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日米和親条約

1854年、ペリーは再び来日した。目的は日本の鎖国を解き、アメリカと貿易することを認めさせることだった。話し合うこと1か月半、「日米和親条約」が結ばれた。

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ねらい

ペリーが江戸幕府(えどばくふ)と、日本が開国への1歩を踏み出すことになった「日米和親条約」を結んだことがわかる。

内容

1854年1月。ペリーは9隻の軍艦を率いて2度目の来日をしました。ペリーは幕府の役人にむかえられ、横浜の港に上陸しました。ペリーの目的は、日本の鎖国を終わらせ、アメリカと貿易することを認めさせることでした。幕府は要求を受け入れようとはしません。ペリーと幕府の話し合いは1か月半におよびました。その結果「日米和親条約」が結ばれました。条約を結んだ宿場町「神奈川宿」の名前から「神奈川条約」ともいわれます。友好的に付き合うこと。静岡県の下田と北海道の函館に、アメリカ船が燃料の補給をするための港を開くこと。船が難破した時、乗組員を保護し水や食料をあたえること。下田の港にアメリカの領事館を置くことなど、12か条の約束が交わされました。しかし、幕府は、アメリカと「貿易」をすることだけは認めませんでした。ペリーが幕府と結んだ「日米和親条約」は、鎖国をする日本が開国へとふみ出すきっかけとなった条約でした。