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タイトルタイトル: 「補給なき戦争」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
名前名前: 神頭 敬之介さん(第23師団 戦地戦地: 東シナ海 フィリピン(ルソン島、リンガエン湾、バギオ、プログ山)  収録年月日収録年月日: 2011年11月17日

チャプター

[1]1 チャプター1 「あきつ丸」沈没  06:30
[2]2 チャプター2 油の海 6時間の漂流  04:49
[3]3 チャプター3 海が炎に包まれる  03:05
[4]4 チャプター4 米軍の兵力を目撃  05:11
[5]5 チャプター5 米軍の通信妨害工作  03:18
[6]6 チャプター6 補給なき戦争  03:13
[7]7 チャプター7 日本軍、バギオを放棄  06:03
[8]8 チャプター8 終戦、そして投降  06:44

チャプター

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提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
収録年月日収録年月日: 2011年11月17日

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Q:その船を最初見たときどう感じましたか?

いや、そら当時やったらなー、1万トン級の船やから割方おっきい船やなと思ったんです。そして、一晩泊まって、ほいで明くる日乗船したんですけどね。その乗船するときにね、一つの、1隻の船に私たちが全部乗ったらね、やっぱ、あの海上で沈められたりね、したときに、亡くなってしまうもんね。だから分けられたんですわ。3隻に。そして私はあきつ丸という船に。

ほいから、あきつ、神州(丸)(当時の表記は「神洲丸」)ね、摩耶山丸と、こう分けられたんですわ。そして、門司を出航してね。

Q:門司を出航するときってどんな気持ちでしたか?

いや、それはもう・・・あのこれでもひょっとして帰れんか分からんなーと思ってね。もうあの日本の国も、もう見納めになるやないかなっと思ってね。やっぱみんなやっぱり同じ気持ちですわね。ま、そんときはね。ほいで乗っとる兵隊さんはね、満州からごっつ鍛えられたね、23師団の兵隊さんですわ。ほいでね、それがね64連隊、熊本のね64連隊の人が多かったん、私の船はね。そいから、師団のね、首脳部がね、そのあきつ丸に乗っとったんですわ。師団長ほれから参謀長ね。そうして、出航してね。

そして、11月のね15日、2日ほど前ね。五島列島出航してね。ほいで昼、真昼間12時位ですわ。ご飯を私、早めにその日はね、昼食が出たんですわ。時間早かったですわね。それを頂いてね。ほいでやれやれと思ってね。ほいで何か飴玉みたいのも頂いたから、それを口に入れた途端にね、ドカーンときたんですわ。それでその1発目は船の底ズボーと抜いてね、反対側に抜けたんですわな。そして、じーっとおったら船がね、傾きかけたんやん。左にこう傾きかけてね。

もうパニック状態ですわ。ほんなんね。そしてね、あの、兵器。鉄砲とその付属品ね。それ持ってけーと言われとってもね、そんなん持って出る人なんか誰もありませんがな。そがんなったら。

Q:なんでそれを持って出ろと言われてたんですか?

いや、それは兵器は肝心。兵器は天皇から頂いた、天皇陛下から頂いた兵器はね。そだから大事にしよったんですわ。ほいでその、「銃とその帯剣だけは持って出」と言われとったんやね。けどそんなんね、持って出てもその、どうせは重とうて捨てなしょうがないやろと思て、誰も持ってませんがな。そしてね、私はね表出かけたら、表(船首方向)詰まっとったから後ろ、トモの方(船尾方向)に出た。後ろの方にね。そしてね、船がねどんどんどんどん傾いていってね。そして、私が出てね、しばらくしてね、ドーンと2発目が来んですわ。

そいて、2発目は火薬に当たった。船のね。あの船の火薬庫ていうて、弾薬をつんどったんですわね。
それにこう、命中してやね。ほな、ドーンというてね。もう船の後ろの方がなんかバラバラって、跳びあがってね。

それはもうやられたときは、いちばん凄まじかったですわ。もう船の中はパニックですわね、これ。船の中。

Q:どんな状況でしたか?

