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タイトルタイトル: 「血書志願」 番組名番組名: [BSプレミアム] 三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~
名前名前: 連 清波さん、林 樹木さん(台湾“高砂族”の戦争 戦地戦地: 台湾 シンガポール  収録年月日収録年月日: 2011年3月19日、3月20日、3月21日

チャプター

[1]1 チャプター1 血書志願  03:26
[2]2 チャプター2 日本陸軍へ  01:27
[3]3 チャプター3 海軍へ  05:21
[4]4 チャプター4 連さんの終戦  02:46

チャプター

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番組名番組名: [BSプレミアム] 三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~
収録年月日収録年月日: 2011年3月19日、3月20日、3月21日

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連さん:私なんかのあの当時の募集は陸軍警備隊です。募集された。

Q:募集されて。

連さん:ええ。

Q:やっぱり志願ということですか?

連さん:やっぱり志願で。

林さん:私は兵隊はシンガポール。海軍。

Q:海軍?

林さん:うん。

(脇から)男性:海軍の何?

林さん:軍属になった。

Q:海軍の軍属?

林さん:はい。

Q:志願?

李さん:結局そのときの当時は皆、希望によって志願です。

(脇から)男性:ほとんどもう志願。当時は。

林さん:希望によって行ったんです。若いときに19歳のときに。19歳に行った。

Q:何歳で?

連さん:私、17で行った。

Q:17で?

連さん:はい。

Q:若いですね。

連さん:はい。子ども。志願だから。

林さん:あのときには皆若いから、志願で行ったの。

連さん:もう、血書志願。

Q:血書を?

連さん:はい。

Q:書いたんですか?

連さん:はい。右手でやると、引き金引くから、左手で。まだゆがんでいるんですよ。

Q:どういうふうに? どこ切ったんですか?

連さん:切ったんです。

(脇から)男性:指を切って、日の丸を作った訳。

連さん:今の警察署のところで、指を切ったんです。

Q:曲がっていますね。

連さん:ええ。

Q:それで書いた?

連さん:日の丸の旗を描いた訳です。

Q:血で?

連さん:自分の名前、先に押してから、それから日の丸の旗を。

Q: 血書を書いて、どういう気持ちで志願されたんですか?

連さん:国のために。

(脇から)男性:国のために働く。

連さん:働くという気持ちで。

これは、もう、当時は憧れて志願する人もあるけれども、私なんかはもう学生時代から先生にこう上げられてる(言われている)。

Q:先生が?

連さん:ええ。

Q:入隊しなさいと?

連さん:ああ。「あんたはあれの兵隊に行きなさい」とか、「行かないといかん」とか言うんだ。

連さん:香港の啓徳飛行場の警備隊になった。広東も行ったって…何も忘れてしまったよ、もう。初めて着いたところ…。後から広東行って、隼部隊に、風部隊から今度隼部隊に転属して、今度また風部隊に転勤から、また隼隊に帰ってきた。

Q:訓練はどういうふうな訓練だったですか?

連さん:訓練は、補充兵だから補充兵の訓練。まずは屏東航空所(屏東:台湾南部の県)で訓練して、6か月訓練してから初めて海外出た。

林さん:うちのは(海軍は)6か月訓練する。何もくれないんですよ。手旗信号とモールス信号やる。だから、それから…あのときの時代は若いから皆、頭に入っている。モールス信号に。タタタタッ、タタタタッて。あれがみんな頭に。全部覚えないといけない。そして船行ったら向こうの連絡やんないといけないから。あれ手旗はもう遠いから見えない。夜はモールス信号やる。ポーンポポポポポーンって。あれ分からないと、向こうの船と連絡出来ない。あのときは覚えないといけない。もし間違ったら、この訓練間違ったら、改心棒で私16本打たれた。

(脇から)男性:改心棒、野球バット位(の大きさ)ですよ。いちばん。中央バッター。

林さん:4回までおうたら(打たれたら)、お母さん考えたらとても痛いよ。

(脇から)男性:おかあさーんって呼ぶ。

林さん:考えないでも痛いよ。16本こわして(打たれて)、ようやく。もう歩けないよ。後ろ、もんで血が出ないよ。

(脇から)男性:翌朝はもう皆診察するよ。病院に行って。

林さん:(海軍は)泳ぎも分からないと駄目。

(脇から)男性:かわいそうですよ、泳げない者ね。

林さん:泳ぎも駄目。

蔡さん:志願して、自分泳げないのに志願して、今度海兵団に行ったとき、本当かわいそうでしたよ。魚釣りみたいにね、竹の竿(さお)で紐(ひも)つけるの。そして、これでこの泳げない者に、水…泳がして。きれいな水だったらまだ良いですよ。汚い水。友だちがあれしている訳。補佐している訳だよ。魚釣りみたいに。水面に浮かぶように歩かす訳なんだ。それでも泳げない者は必死になって練習する。あれ全部1か月したら、もう泳げる。

林さん:マレーシアの方行きました。

Q:マレーシアに?

