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タイトルタイトル: 「出征を見送る坂戸橋」 番組名番組名: [NHKスペシャル] 証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場
名前名前: 橋澤 薫さん、定子さん(長野県・旧南向村(ふるさとの戦争体験) 戦地戦地: 日本(長野・旧南向村)  収録年月日収録年月日: 2011年10月29日

チャプター

[1]1 チャプター1 兵士を見送る  03:46
[2]2 チャプター2 召集令状の配達  04:38
[3]3 チャプター3 後輩へ送った言葉  03:05
[4]4 チャプター4 陸軍特別幹部候補生を志願  06:10
[5]5 チャプター5 悲しみを胸に秘めて  06:35
[6]6 チャプター6 暗号文のタイピストに  03:34

チャプター

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Q:よく兵隊さんが出征で出て行くときに、よくみなさんが見送りをしたりとか何か、その辺は行かれたりしましたか?

定子さん:うん。しましたに。ここらでもずっと旗を持ってな。まぁ、いちばんあれは坂戸橋。いちばん長くは坂戸橋まで送って、あとは、みんな、今みたいに車がないもんでな歩いて、本郷までみんな歩いて、電車に乗って行くっていう。今みたいに乗用車なんかないもんでな。まぁ、いちばん近親の人たちが坂戸橋ぐらいまで送って、近場の衆って言うか、そんなに遠くまで行けない衆は、学校があったりいろいろなもんでな、途中まで見送って。それで、あれだ、ご親戚の人がいちばん遠いところまで駅まで送ったけどな。そういうことはありました。日の丸を持ってな。

Q:それで、坂戸橋へ行く前にはどこかあれですか、その八幡様へ行くのか、どこか。

薫さん:ああ、お宮。

Q:お宮へ?

そうですね。氏神様って、まぁ、氏神様って言うね、近くにある神様をね。お宮を。それをお参りをして、そして坂戸橋へ歩いてみんなが送る。

Q:そこの氏神様では、やっぱり祈願か何かをされるわけですか?

定子さん:だから、お参りして「行ってきます。無事に行けますように。また無事に」、心の中では、「帰れますように」っていうことをなお願いして、うん。

Q:「心の中では」ですか?

定子さん:うんそうです。口に出しちゃ言われんでな。行く人たちはな。兵隊に行くのだもんで、下手に「無事に帰って来れますように」なんて言っちゃあ、怒られちまうもんでな、あの当時はなぁ。

Q:怒られるもんですかね?

定子さん:うん。またそれで「不謹慎なことを言ったもんだ」って言われるからなぁ。そんなもんで、心の中では、家族は、どうか、お父さんなり息子なりが、無事に帰って来られますようにって拝むんで、心の中で拝む以外にないでな。そのぐらいの時代でありました。本当。そんなもんで、言葉にも気を付けんとな。やたらと警察がうるさかったじゃん。ああいう時代はな。

Q:その見送るときの雰囲気って言うのは、どういう感じですか?

薫さん:いや、やっぱりやね、あれです。みんな心に悲しみ。喜びじゃあ、全くないでね。ああ悲しみです。これが、もう最後のお別れかなと、出征軍人をね、出征軍人の見送るなんていうのはね。まぁ、子どものときから見送っていたもんでね、俺は。

定子さん:特に身内の衆はな、ああ、これが最後かなと思うだなぁ。

薫さん:うん。それは、俺も見送られたけれども、

定子さん:だって、戦死した人がいっぱいおいでるんだもん、ここらはね。

薫さん:当時はね。兵事主任っていうのは、もう役場ではトップ。戦時中ですからね、大変実力者ですね。その方がお隣さんですから、桃澤さんっていうね。そしてその方が、(私が)一人息子だし、どこへも行くわけじゃないから、それで役場へ入れって言ってね、役場に入りました。

Q:それで、桃澤さんが当時兵事主任で、その方といっしょにお仕事をされたんですか?

