ホーム » 証言 » 天野 安秀さん

証言証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る証言一覧

タイトルタイトル: “機関銃と一緒に死にたい” 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
名前名前: 天野 安秀さん(第23師団 戦地戦地: 東シナ海 フィリピン(ルソン島、リンガエン湾、プログ山)  収録年月日収録年月日: 2011年11月20日

チャプター

[1]1 チャプター1 最後の手紙  06:27
[2]2 チャプター2 輸送船沈没  09:20
[3]3 チャプター3 重油の海へ  09:28
[4]4 チャプター4 再びルソン島を目指す  08:10
[5]5 チャプター5 特攻を目撃  05:59
[6]6 チャプター6 初めての実戦  07:29
[7]7 チャプター7 「玉砕を禁ず」  07:13
[8]8 チャプター8 撃ちたくても撃てない  07:17
[9]9 チャプター9 司令部のバギオを放棄  07:40
[10]10 チャプター10 “機関銃と一緒に死にたい”(一)  10:48
[11]11 チャプター11 “機関銃と一緒に死にたい”(二)  09:45
[12]12 チャプター12 捕虜として  07:45
[13]13 チャプター13 亡くなった戦友への想い  06:55

チャプター

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13

提供写真提供写真

番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
収録年月日収録年月日: 2011年11月20日

証言をご覧になる前にお読みください。

再生テキスト再生テキスト

朝鮮の釜山で一応船に乗り込んで、それで関門海峡っていうか渡って、それで門司港に集結したんですよ。で、そのときに船団の改めて編成をして行ったわけですね。そうすると、輸送船が4隻、それから海軍の軍艦が4隻。

それだけの船団をそこでぴしっと組んだんですね。それでそのときに、いよいよ、そのフィリピンにもう明日はスタートすると、船が出航するというときに初めてね、あのハガキをくれたの。5、6枚。そのときに、ハガキをくれたときに、あー、1回くらいおやじやおふくろのところに手紙書きたいなと何回も思ったことあるんだけれど、今まで出来なかったわけですね。どこ行くとか何するとかいうことが。それだけども、一応ハガキをくれたんで、喜んだんだけど実際にハガキを書いて、私どこ行きますってことは書けませんけれども。

Q:書いちゃいけないんですか?

いけないんですよ。軍極秘だから。だけど、ハガキを書けるってことはうれしかったです。だけどね、実際に書くとなると何を書いていいか分からなくなる訳ですよね。僕自身も。あんまりうれしかったのと、びっくりしたのと両方ある。それで、「私は今元気でこれから戦争に行きます」と、いうことを書いたのが・・で、「おやじさんおふくろさん、元気で頑張っていってください」ということくらいしか書けないんですよね。やっと書いたんだけど。

Q:なんで書けないんですか?

胸がいっぱいになっちゃって、書けない。

Q:どんな思いで胸がいっぱいなんですか?

おやじもおふくろも元気でいてほしいなということもありますけども、私自身が生きて帰れるとは思ってなかったですからね。で、これが最後の手紙だなというふうに思って、やっと手紙を書いたわけですけれども。「おやじとおふくろ元気で頑張ってください。僕も元気で頑張ります」ということぐらいで、単純な言葉でしか書けない。ただ現住所を書くときになったら、こういうふうに書けと言われたんが、旭ケイジってね。旭。旭1111部隊(23師団64連隊の通称)第2大隊、あの、機関銃中隊天野安秀と書いたわけですよ。「旭」という字を書いて、1111部隊と書いたのが何ていう立派な部隊名にぶつかったんだろうと思ってね。それはうれしかったですよ。なんとなくあの、誇りに思えたっていうかね。それで改めて門司とか下関の山々を見て、

良い国に生まれたんだなと改めて思ったですよね。それとあの、時間が来ると関門海峡が、潮の満ち潮によって渦巻いて川のように流れるんだよね。だからあの、何て言うんだろな。あそこの、なんだっけ、夢中になっていて忘れちゃうけど、えー、瀬戸内海か。瀬戸内海ね。あそこが時間になると潮が流れて、川みたいになってダーっとね。だからそれがね、見事だったですよね、見ていてね。それを見て、はー、こういうのが現実に見られるなと、だけど今日が最後だなというふうに思ったことですよ。で、日本っていい国だなと思ったな。山あり川あり家があるってこと。満州は広くて草原ばっかりで、いちばん美しいと思ったのが、沈む太陽くらいしかきれいだなと思ったことはないけれども、日本はいろんなものがあっていい国だなと思った。だけどこの国を助けるために守るために、フィリピンに我々は行くんだなというふうに思って、頑張らないかんなという気持ちにはなりましたけれどもね。

私がいちばん頼りにしたってのは、良かったのは、僕らの乗った船は航空母艦だったんです。飛行機がなくなったから、飛行機をしまう格納庫を3段にしきってカイコ棚みたいに、そこへみんな乗せてあれした。それでその、甲板の上は何だって言うとね、飛行機ないんですよ。全然ゼロ。ほいで、何て言うんですか、海の特攻隊って・・名前があるんだけど、この船が高速で走るんですね。このいちばん先に爆弾をくっつけてバーッとこう、敵の軍艦に体当りするっていうんですか、そういう船を、船っていうよりボートですね、を、全部積んであるんです。甲板は全部そういうボートばっかり。そいでその間に、もしも敵が空襲で来たらいかんということで、僕らの重機関銃は船の間に機関銃を据えて、爆撃が来たらそいつを撃つんだっていう勤務があった。それで交替で勤務するもんだから僕は適当に何て言うんだろう、あの、ご飯は食べるし勤務もやるしってことで元気はあったですよ。ほかから比べれば全然元気はあったですよ。

ほいで五島列島の宇久島っていう島から、朝いくらかは少なかったかな、朝はとにかく7時か8時には・・そこになぜ寄ったんか分かりませんけど、一泊したわけですよ。艦隊がね。それで朝7時か8時には出たわけだけど、ほいで、昼までの勤務を私は甲板に上がって機関銃のとこにくっついて戻ってきて、そいで、お昼ご飯を食べて、食べ終わったときにズシーンて船が震度3以上だろうと思いますけどね。揺れたわけですよ。だけど、飛行機が飛んでて、それから軍艦が4隻もいて護衛してるわけでしょ。だから、あの魚雷攻撃があったというだから、みんな退避の準備をしろも何にも連絡なしで、いきなりズシーンと来て船が揺れたわけ。何だろうと思ってね。ほして、もうちょっと何て言うんだろう、こう考えてたんだけど、退避っていうことも言われなきゃ、魚雷にやられたってことも何にもない。何にも誰からも。みんなキョトンとして「何だろう?」ったら、もう一発バシッと。そんときはバーッと2発。だから連続2発で来んだから、船がもっと揺れたし、それから、煙もバーッと出てきた。で、魚雷にやられたってことがやっと分かったわけだよね。僕は「やられたっ!」と思ってね。ほいで、これは退避しないといかんと。

そこで自分なりに服装を全部点検してみた。そうしたら救命器着けてるわけですね。どこで着けたんか覚えてないんだけど。着いてたのか着けたのか覚えてないんです。ほいで、このままでは沈むなと思って、ほいで、斜めになってきたから、だんだんこの水しぶきも、海水が少しずつ飛沫が、人が飛び込むようになった。ほだから、いやこれは船が沈むから船から出ないかんなと思って、そいで上へ上って行ったら、ちょうど何て言いますか、黒い色で、(船腹の)上はペンキで塗ってありますよね。船の半分から下は赤い色で。もう黒と赤がはっきり区別できるくらいの傾きになってたんですよ。

Q:船の側面ですか?

