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タイトルタイトル: 「地獄の野戦病院」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
名前名前: 松下 政市さん(第23師団 戦地戦地: 東シナ海 フィリピン(ルソン島、リンガエン湾、バギオ)  収録年月日収録年月日: 2011月11年21日

チャプター

[1]1 チャプター1 近衛師団からルソン島へ  09:05
[2]2 チャプター2 マラリアに冒される  06:37
[3]3 チャプター3 空襲を受けた病院  04:06
[4]4 チャプター4 夜中に“野戦病院”へ移動  06:22
[5]5 チャプター5 「地獄病院」  09:39
[6]6 チャプター6 シラミを食べる  09:44
[7]7 チャプター7 戦車への突入を命じられる  07:59
[8]8 チャプター8 畳部屋で死を待つ  05:23
[9]9 チャプター9 果たせなかった自決(一)  05:45
[10]10 チャプター10 果たせなかった自決(二)  07:55
[11]11 チャプター11 日本のラジオ放送  04:07
[12]12 チャプター12 勾留、そして帰還  08:24

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
収録年月日収録年月日: 2011月11年21日

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Q:棚にビデオがたくさんありますね。

太平洋戦争全巻、開戦から終戦まで。

Q:フィリピンのもありますか?

フィリピンのがいちばん多いんじゃないの。フィリピン、レイテ。これは米軍の撮影班が撮ったやつを編集してんですよ。日本のはあっても全部機密だから、全部焼却しちゃったから、日本の記録ってのは残らない。全部、アメリカの記録、これは。すごいですよ。

Q:やっぱり、戦争のことを正しく知りたいっていう?

大体、アメリカが正しく報道しているよね。アメリカが。

Q:日本はそうではなかった?

必ずしもそうじゃないと思いますよ。いわゆる、何とかがあったね、いろんなあれがあって、正しいとかじゃなくて、正確な報道をしてないかもしんないですよ。敵を欺くために、誤った報道をどんどん流す場合もありますしね。どれが本当だか、我々、分かんないですよ。あとになって、あれはウソだろうとかなんだろうとか。だから、何か当時のものが残っていますかって言われますけど、残ってないですよ。全然残らないし、残せないですよ、第一ね。全部捨てましたよ。証拠になるものは。

Q:どこで、捨てたんですか?

フィリピンに捨てちゃったんですよ。ハガキ1枚も捨てちゃったんですよ、証拠になるものは全部。右から、軍隊手帳まで捨てたんですよ。

Q:それを捨てたのは、フィリピンのどこですか?

どこって、バギオ。所属部隊が分かるでしょ、まずいからね。自分は何者だか分からないように、全部。日本から来たハガキまで捨てたですよ、バギオで。ハガキには住所書いてあるでしょ。そういうとこから漏れる場合もあるしね。アメリカの諜報機関っていうのはすべての物まで調べるからね。死体から何まで。

Q:自分が何者か知らせてはいけなかったんですか?

何部隊がどこにいるっていうのは秘密ですから。だから、私は熊本師団って言ったでしょ。東京の人間ですよ。第1師団なんですよ。しかも、第1師団じゃない、近衛師団ですよ。皇居を守る部隊ですよ。戦地に行かないんですよ。分かるでしょ。それでも、戦地に。近衛師団が戦場に行くっていうことは異常ですよ、これね。だから私たちは近衛師団として、戦地に行かないから、門司港から出帆した輸送船の中で、東シナ海の上で、「お前たちは今日から近衛師団じゃないよ。熊本師団に編入だよ」。熊本には行かないけど、帳簿上は熊本師団の兵隊としてフィリピンに行ったんですよ。私は九州部隊なんですよ。そういういろんな秘密があるからややこしいんですよ。証拠になるのは何も残さないんだからないですよ、みんな。あるのは頭の中の記憶だけです。

Q:近衛にいて、急に戦地って言われたとき、どう思いましたか?

近衛師団っていうのは、戦地に行くべきものじゃないっていうのは常識だったんですよ。当然、戦地になんて考えてなかったですね。んでね、毎年4月29日っていうのが、今、緑の日ですか、昭和の日ですよね。昭和天皇の誕生日ですよ。この日に・・いま代々木のNHKがあるところ、練兵場だったんですよね。(代々木)練兵場。陸軍のね。今、NHKがありますけど、あそこでね、4月29日に陸軍大観兵式っていうのがあるんですよ。そのときに昭和天皇がきて、近衛師団の閲兵をするんですよ。ずーっとね。NHKのとこまでずーっとね。代々木公園まで。それで、それに出場したわけですよ。天皇陛下の前でね、分列行進やって。帝国陸軍部隊があそこに整列したわけですよ。昭和19年の4月29日ですよ。それが終わって5月に入ってすぐ出動命令ですよ。ね。出動命令って、軍隊っていうのは、必ず行き先言わないですから。えらい人は知っているけど、兵隊はどこ行くんだか分からないしね。とにかく出動命令。それで、全部軍装を整えて戦場に行く準備して、服装から。そんで、そのときにね、行き先はどこへいくんだろうって思うでしょう、だって。だけど、軍隊っていうのは行き先は絶対教えないですからね。徹底的に秘密主義ですからね。で、我々はある推測したわけですよ。配給されたものでね、あ、これは南だって分かったわけですよ。

Q:何でですか?

蚊帳が配られた。蚊帳って言ってもね、戦場に、ジャングルの中には蚊がいっぱいいるでしょ。だけど蚊帳つるわけにいかないでしょ。それでね、養蜂家がハチ避けるものあるでしょう。あれと同じのをかぶるんですよ。鉄カブトの上から。そんでジャングルの中に寝る。それで、蚊に刺されない。これが来たから南だと分かったんですよ。南方ですよね。南方だけどどこだか分かんないんですよね。着いてみなきゃ分かんない。でも、だいたい輸送船でね、台湾の高雄に寄って、そこで水の補給やなんかして、バシー海峡を越えて、南シナ海を南下したから、これはフィリピンだなって大体分かったわけですよ。南の方に南十字星見えるからね。星見ると、どっち進んでいるか分かるからね。やがて、左側にルソン島が見えてきたんですよ。当然ね、南シナ海を輸送船で行くと、ルソン島っていう島があるんですよ。それ、見えるんですよ。やっぱり、これ、フィリピンだって。着いたところがマニラです。そのときは戦争一応終わって平和なときですからね、無事、マニラまで着いたわけですよ。それが、昭和19年の5月末です。日付覚えてないですよ、全然、。そういう記憶を書き残すことができないでしょ。書き残しても何も残ってないですよ。最終的にはなくなっちゃっていますからね。全部、頭の中の。ここまでくるとね、忘却の彼方ですよ。思い出せば、大変ですよ。

Q:それを知ったとき、どう思いましたか?

どう思ったかというとね、近衛であろうとどこであろうと、軍隊に行ったら生きて帰ろうとは思わないですよ。軍隊ってのは、命を捧げるところ。当時の男はみんなそう思ったんじゃないですか。国に命を捧げるのは当然って思っていたからね。死っていうのは、全然怖いとは思わなかったからね。もう戦場、即、死の覚悟で行ったので怖いとか全然なかったからね。ただ、いつ死ぬか、それだけの話。

何のためって言ったら国のためですよ。当時、国の上層部がどう考えているか知らないけど、いろいろな情勢で出動命令が出て、比島だから嫌だって断るわけいかないでしょ。命令ですからね。断ったら大変ですよね。当然、軍法会議にかけられたり、色々んなことするんじゃないですか。

そもそも私の部隊は北部、いちばんルソン島の北にアパリっていうとこがあるのね。そこのカガヤン州の、いわゆるジャングルの中の道路構築をしたり陣地を構築したりするのが任務だったの。ということは、私は野戦工兵ですから工兵隊です。だから陣地作ったり、道路作ったり、橋作ったりするのが仕事ですよね。で私はいちばんルソン島の北にある、カガヤン州いう所に駐屯していました。

ジャングルを切り開いて道路を作っていたんですね。で、ジャングルの中にはね、マラリアの蚊、うんといるんですよね。で悪性のマラリアでね、やられましてね。そんで苦しいですね。あと、マラリアていうのは、ものすごい熱が出るんですよね。そんで私が運が良かったのはね、そこにはあの連隊本部があったんですね。ラロっていう所ですね。そこに連隊本部があったから軍医さんがいたんですよ。そんですぐ軍医さんのとこに連れてかれて診断したらね、こういうことがおきたんですよ。軍医っていうのは大尉だったんですよね。軍医大尉ですよ。それがね、お前の所属部隊はどこだって言うからね、こうこう言うたらね、中隊長、中隊長を呼んでこいって言うでね、ほんでびっくりしてね。

