ホーム » 証言 » 今村 高政さん

証言証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る証言一覧

タイトルタイトル: 「亡き戦友の指を持ち帰る」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
名前名前: 今村 高政さん(第23師団 戦地戦地: フィリピン(ルソン島、リンガエン湾、バギオ、プログ山)  収録年月日収録年月日: 2011年12月3日

チャプター

[1]1 チャプター1 沈んだ輸送船  15:04
[2]2 チャプター2 初めての戦闘  06:04
[3]3 チャプター3 敵中突破  06:36
[4]4 チャプター4 突入攻撃  07:54
[5]5 チャプター5 戦友の指を持ち帰る  10:56

チャプター

1
2
3
4
5
番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~
収録年月日収録年月日: 2011年12月3日

証言をご覧になる前にお読みください。

再生テキスト再生テキスト

Q:今村さんが乗った船を初めて見たとき、どう思いましたか?

まあー、船は太かった、太かった。もうびっくりした。航空機輸送に使いよった、そん船は。で、それば、3段に仕切ってあった。1段目仕切って頭見え、2段目、3段に仕切って、3段目に乗っとったですたい、私は。

Q:その大きな船でフィリピンまで渡ることについては、どう思っていましたか?

「あー、もうこぎゃん太か船なら」て言うて。ところが、五島(長崎県五島列島)沖で、簡単に沈んだですけんな、あら。あん大きか船が魚雷の2発くって。もう何したか、もうまさに、ようやく3段目におって・・

Q:あのですね、そのとき、魚雷が当たったとき、何をしていたんですか?

昼飯食って、初年兵は飯ごう洗い。わしゃ何も、もう長ごうなって寝らないかんと思って。押し合って、救命胴衣、救命袋ば前後ろ着けとるもんな、大体。それば枕にしてですな、救命胴衣ば枕にして寝たばかりですたい。飯ごうで飯だったもんだけん、飯ごう洗いに行くて言うてから、こっちはもう寝とったですたい。そしたら、もうパラーって来て、あがん太か船が、ゆらーっとしたですけん。そして、なんかワーワー、もう大振りですたいな。また救命胴衣のほうば何して、船のいちばん右に乗っとったですもんな。だけん、で、トイレの側から震えて帰りよらん。帰りよらんから、トイレのそばに飛びついて、そして、船の横なんばな、ずーっともう歩いてまではいかんばってん、滑ったごとしてドボーッと海の中に沈んだですたい。

Q:沈むまで、トイレでは、しがみついていたのは今村さんだけでしたか?

人んこつ(人のことは)なんの分からんですたいな。とにかく、ずっと飛び越えるから、船と一緒に沈むとですたい、人間が。船の渦に巻き込まれるか何かして、あーっと沈む。

もう息苦しゅうしてたまらんもんだけん、ごくっとして思わず水を飲んだら、塩辛かことがなあ。海の水は塩辛かていう話ば聞いとったが、ほんまなこと、こら塩からたい、て思ったりして。かあーっともがいとったら、目が明こうなって。こうなったけんと思うたら、バーッと浮き上がって、わーっと息をして。したら服にもいっぱいなに置いとったけんな。しておったら、そこから船がこやして(こうなって)、行きよんなら、船縁に、船のこやなっとったとこに、この手でですたい、握ったところがもう、びるびるしよんですな、ここが。すっと滑ってやな、流れていくとがいた。自分もがな。そこから綱降ろしてから引き上げよったもん。ばってん、流れていくし。 したら、大隊長がもう流れよらすとたい。でもう「大隊長ば1人乗せい」ち言う。他の者ば何にして、下がらせて、そして行きよったところが、内火艇て言うてから、こまか(小さい)船のずっと何してきて、寄ってきてからですな、その船に上げたりして。5~6人。引き上げた。

Q:そのぬるぬる滑っていたというのは何ですか? 救助船の?