薫さん:はい。そうです。

そのころはね、召集状って召集令。召集令状。召集があるんですよ。それで、みんな、お父さんが行っちゃうでしょう。だから百姓がね、農家の場合は農業ができなくなる。それでも召集するわけ。召集令状ってのがありますからね。これは、もう、召集令状をきかないとね、言うことをきかないと、そうするともうそれ非国民に侮られて、言われてしまうからね。みんな家族がね。その一人息子が召集される、それは、もうね、涙だに。各家、家庭がね。

その召集令状は、決められた人がね、村から・・

Q:配達に行くわけですよね。配るんですよね。

薫さん:配るんですよ。召集令状をね。その姿をね、いっしょに行くときもあってね、私も役場におって、少年の役場の職員ですから、いっしょに付いて行くわけですよ。そうすると、行くと・・役場の、村の中にね、召集令状を配達する人をね、選ぶわけ。あのあれだねぇ、役場で選ぶんだよね。そして、その人の後を、まだ役場の少年ですから、後をいっしょに付いて行くんですよね。そしてそのときに、家庭に行くら。そうすると、その中へ行くとね、奥さんがね泣きます。悲しいでしょう。召集令状が来るなんてことは、大変なことですからね。これは、もう絶対、もうこれは死に行くようなもんだでね。それを村で幾人か、3人か4人、配達をするね。まぁ、この人も村が選ぶ人ですから、その方の持って行くその後を、役場の若い職員ですからそれも覚えなきゃいけないから、私も付いて行きますとね、行った途端にね、奥さんはもう泣くわけですよ。死に行く通知ですからね。絶対に戻れん。それを見るとかわいそうですね。気の毒で、自分までも嫌になる。嫌って言うか、もう役場の職員ですから、いくら若くてもね。そんなこと言っとれんからね、あれです。涙が出るに。

Q:その井澤章さんが出ていかれたときの。

薫さん:章君だ、おれより2つ下かな、章君だ。

Q:ちょっともう少し広げてみましょうか、これね。それで、皆さんがそのときに、いろいろなことをお書きになっているものなんですけれども、それで、実は僕、今日これを見つけたときに・・

定子さん:お父さんのがあるじゃん、ここに。

薫さん:ああ、これだ。おれ、何て書いてある? 「天晴レ(あっぱれ)」、

定子さん:若武者。

薫さん:若武者。

定子さん:あれ、みんなあるんだ、井澤さんの・・

薫さん:橋澤薫だ、これ。

これは私より2つ下だから若武者と。あっぱれ、若武者になれよという意味を私は書きました。

Q:それをもっと言うと、若武者、若いというか下だから若武者ですよね。

薫さん:ええ。

Q:その武者ということばには、どんな意味が込められているんでしょうか?

薫さん:はい。わしの意味は、君が若武者のように活躍をしてほしいと。こういう意味です。活躍をしてほしいと。活躍とは、立派な兵隊、軍人になって、敵を武者のようにやっつけろと。こういう簡単に言うと思いで、私は君に書いてやった、それだけです。立派に働けよという意味で。働けというか、活躍をしろと。私のことでなくて、君が若武者に、活躍をしてほしいという思いです。私のことでない。確かにおれが書いたんだ。

そうですね、戦死をするかもしらないけれども、戦争ですからね。だけれども、その若武者のように活躍をしてほしいという、頑張れよという意味です。ひと言で言うとね、頑張れと。若武者なんだから頑張れよという意味で私は書きました。

