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タイトルタイトル: “ほとんどが死んだ” 番組名番組名: [BSプレミアム] 三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~
名前名前: 許 明貴さん(台湾“高砂族”の戦争 戦地戦地: 台湾 ニューギニア(アイタペ)  収録年月日収録年月日: 2011年3月27日

チャプター

[1]1 チャプター1 高砂義勇隊  03:08
[2]2 チャプター2 志願熱  02:47
[3]3 チャプター3 斥候の任務  04:19
[4]4 チャプター4 “ほとんどが亡くなった”  07:39
[5]5 チャプター5 負傷  04:43
[6]6 チャプター6 終戦  03:04

チャプター

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学校で出てからは、ここで、ここにおったね。あのとき、学校の教育担任者、学校、学校の先生になる勉強した。あのとき、勉強して、この学校、この学校で教えた。そう。

もうそのとき、戦争は始まっていた。もう、大東亜戦争、始まった。学校も、2、3か月だけ教えて、あと出征した。18歳よ、18歳で。海軍、海軍の方。出征、出征した。

Q:志願ですか?

募集よ、日本が募集したんだ。やっぱり身体検査するよ。身体検査して、受けたらやっぱり、出征、出征する。

自分でお願いするよ。志願して。何名、何名、4名くらい出て、身体検査受けたよ。合格したのは、私。1人だけ

Q:他の方、3人は?

もう、行かない。ここにおった。
そう、国家のために。ここから出てパラオ諸島分かるかな、パラオ諸島で1か月訓練した。あそこで訓練されて南方に出た。あの、このニューギニアね。うん、ニューギニア。

Q:この村から第1回、2回高砂義勇隊に行った人はいたんですか?

おった。第1回。あれは帰ってきた。もう満期で帰ってきた。フィリピンにおったね。フィリピンにおった。

Q:その人のことは、この地域の皆さんはどのように見ていた?

やっぱり、皆、兵隊の服くれた。勇ましい。ほとんどまだ全体、志願兵で。ほとんどまた南方に出た。帰ってきてもまた出た。

Q:帰ってきてもまた行くんですね?

そう、第1回の人はほとんど皆出たよ。また、あれは皆ほとんど。

そう、皆、資格のものは出る。やっぱり、身体検査して、検査をして受けたら出る。

Q:第1回義勇隊で帰ってきた人の話を聞いたことはありますか?

うん。あるよ。やっぱり話しました。

Q:どんな話ですか?

日本が、日本の兵隊が強いって、強いし勇ましい。しかし、我々の義勇隊は皆、兵隊と一緒。やっぱり有名よ。義勇隊とバターン半島とかコレヒドール。第1回は皆行って占領した。第1回目は義勇隊で。皆通れない、崖でしょう、山ばっかり。だから義勇隊が行って爆雷か、何かを投げて攻撃した。

Q:その話を聞いたときはどう思いましたか?

あぁ、素晴らしいね。聞いたらもう。思いはもう行きたいよ。誰でも行きたい。行く気持ちがでてくるよ。

ニューギニア。ウエワク半島。東の方よ。向こうは東はアメリカ、西はイギリスね。管理する。
大きいでしょ。あの本土は大きいよ。あの豪州の山も見えるもん。豪州、オーストラリア。山も見える。望遠鏡だったらもう人間も見える。

Q:ウエワクでどの部隊に配属になったんですか?

私たちは、前の部隊、司令官は鎌田(鎌田道章第2特別根拠地隊司令)、その後は「のと」司令官。その司令官が海軍の司令官。

Q:皆さんは軍属ですか?軍人ですか?

最後に徴兵制度されたよ。前は義勇隊と言う。

Q:義勇隊は軍属ですね?後から徴兵されて?

そうそうそう。後から向こうで徴兵された。

Q:宮田さんの階級は?

上等水兵。

Q:宮田さんたちはどういう戦闘をしたんですか?

先頭部隊よ。俺たちは先頭の方。もう斥候兵だな。斥候(本隊の移動に先駆けて、敵の状況などを偵察し警戒する任務)する。前へ出て。日本が10名。俺たちが5名。5名、5名だな。部隊は後に来る。

Q:何を斥候するんですか?

あの、敵、敵兵を見る。道の先で待って隠れて。撃ちよるから。音したらもう、後ろの者が走ってくる。

Q:どういうふうな工夫をして行くんですか?

