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タイトル 「おどろきの米軍の機械力」 番組名 [証言記録 兵士たちの戦争] フィリピン最後の攻防 極限の持久戦 ~岡山県・歩兵第10連隊~
氏名 横山 泰和さん(岡山・歩兵第10連隊 戦地 フィリピン(ルソン島)  収録年月日 2007年7月21日

チャプター

[1] チャプター1 米軍について何もわからなかった  04:20
[2] チャプター2 バレテ峠に布陣する  07:11
[3] チャプター3 ブルドーザーで進撃路を切り開く米軍  07:03
[4] チャプター4 米兵向けの宣伝ビラをつくる  03:06

再生テキスト

わたしの場合は、参謀部の中の情報班というところがあるんですよ。

ほんで、そんで各師団から、適任者を選んでロシア語を勉強さして。そして、ハルビンのロシア語学校を出ますと、白系露人の部落があるわけです。そこで会話を練習さす。それが、全部帰ってきまして、そして、参謀部情報班というのを作ってるわけですから。あくまでソ連に対するものですね。


Q:じゃあ、情報を集めて分析してと、いうそういう役目なんですね?

 うん。ですけども、ほとんどロシア、ソ連に対する情報ですね。

戦争の準備は、もう京城か全部ソ連に出すもんですから。米軍と戦闘するなんてことは、最初からまったく考えに入ってないんです。


Q:ああ、第10師団は満州にいたから?

 その第10師団は。だから、全般的にある程度、戦闘しますけども。だけども、戦争の準備は、ずうっと一貫して、ソ連だったわけですよ。


全然ないです。ほんで、現地、敵が上がったですよね。ニューギニアをやって、それからゲリラでたくさんあったの。最初、日本軍はマリアナ沖海戦で負けた米軍が、退避したぐらいに思ってだったんですね。


Q:横山さんはルソン島で戦うときに、米軍のその情報を集めるのは苦労したんですか?

 そのほうはもう全然わからないです。


Q:それは14方面軍から教えてもらえないんですか?

 いや、14方面軍ちゅうのは実際もうないですね、あまり。だから、米軍の装備とかあるいは戦法とか。そういう、それから師団ならば、何師団でどこの出身とかそういうのは何もないですね。要するに、何もわからん男がボカンと行ったわけです。

だから、なんですね、方面軍自身も情報がなかったんやないですか。何ひとつこないですもの、方面軍から。

何にもないです。大体、高雄からバシー海峡越えて、フィリピンで。だいいち、師団の陣地が決まってないっちゅうのは、もうびっくり仰天ですよ。チイーですよね。

参謀長から聞いたんですけども、(方面軍から来た)アサヒナ参謀がうちの参謀長に、「このプンカンを陣地せよと言ってるけれども、やれるか?」と聞いたんですね。

うちの参謀長は、「とんでもない」と。

プンカンというのは、丘陵地帯で木もなければ何もない所なんで。

重爆撃ではもう、いっぺんですよ。





「じゃあどうすればいいか?」と、アサヒナ参謀は聞いたので、うちの参謀長は、北のほうのバレテ峠を見て、「あそこならば半年ぐらい持つでしょう」と。

まず、持続することはできるが、プンカンではもう何もないんですから。

じゃあ、アサヒナ参謀が言うには、「じゃあ、わかった。わたしから方面軍のほうに言っとくから。

わたしの責任で、一応プンカンから、バレテに変えてよろしい」とこう言ったわけですよ。





で、バレテ陣地に行く途中で、重爆撃を受けたのはわたしと参謀長と同じ濠だったんですよ。

ほんでもう、グラマンがF6幾つですね、ガランが岸へ、バリバリっとやる。もう、隠れる所もないんですよ。

そんなら、参謀長はそれにも書いてありますように、早くバレテへ、バレテに変えないとダメだ、と。

いうので、もうすぐ、またトラックで、夜になるのを待って、バレテへ行って、山へ入ったわけですよ。




だから、さっきの突撃指導の参謀が、そう言っただけで、まあ、命令違反にはなりませんよね。

参謀が「いい」って言ってんですから。

しかも、アサヒナ参謀というのは大本営の作戦参謀で、南方に来ておったのは、アメリカの戦法を教育しに派遣されておったんですよ、南方の方面へ。

ところが、敵が来るもんだから、もう行けなくなっちゃって、それでマニラに残ったわけですよ、残留したわけです。

それにギリンギリン、14方面軍の、あの参謀をさずかっておったにすぎないんです。

ですから、それ最後まで、うちの参謀長と、それから第14方面軍は、想定が合わなかったですね。


Q:どうして、14方面軍は簡単に納得しなかったんでしょう?

