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タイトルタイトル: 「壕を焼き払う火炎放射器」 番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~
名前名前: 下野 敬さん(鹿児島・歩兵第145連隊 戦地戦地: 日本(硫黄島)  収録年月日収録年月日: 2010年3月10日、5月27日

チャプター

[1]1 チャプター1 悪化する戦況  04:42
[2]2 チャプター2 第145連隊  02:07
[3]3 チャプター3 地下壕掘り  04:01
[4]4 チャプター4 米軍の集中砲撃  04:17
[5]5 チャプター5 米軍上陸  03:42
[6]6 チャプター6 総員斬り込み  04:46
[7]7 チャプター7 抵抗  03:15
[8]8 チャプター8 火炎放射器の威力  03:23
[9]9 チャプター9 泥水で渇きを癒やす  02:54
[10]10 チャプター10 食べ物のための戦争  02:09
[11]11 チャプター11 壕を転々とする  03:42
[12]12 チャプター12 傷病兵のうめき  01:41
[13]13 チャプター13 日本軍将校による投降勧告  04:01
[14]14 チャプター14 帰国  04:40

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番組名番組名: [証言記録 兵士たちの戦争] 硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~
収録年月日収録年月日: 2010年3月10日、5月27日

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自分たちは、「長良」巡洋艦の「長良」が旗艦で、それに乗ったんですけど、だいぶ出てから、サイパンの逆上陸だということが、ちょっと耳に入って、海軍の士官に、「サイパンはまだですか」ち聞いたら、「いや、サイパンには向いていませんよ。日本に帰っていますよ」ち言うわけですよ。したらもう、サイパンに行ってももうだめだと。最初の命令は、「軍艦を全速力で島に乗り上げて、砲台にするから、その間に陸軍の兵隊は上がれ」と、いうようなことだったですけど、ダメだということで引き返しおったところが、軍艦に作戦命令が出て、「陸軍の兵隊はどこでもいいから一番近い島に降ろせ」ち、というようなことで、着いたのが父島だったんです。あそこに何日ぐらいいましたですかね。

今度は、自分たちは100トンぐらいの船やったですかね、に乗っていったんですけど、漁船に7~8人、5~6人乗って行く人たちもおったです。父島から硫黄島に着く間も、潜水艦に一回も遭わずによかったんですけど、自分たちの後から来た連中は、もう、体は傷だらけちゅうようなことで、潜水艦にやられて、「自分たちは、ふ(運)がよかったんだなあ」ちいうようなことでしたけど。

Q.最初、硫黄島に着かれたときは、どういう印象を持たれたですか。

硫黄島に行ったときはですね、ただ、父島に、硫黄島が大空襲と艦砲射撃を受けてるということは聞いて、厄介なところだなあと。硫黄島の近くに行ったなら、そんときのあれで、飛行機なんかがものすごくやられているのが、飛行場の脇にあるんですよね。して、山ち山もないですし。して「水がないぞ」ということで、「父島から持って行かんと水はないぞ」ち。「持って行け」ち言われても、入れ物は、今みたいに入れ物はないし、一升瓶とかなんとか見つけて持って行ったんだけども、厄介なところだなぁちいうことはもう、あれやったですね。水がない。おる間、顔を洗ったことがない。歯を磨いたことがない。

あとはもう、定期便ち言いおったですけど、空襲、艦砲、いつも来おったです。慣れてしまって、艦砲なんかも、こっちから撃つ場合には、後ろは大丈夫だから、船がこう回れば、それを見てこう向いちょればいいわけですよね。しと、空襲も毎日ありおったですから、壕(ごう)に退避しなきゃいけないんだけど、面倒くさくてしない連中が多いわけですよね。して、中隊長からよう怒られおったんですが、「誰やったか」ちいうような。で、爆弾を見とれば、自分に来るか来ないか分かるんですよね。自分に来るやつは真っ黒く見えるんです。ちょっと、まっすぐ来てここが来れば、真っ黒く見えるんですね。で、ずれると、ピカピカピカピカ光るんですよ。ああ大丈夫じゃ。で、そういうようなことで、逃げたりなんだりして、目測を誤ってやられた連中もおったんですけど、いつものことやれば、横着になるというか、面倒臭くなって。逃げ方が。