もうあの、あっち行きよる人、こっち行きよる人おるしね。残った、残った人、船の中でね。あのホウメンしたやろと私は思うんです。こう腹斬って死による人おったですわ。船の中切腹。船の中で。

Q:なんでですか?

いやもう、泳げんから切腹しよるんですわ。そういう人が何人かおったですわね。もう飛び込んでもあかんと。だからもう自殺したほうがええって思うて腹切って死による人おったですわね。

Q:見ましたか?

そんなん見ましたわ。そいでもうとにかくパニックですわね。前出る人、それから後ろトモ(船尾)の方へ出る人ね。そしてね、あんまり早う飛び込むとね、前に飛び込んだ人の頭の上をこう行くわけですわ。せやからそれ、私もよう、私もあのころ、やっぱり泳ぎに自信があったんですからね。浜の近くにま、生活したからね。そやから、あんまり早う行ってもあかんな思ってね。ほいでま、ずーと待っとったら、あのかやぶく(傾く)のずーとこの左傾くから、こっちこっち言ってて上がってましよったらね。その見習い士官の人がね、縄ばしご持ってきて、それを手伝おってね。せやから2人になってしもたんですわ、結局。ほいでもう2人、「もうあきませんよー」言うて「飛び込みますかー」言うて2人一緒に飛び込んだですね。

Q:飛び込むって、どれくらいの高さで、どんな・・・

いや、もう私が飛び込むころにはほら船はもうずーっとこう傾いてね。ほいでもう、底が底が上になっとるに、こう。そして、それもずーっと、また沈んでね。ほいで、もうしょうがないから、飛び込んでね。後がもうないからね。そしてしたら、ぽっとこう後見たら、船がちょうどこうこんなズボって、手前になっとったですわ。そしてそのままズボっとこう。沈んでしもたですね。

あッほら、救命胴衣ね。あれは全員に渡ってなかった。私もね、泳ぎに自信があったから、あんまり着けなんですわ。ほいで・・・

Q:全員分あったんですか? もともと。もともと全員分あったんですか?

いや、なかったですよ。なかったから、「自信のない人はそれ着けー」と言われてね。「自信のある者はもう着けんでええ」って言って。ほいでまぁ、自信のない人は着けたわですな。しかしね、あれね、当時着けとっても今の、現在の救命胴衣と違てね。あの当時はね、着けとってもやっぱい時間たったらあきませんねん。水を含んで沈んでしまうんやね。だからだんだんだんだんこうね。減っていきますわね、人数がね。

せやけど、パニック状態なっとんのはもう、海の中も一緒です。海の中でもパニック状態ですわね。

Q:どんな状態ですか?

軍歌歌いながらね、励ましおうとる、おおっとってもね。もうあの、泳げん人は沈んでいくしね。それから救命胴衣もね、これ時間たったらやっぱりほら、浮く力がないね、昔のは。沈んでいくしね。ほいであれこっから上だけ出しっとっても水飲まされるもんね、やっぱ。

Q:その歌ってた軍歌って覚えてますか?

いや、軍歌やっぱり、ほらあの、あの人たちは満州から来た兵隊さんたちが多いから、「ここはお国の何百里、離れて遠く満州の・・・」ていうようなね。そういう歌をね、あの歌ってましたけどね。それも、それもね。長い間せなかったですわ。そんなん。だんだんだんだん沈んでいくからね、やっぱり。結局あの、ああなったら精神力しかないとちゃいますか?

私も「あかんか」と思たですよ、それね。眠気がちょっとさしてきて、眠ったらいかんということは、よく聞かされとったしね。

Q:なんで眠ったら・・・

眠ったらそのまま沈んでしまいますやん、ほら。手も放すしね。

「眠ったらもうあかん、いかんから」言うてね。それはもう教えをよう守ってね。そいで眠と(眠たく)なったら足つねってね。顔をほなしたりね。色々と自分でしてね。ほんで木に、材木に掴まってこなしてね。あれ、浮いとったんです。ほんな(そしたら)だんだんもう人数減っていくしね。ほなしよったらね、夕方の6時ごろにね、太陽がまさに沈まんとするころにね。東からずーと軍艦が見えたん。2隻ね。

Q:それ見たとき、どう思いましたか?

