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朝鮮通信使

徳川家康は、朝鮮との交流を再び開始。通信使を通じ中国の文化にもふれ、また交流と同時に貿易も行われるようになる。約200年の間に12回、朝鮮通信使は日本を訪れた。

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学習のねらい

徳川家康は、朝鮮との関係を回復させようと努力し、江戸(えど)時代を通じて朝鮮とも交流がもたれたことがわかる。

詳しい内容

徳川家康(とくがわいえやす)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の2度にわたる侵略(しんりゃく)でとだえていた朝鮮(ちょうせん)との交流を再びはじめました。将軍(しょうぐん)の代がわりごとに、お祝いのための使節が朝鮮から日本に来るようになったのです。これを朝鮮通信使といいます。朝鮮通信使は、船で主に今の京都市南部まで来て、そこから歩いて江戸(えど)に向かいました。朝鮮通信使を通じて、進んだ中国の文化にふれることができると、さまざまな交流もはかられました。滋賀(しが)県には「朝鮮人街道」とよばれる道が今も残っています。朝鮮通信使が通った道です。朝鮮通信使による日本と朝鮮との交流と同時に、貿易もはじまりました。日本から朝鮮へは銀や銅が輸出され、朝鮮からは木綿や朝鮮人参が輸入されました。朝鮮通信使は、1607年から、およそ200年のあいだに12回、日本を訪(おとず)れました。