で軍医が、中隊長呼べって。で私に付き添って来た人が衛生兵ですよね。で、衛生兵が私の中隊んとこに飛んで行ってね、連隊長呼んで来たんですよ。そしたら連隊長、中隊長ってのは中尉ですよ、私の工兵隊の。ほんで軍医は大尉ですよ。だから軍医さんのほうが階級が上でしょう。軍隊っていうのは、やっぱ階級が上だと偉いですからね。で、中隊長がね軍医に怒鳴られたですね。「貴様、この患者をね、なぜこんななるまでほっといた」ってね。だから軍医は軍医なりの言い分があるんですよね。だから重症だったですよ、私は。ええ、即、入院。ほんでもう、そのまま私は原隊に帰らずにね、そのまま軍医がね、前は国道、国道ば5号線ていう道路が通っていてね、そこへ俺が付いて行くから、即入院。で、その軍医もちゃんと軍装整えてね、連隊本部の前にトラック止めてね。でそこに、トラックの上に乗せられて。そんでツゲガラオっていうとこがあるんですね、そこで野戦、兵站(へいたん)病院がある。そこへ入院。で軍医が私にずっと一緒に付き添って、兵站病院に入院したんです。そこで私は即、内地送還患者。もう日本へ帰れっていう命令なんですよね。もうフィリピンじゃだめっだって言うわけで。それで私は、内地送還患者としてこれから護送されるわけですよね。

「内地に帰るから支度しろ」ってんで、何名かがねトラックの上に乗せられて、そんで船はマニラから出るんじゃなくて、リンガエン湾から出るってことになった。ていうことはマニラはもう危険なんですね。もう実は米軍が接近してたんですね。で北の方にあるあのリンガエン湾に、北サンフェルナンドっていうとこがあるんですよね。そっから病院船が出るから、それに乗せて、私は内地に帰る予定だったんですね。

そんでまた移動命令が出てトラックに乗せられて、どうなってんですかね、途中で、リンガエン湾から病院船乗って帰る予定だったけど、途中で命令に変更が出たらしいもんね。要するに、もうアメリカ軍が接近していたんですよね。だからあの病院船はだめなのね。で気が付いてみたら、私は、ムニオスの兵站病院出たのが12月の23日、その日に病院船がリンガエン出発しちゃって日本帰っちゃたんですよ。だから途中で私は病院船乗る予定だったでしょう。それがもう出ちゃったからもう乗れないな。それが後になって分かった。その時点ではまだ病院船が日本に出航していたなんてこと知らないですからね。ほんで途中で行き先変更になって、バギオに行っちゃったんですよ。ね、病院船乗れないから。でバギオの第74兵站病院ってところに入院した。そんで入院したのがね、たしか1月のね、4日か5日だと思うんですよね。4日だったかな。そんで12月、ああ、1月だ。そんときはあのもう正月になってましたからね。1945年、昭和20年の1月6日。入院してすぐですよね、朝、夜が明けるころ、午前何時かな、5時ごろですかね、突然ね、地震かと思うくらいガガガガーとね、バギオが揺れたんですよね。ほいで、へって思たらね、まあ地震じゃやねえや、これは艦砲射撃だって。そんときにマッカーサーのね、アメリカの機動艦隊がリンガエン湾に集結して、

ボンボン海軍の軍艦から撃ったわけですよね。リンガエンに向かって。それがもうものすごいから、バギオが地震みたいに揺れたんですよね。

誰も教えてくれないけど悟ったわけですね。なるほど日本に帰れない訳はこれだとね。

そんである日、私74兵站病院に入院していて、天気もいいしね、あのバギオの74兵站病院ていうのは、元、昔フィリピン士官学校跡だったらしいですね。そこを日本軍が接収して病院にしたらしいんですよ。だからね、病棟の屋根にね、大きな赤十字のマークがついていてね。だからああ飛行機から見るとね、病院だってことが一目で分かるようになっているんですよ。でそこに大きな、いちばん平らなとこに病棟があって、私は小高い丘の、丘の上のとこに私の病棟があった。ほんで病棟から出てね、松の木の根元で、こがんして下の、その大病棟のね、あの看護師さんがよく出入りするのよね。ほんで私はあの看護婦さん見るのが楽しみやったんですよね。きれいなね、白い、あのとき白衣の天使って言っていましたよね。

私はそのとき21歳だからね、まだ若かったけんですな。やっぱり白衣の天使ってのは憧れですよね。女性ってのはね、魅力があったんですよね。ほんで日にちはよく覚えてないけど、そうやって看護婦さんがね、こういういろんな医療機械持って大病棟に出入りしているのを、こうやってちょっと小高い丘の上から見てたの。そしたらね、例によって爆撃ですよね。ところがね、その日はね、普段グラマンF25かな、グラマンていう飛行機がほとんどバギオの上通ってんだね。ところがねその日はね、カーチス(戦闘機)が飛んできたのね。カーチスっていう飛行機の機種ですよね。私は機種知っています。あの見てね、あれはカーチスだ、グラマンだ、まあいろいろ知っていたからね。あ、これカーチス珍しいなって思ったら、ダーっとこう急降下してね、で向かっている先があそこ大病棟なんですよね。もう攻撃態勢だから見ていて分かるですもんね。こら、ダーっと来たからね、横から私見ていたら、そしたら胴体の下に爆弾じゃなくってロケット弾ですね。爆弾ってのはね、落とせばいいですね。で、ボーンて行くでしょう。でロケット弾てのはそうじゃない、自分でピューっと発射してシューっと飛んで行くです。だから出た瞬間、白線がね、白いなんか蒸気みたいなのが出るんですね。ああ、あれは爆弾じゃないロケット弾だって直感的に分かった。でシュッと音がしたから、ああロケットだと思ったら、私の頭の上をそれがピューと来たからね、それを追ってた。そしたら今看護師さんが、今そこさ入った瞬間ですよ、大病棟ね、そこを直撃してバーンてきたから、とっさに私はこうやったんですよ。すぐ目の前。そんで頭の上ダダダダーって土砂がね落ちてきて、ああ助かったと思って気がついて病棟見たらもうないんですね。病棟はもうきれいになくなっているのね。全部吹っ飛んだじゃったの。そういうアメリカってのはね、病院まで爆撃するのかって思いましたね。あらあ事実ですよ、それは。私がこの目で見たんだからね。そうなったらね国際法違反ですよね。そうでしょう。赤十字のマークは攻撃してはいけないことになっているんですから、あれは。そのために屋根の上に大きな赤十字をつけてあるのに、そこへロケット弾発射したでしょ。そんで、すっ飛んだじゃったでしょ。エエッ、と思いましたよね。

そこでそんなことがあってある日、夜中。「非常起こし」がおきたね。非常起こしってね、病院に、「みんな起きろ」っていう命令ですよ。真夜中にね、寝ている患者を起こすっていうの異常ですよね。これは病院で。そして「起きられるものは集合」って。私考えましてね、起きられるものは集合って、実は起きたくなかったんですよね、私は。さてベッドの中に寝たままとぼけちゃおうかなと思ったんだけど、いやこうやって、夜中に、病院に非常起こしが起きるちゅうことは、こら異常だなって思ってね。こらこん位置からどいたほうがいいなって、ベッドから起き上がったんですよ。本当は寝ていたかったんですよ。でだけどね、どうせ夜中にね、こうやって集まれの号令がかかる以上、どっか移動ですよね。だけど歩く自信はなかったでしょ。ああそうすると、これ、山ん中歩かされると思ったからね、山に上がってね、すぐ木を切って来たですよ。で長い杖作ったんですよ。木の枝を、枝払ってね、こんな長い。でこうやってね、歩けるようにね。こんな杖じゃないですよ、長い杖でね。で、こう歩きながら、こうやって歩けるような杖を作ってね、集合したの。で真夜中。でだから集まった。どんぐらいいたですかね、100人位いたですかね。12時、時間なんて時計持ってないから分かんないけど、12時ごろだったと思いますよ。

で、バギオの町は、真っ暗でしょう。全然見えないんですよね。本当にもう闇夜ですよ。そんで指揮官に連れられて歩って、行列で歩って行ったんですけどね。なんたって入院患者でしょ、まともに歩けないしね、みんなね。で道路は爆撃で穴だらけでしょ。みんな転んだり滑ったりね、歩くの大変なんですね。で「歩けー、歩けー」の号令でね、だけどなかなか進まないんですよね。

そんでしばらくたったらね、足元がなんかおかしいんだよね。こう足元つまずくんですよね。そしたらね、一緒に行った患者たちがね、倒れて動けなくなって道端にバタバタこう倒れているんですよね。暗いから見えないから、それを踏んづけて歩ったわけですよね。でまだ死んでないでしょう、まだ生きているからね、で真っ暗だから避けようがないでしょう。ただ歩いていたらね、足踏んだり、手踏んだり、お腹踏んだりしているわけでしょう。でこっちもそれにつまずいて転ぶしね。だからね、そうやってバタバタ倒れた人間は絶対助けないですからね。

Q:なんで、まだ生きているって分かったんですか?