145というと、なんか、悪いこともする、怖がらないというかな。食料がないでしょうが、他のところに行ってでも簡単にかっぱらってくるちゅうような状態で、して、五円玉で布を被せて丸十を作っとったんです。ちょうど、五円玉で包んで、十字を書いて、○に十ち、(薩摩藩の紋章)だから、他の部隊の連中が、「丸十部隊が来たら目を離すな」ちゅっせえ、言いおったちゅううわさを聞いたことがあります。

Q.ヘルメットのどっか…

はい、帽子のここに。ま、5円玉をば布に、白布で包んで、縫い付けて、黒縁を取って、丸に十の字をつける。

Q.鉄かぶとですかね、昔の。

はい。で、他の部隊の隊長が、鹿児島の人で、「あれぐらいの元気がなきゃ戦争はでけん」ちゅっせえ、褒めてくれおったです。

「145だぞ」というような意識がありましたですね、やっぱい。なんで一目置かれるようなあいだったか、分かりませんけど。

Q.島ん中でも目立ってましたですか、145は。

はい。やっぱい、陣地構築に出ても、一生懸命やることは他ん所よりも頑張ってるちゅうような、あれはありましたですね、やっぱい。

ふんどし一つですよね。それに「かます(むしろの袋)」、昔、コメを入れおったあれがあっでしょうが、あれを四つ折にして、こんなふうにかけて、して、あれで掘っていくわけですね。何も考えることなくて、ただ、時間をつぶさんないかん、てなことで掘って、掘っちゃ持って行く。5分10分するともう、座っておれんとですよ。掘った土が体に飛んでくれば、ヤケドするぐらいたぎってるんです。火山脈の中を掘っておりますからですね。だからもう、汗はダーダ出るし、いつも掘っている人はホントかわいそうでした。

もうアメーバ赤痢というのが流行りまして、そいでやられる連中も多くてですね、自分はもう、あれにもかからんし、体自体は元気だったです。中隊長が、「俺だ戻っじ、下野はお前残れよ」ちっせえ、冗談に言わいぐらい、ほかの連中は下痢したりとかなんとかしおったけど、そういうことはなかったですね。下痢なんかしおると、体も消耗するし、そのまま戦争もせずに亡くなったちゅう人も、だいぶおりますよね、やっぱり。

Q.赤痢は、どうして赤痢になるんですかね?

それはわからんですよね。水は雨水だったからですね。ボウフラがいっぱい浮いてますから、たたけば沈むから、その間に飲むちゅうような格好ですよ。それでもどうもなかったですよね、自分は。

Q.水もしかし、ボウフラが浮いたような水…

たまり水、雨水ですね。

Q.火をたいて沸かすというようなことはなかったわけですか。

もうですね、地だを掘って、水筒を5分つけとけや、お湯になるんです。お茶を飲もうというときには。して、薪がないわけですよね、たき物が。そいで、ご飯炊くときにも、乾燥野菜が入ってきたこれぐらいの缶があるんですよ。それに水入れて、ガマを掘っとって、埋(い)けて上にむしろを載しとって、それでご飯炊きおったです。水筒なんかが、5分でもうお湯になるち、言いおったですから。ほんで、うまくできてるもんで、薪はないけれども。

とにかくもう食料がないもんだからですね、あたしら、草をば食べおったんですけど。なんと言いますかね、こっちで、チンチロリンとか何とか言うけども、紫の花が咲くんですよね。あれがもう、繁殖力が非常に強いんですよ。爆弾が落ちても1週間ぐらいしたとか、もうこれぐらい伸びっとですね。それを摘んできて、灰汁(あく)が強くて真っ黒くなるんだけど、そいくさ、調味料もないし、ちゅうことで、いろんな草は食べましたね。で、その草もないんですよ。人が食べてしまって。

そうですね。壕の中からですから、上陸した南海岸のほうを見れば、ものすごい船がおるんですよね。そんときのあれが、「米軍の船をずっと固めた場合と、硫黄島の島の大きさとどっちがふてー(大きい)とか」っち、言いおったですが。硫黄島の島を集めたぐらいの船が、ずーっと取り巻いとっせえやるから、1発撃てば100発返って来るち言いおったですけど、海岸線のところで戦闘をすると、船は、ほんの近くまで来るわけですよね。ホントの戦争は、対面ですけど、対面としておって、今度は、米軍のほうは飛行機が来るわけですよね。飛行機が来る。と今度は船の上からバラバラバラやるわけですよ。