そんなん助かるかな? 思たですわ。ほいでね、近くに止まってくれた、それが。ほいで、あの、ボート、海軍さんボート降してね。ほな上げてくれて。1人居る、「なるべく1人で居る人を上げたげる」言うてね、で、上げてくれたんですわ。だから私は割かし早よに上げてもらったほうですわな。

Q:その上げてもらったときのその、情景とか・・・

それはもうね。もう自分でも、あかん思とったからね。せやから「いやー、助かったなー」思てね。ほいで、そらもう船が見えたときは、だからうれしかったですわ。ほしてね、上げてもらっても足が立たんもんね。そんな6時間も居ったら。ほんでフラフラーと倒れてしもたんやな。ほんでまぁ何人か、こうずうっとボートで上げてね。ほんで一定の人数があれしたら、軍艦の方に付けて上げてくれるんですわな。ほいでまぁ、この着とる服ね。もう油まみれですわね。これ。

Q:油?

うん。重油、重油。重油がごっつ流れとるから、燃料。船の燃料がね。ほいで顔ももう油ついとうだろしね。ほいでま、上がったその服をね。もうハサミで切っとくれたですわ。もう。そして、毛布を一枚ずつ頂いてね。ほいで白い海軍さんの毛布真っ黒になってしもたんやね。そんなんで、上がった人はね、船室、下入れてくれたんですわね。ほいでま、中で言われたことはね、「60人しか乗せられへん」言うて。その、軍艦小さいから。日本の海防艦言うて、いちばん小っさい軍艦やね。せやから60人乗ったらな、もう出航。「出で行く」言うてね。

ほいで、ところがね。そのまた17日の夜、私たちは15日にやられて16日に乗り換えて。ほいで17日の夜。あのまだその中国チントウの沖でね。またその潜水艦におうてやられてね。ほいでもう、そのときには私は「もうどうでもいいわ」思たですわ、もう。「もう、あんなにえらい(大変な)目にするんだったらもうどうでもいいわ」思てね。

Q:あっ、神頭さんが乗ってた船が・・・

あ、やられず。やられんだったですわ。ほいで私、その船のね、もう1隻のあの、摩耶山丸いうのがやられたんですわ。今度ね。そりゃ夜だからね、今度。ほいでね。そいだけでなしにね。特設空母の神鷹いうて神の、神様の鷹って書くんやな。神鷹いう小型空母。ドイツの商船改造したんですわ。ほいでこれがね、やられてね。ほいであのほら、航空燃料がね、海にこうドーッと奔(はし)ったでしょ、ほなそれに火が着いた。ほんならね、そのあの、そのときやられた摩耶山丸の人とか、その神鷹に乗っとった人とかね。飛び込んでも地獄、残っても地獄なんですわ。海が火の海ですやもん。燃料に火が着いて。ね。それから、退くも地獄進むも地獄になってしもたん。

Q:その情景は見てたんですか?

ちょっと、ちょっとだけ見たわけですわ。そんなもんね、真っ赤になって燃えてんからね。燃料に火が着いて。海が、海が燃えとんですよ、海が。ほいでそのときも何人か助かっとう、助かったみたいですけどね。ほんで後、残ったんがね、油輸送船がね、これあの資料に乗ってますけど、この裏ね、この。これ、あのこんだけの10隻。12、3隻の船団がね。ほんでこの中でね、あの油輸送船、油積むそのタンカやね。小型タンカーやね。あれがもう半分くらいおったんやね。ほいでそのあのそれも3隻くらいやられとんですわ。

Q:その、燃料に火がついてその炎が燃えるのって見たときにどんな気持ちになりましたか?