うん、側面が。これをこうするとこれ半分が黒で、半分が赤ですよね。これがこうなるんで、走るわけだから。ほいで、こりゃ早く飛び降りてやらんといかんなと思ってバーッと飛び降りた。あの、滑り降りた、飛び降りたって言うよりか滑り降りたね。そして、何て言うんですか、上手いぐあいに滑って、簡単に水の中に入ったんですよ。飛び降りちゃって。そしたら水の中入ったら、11月の15日でしょ、その日はね。水冷たい。ちょうど足の先から頭のここまでなんか1本の棒になっちゃうんじゃないかなと思うくらい冷たくてね。ガーンと大きなショック受けた。冷たいんで。そいで、あー、これで船を出ることができたなと、思ったんですけれども、ただ頭のなかにもう一つ知恵が浮かんだのが、大きい船が沈むときは渦が出来て中に吸いこまれるな、ということが頭のなかになんとなく、子どものときからのあれで、なんか誰かに聞かされていたことがあるんだろうと思うんだけど。じゃこれは、このでかい船が沈むならこれは、相当な渦ができるなと。それで、よし、船から離れて泳がないかんと。ほいで泳げるだけ泳いで手も足も動かないなというとこまで行って、この船振り返って振り返って見たら、もうこうやって、ほとんど沈んで舳先(へさき)の、舳先っていうか先の方が海に浮いている程度で。だからやっぱり出ないとこう沈んで行った。ほいで、海に出たわけだけど。

Q:その船にはまだ沢山の戦友が残っていた?

まだ残っていた。残ってる。僕はたくさんみんな蹴飛ばしたりいろんなことしながら船出たわけだから、まだそうだね。半分くらいは残っていたかもしれん。半分は多すぎるかもしれないけど、ま、いずれにしても1/3以上は確実に残っていたでしょうね。船の中に。船と一緒に沈んだのは1/3くらいいるんじゃないんですか。そいで僕は海の中に、こう全部着ていますから、救命具もさっき着けていたって言う記憶もありますから。そうするとね、救命具を着けているってことはじたばたしなければ、こっから、首から上は呼吸できるんですよ。生きているんですよ。大丈夫、浮いています。だから、ほいで周りのやつを見たら、着けてないやつもいるんですよ。着けてないやつは、多分、すぐ疲労死したか水を飲んで死んだと思うんだけど。

ひょっと見たら、今まで護衛していた軍艦もそれから他の輸送船も何にもないわけですよ。全然いないの。だからなんで僕らを助けようとしないんだと。ここに浮いて、こんなに沢山人が浮いているのに、どうしてそのみんなね、退避しちゃていないわけですよ。逃げちゃって。だから、そんときもちょっと悔しかったね。全然。なんで僕らを助けないでみんな逃げちゃうんだと。

見捨てられたと思いましたよ。捨て子になったと。だから僕もいつ疲れて寝ちゃって死ぬかも分かんないな、ということは考えています。そしたらもう、何ですか、でっかい船が沈むと、あの、船のエンジンっていうか、アレを回すための重油がいっぱい積んであるわけで、それがね、だんだんだんだん厚くなってくるわけですよ。重油が、重油で。

Q:海に浮いているんですか?

うん。真っ黒なもんだから、海面が見えないくらい重油の厚さがこんなになってきて、そうすると・・

Q:水面が?

水面が。だから重油の層ができちゃうんですよね、こう。で、こっから下は青いですよ。だけど上の方のこれくらいは、重油なの。それで、初め重油はね、波を鎮めるためには非常に良かったの。あの、確かに重油の層で波がジャブジャブジャブジャブ顔に水が引っかからないようにするには良かったんだけれども、ある時間が来ると、さっき言ったように寝ちゃう人が沢山出てくるから。すると首をね、首って重いんだよね、あれ。体の中で。頭って相当重いらしいですよ。だからあの、首を支えていられなくなっちゃって、寝ると、こうして重油のなかに顔突っ込んで。そうしてその人はね、重油を飲むのをひとつと、それと疲れてくるのと両方で、結局死んじゃうわけでしょ。

Q:見ましたか? そういう人。

周りにいる人はみんなそうだもん。で、死んでいく人が沢山いる。そいで僕がひょこっと重油を見ているときに、重油がこう丸くなっているところがいくつかあるわけですよ。何だろうと思ってね、それごと拾って見たら、そしたらキャベツなの。それで、ほあーキャベツだと。これはいいもんがあるなと思ってね。そいで、あの、僕は鞄の中からタオルを一つ出してバーッと重油をかき分けると、いくらかしたら青い海が見えますよね。で、それがキャベツだと分かったから、ほいでこうキレイにしてからボンと上に上げると、あの重油で真っ黒になったキャベツでなくて、緑の葉っぱのやつが見えると。ほいで顔を拭いて手もキレイにしてそれで、皮をむいてキャベツをね、かじった。おいしかった。本当に。おいしくてね、水分は取れるでしょ。それと栄養は取れるでしょ。それで、まず、すぐ人にやろうという気はないし、自分ひとりでどんどんどんどん食べてね、もうこれ以上食べられないなというときになって、いや、死にそうなやつにちっと分けてやらないかんと。ほいでこう、キャベツをとっては、重油を分けて、きれいになったところでポンと持ち上げて、それでまだ死んでないけれども少し元気がありそうなやつには、「おい、こらお前、食べろ」って言ってね。キャベツ。で、場合によっては皮までむいて丁寧にあげるんだけどさ、食べてくれる人はあんまりいなかったね。

その人たちも全然、受け取ってくれないというか。受け取っても、自分でかじって食べるというところまでの人は、1人か2人かいたかな、僕が生きている間に。で、全然何て言うんだろ、そういうのは死んでいくんですよ。寝ていく、寝ちゃうっていうか。だから、何だろ、さっき言った、重油の中に顔突っ込んでそのまま死んじゃうのよ。

海遠くを見てたら、船が、こう波がこうする度に、浮かび上がって出てくるところのボートの中から、その軍旗をね、出してこうやって捧げてる人がいる。

Q:軍旗? 連隊旗のことですか?

連隊旗。ああ、連隊旗。軍旗っていうか連隊旗ですよね。それを持ってる人が見えたの。

あの、波、波がこうなって沈んだりこう波打ちますよね。そうすると上がったときに、ボートの中に何人くらいかな、10人くらいいたんかな、人がね。そしたら、あの、連隊旗手っていうんで、何かある度にそれを捧げている、あの野球の応援団長もやるみたいな、ああいう格好で軍旗をこう持っている。だけどボートの中でね、あれだけね、1人で僕はできないと思う。何人かの人が支えていたと思うんだけど、だけどこう、それを支えて持って立っている秋元(64連隊の旗手)っていう少尉も、相当精神力が無かったら立っていられなかったと思うんです。だからあの人も一つの使命感を持って、持ちながら軍旗を持っていたと。そして周りで支えて。ほいで、だから僕が助けられるまでほとんど最後まで、あれじゃないんですか、連隊旗手は軍旗持ったまま頑張り通したんじゃないんですか。

Q:その軍旗が見えたんですか?

見えた。波のこう上がったり下がったりするたんびに、波が上がったときにちょうどこう見えたんですね。こうなっているから、全て見えるとは分かりませんけども。遠くにこう、とにかく波の上下で、あるとき船が、と同時に、秋元少尉が軍旗を持っているのが見えた。いや僕は秋元少尉とは分かんなかったけど、たぶん連隊旗持っているんだったら、秋元少尉だろうと思って。

Q:見えた瞬間どんな気持ちでしたか?