薫さん:これはね、やはりいつか来ると。次に、今度来るのは、だんだん若い者に来るわけですから。それに徴兵検査はあるし。徴兵検査をすれば、多少のあれでも徴兵される。どうせ兵隊に行くというのなら、私は早めに、早めに行って、志願をすれば、志願兵だっておりますからね。志願して行けば、それのほうがね、どうせ軍人なんていうものはね、あれだでね・・ここに星。ご存じでしょう。星の数で楽をするんだからね。星が一つならちょっともいいことはねぇけれども、二つあれば一等兵。そして三つあれば上等兵。金筋が一つ(に星一つ)で伍長。そして軍曹、曹長とこういうふうに行く。軍人なんか、みんな星の数なんでね。星と金筋の。そんならどうせ軍人に取られるなら、まず、部下を持ったほうがいいね。そんな時代だったんですよ。

もうそのときは、もう日本が負けるか勝つかですからね。大東亜戦争っていうのは。大東亜戦争はご存知ですね。それには、もう、その家庭のことなんかは、上部は何も考えたりはしないからね。後のことは。生きてるやつは行けという感じかな、今、考えるとね。それで友だちが行ったり、友だちは予科練へ行くら。同級生がね。そんなことで、もう、何て言うのかなぁ、日本全体がその戦争に・・本もいろいろありますけれども、そういうことを書いてありますよね。日本全体が戦争戦争で、もう、戦争に行かん者は何か言葉があったなぁ、うーん、まぁ「非国民」かな。そういう言葉が流行ったんですよ。「非国民」と言われるぐらいにね。すごいですね。

Q:その一人息子であって、まぁお家からすると、跡取りの方がもし亡くなったら困るという状況の中で、なぜ志願をされたんですか?

それですよね。それは、判を盗んだ。親父の判をね。それほどね、何て言うかなぁ勇しかったのかなぁ、気持ちがね。

Q:その、お父さんのはんこを黙って持ち出したんですか?

そうです。親父は反対ですから。一人息子だからね、家が絶えるか生きるかでしょう。親父の判を黙ってね。まぁ、考えてみれば何て言うかなぁ、うーん、少年時代の、みんな友だちも予科練へ行くでしょう。友だちが大勢おるけれどもね。学校の友だちもおるし。それで予科練へ行く。陸軍は特別幹部候補生。海軍は予科練。そういう国全体がねこの戦争に、戦争にあれ、戦争に行かないと非国民みたいなふうに新聞にも出るしね。だから、そういう雰囲気だなぁ。恐ろしいことにね、今、考えるとね。本当に恐ろしいことだと思って、今、思い出すけれどもねぇ。

定子さん:まぁ戦争があって、それに参加せんのは国民じゃないって、そういう時代なもんで。女の人だって、みんな挺身隊へ行きましたんでな。そんなもんで、それこそみんなが、それこそ戦争讃歌でありましてな。戦争のことを批判したら直ぐに捕まりましたよな。そういう時代でありましたもんで。当たり前。戦争に行くのが、本当、親一人子一人でも、当たり前の時代だったので。みんな、そういう時代に流されましたなぁ。

Q:実際、橋澤さんもご自身で志願されて入った後に、みなさんのお見送りを受けたわけですよね。

薫さん:そうです。

Q:そのときに、そうやって、そのときはあれですか、場所としてはやっぱり氏神様に行って、坂戸橋って感じでしたか?

そうです。

Q:そのときの、お気持ちはどんなものでしたか?

それは、もうあれです。言葉が出ないです。これが、まぁお別れかなという、別れですからね。もうその時はもう別れですから、ああこれで、もう親父とも、姉たちともお別れかなぁ。そして、今まで、遊び友だち、それからご近所にお世話になったみなさんと別れて、俺は出陣するんだと。出陣ですからね、最後のお別れかなと思うと、もう声が出ないですよ。

心には寂しいけれども、勇ましく出て行かんとね。武士としてね。武士ですからね。侍と同じですよ。だから、武士だから悲しい顔はできない。元気を出してね、親と別れて行くわけですから、それは何とも言えない、出征兵士を送る朝ですからね。出征ですからね。戦争に出て行く男ですから。雄々しくね、悠々と心を秘めてね、そして出て行くわけですから、悠々と出て行かないとね、女々しいでね。それは男としての誇りだと思って行きました。