あー、救助船のあれだ。こうして、ここに。救助船がぎゃん(このように)しとって、というのが、こっから引き上げよんのがいた。引き上げるもんだけん、引き上げよる方さかーして、どうでえこうでえ戦んなんしたばってんな、もう海の水も流れよるですけん、流しよってして、ペロッと手が滑って何した。大隊長がなんさん乗っとらす筏(いかだ)ですたいな。それだけん大隊長ば真ん中に乗せ、他の者ば皆こう5~6人なして、そして、そん海軍のなんが、その船しゃんですな、海防艦に連れちって。

Q:なぜ大隊長が筏の上に乗っていたんですか?

大隊長は筏の上にまだ乗っとらっさらんだった。だけん、大隊長ば1人乗せてから、他の者ばこうなんした。

Q:自分が助かるよりも大隊長が先ですか?

あーもう、大隊長は、大隊長なら(部下を)千何百人持っとるとですけんな、大隊長だけん。そうにゃ、わしゃ近うなっとったもんな、大体が。大隊長とが近くしよったて、「今村、今村」言うてから。そういうことです。

Q:大隊長を見つけたときに、まず何を思ったんですか?

あー、もう大隊長を何して、こら助けないかんて、一生懸命思たもんだけん。大隊長を1人筏に乗せて、他の者は、ぐるり皆下がれて言うてからなんして。

Q:自分も筏の上に乗りたかったんじゃないですか?

そがんことは思わんな。もう、そら乗りたいて言う者は、そがんもんじゃなかですな。階級がいっちょ違うなら、もう、わしが何してたけん。そして、海防艦に寄せてなんしたけん、上からロープば下ろして、いちばんに大隊長ば上げたですたいな。

Q:大隊長がいちばんですか?

はい、あれが上へ、海防艦の上。そしてから俺たちもなんした(乗った)です。で、皆裸になって。

Q:筏に大隊長を乗せたとき、周りの人は乗ろうとしませんでしたか?

せんですな、誰も。皆、筏のぐるり下がっですたい。そして、大隊長1人ば、乗せて座らせて。

Q:なぜ大隊長だけなんですか?

なぜというか、大隊長は位が違うでしょ。大隊長は中佐だったけん。だけん、その大隊長ばなんして上げてから、海軍が2人乗っとったもん、それに。そのポンポン船にゃ。そしてからがもう、すぐ「救助やめーっ」て。上げたなら、上げてからすぐ「救助やめーっ」て。

Q:そのとき、誰が何と言ったんですか?

「救助やめー」ってことは、海軍ですけんな、海軍の誰かが言うとるですたい。

Q:なんで?

救助やめな、敵の潜水艦が・・潜水艦から発射すっとだけんな、潜水艦がなんしたら危ないということで。

Q:そのとき、全ての人が助かったんですか?

全ての人は助からん。そん船にゃ、どすこだろうか知らん、50~60人しか助からんかっただろうな。その船にゃ。「救助やめーっ」って言うたときも、「助けてくれ、助けてくれ」ってわめきよったもんな。

「救助やめー」て言うたときは、もうそのまま救助せんでな、「助けてくれ」て言うて、かわいそかたい。「助けてくれ」って。もうそのときは私どもは船の上、あがっとったけんな。船ん中さ皆入れて。

Q:まだ(兵隊が)海にいる中、去って行ったんですね。

はい、そん船がやられるけん。

Q:まだ海に残っている人たちのことを見ましたか? まだ海に残っている人たちはどんな表情をしていましたか?

あー、表情やなんのは分からず、「助けてくれ」ていう声は聞いたですたいな。そんときは、真っ裸になっとったけな。ぎゃんして。

Q:その声を聞きながら去るとき、どんな気持ちですか?

はぁ、もうかわいそうだったな。しょうがなか、その船がやられるけんな、今度は。魚雷から。だけん・・

Q:実際ルソンで初めて米軍と会ったときのこと覚えていますか?

覚えてますな。米軍は、約、距離で200~300メートルでしたな。その距離からリンガエンで上陸した敵ば撃ったですけな。

Q:どんな場所で、どういうふうな戦いだったのですか?

