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タイトルタイトル: 「“高砂族”を率いて」 番組名番組名: [BSプレミアム] 三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~
名前名前: 山本 清隆さん(台湾“高砂族”の戦争 陸軍中野学校 戦地戦地: 台湾 モロタイ島  収録年月日収録年月日: 2011年5月13日

チャプター

[1]1 チャプター1 遊撃戦を学ぶ  01:50
[2]2 チャプター2 “高砂族”兵士の訓練  03:31
[3]3 チャプター3 “高砂族”  06:10
[4]4 チャプター4 優れた食糧調達の力  06:21
[5]5 チャプター5 終戦  05:09

チャプター

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Q:中野学校のことは、そのときご存じだったんですか?

俺、全然知らなかった。熊本の連隊副官から命令が出てですね、「お前は中野学校に行け、命令だ」と。それで中野学校に行った。

Q:東京の?

ええ。

Q:中野学校では、どういう教育受けたんですか?

やっぱ、戦時教育でしたね。毎日、戦争をするための演習ですね。

野外で訓練とか、それから、兵舎の中で教育があるわけです。戦時教育が。

Q:その、教育は何か月くらい受けたんですか?

半年くらい。

中野学校卒業して、台湾に帰って、台湾の台北かね、台北で台湾の兵隊を教育したわけよ。

高砂族、台湾人でしたね、高砂で。

Q:軍人ですか、軍属ですか? 教育したのは。

軍人。普通の兵隊ですね。向こうで、台湾でも、青年ですかね、志願してですね、兵隊になって、そこで台湾で教育されて。教育はやっぱ、昔は台湾では(先住民居住区に配置された日本の)警察がね、警察が、台湾のその軍人になるまで教育する。

高砂族は、志願して台湾兵になったわけですよ。

Q:どういう訓練をするんですか?

やっぱ内地の兵隊の訓練と一緒でしてね、練習を。銃を持って撃つ練習なんか、そんな訓練を。

Q:台湾の方で、日本人と違うところもあるんですか?

いやあ、あんまりないですね。もうほとんど向こうで教育受けとるけど、昔は、台湾に行っている警察がほとんど教育している。志願兵でしてね、台湾の。昔は蕃人って言ったけども、兵隊になって、志願して。向こうで台湾の警察が教育している。普通の兵隊と変わらんです。

Q:言葉も日本語上手なんですか?

はい。もう日本の国語通りの言葉ですね。あんまり台湾の蕃語(台湾先住民の言語)は使わんですもんね。

台湾から今度は戦地に行ったんですよね。戦地に、ニューギニアに行きよった、台湾から。そのころは敵の潜水艦が出て、なかなか船で行けないんですよね。そして、ニューギニアに行きよって、ニューギニアに行かれんで、手前のモロタイという島(インドネシア北東端部の島)に上陸した。

Q:モロタイ島に行ってからは、どういう編成したんですか?

もう、警備だけでしたね。戦争できなかったですね。モロタイの警備をしたわけです。

Q:そのときは、山本さんは、どういう立場ですか?

えーとですね、軍曹だったかね。

Q:これ、そのときの感状ですね?

ああ、斬り込み隊の。

Q:昭和19年9月ですね。

Q:斬り込み(手りゅう弾などの武器を手に相手陣地などを襲撃する)はどういうふうにやるんですか?

もう、敵の上陸するところを待ち構えて、斬り込みに。上陸させないように。小銃やら手りゅう弾持ってですね。

Q:アメリカ兵が駐屯している所を攻撃した事もあるんですか?

ええ、あります。

Q:幕舎攻撃とか?

うん。

Q:どういうふうにやるんですか?

まあ、夜ですね。夜、ジャングルの中からずっとこう海岸端…アメリカ兵は海岸端におる。日本兵は山のジャングルの奥に入っているから。で、物音を聞いてからずっと海岸の方に出てきて、それで手りゅう弾なんかを用意してですね、それでそこの小屋の所に投げるんです。それで山の奥地までまた逃げて。そうして攻撃しよった。

Q:攻撃するとき、高砂族の兵隊がいると役に立ちますか?