足元にすがって、そんで離さないの。こうやってね。ほうでこうギューッと。「離して下さい」言うとね、こうやっている人間はなんつった、「連れてってくれよ。連れてってよ」てね。もうそこにいたら、彼は死ぬの分かってるから。なんとか一緒に連れてってくれって、私に嘆願するわけですよ。

ものすごい力でね、あれ、ほどくの大変だったですよ。そういう状態に道端に倒れてる。それはヴィグウィッチ(バギオ北方の金鉱山跡)行く途中の話ですよ。ああ私もやがてこうなるんだ、と思うからね、ちゃんとね、ちゃんと杖まで用意したんですよね。だからあの杖がすごく役に立ったんですよ。こうやって歩いて行ったとですよ。

そこでも悲劇は起きるんです。みんなね、まともに歩けている兵隊いないでしょ、ふらふら歩ってるでしょ、そいで、狭い道を断崖絶壁でしょ、こういう。そんでね、真っすぐ、あの道路に沿ってこう歩きゃあ良いけどね、感覚がもう分からないわけよね。進行方向の左側は断崖でしょ、右が絶壁でしょ。だからね、なぜかね、みんな谷底の方に吸い寄られるね。あれなぜかね。ほいでね、そのままフーと吸い込まれて谷間の方に行っちゃうから、みんな落ちちゃうんですよ。落ちたらもう相当深いですからね、「アーッ」て言う声だけ聞こえてね、もう助けようがないね。もうそれもそのまま。ただそれはね悲鳴が聞こえるだけ。そんで私はこれはダメだとね、左寄れ左寄れって、心でね決めて。左ってことは断崖、壁があるでしょ。壁に手を当てて。壁に手を当てれば絶壁のほうに落ちる心配ないから。こうやって歩いたんですよ。何キロあったかね、そういうところばっかしですよ。そんで行きついたところに、いちばん低いところに、ヴィグウィッチっていう鉱山の跡があったの。そこが地獄病院なんですよ。そこへ連れられて、で「ここん中入れ」って。で戦闘指揮官の命令で1列に並んでこの洞窟の中にずーっと。真っ暗なとこ。先頭の人間はカンテラ持っているから見えるけど、後は真っ暗ですよね。ほんで、もう一本道だからね、別に。入って行って。で「止まれ」って号令が。で止まったところが、その自分のベッドで、寝室でベッドですよ、今言ったね。

これ入口です。これ外の様子です、地獄病院のね。看護婦さんがこの坑道・・坑道の中が病棟ですよね。金山ですからね。地下、何千メートルって掘ってある。これ入口ですよ。
ずーっと入って行くんですね。そこのところに患者が収容されてるわけです。

Q:松下さんもそこにいたんですか?

そこの一人です。患者の一人。この中、患者がここに寝ているんですよ。真っ暗ですよ。

Q:初めてヴィグウィッチの入り口に立ったとき、どういう気持ちでしたか?

あのー、中に入ったときに別に心に残るような感情はなかったですね。ああ、ここが俺の終着駅かなっと思った程度ですね。だけど後でね、それがどうなるかんて想像もつかんかったですよ、そのときは。ただ命令でね。74兵站病院のね、ちゃんとした病院からなん洞窟の中入れられただけでね。だけどね、これは、ただじゃすまないなってそういう予感、不吉な予感がしたですよ。で入ったらね、案の定真っ暗だしね、水滴はポタポタ落ちて来るしね、体中が自然にびしょ濡れになっちゃうしね。あー、だからこれは大変だと思いましたね。こんなとこに幾日もいたら死んじゃうなって思ったですよ。

Q:気温とか・・

気温はね、だけど体が濡れるでしょ、濡れるから暖かくはないですよ。体温奪われますよね。全身びしょ濡れですから、で、年中、ポタポタポタポタね。雨のようには降ってこないけど水滴がね、地下水が垂れるんですよね。それがみんな肩に落ちるでしょ。毛布かぶっているんだけど、もう濡れてきますよね。だから人間いくら暖かくても、濡れるとやっぱり熱奪われますよね。だからね、あのいちばん分かっているのはね、シラミ。シラミがいちばん敏感ですよね。温度が変わったでしょう。水っぽくなってくるしね。だからね、あのシラミが居心地悪いんでしょうね。あの、むずむず動き出すんですよ。だからね、あー、こりゃだめだと思ったね。ほんでもうたまにね、ガランコンガランコンってトロッコの車輪の音が聞こえてくるですね。ああ、トロッコの来た、みんな足引っ込めるわけだ。伸ばしとったら足轢(ひ)かれるからね。

Q:伸ばしていると轢かれるんですか?

だって狭いからね、伸ばしているとトロッコの(線路の)上、足が伸びるようになっとるでしょう。こうやって。うん、だからトロッコ来たら引っ込めないと轢かれちゃうですよ。真っ暗だからね。

Q:そんなに狭いんですか?

だって炭鉱の、炭鉱のあれですよ。そうでしょ、大きな穴あるでしょ、坑道ですね。そうすると真ん中に線路があるでしょ、鉱石を運ぶ。で片側は川。地下水が流れる川でしょう。で片側だけが人間が座れるだけの余裕があるのよ。寝る位置じゃなくて座るだけの余裕があるの。だから座るから、こうやってればいいけど、伸ばしたら線路の上に足が行っちゃうのよ。だから、みんな線路の上をトロッコの音が聞こえたら、足をヒューって自動的に引っ込めているわけですよね。轢かれるの分かってるから。

ここにいた人は全部死んだの。全部ね。どうして死んだか? ほっといても死んじゃうですね。真っ暗でしょ。飲む水はないでしょ。トイレはないでしょ。トイレなんかあるわけないでしょ。流れっぱなしよ。その流れている水を飲んで、みんな死んでったわけ。飲む水がないから。

天井から落ちて来るんですよ、地下水だから。ポトポトっていう状態で。こういう所落ちてくるでしょ、でこう口の中に落ちてくる確率ってすごく少ないでしょ。だけど流れてる水は絶対飲まないと私心の中で思ってましたからね。それはトイレの水だってこと知ってるから。真っ暗だけどね。もう状況見れば分かるからね。こがん水は絶対に飲んじゃだめだと思ってね。だけどね、人間真っ暗だとね、あの水の流れってのは、サラサラサラっとね流れてる音聞こえるんですよ。あれ清らかな水に思えるんですよ。これが錯覚なんですよね。だけど私は絶対に飲まないって。そんで上ばっかり見て。そして(水滴で)水分取ってたんですよ。

そのうちにね、カンテラが、電気じゃなくてカンテラの明かりがね、坑道のなかにポーっと向こうの方から明るくなってくるんですね。んで来たなってなったら、トロッコを押してるのは看護婦さんですよね。だからあの看護婦っていう我々のイメージはね、白い看護服着て、この赤十字のマークのついた帽子かぶって看護婦さんてね、イメージだったよ。ところが、あのヴィグウィッチの看護婦さんはね、男と同じ、みんな男の服着てるんですよ。

その人にね、トロッコを押してる人に・・そのときは男だか女だか知らけん、みんなね、「今何時ですか」とかね、「今日は幾日ですか」とかね、「外は天気がいいですか」とかね、当たり前のこと聞くわけですよ。でトロッコ押しながら、「今日は何日ですよ」って言う声聞いて、女っだていうこと初めて分かったんですよ。ああ、こら看護婦さんだって。でそのトロッコが何やるかていうとね、あの医薬品をね坑道の中に運ぶね。そんで遺体とね、遺体と手と足の切断した足とか手がね、トロッコの上に乗せられてね、外へ搬出されるんですよ。死体のね、毎日死んでますからね。

まさしく暗黒の地獄ですよ。そこで息をしているっていうだけ。水もなく食べる物もなく、真っ暗で何にも見ない。ただ音だけがね、色んな音だけが聞こえてくるだけ。そこで24時間だかなんだか知らないけど、幾日いたんだかもう記憶がないけど、ねえ頭おかしくなりますよ。

Q:隣の人と会話は?

