、背面にするわけですよね。背面にして、ほいでここから敵が見えたら、突っ込むわけなんです。

こう来よるからね、ほいでこう背面になって、こう行って、ほしてこれがこう、こっから見えたら突っ込むわけですよ。相当前から突っ込まんことには、お互いにスピードがあるから、もう遅れてしまうからね、早めに突っ込むわけですよ。これがね、直上方攻撃といいましてね、はじめはね、後上方攻撃とかね、直下方攻撃とかね、いろんな攻撃方法使っとったんだけども、あまり被害が大きいから、で、もう直上方に変えようということで、直上方に変えたんですよ。

Q:その、背面になって突っ込むという・・・

そうそうそうそう。

Q:で、そのままずっと突っ込んでいくんですか?

そうそうそう。これね、このままやったらね、なかなか急降下ができんわけですよ。こう急降下する、背面になってこう突っ込むのが、いちばん急降下しやすい。

だからもう、射撃するときはね、もうこうして、こういう格好で、ビューっと突っ込んでいくわけですよ。ほしたらね、逃げるときはね、こう突っ込むでしょう。ほしたらね、もう、これすれすれぐらいに、ビューっとこう逃げるわけですよ。

Q:これ、敵機だとしたら?

そうそうそうそう。もうすれすれぐらい。ほしたらね、操縦席からね、ここのあの、胴体の射撃をしとる兵隊の顔が見えるぐらいまで接近するんですよ。

Q:それも、撃ちながら抜けていくわけですか?

そうそう。もう、ここではもう撃ってません。

それでね、そのさっき敵が来る。そしたらこっちはもう早めに高度をとる、太陽を背にする、スピードをつけるということで、一撃。このときはもう、後上方をやったり前上方をやったりしたけども、ほとんどもう前上方なんかやられるんで、もう直上方に1本にしたわけですよ。そして高度1,000メーターぐらいまでデーッと突っ込んで、こうして敵の帰って来る方向へ向かって、また2度目の姿勢をとらないかんですわな、射撃の。それがね、結局来て、そして射撃して爆弾落とされて、そしてそいつは回ってきて、そして帰るのに一撃できて、そしてもう島が見えなくなるくらいまでにもう一撃できたら、だから三撃できたらええとこなんですよね。
それでそれはもう第一撃のときに、僕も一緒に行った。そしたらね、隊長が射撃して突っ込んだ。そしたら、あんた、次のやつが直上方でデーッ。僕は見とったからね。そうしたらね、ブワーッと火が出たわけですよ。出てから、やられたと思うてね。そしたらそいつが体当たりしよったんですよ、B24に。「おお、やった!」と思ってね。そしてそのまま落ちた。こいつも落ちた。そしたらその次の富田が射撃行ったらね、これも煙バーッと噴いた。そしたらね、ボーッ突っ込んで行くんですよ。それでハーッと思って。そしたらね、偶然かなんかわからんけども、下に潜水艦が浮上しよってね、そいつにデーンと体当たりしよったわけですよ。それで私はその富田の体当たりしたのはもうはっきり見た。松尾の潜水艦の体当たりしたやつは、やったー! と思うて見たんだけども、あとはあまり確認はできなんだですな、なんでか知らんけども。
それで富田が体当たりしたやつは落ちた。もう分解して落ちた。「これやったー!」思うて。それで松尾が潜水艦に体当たりした。それはまあ確認して、そして富田が体当たりしたやつは落下傘が5つか6つか開きましたわ。敵の落下傘がね。だけどこっちももうそれを攻撃する余裕もないし、燃料関係もあるし、弾の関係もあるし。やっぱ帰りゃないかんと思って帰って。
それで帰ったら菅野大尉がおって、それで、「隊長、松尾と富田が体当たりしましたよ」言うと、「おおっ! どないしたんや」言うて。いろいろ、わし一部始終を話して、それで菅野大尉が、おっ、これは2階級特進もんやなって言うて、話して、すぐに2階級特進の申告した。

富田(隆治)が、あのときはね、敵が大体15、6機空襲に来るわけですよね。編隊たーっと来るのでしょ。こっちはね、6機か7機しか攻撃、邀撃(ようげき)する零戦(れいせん)がおらんわけですよね。それで、1番機菅野大尉、それでみんな編隊組んでるやつは、みんな一列に並んでですな、単縦陣になって、それで1番機が攻撃する。それが次は2番機がする。その場合はね、編隊のね、編隊の1番機狙いよったら、自分はやられるんですよ。

Q:それはどうしてですか?