で、艦砲が、まっすぐ上から来るやつと、斜めに来るやつ、まっすぐ走るやつがあるんですよ。走るやつは、100メートルぐらい、パーんちやっときな100メートルぐらい走っとですね。で、周囲の木なんかやっても、こんな木やっても、ぷつーっち切るぐらいのあれがあって。艦砲の中に「黄りん弾」ちゅうのがあったんですよね。あれも厄介だったです。「りん」が、ずっと、夜なんか見えるわけですよ。で、それが、ポンち飛んでくれば、こうすれば、散らばるわけですよ。絶対、たたいちゃいかんち。たたけばもう、この小さいやつが、ばらばらで何分にもいた、そこでまたこう大きくなるわけですよね。しっともう、昔は日本の兵隊は、巻き脚絆(きゃはん)を両方巻いちょったですから、それを解く間に肉まで食い込むわけですよ。「黄りん弾」で。だから、土をとってこうやれば、消えるんだけど、慌ててぱっぱっやると、今度は、ここについたやつがこっちに飛ぶ、こっちに飛ぶすれば、手がつけられんごとなるわけですよね。あれにもだいぶ閉口したもんでした。

Q.リンが着くと、ヤケドをしたごとなるわけですか。

はい、燃えるわけです。耳のここに着けば、ここが無くなっですね。それをこうこうやると広がるわけですよ。リンが。土を持っちょっせえやれば、消せがなっとやけど、もう慌ててこうこうやるもんだから、1か所んとが、4つ5つになれば、なお手が回らんようになるわけですよね。

Q.地形が変わるぐらいの砲撃ちゅうて言ってましたけど…

地形が変わっちょったんですよ。

Q.実際、変わったんですか?

10メートルぐらいのこんながけがあっでしょうが。それがもう艦砲とあれでやって、戦車が上がってくる。そんままで。それぐらいまで地形が…一線から退いて自分たちの壕に帰るがち、帰ったけども、ここら辺だちゅうことは分かっけども、見つけ出すことが出来んとですよ。地形が変わっとって。入り口がどこやったかも分からんし。とうとう、探し出すことは出来んかったですがね。でも、自分たちがおったところは、段差があってもその段がなくなってるつっせえ、開墾されたみたいになってですね。

Q.2月の19日に米軍がいよいよ上がってきたと、いうときは、どういう気持ちだったですか?

そのときはまだ自分たちは戦闘態勢には入ってなかったからですね、まだ後方警備で。情報は入ってきておったですけども、ものすごく戦果を挙げているということで、こげなふうなら勝つがというような情報が流れてきましたけどですね。

Q.実際、米軍が上がってきたのは、下野さんのところから見えたんですか?

いや、見えんとです。最初は。

Q.無線とかそういう連絡でわかったわけですね?

無線もなかなかなくてですね、敵がまだ上陸する前、命令受領に行くでしょうが、すと、通信隊ち、今んたもうツンツーで話すけども、そんころんた有線ですよね。線を引いていって、話すようになっとれば、線をやられるからまた補修に出らんないかん。自分たちんとも、耳で命令をもらいにいっても、耳に聞いて、口で帰って中隊長に報告するというようなことで、そいがもう、まだ戦闘が始まる前に、「地上を走ってるのは本部の兵隊と、通信兵だけだ」っち。「こわ孫子ん末までは(通信兵に)成すっといかんとごわし、指揮班にゃ行かすっといかんど」ち、冗談めいたことを言うたもんですけど、誰も兵隊は見えんとですよ。地下壕に入っちょって。そういう命令受領に行きおって自分もやられたとやけども。

自分、一番先やられたのは、自分はここをやられたんですよ。写真もありますけど、鼻を取られて、ここをやられて、して、包帯を十字に巻いてくれとって、こっから息がちょっとできるぐらいだったんです。して、壕に入っとって、ガス孔をやられてですね、してもう、他ん連中が「向こうに行け、向こうに」…壕がここが入り口やれば、こっちにこうありますから、「一番奥まで行け」ち、こっちに行って、して「ガスは通ったから帰って来い」ちゅうことで、防毒面が効かないんですよ、包帯を巻いているから、防毒面をしても全部漏れてくるもんだから、でもう、ガスが来たときには奥に逃げて、してガスが通り過ぎたときには、今度は、息せずに走って入り口ん方せえ行く、というようなことをだいぶ、やっぱい戦友はだいぶ世話してくれたもんだから。顔をけがしたときにも、3日しか助からんち、軍医から言われたんですよ。鹿児島の川内の人が軍医だったけどもですね。