まずあんまりしないです。誰も、まあ不思議と口きかないですね。何故か、みんな黙ってこうやっていましたよ。私自身もそうですもん。もうね、しゃべるとね、お腹すくんですよね。そうでしょう。食べてないのにね、そのエネルギー消耗したくないですよね。だからもうただじーっとしている。これが最善の方法だと思ったんですよ。お互いにしゃべらないですよ。たまたまね、「オイッ」てやったけどね。そのときは「俺まだ生きているよ」ってそんだけ聞いたのよ。後は全然、余計な話全然しないですよ。しゃべるってことは相当エネルギー使いますよ、これ。

あの中に入っている人間の唯一の楽しみがね、その瞬間なんですよ。看護師さんがね、カンテラを下げてトロッコを引いて、自分の目の前を通過した数秒。これが最高のね、一日がね、一日っていうか、その瞬間がなんかな、まるで観世音菩薩の姿見た気だよね。うん、心の慰め。その瞬間だけ。だから声かえるんですよ、みんな。今日は幾日ですかとかね、今何時ですかとか。黙っていられないですよ。ひと声、声かけてね。別に時間知ったって関係ないでしょ、別に時間知ったって。

これは異常だなあってね。だけどあの雰囲気はね、なんつったらいいのかな、とにかく死を覚悟でこう抜け出すっていうね、脱出ですよね、もうこれが最、もっとも私の心を決めた、決心ですよ。いやー、これは軍律違反ですよ、実はね。で、抜けたですよ。

だから、絶対に生きていかれないと私は個人的に思ったから、軍律違反を犯してまでも生き抜かなきゃならない。生きるためにはここを抜けなきゃいけないから、脱出計画を立てるわけですよ。1人でそこを抜けることですよ。明るい太陽の下で死んでやろうと思って。こんなとこで死んでたまるかって思ったわけですよ。そんで、隣の左側のやつにこう言ったんですよ。「おい、おい」って。そしたら返事しないですよ。そして、「おい」って言ったら、冷たくなってたの。もうそこで彼は死んでいたわけですよ。隣りの人が何部隊の誰だっていうのは全く分からないですよ。軍隊じゃないですから。そこは病院ですから。どこから来たかも分からないですよ。私は、右側の人間に・・そしたら右側の人間、「俺、まだ生きているよ」って言うんだよ。彼氏も考えているんだよ、いろんな事。「俺、まだ生きているよ」って。「ここにいたら、死んじゃうよ」って言ったら、「分かっている」って言う。「俺はここを抜けるからな」って、隣のやつに告げたんですよ。「もしよかったら俺の後について来い」って言ったら、真っ暗の中どっちに行ったらいいって分かんないでしょ。だけど線路を伝っていけば必ず出口はあるから、線路を伝って。真っ暗だから、下は水でビシャビシャですよね。そうやって、いつか出口に出るって思ったからね。そしたらね、やっぱり私の後ろにそいつがついて来るんですよ。やがて、前方がパーッと明るくなってきたんですよね。ここですよね、出口。「あ、太陽の光だ!」って思ったわけですよ。だけど、いきなり出たら撃たれるって。当然ですよね、軍隊はね。どうせ死ぬんだったら、こんな中で死ぬよりか、太陽の下で一発撃たれて死んだ方がいいからね。人間、死ぬときはやっぱり面白いですね。暗い所で死ぬより明るい所で死にたいと思うんですよ、あれね。あえて、死を覚悟で明るい所を目指したわけですよ。だけどね、人間、いきなり明るい所に出たら目がつぶれるって。何か目に障害が起きるらしいですよ。それは、なんとなく知っていたから、いきなり、出なかった。しばらく、目を慣らすためにね、出口のとこでね、じーっとね、こうやって目を開けないで、そうして慣らしていたのね。それで、段々目を開いて大丈夫だと思ったんだよね。ところがね、出口は、周りを見たら断崖絶壁ですよ。断崖絶壁なんですよね、ずーっと。こっちは川が流れているんですよ。川の方に出れば、歩哨が立っているからね、もうやられると思ったから、この断崖をよじ登ればね、歩哨はいないですからね。そんで表へ出たら灌木の根っこをね、患者だから足は弱い、だけど手はまだ力があったから、灌木の根っこを伝わって上がって行ったわけですよ。で、山の上に行って、太陽がサンサンとある中で、「助かった!」と思ったんですよ。

山の頂上にいて、太陽のサンサンと光るとこで、まずやったことは何だと思いますか? 裸になったことですよ。ね。それでね、濡れた下着を全部、草っぱらに広げて太陽の下で乾燥させたんですよ。だって、ビッショリですもん。気持ち悪いでしょ。そしたら、ウワッと広げたら何が起きたと思う? 今までね、どのくらいいたか数えたことない、おそらく何万までいたでしょうね、シラミ。シラミが卵を産んでね、ほんでね、ビロ-ドのようにね、真珠を小さくしたような卵なのよ。太陽の光でキラッキラッと光るんですよ。何か宝石みたい。それがシラミの卵ですよ。あ、このシラミは私の血を吸って育ったシラミなんだと。人の血を吸って育ったんじゃなくて、私の体で発生して私の血を吸って生きているこいつはね、俺の分身だと思ったんですよ。そのシラミをね、つぶすと真っ赤になるんですよ、血でね。つぶすと、「パチッ」っというんですよ。で、こうやったんです。ということは、私の血をまた戻したわけなんですよ。出血多量で吸われていますから。食べてなくて水も飲んでいないのに、シラミに血をとられているわけだから出血多量でしょう。おおげさに言うと。そのシラミの血をまた自分のとこに戻すということで、ひなたぼっこをしながらシラミを全部食べたんです。要するにタンパク質です。ね。生きている虫ですよね。だけど、私の血を吸っているから、つぶすと血だらけになるんですよ。こうやって舐めてね。とにかく、南方だからすぐ孵化するんですよね。とにかくね、それが日課でしたよ。それを食べていたからって、生きていたわけじゃないでしょうけどね。だけど、いくらかは栄養になったとは思いますよ。そういうことをやっていましたよ。

Q:初めて、太陽を見たときはどんな気持ちでしたか?

もうね、何と言うか生き返ったっていう感じ。真っ暗なとこでね、水滴が落ちるとこでしょ。で、異様なにおいがするでしょう、中は。そうでしょ。まさしく地獄でしょ。あんなとこにね、こんなことやってたら、人間何日生きていられますか。だから、私は脱出したんですよ。まあね、軍律違反ですよ。だけど、こうやって、生きているってことは、逃げているわけじゃないけど、うまくこう抜けたわけよね。そういうとこを抜けてきたわけで、今、生きているんですよ。そうじゃないと、途中でみな死んじゃっているわけですよ。

地獄病院ば脱出したでしょ。ね、そうすると行く先がないんですよね。要するに私は内地送還患者ですから、所属部隊関係ないんですよね。帰るとこは日本しかないんですよね。だけど地獄病院脱出したは良いけどね、帰る部隊ってのはないわけでしょう。結局、遊兵って、遊ぶ兵って書いて遊兵になっちゃう。ただの放浪者ですよ。ところがもうバギオには、その放浪者ってのがうんといたんですよね。いわゆる戦場で、原隊から離れた人間でね、捨てられた、要するに捨てられた兵隊が案外いるんですよ。

バギオでふらふらしてたら、遊兵狩りってのが行われたわけですね。当然、そういうふらふらしてる人間ね、放浪者ですよね。帰るところないの。それをまた集める部隊がいるの。軍隊ってのはそういうところがあるの。

地獄病院抜けて山の上、上がったって言ったでしょう。そこでシラミ取りとかしてたでしょう。そこであの捕まったていうかね、呼びとめられて、「おい俺たちついて来い」って。何人か集まって、でバギオ行ったんです。んでバギオに行ってから、その遊ばしておくわけにはいかないんで、さっき言った戦農隊。戦いながら農業する隊ですね。こら、特別に作ったんですよね。ていうことは、バギオには軍司令部があったわけですよね、あの山下大将の。だからそこに、あの、兵站監部っていうのがあって、そこが管理したあのサツマイモ畑があったんですね。それがトリニダットというそばに。そこに配属になったんですよ。そんで一個分隊、約12名がね、そのサツマイモ作りね、をさせられたんですよ。だから病院から脱出してきたけど、サツマイモ作りだから肉体的には楽ですね。そこにサツマイモがあるんだから食べられるんですよね。だからあそこで初めてね、サツマイモたらふく食べたですよ。で結局、お米なんて軍にはないから、カモテ、フィリピン語であれ「カモテ」言うんだけどね。それ、サツマイモをね、みんな兵隊食べたんですよね。みんな生き延びたんですよ。だから「カモテ会」っていう会があるくらいですからね。だからサツマイモがあったんで日本の兵隊は助かったていう、あれがあるんですね。