川があってな、川がこう流れてくっですな。川の向かいから敵が来たっですな。こっちはそん川の左岸におっとですな。道路には橋はなかったです。そんときは。ただもう水の流れよっとこば、どんどんどんどん渡って行くと、浅かったですもんな。浅かったけん。そこ向こうに敵がこっちだけを見て。ところが川よりも100メートルくらい東の方に、その川の道路から、おっとですよ。そこから機関銃で射撃。

Q:最初見たときどんな気分でしたか?

あー、米兵もですな、苦労してですな、汗で皮膚が濡れて黒なっとっとですな。そして、さっと出てきたかと思えば、眼鏡(双眼鏡)でこっちば見よっとですたいな。ところが、道路が通ってる、道路沿いだけしか見らんとですたい。道路の100メートルくらい離れたところに今度は機関銃ば据えとったですけんな。そこから射撃したです。

Q:射撃して当たったんですか?

あ、当たったですよ。そんときが、もう敵がサッと退いたですたいな。退いたが川に流れるとも(流れる人も)おったりしてな。

Q:自分で撃ったんですか?

はい、もうわしはそんときは、分隊長だったですけんな。自分で撃ったですたい。

Q:なんで分隊長が撃ったんですか? なんで部下じゃなくて自分が撃ったんですか?

自分が撃ったっていうか、そりゃ、ほんとに自分が撃ったですたいな。

Q:部下に撃たせるのではなくて、まず自分でお手本見せたのですか?

いやー、もう自分で撃ちたかったですな、やっぱ。敵となんしとっときは。

当たったらもうバターッていう、なんかもう重か音ですな。ボタッていう音が返ってくっですよ。撃ちよったけ。してもうピッと返えっですな。パッとひっくり返って。

Q:それを見たときどんな気分でしたか?

そんときは、どんな気分も何もなかですよ。一生懸命やっぱなっとっとですけんな。

Q:一生懸命てどんな感情なんでしょう?

一生懸命なっと、もう命懸けというか、そうなっ(なります)ですけんな。そんときが天野(同じ機関銃中隊の第2分隊長)が左におったですもんな。川の流れた川下になして。道路よりも左の方に。ところが、私がもうこらいかんと思ったですたいな。離れとったならこら、なんていうか、その危ないって思っとったですな。敵がすぐ迫撃砲で撃ち返したですけんな。

Q:普通、戦いのときって、分隊長の役割はどんなものなんですか?

分隊長は、絶えず、その機関銃ば持って行かなんとですな。

Q:実際に敵と会ったとき、分隊長はどういう役割なんですか?

そらもう、撃てなら撃てという号令を下さないかんですな。「よし、今撃て」ってちいうとをですな。

そのときは、1月の十何日くらいだったですな。

Q:そのとき、どんな状況に置かれていたんですか?

敵は道路ばなんしよった。こっちは歩いて川越しに歩いて、ただ道のなかとこば行くとですな。

Q:敵中突破をする前、今村さんの分隊と敵の陣地はどんな位置関係だったんですか?

それが分からんとですたい。敵がどこにおるかも。いちばん最下級の分隊長は分からんですな、どういう関係だったか。ただ、大隊長がおってな、川をいっぺん渡ったもん。川ばいっぺん渡ってなんしたらもう敵がおってですな、敵が道路におったですもん。道路に砲を据えたりしてから。

Q:そこをどうしたんですか?

そこをまた川をいっぺん渡って、上がって、ヤシ林のところに着いたら、こらいかんと思ってそこば引き返したですたい。引き返して、敵のおる前付近ば敵中突破なら、歩いていたんですな、機関銃肩へ担いで。

Q:敵の前を歩いて行ったんですか?

敵は道路におったですけんな。こっちは川を隔てて、川の下がりの方におったですけな。だけん、そこを皆行くとですけん。私たちは第2大隊だったけんな。

Q:敵は見えてるんですか?