第2飛行場を挟んで、始まったんですよ。で、第2飛行場で、何日ぐらい戦ったのか、記憶がありませんけどですね、1週間ぐらいは戦っとたのかな、もう、飛行場を挟んで200メーターぐらいのところに米軍が見えちょっとですよね。

弾が遠くから来るやつ、近くから来るやつ、もう、ピュンピュンいろんな音がして来るんですよ。そうしてると、もう、怖くて、避け通し。避けやならんけど、避け通しで、1週間すると、今度はその怖さがなくなったですね。もう全部だったと思うんです。してもう、堂々と立ち向かって、音のする弾は自分に当たらんわけですから。自分に当たるやつは音はしないわけだからですね。でも、そういうような、人間性ちゅうか、バカになって、自然に、自然の行動が取れるように。ですから、簡単に言えば、一対一の撃ち合いですけど、どっちが先にやるか、だけのことで。だから、あれで助かるというのは、ほんと、ちょっと、時々考えるんですけど、よう生きてるもんだったなと。

3大隊長が隊長で、「陸海軍を全員を率いて斬り込め」ち、いうことで、そのときに、鉄条網がものすごい張ってあったわけです。で、そこをば突破できないんですよね。して、工兵隊の上等兵だったち言おったですが、「こん包爆薬を持って、飛び込め」ち言われて、飛び込んで、きれいにパーッち開いたですわ。して、突撃でやったけども、ちょっとしたがけやったんだけど、行けば行けば、全部やられるわけですよ。してもう、あとは行かなくなって、命令じゃなくて、自然に行かなくなってしまったわけですけど、海軍の将校なんかもだいぶ居ったけど、出て来んかったですね、やっぱい。そのまま引いて、旅団の、海軍の壕、旅団の壕だったと思うんですけど、入って、そんときに、将校を見なかったですね。将校ちゅうのはもう。下士官兵ばっかりで。してもう、ひいて、またあくる日から、今度は米軍と撃ち合いを始めたわけですけど、一個大隊で、3大隊で30名も残っちょったでしょうか、もう。それで撃ち合いして、して、セタちゅう、重機関銃だったですから、「あすこん陣地を撃たせんか」ち言えば、「撃っがならん」ち。「1発撃てば100発返って来る」ち、そんな風で、もう、とにかく1発撃てば、そこを集中攻撃でもう、必ずやられてしまうわけですね。で、そんなふうでやられて、そんときに、ほんと、将校を1人も見なかったですね。で、大隊長はもう、立ったまま、動かんわけですよ。して、「危ないから」ち言うても、聞く耳はなかった。そんとき、近くに弾が落ちたので、胸をやられて、して壕に連れて行って、壕に休ましとったんだけど、やっぱし、根性ちゅうのが強かったですね。痛いことも一言も口出さんし、して「海ゆかば」を歌い出されたんですよ。ほで、根っかいびっくりして、びっくりしても4、5人しかいなかったです。それを歌い、途中で息を引き取られたです。

夜、行くとですね、ピアノ線、張ってあるけど、目に入るか入らんか分からんような線がズラーッと張ってあるわけです。で、それに引っかかると、照明灯がいっぺんに何十発ち上がるわけですよ。すともう、米軍の場合は、そん照明灯が上がったところに、バリバリ無茶苦茶撃ちこみですよね。だから1時間動けんち、言いおったですね、ピアノ線に引っかかれば。昼みたいになりおったです。じーっと、そこにしゃがんだままですよね。

Q.そうすると、斬り込みちゅっても、小銃を持って行ったところで、相手にならんわけですね、米軍の。

実際はならんわけですね。ほんでまあ、手りゅう弾戦ですね。

Q.手りゅう弾はそんないっぱい持ってらっしゃったわけですか?