というのは、編隊組んでるから、一斉に、こう、向かってくるでしょ。だからね、敵の編隊を狙うならば、カモ番機とかいうたら、いちばん編隊のけつの飛行機ですわな。それをカモ番機言いよったんですがね、カモ番機を狙えいうわけで、いちばん後ろの編隊のやつ狙って攻撃するわけですよ。1番機やろうと思って行ったら、全体からバーッと来るからね、やられるんですよね。だからカモ番機で、みんな、6機ほどのやつがですな攻撃するわけですよね。だけど三号爆弾(クラスター爆弾の一種)の場合は、編隊組んどったら、その前にバーンと爆発させて、5機も6機も撃墜するという考え方やからね。三号爆弾の場合と、1機ずつ攻撃するやつとの場合は、攻撃の方法が変わってくるんですな。それでわたしたちは、直上方攻撃で、三号爆弾で攻撃したんですよ。
そしたらその三号爆弾いうてもね、パーンと落としてから、大体3秒で爆破するあれになっとるからね、だからそいつが爆発するまでに、自分が逃げないかんわけですよ。それはおそらく、うちらの場合は、それ逃げるのが遅れたんですな。それで自分の爆弾でやられたということやな。それで富田が攻撃して、ほして敵を撃墜した。ほいて自分が退避するときに、分からんですよ、分からんですけど退避するときに、間違うて体当たりしたもんか、実際自分が攻撃してですな、それで銃撃で落としたもんか、それは定かじゃないけども、しかしそのときは、あいつは自分の攻撃で、B24、1機落としたということなんですよね。

Q:それは富田さん?

富田。

Q:富田さん、それは被弾してたんですか?

いやあ、それはちょっと分からんですな。そこまでは。そこまでは分からんですけどね、おそらく被弾しとったんですな。それでまあ体当たりしたと。そして次の松尾が、それを攻撃したんだけども、敵は煙を吐いとった。そしたらもう松尾もプアーッと煙吐いて、火吐いてるわけですよ。それでそいつが突っ込んでいって、テェーっと行った。そしたら下に潜水艦おって、そしてその潜水艦に体当たりしたと。それは僕は、それは目撃しとるんだけども、しかし次、攻撃せないかんからですな、そんなにじっと見てるわけにいかんわけですわな。もう次の攻撃態勢に変わらないかんわけです。
それで潜水艦というのはね・・あのときは15、6機、敵は爆撃に。そしたらその下には、必ず敵の潜水艦が浮上しとるんですよね。というのはね、やられたB24の搭乗員、落下傘降下するんでしょ。それを救助するための潜水艦なんです。必ず浮上してくる。そいつに体当たりしたということなんですよね。だから日本やったら、全然そんな潜水艦がね、救助のために潜水艦派遣するってことは絶対なかったですけども、あの時分は、アメリカは必ず潜水艦がね、浮上するわけですよね。そしてその後、たくさん落下傘降下しとるんですけどね、その落下傘降下しとるやつを、撃ったろうというような気持ちもなかったですけどね。

敵を落とした。敵が分解して落ちた。そしたら下には、もう真っ黒になるほどね、なんかこうやっとるんですよね。あれ何かなあと思って見たらね、フカなんですよね。フカがもう、あそこのマリアナの海域は、非常にフカが多いという話は聞いとったんですけどね。破片がバーッと海に落ちるでしょ。そいつにウワーッと、ほんまに何百メーターぐらい、真っ黒になってるぐらいフカが集まってくるんですな。

わたしが敵に被弾くろうて、そして油がブアーッと出てきたわけですよ。あの油っていうのはね、エンジンから油が出るでしょ。そしたらね、ちょっとした油でもね、風でブワーッと広がるんですよね。

Q:そうですか。

うん。ものすごく広がる。普通やったら、自動車やったらね、油がポッと落ちたら、ポッと油が付くでしょ。飛行機はそうじゃないです。ポーンと落ちたら、ブワー、油が広がるんですよ。