何て言うんかな、体中が熱くなった。カーッと燃えてね。好きな彼女に会うよりもっと燃えたと思うよ。死んじゃダメだと思ったよね。うん。敬礼しっぱなしだよね。あの、見える度にね。

海ん中ではキャベツ食べたことと、軍旗が見えて、無言ではあるけれども軍旗が励ましてくれたと。まあそういうことがずーっと重なって、僕が助けられたなと思っているんだけどね。

僕はもう助かったやつはフィリピンに行かないんで済むんかなと。九州のどっかに上陸させて、九州の部隊にでもどっかで、もういっぺん軍隊入り直して、服装ももらってフィリピン行かないで済むのかなと。そんな厚かましい考え方を持ったら、その船はね、どういうことをしたかと言うと、この重油の周りにいっぱい浮かんでいるって言ったでしょう、遭難者が。その周りを大きくこう、さっきみたいに船で巻き込んだり、スクリューで切ったりしないように、少し大きくこう円を描きながら一晩中走って、何て言うの、遭難者の周りをグルーっと走って、一晩中走っていた。だから九州だとかどっか大きなとこか、五島列島とかあんなとこに行くんじゃなくて、一晩中回っていてくれた。だから、夜中にだから敵の潜水艦が浮いてきて、生きているやつを殺したとかそういうことはなかったみたいですね。全くね。だから、途中から僕も、はー、厚かましいやつだなお前もね、これでフィリピン行かんと思ってほっとしたけれども、なんて厚かましい考え方をするんだろうなって。自分のことを。うん、自分なりに責めたけどね。だから逆に、越中ふんどし一つに毛布かぶったまんまで別の輸送船に乗せられて、また他の隊と一緒にフィリピンに向かって行くということがすぐ分かったわけですよ。その日のうちにね。翌日か。

それで、フィリピンに着いたでしょう。それで、陣地をここへ作れということを言われて行ったわけだけど。そしたら、着いた途端に中隊長から呼ばれたわけですよ。「天野、ちょっとこい」って。それで何だと思ったら、「天野、幹部候補生」って。まだ生徒なんですよ、僕は生徒。一人前の兵隊に扱ってもらえないの。「幹部候補生は本日付けをもって、第1小隊の第2分隊長を命ず」って言うの。いきなり。新兵ですよ、10か月の。だけど、こう階級だけはこう金筋1本に。今村さん(同じ機関銃中隊の第1分隊長)によれば星1つあったというから、そこまではね、どんどん、どんどん上がっていたの、階級だけは。

Q:分隊長に命じられたとき、どう思いましたか?

いや、僕は、こう考えてもいなかったのにね、10か月でね、あっち行ったりこっち行ったりして、それから輸送船でしょう。それで、分隊長って言ったって、僕なんか分隊長の、その指揮官の教育も何も受けていないわけですよ。ほとんどね。そんな暇なんか、あっち行ったりこっち行ったりして、それから大部分は輸送船ですものね、だから、ないわけです。そしたら、僕は戸惑っているんですよね。だから中隊長は、多分、戸惑っているのが分かったんだろうと思いますけどね。「天野、天野、お前はな、まだ初年兵だ」と。だけどもね、「急に分隊長と言われても困るだろう」と。で、今日からね、星、「金筋1本に星1つの伍長に任命する」ってパンと来たわけですよ。伍長に任命する。そして、第1小隊の第2分隊長を命ずるって。

お前、頑張れと言うわけで。僕に、分隊長に必要な双眼鏡をくれたわけですよ。さっき言ったように機関銃にも、こう、ミリが刻んだ。だから、当たったか当たらないかが分かるようになる。で、その双眼鏡をくれたのと、それからもう1つは拳銃をくれた。ピストルを。ここへくっつけるようにね。それと、作戦上必要なのは地図と図面が入る皮のカバンをくれましてね。これをピタッと付けろと。で、それを中隊長の前で全部付けて、そして、「天野伍長は」って言って、そのときは言いましたよ。間違えないでね。「天野伍長は、本日付けをもって、第1小隊の第2分隊長を命ぜられました」と。「ここに謹んで申告いたします」ということで中隊長に敬礼してね、「天野、帰ります」って言ったらさ、「天野、頑張れよ」と。しっかりやってくれということだった。

そして、帰ったら小隊長と今村分隊長がちゃんとね、7名の部下をね、選んで。「おい、天野、お前が言いたいことは分かるぞ」と。「今から申告せい」というわけでね。だから、「今、中隊長のところへ行って参りましたけれども、中隊長より本日付けをもって伍長に任命し、それで、第2分隊長を命ぜられました。ここに謹んで申告いたします」って言って。今村分隊長と、それから小隊長に敬礼したわけです。そしたら、「おい、天野、誰かね、いいやつがいないかなと思っていたけども、お前でよかったな」と。「今日から第2分隊長をしっかりしろ。部下を決めといたぞ」と、1人ずつずっと名前を言ってね、それでやってくれたの。

Q:その部下は機関銃のプロだったんですか?

いや、3人ぐらいしかいないよ、腕のいいやつは。だから、そいつらに頼んだの。

Q:たった3人ですか?

うん。

Q:他は?

他は、まあ、あまり機関銃の操作はできなかった。機関銃の出身の部下が来たわけじゃない。

その人たちが機関銃の部隊の新兵じゃなかったの。普通の、1人で1発ずつポンポンと撃つ、そういう部隊の人たちだったんで、機関銃の特別の訓練を受けた人をもらったわけじゃないの。

心許ないっても、もうそれしかいないんだから、そいつらを鍛え、実戦を通じてだんだん鍛えながら成長させていくっていうしかないですよね。怒ったってしょうがないし。気長にそいつらの成長を待つというか。

米軍がリンガエン湾を軍艦と輸送船とで何百船かで埋めたんですよね。だけど、そのときも攻撃したっていうのは特攻隊の飛行機が、朝か夕方の少し薄暗くなったときに来て、特攻機が突っ込んで行くわけですよね。

Q:見たんですか?

僕は木に登って見ていた。

Q:どんな情景でした?

そうするとね、飛行機がだいたい5、6機ですよ。少しずつ。そうすると輸送船もそうだけども、軍艦からもバーッと弾撃つでしょう、飛行機をめがけて。それはね、ちょうど大きな花火、あれがピューッと上がってバンと開くでしょ、あれみたいな感じで上でバーッと破裂したときの飛行機の、花火の爆発した中を特攻機が飛んで行くというそんな感じの攻撃を受けたんです。だからまともに船に体当たりして、船を沈めたというのはないんじゃないかな。爆発した花火の中を特攻隊が来て飛んで行くという事だけで、途中で飛行機が当たって、きりもみ状態で海の中に落ちたとか、場合によっては船の上へ、軍艦の上に落っこちて、爆発を起こしたというぐらいはあるにしても、突っ込んで敵艦を沈めたとかはないんじゃないですか。輸送船も。ほとんど花火の中の爆発した中を飛行機が飛ぶ程度ですね、特攻隊の。それを私はできるだけ見ていた。木の上に登って。

Q:飛行機が船をめがけているのに海に落ちるんですか?

海に落ちる。バーンとこう海へ、海水がこう水が跳ねるでしょ。あれみたいになって海水が跳ね上がるというか、そういうのを見ている。見た。

Q:それ見たときどう思いましたか?

これは戦争にならんなって思って。これしかもう敵を攻撃する方法はないんだなとも。でもあんまり効果がないなっと思ってね。だけどかわいそうにと、特攻隊ですから。死ぬのを覚悟して飛んでいるわけですよね。行っているわけですけれども。自分の体張ってぶつかって死ぬっていうのを分かっていて飛んでいるんですからね。だからそのたんびに僕らが何を考えたかというよりは、やっぱり彼ら(米軍)が上陸してきたときには、やっつけられるだけ我々もやらないかんなという気持ちにはなりましたけどね。

そのときに特攻隊の飛行機が無言ではあるけども、僕らに言ったのは、俺たちはやれるだけのことはやったよと。身を投げてでもやったと。あとは陸上部隊しっかりしろと。あとは頼むよと。そういうことを無言ではあるけれども、その飛行機の特攻隊が散って行くというか、そのときには、そういう事を僕らに言って戦死していったというか、墜落していったというか、そういう事を言って、僕らに、あと陸上部隊頑張ってくれよと言って、散って行ったというか、そういう感じしか僕らは分からない。「陸上部隊頼む」と、あとは。「俺たちはやるだけのことはやったよ」と。そういう事を言い残していったという事しか僕らはとれなかった。だって陸からも海からもどこからも、艦隊に攻撃を加えるものは何もなかったからね。ほとんど特攻隊だけですよ、飛行機。

震えたと思うね。60キロの機関銃を揺すったんですから。だって、分隊長が震えているんだものね。初めて敵を見たときは。僕が。

Q:初めて?