ええ。

Q:どういうふうに役立つんですか?

やっぱね、来た道ね、歩いてきた道を戻るのなんかが、勘が良いからね。それの方向にまた帰っていかれるんで。

日本人やったら(攻撃に)行くときは行くけど、帰りはどこ来たか分からんようになる。

うん、やっぱ高砂族は山に慣れているからね。台湾の山の中通って、よく山で生活しよるから。日本人には分からなくてね。行く道は分かっていても、帰りがもう分からない。迷う。

Q:高砂族の兵隊がいる方が安心ですね?

ええ。やっぱり日本人よりも優れておったね。もう命を捨てたと思っているから。よう命令をよう守るですね。命令を。

Q:高砂族の兵隊に助けられた事はありますか?

あるですよ、いっぱい。

Q:どういうときですか?

海岸出るときに、やっぱり道を間違ってですね、戸惑いよったら高砂族が来て、「この方向」って言って案内してくれる。

Q:迷っていた?

ええ。ジャングルの中分からんですもんね。どっちが北か南か。まあ、ジャングルの中、湿気があるとこやったら、足跡があって分かるけどね。乾燥していたらもう足跡がつかんし分からない。それでもう行くときに、この前、木を切って、目印に木を切っていけと言うけど、そしたら敵が分かるでね。敵が当然来るから切られん。分からんけど、高砂族は勘がいいから分かる。

Q:そういう助けられたときは何回もあるんですか?

あります。しょっちゅうと言うほど(迷って)、ジャングル行ったらもう分からない。

高砂の兵隊は、山の中住んどったけんね、山の品物取ってくるのうまいです。海岸端に行くと、ヤシの木があるけど、そこはもう、アメリカ兵が銃撃してくるですから、出られんですよ。すると、山の方、奥の方入りこんで、高砂兵が木に巻きついた籐(トウ)ですかね、てっぺんの籐の芯を取ってから、タケノコみたいなのがこうあるですもんね、それを取ってから、飯ごう炊いて食べさせおって。

Q:そういうもの食べられるんですね?

それで、巻きついていて、上高いから、木を切って木を倒して、巻きついたやつを先の方だけ、これくらい皮をはいで、飯ごうで炊いて食べる。

Q:食べられるんですか?

はい。籐なんかね、あの芯、ずっと巻き付いている。蕃刀(台湾の先住民が使っていた刀)で切って倒して、端の方を取って、このくらいの取ってからね、皮をはいでから、飯ごうに入れて炊いて食べる。

海岸端に行ったら、ヤシがあるけど、アメリカ兵が銃撃するから出られん。山の奥の方に入って、ジャングルの中におってから、物食べる。

Q:それ、日本人だったら、籐みたいなのを食べられるって分からないですよね?

ええ。

Q:動物、食べられる動物なんかいるんですか?

豚がおる、山豚が。猪ですかね、あれがいる。あれも高砂族は、ジャングルの中に入ったら、湿気があるところは、足跡がこうあるんでね、それを銃を持って、伝ってずっと行ったら、どこそこおる。銃撃ってから、料理して持ってきて食べさせる。

Q:足跡見つけたりするのが、うまいんですね?

小銃持って、ずっと、探して行って。

Q:日本人だったら山で食べられる物とか…

あんまり知らんでね。(高砂族兵士は)小銃持っているけど、小銃あんまり使わんですもんね。蕃刀ですね、蕃刀で木を切ってから、それに巻きついた藤の芯をとってから。ほとんどもう蕃刀ばっかし。靴なんかもう、両方ひもをくくってから首に下げてから裸足で回る。

Q:裸足で歩いているんですね?

裸足で歩くんです。ひもをくくって、首にかけてから。それで蕃刀持ってですね。

Q:裸足で山歩いても…

足にトゲが刺さったら、蕃刀でですね、蕃刀でこうやってこさえてから抜きよるんです。

Q:皮が厚いんですね。

ええ。裸足に慣れているんですね。

Q:山を歩くのに慣れている。

それで、山のジャングルなんか入っても、北か南をよく分からん、内地人(日本人)は。高砂族は方向をよく指示してね。

Q:夜行動するときもあります?