それはもう、それはもう私自身もね、行くも地獄退くも地獄。やっぱ思たです、そりゃ。燃えとんやから、海が。そんなあの、まああのこないだの地震ではそんなんあったかも分かりませんがね。東北の地震ね。あのときにもあった、海が燃えとんとあったところ、あったと思います、私。

1月、昭和20年の1月のね。9日。9日から上陸を始めたんだ、アメリカ軍はね。でそのときはね、私たちのその部隊はね、あの488高地っていう山に上がっていた。そいでね、私いちばん最初ね、山に上がったのはね、私のところのね、副官しとった人ね、宮崎県の人ですわ。カシワダさんって言ってね、亡くなられたけどね、そのカシワダ副官について私一緒に行ったんです。そいで双眼鏡こう、「見てみ」って言われ、私双眼鏡見たらね、船がね、数えきれんほどおるんですよ。軍艦から輸送船からね、数えきれんほどおる。それでね、「これ何隻ぐらいおるんですか」って聞いたらね、「まぁ情報によれば、600から800、いう情報が入ってる」いうて。そのときはまだね、船だけ見えてね、それで大分離れとるもんね、まだ。まだ大砲も撃ってこないわけですわ。そうやってそうったら、どんどんどんどん陸(おか)へ寄ってくるんですよね。

Q:どんどん来るのを見てどう思いましたか?

それはもう、「これはなんぼおるんかな」って思うたですわ。ちょうど源平合戦、映画、日本でありますわね、学校、学校ていうか源平合戦で見たような感じだなって思ってね。どんどんどんどんほんとにそれがね、数えきれんほどおるんよ、600~800。

Q:その488(488高地:ビナロナン東北)で、どっちの方面を見ていたら、アメリカ軍が来たんですか。

こっち。

Q:アメリカ軍は。

ここを、海やもんね、この辺に上がって来た。この辺にね。

Q:はぁ。なるほどね。戦車とかを初めに見たのはどの辺でしょう?

488、ここにおるときにね、この道をこの道ね。これをずーっと来よるのを見たんです。それでやっぱり戦闘はこの山からずっと見ておったの。

Q:じゃあ艦砲射撃を受けたのもそこですか?

そうそう。ここにおるときね。

Q:じゃあどこまで来たんでしょう、その艦砲射撃は。

それはもう、この辺とこの辺に飛んでおったんじゃないかと思うんです。これからバギオまでそんなに遠くないもんね。これは矢印でずっと書いてますね、これ。

Q:じゃあこの艦砲射撃はリンガエン湾から。

リンガエン湾から。

Q:どこまで飛んだんですか?

リンガエン湾からこの辺まで来よったんじゃないかと思うんです。

艦砲射撃、艦砲、軍艦から撃ってくる大砲ね、頭の方過ぎて後ろの方へ行く。バーンって後ろへ。それがいちばん最初ですわ。洗礼を受けたのは。それがいちばん最初ですね。軍艦。

Q:どんな気持ちですか?

それはもう、初めはそう思わなかったけどね、それから空襲飛行機、それから小さい他の艦船の、小さい弾がどんどん来るわね。ほいで日がたって行くと、たつにつれて、向こうも上陸してきて近うなるしね。私はまぁ、上から見たのはね。現実に白兵戦やっとるのが見えてますよね、白兵戦。向こうの兵隊とぶつかっとる兵隊。白兵戦。白兵戦いうのはね、兵隊と兵隊がまともにぶつかる。決闘みたいな感じ。そういう場面をね、こう上から見とったら何回か見えましたけどね。

Q:それは銃撃ですか?

いやもうやっぱりあの、向こうは撃ってきよるんだろうけどね、こっちは銃剣、鉄砲の前に剣付けて突っ込むんですわ。

Q:銃じゃなくて剣の方で?

うんうん。だから接近戦ですな。

Q:日本とアメリカどうでしたか?

そりゃもう、こっちはやっぱりあかん。向こうが優勢やっていうのがよう分かりますわね。

それから戦車がね、どーっと。日本の戦車がどーっと来よるけぇね。日本の戦車がずーっと来よるけど、向こうの飛行機にドドドドっと撃たれて座礁してまいりよるとかね、そんなのよく見えるしね。

Q:日本の戦車がやられたんですか?