「撃て」って言った私自身が、どっちかと言えば、今、トイレ行ったばっかりなのに、またすぐトイレに行きたくなるとかね、何か少し、こう何て言うの、恐いっていうんかな、何かで震えているっていうかね。

Q:初めて。

武者震いっていうんだろうな。意気のいい言葉で言えば武者震いだよね。

Q:初めての実戦だったんですか?

初めての実戦です。

敵が10何万もいて、上陸舟艇とか何かでこうザーッと上がってくるのに対して、日本軍というのは、わずか120、130名ぐらいしか海岸線にはいなかった。だから、敵は悠々と上がってきた。それで第7中隊の、多分、兵隊だと思うんだけど、僕らの陣地の前を、まあ、逃げてくるっていうかね、もう抵抗しても無駄だっていうんで、多分、まあ逃げてきて、表現は悪いかもしれないけど、逃げてきた。だから、「おい、おまえたちな、ここをどこだと思うと。重機関銃が今、第一線だぞと。だから、ここで一緒に戦ってくれ」って、そいつらにお願いしたら、「冗談じゃない」と。おまえたちはまだ敵を見ていないからそういうことを言うんだけど、機関銃やら装甲車、戦車や装甲車で攻めてくるのにね、ポンポン、ポンポン1発ずつ撃つあんな小銃弾が通用すると思うか」と。「戦うだけ無駄だ」と。だから本隊まで戻って、連隊本部だね、連隊本部まで戻って、そこで合流して抵抗するなら分かるけども、われわれがそんなわずか少数で戦ったって、何も戦死者を出すだけで無駄だと。だから、本隊に合流するために、俺たちは撤退するということ。

第1、第2分隊っていう形で、2つの分隊が、今度、第一線になっちゃって。前に味方がもういなくなっちゃって、第一線になったんだけども、私を除いたもう1つの分隊は、入隊4年目で大ベテランのですね、分隊長だったのね。それが第1分隊です。で、私は第2分隊長を急きょ命ぜられたんだけれども、入隊10か月で、10か月と隣の4年目とは違うわけですよね。で、それだけの2個、2つの分隊で守っていたわけですよ。この第一線になってね。だけど、敵を撃つという段階になってきたときに、そのベテランのそっちの分隊長は、どうせ撃つならいちばん弾が当たりやすいところで撃とう、ということで、「天野、そう慌てるな」と。落ち着いて敵を見ていろということで、そのベテランの分隊長が言うのには、500メーター先までも機関銃なら十分当たるんだけども、いちばん確率のいいところっていったら、やっぱり敵が川を渡って、こっちの岸に一歩でも上がったときに撃つのが、100メーターぐらいしか離れないわけだから、いちばん当たるはずだと。だから、そこまで待とうということですよ。で、私はもう500メーターぐらいが撃てるから、もっと先に撃ちたいんだけども、もう1人のその古参の分隊長は、こっちの岸に敵が上がったときに撃とうということで、「撃て」って言って撃ったんだけれども、それはご自身が射手になって、自分でボタンを押して発射したわけね。私はまだ分隊の長の訓練もまともに教育も受けてないほうだったから、本に書いてあるとおりで、敵は何百メーターで撃てと言って。連射を撃てって言ったんだけどね。連射というのはずーっとなんぼでも出るやつ。で、僕の反省はもう1つあるのはですね、20発に1発ぐらい、弾を1つ抜いておけば、20発撃って当たらなかったら、修正すればいいわけでね。それを連続で発射したから、もう夢中になって撃っちゃったということですよね。

Q:それを冷静に考えられなかったんですか?

考えない。もう撃ちたいという一心だけですよね。だから、今、考えると、本当は、20発に1発ずつ抜いといて、修正するか、そうじゃなかったら、1回、深呼吸して気を取り直してもういっぺん、撃ち直すということができたはずなんだけど。新米の分隊長はそれができなかったんです。だから、結果としては向こう(第1分隊)は20人以上、兵士をやっつけられたけど、僕らは5、6人しか殺さなかったんじゃないかなと思っているんで。だから、25~26人か30人以内だったと思う。

まあ、そういうことが第一線の最初の戦争で。敵はもう油断しているというか、日本軍は取るに足らない、みんな逃げちゃったと思って、何も抵抗しないで来たんだけど。だから、川の中でひっくり返るやつもいるし、逃げようとしてもがいているけど、そこを撃たれて死んだというのもいるけど、そのうち川の水が赤く染まってきたから、ああ、やっつけたんだなというのが確認できて、僕らはね。

敵中突破。玉砕は玉砕を禁ずる。玉砕を禁ずる。だから、立てこもって全滅するまで戦うことはやめなさいと。だから敵の中を突破して新しい陣地を作って守りなさいという事だよね。だから私どもの最初に立てこもったところは200高地っていうリンガエンにいちばん近いところですけども、そこも敵中突破して脱出せよという命令は、最後に出てきたわけですよね。第2大隊がたまたま私もその中に入っていますけど、そこで玉砕するか、戦ってね、全滅するまで戦うか、それとも新しい陣地に移ってもういっぺん戦い直しをするか、というのを大隊長はそれを土壇場にやられたときに、誰が撤退しろと言うのか、誰が戦えと言うのか、それは本部からの命令がないとできないわけ。ほんで大隊長に言わせれば、武士として、要するに隊長としてですね、退却するというのは本当は好まないわけで、だけどそのままおけば第2大隊というのは全滅するわけで、周りに囲まれているわけですからね。徹底してたたかれる。だから大隊長が夜に全部集めて、撤退せよと言ったときには、何て言うかな、僕らもホッとしたというか。玉砕を禁ず。玉砕というのは最後まで守って全滅してもいいから、まあ戦えということですね。で玉砕を禁ずと、脱出せよと、いうことの命令が、師団長からうちの大隊長に連絡があって、通信を聞いていましたから、それで脱出したわけですよね。

Q:ほっとした、ほっとしたんですか?

ホッとはしたね。脱出できるかどうかは知らんけども、そのときも私の分隊は大隊長からの命令で、中隊長の命令ですけど、最後尾を・・みなが行軍して味方の陣地に、どっか次の陣地に移らないかんわけでしょ。それのいちばん最後を、しんがりて言うんかな、を、お前たちは元気だからしんがりを務めろという命令をもらったわけです。そのときは私どもも、しんがりを承って残念でしたとは思わなかったです、かったけどね。いちばん最後だから敵が出てきたらいちばん先にやられる、だけど部隊が安全なとこまで脱出できて、新しい陣地を作るまで僕らは最後尾を歩いたわけですよね。するとその途中で負傷したやつをおっぽり出されていたり、負傷した人や病気の人もいますけど、そういうのを見ながら僕らにはどうにもできないなと、置いていくしかないなという事で、場合によっては捕虜になるかもしれないけど、「元気で」って敬礼して、僕らは前に進んだわけだけどね。だから、敵中突破と言えるだろうと思うわね。そこも、周りは囲まれちゃっているからね、米軍にね。最初の200高地もそうですよ。

Q:どういう雰囲気でしたか?

だからいつどこで敵に会うか分からんと。いつ攻撃されるか。だから機関銃には弾を入れたまんま。入れたまんまで、いつでも引き金を押せば発射できるようにして、4人で担いでっていうか、持って、攻撃しようと思ったらパッとそこに置いて敵に機関銃を向けて撃てる、という状態にしてある。だから4人で歩ったわけですよ、担いで60キロを。

Q:ちょっとした音にも敏感になってたんじゃないですか?

