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鎖国の時代の交流

日本が鎖国をしている間、オランダや中国との貿易が認められた場所は1つに限られた。長崎の港をうめ立ててつくった出島。そのほか対馬など3か所でも交易は行われていた。

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ねらい

オランダや中国など、外国との貿易は、江戸幕府(えどばくふ)が長崎の出島で独占して行ったことがわかる。

内容

江戸(えど)時代、鎖国(さこく)のあいだ、日本と貿易ができたヨーロッパの国は、キリスト教を広めないと約束したオランダだけでした。幕府(ばくふ)は、長崎(ながさき)の港をうめ立ててつくられた「出島」にオランダ人を住まわせます。出島の中のくらしはヨーロッパ風でした。日本人の出入(ではい)りは制限されていましたが、時には地元の人びとが招かれることもありました。出島では、オランダのほか、中国の商人との貿易も行われました。この長崎の出島の他でも外国との交流は行われました。当時、朝鮮(ちょうせん)と交流していた「対馬(つしま)」、この時代、独立した国だった今の沖縄(おきなわ)県の琉球(りゅうきゅう)王国、その琉球を従えていた「薩摩(さつま)」、そしてアイヌの人びととの交易を行った「松前(まつまえ)」。江戸時代、鎖国という制限された中でも、この4か所で日本は外に門を開いていたのです。