5、6発、持っちょったですね。自分がけがしたときに、引き揚げたわけですけど、そんときに、中隊で2人ケガしよょったですね。自分よりも半年後から来た連中やった。で、中隊長が、「自分たちは今から旅団の方に転進すっから、お前・・・」敵が来たとこが、5発ですかね、手りゅう弾入っちょった。これを「4発は投げて、最後の1発じ自決すっとやど」ちたなら、「はい」ち、言うわけですよ。して自分も、困ったなぁ、おいもこけ残さるっとかねぇち考えおったなら、「下野は歩んがないか?」ち言やっじ、「はい」ち、言うたなら、中隊長当番のヒラタち、「ヒラタ、お前や下野を連れっ来」ち、言やった。戦友が、カトウち軍曹がおったんですよ。で、カトウが、「や、カトウが連れて行きます」ち言たなら、「ええ、ほんなら連れっ来」ち、助かったなぁ、こいでこらち、あんときはなんかこう、もう、うれしかったですね。2人はそんまま残されて、どうせやられたことは分かってるんだけども。

Q.その2人の方は、歩けなかったわけですか?

はい、「あ痛、あ痛いよ」ち言おったが、どこをやっちょったかはよう分からんかったけども、中隊の壕に連れて来たからですね。

Q.そこが運命の分かれ道だったんですね…

はい、もう・・・だから、負傷者にも「殺してくれ」ちゅうのが多かったですよ。しか、殺すわけにはいかんから・・・やっぱし、一緒に内地を出った連中やからですね。そらも殺してやったほうが本人も苦しむよりもいいんだけども、たまには手りゅう弾をくれおったです。おいが、おらんごなってかい、自決しよち。

けがをしてる連中だけで、5、60人入っちょったと思うんですよ。戦車が来て、入口をホウトウ射撃で埋めてしもたわけ。して行ってみたら、火炎放射器で全部焼かれとったです。1人も助かっとらんかったです。火炎放射器も、もう近くでやられると関節は全部外るっですもんね・・・こげんやったとで・・・関節は全部外れて。ほして、見られたこたない、田舎やれば見るったけど、昔、鶏をばつぶして火で焼いて真っ黒なっせえ、脂がぶーっち膨れる、あんなふうになっちょったり、近くのやつは肉は焼けて骨ばっかいなっとったり、悲惨なもんじゃったですが。

Q.火炎放射器ちゅうのは、相当な威力があったんですね・・・

はい。戦車のやつは(火炎が)100メートル来るち言いおったですもんね。普通言うのが、80メートルぐらい。歩兵のやつは30メートルぐらいち言いおったけども、実際はそれ以上飛んでくるち、言おった。もう燃え盛った火が飛んでくるんだから、どうしようもないですもんね。

Q.実際その地下壕で火炎放射器が来たちゅうことはありましたですか?

はい。見たことあります。も、とにかく100メートル飛んでくる力もたいしたもんだからですね、それだけ飛んで来るんだから、当たればもう、そいくさ、手なんかやってもプスっち吹っ飛ぶぐらいの力だから。

Q.手が切れるちゅうのは、風圧で切れるんですかね、火の威力?

油の力、飛んでくる、が一番強いんじゃないですかね。火が飛んでくるわけですから、燃えながら。火炎放射器は怖かったですね。弾なら石の間で避(よ)けがなっけど、あれだけはまともに来れば避(よ)けがっがないから。

Q.鉄砲の弾よりもそっちのほうが・・・

はい。もう狙われれば、それまでですね。火炎放射器に狙われた人はもう一人も助かった奴はおらんでしょう。ま、戦車砲なんか、壕をやっても入り口をふさぐだけで、中の、まっすぐしおればいいけど曲がっとっから、効果ねえわけですけど。

昔の水槽があって、いくらか水が下にはたまってるちゅうことで、それの水槽確保に行った衆も多かったですね。そんときはもう、一人じゃなくて、あっち中隊、こっちの中隊ちゅうのが集まって来ちょったから、よう取ったことありけども。壕なんかも水がたまっとって、行ってみると、もう何人か死人が入っちょっとですよね。行って飲もうとしちょっせえそんまま死んだともおったり、それをこうして退(の)けちょって飲んで、飯ごうですくうて飲むわけですけど、半分は泥水ですね。で、あれが腹が膨れちょったから、やっぱり泥を飲んじょっせえ、腹が減らんかったんじゃろうなち思いますがね。

Q.泥水を飲んで、腹が膨れたと。

はい、水だけじゃなくて、泥も飲んでるわけですがね。

Q.今じゃ想像もつかないですが…

いや、ちょっともうこっちで若い人たちは、話したって、何のことか想像つかんですね。

Q.泥水って、例えば、その辺の側溝やら水たまりにたまってるような水ですよね。

はい。もう、大雨が降って、ここに水溜りが出来っですね。して、それを飲もうと行けや、もう、飲みに来てそのままで死んだ連中が頭を突っ込んじょっとが多いとですよ。それを退(の)かして…今なんか飲めば、すぐ腹を壊すですがね、どうもなかったですから。