 地図を見て、20万分の1ですよ、航空写真ですよ、20万分の1ちゅうったら航空隊が使う地図ですよ。

それのあれが、あれなって、敵がバレテから、航空地図で入るにはバレテしかないと。

バレテを守るにはその前のプンカンしかないと。





14方面軍は結局、地形を実際に見てない、地図上のあれですね。

で、うちの参謀長、アサヒナ参謀は実際に見てますから。

だから、とてもプンカンは、前進基地はあってもツイニ基地ではないと、いう考えて。

だから、この今度の場合は、助けそうな話ではないわけです。

方面軍自体はその前進陣地を主陣地にせよと言うんですから、そらもう話にならないです。


Q:でも、どうして、そこまでちゃんとした指揮が、とれなかったんでしょうねえ?

 それは、自分は方面軍も移動中ですよね。うちの師団も移動中です。

だからまあ、メッチャクチャです、その点は。

移動中の問題ですから、ちゃんと司令部あって、「こうだ、こうだ」っちゅうんじゃないんですよ。

そんで、アサヒナ参謀はそのままあと、内地へ帰ったわけですよ。

だからアサヒナ参謀の決定したその決定を10師団が守ったわけです。





ほんで、最後の最後まで第14方面軍は、第10師団のバレテ峠、主陣地ちゅうのは、まあ、快諾しなかったですね。

それで、結局方面軍は、前陣地と本陣地を、必ず全部を陣地せよと。

本陣地すえなさいと、そういうことだったように思います。

あの、敵はね、あの(バレテ峠を通る)旧スペイン道なんかは、上りも99折り、下りも99で。だから、米軍は自動車が基地ですから、もう駄目ですね。だから、国道の5号線のバレテ峠の情勢を作ったわけですよ。もう、だからやっぱり、今から思うと、敵は国道、5号国道沿いを中心に、攻撃をしてきたんだと思いますね。


Q:横山さん、ここに書いてあったんですけれども、「国道5号線で敵がやってくるかと思ったら、山の稜線に米軍が  道を作りながら来たのでびっくりした」って書いてあったんですが?

 うん、それはね、そこに書いてありますように、バテジリ峠っちゅうのはご存じのように、日本軍にカブトヤマっていうのがあるんですが、そこの所までは丘陵地帯ですよ。そこから、急に山になってるんですね。で、自動車道路を作ってるんですけど。だからあの、その丘陵線の尾根から尾根へ作っていくわけですよ。ほんで、山岳戦というのは兵力の移動が根本ですよね。

だからあの、やって駄目でこっちへ来て駄目で、こっち来て駄目で、こっち来て結局ですね、兵力の移動の道路を重点ですね。


Q:横山さん、敵が道のない所に道を造ってきたのを見たときは、どんな気持ち?

 びっくりしましたね。その機械力に、びっくりしたです。もう、戦争以前の問題ですね。

だから、こう来る中で、こっちから来てたのをパッとこっちへだんだんこっちへ移していくという、その道を造ってるんですよ。国道がここ通ってるんですね。だから、敵がこう来てこう入った。だから、どこからどこ行ったのかも、ほんというとわかってたかどうかで。結局、兵力の移動は、右、左は、自動車道路で簡単に来るんですね。日本軍はもう、自動車どころの話じゃない。


Q:そういう、予想といいますか、敵はブルドーザー持っていて、道のない所に道を作りながら、やってくるみたいな
ことは事前に予想はしていました?

 しなかったですね。そんだけの機械力があると思わなかったですね。

びっくりしたですよ。あれをご覧なさいと、叫んだ思いしますよ。大声で。「あれをご覧」なんて。「カズさん、なんですかね?」ちって、こんな状態だった。そうすると、なだらかな丘陵地帯の尾根から尾根へ、移動道路をちゃあっとついてるわけ。それで、A点、B点、C点は、ダメならここ、ここダメならこっち、ちゅうふうに簡単に行けるわけ。日本軍は、そんなことはできやしない。で、もう穴、掘ってはもう、もう、守ったら、そこが墓場ですよね、移動できない。機動も何もない、そんな状態ですで。


Q:横山さんが敵がブルドーザーを尾根から尾根にやってくるところを、仲間と見てたんですか? 10師団の仲間たちと見てたんですか?