そんでそこであの、一言こう言ったですね。「臨時歩兵第11大隊に編入」って。で、その一言で覚えて。何の証拠もないんだよ。だからそれが正しいかどうかも分からないけどね。そんな部隊があるのかなって思ってね。だから今でも臨時歩兵第11大隊ていうことしか知らないですよ。だから隊長の顔も見たことないしね。で、バギオへ集まった、5、6人集まったんですね、あんとき。それが戦車特別攻撃隊になるんですよ。ね、どういう訳かて言うと、結局、役に立たない連中でしょ、みんなもう。戦闘要員じゃないから、みんな遊兵だったからね。これ生かしてくわけには、死んでもらわにゃ困るんですよ。

Q:何でですか?

ええ、負け戦っていうんはそういうものなんですよ。だって日本軍はね、こういう言葉聞いたことあるでしょ。戦陣訓ていう言葉聞いたことあるでしょ。あれはね非常に分かりやすく言うと、捕虜になったらね、不名誉でね、子々孫々にまでね、影響するってことが書いてあるんですよ、その戦陣訓には。だから敵の捕虜になったら死になさいよってことが書いてある。だから我々はそういうこと知っているから、捕虜になったらもうね、生きて帰ると思ってないから。それより潔く死のうって言うね、あれがあるから、結果的にはね病院に残った人も全員死んじゃったわけですよね。脱出した我々も時間的にはちょっとずれるけど、遊兵としたけど、結局は戦車特別攻撃隊の兵士にされて、それで飛び込んで死ねっていうことで。

Q:その戦車特攻隊に任命されたときはどんな気持ちでしたか?

ああ、これで最後だなっと思ったですよ。当然ですよね。まあ戦車特別攻撃隊ってのは、あのアメリカの優秀なM4戦車ってのが来たわけですよね、ナギリアン街道を上がってバギオに向かってね。それを途中で爆弾背負って飛び込んで阻止しろっていうのが、特別攻撃の任務ですから。だからそれぞれ爆弾を背負って、戦車の中に飛び込んで、そんでボーンてやるのが目的ですから。だから、それぞれ一人ひとり爆弾背負わされるわけですよ。そんで戦車来るの待っていたから、道路の端に穴掘って、そこに潜んでるわけですね。そんで上がって来る戦車を、寸前に穴から飛び出て、戦車のキャタピラの中へ飛び込むわけですよ。そうするとボーンといくから。それが戦法だよ。

ただ俺は、記憶にあるのは1班から5班まで編成されったてね。記憶に2人1組ってだけ覚えている。だから10人ですよ。だけどその10人がどうやって行ったかていうのは、見てないですね。出てったとこ。私はここにいるから、ここの姿しか見てないんですよね。ただ自分の来る番を待っていただけなの。自分の来る番は約午前5時ごろなんです。バギオが明るくなるころなのね、私の番は。だからその前から出撃しているわけですよね。

ただ自分が出撃する番を待つ、時間を待っていたら・・そんで午前、時計も持ってないから時間も分かんないですよ。ここ想像で言っていますからね、時間は。ただ東の空が明るくなっているから、大体5時ごろかなと想像しているだけにしかすぎないんですから。だから時間は分からない。だから私は最終出撃だから最後ですよね。明るくなったら米軍のね、目によく見えるでしょ。遠くから撃たれちゃうですよね、もう。だから暗いのを利用して接近するんですからね、戦車に。明るくなったら役に立たないんですよね。だからその明るくなる前に、それを完了しないとダメなんです。そういうふうになってたと思うんです。で私は最終回の第5番ね。で、私の番で出撃中止。

Q:2人1組だったら、じゃあもう1人いたわけですね。一緒に出動する人。

いるわけです。だからそれと話した覚えもないし、その後どこに行ったかも全く記憶にない。もう自分のことしか記憶ない。こりゃもう分からん。不思議な話ですな。もうどこの部隊の人間かも知らんしね。ちょっと前に会ったばかりですね、口きいたこともないし。どうもね、雰囲気もみんな死を覚悟しているもんだかね、無駄口ね、もうしゃべらないですよ。みんな黙っていましたよ、黙々としてやってたですよ。

Q:家族のこととか思い出すんで・・

そう、あれにも書いたけどね、書きましたよ。そのときにね走馬灯の様にね。まず「お父さんお母さん、さようなら」て言ったんですよ。心の中でね。ね、だけん今すぐ言わない。時間があるでしょ、暗い中で。だから考える時間はたっぷりあるんです。だから時間はたっぷりあるから、挨拶するためにね、まずお父さんお母さん。次に兄弟ね。私末っ子だから弟はいないよね、姉さんとお兄さん、さようなら。んで、まだ時間あるから、誰々君さようなら、誰々君さようならって。親友だよ、今度は。そんなこと頭ん中走馬灯がくるくるくるくる回っているだけですよ。そんで時間つぶしていたんですよ。そんで5時ごろいよいよ俺の番だなって。時計はなかったけど、いよいよ俺の番が来たなって思ったときに、なんかね、おかしいなって思ったら中止命令が出たですよ。

そんでね、結局4月23日に、日本軍バギオ撤退命令が出たんですよ。だからバギオから日本軍が撤退しているわけですよ。それもね、聞かされてないんですよ。だから私たちは何にも聞かされていないってことなんですよ。何も分からないで、ただ命令通りに動いていただけだから。気が付いたら日本軍はバギオからいなくなっていたってことなんですよ。だから出動命令が出たけど、中止命令が出たのも実は知らなかったのね。ということは私の分だけの爆弾がなかったってことでしょう。だから戦車爆破せよって命令は受けたけど、爆弾がないから出撃のしようがないわけでしょ。と同時に、そのときに微妙な時間で撤退命令が出ているんですよ。だから日本軍はバギオからプログ山の方にスーっと逃げて行ったわけ。

Q:命令中止の声を聞いたときどんな気持ちでしたか?

あんときはね、100パーセント死ぬつもりでいたでしょ。「へぇっ?」と、助かったという気持ちがあったのかな。複雑ですね。死にたかったんです、要するに。だって死んだ方が楽ですよ。生きているとね、苦しいですよ。食べ物はないし、飲む水はないし、薬はないし、マラリアってんでね、熱は出るしてね。ああ、こりゃ死んだ方が楽ですよ。だけど勝手に死ぬわけにはいかないからね。どうせ死ぬならね、敵さんと死んだ方が華々しいでしょうもん。それを望んでたですから、中止命令がでると、また行く先が無くなっちゃったでしょうよ。また放浪者ですよね。だって後で気がついたら、バギオに日本軍1人もいないんですから。

特別戦車隊から外されて、もうバギオには日本軍はいなくて、ひとりでさまよったんですね。そんであの、アメリカ軍が南から攻めてきているから、逃げるなら北にしかないから、北に向かって歩いたわけです。北に向かう道路は国道何号線だ、11号線かな。ボントック街道という街道ね。行き先はボントック(ルソン島北部山岳地帯)ですよね。そこには虎兵団(陸軍第19師団の通称)がいたわけですよね。そこを目指して1人で歩こうと思ったですよ。だけど実際は無理だったけどね。

で、バギオの北、約4キロ、5キロの地点にトリニダッドってとこがあるのね。ここはあの、日本人の移民者が開拓した部落でね。日本人部落だったのね。で、街道筋に、家があったからね。ああ、俺の死に場所はここでいいなと思って、そこの一軒入ったわけね。屋根のついた。そこで寝ようとしたわけですね。もうバギオを抜けたとき夜になっていましたからね。

Q:そのときはまだマラリア?

まだマラリアですよ。病人ですよ。治っていないですよ。だって、日本へ帰る予定だった、内地の病院に行くはずだったのに行けなくて、バギオに来ちゃったんですからね。

Q:そのときの体の状態はいかがでしたか?