いや、敵は見えんね、そこ行くときは。そして、敵が自動車に乗って通るとは分かるですたいな。道路から。道路は、竹林の中に、みなそのときはずっと最後(最後尾)だったですけな。そして、そのときは天野君はおらんとですけん。最後の方なんば・・

Q:国道にいる敵と川を挟んでそんなすぐそばを歩いて行ったんですね。どんな気分ですか?

やっぱしもう、良うはなかったですな。気持ちは、やっぱ。機関銃持っとったばかりで、担いどらないけんですな、馬はもうおらんもんだけん。

Q:音にも敏感になったんじゃないですか?

敏感に。何しても、敵の正面ば行くとはな。敵に見つからんごつかいかんですけ。

Q:敵に見つからないためには何に気を付けて歩いていたんですか?

昼は動かないことですたい。昼はずっと。昼の間はもう竹林の中で、みなずっと寝てるとですたい。そして、夜暗くなってから動き出すとですたい。

Q:敵には見つからなかったんですか?

はい、見つからんです。

Q:1回も攻撃は受けなかったんですか?

はい、敵とは、次の陣地に行くまでは。

Q:無事突破できた?

はい、無事機関銃据えるとこまで、また山に登ったですな。ところが、そこで、わしの分隊がわし1人になったもんな。

Q:戦車が来たのは、どこの辺ですか?

戦車が来たとは山道、もうバギオの方さ行く道だったけな。そぎゃんとこさん行く。もうわしどんはそう、一兵じゃあ分からんですよ、どこよろここよろ(どこやらここやら)。

恐いですな、戦車はもう。

Q:なぜ恐いんですか?

戦車は、弾撃ったちゃ何のことはなか、当たらんけですな、もう。当たったちゃ何にならん。で、そっからこう戦車からバーって撃つけんな。

Q:戦車が攻撃するところを見たことはありますか?

はあ、戦車から。わしが機関銃を持っとった機関銃にも、戦車の鉄甲弾が抜かっとったけん、こがんして。

Q:どんな攻撃のしかたなんですか?

戦車はもうほう、こうちゃんと中からのぞいて、自動で撃つけんな。だけ、見た目はもう、戦車から見たなら、機関銃はもうじーっと引っ込んどるよりほかなか。引っ込んどる、壕に。壕の中引っ込んどる。

Q:戦車との戦いでいちばん難しいのは、何が難しいですか?

戦車とはもう何も難しかって言うか、戦車はもう自分で、やっぱ爆薬でん何でんもろっとって、それば、戦車ば目がけて飛び込んで行ったけんな。

Q:今村さんが飛び込んだんですか?

いえいえ。わしは、機関銃はそがんこつせん。もう一般小銃隊は、そん練習しよった。飛び込みよったけん。そうすっと戦車は見事に返りよったけんな。グデーッとして。そして戦車兵は、飛び行ってそれば捕まえる。

Q:どうやって飛び込むんですか?

もう爆薬とば抱えち、抱えたまま行ったんな、戦車ん中にバーンて飛び込む。戦車に来よって。

Q:その兵士はどうなるんですか?

兵士は、もうバーっと散って。哀ればい。機関銃はそういう特攻だるは(ごときことは)、せんばってん、小銃(隊)は命令なら這(は)ってガガッて戦車が来よるなら、それを道路の横に隠れとって、バーッと飛び込む。そうすっとバーッと戦車が、あがん太か戦車が爆薬とで、くるり戦車が返って。火の海。

Q:その日本兵は助かるんですか?

まー、あのどこ行ったやら分からなんごつなってしまう。いやー日本兵はもう、あん訓練がもう、相当ありよった。戦車に飛び込む。

もう戦車なら、来るところにおるならもう、飛び込めば必ず成功する。

Q:必ず?

はい。必ず成功する。もう兵隊1人は必ず散って行く。恐ろしかな、戦争って。

Q:今村さんがその目で見た、特攻の状況をもう一度教えてください。どんな状況を見たんですか?

大体抱えとっとば、見たですな。はい。抱えとっとば。そいで、こげん手つけとって、ダーンと投げっとですな、戦車に目がけて。そしたらあん太か戦車が、ビャーっと返るですたい。

Q:投げた兵士はどうなったんですか?