日本の戦車なんかもう、あれブリキみたいなもんです、向こうに比べたら。アメリカの戦車なんか全然こたえへんですね、こっちが撃っても。

私たちの受け持ちは野砲の部隊だったですもん。野砲の17連隊っていうのはね。そこと交信しよったんよね。で、みんな暗号でしょ。暗号やからそれ受けた分は司令部に持ってかなきゃいけない。師団司令部にね。あそこはやっぱり暗号班があるのね。だから内容は分かりませんよな。上の人しか。いやこっちは受けるだけよ。電報受け取って向こうから、司令部から持って帰った分を、また向こうに送る。

Q:司令部から受け取った分は、内容は分かる?

いや分かりません。皆数字。皆数字で持ってくるからね。それを出先に送ると。出先に暗号兵がおるんよね、暗号兵。それが解読するんよね。

Q:どうやって送る?

いやあのほら、知りませんか? 手で、モールス。モールスで、トンツートンツーで、あの数字。1、2、3の数字、数字の電報ですわ。それを暗号書で解読するわけですね、乱数表見て。そんなんはそんなんで、ちゃんと暗号兵がおるんですわ。別にね。そやから、あの、それを解読されとったんやろと私は思う。みんなもそう思ってますわ。アメリカがね、それを、暗号を解読しとった、分かっとったんよね。

向こうは電文、まぁね、妨害はしてきますよ。どんな妨害かというと、こっちが通信しよったらね、音楽なんか言ってうーって妨害する。そんなんずっとされよった。

Q:音楽が流れるんですか?

音楽が流れるんですよ。通信、通信やっとったら、あのその電波は同じ電波で音楽を入れて妨害するんや。聞こえんようにしたりね。そんなのはもうしょっちゅうされとったわけです。

Q:それをされたら・・。

いや、やっぱり妨害されたら通信できませんねん、されたら。はっきり入らへんですわ。入らへんし、向こうも我々が打った電文をね、向こうで受けてやね。解読するわけやね。秘密を解くわけです。

Q:音楽で妨害されて困ったんですか?

そりゃ困ったよ、そりゃ。向こうから入ってくるトンツーピュンピュンっていうのが聞こえないの。聞こえないんです、音楽で邪魔されて。

Q:どんな音楽ですか?

はー。やっぱりアメリカの音楽ですわ。ダンスの音楽、私ははっきり分からへんけどね。その周波数に合わせてね、妨害してる。

それは畑なんか、よう荒らしたりね。3月・・3月ごろにやったらね、ようフィリピンなら畑荒らしに行きよりました。イモ畑ですわ。サツマイモのね。で、始め、イモありますけど、だんだん無くなりますよね。ほんだら葉っぱ取って来たり、あんなことしよったですね。1回だけね、イモが掘ってもなかってね、ほいでずっと帰りよったらね、困ったなってしよったらね、ここで私、私ばっかりいきよったんよ。「兵隊さん集めて行ってこよう」言ってね。ほいで、困ったな思いよったら、向こうから女の人2人ね、カゴね、こんなカゴね、背負うて来よるんよね。ほいで兵隊に「あれ止め」言ったらね、ようやらん、兵隊さん。「ほな、わしやるさかいにな、なんかあったら撃てよ」言って、止めたんですわ。そのかごの中にサツマイモ一杯入れとった、でそれをね、取って、かっぱらったことはあるけどね。

女性はもう、「かごを下せ」言うたら下して、ほいで、したやつを、イモやったからそれを取ったわけやね。ほんだら向こうかて食べるの困るから、ほらもう泣きわめきながら、何言いよるか分からんけど、どーっと逃げたけど。兵隊さん「あれ撃とうか」言ったけど、「止めとけ、そんなんしたらいかん」て言って。

Q:抵抗はしなかったんですか?

そらもうしません、しません。こっちも、鉄砲持ってるしね。

Q:ただ従うだけですか?

そうそうそう。ただそれ下して、ちゃんとそれをこっちは取ってかごだけはらってやって返したんですわ。そんなことは1回だけあったですわ。私のその、どなたやったかな、その通行人とかもね、直接やったのそれ1回だけありますわ。やりとうないけどね、あんなことは。だけど背に腹は変えれないから、しょうないって。

兵隊同士がね、盗み合いしよったですわ。

Q:神頭さんもありますか、それ。

そらもう、よその兵隊さんとやったらそりゃね、あのこの雑のう言って、鞄ね。あん中に持っとりゃせんかって見たり、ね。

Q:どういうときにそれを見て、どうやって盗むんですか?