もう骨皮筋衛門でね。おそらく裸になったらね、理科室の骸骨みたいなもんじゃないですか。なにせ食べてないですからね。だからもう北に向かって歩くつもりだったけど、バギオから4~5キロ行ったトリニダッドで、あぁもうこれ以上歩けないっていうんで、街道の横にある一軒家で、屋根がついてるから、ここでもう倒れちゃったんですよ。ところがそこに畳を敷いてある部屋があったんです。あ、畳が敷いてある部屋で死ねるのは日本人の本望だと思ってね。

畳が敷いてあったんです。あれは幸運だったですね。で、畳は3重敷きだったんですけどね、そこで、私はここで死のうと思って、もう歩けないですから。で、こうやって手を組んで、胸に手を当ててこうやって。畳の上で。で、手りゅう弾があったから、手りゅう弾を枕もとに置いて。いざというときにね、それで自爆しようとしてね、やってたわけ。で、こうやってるの。(胸の上で手を組む)

Q:いざというときって?

いざというときってね、自分の死っていうのを覚悟したときに、その爆弾で自爆しようとしたの。ということは、敵が来たときとかね。

Q:敵が来たら自爆しようと思っていたんですか?

思っていたよ。だから手りゅう弾を持っていたの、最後まで。

だからあの、敵がやがて来るでしょ。来るってことは分かっていたのよね。そのために私は北に向かって逃げていたんですからね。だから、後ろから敵が来るってことは分かっていたのね。一本道ですからね。他の道は通れないですからね。いやでもアメリカの戦車はね、そこを通るに決まっている。通ればね、必ず米軍に撃たれるか、捕虜になるかどっちかでしょ。どっちにしたって助からないよね。だからそういう判断だから、あの捕まる前に自分で始末しようとしたの。自分の命をね。だから手りゅう弾を持っていたわけ。

Q:なんで捕まる前に自分で死のうと思ったんですか?

捕まっちゃったらアメリカ軍に殺されるでしょ。だから言ったら不名誉な捕虜でしょ。それよりも、捕虜になる前に、自分で自分の命を始末すれば、捕虜にならないで死んだってことになるから、戦陣訓にはね触れないですよ。だから戦陣訓ってのはそれほど厳しかったんですよ、日本の兵隊にはね。これきついですよ。

Q:手りゅう弾をここに置いて寝たと。そして?

寝た。それが1945年の4月の29日。これ日本では天長節って言って、昭和天皇の誕生日ですよ。だから非常にめでたい日なんですよ。はっきり覚えていますよね。時間まで覚えている。午前11時30分、11時半ころですね、3畳の畳の部屋で寝ていた。そこへアメリカ軍が入ってきたんですよ。戦車隊が私のね、寝ている家の前は国道でしょ。そこへアメリカ軍のM4、私が戦車特別攻撃隊で飛び込むね、戦車がね、大きなアメリカ軍のM4の戦車がそこへ止まったわけですよ。止まったんだけど、そのときには知らないでしょ。後から見て、あっ、こいつが俺が狙った戦車だと思ったわけですよ。それが、先頭の戦車が私の家の、寝ている前で止まったんですよ。で、その後には海兵隊がついているでしょ。それが私の寝ている部屋へ入ってきたわけです。

着剣で刺す音が聞こえてくるんですよね。着剣して壁、ヘイ。中に隠れているね、あの、天井裏に隠れているって思ったんでしょ。そういう音が聞こえているわけですよ。

Q:どんな音?

プスプスって刺す音。それの音が聞こえるのよ。で、私が入っていた3畳間にも来ると思っていたの。で、当然扉があるからね、3畳間にはね。私がこうやって寝ているわけでしょ。そしたら、アメリカ兵がドアを蹴ったんですよね。バーンと。開いたわけでしょ。そしたら私が寝ているわけですよね。死を覚悟して。ところがね、そのときにね、手りゅう弾はここにあるわけですよね。だから本来なら、そのとき手りゅう弾を使うべきでしょ。ところがもうね、そのときには手りゅう弾を握る力がなかったの。正直言うと。

それほど衰弱していたんですよ。でアメリカ兵が部屋に入ってきてね、ビャーっと入ってきたときに、着剣してね、もう3~4人ね、ドアのところにいましたよ。そんでこう言っていましたよ。英語でね。分かんないけど。「ゲットアップ」(起きろ)、「ゲットアウト」(外に出ろ)って言ったってね。「出ろ」って意味でしょう。で、「出ろ」ったってね、私は普通の兵隊じゃない、ね、こうやってた。あ、こいつは病人だって分かったんですね。アメリカ兵も。だからアメリカ兵は病人だと分かったら今度は病人扱いしますからね。もう戦闘能力がないと思ったから、もう兵隊じゃなくてね、患者だと思って。

私はもう死んだような感じだから。やめたの、撃ち方をね。で、「ゲットアウトヒアー」って。表に出ろって。だけどもう。で、アメリカ兵がね、私を介抱してね。表に出て。で、表に出る前に何をさせられたかというと、武装解除ですよね。そこで武装解除。武装解除っていうのはね、いわゆる全部裸にさせられたの。何も持っていませんよって。ほんで裸にさせられて、全部脱げって。全部脱いで、靴も脱いでね。ほんであのころパンツはいてなくてね、越中フンドシっていってね。フンドシ一丁ですよね。それだけ。真っ裸にさせられたの。で、着ているものは全部捨てられて。だからね、持ち物なんて何もないですよ。そんで表に出たら、M4戦車が国道にずーっと並んでいるんだ。で、あ、これがアメリカの戦車だって。俺はこれをやるつもりでね、編成されたんだって思ったんですよね、そのときに。これはダメだと思ったね。それで、M4戦車ってね、アメリカ兵の最新の戦車ですよ。でかくてね、これで裸にさせられた骨皮筋衛門のね、とにかくやせ細った兵隊が、表に出されて、国道に出されて、戦車の大きなキャタピラの前に座らされてね。「座れ」って。

もう戦車に轢(ひ)き殺されると思った。当時日本軍はアメリカのね、アメリカ軍は戦車で轢き殺すっていう宣伝をしていたんですよ。日本軍はね。だからこれで戦車で轢き殺されるなってそのとき思ったんですよ。だって戦車のキャタピラの前にベッタリ背中付けて座ったんだもん。キャタピラが、こんなでっかいキャタピラがあるんだもん。で、エンジンちょっとかければぺっちゃんこですよ。そういう状態だったの。で真っ裸でしょ。猿みたいにね。こんなんなってね。そしたら将校が来て、私の方に、将校が懐の中からこうやってね、出したものが短刀ですよ。短刀っていうのはアメリカが持ってないんですよ。ジャックナイフは持っているんだけどね。侍が持っているような短刀は、日本軍の将校が持っているんですよ。だからこれ将校から取ったなと思ったの。で、これ抜いたわけですよね。そしたら要するに短刀ですよね。明らかに日本刀ですよ。アメリカの武器じゃないですよ。日本の将校からぶん捕ったな、思ったです、見た瞬間ね。そして抜いて、キャタピラの前に座っている私の胸元にね、ここまで突いてきて、持ってきたの。あぁ、これで刺すなと思ったの。で、私このときなんて言ったと思う? 生意気にも、「OK、カモン」ってね。「やれ」って言ったの。「OK、カモン」って言ったの。で、だけど、これ殺したら軍律違反。アメリカが軍律違反。ジュネーブ協定でそう定められている。捕虜は殺してはならないと。だけど、そのとき私知らないでしょ、そんな軍律があるとか。後で分かったんだけどね。だから、殺すふりしたけど実際殺さなかったってことは、将校だからそれくらいのこと知っているんですよね。脅かしですよ。ね。だけど私は殺されると思ったんですよね。実際あったことだからね。だけど刺さないでしょ。ここまで刃を持ってきたけどね。

それでジープに乗せられて、今度はバギオに向かってね、アメリカの司令部に連れていかれる途中でしょ。ところがね、今のボントック街道っていうのはね、アメリカの戦車が止まるとね、もう往復できないぐらい狭いんですよね、だから戦車が止まるとね、ジープもやっとなんですよね。だから私が乗っていたジープは路肩をね、ガタガタしながら、戦車が道路を占領していますからね。思うように走れないのね。