まあー影も形もなかごつして散っていくですたい。そっで戦車から今度は逃げだすとがおるですたいな。戦車から逃げ出す、アメリカ兵が。戦車から逃げ出すやつば捕まっちから。

Q:戦車がひっくり返る様子を見てどう感じましたか?

あらーまあ、ほんなこって、逃げたっちから。逃げてから他の者がこうして捕まえるですたいな、アメリカ兵ば。

Q:その攻撃が成功したのを見てどんな気分でしたか?

はーまあ、もう戦場のことはもう、とにかくああいうむごたらしかことはなかですよ。

Q:何がむごたらしいんですか?

はあ、もう人間として、人間として扱わんですけんな。人間として扱わん。

Q:戦友が死んだんですか?

はい、戦友の骨ば持ってきたですたい。

Q:その戦友の方、どんな戦いでどのように亡くなったか教えてください。

ただ、機関銃をですな、撃ってだいぶ弾ば撃ってしよったが、今度はその大将(人)がやられたわけたい。2人。そこで。そすと弾ば運ぶ役目がおったですけん、その弾をかつぐ2人もまた。1人はここを後ろから。1人はここばやられとる。2人。死にゃせんだった。

Q:亡くなった戦友はどのようにして亡くなったんですか?

機関銃を向こうが撃ってから。それが3~4発命中したですな。機関銃を何しとったけん。だけ、2人死んだです。

Q:死んだ後、どうしたんですか?

死んだけん、もう、しょうなかけん(しょうがないので)、タコツボという1人いる壕があんの。そん壕に引き込んで。鉄カブトばかりは捨てんにゃいかんけ、鉄カブトの紐(ひも)ば切ってから、小刀持っとったけ、わしは。指を1本、人差し指を1本切って大事にして、その2人、右と左と分からんごつならんようにして骨を持ってきたりしてな。

Q:その指はどうしたんですか? その戦友の指はどうしたんですか?

焼いてな。焼いて真っ黒なるまでな、焼いて焼いて、変わらんごつ、3人ともな。

燃やすと、この指が骨、小いっとなるですもんな。

Q:その骨をどうするんですか?

その骨はただもう、最初は何でん(何でも)、紙でん何でん巻いて、ここへ入れるですたいな。右、左。でもう、こっちこっちて。4人、4人なに入れち(入れて)から。4名じゃない、3名分。3人しか持って来られなかったです。

Q:3人しか持って帰られなかった。

はい。

Q:本当はもっと持って帰りたかったんですか?

はい、持って帰りたかったな。

Q:なぜ人差し指を切ったんですか?

人を指すときはこうするでしょうが、人を指さすときは。だけんとにかく指を一本切って、物入れに入れてきたですたい。

Q:最後まで持っていたんですか?

はい、最後まで。

Q:日本に持って帰ったんですか?

はい、日本に持って帰って届けたですけえ。1人は阿蘇の大将だけん、歩いて行って。

Q:届けたとき、遺族の方はどんな顔をしていましたか?

遺族はですな、そら、「まあ、良かった」て言うしか。あなたに何してもろうたけん、こんな骨が返って来たって。八代の東陽村の人も持って行ったですけんな。

Q:どうして指を持って帰ろうと思ったんですか?

骨を持って帰ろうて思うたとはですな、やっぱりそら・・一生懸命なってなんしとったけんな、指一本でもいいけんと思うしな。持って帰ってきたですたい、家まで。こんだ(この度は)わしたちは捕虜生活せなんけんな(しなければならない)、捕らわれの身で。なんせあんとき、これはなんていうこつかなんかなんして「みな、持ち物は全部出せ」て言うてから出したもんな。そして、きれいに巻いて大事に持っていた遺骨も前に出した。そしたら、米兵がずっと持ち物ば検査して、ぎゃんして(このようにして)見よった。なんさん(とにかく)「これは何か」と尋ねとるらしいですな。だけん「遺骨」て言うと、米兵は不動の姿勢ば取ってパーッと敬礼したとですな。感心した。それば見て。「OK、よろしい」て言うちから、「はい、よろしい」て言うて、またなして。そして、ずーっと持っとったですたい、一年どしこ。帰るまで。そして、帰ってきてから、ここに来て、阿蘇にまず行ったですな。そして、八代の東陽村に持って行ったですたい。

Q:遺族の方は何て言っていましたか?

