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中大兄皇子と中臣鎌足

西暦645年、中大兄皇子と中臣鎌足は豪族、蘇我入鹿を討つ。その後中大兄皇子は天皇に即位、さまざまな改革を行う。中臣鎌足は国を治める法律を整えたといわれている。

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ねらい

中大兄皇子が天智天皇となり、中臣鎌足とともに国を治めるしくみをつくったことがわかる。

内容

西暦645年6月。豪族たちの頂点にいた蘇我入鹿が殺害された乙巳の変。手を下したのは、時の天皇の息子、中大兄皇子でした。この時、中大兄皇子とともに殺害に加わった一人が中臣鎌足です。鎌足はこの時、弓に矢をつがえていたといわれています。中大兄皇子や中臣鎌足たちが、蘇我入鹿を殺害してから15年後の西暦660年。唐が朝鮮半島の百済を滅ぼします。唐の脅威が、日本にせまってきたのです。天皇に代わって政治を行っていた中大兄皇子は、日本をより強くする必要がありました。中大兄皇子は即位して天智天皇となり、さまざまな改革に取りかかります。日本書紀によれば、天智天皇は、「戸籍」をはじめてつくらせました。九州から関東にかけての広いはんいのもので、この戸籍によって、もれなく税を集めることができるようになったとされています。中臣鎌足は、天智天皇のもとで、国を治める法律を整えることに力をつくしたといわれています。