Q:その風防がすぐ真っ黒になっちゃう。

そうそうそうそう。それで風防も何も見えなくなったと。これはあかん思ったら、エンジンが焼きついて停まったわけですよ。停まるいうてもね、完全には停まらんですよ。やっぱり風圧があるからね。プルンプルン回ってることは回っとるんですけどね。それでとにかくこれはいかん。ヤップ島は、あの向こうのほうに見えとるんだけども、あれは高度はね、4千メーターぐらいでしたからね。それでこれがとても帰れそうにないと、これはもう不時着せなしゃあないと。落下傘降下する気持は全然なかったですわね。とにかく不時着せないかんと。で、とにかく環礁の中に不時着せないかん。そやないとフカにやられるから。そしてもう失速すれすれの態勢で、とにかく行かないかん。ドドドド、島に向かって飛びました。そしたらね、その環礁のぎりぎりのところに着水しました。それであれね、その落ちるでしょ。それは浅いいうても、それは2メーター3メーター、もっと深いからね。そんならもう、こう不時着するでしょ。

胴体着陸。そうしてね、ほんならもう3分か4分したらね、エンジン重いからね、これがビーンと、こないなる。必ずこないなる。そして電話機とか、それから酸素マスクとか、そんなんが座席に引っかかっとらんようにですわ、そいつを外して、そして飛び出さないかんわけですよね。

Q:その3分の間に。

そうそうそうそうそう。そして、とにかく引っかかったもんないか思って、そして中にはね、落下傘のひもが引っかかっとったとか、電話機のあれが引っかかっておったとかいうんで、せっかく飛び出たんだけども、飛行機と一緒にブーッと、死んだやつもおるわけですよ。だからとにかく引っかかったもんはないか調べて。そして零戦がこないなった。ヨッシャーと思って、それで飛び出た。
そんならまあどこも引っかかってなかって、出たんは出たんだけども、さあこれからどうしようかですよね。そしたら着水、不時着したときには、向こうのほうにヤップ島の島が見えとるんだけども、だけど海に落ちてしもうたらね、なかなか島が見えんわけですよね。低くなったら。上から見とるから、こう見えるけども、こうなったら島がなかなか見えんわけですよ。これは向こうのほうだと。それで応援呼ぶにしてもね、靴はいとるしね、服着とるし、これはいかん。もうとにかく服脱げと。靴脱げと。手袋ほれと。そしてフカ除けに何かせないかんということで、フンドシの先にマフラー、その時は白のマフラーしてましたから、白のマフラーをくくりつけて、それでだまして、そして泳いだんですよ。
そしたら最初のうちは、元気やから泳ぎますわね。そんなら2時間3時間経ったら、もう疲れてしまってね、泳げんわけですよね。ほなら向こう、はるか彼方に島が見えた。とにかくあっち行けー、と泳いだ。大体わしは、3時間か4時間ぐらい泳いだと記憶しとるんですけどね。それで島に大分近寄った。そんなら波がダーンと来て、打ち寄せた波が返ってきますわな。そしたら、今まで泳いだ倍ぐらいバーッと。それでとにかくあの島行かないかんということで、そのとき被弾は、体に被弾はしてなかったからですね、良かったですけどね。
そして島に近寄ったら、ほんなら向こうに、土人が手上げとるわけですよ。ここはヤップやからなあ。昔の日本の領土やから、これは土人にやられることはないと。そして必死になって泳いで、そして土手やから、なかなか上がれんわけですよね。それでその土人がですね、ひもで持ってきたか、手にしたかちょっと分からん、陸まで引っ張り上げてくれて、そして助かったわけですよ。

Q:そうですか。

うん。そしたら土人が、歩いて行け言うた。こっちはフンドシ1本やからね、そんなに歩かれしませんわな。島民らはみんな裸足やから、普通に歩けるけど、こっちは裸足なんて歩いたことないしですね、足が痛いし。そしたら、どっから持ってきたんか知らんけどね、一輪車を持ってきましてね、それでこれ乗れってわけ。それでそれ乗せて歩いた。ほんなら途中でね、やっぱり土人の家があるわけですわな。ほならその土人の家が、水をこれ飲めいうて、ビンに入った水くれたわけです。ああこれはありがたいと思って飲んだらね、えらいアルコールなんですよ。そんならいわゆる島民がいうお酒なんですよね。

Q:やし酒みたいな。

やし酒。やし酒なんですよ。それまたおいしかったか、味なかったか、よう分からんけども、あんま水飲みたいから酔っ払ってしもうて。それで寝はしなかったですけどね。それでその土人が、友軍の駐屯所みたいなところへ連れて行ってくれた。

そやけどアメリカっていう国は、どれだけ飛行機がおるんかと。落とせど落とせど、なんぼでも出てくる。おかしいな、どないなっとんのやろという気持はあったですね。こっちは、第一機やられたら、あと追加がないじゃないですか。応援に来るのがないですよ。だけどフィリピンは、あちこちに基地があったから、そこにいろんな部隊がおりましたからね。だから割合飛行機は、あったように思うんだけども、レガスピーのときはね、7機か8機ぐらいあったと思いますよ。