行くときか、道の奥のほうに歩いて行く。やっぱりゆっくり行く。あの見えるよ、おるか、おらないか、これを見て、ゆっくり行く。

道は広い。道はある。しかし、道は危ない。爆雷埋めるよ。あれ踏んだら爆発する。車行ったら爆発するよ。恐ろしい。

Q:どうやって見分けるんですか?

わかる。見てわかる。あのどこに、掘ったとこある。見る。だいたい見て分かる。どこに埋めるかだいたい分かる。

Q:アイタペ攻撃ってありましたか?坂東川の戦いありましたか?

何て言う所?川あるよ。川、大きい川あるよ。向こうは国大きい、ニューギニア。大きい川もある、恐ろしいあの川。あの中にワニあるんだ、あそこ。よく見ないとワニにかまれる。ワニ多いよ、向こう。

Q:大きい川を渡って?

うん、渡る。橋もある。ある所は橋はないけど、歩いて行くよ、歩ける。

ほとんどもう、攻撃するのはほとんどやっぱり昼だね。あるときは、4時半か5時半頃、攻撃するよ。

Q:夕方の?

朝、朝の4時半か5時、薄暗い。行って攻撃する。

Q:敵はまだ寝ていますね?

うん、飛行場の攻撃だとか、行って暗いからわからん。飛行機のあるところ爆雷置く。こうして帰ってきたら時間をはかる。できたら今度攻撃をする。これを先に爆雷撃ってから、攻撃する、入る。

Q:皆さんは鉄砲持っていたんですか?

いや、南方に分けた。こんな小さい。ドイツ製のベルグマン銃、ベルグマン銃。

Q:日本軍の鉄砲ですか?

日本もちろんあるけど、僕たちもドイツ製のベルグマン銃使ったな。ドイツの銃。

Q:斬り込みとか突撃するときはどんな気持ち?

何にも思わんね。もう死ぬ、生きるはもう、思わない。
死んだものが多い、ニューギニアでほとんど死んでいる。ニューギニアで。ニューギニアはもう豪州近いよ。飛行機がすぐ飛んでくるよ。最初は上がったときは、日本の飛行機もたくさんあった。最後にだんだん無くなった。日本の飛行機。

Q:少なくなっているの分かるんですね?

うん、分かるよ。

Q:敵と日本、どっちが勢いがあると思っていました?

そのとき、私が上がった当時は日本は強いね。行きは日本が強かった。最後に飛行機、もう最後になってから飛行機もない、もう軍艦もあんまり来ないよ、そのまま山の中で死ぬ。

あの爆撃とかね、やられてけがした者を担いで行くよ。死んだ者はそのままにする。生きている者はやっぱり担いで、おんぶして司令部に行って治療させる。そういうふうにして助ける。もう死んだ者はそのままよ。もう生きた者は助けてあげる。

Q:おんぶして?

ええ、おんぶする。

Q:1人でですか?

いや、交代交代しておんぶして行く。やっぱり多いよ、けがして生きた者も。戦争終わったら、もう皆もう、アメリカも逃げるし、もうおらん。あぁ、恐ろしいよ戦争。お互い皆、武器あるからね。日本の精神は強い。やっぱり山のものも義勇隊は精神は強いよ。

Q:どういうふうに強いんですか?

精神は強いよ。死んでもいい、もう死ぬが生きようか関係ない、考えない。もう死んでもいい、国家のためなら、もう死んでも。やっぱり南方で死んだ者がいいよ。

もうほとんど死んでしまった。帰ってきたものは少ないよ、ほとんどが死んでいるよ。

うん、今思い出したら本当、本当苦しい。

Q:思い出すと苦しい?

ある者も埋めないでそのままにしている者もある。ある者は埋める。司令部だったら埋める。前線はもう埋めないね。そのままして、もうそのままする。もう遠い山の中、そういう者、本当かわいそう。

私爆撃にやられたよ。ここの足もう少しで取られる、ここ。体を道の下にあの沈んで、足を上になった。爆撃にきた。あのとき、相当死んだよ。足、1か月くらい入院した。

Q:傷見せてもらえますか?

この上、これこれ、ここまで来た。今はこうなって、こう縮まってきた。しびれる、歩いたらとても痛い。しびれる。歩きにくい。

Q:爆撃で?

うん、爆撃。

Q:破片が当たったんですね?

