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遣唐使

中国「隋」が「唐」へかわると、進んだ文化を学ぼうと遣唐使が派遣された。それにより茶、薬、仏教の経典が伝えられ、国のしくみや法律も唐を手本にしてつくられていった。

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学習のねらい

奈良~平安時代の政治のしくみや法律、文化などは、遣唐使によってもたらされた唐の影響(えいきょう)を受けていたことがわかる。

詳しい内容

西暦(せいれき)607年、聖徳太子(しょうとくたいし)が活やくしたころ、日本はとなりの中国、当時の「隋(ずい)」に使いを送りました。「遣隋使(けんずいし)」です。やがて隋が唐(とう)へかわると、「遣唐使(けんとうし)」になります。当時、中国への旅は船であら海をわたる危険(きけん)なものでした。日本よりもはるかに進んだ中国の文化。遣唐使は命がけでその文化を日本に伝えようとしたのです。みかんや茶、薬、仏教の経典などたくさんのものが遣唐使によって伝えられました。また710年につくられた奈良の平城京(へいじょうきょう)。794年に都となった京都の平安京。そのほか国のしくみや法律(ほうりつ)も唐を手本にしてつくられました。遣隋使・遣唐使は平安時代まで200年以上も、中国と日本を行き来しました。