遺族の方は、「あー良かった」って。「あなたのおかげで骨が帰ってきた」って言うちからな、たいぎゃ(とても)なんしたって。「この辺にきたとは、石ころいっちょ(1個)とか、板に『何々の霊』って書いて、カタカタいうそれだけだった」って。こんな遺骨が帰ってきたって。だけんね、喜ばした(喜ばれた)。して、ずうっと年忌年忌には、何年っていう年忌にはもう2人連れ、うちのばあさんと2人連れ、お参りに行って。50年忌もさせたけん、それまでは行って拝んできた。

Q:その骨をどんな思いで遺族に持って行きましたか?

ああやっぱもう、遺族も喜ばしたですたいな。「ああ、あんたがお陰で、うちのは帰って来た」って言うちからな。

ああもう、ああ良かった。ああもうちっと(もう少し)余計持ってくれば良かったって。もう少しな、こう持ってくれば良かったって。

Q:今、その戦友に、もし会えたらどんなことを話したいですか?

ああ、今のなんば話したかな。こげん世の中になったって。やっぱ、ぎゃん(このように)良か世の中になったって。わしゃなんばい、そら取ってもらおう(骨を取ってきたい)なんて思ってんが、そらでけんでさ。

出来事の背景出来事の背景

【フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 ~陸軍第23師団~】

出来事の背景 写真太平洋戦争終盤の昭和19年秋、日本軍はアメリカ軍に対し、フィリピン・レイテ島で起死回生の戦いを挑み、大敗北を喫しました。その後、戦いの舞台はルソン島に移り、日本本土を目指して攻勢を強めるアメリカ軍とそれを押しとどめようとする日本軍との激しい攻防が続きました。
その戦いで、主力の一翼を担ったのが陸軍第23師団です。兵士たちは、本土決戦までの時間を稼ぐため、戦力が続く限り、アメリカ軍を島に足止めさせることを求められました。しかし、圧倒的な兵力を持つアメリカ軍を前に、23師団は苦戦を強いられます。兵士たちは死を覚悟して、戦車への突入攻撃を繰り返していきました。

この時、すでに日本軍は、制空権・制海権を奪われ、ルソン島への補給は途絶えていました。しかも、太平洋の島々で激戦を繰り返してきたため、島に蓄えられていた物資の多くを使い果たしていました。
こうした中で、兵士たちに下されていた命令があります。「自活自戦・永久抗戦」。食料も物資も自ら調達し、永久に戦い続けろというものでした。兵士たちは、農家の作物や家畜を無断で持ち去る事実上の略奪などで食料を得ましたが、圧倒的に量が足らず、飢えや病で次々と倒れていきました。

昭和20年4月、日本軍は司令部のあるバギオを放棄。その2か月後、アメリカ軍はルソン島作戦の終了を宣言します。飢えや病にさらされながら山岳地帯に逃げ込んだ兵士たちがアメリカ軍に投降したのは、終戦から1か月後のことでした。
補給のないまま戦い続けることを命じられた陸軍第23師団。補充された将兵を含む3万人のうち生きて日本に帰ることができたのは、5千人だけでした。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1923年
熊本県御岳村(現・山都町)に生まれる
1942年
現役兵として旧満州の23師団・歩兵64連隊に入隊
1944年
フィリピン・ルソン島へ
1945年
64連隊の機関銃中隊分隊長として米軍と戦う
 
ルソン島プログ山で終戦
1946年
復員
 
その後は農業を営む

関連する地図関連する地図

フィリピン(ルソン島、リンガエン湾、バギオ、プログ山)

地図から検索

この証言に関連したキーワードこの証言に関連したキーワード

NHKサイトを離れます