Q.まあ、死体が浮かってた水槽もあったち言いますよね…

で、なんも食べなかったことが4日、3日と2食ぐらいですかね、食べなかったことがあっけども、そうひもじいとは思わんとですよね。のどの渇きは、ばったいいかん(どうにもならない)ですね、やっぱい。水だけは。なんとかして、飲まんと。「水をくれ、水をくれ」ち言いながら死んでいった連中もだいぶ多いですよ。

もう昼間は、昼寝ですね。

Q.昼寝。

はい。と、シラミ取り。もう洋服はシラミだらけで、して、夜になると食料を盗(と)りに行くわけです。そいでやられた連中がまた多いですね。戦争じゃなくて、食料盗(と)りで。食料を盗(と)ってくれば、腹いっぱい動けなくなるまで食べるわけですよ。して、明日のやつ、取っておけばいいがちゅうことは絶対しない。食べれるだけ食べると。明日のやつを取っとけばいいんだけども、明日まで生きてるかどうか分からんでしょうが。そのときのやつを腹いっぱい食べるちゅうことで。して、毎晩、盗(と)れるもんじゃないから、下手すると2日も3日も食べずにおる。で、盗(と)ればいっぺんに食うてことで、普通の生活なら、こう、分けて、引き伸ばして食べるんだけども、明日の命があるか分からんから、取っておくちゅうことは絶対しなかったですね。

Q.明日の命が分からんちゅうことですね。

はい、明日の命は分からんのだから…敵の陣地を一つ取ると、だいぶ食料品がありおったです、やっぱい。

一個分隊ずつ、配給になりおったらしいんです。で、一個分隊10名おれば、5人死んで、5人しかおらん。毎食10人分来て、5人しか食べんから、そんまま、放っといてあるわけですよね。ふ(運)がよかれば、そういうのを盗(と)ってきて、そんときは、戦友同士で分けて食べますけども。缶詰だからですね、米軍の場合は。

Q.壕の中にもけがをした人やら病気で赤痢で寝てる人たちもいっぱいおったわけですよね。

おったわけです。

Q.そういう人たちは、食べ物、飲む物ちゅうのは、どうされてたんですか?

いやもう、自分のグループを作っちょったですもんね。グループ同士であれば、食べさせるけども、他の人には全然、食べさせるちゅうことは・・・もらうこともないし。

Q.グループちゅうのはどういうグループ?

大概、自分たちはやっぱい、鹿児島県人、どこもだったです。県ごとに集まったですね。ほして、階級なんか、なしですよね。自分たちがおかしかったのは、広島ん連中が4、5人入っちょったとですよ。

Q.実際その、壕の中で、いさかいちゅうのもあったんですか?

いさかいは、相手にしないあいで、場所取りのあれで、やっぱいあったですね。自分のおる壕から、他の壕が分からんわけですよね、もう全然。地形は変わってるし、見つけるのに。で、やっとかっと見つけて入って、空いとればいいけども、入れんもんだから。ほいで、衛生隊に行って、「入らしてくれ」ちゅたら、「絶対、入らせん」ち。「入ってくれば撃つぞ」ち、言うわけですよね。そんときはもう、こっちから、「こん爆薬を入るっでね」ち、脅しをかけるけども、入らせてもらえんし、壕ごと、入り口から絶対入らせん壕が多かったですね。食料品なんか持っちょったんでしょうかね、一般の人だとなくなっちゅうことで。

Q.壕の中におったときに、じゃあその、米軍が来たから戦おうとか、あるいは何かしようちゅうことは考えましたか。

いやもう、米軍が来たら黙っとれちゅせえ、全然、戦闘能力ちゅうか、戦闘意欲ちゅうのはもう全然なかったですね。

Q.何で日本の兵隊さんたちは、素直に捕虜になれんかったんですかね?