Q:そのころは、まだ戦争に負けるとか、そういうことは考えて・・・

ううん、そんなこと。僕は戦争に負けるなんてことは、ほんとに終戦の日まで、そんなこと思うことなかった。それは中にはね、戦争は負けるとかへったくれって、本にも書いてるとか、それありますけどね、わたしらはそんなこと全然なかったですね。だから、それはもう徹底的にやったるんだと。1機でも兵隊を落としとるんだという気持だったですね。

あれ群馬県の太田ですわな。中島航空機。あそこへ飛行機取りに7人やったかな、行ったわけですよ。それで飛行場行ったら、飛行機はようけあるんですよね。飛行機はようけあるやないか。なんで飛行機はないんや。ほんだらね、飛行機は機体はあるんだけど、エンジンがない。エンジンが。それでエンジン出来たやつから、中島航空のテストパイロットが地上で運転して、それでこれならばということで、僕らのとこへ来るわけですよね。それで試飛行するわけですよ。
そしてするんだけども、なかなか完成機ができないんですよ。あっちが悪いこっちが悪い。胴体の悪いもんある。エンジンの悪いもんある。そしてそこで10日ぐらいおったですかね。それで飛行場行って、それで試験飛行やって、それで「きょうは1機できたか?」、「きょうは1機できました」と。そやけど朝飛行場行ったら、飛行機がようけ並んでるんですよね。あんだけ飛行機あるのに、なんでできへんねん。いやエンジンがないんやということでね。なかなか戦争に使える飛行機いうの、完成機がね、なかなかできない。それで夕方になって宿舎へ帰る。
その宿舎っていうのが、中島航空機の宿舎でね。それでそこんとこで泊めていただいて、それでそこで食事をさせてもろうてですね、それで2日目やったか、酒もタバコもないなっていうわけですよね、菅野大尉が。「笠井、お前なあ、ごついから、荷物取りに横須賀行ってくれ」っていうわけです。「隊長なんでですか?」 そんなら、「いや酒保物品をね、タバコやとか酒とか、そういうもんをな、わしが証明書書くから、これ持って行ってくれ」と。それで2人、僕入れて3人で行ったんです。それで横須賀から軍需に行って、それで出したら、よし。ごっついことあるわけですよ。それはそのときにね、後から分かったけども、サントリーの角瓶がようけ入ってるんですよ。それからタバコは入っとるしね。それから、ヨウカンがある。ヨウカンっていうのはね、ご存知、丸いヨウカンなんですよ。それでつまんでタンと押したら、ゴムがプルンとなってね、それで簡単に食べられるんですよね。

それで帰って。それで菅野(直)大尉に持ってきましたって、よしよしや。それで中開けたら、サントリーの角瓶が入ってるわけですよ。その時分にね、一般にそんな角瓶なんてね、サントリーの角瓶なんてね、おいそれと飲めないんですよ。それでお前らも好きなだけ飲めっていうわけです。そんなら菅野大尉もね、割合酒の好きな人でしたけ、それで食事、そこの寮母さんが食事してくれる。それで一杯飲みながら食事しとったら、寮母さんがあれ来るわけです、食べてください言うて。あのときにね、どんだけご飯食べたか記憶もないですけどね。

そして毎日それを続いたら、そしたら大分飛行機も完成機ができたと。お前らなあ、日本は今えらい状態やと。非常に危険な状態なっとるってわけだね。日本が。負けるとは言いませんよ。だから、よっぽど頑張らないかん。それで、何かフィリピンでは、零戦に250キロ爆弾を積んで、体当たりで行く戦法ができるらしいと。それで、「もしもお前ら一緒にフィリピン行って、それで俺がそれを命令を受けたらやな、おい笠井、お前も連れていくからな、ええか」っていうこと。「ああいいですよ、一緒に行きますよ」って。うん。よしよし。それでそんな話も。

Q:でもそれ聞かされたときは、笠井さんとしては、どういうお気持ち?

いやあもう、へえーえらい。「そやけど零戦に250キロなんか積めるんですか」って。「そんなもん積んで離陸できるんですか」 「いや、離陸できるらしいで」って言うて。みんな経験ないんやから分からん。わたしもね、零戦が250キロの爆弾積んだってのは、そんなもん離陸できるんかいなあ思ってね、不思議やったですよ。だけど、結局、ひどいときは50番、500キロ積んでいった零戦もあるそうですな。

Q:そうですね。でもそれは、体当たりをするっていうことについては、何も感じなかったですか?