なっていたよ、戦車の音とかね、走る音とか、車の音とか、遠いか近いのか、いろいろあるわね。そういうこともほんとよく考えて、耳はほんとよく、僕は鍛えたつもりだった。敏感だった、非常に音には。

Q:無事突破できたときはどんな気持ちでしたか?

とにかく行ったときに、だいたい味方の陣地に着いたら、「誰か?」という日本語でそのかけ声を聞いたときには、ほっとするよね。やっと突破出来たんだと思って。「誰か?」と必ず言われましたよ。そういうことが2回あったけども突破するんでね、そしたら「誰か?」と。そんときはやっぱりこの道選んでよかったなと思っていましたね。それは成功したという事ですよ、敵中突破というものは。

僕らが陣地を例えばどっかで作るでしょ。そうすると必ず敵は、米軍はヘリコプターで陣地を全部、移動すると必ず偵察にくるわけですよ。場合によっては僕らのことを・・見上げて見ると飛行機に乗っている操縦士も、顔も分かるし何かしゃべっているのも場合によっては聞こえるという状態で、僕らの重機関銃であれば絶対に今なら撃ち落とせるという状態でも、その飛行機は撃っちゃいかんと、敵は日本軍の陣地を調べるために偵察しているんだと。という事は撃つなという事は、撃つことによって日本軍の陣地がどういうふうな状態にあるかという事を、もっとはっきりさせてしまって、敵に教えるばかりだと。だから偵察機で飛んできている飛行機、ヘリコプターだからほんとにゆっくり、ずっと下りてきて、ヤシの木に引っ掛かるぐらい下りてきて、しかも回って見ているわけですよ。それは絶対撃つなという命令を受けているわけです。それは我が陣地が敵に分かるからという。そうするとお返しで何が来るかと言ったら、100発も200発も場合によっては300発も砲撃されて、もう一つは飛行機で爆撃される。そういう事で陣地がつぶされていくわけですね。つぶされるという事は戦車がどんどん出てくる。という事でその飛行機は撃っちゃいかんと。重機関なら僕らも撃ち落とせると、あのスピードならだいたい撃ち落とせるなあと思っても、飛行機には撃っちゃいかんと。偵察に来ている飛行機は。という事は攻めないという事ですよね。本当はそれを撃ちたくてしょうがないときもあったんですよ。僕なんかだんだん慣れてくると。しかしそれは撃っちゃいかんと。絶対に撃つなと命令を受けているわけですよ。というのは日本軍の陣地が分かると。陣地が分かるとそこへ、何百発というか、爆撃を含めると何千発になるか知らないけども、全部皆殺しにするぐらい砲撃されるわけ。だから陣地が分からないようにずっとして、じっと耐えて守れというふうにしかとれないわけよ。だから攻めたことがない。だからたたかれっぱなしですね。

だから守れということは要するに戦死者を出さないで現状維持を続けろという事ですよね。
一切攻めたことないですよ、僕ら。64連隊もまずないですね、全部ね。日本から、64連隊はよくぞ敵に囲まれながら脱出した、という意味での感謝状はもらっているんですよね。山下将軍(山下奉文方面軍司令官)から。だけどそれは攻めてどこかを占領して感謝状をもらったんじゃなくて、敵にあまりやっつけられないで、上手に敵陣を突破して、で帰ってきたなという事で感状をもらっているんです。

Q:つまりうまく逃げられたことに感状が・・

そうそうそう。うまく今の陣地を放棄して、新しい陣地を作るために脱出したなという事での感状ですよ。その間にあまり部下も殺さないし、極端な戦争もしないで上手に脱出できたことが感状ですよ。日本の新聞にも載ったということが書いてあるんだけど、本を読むと。だけど戦って感状をもらったんじゃなくて、上手に、あまり戦死者を出さないで上手に撤退したなという事のお褒めの言葉で、それは感状ですよ。

Q:そういう戦い方を強いられてきたことに関して、どう感じますか?

いや、あれだけの物量でやったんじゃ、攻めるわけにはいかないなと思う。戦う、攻めるだけ、こっちがその分だけやられるわけで。だから、じっとしていて、その陣地を守って、いつまでも頑張っていれば、米軍はフィリピンから北へは動けないなと。だから、僕らは損害をあんまり大きくしないで、いつまでもフィリピンで生き残って米軍と戦っていれば、日本本土は安泰だなと。そういうふうに思いだしたよ、僕は。

Q:ある意味、捨て石だったんですね。 

え?

Q:捨て石だったんですね。

捨て石だよね。うん。まあ、そういう捨て石的な役割を全うできればよかったんだけどね。

あのー、最後のプログ山というところへ立てこもる前に、僕は最後尾を、お前は元気な集団だからっていうんで。そうすると、あっちこっちにこう負傷したり病気になった人たちが固まって、水のあるところや日陰のあるところで全部あれしている、休んでいるけど、そいつらを救うことはできないけども、声をかけて、「おい、元気か、頑張れよ。何とか歩けるなら歩きなさい」と言うけども、あれを見ていたら、もう本当に何て言うんですかね、かわいそうって言うより、悲しみとかそんなもんで済むような言葉では表せないね。全部もう半分死にかけていても、誰も助ける人がいないわけですよ。それで、水を飲みたくても水も飲めない。ご飯はない。それから病気になっても薬もない。だけど、そこへ自然に死ぬ人たちが集まっていて、僕らは声をかけたって返事もできないような状態になっている人がいっぱいいたわけでね。あれが、やっぱり、何て言うんだ、日本の最後の姿だなと思ってたら、とても難しかったね、あれは。

最後のプログ山っていうのかな、あそこへね、集結せよという事の命令はあったと思うんです。そこへ行くのに、途中まで行って三叉路みたいになったところの一つの尾根に、「天野、お前たちはここに陣地を作れ」と言うんで、陣地を作ったわけ。それは川も見えるし、道路も見えるところに陣地を作った。ところがなかなか敵はバギオを攻略したせいか、攻めてこない。なかなかね。攻めてこないで、それもあるし、もう一つは山の、山岳地帯の道路ですから道路も狭いんです。そうすると、戦車とか装甲車みたいなものが自由に行動出来るような道路じゃないわけ。山道だよね。山の中の。

それで、どれぐらいたったかなぁ。2週間以上たってからかな、タバコを手巻きで巻いて、タバコを吸って谷間で休んでいた。そうしたら、いきなり「分隊長、敵です」って言うわけでしょう。「すぐ来てください」って言うから。何だと思って陣地まで飛んで行ったわけ。そうしたら、もう、「ばか者、お前たちは」というぐらい、前の川に沿った道路を米軍がいちばん最初の戦闘と同じで、誰も抵抗してくれないから、してくれないっていうか、しないから、悠々と歩いて敵が川上の方へ歩いて行ってる。それでそのときに、ばかじゃなかろうかって思って、命令がなくたってね、敵を見たら撃てばいいじゃないかと。何で撃たないんだと。

それで、したら、敵が悠々と歩いているわけでしょう。「撃て」って言うわけで、撃たしたら、そうしたら何人か、確かに機関銃ですから戦死はさせた。向こうを殺したんです。何人かね。ところが、先頭は右の尾根で見えなくなるわけですよ、僕のあれから。こう来てここら辺に、もう一つ僕らのいたところがここで、ここに尾根があって、ここから先は見えない。で、敵はだけどこっちに行っちゃったわけですね。それだから、私はその尾根をもういっぺん上がって、自分の目でその敵がどれぐらい入ったのか、味方がそれを攻撃したのかしていないのか、それを確認するべきだったのに私はしなかった。そっち側に、この尾根の向こう側は味方の主力がいる方向だから、多分大丈夫だろうというふうに思っていたわけです。それで、何日かたってからですけれど、僕がまた谷間で休んでいたら、タバコを吸いたくなってね、タバコを吸って。それで2本だけタバコを・・機関銃に2人、弾を込めるやつと撃つやつがいるわけだから、それのために僕は2本タバコを持って谷間を上がって、機関銃の所に歩いて行ったときに、バババッと僕を攻撃する弾が、足のこの辺にブスッ、ブスッっと当たるぐらい飛んできたわけです。

いや、僕は攻撃されているなと思って、どこでと思って振り返ったら、バチーッとこん棒で殴られたみたいになって、そこへ倒れちゃったわけですよ。

Q:撃たれたんですか?