そりゃもうあの、寝静まったころにやったりする。その代わり向こうもやってますそういうことを。

Q:寝静まったときに、どう忍び寄って、何を見て、どう盗るんですか?

そりゃ、狙うって言っても、雑のう、そういう鞄見るとき狙っていた。ほいで鞄見る。そーっと手突っ込んで、塩のような物から、そして米ね、米なんかも盗って、みんなかっぱらい合いみたいな感じやね。だから結局自分たち友軍同士がまあね、そういうことやってね。かっぱらい、盗み合い。

あのバギオなんかに、やっぱり病院があった兵隊病院ね。あんなんも空襲したけん。あそこにおった兵隊さんがね、着物、白い着物着たままね、「もう逃れる術がないからな、弾、弾をくれ」言うてね。小銃の弾を。で、「そないなのどうすんねん」言ったら、あれこないしたらボーンと出る、いうな感じでな。「自殺用にくれ」言った兵隊さんもおったですわ。

Q:そう言われたんですか?

うん。「くれ」って言われてね。そして「上げるけどそんなことせずに、出た方がよろしいよ」ってね。「出ても私は助からん」言うて。

Q:実際渡したんですか?

もう、そらもう上げたですわ。それからバギオの方落ちるときは・・

Q:あ、その上げた人が。じゃあその弾を使ったところは見ました?

それは全然分かりません。2人でどっか行ってしまいよったけんね。もうそらあの人たちはね、あそこで終わりになっとると思う。

やっぱり5月以降、7月8月ごろになって来たらね、あのほら、食べる物ないもんね、ほとんど。塩もないしね。ほいでほら、やっぱりほらジャングル入ってると食べる物ないしね、ヒルなんか食べたことあるしね、ヒル。ヒル。前の人の顔に止まっているのをこうして取って、口ん中入れたですわ。そんことあったですわ。ほいからトカゲとかね、それからあの、どない言ったらいいのかな、前言った野菜、野菜。イモん(の)蔓とか。ほいでか、バナナの木の芯ね。ああいうもんやらもう、いろんな物食べたですわ。それからね、蛇、トカゲもね、これはあんまりおらんけど捕まえて取ったら食べて。それからね、小さいものでも5人も6人でも分けてね、食べよったですもん。ほいでだから8月の半ば以降になったらね、もう亡くなる兵隊さんがね、「もうわしの肉食べてもええで」言うてな、亡くなりよったです。そやけどな、もう、「人の肉だけは止めとこう」言うて。「そんなもんしたらあかん」言うてな。「自分が死んでもそんなこと止めとこう」言うてね。私はよう言いよったですもん。

それからアンブクラオっていうところ、いまあそこがね、ダムがあるんですよ。アンブクラオ言うてね。そこに、その、まぁ部隊がおったんですけどね。そこの高台になっとるような平地があったんですよね。そこに一線から引き揚げてきたね、まあ言ったら64連隊の兵隊さんとかそんなん、一線から引き揚げた、そんなん食べ物ないしね、だんだん溜まるんです。人だまりみたいに。そうすると、まとまって、もうあんなの100人、でなくて200、300おったと思いますわ。それで私から、まぁ吉冨さん(野砲兵第17連隊長:吉冨徳三大佐)の用事であっちへ連絡であっちへ行ったりこっちへ行ったりで通るよね、毎日。そんならだんだん人数が増えていくんですよ。それは歩兵の兵隊さん。64連隊やら71連隊やら知らんけどみんなそこ、たまってな。たくさん亡くなっとったわ、そこで。

Q:その兵士たちはどんな状態?