それぐらい、「よしやろう」というような、わし、返事したと思いますよ。だけど、やっぱりそこまでせないかんのかなあという気持もあったですね。まあだけどね、そんな初めやからね、そんなもん零戦が250キロ抱いて体当たりするっていうのは、ほんまできるんかいなあ思ってね、それは疑問やったです。

Q:嫌だなとは、思わなかったですか?

思わなんですね。やっぱりあれもね、隊長が菅野さんやったから、あれが嫌な隊長やったら、このまま隊長と一緒に行くの嫌やというふうに思ったかも分からんけど。しかし菅野さんは、非常に我々、尊敬された人でしたからね。わたしは別に行くのは嫌とか、そんなこと、実際のことわからへんのやから。そやけど零戦が250キロ積んで体当たりで行く、そんなえらいことやもんやなあ、っていうような感じやったですよね。

あれは新竹。台湾の新竹から出て、それでフィリピン行ったんですよ。そのときにね、5時間ぐらい飛んだですかな。実際にまっすぐに飛んだら何時間で行けるか、わたしは距離もなんにも知らんから分からんですけどね。5時間からね、おおかた6時間近く飛んだと思うんですよ。それでもう隊長、はよう、着陸してからお尻が痛くて、こう言うたらこれは落下傘のね、落下傘がシートになっとるんですよ。

Q:座布団みたいに。

座布団。座布団みたいな立派なもんと違うんですよ。それは、座ってるもんやから、もうお尻が痛くてね、たまらんですよ。それでフィリピンったら暑いでしょ。もうはよう着陸してくれ。それで編隊組んだから、ぶつぶつ自分で言いながら。ほなら、おっ、広っぱがあった。ほんだら1番機が、大尉さんの信号で、それでこうして。それで着陸して。あのときに9機、全部で9機ぐらいあったと思うんですよ。

それで、3番機やったか4番機やったか、わしは忘れたですけどね、それで草っぱらの中へ着陸した。それで指揮所、天幕の指揮所前へ行って、それでみんな整列して、それで隊長が向こうの司令に「内地から来ました」と。「わたしたちは、マバラカットへ来ました」とこう言ったわけや。そんなら司令官が、「なに? ここはマバラカットじゃない!」。バンバンという飛行場なんですよね。「貴様ら内地から戦地へ来るのに、自分の着陸も、飛行場も分からんあれで戦地来るとは、何事だあ!」言うて、ごっつ怒られたですよ。司令が。

それで「マバラカットは向こうじゃあ」。それで敬礼して、走って、飛行機に乗って、それで皆、やっぱり乗ったらエンジンかけて試運転しますわな。それでみんな天幕のほうケツ向けて、それでグーッと試運転したもんやから、8機か9機の爆風が後ろへビャー。そんならそこの天幕飛んでしもうたわけや。

Q:わざとやったんですか?

わざとやったやなあ。

それでビャーッとやって、それで後ろ見んと、みなビャーッと離陸したんですよ。それで5分も飛んだら、向こうに広っぱがあるわけですよ。あっ、ここかあ、と。それでそこんとこへ着陸したら、マバラカットやった。それでバンバンの怒った司令は、名前は誰かわしは忘れましたけどね。そんなことで。

それで着陸して、皆、飛行機掩体(えんたい壕)隠して、掩体もないけども、なんかヤシの木、枝を偽装して、それで兵舎へ帰った。おお明日なあ、隊長は、「おお、明日なあ、特攻の直掩に行けいわれたで」と。「えー、そんな。きょう帰ってきたとこやのに、あした早速行けと、殺生な話やなあ」と。「そりゃあ、もうしょうがない」と。で、明日の9時か10時にニコラス行かないかんと。それでそのときに8機で編制して、あのとき僕が3番機やったかなあ。列機が誰であったか、よう覚えてないですけどね。それで、それはしゃあないと。それで兵舎へ帰って、それで飯食って、一杯飲んで、それで寝て。それで、あくる日トラックで飛行場行って、それですぐ編隊組んで、ニコラスまで行きました。
行ったらね、あれ何時ごろやったろうなあ。2時か3時ごろやったろうかなあ。ほんならもう特攻機がね、4機待ってるわけですよ、その時に、第2神風特別攻撃隊と。第2神風攻撃隊。第1と第2とどない違うんだと、こういうことなんですよね。だから、本見てもそない書いてあると思うんですけどね、第1っていうのは、零戦が特攻に行ったやつ。それで第2神風というのは彗星(すいせい)。そんなら、

Q:艦爆隊ですよね?