うん。そうしたら、どこから撃っているかと思ったら、その僕が谷間で休んでいた谷間の上の尾根の所に5、6人の米軍がいて、それが私を撃っていたわけ。それで、何か本当にこん棒で殴られたみたいに、私は倒れていたんだけれど、そんなに痛くはない。どこも痛くもなかった。あんまりね。だけど倒れた事は事実ですよ。

Q:それは弾が入ったんですか?

弾がここに、ここ、ここに抜けた。

Q:どこですか?

この辺に抜けてるだろうと。

Q:あー。

だからこれも小さいんですよね。

Q:貫通したんですね?

貫通ですよ。両方とも貫通だけど、傷はどっちも小さいです。全部4か所とも。入ったとこも出たとこも。

Q:すみません、撃たれた、倒れた、そして?

そうして、痛くもかゆくもないけれども、首だけはこう動くわけですよ。だから、撃った方向がこっちの尾根の方向だなと、谷間を越えてね、そっちを見たら、5人ぐらい、5、6人ぐらいの人が僕を目がけて撃っているわけです。それは見えたわけ。それで、倒れたけれども、全然痛くない。当たったけれどね。それで、口から血もちょっと。喉(のど)が変だなと。「あっ」て、タンが出るみたいに出るのは、血の塊がちょっと出る。それで、あぁどこかやられた事は間違いないけれど、やっぱり内蔵もやれらたのかな、どこか内蔵をね。口から血が出ますから。そうして、しばらくじっとしていたら、今度1人谷間にいた部下が、駆け上がってきて「分隊長」って、僕のところに走りよって来る。初めは敵に見えなかったんだけれどね、らしいんだけれど、それが僕に近づくに従って、敵から見えるようになった。

それで、それを今度部下を目がけて撃つわけですよ。そうしたら、そうですね。私の5メートルぐらい離れた所かな。そこで、ドサーンってそいつが倒れた。そうしたら、やっぱり弾が当たって倒れたのと、伏せたのはね、僕らでも経験があるけれど、必ずピーンとこうなるみたいになってね、倒れるから分かるわけ。それで、そいつもドサッと倒れたんで、「お前どこを撃たれた」って言ったらさ、それぐらいの事はまだ僕も聞けたんですからね。それでそいつが「太ももに一発やられたみたいです」と。だけど、「後は大丈夫です」ってこう言うから、「そうか、それじゃお前は死んだ真似していろ」と。そうしたら敵が死んだと思って撃たないから。それだけど、そのときに僕の近くにどんどんどんどん寄ってくるわけですよ、弾が。段々僕のところへ、ピシッピシッてまた突き刺さって来るわけですよ。地面にね。それで、あぁ今度撃たれたら、さっきは痛くなかったけれど、今度は痛いぞと。で、今度撃たれたら死ぬなと。即死ですね。と、思って僕も目を閉じて観念していたら、その1人、分隊長って飛んできたヤツがやられたと同じぐらいのときに、左の足のここへまた衝撃を受けたわけですよ。

Q:どこですか?

ここの、向こうずね。そこへ、撃たれて。それで、だけどどこを撃たれたのかがあんまりよく分からない。だけど、痛くてやられた事だけは分かる。またたたかれたみたいで、それから痛みを取ったみたいだから。倒れたわけ。それで、何て言うんだろう、どこを撃たれたか僕はどうしても分からないんですよ。しびれているんでしょう。だけどやられた事だけは分かっている。それで倒れてじっとして、それで「お前は元気があるんなら、おい」って言ったら返事をしましたから、「元気があるのなら、谷間に飛び込め」と。それで「谷間に飛び込んで、治療して、そこでじっとしていろ」と。「そうしたら敵も撃たないだろうから」って言って。そしたら「ハイ、分かりました」なんてやっていた。それでしばらくして、何も向こうも言わないし、僕もちょっと心配になったもんだから、「おい、ナニナニ上等兵」って呼んだの。そうしたら、返事しないわけですよ。そうしたら、よくよく見たら、顔やなんかが、こういう瀬戸物の白い瀬戸物あるでしょう。あんなに顔が白くなっちゃって、返事もしない。だから何だと思ったら、戦死ですよ、それは。出血多量だったんじゃないかな。股(もも)に1発だったという。僕は2発も受けているんだけれど、何も死ぬ様子がないわけですよね。割と意識は明瞭だった。それで、段々夢見ているみたいでね、子どものときからの事がずっと頭の中を駆け巡って。

それで、僕はまだ一応頭の中では何かこう、走馬灯のように何かを思い出すのが沢山出て、夢を見ているみたいに出て来て。いちばん最初に出てきたのがお袋ですよ。で、お袋が出て来て、僕のそばへ寄って、「安秀、何だ、そんなところで寝ているんだ」と。「男ならしっかりして立ちなさい」と、こういう事を言っているわけですよ。それでそのうちに、今度お袋に変わって、親父が出て来て。親父が「男ならもうちょっとしっかりして歩きなさい」というような事も夢みたいにぐるぐる回って。そのうちに、何て言うんですか、兄弟が出てきて。一緒にね、今度食べるものが出て来て。天ぷらとかね、すき焼きとか、とにかくごちそうがいっぱい出て来てね。それを兄弟と一緒になって食べて。うまいなと思ってね、食べている情景が出て来る。
それで、そのうちに何だろうね。天の声っていうのかな、なんか命令されるような説教されるような形で、「お前は重機関銃の分隊長だろう。分隊長なら分隊長らしく死に場所があるはずだ」という事が、何かどこかから降ってきたんだね。こう頭の中で、まだ多分それも夢みたいで、出て来るんだろうけれど。「お前は分隊長なら分隊長らしく、死に場所で死ね」と。それで「それは何だ」って言ったら、「重機関銃のところで死ね」っていう事を言っているんですよね、その人は。それが、誰から言われているかは分からない。けれども、誰かが言っているように思う。それで、「よし、そんなら分かった」と。じゃあ機関銃のところに行って死のうとね。それで行ったんだけれど、動かないんです。身体を動かすと痛い。それで、左肩と左足はダメなんだよね。動けない。ただ右手をちょっと動かしてみると、右手は動くの。そうするとこっちを上にして、左を上にしてこうやって少しいざるっていうんかね、動かせば動くの。だから、よし行ってみるかって言うわけで、わずか5、6メートルぐらいですよ。そこをね、右を下にして、それで少しずつ少しずつ、10センチか20センチか分かりませんけれど、少し動かせば動くんで、よし、これならやってみようという事で、「よし、死ぬんならやっぱり機関銃と一緒に死にたい」という事で、いざって行ったら、何とか機関銃まで行けたわけ。そうして、機関銃は日に照らされたまんまだったから結構温かいわけですよ。それにパッと触れて機関銃に触れたときにはね、無性にうれしいっていうんか、悲しいのか分からないけれど、私は涙がボロボロ出てきたの。機関銃に触れたって事自身がうれしかったんだと思います。でもボロボロ涙が出るから、「いい、お前勝手に泣け」と。そう言いながら、機関銃を握りしめたの。