だんだんだんだん痩(や)せっぽっちで。ね。痩せてしもうてね。骨と皮になってしもうとるんよね。そこで行き倒れになるんでしょ。行き倒れになってね、しょうたらね、毎日そこ私、たいがい私通ってたのね。でだんだん日にちがたったら、今で言ったらウジ虫がわきよるんよ。ウジ虫、ウジ、ウジですわ。ハエがいっぱい止まって。で顔はもう白くなって、ウジがつまってから、ハエの卵みたいなね、真っ白なのが真っ白なのがしよったらね、ウジ虫が鼻から口から出たり。それでだんだんだんだん食べられてしもうてやね。それから目がこうなって、今のどくろの、どくろの顔になってくわね。それからウジ虫が鼻から出入りしたりね。そんなんをね、それがずーっといたるところですわ。

Q:初めて見たとき?

うん、いやもうね、とにかくね、あぁいう負け戦になるとね、感覚なくなるの。人の亡くなっとるとか、死体を見てもね。死臭もね、感じなくなるんですわ。私だけじゃないですよ、みんなそうです。感じんのですわ。それが普通になってしまうのね。

Q:初めて見たときはどうでしたか?

いや初めて見たときは、こんななるんやろかなて思ったですわ。で、どないしてやることもできませんねん。自分とこの兵隊でもね、どうすることもしてあげられませんもんね、これね。どんどんどんどん撤退していきよる最中なのでね。でそれがね、5月以降ずっと続いてね。

それからずっとこれ出て行ったのね。もうこの辺が最後やったんですよ。終戦。

Q:あ、そこで終戦。

この辺だね。ずっとここまで。こっちに出て行って、この辺が最後。終戦になったのはね。これからずーっと下りていったんですわ。これね。

Q:その上のその矢印は誰がたどった?

どれ?

Q:この矢印です。

この矢印はうちらが司令部がずっとたどった道で、これで出て行って、ここの56キロで終戦。武装解除。これがボントックに行くのね。これが道。これで出て行った。ここからね、ずっと。こういう経路です。

Q:神頭さんが最後にいたのは、56キロではなく?

いやいや、山の中で、やっぱりこの辺。

Q:その辺で終わったんですね。

これがプログ山やね。

山下りて、ほいで武装解除受けてね、9月に行ってから9月半ばに武装解除受けて。でアメリカさんがね、いちばん最初にね、食べ物、ほら、レーションいうて、弁当、箱でね。こんな箱に入った弁当ね。これ朝昼晩て違うんですよね。だからあれをくれたわけですわ。ほいでそれそれをまあ開けたらね、ビスケットにね、ほいから缶詰類、まあ言うたらいろいろの肉やら、あのほらバターとか、ほっからチーズね。あんなのが入ってたね。それからタバコが4本。で、中ビスケットが入ってね。そういうのがくれた、朝昼晩とね。

Q:それどう思いました?

いやー、それがね、頂いたときはね、おいしい食べるでしょ。そうすると、ところがね、チーズなんかね開けたらね、英語の知らん、英語の知らん兵隊さんが多いですわな。英語なんて習ってないですもん、日本ではな。中学以上の人じゃないと。な、「こんなもん石鹸(せっけん)とちゃうんか」言うてね、「いやこれはチーズや」言うてもね、「チーズって何や」言うて。そなんしてもう、それ食べたらね、下痢ですわ。もうどない言うたら良いかな、あんま良すぎるから。体力が落ちてるから下痢するんですわ。ほしてそれもね、アメリカの軍医さんがね、こんなことしよったらみんな死んでしまう言うてな。ほいでおかゆさんからね、おも湯から始めないかん言うて。

え、もうね、まあ言うたら食べる物それからきちんとくれたしね。そして健康も管理、アメリカさんしてくれたしね。やっぱ人道的な扱いね。ほっから着る物も全部くれたですよ。あれまあこんなん言うたらどうかと思うけど、私らが着とったもんね、もうあら着っぱなしでしょ、着替えてないから1回も。もう風呂、風呂かて半年以上入ってないもんね、これ。ほんでシラミの、シラミがずーっ、わいて、そんなんあれみんな収容所入ったとき脱がして、捨ててしまってね。そして自分たちの、まあ古いもんでもね、全部一人一人くれたですもん。ほいで石鹸とかタオルとかちゃんとして。ほから、全部自分たちが着てた物を全部、火の中にくべて燃やてしもうた。