艦爆隊なんです。それでそれを初めて、わたしが特攻の直掩に行くというのは、艦爆で特攻に行く第1号やったんです。初めて。それで第2神風特別攻撃隊・忠勇隊という名前になったんですよね。

彗星があんた並んどる。あれ特攻やなあ。それで僕ら列線とって、それで司令部っていうか本部が、あそこらへんはみんな高床式、高い床の2階の事務所なんですよね。

Q:高床式になってる。

そう。高床式になってるわけですよ。それでとにかく本部行こうと。それで行った。それでなんとまた向こうのほうに、ごっつい肩章付けた有象無象がようけおるわけですよ。これなんやねんって。あれおめえ、参謀らしいで。参謀って、お前、なんの用事があるんかと。そしたら特攻のやつが、階段上がってきよった。そしてこれ見たら、あれ、あいつ同期やないかと。それでね、野々山(尚)っていう長野県の男なんだ。「野々山、おい」「おー、お前なんやねん」「お前なんやねんって、俺は直掩隊やで」「そうか。頼むで」って。それで言葉交わして、それで整列して。

Q:でもそれだけですか?

それだけ。

Q:話した言葉は。

うん。それだけですよ。「頼むで」「よっしゃあ」 それで命令は、どこそこの何度何分の海上に、海に敵の機動部隊が、船がおるから、そいつに特攻に行けと。もしもそこに行っても敵は見つからなんなら、レイテ湾へ行けと。こういう命令やったんです。それであれ、その飛行場から飛んだ。それで3時間ぐらい飛んだんですかな。特攻機見たら、3機しかおらんわけですよ。ありゃあ、3機。あれ、4機おったはずなのに3機しかおらん。なんでかなあ。それは全然わしは、後になるまで知らなんですけどね。僕は、野々山が絶対特攻に一緒に、我々が護衛して行ったと。わしはほんまに終戦後でも、そう思い込んどったわけですよ。そしたら、僕の東京におった同期のやつが、「おお、笠井なあ、お前野々山護衛していったいうけども、あのとき野々山行ってないぞ」と。「そんなことあるか。俺は話、どうやお前言うて、俺直掩隊だからな言うたら、そうか頼むでいうて話したやんか」「いや、ちょうど出るときに車輪がどこかへ、溝へはまって、それで出発できなんらしい」 それが野々山っていうわけですな。

とにかく3機やと。それで、第一地点に行ったら、ぐるっと回ったけど、敵いる船がおらんのですよ。なんでどないするんかなあ。我々はとにかく偵察員おらへんから、航法が分からんでしょ。とにかく特攻隊に続かなしゃあないわけですよ。それで特攻のやつが、ずーっと進路変えて、なんかし始めた。あっ、そうか。ここに敵おらんから、レイテ行くんかなあ。それでついて行った。ところがね、なかなか日が暮れてくるとね、高度3千でも4千でも飛んどったら、まだ明るいんですよね。下へ下がってきたらね、もう暗いんですよ。それでね、ほんならもう雲がわさっとあって、どないして海を見るんかなあ思って、こっちは特攻について行かないかんから、ついて行った。
そしたらね、たまたまやったかなんか知らんけども、雲の切れ目があって、そしてその特攻の彗星が、ビューッと突っ込んで行き出したんですよ。おおこれは遅れたらいかん。我々も一緒に。ほんなら向こうは、500キロ抱いてるから、彗星やから。ほんならあんたスピードが速いわね。こっちは、全速かけたかてやね、おっつかんわけですよ。とにかく引っ付いていかな。ほんなら1番機がバンクして、ほしてビューッと突っ込んでいった。こっちも一緒に引っ付いていった。そしたらね、でーんと体当たりせんと、びゅーんと引き上げたわけですよ。ありゃなんでかなあと。全然分からんからね、それでこういって。それでここで、そして2回目にデーンと体当たりしよった。結局あれ、スピードが・・あの操縦員っていうのはね、これは古い人でね、ものすごい優秀な、5期か6期の角田さんより先輩の人なんですよ。

Q:茂木さんですか?

茂木(利夫)さん、茂木さん。せやせや、茂木さん。それであれやっぱり、それで目的が外れたんでしょうな。目標が。それをやり直し。

Q:そのとき対空砲火は、来なかったんですか?