涙流しながら、機関銃を触っていて、そうしたらそこまでいざるだけいざったけれども、要するに疲れちゃったっていうんかな、それでまた完全に今度寝ちゃったの。寝ちゃったってね、それでどれぐらいいたんか知りませんけれど、もう真っ暗に夜なって。それで、誰かが一生懸命身体をたたくわけですよね。それでね、何だと思ったら、谷間にいた2人が出てきた。「分隊長、分隊長」って。多分脈を測ったりなんかして、生きている事は確認出来たんだと思うんだけれど、呼吸とかね。それで2人が一生懸命僕をたたいて、起こすんですよ。そうすると僕は痛いと思ってね、動くと痛いわけですから。その、痛いと思って、「コラ、誰だ」って言ったら、その部下2人でしょう。「痛い、もう触るな」って言ってやったら、「分隊長、どこをやられましたか」って言うからね、生きている事は分かっている、脈を測っているか何かして。それで、「私と一緒に脱出してください」という事で、あれしたんだけれど、「ちょっと休ませろ」と。そうしたら、急に弾に当たってから水も飲んでいなきゃ、食事も何もしていないでしょう。喉が渇いたから、「何か水はないか」って僕が言ったら、「水はありませんけれど、味噌汁ならあります」って。っていう事は、敵が夜になってくると攻めてこないのが分かっていますから、そいつらは晩ご飯作って、ご飯を炊いて、それから携帯のこんな鉄のこんなものにね、携帯味噌があるんですよ。軍隊にあって。それでそこら辺の葉っぱをむしって、葉っぱを入れて、味噌汁も作っていた。それでね、いや、ご飯も炊いたし、それから味噌汁もありますと。だから食べてくださいと。

ご飯も飯ごうのふたについでもらって、それで味噌汁をかけて、それでまた食べた。だけど、この死に損ないがよう食べるなと思ってね。味噌汁を飲んじゃったし、飯ごうのふた一杯味噌汁かけてご飯も食べた。「分隊長元気ですね」って言うから、「元気は元気だ」って言ったんだけれど、「私共と一緒に脱出する計画をしましょう」というわけで、僕を抱え上げようと。そうすると、抱えて上げられると痛いわけですよ。どうしても痛くて。それでそしたら、そいつらが、こんな木の枝を切ってきて、何て言うんだろう、天幕で担架を作ってね、僕を乗っけようとしたわけ。それで、乗っけてくれているんだけれども、やっぱり動くと、動かすと痛いわけだ。どうしても。足と胸がね。それで、「もう分かった」と。「2人でね、中隊本部に行ってこの状態を、敵に攻められて、それでだから報告してこい」と。「その前に、ちょっとお前たちに頼みがあるんだけれど、2人の機関銃のところにいた部下がどうなっているか。他の部隊はどうなっているんか、全部見て来い」と。そうして帰ってきて報告を受けたら、「誰もいません」って言うんだよ。もうね。だから、敵を攻撃しようという目的なしで、僕がやられたぐらいだから、もう戦ったって無理だというふうに思ったんでしょう。だから、「機関銃に付いていた2名の部下も、それから擲(てき)弾筒という部隊も、それから軽機関銃隊も、誰もいません」って言うわけ。日本人は。それで、「じゃあ分かった」と。で、「今動かされるとつらいから、僕はここでちょっと休ませてくれ」と。それで、「また明日太陽が照って来ると、苦しくなるといけないから、大きな木の下に行って、日陰の所まで連れて行ってくれ」と。それで「そこへ僕は生きるための何か食事っていうか、サツマイモの要するに生のやつでもいい、何か食べ物も置いてくれ」と。そうしたら、「分隊長は死ぬ気でしょう」と。ね、「私ども2人だけで逃げるわけにはいかない」と。「だから、分隊長絶対にこの担架に乗って、脱出してください」と。そうして、言うから「ダメだ」と。

だから、2人に「今から命令を達す」と言って、「今から2人は中隊本部を捜して、中隊長の応援を得て、助けに来てくれ」と。「それまで僕はここにもらったサツマイモの食事だとか、それから水筒の水を飲んで生きているから」いう事で、「命令だ」ということでやったら、向こうも立ち上がって「はい、分かりました」と。分隊長の命令通り、何て言うのか、「中隊本部に報告して、必ず助けに来ますから、それまで生きていてください」と言うんで、立ち上がったわけです。それで「行って参ります」って敬礼して、あれして、ただもう暗くなっていますからね。その2人が見えなくなるまで、僕は本当にじっと後ろ姿を眺めてはいましたけれどね。結局、それで終わったわけで別れちゃった。

Q:何で本部に行かせたんですか?

僕はもう、こんな状態で生きている価値はもうないなと思ってたの。だから死んでフィリピンの土になってもしょうがないと思ったんですよね。だから、2人で行ってこいと。それで、中隊長の所へ行って、助けをもらって4、5人になって助けに来てくれという事を言ったけれど、実際は、僕はそこで死んでフィリピンの土になる事を覚悟して、2人だけは何とか生きて残って欲しいなと思って。そうしたらその2人は今村さん(前出:機関銃中隊第1分隊長)に会っているんだね。「天野分隊長は戦死です」と言って、後で、今になると、今村さんは「2人はそう言っていたよ」と。

Q:足手まといになりたくなかったんですか?

そうそうそうそう。だって脱出しようないよ。下半身、左側全然動かないんだから。で、担架に乗せられてゆすられても痛い。だから、僕はもう、フィリピンの土になって、痛くもかゆくもないし、このまま死ねれば幸福だなと思いましたよね。それで、今まで死んでいったヤツは、たいがい痛いとか苦しいとか言っていたわけ。僕は痛くもかゆくもないわけ。何かマヒしちゃって。だから、もうこのまま楽に死ねればいいなと僕は思った。

1日だったのか、2日だったのか、全然僕には記憶がないけれども。ともかくまぶしくてまぶしくて、太陽がまぶしくてどうしようもないぐらい輝いていて、まぶしいんだよ。それで、何かで語りかけられるんだけれど、タガログ語って言うのかな、そのフィリピンの言葉だけじゃ分からない。そうしたら、その男がいなくなっちゃって、しばらくしたら、またたたかれて、その間に僕また寝ちゃった。そうしたら、米軍と兵隊を4人ぐらい連れて、そばに寄ってきたわけ。

Q:どう思いましたか?

いったいどうなるんだろうと僕は思ったね。それで、これからいったいどうなるんだろうと思ったけれども、別にもう、負傷していつ死んでもおかしくないような状態で、負傷している事は、口から血が出るんで分かるわけだから。だから、どうでもなれと。もう、成り行きまかせの成り行きまかせっていうんか、もう怖いとかかゆいとか殺されるとか、何も考えないで。そうしたら米軍が担架に乗せて、山を下りるわけ。そうするとフィリピン人が弾薬運んだり食料運んだり、そういう仕事をする人が沢山いるわけ。そいつらが、僕の事を指さしながら、こうやって「バカ野郎バカ野郎」って一生懸命言うわけ。それで、「絞首刑」って。首をこうやって、お前は首だという感じでね、言うんだけれど。まぁそのまま。

Q:目が覚めたときどんな気持ちでしたか?

これでどうなるんだろうなと思っただけだね。何も空白だね。だって、自分で自分を制御する事が出来ないし、痛くもかゆくもないわけだから、どうとでもなれと思って、もうおまかせしますっていうような感じだよね。で、米軍の病院に入っていたの。で、白い何て言うんですか、上着っていうか、病院の服か、あれを着せられて、ベッドに寝かせられていたっていう事ですよね。
いや、生きて虜囚の辱めを受けずという事は言われてた。だから、捕虜になる事はいかんという事は言われていたわけだから。だけど、生きてはいるし、痛くもかゆくもないし、抵抗しようとしたって、抵抗出来るわけないんだし。もう、だから成り行きまかせの成り行きまかせっていう事で、お任せしますという事しかないね。で、感情はそれほど高ぶっているわけでもないし。だから、戦うとか、何とか歯向かうとか、そういう意識もまったくないし。ただもう、お任せしますという事で、相手が何かするのをただ受けるだけだった。

Q:病院を出るときどんな気持ちでしたか?