Q:それはやっぱり、相当、その感じは勇ましい感じなんですかね。

いや、やっぱり勇ましくないです。内容はね。みなさんも、声が出ないでしょう。みんなね。ああ、これが最後のお別れかなと。橋澤君を送る、最後のお別れかなと思うとこれはもうね、何ともね、声が・・寂しいね。

Q:そうは言っても、みなさんは、やっぱり万歳をされたりとか、やっぱり勇ましいと言うか、張り切って行けっていうふうな感じで送り出すわけですよね。

そうです。それはそれぞれがね、心に秘めた、この・・俺、カオちゃんって名前。薫ですから。「カオちゃんをここで送るんだなぁ」と思うと、みんな、寂しい顔をしとるけどね、だけどそれを秘めて、そして心に秘めて、そして元気を付けるように送ってくれます。

Q:そういう人のお顔を見たりして出て行くときに、橋澤さんはどういう気持ちになって出て行くんですか?

もうそのときは感無量ですからね。もう、気持ちっていうものは、もうここで女々しい姿はいけない。女々しい顔はいけない。それから、そうかと言って喜びもないしね。悲しい。それは行った人でないとわからないと思うけれども、ただ、そうだなぁ、沈黙だね。そんな寂しい出征兵士を送るんですから、みなさんは元気だけども、心の中はね、違うと思う。そうなんです。本当、そうなんですよ。それは行った人でないとわからないし、送る人でないとわからないけれども、何とも言えないものだに。

定子さん:そもそもお父さんの場合は、だんだん戦争があまり有利でない時代になって来とるもんで、戦死者も多く出とるしな。そんなもんで、余計そういう気持ちは、「ああ、これから本当に行ってみたって死に行くようなもんだ」っていうような、な。特に、少年飛行兵とか予科練なんかはな、消耗品のようなみたいなもんだにな。特幹でもそう。本当。

薫さん:特に俺なんか親一人子一人ですからね。お袋はおらんし。親父、姉はもういなかったし、死んじゃったし。それで親一人子一人だもん、のときだったからね。悲しみと、それからそんな顔をしちゃいけないっていう、なかなか微妙なね、出征軍人を送ってくれたと思います。しかも志願兵で、うん。

そうですね。昔のことになったから・・まぁ元気に行かないといけないからね。みなさんには、出征兵士を送ってくれるんですから、女々しい姿と、女々しい声と、そして女々しい顔じゃいけないから、あれです、感無量かな。感無量の気持ちで出るわけですからね。ですから、もう生きて帰ると思わんでね。ええ。生きて帰る思いを持つ出征兵士はおりませんから。それは涙が出るね、心ではね。

定子さん:女学校卒業して、直ぐタイピストを。今、ここらでは、このころタイピストもありましたけれども、タイピスト習うには東京まで出んと習えませんもんで、東京のタイピストの学校に入りまして。それを終わって、今度は参謀本部に入りまして、大本営の中の。その中の暗号文を作っとるところへ、暗号班へ入りましてな。それで、中国へ行くのがゼロから9。それでソ連へ行くのはアルファベットの暗号を作りまして、そこに勤務しておりまして。最終的には、戦争が激しくなって空襲がひどくなりましたもんでな、あそこの神保町の明治大学の分室で。暗号班だけそっくり移動しまして、そこで終戦を迎えました。それで終戦になって家へ戻りました。そんなもんで、空襲にも遭いましたしな。それこそ、空襲に遭って焼けてゴロゴロ死体が道路に、そういうところを歩いて通いました。そんなもんで、もう戦争は何が何でももうコリゴリでありますな。