そのときはね、あまり来なかった。攻撃いうときは。攻撃済んでからがすごかった。攻撃済んでからが。

いやあもう、やったと思ったですよ。やったと、うん。あとはまあ敵の弾にやられんように、なんとかして逃げないかんと。明日は我が身やと。こういうやっぱり気持ちが一番強かった。明日は俺の番やと。それは明日になるのか、明後日になるのかわかりませんよ、作戦によってわからんけども、次は俺の番やと。いずれ俺もやらないかんという気持ちやったですね。だから戦死したから、ああやったと思って、思うぐらいで、それはもうかわいそうなとかね、もうそういうことは、わしは一切考えなかったと思います。

Q:笠井さんの眼から見て、谷さんはどういうお気持ちで特攻に行ったというふうに思いますか。

まあいちばん難しい問題やな、これは。しかしね、関大尉(関行男・敷島隊長)と違うてね、関さんと違うて、僕は谷にしても中野にしてもね、「よし、俺は選抜された、1級に選抜されたんだ」という気持ちもあったんではないでしょうかね。それは、それが名誉であるかどうであるかということは別にしてですね、俺はこんだけ、お前、搭乗員がおる中で、最初に選抜されたんやと。俺は1級選抜やと。行ってくるぞという、気持ちだったかどうかはそれは知らんけども、しかし僕が考えたら、そんな気持ちになったんじゃなかろうかというような気もいたしますわな。

あのね、私は舞鶴のなんとかいうホテル、あれですわ、あそこへ3回、3、4回お参りしたことがあるんですけども、向こうのお寺に谷の弟が住職としておるんですよね。で、その弟曰く、うちの兄貴は特攻で死にましたと。笠井さんもようご存じのように、特攻で死にましたと。しかしあれ、特攻は、3回ぐらい出撃しとるんですよね、あれ。

Q:そうですね。

でしょ。そのね、3回の末に、よう俺も死ぬんや、俺は死ぬんやと思いながらよう3回も4回もね、精神力が持ったと、それがわし、兄貴は偉かったなと思いますと、こない言うて弟さんが言うてました。わしはそれを聞いて、なるほどなと思うたんですがね。実際にそれは、お前はもう死ぬんやぞという因縁を付けられとって、2へんも3べんも行くということはね、わしはそれは相当な精神力がいると思いますわな。それは精神力が持たなんでもやな、どうせ行かないかんねんけども。しかしあいつがもしも生きとったら、お前、3べんも特攻に指名されてやな、帰ってきてやな、あのときの心境はどうやったって、それは聞かれへんもんな、今。
だから僕はやっぱり、心頭をはかりながら、3回も4回もそういうその出撃して、それはその自分が保てたというその精神力、その精神力をわしはすごいと思いますよ。まあそれはわれわれがね、敵が来た、空戦に上がれ、空戦に行った、それは5回も6回も空戦をやって帰ってきた。その場合と違うんやから。それは今度行ってやな、それこそ戦死するかもわからへん。せやけどそんなこと、年貢を納めるかもわからんと思うてもやね、わからんだからね。帰ってくるかもわからへんがな。ところが谷らの場合はやな、絶対100%なんやからね。それはやっぱりそこまでの精神力というのは、かなり強い精神力がないと、わしは体が持たんと思いますわな。

しかしあの人は、非常にやさしい物言いの人でしたよね。ところがやっぱりフィリピンへ行って、そして自分が特攻隊を出さないかんという立場に立って、特攻隊を出した。どんどん死んでいく。それからだいぶ、やっぱり、玉井さんの気持ちが変わったみたいです。それはもう、われわれが飛練(飛行予科練習生)出て、初めて松山へ行ったときの玉井さんのあれと、それからフィリピンでそういう特攻の盛んのときの玉井さんとは、やっぱり玉井さん本人のなんて言うんですか、状態がね、わしはだいぶ変わったと思いましたよ。
それはね、お前らは特攻を護衛していって、特攻機が体当たりせんとやられたら、お前ら敵の船、心胆を寒からしめるために、爆弾積まんでも突っ込んでこいと。そんなことをね、言うた人やないんですよ。

それで私がマバラカットから、マバラカットにおるときに、杉田庄一と私とニッコウと、それでもう1人誰やったかおって。そしてある日杉田兵曹がね、「おい、笠井、お前拳銃を持っとるか」って。「ああ、持ってます」と。「お、拳銃を持っているなら、俺と一緒に来い」と。