林さん:6か月の訓練をして、海の航海術を習って、シンガポールで船の船長になる。海の航海地図分かんないと、あれ船の針路分からない。

航海地図が分からないのは船の運転出来ない。あんときは。そして…。

(脇から)男性:航海…。

林さん:シンガポールへ船の船長の役目やったんです。あんとき私は。

私はシンガポールへ初めて鉄砲を撃つ。機関銃もそう。シンガポールで戦争したときに機関銃。あの上陸用舟艇のとこに機関銃がある。15ミリの機関銃ある。あのようにあのときにもう出来るように、分かるようになったよ。撃つの。

Q:海軍の陸戦隊ですね?

林さん:ええ。陸戦隊?

Q:陸戦隊にも機関銃がある?

林さん:陸戦隊は海も走る、陸も走るの。陸戦隊はね。陸海両方やる。

シンガポール陥落(1942年2月15日)は、私は…。山下大将(第25軍司令官山下奉文)がシンガポール陥落した。山下大将。…ジョホール水道…1回は皆…兵隊皆死んだよ。第2回も皆死んだよ。第3回も死んだ。全滅。第4回、第5回も全滅。6回までは全滅。もう最後の兵隊を使って行ったら成功したの。あれでシンガポール陥落になった。あのとき。

激しい戦争をした。シンガポールで。幸いで死なないで帰ってきた。

幸いね、死なないで帰ってきたよ。幸い帰ってきたよ。故郷へ帰ってきたよ。死ななかった。家に帰った。皆死んだよ。友達も死んだ、皆。あのシンガポールで。

連さん:当時日本が停戦してからすぐ「テイセキシュウグンソウタイブ」っていうのを組織したわけ。この、中国が。そして私なんか台籍の者が皆あそこに集まって、7、8000人が集まった。南支派遣軍の兵隊が。台湾人が、7、8000人に…日本のそのままの部隊に残っていますよ。あのときは。

私なんかはすぐ、「シュウグンソウタイブ」で、養われた。それで10日間飯食えないって事だけ。苦しかったのは。

Q:今度は(中国)国民党の兵隊にさせられた人もいた?

連さん:あるある。もう10日間も飯ないでしょ。だから誰でも希望者たくさん。私も、これだったら、4年間もこの軍隊生活やってきたから、もう諦めて早く帰りたいよ、あの当時は。

Q:希望者?

連さん:早く帰りたいから、志願しなかったよ。あのときの中国の…。

(脇から)男性:兵隊。

連さん:兵隊に。

Q:希望者を募った?

連さん:はい。

Q:国民党の兵隊に?

連さん:ええ。相当、希望者の方…希望する人は中国の兵隊に行った…行ってしまった。

出来事の背景出来事の背景

【三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~】

出来事の背景 写真標高3500メートルを超える山々が連なる台湾の山岳地帯。ここには、数千年の昔から台湾の先住民が暮らしていました。日本が台湾を統治していた時代、先住民は総称して「高砂族」と呼ばれていました。彼らは、戦前から戦中、戦後にかけ、激動した台湾の歴史の中で、三つの名前を生きてきました。自らの民族の名前、日本統治時代の日本名、そして戦後の中国名です。
「高砂族」の若者たちは、太平洋戦争中、日本軍の兵士や軍属として戦地に送られ、密林や山岳地帯などの戦場で、日本人を支えました。その勇敢な戦いぶりが、日本軍から高く評価される一方で、ゲリラ戦などにも投入され、数多くの若者たちが命を落としました。
さらに、終戦後、日本は台湾を放棄しました。変わって、蒋介石の中国国民党が新たな支配者となります。“日本人”として育った「高砂族」の若者たちは、それまでと全く異なる社会の中で生きていかなければなりませんでした。「高砂族」の人々は、国家と戦争に翻弄される激動の20世紀を生きてきました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1926年
(林さん・連さん)台湾花蓮港庁馬太鞍社(現・花蓮県光復郷)に生まれる アミ族
1941年
(林さん)海軍軍属としてシンガポールの戦いに参加。その後、海軍軍人となる
 
(連さん)陸軍軍夫として南支派遣軍17309部隊に配属。その後、陸軍軍人となる
1945年
(林さん)シンガポールで終戦。その後は、林業に従事
 
(連さん)中国南部で終戦。その後は農業に従事

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