あるです。方角が分からないですね、内地人は。やっぱり高砂族はもう慣れているからね、どっちが北か南か分かる、夜でも。

Q:夜ジャングルで行動するときは、どういうふうに歩くんですか?

高砂族が先頭になるですね。先に行く。その後を付いて行く。

高砂族は南北がよう分かるですもんね、あれ。私たちは分からんから、高砂族北なら北へ、後を付いて行くだけですね。

木の太り方でね、南の方がぬくい(暖かい)からね、枝なんかよう出ている。北と南だったら、こう同じ木生えても、南の方行ったら枝が大きい。北の方行ったら枝が小さい。そんな事で見分けられる。

まあ、志願してもう命をもう捨てたと思って志願して来たんだからね、命令をよう守る。

終戦の知らせはね、日本の将校とね、敵の将校がね、白い旗立ててね、出会って、再会して、そこで話決まり。白い旗を立てて、将校がお互いに。戦争が終わったっていう事で。それで海岸脇に集まって、兵器をね没収して。それで捕虜になった。アメリカの捕虜に。

Q:終戦が分かったとき、どういう気持ちですか?

ああ、これはもう助かったなと思って。喜んだですね。喜んだけど、あまり喜こばれん。戦友が死んどるでね。戦友が死んどるで、いっぱい。そう喜ばれんけど。

Q:そのころは戦争勝つと思っていた?

いや、そう思っていなかったですね。もう、物が比べられんですけどね、アメリカと日本ったら。大抵がまんしてから射撃もあまりせん。弾はとっているけど。アメリカ兵がどんどん撃つけね。

Q:戦争が終わったとき、他の人はどんな様子だったですか?

他の人もやっぱり委縮してね。

Q:高砂族の人はどういう様子だったですか?

戦争が終わったら、高砂族は、高砂族だけ台湾に帰る。内地には内地だけの兵隊。船が別個になって。それで帰った。

Q:高砂族のことを今思い出すとどうですか?

懐かしいね。やっぱ。

Q:どんなふうに懐かしい?

やっぱり同じ行動を共にしてきたけね、戦地で。

Q:お会いしたいですか?

会いたいけども、もう年だから、そんなんしてもう・・

Q:日本人と高砂族の人と違う懐かしさがあるんですか?

別にないね、違いは。

高砂族も教育をよう受けているからね、何事もよう分かる。真面目だしね、とにかく。

Q:真面目なんですね。どういうふうに真面目なんですか?

言った事を確実にもう実行するでした。で、もう小言を言わんでね。「はい」って言ってね、もう確実に仕事をする。内地人やったら何か理屈言うですね。

出来事の背景出来事の背景

【三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~】

出来事の背景 写真標高3500メートルを超える山々が連なる台湾の山岳地帯。ここには、数千年の昔から台湾の先住民が暮らしていました。日本が台湾を統治していた時代、先住民は総称して「高砂族」と呼ばれていました。彼らは、戦前から戦中、戦後にかけ、激動した台湾の歴史の中で、三つの名前を生きてきました。自らの民族の名前、日本統治時代の日本名、そして戦後の中国名です。
「高砂族」の若者たちは、太平洋戦争中、日本軍の兵士や軍属として戦地に送られ、密林や山岳地帯などの戦場で、日本人を支えました。その勇敢な戦いぶりが、日本軍から高く評価される一方で、ゲリラ戦などにも投入され、数多くの若者たちが命を落としました。
さらに、終戦後、日本は台湾を放棄しました。変わって、蒋介石の中国国民党が新たな支配者となります。“日本人”として育った「高砂族」の若者たちは、それまでと全く異なる社会の中で生きていかなければなりませんでした。「高砂族」の人々は、国家と戦争に翻弄される激動の20世紀を生きてきました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1917年
福岡県田川郡に生まれる
1937年
小倉歩兵第14連隊に入隊。その後、熊本予備士官学校入校
1941年
陸軍中野学校入校
1944年
7月、モロタイ島(現・インドネシアの島)で“高砂族”と遊撃戦に従事
1945年
モロタイ島で終戦
1946年
復員
 
その後は古川炭鉱に勤務

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