戦車が並んでいるのは、1キロくらいあったんですかね。それを抜けるっていうのはね、ほっとしたですよ。あぁ助かったと。そしたらね、なんかね、はぁっとね、気分がね、くるりと変わったんですよ。なにかと言うとね、今度は匂いだ、匂い。戦車の隊列が終わって、あぁ、よかったと思った瞬間に、今度はね、コ―ヒーの匂いがプーンときたんですよね。「えっ?」って思ったら、右側にアメリカの歩兵部隊が来ているんですよね。そこでね、ちょうど、さっき11時半って言ったでしょ、もう飯の支度をしてたですよね。道路っぷちで。それでコーヒーを沸かしていたんだ。その匂いが私の鼻の中に入ってきたんだ。戦場とコーヒーの匂いね、ちょっとね、アンバランスでしょ。だけどあのときに体験したんだけどね、あのコーヒーの匂いっていうのは、人間の心を和らげますね。あんだけ戦車隊にいじめられたのにね、あの瞬間にコーヒーの匂いを嗅いだらね、なんかウゥーって心が変わっちゃったですね。アメリカは・・これじゃ戦争に勝てないって思ったですよ。うん、そのときにね。日本は飲む水がないのにね、アメリカはコーヒー飲んでいるんですよ、温かいの。それで、「あぁ、だめだ、戦争は」。でジープに乗せられてバギオのね、ケソン高地ってとこに行ったんですよ。そこにもうアメリカ軍の第一線司令部あったんですね。そこで、捕虜として今度は尋問を受けろと。尋問ですよ。

まず「あなたの生年月日は?」ってね、文字通りにね。「大正14年、1923年の1月2日、松下政市、生まれは東京都」って、はっきり言ったの。最後に「所属部隊は?」って聞かれたわけ。もう部隊名は絶対に言わないですからね。これは軍隊に入ったら。自分の所属部隊はね、殺されても言わないから。だから将校が「あなたの所属部隊は?」ったら、私は黙って。で、これ時間をしばらくおいてから、「あなたの所属部隊は?」って。黙って。

これは軍、軍は、自分の所属部隊は死んでも言うなっていうのが、軍事機密なんですよ。

Q:何で言ってはいけないんですか?

所属部隊を言ったらね、軍の動き方が全部分かっちゃうんですよ。参謀本部のね。それがアメリカのCIAじゃないけどね、軍の、アメリカの情報部はね、もうすごいね、それで戦争を導いてね、勝ち目を探っているわけよ。だからあらゆる情報を集めているんですよ。いろんな情報をね、アメリカ軍は。アメリカの情報っていうのはすごいですよ。だから私はね、軍の経験に基づいて、所属部隊を絶対に言わなかった。で、3度目も黙る。「はい、分かりました」、そしたらアメリカ将校は、「じゃあ、今度は私の方から言うから、イエスかノーかで答えろ」って言うの。イエスかノーかで答えろって言うわけ。それで「OK」して。「私の方から申します。あなたの所属部隊は、旭兵団臨時歩兵第11大隊ですね」ってはっきり言ったの。すごいでしょ。だからノーとは言えないでしょう。本当なんだからね。このとき、私は正直に「イエス」と言った。そしたら、「そうでしょう」。アメリカは百も承知なんですよ。こういうところがすごいんですよ。本当の話ですよ。大事なとこなんです。なんで分かっているんだろう、アメリカは。私は証拠になるもの全部抹消していますからね。軍隊手帳から何から全部捨てていますからね。だから私の身分を証明するものは何も、日本からきた手紙も捨てたんですからね。もうどうせ死ぬからね。身分を証明するものを持っているとね、米軍の手に渡ったらまずいから、全部処理しているんですよ。だから知るはずがないのにね。

Q:不思議ですね。

だから今でもね、私のね、臨時歩兵部隊。それも新しく作った部隊でしょう。バギオで。内地から作ってった部隊じゃないですから。あれはバギオで特別に作った、特別、だから臨時なんだからね。それをもう知っているんですよ、アメリカが。これは、こんなやつと戦争したら勝てると思わなかったね。またそこで、改めてアメリカすごいなと思った。で、「これで私の尋問は終わります」って、2世からね。で、「休んでください」って、将校は引き揚げたの。そしたら、「お食事にしましょう」って言ってきたわけですよ。素晴らしい料理を持ってきたの。

Q:何だったんですか?

これアメリカ軍が食べるレーションですよ。携帯口糧。アメリカ軍の戦場で食べる食事ですよ。これちゃんとパックされたものをね、くれたんですよ。これくらいのね、ボール箱に入ってね。食べろって言うの。このくらいのね、どうやって食べていいか分かんないんだよね。こうやって見てたらね、そのときはサージェント、伍長か軍曹が持ってきたんだよね。で私がこうやって見てたら、貸してみろってね、その軍曹がね、グッてフタ開けてね、出してね、説明してくれたんですよ。“ジス イズ シガレット”。タバコが3本入ってる。ラッキーストライクがね。コーヒー、チーズ、ビスケット、ね、コンビーフ、いろんなものが出てくるんですよね。で内容は見れば分かりますからね、英語で言われたって分かりますからね。食べろって言うから、食べたらおいしいんですよ。でタバコがね、3本入っているんですよ。日本軍はもうタバコなかったですからね。吸いたかったんですよ。おいしかったですよ。

だから三つ星ホテル泊まったようなもんですよね。とにかくごちそうが出たんですからね、私から見たら。そうでしょうよ、だってコーヒーだチーズだってね。コンビーフやらね、でタバコまで出るんだからね。考えられないでしょ、日本軍の兵隊にしてみると。アメリカはすごいなと思ってね。で、しばらく時間経ったら将校がまた来たわけ。2世を連れてね、「おいしかったですか?」って。「イエス」って。「はい」って言ったの。そしたらね、軍曹が「この人にもう一つあげなさい」って。また特配もらったの。同じやつをね。ところが1杯じゃもう足りないよね。で、2杯目いっぺんに食べたんですよ。ありがたいなって。それで食後の休憩してた。そうしたらね、またここで不思議なことが起きた。

いきなりこう出たの、「JOAK」「JOAK」ね。「こちらは東京放送であります」ね。え? JOAKって言ったらNHK、AKだから東京だってね。私はAKが東京で、BKが大阪って知っていましたからね。AKって言ったらね、これは東京、内幸町から来たんだってね。なぜNHKがあんなところで流れるのかと。アメリカがやっぱ細かいですね。私のために聞かせたんですよ。何がそのあと起きたと思います? アメリカ軍がね、そのときにNHKの第一放送のね、あのときテレビなかったですからね、放送ですよね。放送をキャッチしてたですね、バギオで。それをね、私がそこにいるからダイヤル上げてね、拡声器でね、大きな音を上げたんですよね。今まで静かで何も聞こえなかったのに、いきなりJOAKが入ってきて、ハッと思ったんですよ。「あっ、東京放送だ」と思ってね。そしたら何が起こったというとね、当時NHKには、『前線に送る夕べ』っていう番組があったのね。で戦場にね、東海林太郎(歌手)とか霧島 昇(同じく歌手)の歌を音ね、戦場にね、NHKが送っていたのね。それをキャッチしていたのね。それを私に聞かせたの。それでね、またね、番組もうまくできているんだよね。それで、ただ今から霧島 昇のね、『誰が故郷を思わざる』をやるって。そうしたらあの、『誰が故郷を思わざる』がね、バギオの山の中に流れたんですよ。霧島 昇の歌が流れたでしょ。それだから私しゃね、誰が故郷を思わざるって、いやでも故郷を思い出しますよね。歌に刺激されて。それでね、それを聞いていて涙がポロポロね。俺は捕虜になって生きちゃったけどね、どうせ生きて帰れないけどね、だけどこれは最後まで聞く音楽かなってね。最後までアメリカ軍がね、NHKの放送まで聞かせてくれんだからと思ってね、涙が出てね。不思議な心境ですね。いやアメリカってね、すごいですよね、あれ。本当にあった話ですよ。だからこんなこと経験した人って、ちょっといないんじゃないかな。『誰が故郷を思わざる』をね、アメリカのね、通信隊から聞いた人って誰もいないと思いますよ。これ事実です。

Q:その歌詞の印象的だったところは?

