お困りの際には、「困ったときは…」をご覧ください。

江戸の町づくり

徳川家康が江戸に入ったのは1590年。当時江戸は湿地が多く、大きなまちではなかった。家康は、埋め立てや水路の整備を行い、城下町としての機能などを高めていく。

関連キーワード:

ねらい

徳川家康が、江戸のまちを広げるために埋め立てを行い、商人を集め100万都市の基礎(きそ)をつくったことがわかる。

内容

江戸(えど)に幕府(ばくふ)を開いた徳川家康(とくがわいえやす)。その家康が、江戸に入ったのは1590年。当時は、湿地(しっち)が多く、まだ大きなまちもありませんでした。これは現代の東京の地図です。当時の地形はどうだったのでしょう。東京の中心まで海でした。そこで家康は、うめ立てを行い、土地を増やし、城下町(じょうかまち)を大きくしました。城(しろ)のまわりに家臣を住まわせ、その後、商人を集める地域(ちいき)もつくりました。そして、家康が特に力を入れたのが、船が通れる水路をつくることです。このころ、物を運ぶ手段(しゅだん)の中心は船でした。水路にそって大きなまちがつくられました。そのひとつが日本橋です。日本橋には、全国からさまざまなものが集まるようになりました。まちづくりは、家康の後も続けられ、18世紀には、100万をこえる人が住む、当時、世界で最も大きいまちになったといわれています。