我々が教えられてたことはね。捕まったら、「捕虜で捕まったら、色んなことされる。殺される」とか言いよたですがな。それが全然そんなことなしにね、最初に入った、2回目に入った収容所の所長がね、誰か悪いことした人がおってね、泥棒かなんかやったね、ほいでそれあれしたときにね、その収容所長がね、「君たちはその罪人やないんや」言うて、「名誉ある捕虜や」言うて。あれでまあ私も感激しましたわ。みんな感激しましとったなあ。ほいで「だから人道的に扱う」言うてね。「人道的に扱うから悪いことしたらいかん」ていうこと言いよるんやね。

Q:今特に思い出がある食べ物ってありますか?

そらーやっぱり塩なんかね。こんななかったのに思ったりね。ようそうする、塩がいちばん印象に残ってますね。この塩がなかったからね。これがあったらもっと生きられとるのになって、亡くなった人はもっと生きられたのになって思ってね。思うことようあります、それは。はよこれは、私の一生、一生涯そういうことずっと思ってこれ、生涯終わるんやないかって思いますわ、そら。で、いっつもね、感謝、やっぱしてます。ああして今、食べ物何も不自由ないですね。あの時代のことずーっと私よう考えることあります、私は。ほいでね、やっぱりね、夢に見ることもありますよ、ときたま。夢に見ること。

まあな、いろいろあるけどね。まあね、子どもたちにもよう言うんですわ。「あの戦争、あの時代のあのフィリピンのことを思ったらね、どんな生活でもできる」言うてね。だから、ま、あんまり物不足言うたらそんなことはないですね、今。だからまあ、自分の一生涯の教訓にもなっとるし、あのまあ亡くなった人をな、弔ってあげなきゃと。私、今度40回目の慰霊に行こうと思ってます。吉冨さんからね、隊長からね、「亡くなったら散骨をしてくれ」って言われてるからそれだけは実行してね、最後、終わりたい思ってますねん。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~】

出来事の背景 写真太平洋戦争終盤の昭和19年秋、日本軍はアメリカ軍に対し、フィリピン・レイテ島で起死回生の戦いを挑み、大敗北を喫しました。その後、戦いの舞台はルソン島に移り、日本本土を目指して攻勢を強めるアメリカ軍とそれを押しとどめようとする日本軍との激しい攻防が続きました。
その戦いで、主力の一翼を担ったのが陸軍第23師団です。兵士たちは、本土決戦までの時間を稼ぐため、戦力が続く限り、アメリカ軍を島に足止めさせることを求められました。しかし、圧倒的な兵力を持つアメリカ軍を前に、23師団は苦戦を強いられます。兵士たちは死を覚悟して、戦車への突入攻撃を繰り返していきました。

この時、すでに日本軍は、制空権・制海権を奪われ、ルソン島への補給は途絶えていました。しかも、太平洋の島々で激戦を繰り返してきたため、島に蓄えられていた物資の多くを使い果たしていました。
こうした中で、兵士たちに下されていた命令があります。「自活自戦・永久抗戦」。食料も物資も自ら調達し、永久に戦い続けろというものでした。兵士たちは、農家の作物や家畜を無断で持ち去る事実上の略奪などで食料を得ましたが、圧倒的に量が足らず、飢えや病で次々と倒れていきました。

昭和20年4月、日本軍は司令部のあるバギオを放棄。その2か月後、アメリカ軍はルソン島作戦の終了を宣言します。飢えや病にさらされながら山岳地帯に逃げ込んだ兵士たちがアメリカ軍に投降したのは、終戦から1か月後のことでした。
補給のないまま戦い続けることを命じられた陸軍第23師団。補充された将兵を含む3万人のうち生きて日本に帰ることができたのは、5千人だけでした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1925年
兵庫県揖保郡御津町(現・たつの市)に生まれる
 
中学校卒業後、村松陸軍少年通信兵学校で学ぶ
1943年
23師団通信隊に入隊
1944年
11月、フィリピン・ルソン島へ
1945年
ルソン島プログ山で終戦を迎える
1946年
復員
 
戦後は漁業、新聞販売店

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