「♪花摘む野辺に日は落ちて~」っていう歌詞ですよ。あのころ兵隊さんはね、あの歌を歌って故郷を思い出していたんですよね。よく口ずさんでいたんです。それがたまたまそこにね、捕虜になった場所に流れてきたでしょ。これは複雑ですよね、私の気持ちは。死ぬつもりでいたのがね、なんかノスタルジックな気持ちになっちゃってね。生きていいんだか死んでいいんだか分かんなくなっちゃってね。で、結局最後はね、ここで処刑されると思ったんですよね。だからここで、俺はようやくここで死ぬんだなって。アメリカはうまいもん食わせておいてね、あとはポカーンと、一発で撃ち殺すと思ってたんですよ。そしたら夕方になったらね。トラックが来たんですよ。で、そこに乗せられて、で、バギオからずーっと乗せられて、で、捕虜収容所に行ったんです。

収容所っていうのはリンガエン湾っていう、アメリカ軍が上陸した地点にね、ヤシの林があって、その中に小さな収容所があってね、そこに何人か入れられていたんですよね、捕虜が。だから既に何人か入っていたんです。そこに一晩置かれて。で素っ裸でしょ。着ているもんないですから。フンドシ一丁なんですよ。で寝るところって言ったってね、もう私が寝るベッドがないんですよ。で、夜寝るところがないから、そこは海岸だから砂浜でしょ。だからね、砂掘ってね、ヤシの木の下で砂掘って、砂は柔らかいから掘るとね、私が入る分だけ簡単に掘れる。そこにね、寝て。砂風呂があるでしょ、あれと同じように砂を寄せて、で一晩そこで寝たんですよ。だから布団はいらない。砂をね、熱帯で暖まるから夜は暖かいんですよ、砂が。だから寒くないですよ。そういう記憶がありますよ。そこで一晩過ごしたら、明くる日になってまたトラックに乗って、そんでトラックに乗せられて着いた所が、南サンフェルナンドっていう、こんな大きな収容所があってね、そこに何千っていう捕虜がいましたよ。そこで初めて着る物もらったの。アメリカ軍のお古ですよね。それでこんな長いズボンでね、袖もこんな長い袖でね。体格のいいアメリカ人が着てるやつだからね。だからみんな折ってね、チャップリンみたいな格好でね、いましたよ。ところがね、こっから私の悲劇が始まるんだけどね。何千っていう捕虜がいるにも関わらず、ある日また私呼び出されて、ジープに乗せられて、入った所が、マニラにあるオールドビリビット刑務所ですよ。そこに入れられたの。そこで私は捕虜じゃなくて、戦犯容疑のレッテルを貼られたんですよ。それで、そのモンテンルパじゃなくて、マニラのオールドビリビット刑務所を、一晩いただけで、またトラックに乗せられて、着いたところが、『あぁモンテンルパの夜は更けて』って歌にもある、そこニュービリビット刑務所に収容されたの。で、鉄格子のなかにガチャーンと入れられた。で、私は戦犯容疑。悪いことした覚えがないのに、なぜか戦犯容疑者。だからそこでまた悩みましたよ。なんで俺、戦犯容疑なのかって。悪いことした覚えないのに。だからアメリカ軍は私を普通の人間じゃないと思ったんでしょ。

Q:いざ日本に帰ってきたとき、どんな気持ちで日本の土を踏みましたか?

あの、帰ってくるときはね、マニラからアメリカのLSTっていう上陸用舟艇で帰ってきたんですよ。日本の船じゃなくて。アメリカの上陸用舟艇を使って。で、船の中でアメリカ軍の服ね、全部脱がされて、今度は日本軍の着てた服に着替えさせられたんですよ。それでマニラから名古屋港に上陸したんだけど。ノンストップで、南シナ海からバシー海峡通って、で沖縄の八重山群島のそば通って。で、日本列島に沿って伊勢湾に入って。それで名古屋のね、名古屋港じゃなくて今考えてみると、あそこは三菱重工の工場の跡だったんだよね。大きなね、工場があったんですよね。だけど爆撃されて屋根がないんですよ、そこはね。で、名古屋に三菱の大きな工場があるらしいんだよね。そこへ入って上陸したの。ほんで、初めて日本の土を踏んだんだけど。とにかくマニラを出たときは熱帯地方だから暖かかったでしょ。で名古屋に着いたら雪が降っているんですよね。震えあがっちゃってね、寒くて。そういう覚えがあります。

Q:捕虜となってしまった身で帰ることについて、怖くなかったですか?

あ、もう死を覚悟してたけど、時間がたつにつれて、最終的には、あ、生きていてよかったなっていう気持ちになるように変わったわけですよ、あ、死んじゃダメだって。いろいろとアメリカ軍は日本を占領するでしょ。いろんなことが起きたけどもね。俺は生きて、生きてね、また日本のために頑張ろうっていう気持ちに変わってきたですね。

Q:恥ずかしいって気持ちはなかったですか?

なかったです。日本に帰ってきて、そんな気持ちを持ったことはないです。そりゃ捕虜になった当時は死を覚悟して、時間とともに日本はアメリカ軍に占領されて、いろんな民主主義が入ってきて、自由主義だなんだかんだってそういうのを見てね、生きていて良かったって思いましたよ。でね、面白いのはね、名古屋に上陸したらね、こんな現象があったんですよ。船から降りて上陸したら、机が二つ並んでいるんですよね。そこの前を通るんですよね。一人一人。で先のテーブルはね、アメリカの銀行でしょ。アメリカバンク。その机の隣は日本銀行なんですよ。だから銀行が二つ並んでいるんですよ。なんだろうと思ったらね、上陸した人間が一人一人テーブルの前に止まって、アメリカからドルもらうんですよ。くれるんですよ。何ドルもらったか、それは記憶ないですよ。とにかくドルもらって。そしたら隣の日本銀行でしょ、そこですぐ日本銀行の円に交換させられちゃったの。だからドルの紙幣をもらったのは1秒かそこらね、瞬間に、すぐに円に換わっているわけですよ。それが日本で通用していた新円ってね、戦後にできた円ですよ。だからね、もうレートがガターンと落ちちゃってね。あの360円の時代だからね。円の価値は全くない時代だからね。そんなのもらったって何の役にも立たないしね。それがそこで、名古屋の上陸地点で。

だから今まで死のうと思った人間がね、生きてよかったって思うようになったってことですよ。だから本来なら、私はここにいないんですよね。それがこうやって、今こうやってね、生きてこういうことをお話するようになったっていうのはね、やっぱり何て言うのかな、生かされた感じだね。お前は生き残って、こういうことをね、後世に伝えろよっていうね、神様のおぼしめしだと思っているんですよ。これはね。誰の力でもなくてね。だってね、何回死にそこなったかってね。九死に一生って言葉がありますけどね、まさしくあれですよね。何回も死にそこなったけどね、私生き残るんですよね。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~】

出来事の背景 写真太平洋戦争終盤の昭和19年秋、日本軍はアメリカ軍に対し、フィリピン・レイテ島で起死回生の戦いを挑み、大敗北を喫しました。その後、戦いの舞台はルソン島に移り、日本本土を目指して攻勢を強めるアメリカ軍とそれを押しとどめようとする日本軍との激しい攻防が続きました。
その戦いで、主力の一翼を担ったのが陸軍第23師団です。兵士たちは、本土決戦までの時間を稼ぐため、戦力が続く限り、アメリカ軍を島に足止めさせることを求められました。しかし、圧倒的な兵力を持つアメリカ軍を前に、23師団は苦戦を強いられます。兵士たちは死を覚悟して、戦車への突入攻撃を繰り返していきました。

この時、すでに日本軍は、制空権・制海権を奪われ、ルソン島への補給は途絶えていました。しかも、太平洋の島々で激戦を繰り返してきたため、島に蓄えられていた物資の多くを使い果たしていました。
こうした中で、兵士たちに下されていた命令があります。「自活自戦・永久抗戦」。食料も物資も自ら調達し、永久に戦い続けろというものでした。兵士たちは、農家の作物や家畜を無断で持ち去る事実上の略奪などで食料を得ましたが、圧倒的に量が足らず、飢えや病で次々と倒れていきました。

昭和20年4月、日本軍は司令部のあるバギオを放棄。その2か月後、アメリカ軍はルソン島作戦の終了を宣言します。飢えや病にさらされながら山岳地帯に逃げ込んだ兵士たちがアメリカ軍に投降したのは、終戦から1か月後のことでした。
補給のないまま戦い続けることを命じられた陸軍第23師団。補充された将兵を含む3万人のうち生きて日本に帰ることができたのは、5千人だけでした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1923年
東京・世田谷区に生まれる
1944年
召集兵として近衛工兵第1連隊に入隊
1944年
フィリピン・ルソン島へ
 
マラリアで野戦病院に入院
1945年
陸軍第23師団臨時歩兵第11大隊に編入
 
捕虜となり、フィリピンの刑務所に勾留
1946年
復員
 
戦後は住宅管理会社などに勤務。退職後はバギオの奨学金活動を行う

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