空襲は、私の下宿が焼けましてな。そんなもんで、ちょうど私が、大久保と新大久保の真ん中に、山手線と中央線の電車がある真ん中のところに下宿のおばさんがおって、知り合いの、そこにおりましたもんで、ちょうど焼夷(い)弾が落ちて焼けましちゃったの。そんなもんでな右往左往して、あれして、結局はそれ過ぎには、乃木神社のそばの生長の家っていうところで、焼けた衆が何人かおいでで、参謀本部におる中で、そこへ行ってそこで寝泊まりして通いました。

Q:さっきおっしゃった、死体がゴロゴロある中を通われたというのは、空襲の後の。

そうそう。そうそう。あの空襲の後な、相当、死体がパカーっと。本当、こんなに茶色になって、もう今でも考えるとゾクゾクとしますね。

Q:人間の死体が?

うん。直ぐには、空襲になって、その晩焼けても、翌日は、われわれは勤めにゃならんしね。それで乗り物はない。電車もないもんで歩いて行くと、こういうふうに、道路にな。まだそんなの片付け切れも何も出来たもんじゃない、みんな。本当、エラい、本当に、状態でありましたに。本当にイヤだなぁと思いました。それで、このまま生きて行けれるのかと思うぐらいなぁ。われわれだって、うーん、本当。そこのことを思うと、今のあれは本当にぜいたくな生活ができてな、もったいない気がしますなぁ。

Q:さっきおっしゃいましたが、やっぱりもう戦争はコリゴリ。

どんなことがあってもイヤだな。本当、これから、息子や孫たちが、戦争だなんてなったら、私だって蔵に隠して出したくないわって言うぐらいになりますなぁ。

出来事の背景出来事の背景

【証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場】

出来事の背景 写真日中戦争、そして太平洋戦争。8年にわたり、300万人以上の日本人が命を落とした「昭和の戦争」は戦場から離れたふるさとの人々も一体となった総力戦でした。
長野県の伊那谷、旧南向村では、昭和12年の日中開戦以降、終戦までの間に946人が出征しました。村を離れる兵士たちは、村境の天竜川にかかる「坂戸橋」を渡って戦場に向かいました。「生きては帰れない」という気持ちを抱きつつ、迷いなく出て行く兵士たち。坂戸橋では、盛大な見送りが繰り返されました。南向村は、この橋を介して「昭和の戦争」とつながっていたのです。そして、2度と帰らぬ人が増えていきました。

一方、ふるさとから出征した兵士たちが送られるアジアの戦場では、多くの民間人を巻き込んで苛酷な戦闘が行われていました。中国北部の山西省。日本軍は毛沢東率いる中国共産党の軍隊「八路軍」のゲリラ戦法におびやかされていました。八路軍は多くの農民を民兵として戦闘に加え、戦力の勝る日本軍に対抗しました。これに対して、日本軍は、敵性ありと認めた場合、集落の焼却や住民の一部の殺害もやむを得ないという徹底した討伐を兵士に命じました。こうした日本軍の姿勢に、住民はさらに反感を募らせていきます。
また、太平洋戦争の終盤、フィリピン・ルソン島の戦いでも、日本軍は抗日ゲリラ部隊に苦しめられます。住民が参加し、ジャングルに潜むゲリラ。日本兵は、あらゆる場所から狙われました。フィリピンでは、日本軍の占領政策で深刻なインフレや食糧不足が起き、住民の生活が破壊されたのです。

住民の敵意に包囲された戦場。ふるさとから出征した兵士の多くは、逃げ場がない中で、絶望的な戦いを強いられ、命を落としていったのです。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1925年
(薫)長野県上伊那郡南向村(現・中川村)に生まれる
1944年
(薫)陸軍特別幹部候補生として、中部第130部隊航空隊(浜松)に入隊
1945年
(薫)水戸陸軍航空通信学校で終戦を迎える
1944年
(定子)上京しタイプを学ぶ
 
(定子)陸軍参謀本部で暗号文のタイプ係となる
1952年
(定子)薫さんと結婚

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