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天正遣欧使節

キリスト教が広まるころ、セミナリヨに学ぶ4人の少年がヨーロッパへの旅に出る。各地で歓迎されローマ教皇にも謁見。4年後に帰国、キリスト教は禁止されようとしていた。

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学習のねらい

織田信長がキリスト教を教える学校、セミナリヨをつくらせ、その学校で学んでいた4人の日本人が、遣欧使節としてヨーロッパの文化を学んできたことがわかる。

詳しい内容

1549年、日本にやってきたフランシスコ・ザビエル。はじめてキリスト教を伝えました。ザビエルのあとをつぎヨーロッパから宣教師たちが日本を訪れます。織田信長は1580年、宣教師に、「セミナリヨ」というキリスト教の学校をつくることを許します。これにより多くの日本人がキリスト教の信者となりました。セミナリヨは九州にもつくられました。セミナリヨで学ぶ4人の少年が、ヨーロッパに旅することになります。伊藤マンショ、千々石ミゲルら、13歳ほどの少年です。かれらは、天正遣欧使節とよばれています。1582年に日本を出発。4人は大歓迎を受けます。スペインでは国王に、イタリアではキリスト教で最も地位の高いローマ教皇に会うことができました。ヨーロッパの文化にふれ、キリスト教への信仰をさらに深めました。出発から8年後、4人は帰国します。しかしこの時、日本ではキリスト教は禁止されようとしていました。