ああ…まあ、やっぱし、初年兵教育というのか、が、徹底しとったんでしょうね。とにかく、内地におっても、たまには逃亡すっとも、おりおったけど、逃亡でもして、捕まって銃殺刑になっても、親兄弟親類が、全部迷惑すっとじゃというようなあれが頭に一番ありましたからですね。家族がやっぱり犠牲にするわけにはいかん。そいで辛抱した衆は多いでしょうね。

自分ひとりだったらどこでん逃げちあれはあるけども。もう、親兄弟、親戚は逃げやならんから。

壕から壕を渡り歩いとったわけだかいですね。やっぱい、どこの壕でも何人かは、もう、苦しみ、・・・ている連中がおったですね、やっぱい。おっても知らんまねをしてすっち、通るだけで。けがしたからどうしたからち、診てくれる人は誰もおらんわけですよ。自分の場合は、足をやられんかったのがよかったです。足をやられちょれば、やっぱい誰も診てくれんかったでしょう。

…ま、で、重症を負うて、「殺してくれ、殺してくれ」ちゅうとを、知らんまねして通るわけだけど、ホントもう、哀れですね。殺してもろたほうが、苦しまずに、どうせもう助かる見込みはないんだから、いいかもしれんのだけど、やっぱりもう、初めて会うても戦友だから、殺すわけにはいかんし。でも戦争が始まったときに、伝書鳩は全部飛ばしたんですよ。「お前だ羽があっとやから、内地せえ帰れよ」ち。して、軍用犬もそのまま放したところが、軍用犬は絶対離れんとですね。もう、ああいうのは日本の兵隊と一緒に、かわいそうだったですね、やっぱい…

だいぶ、全部が疲れとったですね、もう。食べ物もない、水もないということで。して、一番最初、誰だったか分からんけども、「一回、話し合ってみようじゃないか」ということで、そうしてみるがちいうことで、「一応もう、とにかく水を飲みたい」と。「出てみようじゃないか」と、「腹いっぱい水を飲んで、ここで撃ち合いするよりも、そのとき、殺せば、1人でん2人でん殺せがないがね」と、「水腹いっぱい飲んでから死のうや」ち、いうことで、出て行ったんですけど。

Q.その間、どれぐらい、出る、出らんで、議論をしてたわけですか。

いや、長いことはなかったです。10分も話したですかね。案外、簡単に。ほんで、全部が疲れとったから、もう、と思いますけど。そん出るちゅうのが、「とにかく、捕虜になれば殺されるんだ」というのが、第一に頭にあったわけだからですね、で、それをどうするかちゅうのが、「出れば殺されるぞ」と、そんとき、しかし、中尉が2人と上等兵が1人、間に入って、もう捕まってる人ですね、話をしてくれたもんだから、なら、こん人たちを信用して行こうち、いうことだったんですよ。

Q.つまり迎えに来られたわけですね。

はい、壕に来たわけです。

Q.迎えに来られた方を、しかし信用するちゅうのも、簡単なことじゃなかったと思うんですけど…

それが簡単に信用でくればよかったんだけど、その人たちから話を聞いて、してみんなの話し合いで、「ま、ほんなら一応出てみよう」ということで…

あの場合、逃げる場所はないわけだからですね、他のところなら、どっかに逃げようと、いうことは考えたかもしれんけど、もう、米軍に捕まらないと出るわけにはいかんとですよね。ま、捕虜になるなということに一番、頭にあったわけです。あんときの一人は、福岡の人ですけど、

お父さんは中将やったが、その人たちを信用して、出ったわけですね。

そういう交渉を、誰か取りまとめてくれるような勇気のある人がおれば、だいぶ、まだ助かってるんですよ。もう、出ようやちゅても、「うんにゃ出らん出らん」ち、普通は。でも、収容されてる人たちが、迎えに来てこうして、誰もおる、将校の連中を言うんですよ。「誰もおる、誰もおる、誰もおる」ち。それも信用していいか分からんどち、いうことだったんだけども、したならやっぱり本当のことじゃったですね。

今でも、両手で顔を洗いたいなあち、思うですよ。左手はこう、上がらんから。手も小さくなっちょっです。

Q.帰って来られてから、傷は手術はされたんですか。

向こうで一応やっとって、帰って来てからやったけれども、固定してもダメやったですね、もう。帰って来てから、帰ってきたのが何年ですかね…22年ごろかな、

今でも、中隊長の住所を見つけださなかったちゅうのが残念ですね。どこの人やったか、コバヤシかどっかだったちゅう話を聞いた、どうしても、墓参り行けなかったけども。帰って来て、墓参りも何軒か行ったんですよ。したら、怒られてですね。もう、薩摩半島ら辺までも、何度か行ったけど、言えば、・・・、「うちん人は殺して、なんであんただけ戻っ来たとな」つっせえ、言われて、あとは、行きたかったけど行かなかったところが多いですね。ああして怒られると、なんで帰ってきたかなち思うんだけど、