それで指揮所があったんですよ、司令部が。そこのとこへトットコトットコ行く。
それで玉井さん、「司令、すぐでもよろしいけども、特攻に行かせてください」と、こう言いよったわけ。「特攻に行かせてくれ」とこう言うた。ほなら玉井さんがね、「なに、特攻? おお、特攻はいつでも行ける」と。特攻はいつでも行けるんだと。ただしお前と笠井は豹部隊(第263海軍航空隊)の生き残りやと。もう80人近い搭乗員がほとんど死んでしもたと。俺が内地へ帰って墓参りするのは当たり前だけども、俺はそれはでけんと。「お前たち2人は、便あり次第内地に帰って、そして俺の代わりに戦死したやつの墓参りをしてってくれ、頼む!」と、こう言うたわけですよ、玉井さんが僕の前で。
へえと思うたがな。頼む、早い便を見付けて、内地へ帰れと。それで内地に帰ったら、横須賀に菅野直大尉が待っとるから、そいつの指示を仰げと。こういうことやった。それで僕は、あの本当に特攻の盛んなときに、特攻に行かずに内地に帰れたんです。

Q:それは玉井中佐は、なんでそんなことを?

それはわからん、それはわからん。わしは帰って豹部隊の連中の墓参りをしたいんやけども、俺は今はでけんと。その代り、杉田と笠井は、お前は内地に帰って、そして墓参りをしていってくれ、頼む!と頭を下げよった。それで、そのあとで横須賀へ帰ったら菅野直大尉が待っとるから、あとはそいつの指示を仰げと。こういうことでね、わしは内地に帰れたんですよ。

Q:なるほどね。

これがなかったらね、わしはもうあのマバラカットからね、それはもうマバラカットだけやない、セブからでも、それはもうマニラからでも特攻に行って死んでいますよ。そやけどわしは、あの玉井・・あのときは副長やったんですよ。201空の副長やった。玉井さんの命令で、あの特攻の、毎日毎日特攻に行くど最中に、搭乗員が1人でも欲しいそのときに、まあ、搭乗員はようけいおったけども、内地に帰れと。「俺の命令じゃ」言うて。それで内地に帰ってきた、これが真相なんですよ。

出来事の背景出来事の背景

【“特攻の目的は戦果にあらず” ~第二〇一海軍航空隊~】

出来事の背景 写真太平洋戦争終盤の昭和19年、米軍はサイパン、グアムを占領し、フィリピンのレイテ島に進攻しました。10月、日本海軍は追い詰められ、戦局打開の切り札として、特攻作戦を打ち出します。爆弾を抱えての体当たり攻撃。兵士たちの命と引き替えに、米軍に打撃を与えることを目的とした攻撃です。
この特攻を最初に命じられたのが、フィリピン防衛の主力として戦った第二〇一海軍航空隊。レイテ湾に集結する米軍空母に体当たりして、航空戦力を弱体化させることを目指しました。兵士たちは、逃れられない死を前に激しい葛藤を抱えながら、出撃していきました。
初めて戦果を挙げたのは、10月25日から2日間にわたって行われた作戦です。9機が命中し、空母1隻を撃沈し、4隻に大きな損害を与えました。こうした戦果は国内で大々的に報じられ、国のために命を犠牲にした行為が華々しくたたえられます。

しかし、米軍はレーダーを駆使した防空体制を築き始め、戦果は限られたものになっていきます。それにも関わらず、特攻は規模を拡大し、続けられました。連日のように新聞に載せられる特攻隊員の顔写真が、国民の戦意を高揚させる役割を果たしていたのです。

昭和20年に入ると二〇一航空隊の戦闘機は、ついに底をつきます。そして、特攻が始まってから3か月後の昭和20年1月25日、搭乗員たちは輸送機でフィリピンから撤退しました。フィリピンでの特攻で亡くなった搭乗員は陸海軍あわせて、700人近くにのぼりました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1926年
兵庫県多紀郡篠山町(現・篠山市)に生まれる
1942年
旧制鳳鳴中学校在学中、志願して甲種海軍飛行予科練習生(第10期)に
1943年
第二六三海軍航空隊に配属
1944年
グアム島へ進出 7月、第二〇一海軍航空隊に配属されフィリピンへ 11月、第三四三海軍航空隊に転属
1945年
沖縄攻防戦、本土防空戦に参加
 
戦後はセメント会社に勤務

関連する地図関連する地図

フィリピン(マバラカット)

地図から検索

この証言に関連したキーワードこの証言に関連したキーワード

関連する証言

関連するニュース

NHKサイトを離れます