 いや、わたしはね、ロクシシのほうへ、11連隊で、の所へ行ったとき、ちょうど、スズカ峠という峠の上から敵のプンカンのほうを見たんですよ。そのときに初めて見ました。びっくりしよったですよ。ずうっと続いてるんでしょ。「あれなんですかねえ?」ちって。自動車道路っち。山岳戦の要諦(てい)は兵力の移動でしょ。(米軍には)解決ですよ。結局、半年かかったんですけども、米軍に指揮命令は定石どおりですね。ここはね、こっち。ここはこっち、ここはこっちへこうと、兵力移動はできるんですよ。だから、カブトヤマとか、われわれのおった所は、道がないですから、壕道以外は。だから、それはできないですよね。


Q:でも、敵がそういう戦力をもってやってくるということは、情報班には?

 いやあ、わからん。何にもね、ケスクセですよ。空軍力はないでしょ、海軍力はないでしょ、全然ダメですよ。

Q:横山さんは情報班として、敵の宣伝文も作られましたよね? 「アメリカ兵に告ぐ」みたいな?

 うんまあ、そんなことよりも、負け戦であっても、やることをやらねばならんという、責任感ですね。

というのが、あんまり、まあ、米軍の死体からとったのは、まあ、下宿屋が高いとか、ガソリンが配給とか、アメリカも大変だっちゅうこと、わかるんです。そういうですね、だから、アメリカ、ルーズベルトが死んだ、まああのう、心筋梗塞でルーズベルトが亡くなったのにもう戦争する必要がないんじゃないかと、いうことぐらいしか、もう書くタネがないんですね。それで塹壕の中で文章を書いて、それを英語で訳し、そして、毎朝命令所より来ますね、それを渡したんです。


Q:あと、横山さんは情報班ですから、どこの部隊がどれぐらい死んだとか、どの部隊がどれぐらいしか残っていない  とか、そういう情報も集まりますよね?

 もう戦闘する中隊は、一個中隊まるまる亡くなる場合も多いんですよ。何にもないんですもん、それで兵隊の名簿もなければ、論功行賞もないし。だから、負け戦っちゅうものは、あらゆるものがないですね。


Q:情報を集める中で、ここの部隊も破れここの部隊も破れっていう情報がどんどん集まってくるのを、どんな気持で  聞いてらっしゃったんですか?

 もう、もうなんです、われわれ活字広報はもう、働いた、命令を遵守するしかないですね。それが無駄なものであっても、もうやむをえないです。

出来事の背景

【フィリピン最後の攻防 極限の持久戦 ~岡山県・歩兵第10連隊~】

出来事の背景 写真昭和20年(1945年)1月、米軍は空母12隻を含む大艦隊で現れ、フィリピン・ルソン島に上陸。首都マニラと、日本軍司令部の置かれた北部に向けて進行してきた。

日本軍はこの地で、敵の日本本土への進行を遅らせるための持久戦を強いられた。その兵士の数は八個師団を主力とする、およそ30万人。補給も援軍も望めない状況におかれ、「自活自戦永久抗戦」という方針で戦い抜くよう命じられた。

10連隊は、ルソン島中部にあったバレテ峠に陣地を築いた。バレテ峠は、島の北部に抜ける、幹線道路が通っているため、敵の北上を食い止めるには、死守しなければならない要衝だったのだ。
制空権を握っていた米軍は上空から日本軍のざんごうを次々に爆撃。さらに地上からもブルドーザーで道を切り開きながら、進撃、絶え間ない砲撃を加えてきた。
武器弾薬が欠乏する中、命じられた攻撃法は、手りゅう弾や爆薬を抱えて敵の陣地に突っ込む斬り込み攻撃だった。斬り込み攻撃は米軍の激しい反撃にあい、攻撃に参加したほとんどの兵士たちは帰ってくることがなかった。
さらに食料が底をついた兵士たちは「自活自戦」の名の下、現地の田畑や倉庫から食糧を調達、事実上の略奪も起こった。

5月初め、バレテ峠の日本陣地は陥落。日本軍兵士たちに転進命令が下され、密林地帯を敗走することとなった。日本兵士には想像を絶する飢えと渇きが待ち受け、多くの兵士たちが命を落としていった。

証言者プロフィール

1919年
神戸市にうまれる
1941年
日本大学歯科卒業
1942年
第10師団に入営、満州ジャムスに駐留
1943年
第10師団司令部参謀部で情報班に所属
1944年
台湾駐留を経て、フィリピンに上陸
1945年
サンホセに置かれた師団司令部で、伝令などにあたる、復員後は、昭和医科大学を卒業し、医師となる

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