自分が帰って来てですね、昔の鹿児島新聞かな、そんときのあれに、「生きた英霊帰る」ちっせえ、大きく載ったんですよ。戦死の公報が来とって、自分が一番先だったらしいですよ、帰ってきたのは、で、「生きた英霊帰る」ちっせえ。したらもう、そいで、そんころ、専売局に勤めとったんですけど、行くともう、遺族ん人たちが来て、いろいろ、分かるんだけども、もうおるところがないようなことがあったです。ほで、逃げ隠れしたことがありますけど、ホント、申し訳ないことだったけど、もう、自分の近くにおった連中なら、どこまでは、どうしよったがなち言いがなっけど、他の部隊、中隊になればもう、どこでどんな行動をしたかも分からんわけですから、話すのがホント、オクツだったですね。この前、10日ぐらい前、フキアゲか、なんとか人やったがな、3大隊だったらしいということで、分からんだろうかち来たけども、全然分からなかったけども、今でもやっぱい身内ん人はそんなことを考えていますからですね。でまあ、分からんわびの手紙を出したんですけど…。

Q.そうやって、よその部隊の人の上に、わざわざご遺族のところに行けば、「なんであんただけ帰って来て」ち、ホント、身のやり場がないですね。

はい、もう、がっついもう、何ちゅていいか、逃げて帰りたいような…ま、しかし行ってみて、子どもも結構、大きくなっとったし…ま、ホントいえば、悲惨な戦争やったですね…

一番、やっぱし今でも耳に残るのが、死ぬ前の連中が「水をくれ、水をくれ」って言うのが、もう、やっぱり頭に残りますがね…

出来事の背景出来事の背景

【硫黄島 地下壕に倒れた精鋭部隊 ~鹿児島県 陸軍歩兵第145連隊~】

出来事の背景 写真東京から南へ1250キロ、太平洋に浮かぶ硫黄島。太平洋戦争終盤、周囲22キロの、この小さな島で米軍6万人と日本軍2万1千人が激突。1ヶ月に渡り戦闘が行われた。

昭和19年(1944年)、米軍は、サイパン・グアムを相次いで占領し、日本本土への空襲に向け長距離爆撃機B29を配備した。爆撃ルートの中間に位置する硫黄島は、重要な航空拠点として攻防の焦点となった。

硫黄島を守る日本軍守備隊の最高指揮官、栗林忠道(ただみち)陸軍中将は、米軍の上陸に備え全長18キロに及ぶ地下壕を網の目のように張り巡らせ、全島を要塞化。米軍を持久戦に引きずり込む戦略をとった。守備隊は総員2万1千人で多くは、戦争末期の兵員不足で急遽召集された3、40代の兵士や少年兵だった。その中で、20代の現役兵を中心に鹿児島で編成された陸軍歩兵第145連隊は「栗林の虎の子」とも呼ばれる精鋭部隊で、激戦が予想される地点に配備された。

昭和20年2月16日、早朝。米軍は攻撃を開始。三昼夜に及ぶ砲爆撃の後、3万の米海兵隊が上陸を始めた。待ち構えていた日本軍は一斉に反撃し、5日間で硫黄島を占領できると考えていた米軍に大きな犠牲を強いた。しかし、米軍は圧倒的な火力を投入し日本軍の陣地を一つ一つ制圧していった。上陸からおよそ1ヶ月後に日本軍守備隊の組織的な戦闘は終わったが、兵士たちはその後も武器や水、食料が底を突く中、死者や負傷者で埋め尽くされた地下壕で壮絶な持久戦を続けた。硫黄島の日本軍守備隊2万1千人のうち、生きて島を出られたのは千人あまりだった。

昭和43年(1968年)、硫黄島は日本に返還された。多くの遺骨が今も収集されぬまま地下壕に眠っている。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1922年
鹿児島県曽於郡志布志町に生まれる
1943年
歩兵第145連隊に入隊
1944年
硫黄島の戦いに参加 第三大隊九中隊指揮班上等兵
1947年
浦賀にて復員
 
専売公社勤務

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日本(硫黄島)

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