病院を出るときはね、軍医に言われて、もうじきあんたも日本に帰って働かなきゃいかんだろうと。だからこれから捕虜収容所というのがあって、そこでいろんな作業をさせられていたわけだ。バタンガスというところで、マニラより少し南方だけど、そこの収容所1回入って少し労働しなさいと言われた。それは日本に帰ってすぐ働けるように体を鍛えてほしいんだと。そういう意味で私があきらめて病院から手放すんじゃなくて、そこで体を作って日本に帰って欲しいんだと。日本に帰ったらすぐ仕事が出来るという状態にまでなったときに、日本に帰りなさいと言われて退院させられた。

Q:そう言われてどんな気持ちでしたかでしたか?

相当体が良くなったんだなと思ったんだかな。退院しろというのは体はだいぶ良くなったんだなと思ってうれしかったですね。

いちばん僕が情けないと思ったのが、全部聞くわけですよ。あんたは車の運転できますか、大工はできますかとか、ミシンはできますかとかね。そうするとそういう人たちが売れるわけですよ。売れるっていうか、いまの就職のようなもんで行き先が決まるわけ。ところが、どれも返事ができないのは僕らみたいなサラリーマンで、特別技術を持ってないやつは結局、弾薬を片付ける仕事とかなんかでね。だから自動車が運転できるやつは自動車のモーターのプールかなんかのところへ行くし、食事が作れるってやつは向こうのキッチンのなんかやるし、ミシンがかけられるやつは着物のなんかの仕事で、大工ができるってやつは大工の仕事をさせて、何にもできないのは、いちばんどうにもならないやつは普通のサラリーマンで、いわばホワイトカラーというやつが、これは何にもできないんで、結局弾薬を積んだり外したりするのが仕事になって。

Q:こうやって日本に帰ってきて、初めて帰ってきたときのことを覚えていますか?

覚えている。おふくろが「本当におまえは安秀か」って言ったら、それっきり、何て言うんだろう、腰抜かしちゃって立てなくなった。生きて帰ってきたっていうんで。「本当に安秀か」って言って。

Q:そのときの日本の見た状況、何が印象的でしたか。

いやー、僕はね、あのー、坊主になって帰らないと、日本軍はフィリピンで負けたから。フィリピンで負けたから日本は負けたんだと。大陸では、だから、中国だよね、あそこでは負けてないと、まだ。だからもうちょっと謹慎の意を表して日本へ帰れっていうんでね。米軍はクシとポマードをくれたんだけどね、だから、みんな髪を伸ばした。だけど、日本に帰るときには、フィリピンは負けたんだから駄目だっていうんで、で、また全部、坊主になって。

Q:フィリピンで日本が負けたから日本が負けたと思いながら。

フィリピンで日本が負けたから。だって、いちばん死んだのは50何万か、フィリピンで負けているんだよね。戦死しているの。

Q:それで日本に帰るとき、どんな気持ちでしたか?

石を投げられるよっていって言われたよ。

石を投げられてね、国賊って言われるって。おまえたちが弱いから日本は負けたんだっていう。

だけど、たくさん死んだもんね。特に、最後のバギオというフィリピン第2の都市か、そこの攻防戦のときには、ほとんどうちの小隊全滅したから。それで、今村さんも亡くなったと思っていたの。だから、全部、生き残ったのは3人だけだと思っていたの。そしたら、今村さんが・・熊本の市役所から連絡で、「戦友会があるから出ろ」って言うんで、行ったら今村さんがいたんで、びっくりしたね。

Q:その亡くなったたくさんの戦友の方を思いながら。

そうなんだよね。最初のころは、だから、戦争の話をするのは嫌だったのね。

Q:何でですか?

え? だって、僕は生きているもん。僕は生きているから、死んだやつには申し訳ないなと思ってね。だから、戦争の話をしたのは、「山下兵団史」というか何かをね、「天野さんも年からいったら、ちょうど軍隊へ行ったろう」って言うから、「軍隊へ行ったよ」と。それで、「フィリピンまで行って来て戦ってきたんだ」って言ったら、そしたら、「山下兵団史」というのを僕にくれた人がいて、それを読んで、陸軍史を書こうかなと思って書き出した。で、それから戦争の話は少しはするようになったんだね。それは50幾つのときかな。だから、帰ってすぐもっと書けば、生きてたやつに会えたかもしれないけどね。

Q:何でそんな長い間、書けなかったんですか、話せなかったんですか?

話せないね。あんだけ死んじゃったら。それで、全然、勝ち戦ならもうちょっと威張ってあれしたけど、たたかれてたたかれて、たたかれっぱなしでしょう。だから、全然、そういう気持ちにはならなかったね。

Q:今日、こうやって改めていろんな話をして思い起こして、今、どんな気持ちですか?

良かったなと思っています。ということは、改めて戦友のことを思い出したり、戦争のことを思い出したりできたんで、よかったと思っています、僕は。

Q:やっぱり忘れられない記憶ですか?

そうですね。もう1回、フィリピンのスタートから思い出して、改めてこういうことがあったということを確認して、そして、何て言うんだろう、改めて戦友たちにご苦労さんでしたというか、あんたたちのおかげで私は生きています、ということが言える状態になったということはいいことだと思っています。

Q:こういう話をするのはつらくありませんでしたか?

いやー、きつかったよ。また思い出すから、いろんなことをね。

Q:それでも話してくださったのはなぜですか?

え? いやー、もう一度、思い出す。思い出したということが、やっぱり何て言うんだろう、戦友の霊に対して私は何て言うんだろう、改めて何て言うんだ、感謝したり、お礼を言いたかったりしたことができたなと思っている。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~】

出来事の背景 写真太平洋戦争終盤の昭和19年秋、日本軍はアメリカ軍に対し、フィリピン・レイテ島で起死回生の戦いを挑み、大敗北を喫しました。その後、戦いの舞台はルソン島に移り、日本本土を目指して攻勢を強めるアメリカ軍とそれを押しとどめようとする日本軍との激しい攻防が続きました。
その戦いで、主力の一翼を担ったのが陸軍第23師団です。兵士たちは、本土決戦までの時間を稼ぐため、戦力が続く限り、アメリカ軍を島に足止めさせることを求められました。しかし、圧倒的な兵力を持つアメリカ軍を前に、23師団は苦戦を強いられます。兵士たちは死を覚悟して、戦車への突入攻撃を繰り返していきました。

この時、すでに日本軍は、制空権・制海権を奪われ、ルソン島への補給は途絶えていました。しかも、太平洋の島々で激戦を繰り返してきたため、島に蓄えられていた物資の多くを使い果たしていました。
こうした中で、兵士たちに下されていた命令があります。「自活自戦・永久抗戦」。食料も物資も自ら調達し、永久に戦い続けろというものでした。兵士たちは、農家の作物や家畜を無断で持ち去る事実上の略奪などで食料を得ましたが、圧倒的に量が足らず、飢えや病で次々と倒れていきました。

昭和20年4月、日本軍は司令部のあるバギオを放棄。その2か月後、アメリカ軍はルソン島作戦の終了を宣言します。飢えや病にさらされながら山岳地帯に逃げ込んだ兵士たちがアメリカ軍に投降したのは、終戦から1か月後のことでした。
補給のないまま戦い続けることを命じられた陸軍第23師団。補充された将兵を含む3万人のうち生きて日本に帰ることができたのは、5千人だけでした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1923年
小笠原村・父島に生まれる
 
戦前、日立製作所に勤務
1944年
現役兵として甲府で入隊、満州へ
 
フィリピン防衛に動員され、ルソン島へ
1945年
歩兵第64連隊の機関銃中隊分隊長として戦う
 
重傷を負い、ルソン島の米軍病院に捕虜として収容される
1946年
復員
 
日立製作所に勤務

関連する地図関連する地図

東シナ海

地図から検索

この証言に関連したキーワードこの証言に関連したキーワード

NHKサイトを離れます