ホーム » 証言 » 高 仁和さん

証言証言

証言をご覧になる前にお読みください。

証言一覧へ戻る証言一覧

タイトルタイトル: 「飢餓に苦しむ」 番組名番組名: [BSプレミアム] 三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~
名前名前: 高 仁和さん(台湾“高砂族”の戦争 戦地戦地: ニューギニア(ウエワク) 台湾  収録年月日収録年月日: 2011年3月22日

チャプター

[1]1 チャプター1 高砂義勇隊へ  03:00
[2]2 チャプター2 ニューギニア戦線の飢餓  06:30

チャプター

1
2

再生テキスト再生テキスト

アミ族の名前は、ルオン。

Q:で、日本のお名前が?

日本の名前が吉村務。

Q:高砂義勇隊に志願されたんですよね? 何歳のときですか?

22(歳)。

Q:どうして志願したんですか?

いや、これしない。(先住民居住区に配置された日本の)派出所のほうで指名されたから出たんですよ。僕らの中から、4名。第5回が4名。ところが僕なんか、警察のほうで、監視所(空襲などに備えて各地に置かれていた)におってるんですよ。まあ、3か月住んで。夜、ぼくらなんか酒飲んであれしているから。ところが警察がシンコウから帰ってきて、あれ、指名されたんだ、4名。

指名されて。ところが、ま、しかたないから。指名されてからも心配ばかりよ。

Q:しかたないっていう気持ちだったんですね。

ま、しかたないよ。指名されたから、もうしかたないよ。出たときにちょうど22歳。日本の何年だったかな、あ、(昭和)18年か。民国は32年。

兵隊行ったら、死にそうだ。戦争やってもう死ぬと思って、あのことばかり考えてるから、だから心配ばかりですよ。

ウエワク(ニューギニア島中部の北岸)に上陸して、あそこで1週間休んで。ところが、アメリカの飛行機が夜中ごろ、2時あたり、あれして、飛行機が明かりを発見して、爆弾を落としたんですよ。そこで、24名死んだ。それは炊事場ですよ。炊事、班長が照明しているから、ローソク点けて。あれで、発見して、あれで爆弾落としたんだ。

Q:炊事のための・・

ところが炊事の人間は、皆死んでいますよ。

ニューギニアのホーランディア(現・ジャヤプラ/ニューギニア島中部北岸)のところまで着いて、そのときはもう、泥の中を下がろうと思って、途中でアレ(米軍)が上陸してからは、もう帰れないよ。ほんとは1年半。ところが、アメリカが途中で上陸して、もう(台湾に)帰れない。ところがとうとう食べ物もない。山の中に入って、もうなんにも食べない。ただ草ばかり食っているんですよ。だからもう本当に苦しいですよ。

山の中、6か月いたんだ。だからもう、ほんとに苦しいでしょ。食べ物もない。草ばかり食べている。僕らなんか、ここおってね、食べる草なんかも分かっているから、あれで食っているでしょ。おまけにバナナもあり、あれも中のほうにあれも溶けてあれ食べている。モッカ(パパイヤ)もあり、ほんとに苦しいよ。

やっぱりあの、この山の中で、虫なんかあっても、蛇なんか取って食べているんですよ ほんとに苦しいよ。ニューギニアの山の方で、あれを取って食べているんですよ。あれなかったら死ぬよ、みんな。ほんともう、かわいそうよ。日本の兵隊も、まあ、ほんとかわいそうよ。食べ物ないから。日本の兵隊は、僕らなんかあそこにいなかったら、やっぱり日本の兵隊、あんまり草なんか分からんでしょ、食べられる。ところが、この義勇隊の方で、あれが分かるから、あれ取って食べるんですよ。

Q:教えてあげたんですね?

そう。「これ食べてもいいか?」って、「いいよ」って言ったら、もうあれ取る。そんなん、ほんと苦しいよ。

Q:やっぱり日本人だけだと、食べられない。毒の草も間違って食べたり。食べられる草と、食べられない草、分からないですものね。

そう、分からないんだ。ところが山ん中で、草なんか分かってるから、あれで分かって、食べているんでしょ、日本の兵隊は。僕らなんかいなかったら、もう死んでしまうよ、人間は。みんな兵隊は。ほんと苦しいこと。

ほんとかわいそうよ。

Q:死体もたくさん見たんですか?

やっぱり、アメリカとバーンして、死んだ人もありますよ。やっぱり、僕らなんか人間を食べているよ。

やっぱり、あの、アメリカ(兵)の肉をやっぱり、鶏や豚の肉とおんなじように、食べているんだよ。豚の肉と同じように食べているんですよ。ところが、なんにもないから、やっぱり、おいしく食べる。今、人間死んで食べなさいと言ったら食べるか? もう食べないよ。もう。そのときに食べ物なかったから、もうほんとに。苦しいことをした。

出来事の背景出来事の背景

【三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~】

出来事の背景 写真標高3500メートルを超える山々が連なる台湾の山岳地帯。ここには、数千年の昔から台湾の先住民が暮らしていました。日本が台湾を統治していた時代、先住民は総称して「高砂族」と呼ばれていました。彼らは、戦前から戦中、戦後にかけ、激動した台湾の歴史の中で、三つの名前を生きてきました。自らの民族の名前、日本統治時代の日本名、そして戦後の中国名です。
「高砂族」の若者たちは、太平洋戦争中、日本軍の兵士や軍属として戦地に送られ、密林や山岳地帯などの戦場で、日本人を支えました。その勇敢な戦いぶりが、日本軍から高く評価される一方で、ゲリラ戦などにも投入され、数多くの若者たちが命を落としました。
さらに、終戦後、日本は台湾を放棄しました。変わって、蒋介石の中国国民党が新たな支配者となります。“日本人”として育った「高砂族」の若者たちは、それまでと全く異なる社会の中で生きていかなければなりませんでした。「高砂族」の人々は、国家と戦争に翻弄される激動の20世紀を生きてきました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1921年
台湾台東県東河郷都蘭に生まれる アミ族
1944年
第5次高砂義勇隊に参加。東部ニューギニアへ
1945年
東部ニューギニアで終戦
 
終戦後は農業に従事

関連する地図関連する地図

ニューギニア(ウエワク)

地図から検索

この証言に関連したキーワードこの証言に関連したキーワード

関連する証言

関連するニュース

NHKサイトを離れます