うん、破片、破片が当たった。

血たくさん出た。ああ、血たくさん。ここ括って、おんぶしてくれた。司令部まで。遠いよ。道はいいよ。海岸線までずっと道がある。そこがちょうど、院長。少尉か中尉か。少佐、院長、院長がおった。ほこで来て、私の足を半分切って、あの毒とるって針の毒ね。ああいうきゃあって、泣いた。
ああもう痛い。ここ2人押さえて、こっちも2人持って、あれ取るって、毒あるから。手術した。そうして治療した。1週間で、少し歩ける。そしてきてから、院長来てから病院に送った。1か月よしこおった。治るまで。

足、こっちの足。小さく見える。ここまでよ。これだけ残った。これこれ。もう縮まってきた。小さくなった。これはしびれる。石が当たるとしびれる、痛い。

Q:今でも?

うん、今でも。もう、とっても不便。もう今、仕事しない。子供が一緒に住んでいる。もう、今89歳だね。89。もう年寄りよ。早く死んだ方がいい。南方で死んだ方が上等。今思ったら、南方で死んだ方がいいと思った。

Q:どうしてですか?

夢見るよ。時たま、南方に行く。夢。軍人の着物着て。起きたら夢。夢出るよ、何回も夢見る。向こうの知り合った友達とかたくさんおるよ。あれも死んだ。

Q:南方へ行く夢をみるって?

うん、見るよ。時たま、行くよ。若いときの夢と同じ。若いときの夢よ。服装も兵隊の服装して、皆、向こうで死んだ者見えるよ。帰って来ているよ、あれたちの魂おる。この部落におるよ。この部落、たくさん死んでいる、何十名か死んでいる。私の戦友、一緒に生まれた、一緒に学校出たもの、皆死んだ。私1人だけ。皆、南方で死んでいる。

ラジオで放送しているの、ラジオ通して放送してる、もう、前線の皆様、戦争をやめようって。やめなさい。天皇陛下が命令したの。

Q:ラジオで聞いたんですね?

うん、南方のほうで。皆ラジオで聞いた、ラジオでね聞いたの。もう、あのとき自殺した人もたくさんおるよ。兵隊の偉い人。自殺した、なんか少佐とか中佐、大将、ほとんどが自殺した。南方で。

Q:戦争負けて?

うん、戦争負けてもう自殺した。たくさんおった。

Q:宮田さんは放送聞いたときどう思った?

気持ち悪いよ。やっぱり兵隊も皆泣くよ。

Q:宮田さんも泣いたんですか?

やっぱり涙出た。負けたのと。負けたけど戦争が停戦した。停戦しなさい。もう戦争をやめようって。
思い出したら、本当にもう、死んだ人かわいそう。あの海の岸の脇で死んで、そのまましとる者もある。本当にかわいそう。気持ちは悪くなかったね。どういうわけか、精神が強いらしい。死んでいる人を見ても気持ち悪くない。

もう戦争はしないほうが良いと思う。お互い死ぬか、海で浮かんでそのまま死ぬ人も。あがるときも死んでそのまましとる、もう海だよ。そういうものがとてもかわいそう。もう魚食べられているもう。ああ、ほんとかわいそう。日本ばかりじゃないアメリカ人もおるよ。あそこに浮かんで死ぬ。

出来事の背景出来事の背景

【三つの名を生きた兵士たち ~台湾先住民“高砂族”の20世紀~】

出来事の背景 写真標高3500メートルを超える山々が連なる台湾の山岳地帯。ここには、数千年の昔から台湾の先住民が暮らしていました。日本が台湾を統治していた時代、先住民は総称して「高砂族」と呼ばれていました。彼らは、戦前から戦中、戦後にかけ、激動した台湾の歴史の中で、三つの名前を生きてきました。自らの民族の名前、日本統治時代の日本名、そして戦後の中国名です。
「高砂族」の若者たちは、太平洋戦争中、日本軍の兵士や軍属として戦地に送られ、密林や山岳地帯などの戦場で、日本人を支えました。その勇敢な戦いぶりが、日本軍から高く評価される一方で、ゲリラ戦などにも投入され、数多くの若者たちが命を落としました。
さらに、終戦後、日本は台湾を放棄しました。変わって、蒋介石の中国国民党が新たな支配者となります。“日本人”として育った「高砂族」の若者たちは、それまでと全く異なる社会の中で生きていかなければなりませんでした。「高砂族」の人々は、国家と戦争に翻弄される激動の20世紀を生きてきました。

証言者プロフィール証言者プロフィール

1924年
台湾台中州霧社(現・南投県仁愛郷)に生まれる タイヤル族
1943年
第4次高砂義勇隊に参加。東部ニューギニアへ
 
その後、軍属から軍人になる
 
アイタペ作戦に参加
1945年
東部ニューギニアで終戦を迎える
 
終戦後は電力会社に勤務
2011年
逝去

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