本文へジャンプ

  • ケアなんて・・・(2)

    MICOTO
    記事ID:31296

    告知の席に、父親は医師会の会合で出席出来ず、弟は東京で、私だけのはずでした。
    ところが気を利かせたつもりの母の身内のおかげで、たくさんの親戚が集まりました。
    説明に現れた先生(父親の後輩)も人数に驚いていました。
    母は説明の間、私の横顔を窺っていたのが解ったので、私は泣きませんでした。
    母は、私も初めて聞くのだと信じていたのです。

    医学を何も知らない伯父が「治るんやろが、はよ治してくれ」と言うのを、心の中で「黙れ黙れ!」と叫んでいました。
    母は、親戚が帰るまで耐えていました。
    二人きりになって「お母さん、何か悪いことしたんかなぁ」と言って泣きました。
    私の前でだけ泣いたので、後日父親と弟が「お母さん結構しっかりしてたな」と言うのを聞いて、思わず怒りが爆発したのを覚えています。

    1ヶ月ほどして手術(大腸の癒着で通過障害が起こっていたため)、ほどなく2度目(1度目に遠慮して少なめに切ったためでしょう)が行われました。
    2度目は急遽決まったので、介護に行った私はそのまま待つことになり、夜中まで掛かるので父親も帰宅してしまいました。
    そんなマイペースぶりも、手術直後の医師には驚かれたものです。

    1度目の手術の後、母は個室に入り、「完全看護です」と言われましたが毎日誰かが介護に入りました。
    私は当時は週に4日、後にも3日入っていました。
    入るとほとんど徹夜になるので、かなり身体には堪えました。
    他は親戚で週に1回ずつ頼んでいました。
    完全看護が何だ?というくらい、いろいろなアクシデントが起きましたけどね。

    2度目の手術の後は、ドレーンが3、4本出されて、人工肛門も着けられて、母の状態は悲惨でした。
    きっと亡くなる頃には腹膜炎でメチャクチャだったのではないかと思います。

    投稿日時:2013年08月23日 13時41分

  • このトピックに「カキコミ」する
  • 現在1

投稿ルールを必ずお読みの上、ご利用下さい。

  • エール

    お疲れ様です。。。
    stillsmilingさん / 40代 /
    記事ID: 64284

    ご親戚一同の結束力素晴らしいですね!お母様の「私何か悪いことしたやろか?」の一言、心にしみました。

    私自身、癌告知を一人で受けた体験者です。手術だけで済みましたが、後遺症があります。両親と妹が駆けつけてくれました。

    皆さんが一緒に癌と戦ってくれたことで、お母様は幸せだったと思います。

    投稿日時:2017年10月27日 14時13分

    コメントを書く

現在のカキコミ1件中